鋼鉄の図書室——メタルで文学を読むⅠ
彼の青い眼は膨らみ、ガラスのようで、何も見てはいなかった。猛りきった演奏は、盲目で、機械のようで、どんなペンをもってしても書き得ないような壊乱へと完全に変貌していた。
--H・P・ラヴクラフト「エーリッヒ・ツァンの音楽」
新涼灯火
読書の秋である。
そのようなわけで、鋼鉄の講義室を少し抜け出して、鋼鉄の図書室に向かいたい。これまで何度か70年代末~80年代初頭のヘヴィー・メタルを取り巻く状況を見ていく中で、この音楽ジャンルとファンタジーとの親和性について述べてきた。そこでまず、歴史的な文脈を離れて、ヘヴィー・メタルというジャンルがいかにファンタジー文学と関わっているかをより具体的に見ていきたいと思う。なお次回はより範囲を広げて、文学一般も扱う予定である。ヘヴィー・メタルを通した読書ガイドになっていれば幸いである。
そもそもロック全般に、ファンタジーかそうでないかを問わず、文学をテーマにしたものは多く見られる。映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(1985)で描かれた1955年のダンス・パーティの場面に見られるように、ダンス音楽であったロックンロールが、60年代後半以降次第に「聴く」「鑑賞する」音楽へと移っていく中で、歌詞もまた変わっていく。「鑑賞」に耐え得る歌詞の題材として選ばれた要素の一つが文学だった。
たとえばザ・ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」(1968)が、前年に英訳が出たばかりのロシア人作家ミハイル・ブルガーコフの小説『巨匠とマルガリータ』(執筆:1920–40/出版:1966)に影響を受けたことはよく知られている。
他にも、クリームの「英雄ユリシーズ」(1967)はその名の通り『オデュッセイア』についての曲である。また同じくエリック・クラプトンがいたデレク・アンド・ザ・ドミノスの「いとしのレイラ」(1971)はアラブ/ペルシアの古典的な恋愛詩『ライラとマジュヌーン』を下敷きにしている。
ステッペンウルフは、バンド名をヘルマン・ヘッセの『荒野のおおかみ Steppenwolf』(1927)から得ているし、イエスの「危機」(1972)は同じくヘッセの『シッダールタ』(1922)に影響を受けて作曲された。ヘッセは20世紀初頭のドイツ語圏で流行した自然志向やオカルト・東洋思想に深く関わっていたことが、1960~70年代にヒッピーたちの間で再評価されており(しかも1962年没ということで近年まで存命だった)、その影響が大きいと考えられる。
文学作品をテーマにしたロック/ポップス楽曲ばかりを集めたコンピレーション・シリーズ「Songs Inspired By Literature」(SIBL Project, 2002– )も発売されている。他にも数えきれないほどの例があり、きっとそれぞれのミュージシャンが受けた間接的な影響まで詳しく知っているファンもいることだろう。
20世紀以降、ハイ・カルチャーとしての文学は、ペーパーバックの普及や、映画化・テレビ化などを通じて大衆文化・エンターテインメントの中にも浸透していく。信仰や倫理、善悪といった古典的な文学が扱ってきた大きなテーマは、現代文学だけでなく、というよりもむしろ積極的に大衆文化の主題となる。上記のような「ロック化」もまたそんな流れの中に位置づけられるものだろう。
J. R. R.トールキン
ヘヴィー・メタルとファンタジーとの関係の深さを考えると、直接的であれ間接的であれ、最も影響力の強い作家の一人がトールキンであることは疑いようがない。
『指輪物語』その他のトールキン作品に取材するヘヴィー・メタルの楽曲は、レッド・ツェッペリン「ランブル・オン」(1969)のような初期の例に始まり、無数にある。1960~70年代のヒッピー・ムーヴメントでのトールキン・リヴァイヴァルについては既に第4回で扱ったが、NWOBHM以降のヘヴィー・メタルにはその時のようなサイケデリックな感覚がないところに「らしさ」が表れている。
トールキン作品からの影響を直接的に表現しているバンドの代表格が、ドイツのバンド、ブラインド・ガーディアンである。1988年のデビュー・アルバム『バタリアンズ・オブ・フィア』から『指輪物語』『ホビットの冒険』を歌った楽曲を収録しており、他にもトールキン作品に題材を採ったものはキャリアを通じて数多い。『ナイトフォール・イン・ミドル・アース』(1998)では、アルバム一枚を使って『シルマリルの物語』内の一部を作品化している。
音楽のスタイルも、激しく疾走する演奏をベースとしつつ、そこに民謡風の旋律と、ドラマティックなコーラスをのせたもので、各地の神話・民話の要素をちりばめて汎ヨーロッパ的で幻想的な物語を作り上げたトールキンの世界と通じる音である(この、汎ヨーロッパ的な音がどのような要素に由来するのかについては別の回で扱いたい)。
このある種の「汎ヨーロッパ性」に関して興味深いのは、トールキンが「ブラック・メタル」と呼ばれる反キリスト教を掲げるジャンルの一連のバンドに支持されていることである。
トールキン自身はカソリックの信者で、自身も『指輪物語』にキリスト教的な世界観が反映されていると認めている。しかし「神」が創った現実世界とは異なった法則や生き物に満ちたファンタジー小説は、そもそも原理的に反キリスト教になる可能性をはらんでいる。それが、キリスト教化以前の民俗文化の要素を取り入れているとすればなおさらである。近年でも『ハリー・ポッター』シリーズを巡って、それが反キリスト教的であるという批判が一部で起こっている。
ノルウェーのブラック・メタル・バンド、ゴルゴロスはそのバンド名を『指輪物語』に登場する地名から採っている。彼らが属していた1990年代ノルウェーのブラック・メタル・シーンは過激な行動で知られ、有名なのは教会への放火である。メンバーの一人、ガールは、この放火を支持しており、加えて反キリスト教・反ユダヤ的な発言を行っている[1]。
ここで留意すべきは、ブラック・メタル、特にノルウェーをはじめとする北欧のバンドの多くにとって、「反キリスト教」は「反ヨーロッパ」ではなく、むしろ逆の、より「本来のヨーロッパ」への指向をもつことである。彼らの思想は、キリスト教≒近代文明によって毒されない「純粋な」民族文化への指向に支えられている。『指輪物語』はそのような「本来のヨーロッパ」という漠然とした想像力を補強してくれる物語なのだろう。
The Hard Timesという、日本でいう『虚構新聞』のようなジョーク・サイトがある。そこでは「ブラック・メタル読書クラブが12回目の『指輪物語』を再読中」という記事が載っており、この読書クラブの主催のセリフとして「いくつか基本的なルールを決めなきゃいけなかった。まず初めに、本について議論をする際に‘ゴルゴロス’という言葉を使うのを禁止した。いつもそこからバンドについての議論になるからだ」[2] と書かれている。もちろんこれはいわゆる「ネタ」ではあるが、逆に言えば「ネタ」として通用するほどブラック・メタルとトールキン作品とのつながりは強く、またよく知られているということでもある。
一方で、トールキンと交流があり、聖公会の伝道者でもあったC.S.ルイスによる『ナルニア国物語』(1950–56)からバンド名を得たスウェーデンのナーニアは、キリスト教的なメッセージを込めた楽曲を演奏する「クリスチャン・メタル」のバンドとして知られている。歌詞で『ナルニア』の物語を語っているわけではないが、1998年のデビュー作『アウェイクニング』から一貫して、アルバム・ジャケットに『ナルニア』の作中で神/キリスト風に描かれる「アスラン」らしきライオンが登場しており『ナルニア』の世界観を表現している。エネルゲマ(Energema)というコロンビアのバンドも『ナルニア』を扱っているが、彼らもクリスチャン・メタル・バンドである。
H. P. ラヴクラフト
トールキンと同じか、それ以上にヘヴィー・メタルで参照されるのがH.P.ラヴクラフトである。大西洋を挟んで、年齢も2歳しか変わらず、しかしトールキンはオックスフォード大教授、一方のラヴクラフトはパルプ雑誌に作品を発表するライターで、同じファンタジー作家と言ってもお互いに異世界の住人だったと言えるかもしれない[3]。
ラヴクラフトは、人類文明以前に古代神が跋扈する時代があったという設定で創作を行い、後の他の作家たちも巻き込んで構築されることになる「クトゥルー神話」(この設定・世界観を共有する複数作家の短編・長編をまとめてこう呼ぶ)の祖として知られる。
古代神という直接的に異教的な設定は、ヘヴィー・メタルはもちろん、あまりに多くのサブカルチャーに取り入れられているため、ここですべてを示すことはできない。ただ、我々が知る文明のさらに古層に知られざる文明があったのだというこの設定は、ラヴクラフトが活動した1920~30年代に盛んだった「探検」という、民俗学・人類学に隣接しつつ、アカデミックな営みというよりは私的な関心に基づいて進められた行為や[4]、あるいはムー大陸の存在を唱えて、特に後に日本でブームとなったジェームズ・チャーチワード『失われたムー大陸』(1931)など、時代の潮流を反映している[5]。ちなみに、このムー大陸説は作家オーガスト・ダーレスによってクトゥルー神話とも結びつけられる。超古代文明といえば、考古学者というよりまさに探検家と言った方が良さそうなインディ・ジョーンズの最初の三部作の舞台もこの時代だ。
ラヴクラフトの再評価にはいくつか段階がある。1960年代末頃からコミック雑誌などで本人の作品や関連作品の漫画化が盛んに行われ、1980年代になるとさらに増加。他にはロール・プレイング・ゲームの題材としても人気となる[6]。
ラヴクラフト関連で最も有名なヘヴィー・メタルの楽曲の一つは、メタリカの「ザ・コール・オブ・クトゥルー」(1984)だろう。タイトル通りラヴクラフトの『クトゥルーの呼び声』(1928)をテーマとした、歌のないインストゥルメンタル作品である。ベーシストのクリフ・バートンがメンバーにラヴクラフトを紹介したと言われており、メタリカは「ザ・シング・ザット・シュッド・ノット・ビー」(1986)という曲も書いていて、これは同じラヴクラフトの『インスマスを覆う影』(1936)を歌った曲である。
インターネット上最大のヘヴィー・メタル・アーカイヴであるEncyclopaedia Metallum[7]は歌詞のテーマでも検索ができ、Lovecraftと入れると553バンドがヒットする(ちなみにトールキンは313バンド)。バンド名にLovecraftを含むバンドは7バンド、ラヴクラフト作品中の架空の書物『ネクロノミコン Necronomicon』では13バンド、クトゥルー Cthulhuでは21バンドが掲載されている。
超古代文明という設定は、現状の世界のあり様を超えようとする願望を引き付ける。アトランティスにしてもムー大陸にしても、各国に広がっていく中で、それぞれの国の歴史・文化に結び付けるかたちで受容される[8]。つまり、ローカライズ版が出現する。ラヴクラフトの作品が、汎ヨーロッパ的世界の再生産を繰り返すトールキン周辺のファンタジーとは異なるのはここである。
ラヴクラフト自身、作品内に登場する日常とは異なった風景を描写するのに、アジアのイメージを用いている。たとえば『狂気の山脈にて』(1936)には南極の様子を描写するのに、中央~南アジア各地を描いたロシアの画家ニコライ・リョーリフの名前を何度も登場させているし、同じく南極のエレバス山は「聖なるフジヤマを描いた日本の版画のようだ」と喩えられる。
前述のオーガスト・ダーレスがクトゥルー神話に付け加えた「ルルイエ異本」という書物が、元々は中国人が所有していた(のちの設定で漢文で書かれているとされることもある)という設定であったことを思い出せば、ラヴクラフトおよび周辺作家のつくり上げた世界観が、当初から各ローカライズ版を許容する性質をもっていたと言っても良いだろう[9](とはいえ、ラヴクラフト自身は偏狭な人種差別主義者であった[10])。
日本では栗本薫の小説『魔界水滸伝』(1981–1991)がラヴクラフトの世界観を直接引き継いだ作品で、ラヴクラフト作品の古代神を舞台である日本に持ち込んだ物語である。他にもパロディに近いとも言えるが、小中千昭のテレビドラマ/小説「蔭洲升を覆う影」(1994)は、「インスマスを覆う影」を日本の房総半島あたりに舞台を移して展開される作品である。他にもゲームやアニメなどを含めると、このように現地化した作品は数多い。
中国語圏でも同じようなことが起こっているようだ。作家の立原透耶は、中国・台湾におけるラヴクラフトの翻訳およびクトゥルー神話関連の創作を扱った文章の中で、舞台や主人公などがそれぞれにローカライズされた作品をいくつか紹介している[11]。
このローカライズ版の存在は、ヘヴィー・メタルでも同様である。
たとえば台湾出身のデス/ブラック・メタルを演奏するバンド「冷(Laang)」は、ほとんどの楽曲が中国語のタイトルと歌詞もち、音楽的にも中国風の音色・旋律を取り入れているが、いくつかの曲でラヴクラフトの世界をテーマにしている。音楽におけるラヴクラフトのローカライズ版と言って良いだろう。2023年にリリースされた一曲「流血的太陽」のビデオでは、東アジア風の世界を舞台に悲恋が描かれ、そこに海に棲む古代神が関わっている、という内容だ。
日本でも同様である。近年国際的にも人気が高まっているバンド、人間椅子には「狂気山脈」(1992)、「ダンウィッチの怪」(1998)、「宇宙からの色」(2014)など、ラヴクラフト作品を扱った楽曲がある。これらもただの日本語翻訳版というよりは、バンドの「和」のイメージとも相まって、日本を舞台にしたリメイク的な要素の強いものだ。
たとえば「ダンウィッチの怪」では「扉よ開け/ヨグ=ソトホート/五十六億七千万/時の牢屋で待っていた」と歌われる。「ヨグ=ソトホート」(ヨグ=ソトース)とは、クトゥルー神話における古代神であり、それが「五十六億七千万」という仏教における弥勒菩薩の下生の時間と結び付けられている。
英雄ファンタジーとの接合
ラヴクラフトが構築した世界観は、エドガー・アラン・ポーを継ぐ鬱々とした雰囲気に満ちているが、そこにマッチョでヒロイックな要素を持ち込んだのがロバート・E・ハワードである。ハワードはラヴクラフトと同時代に活動した作家で、お互いに交流があり、クトゥルー神話の創作にも関わっている。アーノルド・シュワルツェネッガー主演の映画『コナン・ザ・グレート』(1982)で有名になった『英雄コナン』シリーズ(1932–1935)も、クトゥルー神話と設定上のつながりがある。
マニラ・ロードなどのアメリカのヘヴィー・メタル・バンドがハワードおよびラヴクラフトに影響を受けており、ヨーロッパ的なファンタジーとは異なった世界観で活動している。
『英雄コナン』は特に1960年代後半から、既に『ターザン』シリーズで人気のあったイラストレーター、フランク・フラゼッタの表紙に包まれて編纂・出版されると、その後の同作のヴィジュアル・イメージが固定される。荒涼とした背景に、筋肉隆々の甲冑姿の男女やモンスターが躍動感豊かに描かれるフラゼッタの世界は、19世紀のロマン派絵画に、数割増しの筋肉を足し、衣服の面積を小さくし、神話・宗教や歴史といったコンテクストを取り払った、端的に言えば俗化版である。
フラゼッタや、彼としばしば並べられる画家ボリス・ヴァレホら一連の画家については、SF作家のトマス・M・ディッシュが次のように書いている。
大衆はどんな絵でも、それが魔法の窓のように高解像度で、自分たちの好きなもの、面白そうなもの、感心できるものを見せてくれればくれるほど感服する。〔略〕これに視覚芸術で相当するのが「崇高なるもの」であり、これを表現するために絵画には主として二つの経路、目をみはるような風景画か、英雄の裸体画の道があった。[12]
そして、フラゼッタとヴァレホについては「俗っぽい高解像度の好色なセミヌード」[13]と断じている。ディッシュの言う「崇高sublime」はエドマンド・バーク『崇高と美の観念の起原』(1757)で本格的に論じられた概念で、巨大な破壊や恐怖・畏怖など、美とは異なるものに対して動く我々の心理を形容するものである。バークが想定していたとは思えないが、このような概念は――同時期に流行したゴシック・ロマンスと同様――、直接的な心理効果を担うがゆえに通俗的な文化と親和性が高いように思われる。
フラゼッタのこの俗っぽさは、神話がないがゆえに神話を創り続けるアメリカのバンドにとっては格好の参照元である。フラゼッタは音楽のアートワークを直接手掛けることはなかったが(既存の彼の作品を用いたものは多数ある)、むしろ音楽の側からヴィジュアル的にフラゼッタ的世界に寄っていくようなことも起こっている。
最も分かりやすいのはアメリカのバンド、マノウォーである。彼らの二枚目のアルバム『イントゥ・グローリー・ライド』(1983)のジャケットでは、鍛えられた肉体に毛皮のビキニのような衣装をまとった男たちがこちらを睨んでおり、ほとんどフラゼッタ作品のコスプレと言っても良いものである。
マノウォーには、初めてレコード会社と契約を結ぶ際に血でサインをしたという話があり、実際写真も残っている。そこでは上記アルバム・ジャケットと同じ毛皮ビキニで胸や腕につけた傷に羽ペンをつける姿が写っている。他にも、ドラマーが交代する際に、新ドラマーが前任者のドラムセットを引き継ぎ、自身がこれまで使ってきたものを燃やす儀式をしたなど、パロディ寸前の逸話の多いバンドである。
作家・評論家の伊藤整は大作『日本文壇史』(1953–1973)の中で、近代日本の私小説家は私生活を小説にしたのではなく、私生活を小説に寄せていったのだと指摘している。マノウォーは私生活をハワード/フラゼッタに寄せていった(ように見せようとした)と言えるかもしれない。
第一回で述べたように、ヘヴィー・メタルは総合芸術を指向するジャンルである。それはライフスタイルにまで及ぶ。
その意味で、世界観やヴィジュアル面などを包括しうる文学、特にファンタジー文学は単なる楽曲の素材という以上の重要な役割を、このジャンルで果たしていると言えるだろう。
(第6回:終)
[1] サム・ダン監督によるドキュメンタリー映画『メタル――ヘッドバンガーズ・ジャーニー』(2005)。
[2] Black Metal Book Club on Twelfth Re-Read of “The Lord of the Rings”
[3] 『指輪物語』のゴルゴロス(Gorgoroth)が、「クトゥルー神話」の古代神の一柱として、後に登場するロバート・E・ハワードが創ったゴルゴロス(Gol-Goroth)に由来するのではないかという説もある。が、おそらくトールキンはラヴクラフトその他作家による作品群に触れていなかったか、触れていたとしてもわずかであったろうと考えられている。
[4] 丹羽典夫「1930年代のアメリカにおける私的探検の考察 : 朝枝利男が参加した探検隊の旅程と経路の分析から」(『国立民族学博物館研究報告』44(4)、2020年、pp. 625–682)。
[5] ラヴクラフトの民俗学的想像力については、ピーター・バナード「壁の中の狂人――民俗学者H.P.ラヴクラフト」(『ユリイカ』50(2)、青土社、2018年、pp. 220–227)。
[6] 森瀬繚「アメコミにおけるクトゥルー神話」(『ユリイカ』50(2)、青土社、2018年、pp. 61–69)、寺田幸弘「クトゥルー神話とTRPG」(『ユリイカ』50(2)、青土社、2018年、pp. 70–76)。
[8] 日本におけるムー大陸説と音楽との関わりについては齋藤桂『〈裏〉日本音楽史――異形の近代』(春秋社、2014年)第3部を参照。偽史全般に関しては小澤実【編】『近代日本の偽史言説――歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』(勉誠社、2017年)。
[9] なお、ラヴクラフトと彼の同時代の歴史研究との関連については、小澤実のエッセイ「西洋中世学会書店:④魔術と呪―― 魔術書『ネクロノミコン』の「歴史」を検証する」にまとまっている。
[10] このことについては、ミシェル・ウエルベック、星埜守之【訳】『H・P・ラヴクラフト――世界と人生に抗って』(国書刊行会、2017年)が、作品内容と関連付けて詳しく論じている。
[11] 立原透耶「『克蘇魯』、中華圏にて、大いに信者を獲得中」(青土社『ユリイカ』50(2)、2018年、pp. 77–84)。
[12] トマス・M・ディッシュ、浅倉久志・小島はな【訳】『SFの気恥ずかしさ』(国書刊行会、2022年、p. 119)
[13] 同上、p. 118。
鋼鉄の音楽室(今回登場したミュージシャン/バンドとその音楽 ※登場順)
・ザ・ローリング・ストーンズ The Rolling Stones:第五回を参照。
・クリーム Cream:第一回を参照。
♪Cream「Tales Of Brave Ulysses」
・デレク・アンド・ザ・ドミノスDerek and the Dominos:1970年にイギリスで、エリック・クラプトン、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンによって結成されたバンド。唯一のスタジオ・アルバム『いとしのレイラ』(1970)はしばしば名盤投票で上位に挙げられる。
♪Derek and the Dominos「Layla」
・ステッペンウルフSteppenwolf:1967年結成のアメリカのバンド。有名な「ワイルドでいこう!」はheavy metalという言葉が登場する最初期の歌の例として知られている。
♪Steppenwolf「Magic Carpet Ride」
・イエスYes:1969年デビューのイギリスのプログレッシヴ・ロック・バンド。複雑な楽曲とポップな旋律で高い人気を誇り、1980年代にはポップスとしてもヒットを飛ばした。「危機」は4部構成の大曲。
♪Yes「Close to the Edge」
・ブラインド・ガーディアン Blind Guardian:1988年アルバム・デビューのドイツのバンド。疾走感のある楽曲と覚えやすい旋律、ドラマティックなアレンジで現在まで高い人気を誇る。ライヴでは観客が一緒になって大合唱をすることで知られる。
♪Blind Guardian「The Bard's Song」「Valhalla」
・ゴルゴロス Gorgoroth:1992年結成のノルウェーのブラック・メタル・バンド。メンバーの暴行事件や、ポーランドで背徳的なステージ演出をしたために同国での演奏が禁止されるなど、スキャンダラスな話題が多い。
♪Gorgoroth「Carving a Giant」
・ナーニアNarnia:1996年結成のスウェーデンのクリスチャン・メタル・バンド。ネオ・クラシカルと呼ばれるバロック風のテクニカルなギターを伴った作風で、クリスチャン・メタル・シーン外でも認知される。
♪Narnia「A Crack in the Sky」
・エネルゲマEnergema:2015年結成のコロンビアのバンド。1980-90年代の「ジャーマン・メタル」と呼ばれた一連のドイツのバンドに通じるようなスピード感のあるメロディアスなヘヴィー・メタルを演奏している。
♪Energema「The Lion’s Forces」
・メタリカMetallica:ヘヴィー・メタルで最も売れているバンド(「の一つ」と付ける必要もないだろう)。1981年の結成以降、スラッシュ・メタルというサブジャンルのシーンで活躍し、その後より普遍的なヘヴィー・メタル・バンドとして成功を収めた。
♪Metallica「The Call of Ktulu」
・冷Laang:台湾出身のブラック・メタル・バンド。中心人物の楊海濤は自動車強盗に遭った際に撃たれ死線をさまよう経験をし、それを表現するためにブラック・メタルのスタイルで演奏するようになったという。
♪冷「流血的太陽」
・人間椅子:1987年結成の日本のバンド。1989年に「イカ天」に出演し広く認知された。東西の文学をテーマにすることが多く、文芸ロックとも言われる。その後、メジャー/インディーズを行き来しつつ、2010年代以降インターネットを通じて海外での人気が高まっている。
♪人間椅子「ダンウィッチの怪」
・マニラ・ロードManilla Road:1977年から活動するアメリカのバンド。1983年頃からヘヴィー・メタルに接近し、Cirith Ungolらとともにアメリカにおける「エピック・メタル」の先駆者となる。
♪Manilla Road「Crystal Logic」
・マノウォーManowar:1980年結成のアメリカのバンド。マッチョな世界観や、バイカー文化、ヘヴィー・メタルに忠誠を誓う歌詞やインタヴューでの発言など、このジャンルのステレオタイプを具現化したようなバンドである。アルバム・ジャケットの多くをフラゼッタのスタジオにいたケン・ケリーが担当している。
♪Manowar「Warriors of the World United」


