序論
私たちが生きているこの世界は、一方では強烈な国家主義と国民主義によって囲われている。アメリカ合衆国が自国第一主義をかかげる大統領をいだき、ヨーロッパ諸国、そして日本でも、それに同調し自国第一主義をあからさまに主張する政治家たちや言論人たちや市民が目立って増えてきている。国家の正規メンバーとされる「国民」だけが権利を享受すべきであるというわけだ。
他方でこの世界には、移民や難民が溢れている。すなわち、よりよい労働条件を求めて動く移民と、戦争や災害によって故郷に暮らすことができなくなった難民とに関するニュースは絶えることがない。そして、移民と難民とに区分することのむずかしい移住者も多岐にわたる。植民地支配に由来するいわゆるオールドカマー、過疎を背景とした国際結婚ビジネス、研修や実習やさらに留学を名目とした事実上の労働移住、そして密航や不法入国や非正規滞在。
今後の連載のなかで具体的に見ていくことになるが、人類は古来から移動につぐ移動を積み重ねてきたとはいえ、1990年代のいわゆるグローバリゼーション以降のさまざまな移動には、目をみはるものがある。おそらくは、国家主義・国民主義の強化と、さまざまな移住者の増加とは、一つの出来事の両面をなすものであり、国民が移住者らに苛立を募らせたり不安をかき立てられたりしたことが、排外主義とあいまって自国第一主義をかかげることに繋がっているのではないだろうか。
こうした移住者が増加する傾向は「ディアスポラの時代」と呼ばれることがある。
「ディアスポラ」とは、ひとまずはある民族集団の国境を越えた「離散」、あるいはその「離散した民」を意味するものとされる。この言葉が、人文社会科学のなかで広く使われるようになったのは、英語圏では1990年代以降のことであり、日本語圏ではその影響が浸透してきて2000年代に入ってからのことである。ちなみに、『叢書グローバル・ディアスポラ』(全6巻、明石書店)は2009年からの刊行であり、『移民・ディアスポラ研究』(既刊は6冊、明石書店)も2011年からの刊行である。かく言う筆者も、「ディアスポラ」用語の理解と普及に努めた一人であり、タイトルに「ディアスポラ」を含む書物を2008年以降、研究仲間たちと5冊ほど刊行してきた。
英語圏で1990年代から「ディアスポラ」が広く使われるようになったのは、明らかに東西冷戦の終焉と、それに連なるグローバリゼーションのもとでのことであった。すなわち、資本主義陣営(西)と共産主義陣営(東)という世界が二分され固定化された状態が、共産主義側の中心であったソヴィエト連邦および東欧諸国の共産党政権の崩壊によって終わりを告げ、世界が資本主義のもとで一元的になったこと。そこに、人・金・物・情報の移動スピードが世界全体で飛躍的に高まったことが加わって、「グローバリゼーション」と呼ばれる現象が生じたのであった。人の移動、すなわち、合法・不法を問わず移民労働者が増加した。ちなみに日本においても、1990年に事実上移民労働を認めた(いわゆる「日系人」に限定したものであったが)出入国管理法の改訂があったことが特筆されるべきである。
さらに冷戦の崩壊は、それまで冷戦の名のもとに二次的なものとして封じられてきた各地の地域紛争の封印を解くことともなった。たとえば、旧社会主義政権によって連邦制がとられていたユーゴスラヴィアでは1991年以降、各共和国が分離独立を主張し内戦に突入、いくつか複合する戦線で20数万人という死者と400万人ともされる難民を生み出したとされるが、その全貌はいまだに把握されていない。たとえば、アメリカ合衆国がかつて支援してきたイラク・フセイン政権に対するアメリカ主導の多国籍軍による1991年の湾岸戦争および2003年からのイラク戦争によって、70万人ともされる死者と400万人以上と推計される国内・隣国への難民が生み出された。さらに、米ソがともに1979年から介入し代理戦争が続いたアフガニスタンでは、2001年からやはりアメリカ主導の多国籍軍によるアフガニスタン戦争が引き起こされ、ピーク時では800万人とも推計される難民を国内外に発生させた。最も記憶に新しいであろうシリア内戦では、アメリカとロシアと近隣諸国の介入に加え、「イスラーム国」勢力の台頭により複雑な「国際的内戦」となった。長期化・大規模化した紛争の結果、50万人近い死者と、ピーク時で約500万人の国外難民、約800万人の国内避難民を生み出した(総人口2200万人の過半数だ!)。さらに数多くの地域紛争をリストに加えることができよう。
こうしたポスト冷戦期のグローバリゼーションのもとでの移民・難民の新しい局面が、ディアスポラ概念の使用を広めることとなったと言えよう。というのも、一般に経済目的での自主的な移動とされる「移民」と、戦争や災害のために不本意に移動を強いられる「難民」とを、同時に収めることのできるカテゴリーが求められたためであった。
だが、じつのところ、ディアスポラの概念化には前史が存在する。これについては、筆者と共編・共訳をしてきた赤尾光春氏と何度か論じてきたことではあるが、ここで簡潔に整理し直しておこう。
こうして「離散の民」を一般に指すようになる前に、ディアスポラというのは、もっぱらユダヤ人の離散を指す言葉であった。これはどの英語辞典でも日本語辞典でも確認できることだ。だが、そもそもこの言葉は、ユダヤ教の概念でもなければヘブライ語でもない。ギリシャ語である。これは古代ローマ帝国の時代に、ギリシャ人が帝国領の各地に離散して点在していたことを指す言葉であった。「ディア」=「あちこちに」、「スポラ」=「散らばっている」という意味だ。他方で、古代ユダヤ教徒たちは、度重なる捕囚と王国の滅亡というユダヤの民の苦難を、「神による罰」であると宗教的に解釈した。人間の傲慢さが神の怒りに触れ、国を滅ぼされた、したがって、神に赦されるかどうか、贖罪は神の意志のみによる、という考え方だ。これがいわゆる「終末論」である。つまり、ユダヤ教における民の離散は、たんに越境的に散らばっていることを意味するのではなく、第一には「神罰」なのであり、その形態は「亡国」なのである。これをヘブライ語で「ガルート」と呼んだ。
このガルートがディアスポラに変換された過程は、ヘブライ語聖書のギリシャ語への翻訳にあり、そこから「ユダヤ人=ディアスポラの民」の呼称が生まれた。だが、ギリシャ語聖書で即ユダヤ・ディアスポラ説が広まったわけではない。この時点では、ディアスポラは充てられた訳語であって、その意味合いはなお神罰=亡国であった。この原義が抜け落ち、たんなる「離散」へと変換されたのは、まさにこの神罰=亡国を終わらせる政治運動が、すなわちユダヤ人国家を建国することで亡国状態を終わらせようという、いわゆるシオニズム運動が展開されるなかでのことであった。 シオニズム運動というのは、ヨーロッパ各地に国民国家をつくろうという19世紀の近代ナショナリズムの時代に、マジョリティのキリスト教徒から見た異教徒たるユダヤ人に対する迫害が強まり、そのあおりで「ユダヤ人も民族集団として独自の国家をもち国民になるべきだ」という思想から発生したものである。これは端的に世俗的なナショナリズムであって、宗教的な神罰とは無関係である。というのも、神罰が神罰であるかぎり、それを赦すのも神にほかならないからであり、王国の復活によって亡国状態が終わるのかどうかも、神の意志によるしかない、というのがユダヤ教の立場であるからだ。人為的な政治運動による国民国家の建国など、非宗教的であるどころか、神に対する冒涜であり、反宗教的とさえ言えるものである。
だからこそ、ここで翻訳のズレを利用した意味の変換がおこなわれたのであった。すなわち、ユダヤ人の亡国状態は、地理的な離散を意味する「ディアスポラ」なのだから、離散の民が結集して国家を建設すればディアスポラを終わらせることができるのだ、と。神罰としてのガルートであれば、神の赦しによってしか終わることがないが、地理的離散のディアスポラであれば、建国と結集によって終わらせることができる。したがって、ユダヤ人のディアスポラというのは、そもそも最初から「否定すべき状態」なのであり、それゆえユダヤ人国家を目指すシオニズムは「ディアスポラの否定」とも呼ばれたのであった。
そうしてこのユダヤ・ナショナリズムは、1948年にパレスチナの地にユダヤ人国家としてのイスラエルを手に入れることになったのだが、これで本当にディアスポラを終焉させることに成功したのかと言えば、話はそう単純ではない。というのも、あいかわらずユダヤ人は世界中に暮らしており、逆に、イスラエル国内には先住アラブ・パレスチナ人や非ユダヤ系移民が暮らしているからだ。この点については、今後の連載のなかで詳論することにしよう。
このように、ディアスポラ概念は、古代ギリシャ人離散から始まり、ギリシャ語訳聖書での亡国のユダヤ人へ、シオニズムに否定される離散ユダヤ人へ、民族の離散一般へ、と転用されてきた。とりわけ、ディアスポラが、辞書の定義のように、そのままユダヤ人の離散を意味するかのような定冠詞付き大文字のthe Diasporaから、世界中のさまざまな越境的存在を示す小文字複数形のdiasporasへと転換したことが、現代世界のなかでもっとも大きな意味をもっただろう。ユダヤ人に独占された亡国離散のディアスポラから、普遍的な越境民としてのディアスポラへ。これは否定的な意味合いから、肯定的な意味合いへという転換なのだろうか。
たしかに、ここまで見てきたように、ユダヤ人のディアスポラはあらかじめシオニズム(ユダヤ・ナショナリズム)によって解消されるべき対象として設定されていたという点で否定的であったし、1990年代以降のグローバリゼーションの時代に小文字複数形で語られるようになったディアスポラスは、従来の国境の枠を越えて移動の自由性が増したという点で肯定的でありうるだろう。「希望のディアスポラ」とはそういうことなのだろうか。
だが事はそう単純ではない。というのも、グローバリゼーション時代の経済移民は、絶望的なまでの経済格差が生み出したという側面もあるだろうし、ポスト冷戦期に各地で勃発している紛争・戦争が生み出した大規模な難民(その背後には膨大な数の死者もいる)もまたディアスポラの時代を形成する主要素だからである。さらに言えば、ディアスポラの時代は、国境を低くしただろうか?排外的ナショナリズムを弱めただろうか?答えは明確に否である。それは、アメリカ合衆国トランプ政権が邁進している隣国メキシコとの国境での分離壁建設や、中東地域のムスリム(イスラーム教徒)の入国禁止措置にも象徴されているし、欧米だけでなくここ日本でも吹き荒れている「ヘイト」つまり人種差別的憎悪にも見て取ることができるだろう。ここ数年では、シリア内戦(「内戦」と言うにはあまりにも外部勢力の介入と国際社会の無作為が甚だしい)にともなう難民の急増と、その一部のヨーロッパへの流入が、ヨーロッパ諸国に「難民ショック」をもたらし、難民のたらい回しや排斥運動が頻発したことも記憶に新しい。
だが、日本でその実感がないのは、日本の場合はそのはるか手前でそもそも難民の受け入れをほぼ完全に拒絶しているからである。難民申請に対して難民認定を受けられた割合は、ゼロ・コンマ数パーセントで、その少数第一位も四捨五入すれば事実上ゼロなのだ。世界三位とも言われる経済大国(長期停滞や構造不況や格差社会が言われようと、断固として世界の経済大国である)が、迫害を逃れて希望を託してきた難民に対してなんと冷酷で閉鎖的であることか。その与える絶望は想像にあまりある。
ディアスポラは、国境やナショナリズムを無効にするのではない。むしろその存在は、ナショナリストを警戒させ、身構えさせ、防衛的にかつ攻撃的にさえさせるのである。かくしてディアスポラの時代は、ボーダーレスな希望に満ち溢れるのではなく、憎悪と絶望とが渦巻く時代となってしまっているのである。
希望を語る前に、まずはこの絶望を見つめ直さなくてはならないだろう。だから、この連載は、そのタイトル「希望のディアスポラ」に反して、絶望を語ることに費やされることが多くなるだろう。それは必然的にそうなるのだ。むしろ安易で無根拠な希望を語るほうが罪深いのではないか、とも思う。あたかもどんどん国境や国籍が無意味になっていくかのような未来を語ったり、リベラル派を自任する知識人が自分はナショナリズムとは無縁だと吹聴したり。しかしそんな態度をとったところで、世界では国家が、国境が、人間を取り込んだり排除したりしている現状がある。その暴力性は、露骨に勢いを増して人間に恐怖を与えて国家に服従させたり、あるいは不可視化されながらより複雑に人間を国家に搦め捕ったりしているのだ。
しかし、だからと言って、ただ絶望を語ろうというわけではない。希望は、絶望の先にある。いや絶望の先にしかありえないものだ。人びとは、国家と闘い、国境を強引に乗り越え、あるいは国境を巧みにくぐり抜け、ときに見棄てられ、殺されさえしてきた。レイシストら、排外主義者らに追われ、ときにヤツらと闘い、そして傷つけられ、それでも生き延びようと必死だった。英語にdesperateという言葉がある。これは、「絶望的な」という意味と同時に「必死な」という意味をももつ。絶望的であることと必死であることとは通じているのだ。そして必死になるのは、絶望の淵からかすかな希望をつかむためにほかならない。本連載では、いくつもの絶望を通して希まれな望みを見出そうと思う。
本連載は、二部構成で進められる。第一部が日本・東アジア編であり、第二部が欧米・中東編である。まずは自らの足下と、そして近隣から話を始めたほうが、世界規模での理解に着実に進めることができるのではないかと考えたからである。そして、第一部、第二部はそれぞれが四章で構成される。内容は、いまのところ以下のように考えている。
序章(=本稿)
第一部 日本・東アジア編
第一章 近代国家の成立と「日本人」
第二章 開拓移民、日本脱出
第三章 植民地・ポスト植民地
第四章 日系人移民、技能実習生
第二部 欧米・中東編
第一章 移民・難民の受け入れと排除(独・加 対 英・米)
第二章 「ヨーロッパ=キリスト教圏」の幻想と融解
第三章 サイクス・ピコ協定の分割から100年
第四章 労働経済から見たパレスチナ/イスラエル
終章 国家と国籍の行方
第一部の日本・東アジア編の第一章では、そもそも「日本」という枠組み、「日本人」というアイデンティティがどのように成立し変化してきたのかを再考する。「日本(人)」は歴史的な生成物である以上は、過去から未来まで不変であるはずがなく、また変転する以上、不均質で多様なものであるはずだ。ナショナリズムの語りから隠蔽・抹消されてきたものを露呈させ、その異質性ゆえに否定されたものを肯定的に描き直したい。
第二章では、日本を飛び出した人びとの系譜を辿る。明治元年とともに始まる開拓移民の行き先は、ハワイから北米、中南米、満州へと移っていった。日本の近代化とともに崩壊して貧困化していく農村の人びとと、他方で都市に溢れる労働者・失業者たち。そして日本に絶望して脱出する人びとはこの21世紀にも少なからず存在する。過去に、現在に、それでも希望を見出そうと日本脱出をした先で、はたして楽園を見つけられたのか。
第三章では、日本の植民地支配と、それがもたらしたポスト植民地主義的状況を考察する。明治政府が成立してからの海外膨張は、1870年代の北海道と沖縄への侵攻・領有から始まる。その後、台湾を、朝鮮半島を植民地化し、「国土」化したが、第二次大戦の敗北でその両植民地は放棄した。国境線はどんどん変わり、国籍・国民概念も変化している。しかも、人びとはつねに移動しているため、線引きをし直したところで、人間的な多様性は増しこそすれ、元の状態に戻ることはない。
第四章では、日系人労働移住者と、技能実習生という名の労働者を考える。なおも労働市場を海外に開いていない日本には外国人労働者は存在しないことになっているが、いくつかの抜け道がある。それが「日系人」を移民ではなく帰還とみなして労働移住を認めた法改正と、労働ではなく技能実習という名目でしかし実際には完全に低賃金労働者として農漁業や工場で雇用する制度だ。だがこの抜け道は、希望となっているのだろうか。
第二部の欧米・中東編の第一章では、欧米諸国の移民・難民の受け入れと排除について分析する。対照的に映るのが、受け入れに積極的なドイツとカナダの政策と、代表的な移民国家であったにもかかわらず排外的に変化しているアメリカ・イギリスの政策だ。この違いは何に由来するものなのか。たんに前者を礼賛し後者を批判するという短絡に陥らず、それぞれの利害や論理や心理を解明したい。
第二章では、世俗的民主主義をタテマエとするヨーロッパ世界が、事実上はしかし、キリスト教世界であるという本音をもっているがゆえに、排外主義を発生させていることを考察する。EUが脆弱な東欧諸国を次々と加盟させながら、経済関係も軍事関係も強固につながっているトルコの加盟を断固拒絶しつづけているのはなぜか。歴史的にも関わりの深いムスリムが何世代たっても「よそ者」扱いされるのはなぜか。
第三章では、中東世界の混迷をその起源から考える。そもそも中東の諸国家体制は、広大なオスマン帝国が第一次世界大戦で敗北し、イギリスやフランスなどによって分割され(サイクス=ピコ協定)、恣意的に線引きされたことに端を発する。人造国家は独裁者を跋扈させ、反乱を引き起こし、無数の屍と難民を生み出した。中東諸国の民主化の立ち後れが非難されるが、そもそもの分断が再考されるべきではないのか。
第四章では、労働経済からパレスチナ/イスラエル問題を考察する。「ユダヤ人国家」を自任するイスラエルは、しかしその労働力をアラブ・パレスチナ人に頼ってきた歴史がある。ヨルダン川西岸地区とガザ地区とは、安価な出稼ぎ労働者の供給源であった。だが、二度の民衆蜂起(インティファーダ)は反パレスチナ感情を引き起こし、代わりに外国人労働者の導入に転換する。内部から崩壊する純ユダヤ人国家の理想と現実を見極める。
第一部と第二部を総観したところで、終章として、国家と国籍の行方を考えてみたい。近代国家の裏側には、つねにディアスポラたちの大小の闘いがあった。それは目に見える反乱であるだけでなく、密やかな越境という生き残りの闘いであったりもした。いやむしろ、移動が日常であったところに、後から政治的な線引きがなされたために、それが命がけの「越境」になってしまったケースもあろう。あるいは、先住民(その地の主人)であるはずなのに、線引きや入植によって、「マイノリティ」となり、「よそ者」にさせられてしまったケースもあろう。「よそ者」にさせられてしまったがゆえに、離散を強いられディアスポラの徒となったケースもあろう。そうしたディアスポラの存在を国家の異分子と見るのではなく、むしろディアスポラを視点の中心に据えて国家や国籍といった制度も含めて世界を逆照射してみたら、どのように見えるだろうか。ディアスポラは当たり前に見えている世界を異化する視点になりうる。そのときようやく、「絶望」のなかから「希望」が見出せるのかもしれない。
ハミド・ダバシというイラン出身でアメリカ合衆国に在住している批評家がいる。イスラーム研究、イラン研究を基盤にしつつ、文化論、映画論、メディア論、アメリカの中東政策批判など、幅広い言論活動をしているが、アメリカ内部からの中東・イスラームの視点をもった批判的発言として注目されている。ダバシが留学で渡米したときのイランでは、戦後にイギリス・ソ連から独立した国民戦線の政権が米英の介入によって打ち倒され、パフラヴィー朝の傀儡政権となっていた時期であり、渡米後にそれを打倒するイラン革命が起こり体制転換がさらに重なった。
そのダバシがモットーとしているのが、「異郷にいながらノット・アット・ホームもくつろぐアット・ホームこと」あるいは逆に「故郷にいながらアット・ホームもくつろがないノット・アット・ホームこと」である。どういうことか。ダバシにとっては、第一にはイランが故郷であり、アメリカ合衆国が異郷であり、彼はそこを越境してきたいわゆる「亡命知識人」である(しかし、在米期間のほうがイランで過ごした時間よりずっと長くなり、アメリカが故郷に、イランが異郷に、逆に感じられる瞬間がないとも言えないだろう)。彼にとっての亡命エグザイルとは、たんなる根無し草ではなく、また一方の国家に帰属意識をもって他方の国家を憎んだり無視したりするのではなく、どちらの国家に対してもコミットしながら批判的距離を保つ、そういうあり方を指す。故郷にいてそこに完全に同化してしまうことも、異郷にいて一切溶け込まないことも、亡命知識人のとるべき態度ではない。「異郷にいながらノット・アット・ホームもくつろぐアット・ホームこと」あるいは逆に「故郷にいながらアット・ホームもくつろがないノット・アット・ホームこと」、この視点をもつことができたときに、私たちは私たちを閉じ込める国境を乗り越えることができる。ダバシがイランとアメリカを見つめる視点だ。ここで「亡命エグザイル」は、「ディアスポラ」と読み替えてもいいだろう。ディアスポラの視点から得られるものとは、こういうことではないだろうか。
ダバシはこの概念を、同志であり同僚(コロンビア大学)であったエドワード・サイードから触発されて用いている。サイードは、パレスチナ・エルサレムの生まれで、1948年のイスラエル建国による直接的な難民ではないが、イスラエルの建国によって西エルサレムが占領され故郷を失っている。そして異郷たるアメリカ合衆国で学生以降の人生を過ごしその生を終えることとなった。まさに自身が亡命知識人として、幾度も亡命知識人の果たす重要な役割を論じた。その代表的なものの一つである大著『亡命エグザイルについての省察』に収録されている表題論考で(日本語訳では「故国喪失」としている)、サイードはドイツのユダヤ系哲学者のテオドール・アドルノを引用している。「故郷=家アット・ホームでくつろがないノット・アット・ホームことが倫理の一部なのである」と。アドルノもまた、ナチス政権時代にドイツからアメリカへと亡命しているときに、この言葉を記した。アドルノはナチスに故郷を追われたが、亡命先のアメリカ合衆国の産業化された消費文化に馴染むことができず、戦後にアメリカをも離れた。サイードはこのアドルノの弟子を自任し「ユダヤ系パレスチナ人」であるとさえ述べたことがある。
サイードは言う。「アドルノ流に、故郷=家ホームから一歩離れて立つのは、亡命者エグザイル特有の超然とした態度でそれを眺めるためである。亡命者は知っている。世俗の偶発世界では、故郷=家ホームは一時的なものであることを。境界や障壁は、馴れ親しんだ領域という安全圏に私たちを閉じ込めるものであったが、牢獄にもなりうるし、しばしば、理由や必然性などおかまいなしに、守りとおさねばならないものとなる。亡命者は境界を横断する。思考と経験との壁を壊す。」
パレスチナ人であるサイードは、ある時期まで意識的にユダヤ思想を連想させる「ディアスポラ」を避けてあえて「エグザイル」を用いていたが、晩年には、ユダヤ系哲学者アドルノの「弟子」としてか、「ディアスポラ」を用いるようになった。それゆえ、ここでの「亡命(者)」はディアスポラと置き換え可能なものだ。そして実際、英語圏であれ日本語圏であれ、現在の人文社会科学の分野では、エグザイルよりもディアスポラのほうが定着している。したがって、本連載においても、基本的に用語としては「ディアスポラ」で統一して用いることとする。すなわち、ディアスポラの思想というのは、つづめれば、「異郷にいながらノット・アット・ホームもくつろぐアット・ホームこと」あるいは「故郷にいながらアット・ホームもくつろがないノット・アット・ホームこと」なのであり、しかもディアスポラが、たんなる地理的離散ではなく、国家との対峙という緊張関係をともなうものであれば、なおさらこの「アット・ホーム」と「ノット・アット・ホーム」の逆説こそきわめてディアスポラ的なのだ。
さて、アドルノからサイードが受け取り、サイードからダバシが展開したこの「アット・ホーム/ノット・アット・ホーム」の視点は、言うほど簡単に手に入るものではない。三人ともに実際に故郷喪失/越境の体験をし、異郷暮らしをするなかで、自らの闘いの日常のなかで、紡いだ思想である。良い概念を見つけたからそれに飛びつけばいいというものではない。そのことは強調したい。だからこそ、たんに言葉で「希望」を表現することに躊躇するのだ。だからこそ私は、本連載のすべての章で、いったんは絶望的な事象を見極めなければならないと思うのだ。安易な希望などどこにも転がってはいない。「希望のディアスポラ」、それは逆説的にも、徹底して絶望を直視する先にしか見出せないし、語れないものだ。だが他方で、その直視の先には、故郷を異化する可能性、故郷でくつろがないようにする可能性も示唆されるだろう。少なくともそうした倫理を示すところまで到達できれば、本連載はなにがしかの「希望」を示すことができるのかもしれない。
【参考文献】
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出井康博『ルポ ニッポン絶望工場』(講談社+α新書、2016年)
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臼杵陽監修、赤尾光春・早尾貴紀編『シオニズムの解剖』(人文書院、2011年)
遠藤義雄『アフガン25年戦争』(平凡社新書、2002年)
駒井洋監修『叢書グローバル・ディアスポラ(全6巻)』(明石書店、2009-11年)
駒井洋監修『移民・ディアスポラ研究 1〜6』(明石書店、2011-17年)
エドワード・サイード『故国喪失の省察(1・2)』(大橋洋一ほか訳、みすず書房、2006,2009年)
坂口裕彦『ルポ 難民追跡』(岩波新書、2016年)
桜木武史『シリア 戦場からの声』(アルファベータブックス、2016年)
柴宜弘『ユーゴスラヴィア現代史』(岩波新書、1996年) 下川裕治『「生きづらい日本人」を捨てる』(光文社新書、2012年)
徐京植『ディアスポラ紀行』(岩波新書、2005年)
高橋幸春『日系人の歴史を知ろう』(岩波ジュニア新書、2008年)
田中研之輔『ルポ 不法移民』(岩波新書、2017年)
内藤正典『イスラム戦争』(集英社新書、2015年)
根本かおる『難民鎖国ニッポンのゆくえ』(ポプラ新書、2017年)
ハミッド・ダバシ『ポスト・オリエンタリズム』(早尾貴紀ほか訳、作品社、2017年)
早尾貴紀『ユダヤとイスラエルのあいだ』(青土社、2008年)
早尾貴紀『国ってなんだろう?』(平凡社、2016年)
ジョナサン・ボヤーリン、ダニエル・ボヤーリン『ディアスポラの力』(赤尾光春・早尾貴紀訳、平凡社、2008年)
武者小路公路監修、浜邦彦・早尾貴紀編『ディアスポラと社会変容』(国際書院、2008年)
本橋哲也『ポストコロニアリズム』(岩波新書、2005年) 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房、2016年)
サラ・ロイ『ホロコーストからガザへ』(早尾貴紀ほか訳、青土社、2009年)
関連書籍