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極楽の原風景 若麻績敏隆

楽園の色

 

 「女の子は楽園を描く」ということばを皆本先生から伺ったとき、私は、その一言で、極楽のイメージの根底にある楽園のイメージについて、いきなり目を開かされた思いがした。そして、その後、先生の著された『絵が語る男女の性差』を読み、先生からお話しを伺う中で、それまで、今ひとつ実感できないでいた楽園のイメージが、等身大の親しみやすさをもって、ぐっと身近に感じられるようになったのである。

 女の子の自由画が示しているのは、そもそも楽園とは何かという問いへの極めてシンプルなイメージによる回答である。これこそが楽園なのである。もちろん、その世界には、極楽をはじめとする宗教的な楽園との無視できぬ差異があることも事実である。しかし、これから見ていくように、男の子の自由画と比較した場合に、女の子の描く世界こそが、私たちが楽園とよぶ世界の、原風景であることに気付かざるを得ないのである。私は、女の子の自由画に現れた楽園世界こそが、極楽を含めた、すべての楽園神話の根底にあるイメージであると考えている。人類の描画の歴史において、子どもたちが、良質な紙と描画材で自由に絵を描けるようになったのは、ここ100年ほどのことであろうか。(ちなみに日本では、大正14年[1925]にクレヨンが尋常小学校一学年の図画教材に採用された。)それまで、子どもの内面世界のイメージは、ある程度、その行動から類推できたとは言え、全貌は秘められた宝箱のように、子どものこころの地層に埋もれたままになっていたといって良いだろう。その宝箱が開かれ、女の子の絵は、全く無垢な形で楽園を現し出し始めたのである。

 私は、はじめに、女の子の自由画に現れた世界を見ていき、その後に、極楽との差異を論じたい。そうすることによって、極楽という楽園の個性もまた明らかになってくるだろう。

 皆本先生が、女の子の自由画を楽園画だと指摘するのは、その色彩とモチーフに見られる特徴からである。私は、まず、色彩の面から、男の子と対比しつつ女の子の自由画について見ていくことにしよう。女の子の自由画が楽園画だと直感的に理解するためには、まずは、百聞は一見にしかず。何点かの自由画を男女別に並べて虚心坦懐に見比べてみるだけで良い。たとえ、何が描かれているのかが子細に分からなかったとしても、女の子の自由画のもつ明るく鮮やかで美しく、しかも暖かな色彩の世界は、紛れもない楽園世界だと誰もが気付くであろう。先生によれば、そもそも女性は、幼児期から、男性よりも色彩に対する関心度がずっと高い。それに対して男性は、色彩への関心度が低いかわりに、形へのこだわりが強い。その特徴を先生は「女性は色で語り、男性は形で語る」とまとめている。

 楽園のイメージを理解するために、性差の視点が欠かせないということは、仏教学のアカデミックな環境にしばらく身を置いていた私にとっては、思いもよらないことだった。ところが、皆本先生にお目にかかり、絵画にまつわる性差についてのお話しを伺うと、私自身、あれこれと思い当たることばかりで、私自身が経験した画学生時代の苦い記憶までもがそれを裏付けるように蘇ってきた。

 私が義務教育を受けていた頃には、一般の教科を学ぶことに関して、男女の性差について意識することはほとんどなかった。一般の教科はもちろんのこと、美術や音楽などの芸術分野についても、性差は存在しない、あるいは無視するというのが暗黙の了解だったように思う。恐らく、性差が公然と認められていたのは、体力が影響する体育と、社会的要請に基づいた技術家庭だけだったのではなかろうか。(現実には、ひ弱な私は、大方の女子よりも体力的に劣っていたように思うが…。)美術の場合にも、小学校の図工の授業のように、全員が同じテーマを与えられて描く場合には、作品上に現れる性差は薄らぐだろう。同様に美術の大学予備校で石膏像を鉛筆だけで描くような場合にも、訓練を受けていればいるほど、性差は現れにくくなった。

 私が自らの色に対する感性の鈍さに気が付いたのは、大学に入り、自由に絵を描く段になった時であった。私は、目の前にあるものを描写することについては、それなりに体得していたが、ものの描写を離れて、様々な色を駆使して画面を構成するようなことは、明らかに不得意だった。皆本先生のことばを借りれば、「色で語る」ことが苦手だったのである。その頃、各種の展覧会で目にした同世代の作品で色彩面でハッとさせられた作品には、女性の作品が多かった。もちろん男性でも、女性に比肩しうる色彩的感性の画家は大勢いる。過去の作家では、色彩の魔術師といわれたピエール・ボナールや神秘的な色彩で知られるオディロン・ルドンなどの美しい作品に、私は強く憧れた。(ただし、ルドンは、もともと黒を基調とした暗い絵を描いていたが、50歳を過ぎてから華やかな色彩の世界に開眼したのである。)

 皆本先生が日本の都市部・都市近郊・山村・漁村の6つの幼稚園の3歳から5歳児、女の子128人、男の子124人の描画活動から得たデータによれば、自由画に用いた色数は、平均で女の子が8.4色、男の子が6.3色であった。また、各地の小学校3校から得たデータでは、用いた色数は、1年生から6年生までの平均で、女の子が10.4色、男の子が8.2色で、幼児、小学生ともに、常に女の子が男の子の色数を上回っていたという。そして、幼児や小学生のなかには、何を描くにも1、2色ですませる子どもが、どのクラスにも大抵1人はいて、その子は決まって男の子なのだという。先生は、同様の調査をケニアのナイロビでも行っており、日本とほぼ同様の、女の子の多色傾向を示す結果を得ている。

 自由画の色彩に関しては、色数だけではなく、好んで用いる色に関しても大きな差異が見られたという。一言でいえば、女の子が、赤・ピンク・黄色などの、明るく暖かい暖色系を好むのに対し、男の子は灰色、黒、青などの、無彩色や暗く冷たい寒色系を好むのである。これは、女の子の描く世界が明るく暖かで、男の子の描く世界は冷たく暗いという傾向を示している。実際に、両性によって描かれた自由画を見ると、女の子の絵は男の子の絵よりもずっと華やかに見えるため、使われている色数も数値以上に多く感じられる。

 赤や青での男女の使い方を比較してみると、男の子の場合、赤系で好んで用いるのは、原色の真っ赤な色であり、時にはそれを広く塗ってより強さを表すのに対し、女の子は、赤を強さの表現として用いることはしない。そして、赤系で女の子が好んで用いるピンクを男の子は一般的に好まない。寒色の青系でも、女の子がやわらかなやさしい水色を好むのに対し、男の子が使いがたがるのは、やはり原色の真っ青である。男の子は、赤と同様、青の使い方でも、同一色を広く塗ったりして、強さの表現として用いる傾向にあるという。

 女の子特有の色の塗り方として、様々な色を画面全体に均等に少しずつ使い、調和のある絵作りをする傾向を、先生は等価分散と名付けている。そうした配色上の特徴もあいまって、女の子の描いた自由画には、明るく華やかで美しい色彩が溢れることとなり、楽園としてのあたたかさと楽しさを伝える画面となる。それに対して、男の子の自由画の色には、一種の爽やかさが感じられる場合もあるが、女の子の自由画と比較すると、冷たさや暗さ、あるいは調和に対する混乱や戦慄を感じさせるものさえある。同じクレヨンセットの色で、男女で、これほどまでに異なる雰囲気が描き出されることには、驚きを禁じ得ない。

 ここで、男女の反応が大きく異なるピンクについて、いささか考察してみよう。皆本先生によれば、ピンクは女の子が一番に多用する色ではない。しかし、幼児の使用量でみると、女の子は16色中の5位、男の子は14位で、女の子の使用は男の子の2.8倍にのぼるのだという。女の子は1歳代からピンクに強い嗜好を示すことがあるのに対し、男の子はこれを使いたがらない。女性のピンク好きについて、先生は「女性画には幼児から成人まで一貫不変に楽園指向があり、ひたすら美しい平和な世界をかきつづけるのですが、その主題にとってピンクは不可欠の色ということになります。女性のピンクは、永遠のテーマである楽園描写を色彩に具現化したものではないでしょうか」と述べておられる。先生のおっしゃるように、ピンクが「楽園描写を色彩に具現化したもの」であるならば、それを多くの場合、男の子が使いたがらないのには、恐らく、何か重要な意味がひそんでいるに違いない。

 私も、自らの絵の中にピンクを用いることがある。私が描く自然風景の中にも桜や夕焼けなどピンク色のモチーフが存在するからである。そして、ピンクを使う時には、男性の私であっても、ある種の恍惚とした感覚がつきまとうことをしばしば経験している。最近、カラーコーディネートの世界では、ピンクは若返りの色といわれているが、ピンクという色は、実際に女性ホルモンの分泌を促すのだという。かつて、ピンクには、ピンク映画とかピンクサロンとかといった、いささか特殊なニュアンスのイメージを付与されがちだったが、それはまた、ピンクが女性性と楽園性に深く関わる色であることの証左とも言えそうである。

 私は、ピンクと言えば、真っ先に花を連想する。淡いピンク色の桜は、日本人が最も好む花である。統計的にも、日本人が最も好む花の色はピンク色なのだそうだ。しかし、実際には自然界に存在するピンク色の花の種類はそれほど多いわけではない。では、いったい女性のピンク好きはそもそも何によっているのだろう。

 私は、女の子がピンクという色を好むのには、子宮の色が影響しているのではないかと考えている。それは毛細血管が体壁に透けて見えるやわらかなピンク色である。1960年代に写真家のレナート・ニルソンが、胎児が生まれてくる過程を映像でおさめることに成功し注目された。その映像はNHKでも放送され、多くの反響を呼んだ。私もその映像を見て大いに感動した一人であるが、特に母親の胎内の映像が、あまりにも美しくて驚いたものである。それはまさに柔らかなピンク色であった。

 女の子のピンク好きが、子宮の色に影響をうけているのではないか、私がそのような突拍子もない考えに私なりの確信を得たのは、私の娘が幼児期に、ことさらにバレリーナのチュチュのようなひらひらしたピンク色のスカートを身につけることを好んだからである。そのピンクのひらひらは、私がかつて見たニルソンの映像の、女性の胎内の美しさを彷彿とさせるものだったのだ。今日ではすでに、子宮内の胎児に、30週くらいで光の強さに応じて瞳孔の大きさが変わる対光反応が見られることが分かっている。ただ、色が判別できるようになるのは、生後1週間以降だといわれているので、胎児が子宮内でその色を認識できたかは分からない。しかし私は、恐らくは、生命を宿す役割を担っている女性としての娘が、生命誕生の舞台であり、絶対の安心の場所でもある子宮の色や柔らかさを、身につけるファッションを通して無意識的に再現(表現)したのだと考えているのである。総じて言えば、ピンクは女性性そのものを示す色であり、あたたかく包み込む母親のイメージに繋がる色である。ピンクは私たちがかつていた楽園を、端的に表す色だと言うことができるのである。

 このように一般に女の子が偏愛するピンクではあるが、大人になるにしたがって、それがあまりに女性性の強い色であるが故に、女性であっても意識的にそれを遠ざける傾向も見られるようになる。例えば、身につけるものでも黒のような無彩色を好む人も出てくる。ピンクが強調されればされるほど、あからさまな女性性を感じさせ、引いてしまう人は、男女を問わず結構いるだろう。私自身も、ピンクには、惹かれる要素と拒絶する要素が入り交じった複雑な感情がわいてくる。一方で、ピンクのような楽園的色彩と無彩色とを、見事に使いこなす女性もいる。私にいわせれば、このような女性こそ「色で語る」達人である。

 ピンクという色には、母体回帰や、幼児性への退行の危険を感じる人もいるだろう。ピンクが、特に男性にとって(あるいは一部の女性にとっても)、かなり微妙な性格を持った色であることは、間違いない。ピンクという色への男性の反応には、男性にとっての、楽園というものそのものが持つ、ある種の危うさをも感じ取ることができるのである。そういえば、私の娘が保育園に通っていた時、あるサークルで1歳と2歳の男の子がピンク色の道具を奪い合うという出来事があったという。男の子にとってもピンクは母親の色であり、ごく幼い時期には、この色に執着することがあったとしても不思議ではない。しかし男の子は、その世界にいつまでも留まってはいられないのである。

 

参考図版:5、6歳児の女の子と男の子の自由画の世界には、端的な差異が現れる。男の子の自由画と比較したとき、女の子の自由画に現れているのは、紛れもない楽園の光景である。

 

なお、男の子の作例の上段左の作品は4歳児の作品で、火を吹く怪獣たちを描いている。女の子の作例の中段右の作品も4歳児の作品である。また、男の子の作例の下段中央と右の2枚は、福井県の漁村の子どもの作品で、カニ漁の解禁の日に反応して漁船の絵を描いている。女の子の作例の下段右の作品は、同じ日に女の子が描いた船の絵である。皆本先生によれば、通常、女の子が船を描くことはほとんどないが、恐らく多くの男の子が漁船を描いたのに反応したらしく、漁船らしからぬきれいな船と海水浴をする女の子(右)が描かれ、海中には、パターン化したたくさんの魚が描かれている。(資料提供 皆本二三江先生)

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著者略歴

  1. 若麻績敏隆

    善光寺白蓮坊住職・画家。日本仏教看護・ビハーラ学会会長。
    1958年、長野市生まれ。1982年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。84年、同大学院修士課程修了。87年、大正大学大学院仏教学コース修士課程修了。94年、善光寺白蓮坊住職に晋山。2012年~14年、善光寺寺務総長。日本橋三越本店、大丸東京などでパステル画による個展多数。
    主な著書:『パステルで描くやすらぎの山河』(日貿出版社)、『浄土宗荘厳全書』(共著、四季社)

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