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極楽の原風景 若麻績敏隆

楽園と太陽

 

 
 女の子の描くモチーフとして、ウサギやネコ、小鳥などの身近な小動物の存在も忘れてはならない。これらは、女の子の楽園世界を構成する大切な友人であり、中には図版の「ウサギ」のように、擬人化して描かれるものもある。擬人化表現は、人間以外のものを人間に見立てて描くもので、太陽や雲に顔を描いたり、動物に洋服を着せたりリボンを付けたりしてあたかも人間のように表現するものである。幼児の場合、太陽や雲に顔を描くようなアニミズム表現は、男の子にも時折見られるが、ウサギなどの動物が、服やリボンを付けるような表現は女の子に限られるのだという。今日、子ども向けの施設やアニメばかりではなく、様々な場面に溢れている動物の擬人化表現は、一見、子どもの自由画全般に見られる表現のように思えるが、実際には男の子の自由画には現れず、男の子はあくまでリアルな動物の姿を描くのだ。


「ウサギ」4歳の女の子の作品。ウサギが洋服を着て擬人化されている。

 


「ざりがにが出てきてミミズを食べたところ」5歳の男の子の作品。捕食の場面に男の子は興味を示している。

 

 皆本先生によれば、擬人化表現は、大人の女性にもしばしば見ることができる。女の子の描く動物は基本的にウサギのような小動物だが、先生が女子大学生から集めた作例では、ライオンのような猛獣でさえ、ぬいぐるみのような丸っこくてかわいらしい姿で描かれている。一方、男子大学生から集めたサンプルには、女性のような動物との親近感を示す表現は見出せなかった。女性が動物を、ひたすらかわいらしく親しみやすい姿で描こうとするのは、動物を自分と対等な友だちとして認識しているからだろう。このような、女の子の絵から女性の絵へと引き継がれる人間と動物との親和的な共生感覚は、人間と動物が対等に交流したり、相互に変身したりする童話やファンタジーと共通の世界観に立つものだろう。


「春がきて、野原でみんなが遊んでいるところ。」女子大学生の描いた楽園。男子の絵ではめったにこのような作品はないという。

 


「小さな魚が大きな魚にかまれ、ぎょっとしたので、ぎゃくに大きな魚が驚いて尾を離した 尾離しのお話」男子大学生の作品。

 

 私が物心ついて最初に出会った、擬人化された動物が登場するファンタジーは、宮澤賢治の童話『どんぐりと山猫』だったように思う。「黄いろな陣羽織のようなものを着て、緑いろの眼をまん円(まる)にして」主人公一郎の前に忽然と現れた山猫の姿は、幼い頃の私に強烈な印象を与えた。私たちは子どもの頃、『どんぐりと山猫』に描かれたような、人間と他の生き物が交流する不思議な世界観を、男女を問わず、まったく自然に受け入れていた。そうした世界観は、大人になるにしたがって、子供のためのもの、あるいは現実ではあり得ない空想と見なされ、気が付けば、私たちは、この世は人間が支配しているという傲った思い込みにどっぷりとつかり込んでいる。政治や経済のような人間のみの登場する世界観のなかで、人間はますます自然から離れて、自分が自然の一部であるという至極あたりまえな事実を忘れてしまうのである。そんな私たちは、童話や童謡で語られるファンタジーによって、束の間、子どもの頃には誰もが住んでいたはずの、他の生き物と交流する豊かな世界観を思い出す。女の子の描く自由画に通底するのは、そのような共生の世界観であり、大人となった女子大学生の絵からは、なおその世界観を保持しつづけようとする指向性が感じられる。それに対し、男の子の自由画に感じられるのは、楽園的な世界観を顧みずに動物を他者として峻別し、攻撃的なエネルギーによって積極的に楽園的世界観から脱却しようとする指向性である。

 

 皆本先生が「道具を使い自然の姿を変えることを文明とも言います。男性がつくる文明には、自然を大幅に変える「反自然」の側面があるのです。…女性は男性が変えた現状には依存しますが、みずから現状を変えることには消極的な傾向があります。」と述べた上で、「女性には「共栄感覚」が男性よりも濃く保存されているように思われます。地球上の生物が互いに助け合いながら共存しているという原則を、知識でなく身体が覚えているように思えるのです。」と述べているのは、まさに正鵠を得た指摘であるといえよう。

 

 動物たちとの平和な共生は、楽園の重要な要素である。ルーベンスとヤン・ブリューゲルの描いたエデンの園にたむろする動物たちは、リアルな描写を用いつつも、皆、全く闘争本能を失ったかのようにのんびりと憩っていた。エリアーデは、楽園期の人間の持っている特殊な基調の一つとして「動物達との親近性とその言葉についての知識」をあげる。そして、「シャーマンは、一方では動物の行動を模倣し、他方ではその叫び声とりわけ小鳥たちの声を模倣しようとする」とし、「動物との親近性とその言葉を知っているということは、ひとつの楽園的症候である」としている。シャーマンは、シャーマン自身が動物を模倣し、動物になりきることによって動物と近づこうとするが、女の子から女性へと引き継がれる表現では、動物を親しき友だちのように描くことによって、人間と動物との垣根を越えるのである。友だちのように描くのは、そもそもその心性に、垣根が存在していないからこそなのかもしれない。

 

 人間と動物の親近性を示す女の子の絵の世界をそのまま引き継いだ歴史的作品として真っ先に思い当たるのは、19世紀にフランス中部のブーサックの古城で発見された中世後期のタペストリーの連作「貴婦人と一角獣」(クリュニー中世美術館蔵)である。この作品は、「触覚」、「味覚」、「嗅覚」、「聴覚」、「視覚」の五感と「我が唯一の望み」の六枚で構成されており、最後の「我が唯一の望み」は、五感を統御し自制する心を表すとか、あるいは恋愛や結婚を表すとか、様々な説が唱えられている。


「貴婦人と一角獣(視覚)」(1500頃)
全面が千花文様でうめ尽くされた緑の楽園には貴婦人と彼女に甘えるようなしぐさの一角獣、旗を持ったライオン、ウサギやイヌなどの小動物が配置され、たわわに実を付けた植物も描かれて、ここが楽園であることを示している。貴婦人の持った鏡には一角獣の姿が写されている。(クリュニー中世美術館蔵)

これらの図柄は皆、様々な美しい花々が咲き乱れる千花文様の中の庭園に、貴婦人と共に、ウサギ、イヌ、サルのような小動物や鳥が描かれ、獰猛な一角獣やライオンが、寄り添ったりあるいは恭しく旗を持ったり、あたかも愛玩動物のように貴婦人になつく姿で描かれる。これはまさに、女性の美意識の楽園性をそのままイメージ化して織り上げた作品といってよく、制作には間違いなく女性が関わっていたと考えられる。このような女性のいる楽園は、すなわち男性憧れの場所でもある。

 

 一方、中世後期のイタリアゴシック絵画の巨匠、ジョットの描いた「小鳥に説教する聖フランチェスコ」(1305頃)は、動物を兄弟のように愛し、ことばをかわしたといわれるアッシジの聖フランチェスコの説教に、小鳥たちがあたかも耳を傾けるかのように集まっている姿が印象的に描かれる。


ジョット・ディ・ボンドーネ「小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ」(1305頃)
ジョットは、ルネサンスの先駆けとなる立体的かつ自然な感情表現をともなう人物像で知られる。ジョットによって、アッシジの聖フランチェスコ聖堂に描かれた「聖フランチェスコの生涯」の壁画のうちの一枚。(聖フランチェスコ聖堂)

フランチェスコは、キリストの生き方に倣って清貧に徹し、自然界のあらゆるものを兄弟姉妹とよんで愛したという。この絵でも、擬人化表現は行われていないが、小鳥たちに語りかける聖フランチェスコの姿と小鳥たちの姿に、女の子の絵と共通の人間と動物との相互の親近感が示されており、フランチェスコの心が、楽園にあることを如実に表している。

 

 この作品と似た雰囲気を持つ日本の作品として、フランチェスコよりも9歳年上の華厳宗の僧侶、明恵上人の姿を描いた「明恵上人樹上坐禅像」(高山寺蔵)がある。


高山寺裏山の楞伽山山中にある縄床樹に座り坐禅をする明恵の姿を描いたもの。明恵の弟子、恵日坊成忍が描いたとされる。明恵は鎌倉時代前期の華厳宗の僧。専修念仏の教えが広まる中で、『摧邪輪』を著し、法然の『選択本願念仏集』を批判した。(高山寺蔵)

明恵は、フランチェスコ同様、戒律を厳しく守り、動物たちを愛おしみ、山川草木とも心を通わせる清廉な僧であった。そして、武士の世である鎌倉時代にあって、時には決然と武将と渡りあったり、釈尊を慕い修道する思いの強さゆえに自らの右耳を切り落とすような激しい面があったことでも知られる。「明恵上人樹上坐禅像」では、二股に分かれた松の上に座して座禅をする明恵の頭上に、その姿を見守るようにかわいらしいリスの姿が描かれ、あたり一面に茂る松林の樹間には飛び交う小鳥の姿も描かれる。画面全体の中で、意外なほどに小さく描かれた明恵と彼を包み込むように広がる自然の姿は穏やかで、明恵の心と相応する浄土の世界を現している。聖フランチェスコと明恵上人を描いたこれら二つの作品には、擬人化表現のような際だった表現方法こそ採用されていないが、二人の偉大な宗教者と動物との幸せな交流が感じられ、シャーマンから続く宗教者と動物との特別な関わりの姿を見ることができる。明恵ゆかりの高山寺には、日本における擬人化表現の最高傑作である「鳥獣人物戯画」が伝わるのも興味深い。

 

 現代の視覚作品には擬人化表現を用いたものが非常に多い。ここでは、その一例として、2016年にディズニーが制作した映画『ズートピア』をあげてみよう。ズートピアは、草食動物と肉食動物が互いに仲良く暮らす街で、この映画は、このズートピアで、ウサギのジュディ・ホップスが「よりよい世界を作るため」に幼い頃からの夢だった警察官になって活躍するアニメーションだが、ここには最新の映像技術を駆使した、動物の擬人化表現の最も現代的な姿をみることができる。ズートピアとは“進化”して捕食と被捕食の関係を脱した動物たちの楽園である。恐らく、ズートピア自体が、自由の国を標榜しながら人種差別がはびこるアメリカの人間社会の写しとして想定されているのだろう。そして、このズートピアにも、潜在する差別意識が引き金となって、草食動物と肉食動物の対立を煽ろうとする企てが発覚する。映画は、人間社会に巣くう差別意識が、人類を楽園から遠ざける元凶であることを示している。このような映画が大ヒットする背景には、我々人類が、子供ばかりではなく大人もまた、差別意識を超えた楽園的世界観を、単なるファンタジーとしてではなく、普遍的な価値観として憧れ続けているという事実があるように思える。

 

 自由画のモチーフを語る最後に、男女ともに重要なモチーフである太陽についても触れておこう。皆本先生の調査では、5~6歳児の女の子の76.5%、男の子の50.8%が太陽を描いた。これは、女の子では、人間に次ぐ頻度、男の子では乗り物に次ぐ頻度である。皆本先生によれば、なぜ太陽を描いたのかという質問に対して、子どもたちは、「わからない。」とか「太陽がないとダメだもの。」などと答えたという。太陽は、子どもたちにとって無意識的にこの世界に不可欠な存在として描かれるのである。

 

 日本の子どもたちは、たいてい赤で太陽を描く。一方、ヨーロッパやアフリカの子どもたちは太陽を黄色で描くのが一般的だという。実際の太陽は昼間はほぼ白であり、日の出や日没では、オレンジや赤など暖色系に傾く。昼間でも大気中の塵の状態では、赤い太陽が出現することがあるというが、日本の子どもの描く赤い太陽は、通常の、昼間の太陽を描写したものとは言いがたい。昼間の太陽をリアルにとらえた場合、あきらかに黄色の方が実際のイメージに近いだろう。

 

 私の住んでいる山に囲まれた長野市では、真っ赤な太陽を目にすることはほとんどないが、最近、私は、美ヶ原高原から仰いだご来光で、真っ赤な太陽を見た。それは、正月の掛軸にあるような真っ赤な太陽であった。美ヶ原は、長野県の中央に位置する標高2000メートルほどの真っ平らな平原で、四方に視界が開けており、王ケ頭とよばれる頂上から仰ぐと、ご来光もほぼ水平に見ることができる。地平線すれすれのぶ厚い大気の層を経てきた太陽光は、見事に真っ赤な光を放っていた。そういえば、クロード・モネが「印象・日の出」で描いた水平線から昇る太陽も真っ赤だった。早朝や夕方の整った条件でしか体験できない赤い太陽を、日本の子供のほとんどが、スタンダードな太陽の姿として描くことは、朝日や夕日に特別な宗教的感動を得てきた日本人の心性を思うと、実に興味深いことである。幼児にとって重要なモチーフであった太陽は、年齢が上がっていくと次第に描かれなくなり、ついにはほとんど描かれなくなる。

 

 大阪万博の「太陽の塔」で知られる岡本太郎は、「黒い太陽」という一文の中で、こんなことを述べている。

「子どもにとって、太陽はいつでも生きものだ。それはちかしい、ひそかな話し相手でもある。少なくとも、小学生時代の私にとってはそうだった。…子供の時分から奇妙に孤独で、学校でも他の子供とほとんど話が通じなかったらしい。この行きかえりの太陽との会話だけが、私の心をひらくのだった。…オヤジかなんかの人格で、うんと高いところにいる。何かそんなようなもの。いつくしみと意地悪さを同時にそなえた、えらい大人のような気がした。…無邪気だったがすでに徹底的に孤独だった子供の心に、暗く輝く暗緑色の太陽。それは不気味さと、いいがたい親しみをもって君臨し、私のたどっていく運命を暗示した。」

 並外れた感受性の持ち主だった岡本は、子供時代の原体験から生涯を通じて太陽のイメージにこだわり続けた。

「私は幻想的に太陽を神話化する。しかし、もちろんそれは原始人や子供とは同質ではありえない。彼らにとってそれは本当に生きものであり、その関係は直接的だが、私にとっては詩的な情熱であり、失われた神秘の奪回なのである。分析され、散文化され、われわれの根源的な生命のよろこびと断ち切られて、無感動になってしまった太陽を、再び全人間的に、芸術的にいきかえらせようとする欲求なのだ。」

 岡本は、失われた太陽の威光を、芸術によって復活させようとしたのである。

 

 太陽の復活を最も象徴的に雄弁に描いた画家は、エドヴァルド・ムンクだろう。恋人の自殺未遂事件などで精神に大きな困難を抱えていたムンクは、アルコール依存症にも陥り1908年に精神病院に入院した。その後、危機を脱した彼は、以前の作品にはない明るい色彩で巨大な「太陽」(1916 オスロ大学蔵)の壁画を描いたのである。精神の危機にあったムンクに立ちあらわれた昇る太陽のイメージは、あらゆるものを照らし恵みを与えるものであり、ユングのいうところの自己の中心としての「マンダラ」であっただろう。これ以降、以前の戦慄するような不安に満ちた彼の作風は影をひそめることとなる。


エドヴァルド・ムンク「太陽」(1916)
ムンク最大の作品。フィヨルドに昇る太陽を描く。オスロ大学講堂の壁画のコンペに応募し一位を獲得して制作された。(1916 オスロ大学蔵)

 

 私は、太陽は、恐らくは、男の子であれ、女の子であれ、子どもたちの世界を見守り統括する大いなる存在として描かれていると考えている。太陽が描かれることによって、子どもの絵は一つの世界観を表した絵になるのだ。子どもたちは、この世界を統括する大いなる存在を、無意識的に認識している。それは親的なものともいえるだろう。しかし、実際の親ばかりではなく、さらに大きな、子どもたちを生かしめているものの象徴として描かれるのだと考えたい。それは、実際の太陽でもあり、親でもあり、もっと高所から子どもを見守る圧倒的な存在である。換言すれば、それは、神のイメージであり、仏のイメージでもある。子どもが成長するにつれ、表現する対象が内面的な世界観から外面的な事象になり、視点がどんどん近視眼的になるにしたがい太陽はほとんど描かれなくなり、忘れられていく。そして後に、人間の心に太陽的なイメージが立ちあらわれるのは、まさに神や仏のような宗教的な存在としてである。阿弥陀仏であれ、盧舎那仏であれ、大日如来であれ、天照大神であれ、それは、一度は忘れられた神的なシンボルの復活した姿といえるだろう。

 

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著者略歴

  1. 若麻績敏隆

    善光寺白蓮坊住職・画家。日本仏教看護・ビハーラ学会会長。
    1958年、長野市生まれ。1982年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。84年、同大学院修士課程修了。87年、大正大学大学院仏教学コース修士課程修了。94年、善光寺白蓮坊住職に晋山。2012年~14年、善光寺寺務総長。日本橋三越本店、大丸東京などでパステル画による個展多数。
    主な著書:『パステルで描くやすらぎの山河』(日貿出版社)、『浄土宗荘厳全書』(共著、四季社)

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