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鋼鉄の講義室 メタル文化学入門 齋藤桂

命名

 

――神々はヘヴィー・メタルを創り、それをよしとされた。
マノウォー 「ゴッズ・メイド・ヘヴィー・メタル」 1996

 

言語論的転回

 配信が主流の近年では少なくなったが、かつて「ジャケ買い」というものがあった。CD/レコード店に行き、ジャケットを見て音楽を想像して購入することである。

 ジャケ買いの結果、駄盤だったとしても良いのである。そもそも名盤を聴きたいというのは、人間が有限の存在で、音楽を聴くことのできる時間に限りがあることによる悲壮な欲なのであり、逆に言えば駄盤を聞いている時、人間は永遠の命に手を触れているとも言えるのである。悪魔に魂を売ってまで知識欲を満たそうとしたファウストに、最後の最後に「時よ止まれ」と言わせたのは、墓穴を掘るつまらない音(を干拓事業の音だと勘違いしたこと)だったことを思い出しても良いだろう。

 さて、人間が様々であるように、ヘヴィー・メタルのアルバム・ジャケットも様々だが、金属っぽい意匠が使われていれば、だいたいヘヴィー・メタルだと判断して良い。つまり安心して購入して良い。

 たとえばジューダス・プリースト『ブリティッシュ・スティール』(1980)。金属製のカミソリ。文字通り「メタル」である。メガデス『キリング・イズ・マイ・ビジネス』(1985)。金属部品で「見ざる・言わざる・聞かざる」の状態にされた骸骨。「メタル」である。他にも類似の例は数えきれないほどある。

 これはこのジャンル名があってこそだろう。聴き手は――ミュージシャンも――その、金属のイメージを音に重ねるかたちで、音楽を経験する。

 歌詞に「ヘヴィー・メタル」という言葉が頻出するのも、このジャンルの特徴である。その音楽が属するジャンル名が歌詞に登場するのは、ブルースやダンス音楽以外では珍しい。

  この、ジャンル名が特別な役割をもつという事態は他のジャンルではあまり見られないことである。

 ジャズは、そもそも言葉の意味するところすら曖昧であり、視覚的なイメージを結ばない。

 ロックの語源は「揺れる」という動詞だが、それを敢えて「岩」や「石」と解釈して、それをジャケットのイメージに用いることはある。ディープ・パープル『イン・ロック』(1970)はメンバーの顔が刻まれたマウント・ラシュモアが「岩」のイメージなのだろうし、エアロスミス『ロックス』(1976)はダイアモンドを「岩」と表現するコンセプトのジャケットである。だが、それも限定的である。

 ヒップ・ホップは、ヘヴィー・メタルと同じように音楽やその周辺の文化の定型がはっきりしているジャンルだが、「ヒップ」=イケてる、「ホップ」=跳ねる、という抽象性の高いジャンル名ゆえ、それが具体的なかたちで表現されることは少ない。

 やはりヘヴィー・メタルという呼称は特殊である。まず音楽があって、それを指し示す言葉が考え出されたはずだが、ヘヴィー・メタルの場合、言葉が音楽を逆照射しているように見える場面も少なくない。

 このジャンル名はどこから、どのようにやって来たのか。

 

はじめに言葉ありき

 ヘヴィー・メタル研究者のディーナ・ワインスタインは、まず小説家のウィリアム・バロウズが作品中で「ヘヴィー・メタル」という言葉を単なる重金属以外の意味で用いることで新たなニュアンスを付与し、60年代後半からそのバロウズ及びその周辺の文化に親しんだ批評家ら、特にアメリカのレスター・バングスという批評家が主となってこの言葉を音楽に持ち込んだことを明らかにしている[1]

 ではその元祖たるバロウズの作品――『ソフトマシーン』(1961)、『爆発した切符』(1962)、『ノヴァ急報』(1964)の三部作――での「ヘヴィー・メタル」の使用例を見てみよう。

 ただあらかじめ言っておけば、バロウズの「ヘヴィー・メタル」が、その後の音楽ジャンルとしてのヘヴィー・メタルに与えた影響は間接的である。それはたとえば、バロウズの作品に言及するヘヴィー・メタル・バンドはほとんどおらず、むしろバロウズ本人と交流があったのは、ビル・ラズウェル、ダニエル・ユメール、カート・コバーン、日本では再結成後のイエロー・マジック・オーケストラなど、前衛的なロックやジャズ、あるいは電子音楽のミュージシャンが多いことからも分かる。

 だが、誕生時の母斑は消えないものである。バロウズはこの「ヘヴィー・メタル」という言葉に、後の音楽ジャンルにも受け継がれる重要な痕跡を刻んだ。

 この三部作は「カットアップ」という、自分、あるいは他人の文章を物理的に切り貼りする技法によって作られている。

 奇妙に切断された肉塊のような言葉の断片が、隣り合った言葉の断片と交配して、より奇妙な意味が生まれる。ジェイムス・ジョイスやヴァージニア・ウルフが「意識の流れ」を文章に反映させたとしたら、文章を断線させて読者の意識の流れを堰き止めたり逆流させたりさせる試みと言えるのかもしれない。

 結果、まとまったストーリーはほぼ読み取れず、そもそもそれぞれの単語が統一された意味をもっているのかもよく分からない作品群である[2]

 これを単なる表層的な言葉遊びに終わらせないのがバロウズの技量で、その技量の一つが、いくつかの言葉を繰り返し用いて、それらに強烈な質感をもたせていることである。

 「青色」というライトモチーフと共に現れる「ヘヴィー・メタル」もその一つだ。

 たとえば作中に何度か「ヘヴィー・メタル・キッド」が登場する。単数で個人を表す時もあれば、複数形で種族のように扱われる時もある。先にも書いたように、複数の箇所に登場する同じ言葉が同じものを意味しているのかも不明なので、はっきりとは把握できないのだが、どうやら彼らは人為的に操作されて作られた宇宙人で、有毒な金属を排泄する。 

 あるいは『ノヴァ急報』『爆発した切符』には、宇宙の雑音じみた「メタル・ミュージック」という言葉も登場し、「昆虫人」がそれを聴く。

 この「ヘヴィー・メタル」は、直接にはおそらく薬物を使用する時の注射針やスプーンの金属に由来するのだろうが、加えて兵器や、ヘヴィー・メタル・キッドの排泄物のように汚染物の含意もある。

 だが同時に、通常の動物と植物は、互いの排泄物(二酸化炭素と酸素)で共生していると書かれており「ヘヴィー・メタル」はその醜悪さを乗り越える存在であるかのようにも扱われる。

 バロウズの「ヘヴィー・メタル」の語の使用は無機質な世界への憧憬をも感じさせる。むしろ魅力的なものとして読む読者も多いはずだ。このように、この語に両義的で逆説的な含意を与えたのはバロウズの功績である。

 この逆説的な表現こそ、後に興る音楽ジャンルとしてのヘヴィー・メタルの得意とするところである。アンチ・ヒーロー的と言っても良い。糾弾すべき悪を歌う時は、その悪の側を魅力的に演じる。

  たとえば、このジャンルで最も著名なバンドの一つ、ジューダス・プリーストのロブ・ハルフォードはファンから「メタル・ゴッド」と敬称される。これは同バンドの「メタル・ゴッズ」(1980)という曲に由来するのだが、しかしこの曲で歌われるのは、「金属の神々」すなわちロボットが人間を支配することへの批判だ。敬称と批判の同居という逆説的な表現がここにはある。

  文明と自然破壊、武器と利器など――あるいはバロウズの場合は薬物の害と快楽も含まれるかもしれないが――、金属の象徴する二面性は、そんなアンチ・ヒーロー的なこの音楽ジャンルの特性をも胚胎していた。

 

ヘヴィー・メタルの二面性

 この二面性は、先述のワインスタインの論文で引用される初期のヘヴィー・メタルの語の使用例にも見られる。

 マイク・ソーンダースという批評家が1970年の『ローリング・ストーン』誌に載せたハンブル・パイの『アズ・セイフ・アズ・イエスタデイ・イズ』(1969)についてのレヴューでは、同バンドのことが「ノイジーで、メロディがなく、鉛や重金属のようで(heavy metal-leaden)、うるさくてノイジーな部分ばかりのクソロックバンドなのは間違いない」[3]と評され、「ノイジー」という言葉が重複していることからもうかがえるように、相当ネガティヴな意味でこの言葉が用いられている。「鈍重」という意味に近いかもしれない。

 だが、同じ批評家が1971年5月の『クリーム』誌で、サー・ロード・バルティモアのデビュー作『キングダム・カム』(1970)について書いたものでは「サー・ロード・バルティモアはあらゆる最高のヘヴィー・メタルの技を体得しているようだ」[4]と、同じ言葉を何と今度は賛辞に使っている。

 ここで想像して頂きたいのだが、もし現代のアルバム評で先のハンブル・パイについてのレヴューを見たとしたらどうだろうか。むしろ執筆者の意図に反して絶賛だと受け取る人もいるのではないか。

 このように、ヘヴィー・メタルという言葉が好悪両方の意味をもち、またそれが逆説的に用いられる可能性をもっていたことについては、当時のイギリスの新聞記事からもみてとることができる。1974年2月の記事は次のように始まる。

 「ヘヴィー・メタル」音楽について少々
「ヘヴィー・メタル」ロックというのは残念な表現で、急速に誤用や誤解釈が増えている。元々このフレーズは皮肉や疑いを込めて作り出されたもので、音楽的な能力や繊細さを欠いていることを意味していた。今日にいたるまでなお、その猜疑心のオーラは残っている。[5]

 この記事では続いて、ザ・キンクスやザ・フー、ジミ・ヘンドリックスやクリームをその祖に挙げ、「突然、レッド・ツェッペリンIIを脇に抱えて歩くのがイケてるということになった」として「ヘヴィー・ロック」「ヘヴィー・メタル」を流行・ファッションとして捉えている。だがそれも衰えつつあると言う。最後に、その中で生き残っているブラック・サバスとホークウィンド、特にSF的世界観をもつ後者の可能性について述べて記事は閉じられている。

 ヘヴィー・メタルという、本来批判のために使われていた言葉が「誤用」されている、という主張は、この言葉が好悪どちらにも用いられ得ることを示している。「誤用」というよりは、むしろ「繊細さを欠いている」ことを敢えて評価するという態度によってポジティヴな含意をもたせたのだとも言えるかもしれない。

 

形容詞からジャンルへ

 さらにこの新聞記事からはヘヴィー・メタルが、先のハンブル・パイへのレヴューのように一つのバンドやアルバムなどを形容するための言葉から、いくつかのバンドの音楽を総称するジャンルとしての言葉へと移行しつつあったことが分かる。この記事から約二か月前の1973年12月、同じくイギリスの新聞では次のように書かれている。

「ヘヴィー・メタル」、このかなり誤解されている現代の音楽ブランドを率いる主導者たちは、より洗練されたロックシーンで受け入れられるのに苦労をしてきた。批評家たちは常に、クリームを原点とするこのジャンルをとりわけ批判してきた。しかし、今となってはヘヴィー・メタルの方で、ロックのメインストリームから自分たち自身を疎外させてしまった。[6]

 この記事では、英米で人気の高まるヘヴィー・メタル(ユーライア・ヒープ、グランド・ファンク・レイルロード、ブラック・サバスが挙がっている)をメディアが遅ればせながら評価し始めたと書く一方で、記者自身がこの新聞の地元レスターでのブラック・サバスのコンサートに行った際に、大音量で苦しい思いをしたとの体験が書かれている。

 このジャンルを褒めているのか貶しているのかよく分からない書きぶりではあるのだが、少なくともヘヴィー・メタルがジャンルとして、そして「クリームを原点とする」という書き方からして、ある程度歴史や音楽的なまとまりをもったものと認識されていたことが分かる。

 さらに「疎外」とあるように、この記事での大音量のように、従来のロックとは異なった価値体系を築くことで、一つのジャンルとしての「シーン」が形成されつつあることが分かる。

 

幼年期の終わり

 ここまで見てきたように、1970年代半ばには既にヘヴィー・メタルはある程度ジャンルとして定着していたことが分かる。

 関連する音楽外の出来事で言えば、1974年創刊のフランスのSF漫画雑誌『メタル・ユルラン』(吠える金属)が、アメリカで『ヘヴィー・メタル』の名で訳されて刊行されるのが1977年。この英語版タイトルについて同誌創刊号では、幾たびもの会議の結果「最も理解できないタイトルだったので採用された」[7]と冗談めかして書かれているが、やはり音楽ジャンルの定着があってこそ生まれたと考えるのが自然だろう。この雑誌は、特に80年代には音楽のヘヴィー・メタルとも距離を縮めていくが、これも冒頭に述べたジャンル名の力と言えるかもしれない。

 他ジャンルでも、フュージョンのブレッカー・ブラザーズによるライヴ・アルバム『ヘヴィ・メタル・ビ・バップ』(1978)など、今の耳には「ここがヘヴィー・メタルだな」というような部分はほぼないが、賑やかなロック=ヘヴィー・メタル、という程度にはこの言葉が広く認識されていたのだろうことは伺われる。

 しかし――

 今回見てきたようなバンド、たとえばザ・フーやレッド・ツェッペリン、ホークウィンドを現代において「ヘヴィー・メタル」と呼ぶ人は少数派だろう。今から見ればかなり雑多な音楽がこの語で総称されている。

 このジャンルの概念はこの後、更新される。

 それは1970年代末のこと。パンク、ディスコなど、ポピュラー音楽の市場が多様化していく中で、ヘヴィー・メタルは再度自身のアイデンティティを、今度はより自覚的に形成することになる。

 (第2回:終)

 

 ***

[1] Weinstein, Deena. (2013). ‘Just So Stories: How Heavy Metal Got Its Name—A Cautionary Tale’. Rock Music Studies, 1(1), 36–51. https://doi.org/10.1080/19401159.2013.846655

[2] バロウズについての最も信頼できる翻訳者・研究者である山形浩生は、この三部作について「まともな文章ではないのだから、それを普通の文章と同じように訳して(ママ)いいわけがない」(『翻訳者の全技術』星海社、2025。p.20)と書いている。なお本稿でも山形訳を適宜参照したが、山形は「heavy metal」を「重金属」と日本語にすることを選んでいる。本稿では音楽ジャンルとの関連を論じるべく、カタカナ語を使用する。

[3] Weinstein, 上掲論文。

[4] 同上。

[5] Sussex Express, 1 February 1974.

[6] Leicester Daily Mercury, 18 December 1973.

[7] ‘Origins’, Heavy Metal (April, 1977), p.3

 

鋼鉄の音楽室(今回登場したミュージシャン/バンドとその音楽 ※登場順)

① マノウォー Manowar:1980年結成のアメリカのバンド。『英雄コナン』のようなヒロイック・ファンタジー風の衣装と、ドラマチックな音楽とヘヴィー・メタルに忠誠を誓うような歌詞で、欧州でも熱狂的な人気を博した。

♪Manowar「Gods Made Heavy Metal

② ディープ・パープルDeep Purple:第1回を参照。

③ エアロスミス Aerosmith:1973年にデビューしたアメリカのバンド。ブルースをベースにしたハード・ロックで、日本では雑誌『ミュージック・ライフ』を中心にクィーン、キッスと並んで「ロック御三家」と呼ばれた。

♪Aerosmith「Back in the Saddle

④ ビル・ラズウェル Bill Laswell:1955年アメリカ生まれのベーシスト/プロデューサー。様々なジャンルを横断した前衛的な音楽で知られる。彼のバンド・プロジェクト「マテリアル」のアルバム『セヴン・ソウルズ』(1989)にバロウズが朗読で参加している他、複数のプロジェクトで共演している。

 ♪Bill Laswell & William S. Burroughs「The Western Lands

⑤ ダニエル・ユメール Daniel Humair:1938年、スイス生まれのジャズ・ドラマー/画家。バロウズとは1922年のサイレント映画を再構成した映画『Haxan』(1968)で共同作業を行っている。

♪映画『Haxan Witchcraft Through The Ages

⑥ カート・コバーン Kurt Cobain:1967年アメリカ生まれのギタリスト/ヴォーカリスト。バンド「ニルヴァーナ」での活躍で知られたが1994年に若くして没する。バロウズとEP『The "Priest" They Called Him』(1993)を競作する。

 ♪William S. Burroughs & Kurt Cobain「The "Priest" They Called Him

⑦ イエロー・マジック・オーケストラ:1978年結成の日本のバンド。テクノを代表するバンドの一つ。バロウズは再結成アルバム『テクノドン』(1993)の「ビー・ア・スーパーマン」でタイトルを連呼する朗読で参加している。

 ♪イエロー・マジック・オーケストラ「ビー・ア・スーパーマン

⑧ ジューダス・プリースト Judas Priest:1969年結成のイギリスのバンド。ブラック・サバスと並んでヘヴィー・メタルの基礎と発展と成熟をすべて担い、王道を歩み続けてきたバンド。

 ♪Judas Priest「Metal Gods

⑨ ハンブル・パイ Humble Pie:1969年結成のイギリスのバンド。元スモール・フェイセズのスティーヴ・マリオットが中心人物で、スモール・フェイセズ風のロックをベースに、次第にブルースやソウル、ハード・ロック、フォーク風のポップと、多様な展開を見せる。

♪Humble Pie「As Safe as Yesterday Is

⑩ ユーライア・ヒープ  Uriah Heep:1969年結成のイギリスのバンド。オルガンを伴った激しいリフやハイトーンのヴォーカルを取り入れつつ、抒情性にも富んだハード・ロックで知られた。

♪Uriah Heep「The Magician's Birthday

⑪ サー・ロード・バルティモア Sir Lord Baltimore:1969年結成のアメリカのバンド。プログレッシヴ・ロック/サイケデリックな要素をもちつつも、激しい音圧で畳みかけるような演奏でデビューアルバム(1970年)はしばしばヘヴィー・メタルの直接のルーツの一つと数えられる。

♪Sir Lord Baltimore「Hard Rain Fallin'

⑫ ザ・キンクス The Kinks:1963年結成のイギリスのバンド。いわゆるブリティッシュ・インヴェイジョンでアメリカでも人気のあったバンドの一つ。後にヴァン・ヘイレンがカヴァーすることになる「ユー・リアリー・ガット・ミー」(1964)は、ギター・リフが曲を主導するヘヴィー・メタルの楽曲構造を提示した初期例の一つ。

♪The Kinks「You Really Got Me

⑬ ザ・フー The Who:1964年デビューのイギリスのバンド。ポップなメロディ、コーラスと、破壊的な演奏との対比で強烈な個性を放った。特に、ドラマーのキース・ムーン、ギタリストのピート・タウンゼントがライヴ中に楽器を破壊するパフォーマンスは、パンク、ヘヴィー・メタルでも今なお真似をされることがある。

♪The Who「Young Man Blues (Live)

⑭ ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix:第1回を参照。

⑮ クリーム Cream:第一回を参照。

⑯ レッド・ツェッペリンLed Zeppelin:第1回を参照。

⑰ グランド・ファンク・レイルロード Grand Funk Railroad:1969年デビューのアメリカのバンド。シンプルながら迫力のあるハード・ロックで、英米で人気を得た。井上陽水「傘がない」(1972)は、このバンドの「ハートブレイカー」(1970)にインスパイアされたものだという話がある。

♪Grand Funk Railroad「Inside Looking Out

⑱ ブラック・サバスBlack Sabbath:第1回を参照。

⑲ ホークウィンド Hawkwind:1970年デビューのイギリスのバンド。SF/ファンタジー作家、マイケル・ムアコックとの交流から、独自のSF的なコンセプトをもったサイケデリックなハード・ロックを生み出した。72年に加入のベーシスト、レミー・キルミスターは後にモーターヘッドを結成する。

♪Hawkwind「Brainstorm」 

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著者略歴

  1. 齋藤桂

    1980年、大阪府生まれ。博士(文学・大阪大学)。京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター准教授。専門は日本音楽史、ヘヴィー・メタル。著書に『〈裏〉日本音楽史――異形の近代』(春秋社、2015年)、『1933年を聴く――戦前日本の音風景』(NTT出版、2018年)、『ベートーヴェンと大衆文化――受容のプリズム』(春秋社、2024年、共編著)、論文に‘Heavy Metal Scene in Osaka: Localness Now and Then’, Bardine, Bryan A., and Jerome Stueart, eds. Living Metal: Metal Scenes around the World, Intellect, 2022など。

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