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存在の手ごたえ 渡仲幸利

存在の手ごたえ

 

 特に、近代自然科学がそのモデルと言っていいが、科学は、存在を測定する技術である。

 測定するとは、関係付けることである。

 それはそもそも利用するためであり、つまり近代的な科学のしていることは、利用するための、存在の加工なのである。

 加工しようとする者の目のもとでは、物は、他と取り替え可能な諸材料と化す。要するに、科学の手からは、存在というかけがえのなさが、すっかり洩れ落ちている。

 これは、口に出さなくても、多くの人が感じているところであろう。けれども、科学が一番正しく存在を捉えている、とする空気は、思っている以上に、僕達の生活の隅々にまで染み渡っているものである。

 もちろん、今も昔も、知性はどこか冷たい働きだと勘付かれていた。

 かけがえのない存在の仕方をしている物を、かけがえのなさから引き離し、使用可能な存在の仕方へと変化させる能力が、知性である。

 科学の名のもとに、この置き換えが進めば進むほど、この世が人類にとって利用しやすさを増す。つまり世界が明瞭さを増す。

 こうなると、科学の創始者の苦心をよそに、これこそがすべてだと言わんばかりに、最早自分のしていることを理解せずに頭の良さを自慢する人は、ますます増える。

 そのぶん、頭の悪い人は肩身の狭い思いをする。この世が何だか、ただせわしなく、すかすかにされたように見えて来る。虚しい。

 僕のかすかな記憶では、半世紀前のいなかは、もう少々重苦しかった。

 物事一つ一つに面倒な謂れがある始末だった。

 僕の思い込みかもしれないが、人間が縦に繫がる在り方をしていて、この世にあの世が重く沁み込んでいた。そこでは、自分が生まれ、育ち、老い、死ぬという変化を包み込む永遠があった。

 あの頃、年長者達には、この世がどんなふうに見えていたのだろうか。

 それは、多分、僕が今こうして憧れて空想しているものなどとは違う、偏見に満ちた、どうってことのない世界に過ぎなかっただろう。それでも、そこに、何かあったはずである。

 別に僕は、一連の文章を通じて、過度に時代を遡ろうとは思わなかった。

 宇宙人が何を考え、何を感じているかには、目下、興味はない。僕がほんのわずかでも中身に触れたことのないような人間について、その人がこの世をどう受け取っていたかなど、僕には決して追体験できるものではないから。

 科学の方法に従えば、無論、それも可能である。けれど、そんな知識は、僕の欲しかった手ごたえではない。

 僕を助けてくれたのは、ちっぽけな思い出と、そしてある種の作家達と、あとは柳田ぐらいのものだった。

 最近は、昔話は、本かテレビかあるいはネット上の動画から得るものとなっているのだろうが、少し前までは、興に乗じて年寄りが子供に語って聞かせてくれたものである。

 僕などは、既にその機会が多くはなく、聞かせてもらったお話は数える程度である。それでも、その手の話の味わいは堪能して育ったつもりである。

 何代も昔のご先祖やそのご近所さんについてのただの噂話に始まって、戦争中のなぜかちょっと楽しい話。更に何ともおかしな話もあった。

 曾祖父の知人に、ある祝いの宴の後、毎日歩き慣れた道を歩けども歩けども家に帰れなかった誰々さんがいた。翌朝、逆の方角の隣村で発見されたときには、提げていた折り詰めが空っぽだった。

 またあるときの話。祖父は、酔って一緒に闇夜を帰る人に、体を捕まえていてくれと頼まれた。道端で小便をするからと。その小便がいつまで経っても終わらない。ずっと音がしている。ふと気付くと日の出となり、祖父は川の流れを聞きながら、川っぷちで立ち木を捕まえていたのだったと言う。

 何が面白かったのだろう。荒唐無稽なところが面白かったのだろうか。

 いや。そうではなくて、不思議を不思議なまま話そうとする数百年来のこの世の在り方の雰囲気が、話の中から響いて来て、それに耳を澄ませていることが、僕はうれしかった。ご先祖がして来たことの輪に、僕も加われていると感じた。

 僕は怪談を聞くのも好きだが、それも同じ理由による。別に、怖さに刺激されたいからではない。

 普段は忘れて生活しているのに、怪談を聞いているときだけ、かつてのこの世の見え方が甦って来て、この身に迫る。

 これは、刺激的であるどころか、僕には却って、心が落ち着かされる感覚である。

 あの世からの訪問者が、この世がすかすかの空洞でないと教えてくれる。

 どうもあの世の者は、この世のただなかから湧いて出て来るようである。同じこの世が、日常的利便性を緩め、その在り方を変えたとき、たちまちあの世と化すのである。

 

 次の話は、怪談ではないが、医学者、山中康裕が紹介しているものである。

 治療法のない重病を患う十四歳の少女が、七年間の闘病の末、最後は耳が聞こえるだけの寝たきりの状態となって、息を引き取った。

 ちょうどそのときに、離れて暮らす者から不思議な知らせがあった。

 少女には嫁いで行った姉がいた。その姉から電話があり、次のような夢を見たと言うのだった。

 気付くと妹が枕元に三つ指をついていたという。妹は巫女さんの姿をしており、お別れの挨拶をすると、すっと浮いて、だんだん小さくなって、神棚の扉を開け、中に吸い込まれて行った。

 直ぐ後でわかったことだが、同じ夢を、少女をかわいがっていた伯母も見ていた。

 少女の両親は、これはきっと遺言に違いない、と少女に巫女の装束をさせて柩に寝かせた。

 

 さて、こういう話を前にして、日常的な思考は必ず、偶然に過ぎない、と考えている。

 先ず、少女が重病であることは姉も伯母も承知していたであろうから、少女の死の時刻にちょうど少女を夢に見ることは、あり得る。

 その際、巫女の姿の少女を夢に見ることも、全く可能性がない話ではない。

 ただし、二人とも、巫女姿の少女を夢に見たというのは不思議な話だが、非常に小さな確率とはいえ、起こり得ないことではない。

 確かに、こんな偶然が起こり得るなんて、不思議なことである。

 けれども、偶然は偶然であって、自然の必然的な因果関係が巧みに絡み合えば、こんな偶然も実現させられる。

 これが不思議で意味ありげに思えるのは、極めて確率の低いことが実現したからだが、決して、実現不可能なことが実現したわけではない。

 日常的な僕達の目には、そんなふうにこの出来事が見えている

 一方、少女の家族達には、この出来事のどこにも偶然などなかった。そう言っていいと、僕は想像する。

 説明をつけることなど全く出来ない出来事だったろう。だからこそ、そのすべてが意味を帯びていた。

 両親はこれを遺言と見た。

 遺言とでも呼ぶ以外にない豊かな意味を見た。

 少女の短い人生が、説明などで置き換えられないもの、かけがえのないもの、意味あるものであると、心から信じられた。両親が遺言という言葉で嚙み締めたのは、そういう思いであろう。

 日常的思考の目と、少女の家族達の目とでは、同じ出来事がいかに異なった像となって見えていたか。

 日常的思考の目は、この出来事が可能かどうかにばかり気を取られている。何が起きたかではなく、そういう種類のことが可能かどうかに。そうやって僕達は、何不自由なくこの世を見ているつもりでいる。

 恐らくこれは、気付いても、気付き足りない人類の宿命であろう。

 

 数学者の志賀浩二は全十巻から成る「数学30講」という数学入門書のシリーズを書いている。

 僕は若い頃、夢中になって読んだものだが、その中の一巻『集合への30講』に、こんなことが書いてあった。

 お皿を一枚、二枚、と数えるときと、例えば全国にあるお皿の枚数を考えるときとでは、数の捉え方は全く異なるのではないか。そんな問い掛けがあった。

 家のお皿が一枚なくなったとする。きのう僕のカレー皿が割れてしまったから。あぁ、あのお皿がなくなってしまった、と溜め息をつく。

 これに対して、全国のお皿の数の増減は、それを考えるのに実はお皿が要らない。要らないどころか、あってはならない。数学が展開される基礎を成している数が、ここに誕生しているのである。

 お皿抜きで、お皿の数が捉えられるようになることは大切なことである。これが出来なければ、僕達は他の生き物とさして違わないままだったと考えられる。僕が今こうして文章を書いているということも、あり得なかったろう。

 最早お皿を見ないこの能力は捨てられないし、捨てようもない。存在抜きで存在を見ているのが、僕達の日常である。

 けれども、存在が無意味な脱け殻であって良いわけはない。

 存在しているということには必ず意味がある。

 日常生活で僕達がそこに読むことをやめた遺言が、存在のそこかしこに書き込まれているはずなのである。

 

 僕はただ僕に出来る範囲でそれらを読み取り、それらを書き残してみたのだった。

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著者略歴

  1. 渡仲幸利

    1964年静岡県生まれ。随筆家。著書に『観の目』など。

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