web春秋 はるとあき

春秋社のwebマガジン

MENU

存在の手ごたえ 渡仲幸利

古代の哲学

 

存在は不動であって、変化しない。

これは、古代の哲人ゼノンが師パルメニデスから譲り受けた大切な考えである。

たとえ人間の目にはそう見えなくとも、この世に本当は運動など起きていない。それに気付くための手掛かりとして、ゼノンはいくつかのパラドックスを考案した。

 

その一。

物体がある区間を運動した。当然、物体はその区間の中間地点を通り抜けていなければならない。

では、今二分した区間の、前半区間を見る。すると、この区間でも中間地点が踏破されていなければならない。この区間の更に前半の区間でも同様である。

前半区間の中間地点、そのまた前半区間の中間地点、そのまた前半区間の中間地点、と二等分点を打ち続ければ、スタート地点に近いほど、物体が踏破すべき地点は密集していて、その数は無限である。

つまり、物体は無限に足踏みをし、スタート地点からぴくりとも進めない。

 

その二。

アキレスが、子亀の後方からスタートして、子亀を追い駆ける。

アキレスが子亀のスタート地点まで来る間に、子亀も僅かだが先の地点に到っている。

更にアキレスがその地点まで来る間に、子亀はまた少しだけ先の地点へ進んでいる。

これが際限なく繰り返される。

つまり、俊足のアキレスが、子亀を永遠に追い抜けない。

 

その三。

飛んでいる矢は、飛んでいる各瞬間において見るなら静止している。

しかし静止はいくら足しても運動にならない。

つまり、飛んでいる矢は動かない。

 

その四。

静止しているA君から見てちょうどⅹメートル走って来る物体は、この物体と同じ速さでこの物体に向かって走るB君から見たら、二倍の、2ⅹメートル走って来る。

よって、A君の二倍の時間の出来事をB君は見ている。

しかし、これは同じ時間内に起こっていることなのだから、ある時間がその二倍の時間と等しいこととなる。

 

以上四つの議論のうち、その四、の議論に注目したい。

他の議論と比べ、これは明らかにおかしい。ゼノンの思考の秘密は、このおかしな点にありそうである。

確かに、動いている人から見ると、止まっている人から見るより、物体が二倍の距離を動いて見える。でも、だからといって、そのとき二倍の時間が経っているのではない。なのにゼノンは、二倍の距離を二倍の時間だと解釈した。

非常に奇妙な考え方だと思う。まるで、現代社会に暮らす僕達とは全く別の思考の枠組を持つ者によるものの捉え方のようである。

他の三つの議論なら、微分積分を知っている現代人は、容易に反論することも可能だが、今度ばかりは、極限という操作を持ち込んでどうこうなる議論ではない。

ゼノンは敢えてこう仮定しているのである。この世に、運動という、幾何学上の位置関係の変化が、もしもあるとしたならば、と。これは、言い換えれば、時計の針の運動がもしもこの世の本質だとしたならば、と仮定することになる。

見る立場によって位置関係の変化が二倍になるというのは、時計の針に単に二倍の移動をさせることと同じである。元の時計とこの時計を同時に見れば、ある時間がその時間の二倍と等しくなっている。

一方の時計が進んでしまっただけだ、とは言わないほうがいい。僕達は、時計を見て、つまり幾何学上の位置関係の変化を見て、初めて時間を計れたのだから。

ということは、ある時間がその時間の二倍と等しくなるという矛盾が生じるのは、運動という、位置関係の変化を、この世の本質にするという前提が間違っていたから、ということになろう。

ゼノンが四つ目の議論で主張したかったのは、これなのである。

これを、二倍の時間が同じ時間であるなどと露骨な形で表明されると、僕達は耳慣れぬおまじないでも聞かされたように、奇妙な感に襲われる。何千年も昔に刻まれた碑文の不敵さを見るようである。

でも、実はゼノンの、他の三つのパラドックスにおいて示されているのも、結局のところ、この議論と同じ主張なのでないのか。

現代人である僕達は、これらのパラドックスについて、解析学を使えば解決できると言って威張って、古めかしいゼノンの主張には寄り添わない。

けれども、ゼノンは、これらの議論をするとき、表面的には謎々遊びでもしている振りをして、もしかしたら、議論の奥底では、ある思いを煮え滾らせていたのかもしれない。

微分積分にしろ、結局のところ位置関係の変化を解析するために近代になって発明されたアイデアでしかない。位置関係の変化をこの世の成り立ち方だとする見方に、変わりなかった。それどころか、ますますこの見方が強化された。数学が発達しようと、ゼノンがパラドックスに込めた思いは、依然として、気付かれず、何一つ解決されることはなかったのだと思われる。

ゼノンの思想については、僕は憶測で語る以外にない。ゼノンの考えと言われているものは、他の著者の書物の中に引用されたものが、かろうじて断片として現代に伝わっているだけである。

どうせ想像に任せて語るほかないのだから、ゼノンの主張、位置関係の変化など本質的でないとする彼の考えを、彼の人生観だと捉えてみたい。ゼノンの議論を、彼の人生観の破片と見て、思いを馳せるとしたい。

僭主に襲いかかって壮絶な死を遂げたと言われるゼノンは、非常に激しい気性の人だったのだろうか。それとも、この最期の行為も、やはり形を変えたゼノンのパラドックスだったのだろうか。

師パルメニデスから継承した、唯一不動の存在こそ世界の本質だとする哲学が、そのままゼノンの生活信条でもあったのだろう。ならば、とても本質とは考えられなかった僭主の命もそして自らの命も、人生にパラドックスを生じさせるものとして捨て去ればよかったのか。

このことの真偽正否はともかくとして、ゼノンのパラドックスは、単なる謎々ではなく、人生上の決断であったことは、間違いないと思われる。

世界の本質は、とか、存在しているとはどういうことか、とかいうような問題は、生きる意味を激しく問うことからしか、出て来ようがない。

教科書に載っている練習問題ではないのである。講義の議題でも論文の課題でもない。人生の中で、あまりに孤独な境遇において、否応なく出くわしてしまう、怖ろしい問いなのである。

 

一体、存在しているとは、どういうことなのか。

そんなことは普段はわかっていたつもりだった。なのに、俄かにすべてが根拠を失って、この世が何とも虚しく見えてくる。

目の前には空間が拡がり、その中に物体があれこれある。結局、この世の中での変化や運動が、空虚の中での物体の並べ替えだとしたら、そんな、他と置き換えの利くような、たまたま今こうあるこの世界に、存在している意味があるものか。こんな世界は、存在していると言えるのか。

因果関係が辿れさえすれば、この世界が現在このような状態となって存在していることの必然性は、はっきりさせられる、と科学的な思考は答える。科学者以上に、特に現代人の常識となっている思考法が、そう答えるだろう。この世界がこうして存在しているのには、原因があると。

しかしこのとき、因果関係という言葉で、本当は偶然性が分析されて強化されているだけである。この世の必然性が証明されたわけではない。科学的に辿れる必然性というのは、この世界は今あるような状態であり得たし、またふとしたきっかけで別の状態でもあり得た、という意味でしかない。僕達が今このようにして存在し、この世界の存在がこのようであるのは、たまたまのことに過ぎない、と証明されたようなものである。

確かに、科学的に言ったら、この宇宙が存在しようと、存在しないままであろうと、別にどちらが好ましいということもない。どちらも等価の可能性の偶然事だろう。

よくよく考えてみれば、この宇宙が存在しないということがどういうことなのかは、本当は僕達にはさっぱりわからない。

僕達は、存在すべきものが存在していないということなら理解できる。子供は迷子になれば、おかあさんが〈いない〉と言って泣く。子供も大人も買い物に行ってお目当ての物が売り切れていると、〈ない〉と嘆く。けれど、後にも先にも一切が存在しない、というのはどういう状態なのか。そんなものは本当はもう考えることができない。せいぜい、現にこの宇宙が存在していることを思い浮かべてから、言葉の上で、〈ない〉、とこれに添えてみるだけである。

ここまで考えれば、存在しているということが、実に当たり前であり、意味深長であり、どうにも言葉にならないことが、わかってくる。

というのも、今言ったようにそもそも言葉でしかない〈無〉を、更に言葉の上で否定することでしか、知性は、存在の意味を捉えられないからである。

ところで、このときに知性がしていることは、ちょうど、何もないある拡がりの中に、物体を置いて、あとはその拡がりに対する物体の位置変化を運動として捉えるのと、とても通ずるところがある。まず〈無〉があり、これを否定して物体が置かれ、こうして言葉の上だけで存在させられた諸物体の位置関係の変化が運動だと考えられているのである。

本当は、何もない拡がりというのは、無ではない。無なら、拡がりすらない。無を思い浮かべようとするのが、矛盾した話である。それはわかっていても、どうしても僕達は、無と言えば、物体を頭の中で消し去ることで残ったからっぽの拡がりを思い浮かべるほかにない。

要するに、拡がりの中で、物体が飛び交う単純な映像は、僕達にとって、この存在界、この世界の様子の、シンボルなのである。

物体の並べ替えで成る世界の様は、物体つまり存在の置き換えが利くことを、僕達に思い付かせる。自分は、あるいはこの世は、もっと別の状態だったかもしれないし、それどころか、存在などしないままであることもあり得たのだと。

今、自分が、この世が、存在しているのは、たまたまのことに過ぎない。ああ、自分も、この世も、もうどうなろうと構わない。たまたま生じさせられ、屈辱的にも、最後にはまるで最初からなかったもののように消滅させられるのが自分の人生なら、生きることに一体何の意味があるのか。

まあゼノンがこんなことを考えたかはわからない。けれど、空虚などない、という言葉が、ゼノンのものとして伝えられていることは、憶えておいてもいい。

ゼノンは空虚を受け付けなかった。そして、空虚な拡がりを前提して展開される、物体の位置関係の変化としての運動というものの人為性と危険性に気付き、パラドックスを駆使してこの運動を否定しようと試みた。そこにゼノンは、生きる意味のすべてを賭けた。僕にはそう思われたのである。

 

ちなみに、ゼノンのパラドックスと生涯向き合い続けた人がいることは、特記しておかなければならないだろう。それは十九世紀の終わりから二十世紀の初めに活躍した哲学者アンリ・ベルクソンである。

ベルクソンの著書の中でも主著と呼ばれる四冊には、まるで自らの思想を支える基礎を論述する上で絶対に欠かせないといった感じで、要所に来ると必ずゼノンのパラドックスについて大きくページを割いている。

最初の主著『意識に直接与えられたものについての試論』が一八八九年刊。『物質と記憶』が一八九六年刊。『創造的進化』が一九〇七年刊。最後の『道徳と宗教の二源泉』が一九三二年刊。これはもう、ベルクソンの思索人生は常にゼノンのパラドックスと共にあったと言っていい。

とりわけ、自分の哲学を推進する唯一の芯棒となっている〈持続〉の概念を摑んだきっかけを、後年、評論家シャルル・デュ・ボスに尋ねられたとき、ベルクソンはこう答えたと言う。それはまだ最初の著書『意識に直接与えられたものについての試論』を出す前のこと、赴任して間もないリセ・クレルモン・フェランで、黒板に向かってゼノンのパラドックスを生徒に説明していたときのことだった、と。

ゼノンはパラドックスに陥ってみせることによって運動を否定した。これに対してベルクソンは、運動こそが存在の本質と考える。ゼノンの議論を敵と見立てて、ゼノンがいかに運動の脱け殻しか扱っていないかを述べることで、ベルクソンは運動が本質的であることを語り得た。

それにしても、ゼノンの仕掛けた謎々に反論するにしては、ベルクソンはあまりに執拗に論じているのである。

ベルクソンとしては、変化や運動という移り行きが可能にしている〈持続〉を捉えることが、自分の思索の方法であり、自分の思想の核でもあったから、ゼノンの議論に対し、いくら反駁しても、し足りなかったのだろう。

でも、注意したい。ベルクソンが言う〈持続〉、あるいは原語のフランス語で〈デュレ〉という語は、その語感から言えば、維持されている、という意味だろう。それは、耐久性や堅さに通ずる語であり、どちらかと言ったら、〈不動〉の意に近い。案外、ベルクソンは、ゼノンと同じ〈不動〉を見ていたのではないだろうか。

ベルクソンは、置き換えたり、無にしたり加えたりが可能な、そんな、あってもなくても同じような存在ではなく、存在そのものを、維持し続ける力を、その意味で時間そのものを、摑むことを目指した。知性に抗して。人生もそしてこの世も結局あってもなくても同じではないか、と知性の発する悪魔の囁きに、ベルクソンは断じて抵抗した。

この戦いの、実は最も端的な現われを、ベルクソンはゼノンに見ていたのかもしれない。

 

ゼノンは幾何学的な位置関係の変化を運動と呼び、存在そのもののほうを不動と呼んだ。

これに対してベルクソンは、前者は変化と呼ばれてはいるものの、単に物の並べ替えをそう呼ばれているに過ぎず、全く本質的な変化でなく、突き詰めれば不動に過ぎない、と論じた。後者の存在そのものこそ、そこに身を置いてみるなら現在を超えて存在し続けようとする運動であり変化であって、時間を生じさせ、存在が自らを維持すること自体である、としてベルクソンは大いにゼノンの議論を論駁した。

が、自分を取り巻くこの世界が、後者であって、無意味な幾何学などでなく、あるべくしてある、とする点で、二人は全く同じものの見方をしていたのではないか。

ベルクソンにはよくわかっていただろう。

にもかかわらず、ベルクソンが一生を懸けてゼノンに対する反駁を行なっていたのは、なぜか。

ベルクソンは、存在を存在に帰した姿は〈持続〉だと信じた。これを言葉にするとき、本質的な困難がどうしても付き纏う。言語化は知性の働きである。ところが、知性の働きには知性の発生理由に基づいた傾向があって、〈持続〉を表現するようには、知性は出来ていない。

日常生活の能率を上げること、社会生活における共有物を作り、その使用を習慣化すること、それが知性の目的である。

一方〈持続〉は、心眼を開くにも似た精神の努力を経るのでなければ、取り戻せない。知性は、そんな〈持続〉を追うよりも、万人にとっての事実とされる幾何学的な位置関係の変化のほうに、あたかも信号に反応するかのようにして飛び付く。ベルクソンは、知性のこの傾向と戦ったのである。

知性はパターンを追う。持続を追うことを省略する。存在すること持続することに自分を引き戻そうとはしない。

だからベルクソンに言わせれば、知性に身を任せるとは、下り坂を下降するようなもので、彼は敢えてこの坂道を遡ろうとした。知性を鍛え直し、新たな知性に変身させようとした。

そういうときに、彼には、ゼノンのパラドックスというものが、知性の坂道をずり落ちるに任せた場合の思考の型に映ったに違いない。

僕には何だか、パラドックスを用いたゼノンの議論が、ベルクソンによる書き足しを待ちわびていたかのようにも思えて来る。

 

さて、ベルクソンが位置関係の変化との戦いを開始してから、約二十年後のこと。物理学者達は、重大な局面に行き当たった。電子の振る舞いと光子との関係に、初めて人類が分け入ったのである。

そこでは、力学で最も基本的な、粒子の軌道という概念を捨てざるを得なくなった。そうなると、それを微分して速度を定義することも、もはや不可能となった。

粒子の運動を辿ることは出来ない。それは、極微の世界の粒子を完全に捉えるまでには、まだ量子力学が発展途上の状態にあるから、というわけではない。極微の世界では、粒子を捉えて追いかけることが、本質的に不可能であると、量子力学は明かしているのである。

物質の究極の姿は、僕達がよく知る粒子なのでなく、もっと別の何かだということになる。粒子なのか何なのか、どんな状態なのか。しかし、それには、量子力学も答えてくれない。

観測装置によって特定してみれば、それは、僕達が知るこれまで通りの粒子の特徴を備えている。一個、ぽつりと輝点が記録されている。どうやら、観測という行為が、まだ見ぬ物質を粒子と化して、可視化したらしい。そこで量子力学は、空間の各位置に、粒子を取り出せる確率を計算することになる。

となると、またしても幾何学的な位置である。位置関係を記述するためのからっぽの拡がりが置かれることになる。微分方程式を立ててその解として、位置の関数を求めることがすべてとなる。

考えてみれば、物理学の世界に物質の概念がひっくり返る大革命が起こってなお、そこでの言語はニュートン以来の微分積分である。多分、この言語がまだ使用されているからには、量子力学が語り得るのは、結局、空間における各位置を占める粒子についてである。

飛ぶ矢は飛ばず、と言ったゼノンのパラドックスが蘇って来る。

僕達は、量子力学誕生後の今では、このパラドックスを笑えない。量子力学の微分方程式を解いた解である位置の関数も、観測をもし行なった場合に空間の各点それぞれに粒子を取り出す確率を表わしている。飛んでいる矢を、各瞬間の軌道上の一点で観測して、結局、運動を取りこぼすパラドックスと、どこが違うだろう。

位置は観測という操作と固く結び付いていることを認めなければならなくなる。と言うことは、もともと位置関係の幾何学である微分積分が、存在の中に引き入れてしまったのは、何よりも観測なのである。

観測によって取り出すことをしなかった場合には、粒子はどんな振る舞いをしているか。それを算出することは本質的に出来ない。

そもそも観測をして取り出さなければ物質は粒子であるのか。それにも物理学は答えることが出来ない。

観測とは実に功利的な操作であって、僕達の習慣的認識法となった知性の働きに合うように、存在を加工する。

自然科学というのは、客観的に存在を分析することを本分としているかのように見えて、加工という人為的な操作をモデルとした方法なのである。そんなはずがない、と言うのが尋常な反応であるのはわかっている。

けれども、詰まるところ、僕には、観測から抜け落ちる存在のほうが大切である。万人共有の知が発達すればするだけ、押し込められ、軽んじられるようになるある実感、つまり存在しているということについての直接な意識のほうが、僕には重要なのである。

存在していることの意味を問うべきは、空間にではない。そこには、かけがえのないものを知る手掛かりが悉く欠如しているから。

ならば、どこに問うべきか。

問うべき手応えを辿る旅の針路を、現在という空間を越えて取ろう。

 

 

 

バックナンバー

著者略歴

  1. 渡仲幸利

    1964年静岡県生まれ。随筆家。著書に『観の目』など。

キーワードから探す

ランキング

お知らせ

  1. 春秋社ホームページ
  2. web連載から単行本になりました
閉じる