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極楽の原風景 若麻績敏隆

極楽のアプサラス(天女)

 

 極楽のイメージの原風景を訪ねるこの連載も、女の子の楽園画を経て、人類の原風景ともいうべき、遙遠なるサバンナの風景にまでたどり着いてしまった。人類がアフリカの森から出てサバンナで二足歩行を始めた時に目にした風景は、人類の最も生存に適した本来的な環境として私たちのDNAに刻印され、その生命的な記憶は、人類が地球上のほぼすべての陸地に進出した後も、私たちの心に大切に保たれてきた。恐らく、今後、たとえ人類が宇宙へ本格的に進出することがあったとしても、このイメージは人類の故郷の光景として記憶され続けるのだろう。

 人類は、今日でも、何の苦しみもない快適な楽園を夢見る「楽園願望」を持っている。楽園とは、一人の人間の成長からみると、母親との一体的世界観を象徴する風景であり、人類の進化の歴史からみれば、人類が種としての歩みをはじめた揺籃期に過ごしたサバンナの風景に、そのルーツをたどることができた。私たちは、個体発生と系統発生のまだ自我が明瞭となる以前の時点において、そのような一体的な楽園に住んでいたという記憶を持っており、知恵の木の実を食べることに象徴される自我意識の芽生えによって、その楽園を後にしたのである。しかしながら、その象徴的な楽園の姿は、現代においても、特に女性によって身近な内面的世界観としてあたり前のようにイメージ化されてきた。そして、そのイメージは、様々な場面で女性の行動原理に無意識的に作用していると考えられる。ともかくも、楽園についてたどるとき、そこには女性的なるもののはたらきを無視できないことをこれまで見てきた。

 さて、それでは、この連載をはじめた当初の問いかけにもどり、あらためて、極楽について、女の子の描く楽園画と比較してみたい。極楽もまた人類の伝えてきた楽園のひとつであるならば、双方にはどのような共通点と差異があるのだろうか。

 女の子の描く楽園の基調は、明るく平坦な緑色系あるいは土色の大地に、人間、花、樹木、果実、小動物、蝶々などが集うという環境であった。この光景を男の子の自由画に現れた闘争的世界と比較したときに、それが紛れもない楽園を表すものであることは、再三述べてきた。極楽の光景については、すでに第三回の「楽園としての極楽」で概観したが、極楽の光景は、決して女の子の描く楽園と完全に一致するわけではない。しかしながら、なぜ、私が、極楽の原風景を求める鍵として女の子の描く楽園画にこだわってきたのかといえば、そもそも、私を含めて、男性は、極楽に限らず、楽園というものを自らの内面の風景として、いかにイメージしにくいかということを私自身が痛感してきたからである。楽園のイメージに対して、女性と男性では、明らかに立ち位置が異なるという厳然とした事実は、極楽の信仰を考えるときにも、本質的な問題として、考慮されなくてはならないはずである。

 大正大学の大学院に在籍していた頃、私は、阿弥陀浄土変、つまり、当麻曼荼羅のような極楽のありさまを絵解きした絵画についての研究をしていた。阿弥陀浄土変は、中国の唐代におおいに流行し、敦煌にのこされた壁画の数々には今も往時の熱気を感じることができる。その唐代の阿弥陀浄土変の最も完成されたかたちが奈良の当麻寺に伝わる当麻曼荼羅である。当麻曼荼羅は、4メートル四方の大画面に、阿弥陀仏を中心とした求心的な構図法によって、絢爛たる浄土のありさまを精緻に描出するが、絹の綴織による原本が茶褐色に変色してしまった現在でも、その図様は、文亀本や貞享本といった後世の転写本によって、ほぼその全体像を知ることができる。その描写の見事なことはいうまでもないが、一方で、当時まだ20代だった私は、純粋に絵画としてみたときに、正直なところ、この絢爛豪華な浄土の世界に、何か馴染めないよそよそしさを感じていた。阿弥陀三尊を中心として充満するように菩薩衆が集い、辺り一面に花柄と宝石を散らしたような溢れんばかりの華やかな光景は、私にとってあまりに豪奢すぎて、とっつきにくいと感じていたのである。


「当麻曼荼羅 貞享本(部分)」江戸時代
当麻寺に伝わる当麻曼荼羅は、中将姫伝説で広く知られ、阿弥陀浄土変(浄土図)のなかでも最も信仰をあつめた。原本は、唐代または奈良時代に制作された絹の綴織で、現在では著しく損傷し変色も激しいが、室町時代の転写本である文亀本や江戸時代の転写本である貞享本を通して、往時の見事な図様を知ることができる。(当麻寺蔵)

 実はその頃、私は、何を隠そう、浄土教絵画としては、むしろ、地獄草紙や餓鬼草紙などの迷いの世界の様相を描いた絵につよく惹かれていた。平安時代から鎌倉時代にかけて描かれた一連の作品は、浄土の救いとは対極にある最も忌避すべき境界を描いたものであるが、その生き生きとした描写は、私の心をすっかりとらえてしまった。例えば、鉄磑所という地獄を描いた地獄草紙では、罪人を鉄の臼でひいている凄惨な場面が描かれるが、罪人を責めたてる獄卒の表情は、滑稽味さえ感じさせ、おそらく、これを描いた絵師は、この場面を、嫌がるよりもむしろ楽しみながら、面白がって描いているに違いないと感じた。源信は、『往生要集』の中で、地獄の恐ろしいありさまを説いて極楽への往生を勧めたが、絵画によって視覚化された地獄の姿はかえって私を引きつけたのであった。


「地獄草紙 鉄磑所」平安時代
人のものをだまし取った盗人が落ちる地獄。鉄の臼で罪人がすりつぶされている。その痛み苦しみはたとえようがないという。(奈良国立博物館蔵)

 

 自分自身が浄土教を学び、浄土の表現について研究する立場でありながら、対極の地獄道や餓鬼道の表現に惹かれていることについて、私は、宗教的価値判断ではなく、純粋に芸術的感性とそれによる価値判断が働いているからだろうと解釈していた。描かれている世界は忌み嫌うべき世界であっても、それを表現した絵画は芸術作品としては素晴らしいのだと。戦争は忌み嫌うべきものであったとしても、それを絵で描いたり、写真で撮影した作品が心を打つことはあり得る。それと同じように、地獄を描いた芸術表現の素晴らしさに私は魅了されているのだと考えたのである。ところが、皆本先生から、子どもの自由画表現にあらわれる性差について伺う中で、男の子の好んで描く闘争的な世界を知り、どうやら、私が残虐な地獄絵に魅力を感じたのは、男性としては、ごく普通の、本来的な感覚からかもしれないと思うようになった。私たちは、特に私のように浄土系の宗派の僧侶は、当然のこととして、極楽を願わしい場所として語り、地獄を厭うべき場所として語るが、いやいや私たちは、ことさら男性は、平和な楽園を願う一方で、地獄の様相をも楽しむ一面があることを、地獄絵を通して私は気付かされたのである。

 一般の方に極楽についてお話しをする時にも、ごく希ではあるが、「自分は極楽よりもむしろ地獄に惹かれる」とおっしゃる男性にお目にかかることがある。それは、何もその方が特殊な感性を持っておられるというわけではなく、人間の心の奥底には確かにそういう一面が存在しており、それが男性では顕在化しやすいことを物語っているのであろう。天台宗に十界互具という教義がある。地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天という六道の迷いの境界に、聖者の境界である声聞、縁覚、菩薩、仏を加えた十界のそれぞれが、他のすべての十界をも持ち合わせているという考え方である。これによれば、地獄に堕ちた者にも仏心はあり、仏のなかにも地獄の心はあるということになる。一人の人の心の中に十界が備わっていることをイメージ化すると、円形の中心に「心」字を配置し、その周囲に均等に十界を割り付けた「観心十法界図」のようなモデルが想定されやすい。


「観心十法界図」
『華厳経』の唯心偈「若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」(もし人が、過去、現在、未来の一切の仏を知りたいと思ったならば、まさにこの世界のすがたは、すべて、ただ、心が造ったものであると観じなさい。)を円相のまわりに配置し、円相中心の「心」字から周囲に十界のすがたが現れ出るさまをあらわす。この図様は、鎌倉時代に宋から伝わったものといわれる。この図に人の一生を重ねあわせた図様は「熊野観心十界曼荼羅」とよばれ、全国をめぐる熊野比丘によって唱導された。

 しかし、これまで見てきたように、内面世界のイメージの立ち現れ方は、男女で著しく異なっているのが実際である。聖者の境界は措くとして、六道に限って言えば、女の子にとって天界や人間界のイメージは自然に想起しやすいものであるのに対し、男の子にとって想起しやすいのは戦いの世界である阿修羅道であり、場合によっては地獄道もそこに含まれるかも知れない。これに対し、通常、女性が阿修羅道や地獄道のイメージを想起することは、ほぼ不可能に近いと皆本先生は述べる。

 

 さて、極楽と女の子の楽園画の類似性について考察するのに、私は、咲いている花が蓮華かチューリップかとか、建物がインド風か日本風かといった、細かなディテールについて差異を強調することは、それほど意味がないと考えている。例えば、経典に説かれた楼閣は、もともとインド風の建物を想定していたはずだが、中国で描かれた浄土変では中国風の楼閣として描かれる。そして女の子が描くパターン化したかわいらしい家は、浄土変の中国風の楼閣とはだいぶ趣を異にするものである。このように、時代によって風土によって表現される様式は異なったとしても、人が住む安心できる場として、楽園に建物が存在するということが重要なのである。もっと遡れば、人類がサバンナで見た光景には、もちろん家などなかっただろうが、その後の長い歴史の中で、恐らく人類は自らの心の楽園に家を描き込んだのだろう。ここで私は、基調となるモチーフと雰囲気から大まかに両者を比べ、その上で、両者の看過できない差異についても言及したいと思う。

 女の子の楽園画の特徴として重要なものとはいったい何だろうか。大地であり、楽しそうな人間であり、色とりどりの花々であり、樹木であり、動物や鳥などの生きものであり、家であり、そしてそれらを見守るように描かれる太陽である。色彩の豊かさや美しく装飾する傾向も重要である。この光景と極楽の光景と比較していくと、極楽の大地、美しい並木、宝池に咲く色とりどりの蓮の花、雨降る曼陀羅華の花、豪華な楼閣、美しい声でさえずる鳥たち、そしてそこに集う菩薩衆や声聞縁覚たちは、女の子の描く楽園の延長線にあるイメージととらえることができる。また、極楽全体をおおうキラキラしたまばゆい宝石の飾りは、至高の楽園を表現する要素として、人類の長い歴史の中で宗教的楽園の属性に付加されていったイメージであろうが、これも女の子の華やかで装飾的な表現の延長線にあるものとしてとらえることができる。大自然の造化である宝石は、神秘的なヌミノーゼさえ感じさせるこの上ない装飾となる。一方で、極楽に存在するという美しい池(サンスクリット本では大河の存在も説かれる)は女の子の絵にはほぼ登場しない。しかし、第7回の「楽園と太陽」に図版としてあげた女子大学生の絵に見られるように、年齢が上がっていくと池や川は女性の楽園画にしばしば登場するようになり、そこには魚が泳ぐ姿が見られることもある。これらを描くには、どうしても俯瞰的な空間表現が必要であり、それができるようになると、女性は池や川を描くのだ。幼児の絵画表現では、地面は横一直線の基底線で表現されるため、そもそもこれらを表現することは困難であろう。

 女の子の楽園画と極楽の荘厳の相異点を見出すのにあたって特に重要なのは、女の子の楽園画に頻出するモチーフであっても、経典ではその存在を否定されているような例である。その一つとして、極楽には、動物や蝶々などの生きものが存在しないことがあげられる。仏教が影響を受けたインドの輪廻的世界観では、人間を含めた動物は、生前の行いによって、次の生で生まれる境界が決定される。動物に生まれるのは、前世で善行を積まなかった結果である。そのため法蔵菩薩は、成仏して極楽を建立するべく世自在王如来のもとで四十八願をおこした際に、真っ先に、「無三悪趣の願」で自らの建立する国土(極楽)には地獄、餓鬼、畜生が存在しないようにと誓っている。結果として極楽には、これらの悪い境界は、その名前さえも存在しないと経典は語る。

 ところが、極楽には白鵠、孔雀、鸚鵡、舎利、迦陵頻伽、共命などの美しい鳥がさえずっているという。言うまでもなく鳥類は、輪廻説では畜生に区分されるべき生きものである。ならば、なぜ、極楽に鳥が存在するのだろう。経典は、これらの鳥は、阿弥陀如来が化作(仮に作った)したものだと語り、報いによってここに生まれたのではないと説いている。極楽でさえずる鳥たちの声は、五根、五力、七菩提分、八正道分などの仏の教えとなり、聞く者に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるこころを起こさせる。極楽は、鳥たちの美しい声によって、自然にさとりへと導かれる何とも素晴らしい環境なのである。では、どうして、阿弥陀如来は、化作してまで鳥たちを登場させて法を説かせる必要があったのだろう。

 品田穣氏は、人間に快適な原風景を探る中で、鳥のいる環境が人に安らぎを与えるということを突き止めた。鳥のさえずりが聞こえる環境に人間は癒やされ、快適さを感じるのである。鳥は、人間の楽園にとっての必須の存在なのである。恐らくは、経典作者は、極楽には畜生は存在しないという教義的な原則を、阿弥陀仏の化作という特例を設けてまでも乗り越えて、極楽に鳥を存在させたかったに違いない。鳥たちは、善因善果、悪因悪果の輪廻の原則からは決して存在できないものであったとしても、往生人が享受する理想的環境、つまり楽園としては欠くべからざる存在だったのである。女の子の楽園画にも、しばしば登場する鳥ではあるが、鳥類もまた、花とともに共進化してきた仲間である。恐らく人類は、サバンナでも、空でさえずる小鳥の声に癒やされていたのであろう。しかし、鳥を除いて動物類が存在しないことは、極楽という楽園の大きな特徴であり、それは、ひとえに三悪道が存在しないという教説がそれを規定していることは押さえておきたい。 

 もう一つ、女の子の楽園画と極楽との差異で本質的問題として存在するのが、極楽に往生した人々の性別である。経典によれば、極楽には女性は往生しないのだ。法蔵菩薩の誓った四十八願の中の第三十五願には「女人往生願」なるものがある。「もし、私が仏となった時に、十方の数え切れないほどの諸仏の世界に、女人がいて、私の名前を聞き、歓喜しよろこんで、悟りを得たいと思い、女性の身を厭い、いのちが終わったあと再び女性の身として生まれたならば、悟りをひらきません。」というものだ。この願からおしはかると、極楽には、女性は存在しないことになる。女性は男性になってから往生するという、いわゆる「変成男子」または「転女成男」は、今日的には、正面から論ぜられることは少ないが、極楽という楽園の特徴としては、無視できないものであろう。一方で『無量寿経』には、極楽に往生した者は「自然虚無の身、無極の体」をもつと記されており、これは男女という性差、つまり相対を超越した存在であるとも解釈できる。

 さて、極楽に往生した者についてはこのようであるが、一方で、サンスクリット本の『無量寿経』には、漢訳の『無量寿経』にはない驚くべき記述がなされている。極楽には、たくさんのアプサラス(天女)がいるというのである。女人は往生しないのに天女がいるのだ。この天女は、極楽に生まれた往生人ではなく、あくまで往生人が享受する極楽の荘厳として記されている。(教義的には、往生した人もまた極楽の荘厳の一部と考えられているが。)いまその部分を岩波文庫版『浄土三部経 上』の紀野一義氏の訳によってみてみよう。

 「もしも、かれらが、どのような宮殿でも、どのような色彩や・標識や・形状や、乃至、高さや広さがあるものであろうとも、種々の宝石でできた百千の尖塔に飾られ、種々の天界の布をうちかけられ、美麗な座布団を敷いた宝石の長椅子のあるような宮殿を欲するときは、正にその通りの宮殿が、かれらの前に現われる。かれらは思うままに現われ出た諸宮殿のなかで、それぞれ七千の天女にかしずかれ、敬われて、住み、戯れ、喜び、逍遙するのだ。」

 宮殿の中で七千人の天女がかしずくというような記述は、漢訳の『無量寿経』には存在しない。現存のサンスクリット本の成立は、漢訳諸本と比較して、新しい部類に入るというが、大正大学の西村実則教授は、このようなサンスクリット本の記述は、バラモン教の天界説の影響を受けたものだとする。ここに示された天女の記述は、驚くほどに世俗的ではあるが、結果的に、インドで夢見られた楽園としての極楽と、女性性との繋がりをはっきりと示すものとなっているといえよう。西村教授は、中村元氏の、極楽の天女に関する「下界の女人のように争ったり、嫉妬心を起こしたりするような女人はいない。そこに居るのは、美しく、すがすがしい天女である。そして常修梵行だから、一切欲情をはなれている」とする解釈を紹介しつつも、『大毘婆沙論』で「天女はさとりを求めるような禁欲の心構えが薄い」とされていることを指摘して、サンスクリット本に描かれる天女も、「インド神話や原始経典にみられるように奔放妖艶で禁欲とは相反する存在と思われる」とし、サンスクリット本に描かれた極楽では、「往生人も「天女にとりかこまれ、恭敬されて住し、戯れ、悦び、楽しむ」と考えられる。」(「『無量寿経』にみられる天女」『大正大学研究紀要第97輯』)と述べている。サンスクリット本に表された極楽の天女が、梵行を修する禁欲的な天女か、あるいは奔放妖艶な天女かは、とりあえず措くとしても、サンスクリット本『無量寿経』の極楽が極めて女性的な色彩の強い楽園であることは間違いない。

 先日、私は、陸前高田市で開催された東大寺と鶴岡八幡宮共催の「東日本大震災慰霊物故者慰霊と被災地復興へのいのり」に参加し、厳かな法会や神事とともに、鶴岡八幡宮の巫女による「浦安の舞」を拝する機会があった。「浦安の舞」は昭和天皇の御作となる比較的新しい舞ではあるが、美しい装束を身にまとった八人の巫女が舞台いっぱいにしずしずと舞う姿はこの世のものと思えぬほどに美しいものだった。巫女の舞姿は、まぎれもなく天女を思わせたが、私は、その美しさに圧倒されて、精神が浄化されるような高揚感とともに、この世の極楽を垣間見たような心地がした。極楽を修行の場ととらえる浄土教の基本的立場からすると、サンスクリット本の天女の描写はそぐわないものととらえる人もいるかもしれないが、極楽の荘厳に女性性を見る私にとって、この天人の描写はそれを端的に表したものである。


「鶴岡八幡宮・東大寺 東日本大震災物故者慰霊と被災地復興への祈り」

平成30年9月29日、陸前高田市の「ゆめアリーナ」で行われた合同の祈りでは、鶴岡八幡宮の巫女による「浦安の舞」が奉納された。

 

 人類が伝えてきた楽園神話には、その根底に、女の子の自由画に見られる楽園画と同根の、女性性につながる楽園的世界観と美意識が存在することは疑いようがない。それは、大乗仏教の流れの中で生まれた楽園である極楽もまた同様である。ならば極楽という楽園は、このような楽園的世界観だけで完結し、解釈できるものだろうか。この連載も残すところあと一回となるが、最終回では、大乗仏教の一大潮流となった浄土教の拠り所としての極楽について、それが仏教の楽園であることをふまえて再考してみたい。

 

 

 

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著者略歴

  1. 若麻績敏隆

    善光寺白蓮坊住職・画家。日本仏教看護・ビハーラ学会会長。
    1958年、長野市生まれ。1982年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。84年、同大学院修士課程修了。87年、大正大学大学院仏教学コース修士課程修了。94年、善光寺白蓮坊住職に晋山。2012年~14年、善光寺寺務総長。日本橋三越本店、大丸東京などでパステル画による個展多数。
    主な著書:『パステルで描くやすらぎの山河』(日貿出版社)、『浄土宗荘厳全書』(共著、四季社)

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