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存在の手ごたえ 渡仲幸利

音楽の話

 

 音楽について話そうとすると、音とは反対の言葉、沈黙という語を用いたくなる。

 例えばアントン・ウェーベルンの音楽を聴けば、沈黙を構成しているかのようだと感想を洩らすといった具合である。

 もっと広く例を採ってみようか。

 雑踏にも沈黙を聴こうとすれば聴ける、と言えば、音楽と沈黙の結び付きを暗示するのに、なお、ふさわしいかもしれない。

 沈黙が聞こえて来たら、雑踏さえも音楽となる。

 音が、音楽としてあるためには、沈黙が聞こえて来る必要がある、とまで言って構わない。

 実のところ、今ウェーベルンに被せた沈黙という語も、決して、単に極限まで音を削り落とした音楽を、ウェーベルンの作曲の特徴だと説明するだけの言葉ではない。沈黙という一種の詩語は、それ以上の働きをしている。

 ウェーベルンはシェーンベルクに師事した。

 ウェーベルンがシェーンベルクのもとで初めて完成させた楽曲は、いわば卒業制作となった管弦楽曲《パッサカリア》である。それは紛れもない後期ロマン派の楽曲となっている。

 ずっと後に書かれた《ピアノのための変奏曲》などは、正に前衛的音楽の代表曲であって、《パッサカリア》は、これとは随分違った感じに聞こえる。

 でも、聴き較べてみれば、もともとウェーベルンの体質は、恐らく、この《パッサカリア》に表われているように、ワーグナー的な非常に豊かな音楽と切り離せないものだったと考えられるのである。

 もちろん、既に《パッサカリア》であっても、ワーグナーのような明朗でたっぷりとした和声とは、性質を異にしている。一音一音はクリアーだが、その響き合いは耳慣れない。

 それでも《パッサカリア》は、ワーグナーのあの、無限に続くかと思われる旋律、微妙に変化し発展し続けて主和音から身を翻らせ続ける和声を、思い出させずにいない。

 和声がこのまま展開の連続を突き詰めて行き、いわば音の裏側へと踏み出してしまったなら、遂にどうなるのか。

 《パッサカリア》が《ピアノのための変奏曲》誕生の秘密を解く鍵だ、と言っても、僕は全く言い過ぎだとは思わないのである。

 ワーグナーの和声、あのあらゆる終止形への帰着から身を翻し続ける音達は、なぜあんなにも美しいのだろう。

 それは、かつて美しく終止したあらゆる音楽を、もはや音であることを終えた沈黙の中で響かせているからだろう。聴く者の忘れ果てた過去のすべてが、沈黙となって曲と共に響くかのように。

 ワーグナーを聴いていると、西洋音楽の歴史の最高峰へ登り詰めた者による和声が響くのを感じる。

 沈黙の世界に迷い込んだ弦楽器がボンっと和音を発し、それが見る見る溶解し変容して沈黙に染み込んで行く。この圧倒的な音楽の力を感じて、僕は震えずにいられない。

 無限旋律が沈黙を揺さぶって進む。

 もしウェーベルンの音楽に沈黙という言葉がよく似合っているとしたら、ウェーベルンが、ワーグナーの音楽そのもののほうにではなく、それを包み込んだ沈黙のほうに、今後作曲を行なう場所を求めたからだろう。

 およそ音楽の本質は、音でなく沈黙のほうにある。ウェーベルンはそう見ていた、と僕は想像してみる。彼はまるで、沈黙という状態の設計図を描くかのようにして楽譜を制作していた。

 僕は極めて詩的な言葉として、沈黙という語を使っている。それは記憶と呼んでもいいかもしれず、僕にとってそれは、過去が蠢いている場所である。

 音楽がなかったなら、次々と新しく日常生活に急かされる僕は、日常のこまごまとした過去などはすっかり忘却の淵へ沈め、捨て去ったままにしただろう。

 過去は、自分で捨て去った自分の心だと言っていい。

 心は、捨て去った過去の存続である。

 ささやかな日常が本当は有しているかけがえのなさ、その場限りではない存在の存在たる性質は、現在に鳴る空気振動である音によりも、現在から零れた過去にあると、僕は考えたい。

 その場限りでやり過ごされる些細な事物のかけがえのなさは、事物が消えて過去と化すことで、初めて訪れる。それと同じである。音楽は沈黙を負うことで音楽となる。

 けれども、やはりこんな言い方では、余りに詩的すぎるだろうか。

 

 突飛だが、過去とも沈黙とも言わずに、代わりに、真空を考えてみよう。

 現代物理学の土台である場の量子論によれば、真空は、何も存在していない状態ではない。真空は、振動させると、そこに粒子が生成したり消滅したりする。

 つまり真空は、そこから粒子を取り出すことの出来る実に豊かな状態なのである。

 その場限りでない存在の存在たる性質は、現在に生まれたり消えたりしている粒子よりも、真空という現在化以前の状態のほうにある。僕は、場の量子論を、そう受け取っている。

 もちろん、以上もまた僕の詩的表現である。それは十分にわかっている。しかし、音楽とのこれほどの類比が見て取れる状態は、他にない。

 沈黙した過去を聞かせるという点で言うと、もしかしたら、同じシェーンベルクの弟子による作品の中でも、うっとりさせられることこの上ないアルバン・ベルクの《ピアノソナタ》のほうが、適例だったと考えられなくもない。

 でも、場の量子論による類推なら、ウェーベルンの《ピアノのための変奏曲》に、一層しっくり来ると思ったわけである。

 シュレーディンガーという名を聞いたことはあるだろうか。

 シュレーディンガーは、場の量子論の基礎を成す量子力学を建設した人物である。

 彼は一八八七年、ウィーンに生まれている。

 ウェーベルンは一八八三年に、ベルクは一八八五年に生まれたから、この新しい物理学の建設者と新しい音楽の建設者達は、同世代である。それも、三人とも同じくウィーンに生まれている。

 ちょっと不思議な気がする。

 いや、それどころではない。

 何と言っても、シュレーディンガーの波動力学は、ニュートン以来の物理学の歴史に一線を画した。音楽の世界でこれと完全に比肩する仕事をした者と言ったら誰だろう。

 ここはやはりシェーンベルクを考えなければならない。

 ウェーベルンとベルクの師であり、恐らく二人の最大の好敵手であり、二人の死のあとも生きたアルノルト・シェーンベルク。彼は一八七四年生まれである。しかも、同じウィーン生まれである。

 本当に、この時代のウィーンに一体何が起きていたのか。

 シェーンベルクこそ、シュレーディンガーが物理学の世界でしたのと同じ意味合いの仕事を、音楽の世界で成し遂げた人物だった。シュレーディンガーが自然への真の扉を探り当てようとしていたちょうどそのとき、音楽史上に一線を画する音楽を書き上げていたのが、シェーンベルクだった。

 その作品が、ウェーベルンやベルクといった革新的な音楽家へ影響を与えたのはもちろんのこと、二十世紀に活躍した作曲家で、シェーンベルクの影響を受けなかった者などいないだろう。

 そのせいか、十二音技法という作曲理論と共にシェーンベルクの名は記憶されている。作品以上に、作曲技法で、彼は有名になってしまったとも言える。

 が、シェーンベルクのピアノを用いた作品を全曲録音しているピアニスト、グレン・グールドは、シェーンベルクを、二十世紀最大の作曲家、と呼んでいる。二十世紀最大の理論家などでなく、と断って。

 もちろんシェーンベルクの作品を演奏した録音では、ズービン・メータが振る、テンポのいい《室内交響曲第一番》や、エサ=ペッカ・サロネンが振る、音が漂うような《弦楽四重奏曲第二番》の大編成ヴァージョンなどもある。

 ヘルベルト・フォン・カラヤンが振った《浄められた夜》は、もしかしたらワーグナーの曲以上に、リヒャルト・シュトラウスの曲以上に、後期ロマン派の権化の如き曲に仕上がっている。

 でも、そんな中でも、グレン・グールドの演奏は僕にとって特別で、聴いていると、シェーンベルクの作品に、これほど自分を籠めることが出来た演奏家はほかにいないと、少なくとも僕には思えて来る。

 これに加え、グレン・グールドには、シェーンベルクについての大量の文章がある。グールドは作家のように始終文章を書いていたと言われる。それこそあちこちに発表されたその文章から、死後、選んで編み上げられた著作集がある。そのうち、シェーンベルクを主題としたもの、シェーンベルクに触れたものの分量は、全体の半分を超えるほどである。

 それらはまるで、グールド自身の作曲理論を説明しようとするかのようでもあり、時にシェーンベルクに向かって、シェーンベルクだけがわかってくれそうなグールド自身の好みを要求して、不服を申し立てるかのようでもある。

 僕は以前、このグレン・グールドが弾くシェーンベルクに夢中になった結果、負けずに一冊、本を書き上げたことがある。それくらい、グールドが音と言葉で奏でるシェーンベルクの作品は、魂が音楽の極めて純粋な姿へと化身した痛切な音達に聞こえ、僕を動かした。

 さて今、存在とその現在化ということについて考えるのに避けて通れぬと思われて、僕は再び突き動かされ、久し振りにグールド演奏のシェーンベルクのCDを回している。

 最後の一音に到るまで、作曲し尽されている。

 この、アドルノの書いたシェーンベルク論中の言葉が、胸に沁みる。

 グールドがシェーンベルクを弾きまた書くことで訴えたかったことは、敢えて一言にしてみれば、この言葉に行き着くのではないか。

 シェーンベルクの作品を、後期ロマン派に属する音楽、無調性音楽、十二音音楽、新たに三和音を探る最晩年の音楽、などと分類して、シェーンベルクの技法の発展史を描くことは、専門家にとって、実にたやすいことだろう。でも、僕にとって関心があるのは、シェーンベルクの一生変わらなかった作曲への衝動である。

 いつでも彼は、一音に到るまで、作曲し尽さずにいられなかった。

 彼を動かしたものは、理論でも何でもない。音の勢いや惰性でもない。強いて言うなら歌の必然性が、最後の一音までこう歌えと彼に囁いていた。理論や惰性が搔き消そうとするこの歌に、彼は耳を澄まして続けた。

 彼を動かすそういう根源的存在が、彼にワーグナーの《トリスタン》を超えさせよう、ブラームス最晩年の《三つの間奏曲》を超えさせようとする。微妙でたっぷりとした和声で聴く者をめろめろにさせずにおかない初期の、声とピアノのための小品や、《浄められた夜》を、シェーンベルク自ら、突破して行く。

 ロマン派音楽の最高到達点が、彼の孤独な出発点だった。

 何かが、慎重に、徹底的に、避けられて行く。

 最後の一音まで作曲し尽すということは、いかなる瞬間においても根源的であろうとし、創造を止めないということになるだろう。

 聞き覚えのある旋律や和音を使ったり、お決まりの流れや響きに引き摺られたり、更にモチーフの展開とその構成が、歌われることなく強引になされたり、といった、感情という機械の空回りや知性という機械の暴走は、魂を足止めし、黙らせ、魂を閉ざされた状態にする。

 この閉鎖を、シェーンベルクは一生かけて突破し続けた。後期ロマン派の魂が、彼を介して行き止まりを突破し、生き続けたのだと言っていい。

 習慣的な耳、感情と知性の癖、そんな形を取っ払って、音楽は、かつてなく魂に迫った表現になった。

 が、そうやって身を晒した魂は、なんと孤独で、なんとつらく、なんと自由だったろうか。

 十二音技法は、自動的な作曲法ではない。自動でなくて自由に歌い尽くすときのシェーンベルクの、創造していることの手ごたえだったに違いない。彼の存在の奥底にぴたりと沿うこの手ごたえの得方を理論化してみたものが、十二音技法だったのだろう。

 潑剌として進む《ピアノ組曲》は、その手ごたえに満ち溢れている。

 この手ごたえの中から、やがて、お仕着せでない全く新たな調性が響き出そうとするのを、晩年のシェーンベルクは聴いたのかもしれない。ハ長調で書かれるべき音楽が、まだまだたくさんある。そう彼は口にしたことがあったという。

 調性の何たるかを、彼ほど知った人はいなかった。

 作曲は、想像可能な枠に音型を嵌め込む作業なのか。それとも、音を並べることそのこと自体から音楽が生まれ出て来る驚きへ立ち帰ることなのか。

 音楽の喜びは、恐らく誰の意識の底にも分有されている。きっと、意識という持続しているものは、音楽という持続の創造と一つだった。

 なのに、意識は振り返る。

 そして意識は、創造されて行くものよりも、変わらぬ型を見つけて、それを言葉や行動の向かう先とする。音楽が止まり、つまり消えるのである。

 ただしこれは沈黙ではない。

 振り返ったとき、音楽家達は、消えた音楽でなく、音楽の残り滓を見るだろう。停止した音楽の断面図を見るだろう。

 癖となった節回しや指使い。生活習慣の一部となったメロディーと響きの型。歴史と共に蓄積されて理論化された音型の総体。何ともせわしない。

 無論、これらは作曲のための大切な道具のはずである。

 それでもこれらは、これら自身の本体を過去に置いている。聴かれることを終えた過去と、残ったあれこれの形の騒々しさは、別である。聴くことに必ず伴う沈黙を、後者は欠いている。

 聴く努力を阻むものを騒々しさと呼ぶが、決まり切っていて、聴く努力を受け付けないものも、騒々しい。

 騒々しさが、その根源である創造的音楽を覆って、聞こえなくしている。

 そんなことはないよ、音楽は聞こえるよ、と言いたくなるところである。

 しかし、僕達が捉えるのは、案外、僕達の中に感情や意味や論理を作動させる合図としての音だけであり、音楽ではない。音楽を本当に聴くのは、難しい。

 どうしたらいいのか。

 シェーンベルクは、大切なはずの道具を、破ってみた。音楽を裏側から引き摺り出して、その歌を歌うためである。

 だから、シェーンベルクの音楽は、正面から聴くのはよくないと思う。真っ正面から聴いたら、音楽がまた硬い殻を作って、姿を隠す。

 例えば、いつか聴いた大事な音楽の、とっておきの感動の部分が、今度聴いてみると上手に聴き取れなくて、非常にもどかしい思いをしたことのある人はいないだろうか。

 ところが、全く別の作業をしていて、音楽に対して構えずに、思わず音楽の裏口から音楽に迷い込んでいるときがある。音楽という一点においてではあるが、忙しさに次々と押し流されるばかりの生活を超え出る瞬間である。

 シェーンベルクは、これまでの僕達の音楽を否定したのではない。彼はただ、誰もが持つこうしたふとした経験に、恐らく音楽の核をなす経験に、立ち帰ろうとした。

 言い換えるなら、存在の根源にも等しい音楽の正統な在り処に、自分の作曲の作業を重ねて共鳴させようとした。それだけだったのだろう。

 

 哲学者アンリ・ベルクソンは『創造的進化』という書物の中で、哲学とはどう見ても全体の中に改めて溶け込もうとする努力にほかならない、と書いている。

 実際、存在は絶えることのない変化である。だから存在は存続している。

 つまり存在するとは持続しているということであり、それは不断の変化でなければならなかった。変化しなければ同一のままであり、瞬間であり、そのままいつまで経っても瞬間を抜け出せない。

 本質的に変化しないものは、もはや存在することを終えた抽象的な符号に過ぎない。

 少しも高尚なものではない。

 僕達は過去の存続を忘れ果てて、抜け殻のような喧しい符合ばかりに、現に取り巻かれている。

 それでも過去は存続している。存在は沈黙している。

 存在することは一つの、いや唯一の運動だと言っていい。

 別の言葉で言うなら、それが生命だと、僕は考える。

 しかし生命は、この世界へ食い入ることを無数に試みるかのようにして、この世界の無数の部分に自分を預かってもらわなければならなかった。

 もうそれこそ、数え切れない数の有機体が、生命を預かって、時間空間の中に繰り返し現われては、消えて行く。僕はその繰り返しの中の一齣を生きている。

 なぜ、そういうことになっているのか。

 はっきりしていることは、僕はこの世の変化を分け与えられ、これを請け負って生まれて来た、ということである。

 重大な使命を実行する大切な身体を、この世界で的確に行動させて、維持し、発達させるためには、変化の中で振り返って見る能力が必要となる。それは、変化の進む向きから反転する能力で、知性と呼ばれる。

 知性が働いて、変化すなわち創造が振り返られ、止められる。

 変化が止められ、変化でなくなり、つまり変化が変質する。これが物質である。変化から物質が現われる。

 知性と物質は同時に現われるのである。

 これは、ベルクソンの最も大胆な発言の一つだと言える。

 『物質と記憶』で徹底的に分析された、過去とその現在化の事実、この世の一番根っ子となる事実が、『創造的進化』の中に花開いた感がある。

 ところで知性は、この世界で的確に行動するためのもの、そうすることで、この体を守り育てるためのものだった。

 どちらかと言うと、知性はいつも姑息である。

 知性を働かせることは、僕達の使命を果たすことと違う。

 僕達の使命は、飽くまでも、この世を変化させること、この世を持続させることである。

 とは言っても、この世の持続など、そんなことは自然に行なわれていることでないのか。僕達が与り知らぬことなのではないのか。

 いや、だったら尚更、僕達の使命は、自然の生命に、改めて推参することのはずである。

 この世の後戻りや停止や事故、悪習、悪癖、機械的な感情、知性の暴力を、それら一つ一つの源へ丹念に遡ってみなければならない。僕達に預けられた個々の生命を、自然の生命に重ね合わせなければならない。

 言い換えれば、現在化する以前の過去の中へ、過去の存続の中へ、耳を澄まさなくてはならないのである。

 なぜ、自然は、生命をわざわざ一個一個の生命体に預けておいて、こうして改めてそれらに本体へと立ち帰らせるというやり方をするのだろう。

 この理由を答えることが、生きる意味を摑むことになるはずである。

 

 ふと思い出すことがある。

 光より速いものはない。

 どのようにして光は伝わって行くのか。

 光の正体は電場と磁場なのだが、面倒なことに、電場が生じるという空間の変化によって磁場が生じ、磁場が生じるという空間の変化によって電場が生じ、電場が生じるという空間の変化によって磁場が生じ、という具合に、絶えず新しく作られながら、電磁波は伝わって行く。

 光は、こうして生じる電磁波なのであり、電場と磁場が互いを生み合う現象なのである。

 一回生み出されると、あとはそれが飛んで行くだけ、という直接的な現象なのではない。繰り返し次々と生み合うからこそ、光は一番速い。

 もちろん、こんな譬えで、僕達が一人一人生命を預かっている理由も、何代も何代も代を重ねて生きて行くことの理由も、わかるはずがない。

 しかし、一人一人が生命を預けられているのには、絶対に理由があることは、頷ける気がして来る。

 使命ははっきりしている。それは存在の持続である。そして、持続させるためには、絶えず創造し直さなければならない。

 単に何かある大きな弾みが最初に起こって、その弾みによって全宇宙が成長させられて行く、というやり方では駄目だったのである。

 少なくともこの地球上では、弾みが、僕達有機体一個一個に分けて預けられた。

 僕達は、弾みの欠けらによって生かされると共に、弾みの欠けらを、一生かけて創造し直す。

 こうして僕達が生きることは、宇宙に自分の人生を加えて宇宙を持続させることである。

 それは宇宙の生命とでも言うべきものを増幅させることである。自分のために、全存在のために、自分の生命をもっと大きな弾みに、生命の正統に重ねなければならない。

 当然、こんな雲を摑むような話を念頭に置いて生きることに、なんのリアリティーも見出せないだろう。

 けれども、僕達には、共感という武器がある。

 本能の働きを煮詰めれば、共感という超能力が取り出せないか。

 パターンを好み、物と物の関係を見て、存在を、変質させて関係へ嵌め込む働きが知性である。だとするなら、本能は特定の物とだけだがそれが存在していることと共感し、物のただなかへと入り込んで、物を自分の体の一部とする働きである。

 もしも、関係を追う知性の、特定の物の存在に釘付けされない働きを頼りに、共感が、対象の範囲を拡げて働くことが出来たなら。

 いや、もしもではない。僕達は、それをやってのけている。

 なんら特別なことではない。僕達にとって、共感の対象は、人生以外にあり得ない。自分と同じように、生命を預けられた存在へと、共感はどうしようもなく拡がる。そうやって摑んでいる大切な存在を失ったとき、僕達は我が身を引き裂かれる思いをする。これが本能を超えた共感の証拠でなくてなんだろう。

 偉大な魂の持ち主達は、こういう強烈さを以って、全存在の、宇宙の、巨大な生命に、自らの生を重ね得たのだろう。

 しかし、僕だって、対象の範囲はいくら狭かろうとも、僕にとってかけがえのなかった一つの人生に共感し、涙したことがある。その質において、どんな偉大な魂の持ち主が行なった共感にも、劣るはずがない。

 宇宙が、巨大な生命一つで育つやり方を採らず、僕達一個一個にその生命を預けて、育てさせた理由は、僕達に、つらくともこういう共感をさせるためだったのではないか。僕達を、切実に生命へと立ち帰らせようとしたためだったのではないか。そう思われる。

 例えば僕は、僕個人の人生を、失われてなお眠れぬ夜を襲う一つの手ごたえある生、亡き母の人生に重ねずにいられない。

 きっとそのとき僕は、僕の日常を超えて、命の意味を、存在する意味を、問うている。

 誰もが生きては死んで行く。何代にもわたる先祖の生き死にに、僕は身を置き直さなくてはならなくなる。

 僕達は、日常生活に追われて、ついつい、一個一個で自足して存在していると思い込む。

 これは、僕達一個一個が拡げる小さな宇宙内での意識の様子を示唆しているが、この小さな意識を超えて、宇宙という巨大なものの持続に伴うある意識があるのではないか。

 そう考えないと、各有機体が、各々の脳を発達させることによって、大脳内で燐光を立ち昇らせるようにして醸し出すのが意識だと、信じ込まねばならなくなる。その発生のメカニズムも、またその発生の目的もさっぱりわからないまま。

 もっと次元の異なる意識が、言い換えるともっとリズムの異なる意識が、宇宙にはある。僕達は、巨大な意識の中で、振り返ったのである。

 各有機体は、有効な行動をとるために、リズムを延ばしたり縮めたり、部分的に止めてみたり、反転させてみたりする。これによって世界の部分部分に、パターンと関係が見出され、世界はその関係の中に嵌め込まれる。

 有機体にとって、世界はそんな存在である。

 これは、もとはと言えば、生命を預けられた生き物が、預かりものを守り育てるために、なるべく上手に行動をとる必要があったからに違いない。だからこれは、大きな生命によって望まれていたことのはずである。

 しかし、種はどれもこれも、大きな生命からの力が自分を通り抜けずに、あたかも自分のところで停止しているかのように、生きている。

 大事なものを預かっているとは考えない。みんな自分のためにしか生きない。

 仮に、大きな生命はわからなくてもいい。身近の、自分でない生命に、自分を重ねてみること。

 それが、僕達が踏み出す第一歩となると思う。そうしなければ、命が、存在が、僕達には腑に落ちないままである。

 なるほど、自分が現に備えている官能を通さずには、僕は、何一つすることが出来ないが、僕が存在しているのは、官能に応えるためではない。

 

 「芸術の目的は、アドレナリンを一時的に放出させて神経を興奮させることではなく、驚嘆と静謐の心の状態を少しずつ、一生をかけて作り上げていくことである。」

 これはグレン・グールドの言葉である。

 この言葉通りの音楽家像を彫琢するかのように、グールドは自分の信じるシェーンベルクの楽譜を、ピアノと録音機材を使って再構築した。

 もう、シェーンベルクに敵う作曲家といったら、晩年のベートーヴェンと、そして大バッハぐらいのものだとグールドは思っていたことだろう。

 そう。シェーンベルクの二百年先輩には、ヨハン・セバスティアン・バッハがいた。

 グールドは、音楽を、ポジティヴな前景とネガティヴな後背とで成る、と考えた。彼はバッハに開眼した日のことを、ある講演で話して、ポジティヴな音楽は、雑音に邪魔されて搔き消されたとき、却ってネガティヴな存在の光に包まれて、いつもよりも響き始めた、と言っている。

 グールドはまた他の論文で、こんなふうに書いている。バッハの作品には、去り行くものの気配が全体に行き渡っている、と。

 動機と転調の関係を求め続けるバッハの旅は、現在化することを避け続ける偉大なる迂回だったのだろう。

 超時代的性向を持つ音楽家、とグールドはバッハを形容した。

 けれど、人間バッハは、どのように自分の現在を生活していたのだろうか。

 バッハは現代でいえば世界的ピアニストのような存在で、鍵盤楽器の演奏家として当時のヨーロッパで知られていた。

 ただし、バッハは聖トマス教会のカントルだった。この点では、現代のピアニストの生活とはだいぶ異なる暮らしをした。

 日曜日の礼拝のため、毎週、カンタータを書いては楽団にそれを指導し上演することを続けた。

 一見、自分自身の時代に完全に取り込まれて生きた、と言っていいくらいである。時代に、日常生活に、こきつかわれるようにして生きたとさえ見える。

 音楽を家業とするバッハ家に誕生した彼は、家族のためにクラヴィーアの練習曲も書かなければならなかったし、なにより、自分の音楽修行として、幅広くあらゆる楽器のあらゆる形式の音楽を吸収し書いた。書きに書いた作品は残っているだけで千百曲。そこには、上演に数時間かかる大曲もいくつか含まれている。

 バッハには早く亡くなった子も入れて二十人の子供がいたから、自宅での仕事も、かわいい歌声、楽器をいじる音、笑い声、鳴き声、喧嘩する声、走り回る音、そんな中で進められたのではないだろうか。

 また短気な彼は、外ではいつも揉め事を抱えていた。

 もう心身ともに日常生活の雑事に取り囲まれていた。

 そういう雑事の中で、あの《マタイ受難曲》も書かれて行ったのである。

 これは古今の音楽のうちの最高傑作である。

 導入とともに、イエスが、自らが打ち付けられるための木の十字架を背負わされ、殴られ鞭打たれ石を当てられた体中の傷から血をこぼしながら、足を引き摺り引き摺り、歩き出す。

 以後、この三時間の大曲は、イエスのそんな重い歩みに貫かれて行く。かつて、人間が存在することのあらゆる雑事をたった一人で背負い、それらと共に大いなる生命に向かって身を重ねようとした人がいたのである。

 人間には、めいめいの雑事があり、それを離れることは出来ず、それを除いて生活はない。僕達は誰もがユダである。持続している大いなるものを、堰き止め、反転させさえする。

 僕達は、そうして雑事の中に取り込まれるしか、生きるすべを持たない。

 しかし、これらの雑事がかけがえのないものとなるのは、自分の固い個が崩れ落ちる経験をして、自分のものでない誰かしらの生命に激しく寄り添おうとしたときだろう。

 あなたのもとにいさせてください。

 そうコラールは歌われている。この言葉はそのままバッハの作曲の技法でもある。

 曲の持続は、反転するし、足を引き摺ってもいる。そこに最高の秩序と複雑さが現われる。と思う間にそれを上回る生命に貫かれる。

 大きな創造力が片時も止まらず曲を支えているのが看取される。それが看取されればされるほど、雑事がそれぞれ何物にも代えがたく強くはっきり鳴り響く。

 人一人の命とは何か。何のために人は生まれ、生きるのか。存在するとは、一体何なのか。

 

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著者略歴

  1. 渡仲幸利

    1964年静岡県生まれ。随筆家。著書に『観の目』など。

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