楽園としての極楽
『阿弥陀経』には、こんな一節がある。
「うーしゃーりーほつ ごくらくこくどー しちじゅうらんじゅん しちじゅうらーもー しちじゅうごーじゅー かいぜーしーほー しゅーそーいーにょー ぜーこーひーこく みょうわつごくらく…」
日本でお経を読むと言えば、このような音読みが普通で、読んでいる者は、経本を目で追いながら意味を辿ることができるが、それを聞く者は、よほど経典に詳しくない限り、規則的な木魚の音とともに、意味不明な音声の流れに身を委ねることになる。これこそが、一般の人が想起する読経のイメージであり、日本仏教の伝えてきた最もポピュラーな仏教文化の一場面である。読経に参列する人たちは、恐らくは、経文の意味は分からなくとも、神聖な儀式に参加したという厳かな感動には浸ることができるだろう。しかし、当然のことながら、経文は、単なる声の持続音ではなく、漢文によって仏の教えが記されたものである。特に、自覚の宗教である仏教にとって、本来、そこに何が説かれているのかは、ことのほか重要なことといわなくてはならない。
この一節以下の『阿弥陀経』の経文を、現代語に訳してみよう。
「舎利弗よ。極楽国土には七重の石垣、七重の並木が、七重の宝珠を連ねた網で飾られ、あまねく列なっている。それらは皆四つの宝石でできている。このような理由で、ここを極楽というのだ。極楽国土には、七つの宝石で出来た池があり、八つの功徳のある水で満たされている。その池の底には金の砂が敷き詰められている。池のまわりは階段状になっており、これらは金・銀・瑠璃・水晶によって出来ている。その上には楼閣があり、金・銀・瑠璃・水晶・硨磲・赤真珠・瑪瑙で飾り立てられている。池の中には、葉の大きさが車輪ほどの蓮華が咲いている。青色の蓮華は青色の光を放ち、黄色の蓮華は黄色の光を放ち、赤色の蓮華は赤色の光を放ち、白色の蓮華は白色の光を放ち、清らかで芳しい香りを放っている。
また舎利弗よ。かの仏の国土には、常に天上の音楽が流れており、大地は黄金で、一日に六回、曼陀羅華の花が空から降りそそぐ。その国の人々は、毎朝早く花籠にたくさんの美しい花を盛って十万億の仏の世界に赴き、仏を供養し、朝食の時間には極楽に戻って食事をとり、それからゆっくりと歩いて身心を調える。…
またさらに舎利弗よ、かの仏の国土には、常に、見事で彩り豊かな様々な鳥がいる。白鵠・孔雀・鸚鵡・舎利、迦陵頻伽・共命の鳥などである。これらの鳥は、一日に六回、美しく優雅な声でさえずることで、五根・五力・七菩提分・八正道分などの教えを説いている。この国の人々は、この声を聞き終わって、皆ことごとく、仏を思い、法を思い、僧を思う気持ちが起こるのだ。…
舎利弗よ、かの仏の国土には、そよ風が吹いて宝石でできた並木や宝石で飾られた網が揺れて妙なる音を鳴らす。それは百千もの音楽が一緒に流れるようなものである。この音を聞く者は、みな自然に仏を思い、法を思い、僧を思う気持ちが起こるのだ。…
舎利弗よ、彼の仏にはたくさんの声聞の弟子がいる。皆、阿羅漢の境地に達しており、その数も数えきれない。菩薩たちの数もまた数えきれない。…また舎利弗よ、極楽に生まれた人々は皆、悟りを求める心から退くことのない境地にいる。その多くは次の生には必ず仏となれる境地の人である。その数は甚だ多く、数えきれない。…」
『阿弥陀経』に説かれた極楽のありさまは、おおよそこのような感じである。これが、まさしく、「指方立相」の「立相」にあたるところだ。ここには、様々な宝石の荘厳と蓮華や曼陀羅華の花であふれかえるキラキラした華やかな世界が描写され、数えきれないほどの菩薩や声聞たちが集い、美しい音楽とかぐわしい香りに満ちている。目眩がするほどに美しく、これでもかといわんばかりの装飾に溢れた華やかな世界。究極の楽園世界である。
ただ、現代語に訳された極楽の姿に接すると、読経を聞いていたときには、心地良い連続音の彼方にたゆたっていた何やら神秘的な奥義のようなものが、いきなり現実的な姿で現れたような感覚を受け、戸惑う人も多いのではないだろうか。私も、初めて、現代語に訳された極楽のすがたに接したとき、並木、池、楼閣などがことごとく宝石で出来ていたり飾られていたりする表現に、強い違和感と抵抗感を覚えた。それらは、おとぎ話の中の王侯貴族や大富豪が住む、贅沢でエキゾチックな世界を連想させ、初期仏教のストイックな世界と比べると、仏の世界でありながら、あまりに世俗的な嗜好に溢れて嘘っぽく感じられた。
花山勝友氏は、『仏教・インド思想辞典』のなかで、極楽のイメージについて、こう述べている。「仏の建立した浄土に、煩悩を燃やすような対象が存在するはずがないのに、なぜ美しい花々、宝石で飾られた宮殿、彩りあざやかなさまざまな鳥といったものが存在するのであろうか。その理由はきわめて明白で、煩悩をもった人間に、そのような世界へ生まれたいという気持ちをおこさせるという目的があるからであり、その最終目的は、あくまでもそこに往生したものが、この世で到達することができなかった悟りの境地に到達させられるようにということなのである。」
花山氏によれば、極楽のイメージは、煩悩の障りの多い私たちの気持ちを引きつけ、極楽へ行きたいとの思いを抱かせるために説かれたものである。そして、その魅力に引き寄せられて極楽に往生してしまえば、誰もが、阿弥陀如来の説法にまみえて、この世では望むべくもない悟りの境地に達することができるのである。花山氏は、極楽のイメージを、ともかくもそこに行きたいという気持ちを起こさせる誘引剤のようなものと捉えているのだ。
極楽の荘厳について、花山氏は、ご自身の感覚から、それが説示された理由について実にストレートな見解を述べている。それは、花山氏が「きわめて明白」とするように、恐らくは、多くの支持を受けうる見解と思われる。信仰上は、経典に説かれた内容は、有り難く受け取るべきであるが、初期仏教のストイックなありかたと、極楽の絢爛たる姿との間に、どうしようもないギャップを感じてしまった者は、それを埋めるために何らかの解釈を加えないと、その教説を受け入れることができない。花山氏は、極楽のイメージを、煩悩にまみれた人々が極楽へと思いを向けるための手段と捉えることによって、そのギャップを埋めているように思われた。
大正大学で仏教学を学んでいた頃、私も、花山氏と同じような解釈で極楽を理解しようとしていたように思う。しかし、一方で、このような解釈では、極楽の荘厳、イメージは、凡夫の欲望の対象でしかなく、それ以上に深い意味を与えられないことに、大きな疑問と割り切れなさを感じていた。私には、極楽のイメージには、人間の心の深い部分に根ざした素晴らしい価値が込められているに違いない、いや、込められていて欲しいという思いがあり、それは喩えれば、秘められた宝、宝石のようなイメージだった。
ところが一方で、私が最初に極楽のイメージに拒絶反応を起こしたのは、矛盾するようだが、そこに用いられている金銀宝石のきらびやかな荘厳だった。そこで私は、これらは、極楽が秘められた最高の楽園であることを示すために、比喩的に、あえて用いられた表現なのだと自らに言い聞かせた。考えてみれば、そもそも大乗経典には、極端に大げさな表現や、現実ばなれした神話的表現が溢れており、私が拒絶反応を起こした極楽の荘厳も、それらと同様の、インド的な濃厚な神話表現として理解するべきものなのだろう。しかし、このような過剰な装飾表現をもつ楽園を、自らの赴く死後の世界として、そのまま素直に受けいれるのには、私の感覚と思考は、あまりにも自然主義的であった。他ならぬ自らの信仰と死後に関わるイメージであるからこそ、私は、その表現を自分なりに解釈して受け入れる必要があった。
『無量寿経』、『阿弥陀経』などに示される極楽の姿は、仏教内外の経典や聖典類に示される神話的楽園、大善見王の王城の描写や北俱盧州の描写、あるいは梵天の世界の描写などと類似していることが、すでに先学によって指摘されている。藤田宏達氏の『原始浄土教思想の研究』によれば、パーリ仏典経蔵長部の第十七経『大善見王経』には、このような描写がある。「クサーヴァティー王城は、七重のターラー樹の並木で囲まれていた。ターラー樹の並木の一つは黄金でできており、一つは銀でできており、一つは瑠璃でできており、一つは琥珀でできており、一つは一切の宝石でできていた。黄金でできているターラー樹には、黄金でできている幹と、銀でできている葉と果実があった。…」
また、サンスクリット本『八千頌般若経』には、このような表現があるという。「…ここより五百ヨージャナ離れたところに、ガンダヴァーティー(香りのあるところ)と名づける七つの宝よりできている都城がある。それは、七重の垣によって囲まれ、七重の壕により、七重の並木によって囲まれており、縦十二ヨージャナ、横十二ヨージャナの広さをもっている。富裕であり、繁栄しており、平穏であり、豊饒であり、多くの生けるものや人間たちが充満している。…そして都城全体は、黄金の鈴の網でもって覆われている。風が吹くと、その黄金の鈴の網は妙なる、快い、たのしい音をいだす。…その音を聞いて、その都城の人々は歓楽し、歓喜し、遊戯する。…」
これらの経典の描写には、極楽の表現で私が抵抗を感じていた過剰な装飾的表現を、ほとんどそのまま見ることが出来る。どうやら、このような華やかな描写は、当時、インドで語られていた神話的楽園のスタンダードな表現であったようである。
極楽の起源については、エデンの園やゾロアスター教にそのルーツがあるという外来起源説を称える学者もいる。私には、何が最も極楽のイメージに影響を与えたのかを検証することはできない。しかし、極楽のイメージが、先行する様々な楽園のイメージの影響を受けつつ成立したことは間違いない。先行する楽園が様々に存在したことが、法蔵菩薩が二百十億もの仏国土の荘厳を見て、それらの優れた特徴を取り入れて、より見事な荘厳をもつ極楽を建立したという教説に繋がったのだろう。
インドには、仏教以前から生天思想なるものがあった。善業を積めば、その功徳により死後は天に生まれるという因果を説いたものである。釈尊は、この教えを取り入れて、在家信者には、まず、施論、戒論、生天論を説いたといわれる。これは、貧しい者や出家者などに布施をし、殺生や盗み、邪淫などをしないという戒めを守り、福徳を積んで過ごせば、死後は天国に生まれるという教えである。この教えは、あくまで仏教へのプロローグであり、因果の道理を理解した者には、この後に、四諦八正道が説かれたというが、この生天思想に浄土思想の源流を見る学者もいる。
ただし、浄土教の教義は、あくまで、極楽往生と生天は異なるものだと主張している。極楽は、法蔵菩薩の誓願の成就によって建立された仏国土であり、そこへの往生を願うのは、そこで悟りを開くという究極的な目標があるからである。一方で、極楽が仏教における代表的な楽園であることを否定する人はいないだろう。私が改めて問いたいのは、修行と悟りの宗教である仏教が、世俗的ともとれる華やかな楽園のイメージをあえて取りいれて、浄土教という全く新しい仏教を説示した本質的な理由である。そもそも私たち人類は、世界各地で、仏教が興るずっと以前から様々な楽園の神話を伝えてきた。そこには、人類の、楽園を表現しないではおられない内的な衝動があったと私は思っている。その楽園のイメージと仏教が出会い、浄土教という新たな教えを生んだのである。私たちは、次回、いよいよ、極楽の根底にある楽園のイメージについて考察していくことにしよう。
『春秋』2018年6月号