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極楽の原風景 若麻績敏隆

もと極楽にありし身なれば

 

 これまで、私は、女の子の描く楽園画を手がかりに、極楽の原風景を辿ってきた。極楽という世界のベースとなるイメージは、あきらかに女の子の描く明るく華やかで幸せな楽園風景と同根であった。その風景のルーツには、一つには母親との一体的世界観があり、一つには人類の進化における揺籃期の風景があった。それらは、まだ確固たる自我が確立する以前の、半ば私たちが宇宙と一体となった状態を示すものであり、それを私たちは後から楽園としてイメージするものと推察された。

 これに対し、男性にとって楽園は、通常、自らのものとしては意識化しにくい世界であり、男の子の自由画では、むしろ、そのような調和の取れた一体的世界観から、攻撃的なエネルギーによって脱却しようとする指向性が感じられた。男性は、楽園のイメージとの関係性において、女性よりはるかに複雑な立場にある。男性は、楽園への憧れをいだいていても、そこにとどまることを許されない宿命をせおっているのである。

 ユングの高弟であったエーリッヒ・ノイマンは、子どもと母親との本源的関係という観点から、このようなことを述べている。

すなわち女性は、母なるウロボロスとグレートマザーの圏内から立ち去る必要もなく、本源的関係のなかにとどまり、そのなかで自分を発達させながら、自己に到達することができる。…男性がこれと同じ事態におかれると、“去勢される”、すなわちその本来性を失うのにたいして、女性はその本来性を失うことなく、ただ未成熟なまま人間がかたまってしまうだけである。西洋のこの父権的な文化圏を見て気づくことは、女性がこのように心理学的には未発達のまま、つまり十分な意識の発達を見ないまま、全体としては自然のままに生きることができるのにたいして、男性はこのような状態では社会的生活を営むことができず、神経症を患いかねないということである。女性における根本的状態が、自己発見と本源的関係との一致である以上、女性は初めから、自然のままなる全体性と完結性に恵まれているのに対して、男性にはこれがかけているのである。(『女性の深層』E・ノイマン 松代洋一・鎌田輝男訳 紀伊國屋書店)

 ノイマンの示唆に富むこの説は、自由画における男女の差異の現れかたに対する心理学からの説得力のある解釈として採用できるだろう。ノイマンのいうウロボロスとは、自らの尻尾を呑み込む円環状の蛇で表現される象徴的な図形であり自己完結した世界を表す。男性は、男の子の自由画にも現れたような闘争的、競争的な世界観を拠り所として自我を確立していくのであり、それによって母親との一体的世界観から脱却していかなくてはならない。男性の場合、楽園は、幼少期にはもっぱら母親に投影され、成人になると、成人女性にも投影される。男性は、女性に楽園を見るのだ。私たちは、人類が憧れ続ける楽園について辿れば辿るほど、そこに女性性との親近性を認めざるを得ない。

 それでは、教義としての極楽は、楽園のイメージだけで解釈することが可能だろうか。私は、修行者が集う大乗仏教の土壌の中で構築された楽園である極楽には、単に女性性だけでは語れない要素が自ずと込められていると考えている。いうまでもなくそれは、極楽成立譚の主人公、阿弥陀如来である。『無量寿経』によれば、阿弥陀如来は、はるか昔、一人の王だったが、王位を捨てて世自在王如来のもとで出家し、法蔵と名乗る修行者となった。法蔵菩薩は、長い修行の果てにさとりをひらき、阿弥陀如来となって極楽を建立した。私は、阿弥陀如来(法蔵菩薩)こそは、女性性を象徴する極楽の荘厳のなかにあって、あきらかに男性性を象徴する存在だと考えている。


「降魔成道」野生司香雪 画
野生司香雪(のうす・こうせつ)がインドの初転法輪寺に描いた仏伝図壁画の一場面。菩提樹下で座する釈尊が、悪魔の妨害を退けて大悟する姿を描いたもの。悪魔にうち勝った堂々たる釈尊の姿は、英雄そのものである。(インド・初転法輪寺蔵)

 

 男の子の描く自由画には、人間がほとんど登場しないかわりに強大な力を持ったロボットや人造人間が登場した。人間をはるかに超えた力を持つ英雄像である。男の子たちにとって、英雄になることが願わしい夢であり憧れである。どんなかたちであれ、英雄になりたいという憧れは、男性に一生涯つきまとう。理不尽な戦争を起こすことも、いくつになってもなくならない名誉欲や権力欲も、さとりを得たいという願望さえも、このような英雄願望によって裏づけられているのだろう。

 仏教の修行は、英雄の、敵に対する攻撃性を、自らの内面に巣くう煩悩に向けて、さとりを求める行へと昇華したものといえる。釈尊が魔を下してさとりをひらく降魔成道の場面は、仏伝図を構成する重要な場面としてさかんに表現されたが、そこには、煩悩にうち勝った英雄としての凛とした釈尊の姿が表されている。大乗仏教が興ると、釈尊以外にも、英雄として、様々な仏や菩薩が登場することとなった。阿弥陀如来もまた大乗仏教の中で説き出され、最も支持された英雄の一人である。経典に記された英雄、阿弥陀如来の修行は、魔を下す勇ましい姿よりも、他者に対する利他行が強調されている。

 法蔵菩薩というひとりの英雄が極楽を建立したという、一見、荒唐無稽に思われる成立譚の中に、何か深い意味が込められているのではないかと、私が考えるようになったきっかけは、ユングの集合的無意識の理論を知ったことからだった。それ以来、経典を尊崇し無条件に信ずるのではなく、その意味するところを納得し理解したいという思いが、不遜な私の、どうしようもない欲求となった。プロテスタントの牧師を父に持つユングが、神について、「信じる」のではなく「知る」という立場をとり続けたことに私は強い共感を覚えた。

 ユングは、神話や夢の分析から、人類の心には、時代性や地域性を超越した共通の類型的イメージや象徴が存在することを見いだし、それを元型(アーキタイプ)とよんだ。ユングの見いだした元型の中には、代表的なものとして、自我、自己、影、太母、老賢人、英雄、トリックスター、そしてアニマとアニムスなどがある。ユングは、男性の中に存在する女性像をアニマ、そして、女性の中に存在する男性像をアニムスとよび、自己の完成を、男性性と女性性の統合ととらえた。ユングのこうした説から、私は、極楽の成立譚が、男性の英雄である法蔵菩薩(阿弥陀如来)が、女性性である楽園性を獲得した神話なのではないかと考えた。それは、男性であり英雄である法蔵が、自らの内面に女性性を見いだし、統合したことを意味する。女性性である楽園性を統合し、極楽建立をなしおえた阿弥陀如来は、両性具有者であり、全体性、完全性を実現した存在と見なされるのである。その姿には、もちろん、菩提樹下で大悟した釈尊の姿が二重写しになっている。

 英雄は、ユングが元型として指摘する重要なイメージである。ちなみに楽園は、一般的には元型ととらえられることはない。しかしながら、楽園のイメージは、男性と女性では、それに対する立ち位置がまったく異なるものでありながら、私たちの心の中に普遍的に存在し、それぞれの人格に与える影響もきわめて大きなイメージとして、その普遍性、類型性からも、元型的なイメージとしてとらえてよいように思う。

 現実に生きている私たちについて考えてみると、英雄と楽園という相対するイメージにおいて、男性は英雄と自己同一化しやすく、女性は楽園と自己同一化しやすい。幼児の自由画に現れた両性の差異はそれを如実に物語っている。皆本先生は、女の子の楽園画について興味深いことを述べている。先生によれば、女の子の描く楽園に描かれる人物は、時に人待ち顔に描かれるという。先生は、これを王子様を待つ王女様だと解釈する。王女様の待つ王子様とは、すなわち英雄であり、英雄を自らの楽園に迎え入れることが王女様にとっての願いなのだ。楽園と英雄の関係は、お互いがお互いを待ち望む関係にあり、それは、端的に結婚のイメージととらえることができる。通常の男女の場合、男性にとって、楽園は現実の女性に投影され、女性にとって、英雄は現実の男性に投影される。恐らく、釈尊の梵行、つまり禁欲主義は、楽園性(女性性)を現実の女性に投影することを断ちきり、自らの内面に求めることを目指したものといえるだろう。


五歳の女の子の自由画。人待ち顔の女の子が描かれる。皆本先生は、楽園で王子様を待つ王女様の姿だと解釈する。

 

 教義としての極楽のイメージは、阿弥陀如来と極楽との総合的イメージであり、それらをイメージすることは、自らのなかに存在する英雄と楽園のイメージの気づき、意識化と活性化につながるだろう。阿弥陀如来は、理想的英雄像であり、極楽は、願うべき最高の楽園である。極楽の教えが現に生きている人々に促すのは、おそらく、男性であっても女性であっても、自らの無意識の中に存在する元型としての英雄像と楽園像を、外界の現実的な男性や女性に投影することなく、利他心(慈悲心)あふれる阿弥陀如来と極楽のイメージにまで高めることではないだろうか。この際に、極楽往生のキーワードである「南無阿弥陀仏」ということばは、英雄である阿弥陀如来のイメージを積極的に意識化することばとしても働くに違いない。

 阿弥陀如来と極楽との関係は、キリスト教では、イエス・キリストと天国との関係に当てはまるだろう。『ヨハネの黙示録』には、「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。」(『新約聖書』)とあるのは、まさにこの関係性を示しており、興味深い。

 法蔵菩薩は修行に入る前に、四十八願をおこした。これは、今風にいえば、さとりを開いたときに実現する公約のようなものである。四十八願の中には、自らの修行やさとりにかかわるものもあるが、極楽に生まれた往生人に対して理想の環境を提供するための利他的な公約が多い。大乗仏教では、「菩提心」(さとりを求める心)は、利他心を起こすことと同義ととらえられる。修行によって釈尊とひとしいさとりを得ることの重要性を説きつつも、自らのさとりはさしおいても、「自未得度先度他」、つまり自らよりも他者を先に渡す、利他心に重きを置くのだ。初期仏教の、自らのさとりに邁進するあり方が男性的なのに対し、自らのさとりよりも他者を先に渡すことを重んずる大乗仏教の利他の精神は、極めて女性的なあり方であることは押さえておかなくてはならない。

 阿弥陀如来の建立した「幸いあるところ」という楽園、つまり極楽は、私たちが太古からこころの中に伝えてきた楽園のイメージと、私たちが感じる「しあわせ」というもの、そして私たちの心に生ずる他者への慮り、利他心との密接な関係性をあらわしたものである。その三者の核となるのは、疑いなく、私たちの心の中にアプリオリに存在する楽園のイメージである。ことばを介さない楽園のイメージは、私たちの「しあわせ」のイメージの土台であり、平和や共生の感覚、慈悲や愛、利他心の生まれる拠り所、本拠ともいえるのである。

 『観無量寿経』の下品下生に説かれるような死を目前にした人にとっては、阿弥陀如来は、極楽へと死者を迎え入れてくれる救い主としての姿こそが求められるだろう。しかし、一般の信仰者にとっての阿弥陀如来は、救い主であると同時に目指すべき理想的人格であり英雄像である。それは、キリスト教徒にとってイエス・キリストが英雄であり理想的人格であることと同様である。浄土教の教義では、この現世において私たちに利他心の積極的な発動は求められていない。浄土教徒はあくまでも浄土に往生した後に、ふたたびこの世にもどり、自在なる神通力をもって衆生を済度するのである。一見、消極的とも思える現世での利他行への姿勢は、宗教としての浄土教が最も批判をあびる点だったように思う。しかし、この教義には、表面からは見えない、伏流のような信仰上の機微がひそんでいる。それは、内的なドラマとして極楽の成立譚を受け入れ、阿弥陀如来と極楽のイメージが活性化されたときに起こる信仰者本人の心の変容である。心の変容によって自ずと利他心の発動が行われる。教義上はあくまで極楽往生してはじめて発動する利他心であっても、実際には、現世においても、自力ではなく、まさに他力のはたらきによって、自然に、利他心は発動するのである。それを、妙好人や往生人とよばれる多くの無名の信仰者のすがたが教えている。

 私は、極楽のイメージの根底にある楽園のイメージが、いかに人類にとって普遍的なイメージであるのかを、女の子の自由画によって知った。女の子の楽園画に現れた「しあわせ感」は、まぎれもなく、そこが「幸いあるところ」であることを示しており、それは男の子の絵と対比することによって歴然とすることは再三述べてきた。ただ、女の子の楽園が、成長にともなって、無邪気に自分だけが楽しむ楽園(仏教的にいえば、自受用的な楽園)にとどまるのか、極楽のような他者と幸せを分かち合える楽園(他受用的な楽園)となるかは、その後の自我意識の発達や他者に対する認識の発達によって違いがでるだろう。そこには、物事を分別し分析する力や意志の力のような男性性も影響するに違いない。その意味で、女性においても、英雄と楽園との統合は、様々なレベルで行われるといってよいだろう。女性に芽生える母性もまた、自受用的な楽園を他受用的な楽園へと導く強い牽引力となるはずである。

 

 本来的な仏教修行の核心的な課題は、自我の超克にある。かつて自我の芽生えによって楽園を去った人間にとって、楽園の回復は、自我に絡め取られる以前の状態への回帰をも意味するものであろう。心の中に刻まれた楽園のイメージは、それを手助けする導き手としての役割を果たすだろう。

 しかしながら、通常はなかなか楽園を描くことがない男性には、そもそも女性のように心の中に楽園のイメージが存在しないのではないかといぶかる人もいるだろう。しかし、私は、男性の心の中にも楽園的イメージは必ず存在すると思っている。かつて、私は大正大学の学生などに、「死後に生まれる究極的な楽園とはどんなころか」というテーマで絵に描いてもらったことがあった。すると、女子大学生が、時に神仏のような姿を画面に描き入れる例がありながらも、全体としてはいつもと同じような花にあふれた明るい世界を描く場合が多かったのに対し、男子大学生もまた、かなりの確率で女の子の絵のような花の咲くのどかで明るい風景を描いたのだった。全体を見ると、男子大学生の表現は多様で、宇宙的なイメージや夕日のイメージ、あるいは自宅でテレビをごろ寝で見ている場面など、発想の豊富さが感じられた。しかし、生まれてこのかた一度も花など描いたことなどなかったであろう男性が、女性に比べて稚拙ではあるものの懸命に花咲く楽園を描く姿は、私にとって感慨深いものであった。描いた男性は、二十歳前後なので、それまでに見聞した情報や知識が素地になっていることは想像に難くないが、絶対的に幸せな楽園を思うとき、男性も極めて女性的な絵を意識的に描こうとする事実は大変意味のあることといわなくてはならない。それは、男性も、普段は意識していなくても、楽園的イメージと世界観を確かに保持していることの証しといえるだろう。

 
女子大学生がイメージした死後の楽園。女子大学生の描く死後の楽園は、基本的に普段描く楽園世界とほぼ同じ世界観をもっている。裸の男女はエデンの園のアダムとイブのイメージか。

 
男子大学生がイメージした死後の楽園。死後の楽園という究極的な楽園の姿をイメージすると、男性であっても女性の描く楽園画に非常に近い世界観を描く場合が多い。しかし中には、自宅で寝転んでテレビを見ている自分を描くようなユニークな作品もある。

 

 最近、私の親しい男性の友人1人がガンで亡くなった。彼は亡くなる数日前、病状がやや小康状態になったとき私に電話をくれて「この間、具合が悪くて死にかけたとき、あちらの世界を見てきたよ。あちらは一面の花畑だったよ。」と語ってくれた。無類の車好きで、日頃はまったく花などには興味がなかったはずの彼が、死の直前に花畑の風景をまざまざと見たことは、私にとって大きな驚きであったが、恐らくはそのことに誰よりも驚いたのは、彼自身だっただろう。このような報告は、いわゆる臨死体験をした人たちによって、しばしばなされている。かつて、レイモンド・ムーディーは『かいま見た死後の世界』『続・かいまみた死後の世界』で、そうした事例を分析して、臨死状態を経験した人たちが非常に良く似た体験をすることを紹介した。耳障りな音がすること、死んでいる自分を上から見下ろしているような、いわゆる幽体離脱が起こること、暗いトンネルをぬけていくこと、光の生命と出会い、一生の省察を走馬灯のように行うこと、そしてその際に圧倒的な慈愛につつまれること、そのような状況の中で、魂の発展、愛と知識といったことへの欲求が高まり、ますます利他心がうまれることなどをあげている。さらに、『続・かいまみた死後の世界』では、光あふれる場所、田園、小川、草、木、丘、花などの美しいものがある、他に比べようもないほどの場所に赴くという例もあげられている。

 臨死体験に示される光の生命は、阿弥陀如来のイメージを想起させ、光あふれる場所、田園風景のような場所は極楽を思わせる。キリスト教徒であれば、光の生命をイエス・キリストと理解し、田園風景を天国と理解するだろう。そして、この体験をした人たちの利他心が高まるということも極楽と利他行との関連を考えると注目すべきことである。

 私の母は16年前に他界したが、その時、私は母親の逝った場所を想い、長野県の各地をまわって、たくさんの花の咲き乱れる明るく穏やかな風景を探した。そして、ようやくめぐり会ったのが軽井沢の植物園の風景だった。明るい草原の真ん中には小径が続いており、その向こうに天に昇る龍のような樹が立っていた。小径の両側には、白とピンクのサクラソウが可憐に咲いていた。私は母がこの風景をきっと気に入るに違いないと思い、パステルで一気に描きあげた。私は風景の中に、人物を描き込んだり、家を描いたりすることはしないが、その中に自分や鑑賞者がふっと入っていくことができる、そんな空間になることを心がけた。この風景を描くことで私は癒やされ、出来上がった絵に「楽園の小径」という題を付け、デジタルプリントを複数つくって、生前、母親がお世話になった病院などに寄贈した。


「楽園の小径」若麻績敏隆 画
母の死後、母の逝った場所を思いながら、著者がパステルで描いた高原の明るい風景。数年後に再びここを訪れると、中央の天に昇る龍のような樹は伐採されてなくなっていた。

 

 3年前に、東京のガン専門のある病院にもこの絵を贈ったが、しばらくして院長先生から、この絵を病院の壁に初めて飾ったときの出来事を伺うことができた。「この絵をどう思いますか?」という先生の問いに、ある患者さんが「私はここに行ったことがあります!」と即座に答えたのだという。その患者さんは、「ここは、私が生死の境をさまよっているときに行った場所です。そのままです。ただ、ひとつだけ違うのは、真ん中の道のあるところには川が流れていました。あとはまったく同じです。」と語ったという。私の描いたありきたりの初夏の風景が、全く面識もない患者さんの見た楽園の姿に一致していたということが、私には非常に嬉しかった。

 私たちには、男女を問わず、誰のこころにも楽園のイメージが存在している。それが、生命が危機的状態に陥るような状況下においては自動的に意識化する。楽園のイメージは、私たちのいのちにとってかけがえのないものであるからこそ、このような現象が起こるのだろう。『観無量寿経』において、韋提希(いだいけ)が極楽を観想して救われたように、日頃から楽園のイメージを積極的に顕在化し、活性化すること、あるいは、実際に楽園のような花咲くのどかな風景を目にすることは、今を生きている人間にとっても、これから死を迎える人にも大いなる安心をもたらすものだろう。

 本連載の第2回で、私は、森の風景や太陽の沈む姿などに感じるヌミノーゼのことについて述べた。私たちは、宇宙の中に、地球の中に、生を受けた宇宙の子であり、地球の子である。その私たちは、深山の神秘にも、深海の神秘にも、大いなる太陽の姿にも、ヌミノーゼを感じることがある。それは超越的で崇高なる神的なイメージといえるが、一方で、まばゆい宗教的楽園のもととなった花々の咲く明るく広々とした自然風景にはヌミノーゼを感じることはあまりない。恐らくは、それほどに楽園のイメージは、私たちに近しい、いわば臍の緒でつながったイメージなのであろう。

 さて、この連載を締めくくるにあたり、そもそも楽園のイメージなどというものは実感として一向につかめないという方のために、私は、一般の日本人が自らの内面的な楽園をイメージしやすい言葉として、「ふるさと」ということばをあげたいと思う。「ふるさと」ということばには、様々な意味が含まれており、自分の生まれ育ったところ、おかあさん、家族、友だちのいるところ、長く暮らしたところ、というような個人的なふるさとのイメージから、さらに深層の、人類の生まれたところ、生物の生まれたところ、ひいては宇宙の始まったところさえも、その意味する範疇に含まれるだろう。そういうふるさとに私たちはいつか帰っていく。「ふるさと」ということばには、たとえ時間的にも空間的にも遙かなところであったとしても、自分とつながっている場所、自分にとっての本来的な場所だという含意がある。「西方十万億土」の彼方にありながら、「ここを去ること遠からず」という極楽のイメージはまさに「ふるさと」のイメージと重なるものである。

 極楽の教えが日本に伝わった後、今日に至るまで、大多数の日本人は、極楽を、経典に忠実にイメージしてきたわけではない。ほとんどの人々は、自分の心の中にある集合的無意識的な楽園のイメージと、慣れ親しんだ日本の風景とを重ね合わせて、見たこともない憧れの極楽を想像してきたはずである。そのような日本の原風景ともいえる風景は、私たちの心の中で、「ふるさと」ということばに自然に結びついているのである。

 「ふるさと」ということばで誰もが思い当たるのは、文部省唱歌の「故郷」(高野辰之作詞 岡野貞一作曲)であろう。かつて、東洋大学で教鞭をとっておられた心理学者の恩田彰教授は、日本人にとっての極楽は、まさに唱歌「故郷」の世界だと指摘した。ウサギを追ったこともなく、小鮒を釣ったこともないほとんどの現代日本人であっても、なぜか懐かしく感じてしまう「故郷」。「故郷」の描き出す光景は、お花畑も緑の草原も登場しない、すこしばかり控えめで地味な楽園である。花咲くふるさとの風景であれば、同じ作詞家・作曲家のコンビによって生み出された「おぼろ月夜」の方が、ぴったりするかもしれない。これら二曲のように、明治、大正、昭和にかけて生み出された日本の童謡唱歌の数々には、日本人が培ってきた懐かしい楽園観が、奇跡のように紡ぎ出されている。

 私は、極楽のイメージを一般の方に理解してもらうために、「故郷」を歌ってもらうことがある。東日本大震災の一ヵ月後に善光寺本堂で行われた震災犠牲者追悼の「東日本大震災・祈りのつどい」では、法要後に本堂をうめつくした方たちとともに「故郷」を歌った。参列した多くの方たちは、涙しながらこの歌を歌って心から犠牲者を弔った。この歌には、ほとんど「血が騒ぐ」といってもよいほどの不思議な共感力があるのである。

 ただ、東日本大震災の後、被災地に暮らす方たちは、しばらくのあいだ「故郷」を歌うことができなかったと被災地で傾聴移動喫茶「カフェ・ド・モンク」の活動をされている金田諦應師に伺った。津波の猛威で、現実のふるさとと、そこにあったあたたかな人間関係を失った方たちの、ふるさとの喪失感は想像を絶する。ショック状態に陥った方たちにとって「故郷」は、喪失感をより増幅してしまう歌になってしまったのだろう。しかしながらこのエピソードは、「ふるさと」ということばの意味するものが、いかに私たちの心の根源的なものとつながっているかを物語っているように思う。

 「ふるさと」という名を持つもう一つの歌がある。東日本大震災の後、嵐というグループが歌ったものである。私には、この歌は、私たちの心の中の楽園としての「ふるさと」のイメージを、現代の感性で見事に表現しているように思える。そこには、私たちが願う本来的な人間と自然とのしあわせなつながりの世界がある。私たちは、そのようなつながりの世界に再び戻っていくのである。

 法然は、死を間際にして、ある弟子の「こたび、ご往生は決定か」という問いかけに対し「われ、もと極楽にありし身なれば、さだめてかへりゆくべし」と答えたという。極楽というものの本質を端的に表したことばである。

 10回の連載で綴ってきた「極楽の原風景」もこの辺で筆をおかなくてはならない。今日、先進国では、既存の宗教的価値が、かつてほどには、人々の生活に密着したものではなくなってきている。大量殺戮の引き金となったり、差別の原因になったりする宗教というものへの拒絶反応も現代人の中に根強く存在する。しかしながら、一方で宗教の持つ価値観が多くの人々を癒やし、救ってきたのもまた事実である。そうした価値観の中心に、人類が遺伝子の中に大切に伝えてきた楽園のイメージがあり、それは今なお私たちに多大な影響を与え続けている。一見、無常、無我、空といった仏教哲理に比べて、非科学的な虚構と思われがちな浄土教の教えは、実は、その中に人類の本来的な生存環境と、宇宙との一体的な世界観である楽園のイメージを伝えていた。例えれば、極楽の教えとは、楽園のイメージを母とし、仏の教えを父として生みだされた教えと言えるかも知れない。楽園というキーワードは、死後の楽園を語る宗教に関わるだけではなく、深刻な環境破壊など、行き詰まった現代文明や、世界中に吹き荒れる覇権主義に象徴される男性社会を問い直す意味でも極めて重要なものであるといわなければならない。地球上での人類の生存の可否は、本来、人類の生存と一体不離の関係にある楽園というものを、問い直すことにかかっているとさえいえるのである。

 書き終えてみると、まだまだ様々なことが語られずに残されてしまった感がある。性差という観点をもちながら、今日、急速に注目されるようになった、男性・女性といった伝統的な性の観念で収まらない人たちの感性のことについても今回は論ずることができなかった。これらのことについては、機会があれば、あらためて論じてみたいと思っている。

 もとより、この連載は、これまで行われてきた伝統的な教義を批判するものではない。むしろ、伝統的な教義に補足するべく、極楽というものについて、美術、性差という新しい視点から論じてきたつもりである。これにおって、極楽というものが多くの方々にとって、より身近な存在として感じていただけるようになれば望外な喜びである。

 最後に、長年にわたり私に多大なるインスピレーションを与えてくださり、こころよく自由画の資料を提供くださった、恩師、皆本二三江先生と、このたび「はるとあき」に拙稿を掲載する機会を与えてくださった春秋社の皆さんに、心より感謝を申し上げて、この連載を閉じることとしたい。

 

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著者略歴

  1. 若麻績敏隆

    善光寺白蓮坊住職・画家。日本仏教看護・ビハーラ学会会長。
    1958年、長野市生まれ。1982年、東京芸術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。84年、同大学院修士課程修了。87年、大正大学大学院仏教学コース修士課程修了。94年、善光寺白蓮坊住職に晋山。2012年~14年、善光寺寺務総長。日本橋三越本店、大丸東京などでパステル画による個展多数。
    主な著書:『パステルで描くやすらぎの山河』(日貿出版社)、『浄土宗荘厳全書』(共著、四季社)

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