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鋼鉄の講義室 メタル文化学入門 齋藤桂

鋼鉄の門扉を開く

 

──みんなメタル口調で大声で笑ってるだなんて、楽しすぎた。
イ・ラン、呉永雅[訳]『悲しくてかっこいい人』リトルモア、2018

 

 「なんでメタルのライヴって、曲紹介までデス声なの?」

 ある時、友人にそう尋ねられた。

 「デス声」とは、デス・メタルと呼ばれるヘヴィー・メタルのサブジャンルで用いられるヴォーカル・スタイルで、音程感の少ない、低い声で唸るような叫び声のことだ。確かにヘヴィー・メタルのライヴではよく「次の曲は、〇〇だ!」と、そんな声で言っている。

 大げさに聞こえるかもしれないが、それを不思議に思う人がいるのだという驚きと、逆にそれを不思議だと思ってこなかった自分への驚きとが合わさって、この質問は私がここ数年で最も衝撃を受けたものの一つだった。

 これまで音楽学という分野で研究をしてきたが、主に扱ってきたのは近代日本の音楽や音文化で、十代から親しんできたヘヴィー・メタルは研究対象ではなかった。

 親しんできた、と書いたが、実際にはそれ以上である。

 1980年生まれの私は、子供の頃からピアノやパーカッションなどを習う機会があり、家にもレコードやCDがないわけではなかった。テレビも音楽番組の全盛期だった。その意味では音楽的に恵まれた幼少期を過ごしてはいた。

 しかし、11歳の時に初めて聴いたイングヴェイ・マルムスティーンの『オデッセイ』(1988)というアルバムは、そんなこれまでの音楽経験をリセットさせた、まさに啓示だった。ドラマティックに構築された楽曲、超人的なギター・テクニックで奏でられる美しい旋律、それに絡みつくキーボード、激しさと憂いを兼ね備えたハイトーンのヴォーカル、それらが一体となって大音量で押し寄せてくる。これこそが本物の音楽だ──それ以降、ロックはもちろん、その他の様々な音楽の聞こえ方が一変した。

 乳歯が永久歯に生え変わるように、永久鼓膜に貼り変わった瞬間だった。

 もちろん今では音楽に「本物」だの「偽物」だの、そういう評価は無意味だと分かっている。だが、このヘヴィー・メタル=本物という感覚は確実に残っていて、たとえば「私はどんなジャンルの音楽でも聴きます」という人がいたら、「それは、私はどんな神様でも信仰しますと言っているようなものではないか」という偏狭な返答が心の中で聞こえたりもする。

 そのようなわけで、ヘヴィー・メタルは、そこから私の音楽体験が始まった場所、喩えるなら「地元」のようなもので、音楽学という分野に身を置くようになってからもあえて調査や考察をしようという気にはならなかった。

 だから冒頭の友人の質問は、「モータープールって何のこと?」と訊かれた大阪人がはじめてそれがローカルな語彙の一つだと気付かされるような異化体験をもたらした(モータープールとは駐車場の意)。私にとってヘヴィー・メタルを外から考えるきっかけの一つだったと言えるかもしれない。

 この連載はそんな「外から」の視点、すなわち「学」の視点から、ヘヴィー・メタルについて知り、考えようという企画である。

 

ヘヴィー・メタルとはどのような音楽か

 人類が初めて岩(ロック)から金属(メタル)を製錬した時、その輝きはほとんど魔力に近いものだったはずだ。ヘヴィー・メタルは、人類の記憶に刻まれたそんな輝きを宿した音楽である。

 この魅惑的な名前をもつジャンルは、音楽的には1960年代のイギリスで活動を始めたクリームやジミ・ヘンドリックス、続くブラック・サバスやレッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、あるいはアメリカのMC5やブルー・チアーのようなバンドを祖型とする。その後、プログレッシヴ・ロックやパンクの影響を取り込み、ジャンルとしてこの呼称が定着して他ジャンルと差別化されるのは70年代終わりのイギリスでのことである。その後欧米を中心にしつつ世界各地へ伝播。スラッシュ・メタルやデス・メタルなど、「〇〇メタル」という名のサブジャンルも増え、ヘヴィー・メタルは単に「メタル」とも呼ばれるようになる。

 複雑なコードよりも、単音やパワーコードと呼ばれる第三音を欠いた五度のみの和音を用いた、ギターとベースによるリフを中心に構成された楽曲、華やかなギター・ソロ、グルーヴよりも重さやスピード感を重視するドラム、金切り声のようなハイトーンや、もしくは低い叫び声=デス声で歌うヴォーカル。そして、これらの各パートには高いテクニックと大音量が求められる。ヘヴィー・メタルの音楽的特徴を言葉で表すならこのようになるだろうか。

 いや、という意見もあるだろう。これらのことは、他のジャンルにも共通しているではないか、と。

 単音やシンプルな和声によるリフを中心とする音楽構造は古くから多くの大衆音楽・民俗音楽にも共通しているし、そもそもロック自体がそういう音楽だろう。強烈なハイトーンはブルースやソウルでも聴くことができる。クラブ・ミュージックだって大音量を旨としている。ジャズやフュージョンほどテクニック志向の強いジャンルはないのではないか──など。

 その通りである。

 だが、ヘヴィー・メタルはこれらを突き詰めるところに特徴がある。重いところは重く、速いところは速く、あらゆる点で極端であり、その極端さが形式化されている。形式という意味では「様式美メタル」という名のサブジャンルすらある(日本特有の呼称で、レインボーやイングヴェイ・マルムスティーンのように、バロック音楽の影響を受けた旋律を多用するメロディアスなヘヴィー・メタルを指す)。それゆえ分かりやすい。他ジャンルにはよくある「通人だけに分かる」といった微妙なニュアンスや、「一周回って逆に格好いい」というような斜に構えた態度はあまり見られない。曖昧なところの少ない音楽だと言えるだろう。

 

総合芸術/ライフスタイルとしてのヘヴィー・メタル

 その極端さ、分かりやすさは音楽以外の部分でも同様だ。長髪に革や鋲・鎖、黒を基調とした衣装。笑顔の少ないメンバー写真。アルバムジャケットで天地を構わず多用される十字架や骸骨、金属、悪魔・ドラゴンなどの宗教・神話的意匠、暴力や死といった直接的なイメージにこだわる姿勢は、やはり極端で、かつ分かりやすい。ヴィジュアル面にも音楽同様の態度が見られる点では、総合芸術を志向するジャンルだと言える。

 冒頭に書いた「曲紹介までデス声」の問題も、ライヴの曲間も世界を崩さないというヘヴィー・メタルの総合芸術志向によると言えるかもしれない。多くのメタル・ミュージシャンは、ライヴ中に彼らの作り出す音楽の世界の住人であるかのように振る舞う。

 総合芸術を突き詰めれば、ライフスタイルにまで至る。ライヴや録音を聴いている時以外でも、メタル・ファンはメタル・ファンとしてのアイデンティティを維持する。ヘヴィー・メタル研究のパイオニアの一人、ディーナ・ワインスタインの著書『Heavy Metal: A Cultural Sociology』1991)[1] でも、ヘヴィー・メタルは単なる音楽としてではなく、ファッションや振る舞いなどを含んだ総合的なサブカルチャーとして論じられている。

 たとえば日常的にメタル・バンドのTシャツや、鋲の付いた革やデニムのジャケットを着ているメタル・ファンは少なくない。そしてミュージシャンもまた、多くの場合いちメタル・ファンと同様の服装をしている。簡単な言い方をすれば、パッと見ただけで「あ、あの人メタルの人だ」という分かりやすさがあり、ファン本人もそれを自己表現としている[2]。他にも、商業的なものに対する忌避感や、「本物(オーセンティシティ)」にこだわる態度など[3]、ヘヴィー・メタルは、音楽としてだけではなく、それを取り巻く総体的な文化として捉える方が、よりその様態が理解しやすい。

 放火や殺人で悪名高い1990年代のノルウェーのブラック・メタル・シーン(の一部)も、音楽のライフスタイル化の極端な例と言えるだろう。

 

ヘヴィー・メタル研究について――メタル文化学入門

 このように、ヘヴィー・メタルは分かりやすい音楽だが、この分かりやすさにもかかわらず、あるいはその分かりやすさ故か、ロバート・ワルサー[4]や前述のワインスタインといった先駆的な研究者はいたものの、ヘヴィー・メタルは他のポピュラー音楽に比べて研究の対象になりにくいジャンルだった。

 階級や人種、性差等に関するコンフリクト、あるいは支配的な文化への態度をポピュラー音楽に見出そうとするタイプの研究にとっては、欧米の白人男性がシーンのマジョリティであり、また初期には労働者階級出身のミュージシャンが多かったにもかかわらず直接的に社会的・政治的メッセージを歌うことの少なかったヘヴィー・メタルは、論点を設定しづらい音楽だったとも言える。

 けれど、2000年以降、ヘヴィー・メタルが音楽的・地理的に拡散し、またそれがインターネット等によってより多くの人の耳目に触れるようになると、シーンの多様なありようが研究対象として扱われるようになる。これを受けて、改めてそれぞれの文脈に即して、この音楽が論じられるようになる。単純に、ジャンルの誕生から時間が経過したことで、客観的・歴史的にヘヴィー・メタルを扱うことができるようになった、ということもあるだろう。

 近年では学術会議も多く開かれ、研究論文・書籍の出版も盛んだ。ヘヴィー・メタルに特化した学術会議としては、2008年のザルツブルグで開催されたHeavy Fundametalism: Music, Metal and Politicsが最初のものだとされている。その後、国際ヘヴィー・メタル学会(International Society for Metal Music Studies/ISMMS)が設立され、2013年にオハイオで最初の学会Heavy Metal and Popular Cultureが開かれた。2015年にはヘルシンキでModern Heavy Metalという国際学会が開始され、2020年まで毎年開催されていた。これらで発表される研究は、ほぼヘヴィー・メタルを扱っているという一点のみが共通しており、学問領域としては経営学、心理学、社会学、人文学など、多岐にわたっている。ただし現時点では、ヘヴィー・メタルだけを研究している研究者はそれほど多くなく、他の専門分野と兼ねている場合が多い印象だ。

 このようにヘヴィー・メタル研究は比較的新しい研究分野である。それゆえ手法や資料の扱いが定まっていないという弱みをもつ。一方でそれは、未開拓ゆえの自由があるとも言える。

 そもそも「ヘヴィー・メタル」という言葉は何なのか、ジャンルが登場した社会背景はどのようなものだったのか、宗教/反宗教との関わり[5]や、特有のファッションの由来・意味、扱われる世界観、政治的背景などなど……その極端さと相まって、多くの疑問が生まれる。

 この連載では、近年のヘヴィー・メタル研究の成果も参照しつつ、音楽学はもちろん、歴史や文学、美術などにも触れながら、恣意的ではあるがその分自由な視点から、このような疑問に満ちた世界を探索してみたい。ヘヴィー・メタルの面白さと同時に「学」の面白さを伝えることができればと思っている。

 さて、そろそろ門が開く。入門にふさわしい歌詞を引用してこの稿を終えよう。

 

「見えるだろう、地獄の門は待っている/ただ着いてくるがいい、お代は要らぬ/キリストも救えぬと諦めた/迷えるそなたの魂を、墓穴から出してやろう」
スレイヤー「ヘル・アウェイツ」 1985

 

***

[1] Weinstein, Deena. Heavy Metal: A Cultural Sociology. (Lexington Books, 1991)

[2] とはいえ、この傾向は変わりつつある。本文中の2015年のヘルシンキの学会で、テスタメントのギタリスト、アレックス・スコルニックは「意外なところにいるメタル・ファン Unexpected Metal Heads」というタイトルの講演を行い、オーケストラ・ピットや研究所など、ヘヴィー・メタルのステレオタイプには当てはまりづらい場所にいるメタル・ファンを例に挙げて、現代のメタル・シーンの多様化を紹介した。

[3] Weinstein, 上掲書。

[4] Walser, Robert. Running With the Devil: Power, Gender, and Madness in Heavy Metal Music (Wesleyan University Press, 1993)

[5] ヘヴィー・メタルにおける悪魔の世俗的な扱いについては、黒木朋興『ロックと悪魔』(春秋社、2025)が詳しい。

 

鋼鉄の音楽室(今回登場したミュージシャン/バンドとその音楽 ※登場順)

① イングヴェイ・マルムスティーン Yngwie Malmsteen: スウェーデン出身のギタリスト。1960年生まれ。「ネオ・クラシカル」と形容される、バロック音楽・クラシック音楽に影響を受けた楽曲と速弾きを多用した演奏で1980年代のヘヴィー・メタル・ギターの基準を更新した。

♪Yngwie Malmsteen’s Rising Force「Rising Force

② クリーム Cream:1966年、エリック・クラプトン、ジンジャー・ベイカー、ジャック・ブルースによって結成。当時としては革新的な大音量と攻撃的な即興演奏で、ハード・ロックの一つの源流を作った。

♪Cream「Crossroad (Live)

③ ジミ・ヘンドリックス Jimi Hendrix:1942年生まれのアメリカ出身のギタリスト。66年に渡英後、革新的なギター演奏で、クリームと共にハード・ロックを作った一人。ロックだけでなくジャズやR&Bなど、多くのジャンルに影響を与え続けている。70年没。

♪Jimi Hendrix「Fire (Live at The Woodstock Music & Art Fair, August 18, 1969)

④ ブラック・サバスBlack Sabbath:1968年、Earthという名で結成。当初はブルースやジャズ風の音楽を演奏していたが、後に重く暗いリフを中心とした音楽に移行。70年にアルバム・デビューし、歌詞やヴィジュアルで悪魔的なイメージを多用し、その音楽とともにヘヴィー・メタルの開祖となった。

♪Black Sabbath「Black Sabbath

⑤ レッド・ツェッペリンLed Zeppelin:1968年結成のイギリスのバンド。当初はブルースをハード・ロック風に解釈する音楽で個性を発揮したが、後に欧州内外の民俗音楽を取り入れ、音楽の幅を拡げていった。

♪Led Zeppelin「Black Dog

⑥ ディープ・パープルDeep Purple:1968年結成のイギリスのバンド。オルガンを取り入れたサイケデリックなロックに始まり、次第にハード・ロックに焦点を絞っていくことでファンを獲得した。クラシック音楽を分かりやすい形で取り入れたバンドの一つ。

♪Deep Purple「Burn

⑦ MC5:1963年結成のアメリカのガレージ・ロック・バンド。アンプを何台も並べて大音量でのライヴを行い、また卑語を厭わない過激なパフォーマンスでも知られた。パンクの文脈でも元祖の一つとして扱われる。

♪MC5「Ramblin' Rose

⑧ ブルー・チアー Blue Cheer:1966年結成のアメリカのバンド。エディ・コクラン「サマータイム・ブルース」の荒々しいカヴァーで知られる。MC5と並んでヘヴィー・メタルとパンク両者の原型を作ったバンドである。なおバンド名はLSDのこと。

♪Blue Cheer「Summertime Blues

⑨ レインボー Rainbow:ディープ・パープルを脱退したギタリスト、リッチー・ブラックモアが1975年に結成。初代ヴォーカリストのロニー・ジェイムス・ディオ在籍時はクラシック音楽の影響やファンタスティックな歌詞によって、後のヘヴィー・メタルのひな形の一つを作った。

♪Rainbow「Kill the King

⑩ テスタメント Testament:アメリカのスラッシュ・メタル・バンド(ヘヴィー・メタルの中でも特にスピードを重視するサブジャンル)。1983年にLegacyの名で結成。ギタリストのアレックス・スコルニックの流麗なギターと荒々しいスラッシュ・メタルとの融合で、当時のシーンを牽引した。

♪Testament「The Haunting

⑪ スレイヤー Slayer:1981年結成のアメリカのスラッシュ・メタル・バンド。悪魔や戦争をテーマにしたネガティヴな歌詞と、徹底したスピードへの取り組み(84年発表の「ケミカル・ウォーフェアー」は、当時最速の曲と言われた)で、スラッシュ・メタルの重鎮となる。メタリカやメガデスなど、同じシーンから登場したバンドがポップなアプローチを取り入れる中、一貫してほとんどイメージを変えないことでコアなファンからの支持を保ち続けた。

♪Slayer「Hell Awaits

 

 

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著者略歴

  1. 齋藤桂

    1980年、大阪府生まれ。博士(文学・大阪大学)。京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター准教授。専門は日本音楽史、ヘヴィー・メタル。著書に『〈裏〉日本音楽史――異形の近代』(春秋社、2015年)、『1933年を聴く――戦前日本の音風景』(NTT出版、2018年)、『ベートーヴェンと大衆文化――受容のプリズム』(春秋社、2024年、共編著)、論文に‘Heavy Metal Scene in Osaka: Localness Now and Then’, Bardine, Bryan A., and Jerome Stueart, eds. Living Metal: Metal Scenes around the World, Intellect, 2022など。

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