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坐禅の割り稽古 試論 藤田一照

積極的休息姿勢で重さを手放すワーク・坐位での接地性

 前回に引き続き、今回も「調身における releasing の割り稽古」について参究していこう。

 道元禅師の言う「ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいへになげいれて」(『正法眼蔵 生死』)を一言でまとめて言うために、私はとりあえず release(解放する、自由にする、解除する)という英語の動詞を使うことにした。あるいは、let go(手放す、捨てる)でもよいかもしれない。

 いずれにせよ、このような放ち、投げ入れることを坐禅における調身の営み、すなわち「自分と大地(あるいは、重力)とのより調和のとれたつながり方の探究」に当てはめてみると、それは具体的には、普段抱え続けている身構え&心構え(構え=人間的な緊張や力み)をはなちわすれ、自らの体重を大地、ひいては地球の中心に向かってすべてなげいれるということになるのではないか。それが私の解釈であった。その結果として、坐禅の大きな特徴であるどっしりとした安定性 stability が生まれるのである。

 われわれはいつでもどこでも大地に支えられて存在しているが、そのことをすっかり忘れたまま、ほとんどの時間を過ごしている。そんなことはあまりにも当たり前すぎて気にも留めないのだ。忘れていることすら忘れている。ましてや、大地と自分の関係、自分と大地とのつながり方(姿勢のあり方)が果たして調和の取れたものであるかどうかということをわざわざ問題にすることなど滅多にない。自分と大気との関係(呼吸のあり方)、自分と感覚刺激との関係(心のあり方)においても、それと同じことが言える。

 坐禅とは、あまりにも当たり前すぎてわれわれが普段気にも留めていない、こうした大地、大気、感覚刺激とのつながりによって生かされて生きているという基本的な事実にあらためて立ち返り、それをより本来のあり方へと調整し直すことだと言えるだろう。だからそれは、これまでもずっとやってきているし、今もすでにやっていることに、初心に帰って自覚的に取り組み直し、学び直すことなのである。坐禅における調身・調息・調心はそういう意味合いをもっていることを再確認しておこう。

 

割り稽古の3×3の表

 

 Release

(手放す)

 Receive

(受け取る)

 Enjoy

(享受する)

 調身 正身端坐

 大地とのつながり

接地性

体重を大地に全託する

垂直性

大地の支えによって坐る

大地との一体感を味わう

 調息 鼻息微通

 大気とのつながり

出息を余すところなく捧げる

入る息と休息を贈り物としてフルに受け取る

呼吸の快感を味わう

 調心 非思量

 感覚刺激とのつながり

感覚器官をくつろがせ、開く

やってくる感覚刺激をそのまま迎え入れる

刻々の生をその新鮮さにおいて味わう

 坐禅の3つの稽古(調身・調息・調心)を3つの功夫(release・receive・enjoy)に割る

 

 接地性とは自分が大地とつながっている、そのつながり方のクオリティを指している。英語で言うなら groundedness ということになるだろう。「自分の足で大地の上に立っている」ことは、意識しようがしまいが、事実としていつでも起きているのだが、ともすると舞台で「アガッテ」しまった時のように「地に足がついていない」状態になって、落ち着かない感じに陥ることがある。あるいは、逆にしっかり立とうとして一生懸命になるあまり身体を固めてしまい、結果的には思いとは裏腹に重力に逆らって大地とのつながりが弱くなってしまう場合もある。そのように、われわれの大地とのつながり方にはいろいろと問題があるのだ。それを見つめ直すところから坐禅の稽古は始まる。

 前回参考文献として挙げた、メアリー・ボンド著『感じる力でからだが変わる――新しい姿勢のルール』(春秋社)には、「グラウンディング」の項(268~9頁)に次のような指摘がなされている。

 「足が地面を感じなければ、姿勢を支えることはできません。足/脚が緊張していると、地面に対する知覚が弱まり、それに伴われるはずのサポート、安定、バランスなどの感覚も弱まります。地面が十分に感じられていないと、骨盤底や内臓、呼吸、肩、顎など、どこか別のところにサポートを求めてしまうものです。姿勢ゾーンがどこか一箇所でも閉じてしまえば、それは全身の動きの制限につながります。足の感じる力なくして、姿勢の適応力や動きの優雅さを手に入れることはできません。」

 そういうことになりがちなわれわれだからこそ、接地性が修行の「課題」となるのである。

 信じようと信じまいと、修行しようとしまいと、すでに本来的には接地しているのだが、それを修行の課題として自覚的に取り上げ、接地性をさらに体究錬磨していこうとするのだ。仏道の修行というのは、この本来性と課題性という二つの特性の緊張関係の間で行われるようになっている。本来はすでにそうであるにもかかわらず、事実としてはそれが完全には実現していないというところから出発するのだ。修行というわれわれの側の営みとは無関係に、すでに本来性として無我であり空なのだが、われわれはいろいろな理由であたかもそうではないかのように生きてしまっている。だから、それを課題として受けとめ、修行を通して深く掘り下げ、体得し、実現していこうとするのだ。

 

 坐禅の指導においては、これまで姿勢に関して、「山のように不動の姿勢で坐る」というような表現で「安定性」が強調されてきた。しかし、この表現はしばしば誤解されて、過剰な「支え過ぎ」を生み出してきたのではないだろうか。その結果、頭と胴体を上に向かって懸命に持ち上げようとする「持ち上げすぎ状態」が惹起され、かえって接地性を損なうことになった。良かれと思って使われた表現が、場合によってはまったく逆の効果をもたらすことにもなるのである。指導する側にある者は、自分の使った言葉が実際には相手にどのように伝わり、どのような結果をもたらしているかに敏感でなければならない。

 接地性の質を上げるには、筋肉を緊張させて上に向かって持ち上げるのではなく、その逆に、余計な緊張を手放して真下の大地に向かって落としていくことが求められる。体を緊張させて持ち上げるのではなく、最大限くつろがせて大地にしっかり「置いていく」のだ。立っている場合なら、地面に接している足の裏全体、坐っているなら坐骨や膝の周辺でできる坐禅の姿勢の接地面全体をしっかりと大地(床や椅子の座面、坐蒲や座布団)に着け、そこに体重を預けるようにする。重力が下(地球の中心)に向かって自分を引っ張ってくれているのにまかせ切っていくのである。身体の重みを大地に向かって明け渡し、ゆだねていくと言ってもいいだろう。あれやこれやの思いもすべてそれと一緒に手放していく身心一如の手放しである。つまるところ、調身における releasing とは、自分の重さ(身)も思い(心)も放ちわすれて、大地という「仏のいへ」へ投げ入れていくことなのだ。

 身体と大地が触れている場所を接地面と呼ぶ。この接地面を介して自分と大地が触れ合い、交流している。前回⦅接地感のワーク② 二方向の接地感の分解と統合⦆として紹介したワークは、接地面が足裏である場合のこの交流の様子を実地に味わい、稽古するものであった。今回は、ソマティック・ワークの世界で「積極的(あるいは、建設的)休息姿勢 constructive rest position 略して CRP」と呼ばれている、仰臥位で行う接地性のワークを紹介する。constructive(建設的な、積極的な)という形容詞がついているのは、単に眠るためというような消極的な休息ではなく、目覚めている状態で積極的に休む時間をとることで、疲れやストレスをリセットし、痛みにつながりそうな癖もリセットして、新たに生き生きと動く助けとするという建設的な意図をもってする、極めて積極的な休息の行為だからである。重力の引きの力が身体中の筋緊張を減少させ、筋の弛緩がバランスよく起こるのを助ける姿勢とされており、アレクサンダー・テクニークでは「セミスーパイン semi supine」とも呼ばれている。supine とは「仰向けになった」という形容詞で、膝を曲げているので上半身だけ仰向けになったという意味でsemi(半分)と言うのだろう。 

 ちなみに、ヨーガには「屍のポーズ(シャバ・アーサナ)」と呼ばれる類似の仰臥位のポーズがある。膝や肘を曲げずに伸ばしているところがCRPとちがっている。私がかつてヨーガの手ほどきを個人的に受けていた「アーディ・ヨーガ(原初のヨーガ)」主宰者の塩澤賢一先生は「背骨のカーブがなくなるのは、普通は臨終のときだけです。人が息を引き取ると、背骨はほぼまっすぐ伸びた状態になります。生きながらにしてこの状態を目指すのが、本来のシャバ・アーサナです。仰向けのまま腰椎の反りを少なくしていき、完全な弛緩、完全な休息をめざすのです。もしできたら名手です」と語っている(塩澤賢一『いのちが目覚める 原初のヨーガ――解説と実践』新泉社)。ハタヨーガのさまざまなアーサナ(体位)の修錬は、究極的には、そういうシャバ・アーサナの完成を目指しておこなわれており、いわば体位とも言えないようなあのシンプルな仰向けで横になるだけのポーズが、実はヨーガの最奥義なのです、とも仰っていた。

 しかし、われわれの多くは太腿の前側の筋肉(大腿四頭筋)やその周辺の筋肉が縮んでいるので、脚を伸ばして仰向けになると、骨盤の前部が足の方に向かって引っ張られて腰の反りがさらに大きくなってしまう。それと連動して首の反りも大きくなる。これでは、抗重力姿勢で負荷のかかっている背骨を休ませ、自然に伸ばすために仰向けになったにもかかわらず、頚椎と腰椎は依然として負荷を受け、緊張を強いられ続けていることになる。そこで、膝を立てた状態で仰向けになるCRPが考案されたのである。膝を立てると、脚からの骨盤の引っ張りがなくなり、腰椎と首のカーブが伸び、腰と首の部分が適度に伸ばされて緩み、背骨が鎖のようによりまっすぐに伸び、よりリラックスしやすくなるからだ。ソマティック・ワークの世界でCRPが重宝される所以である。

 

 それでは、CPRのやり方を説明しよう。これは、塩澤先生やアレクサンダー・テクニークのレッスンで学んだことをもとに、「坐禅の割り稽古」という文脈に沿うように私なりに考案したものである。

 

 坐禅の姿勢は、重力に対して自分の体の軸(頭頂部と会陰を貫いて結ぶ脊椎の前側あたりを通る直線のこと:上図参照)を鉛直に立てているが、CPRでは、体軸は水平になっており、床との接触面は最大に近くなっているので(のちに述べるヨーガの屍のポーズの方が接触面は若干広い)、安定性も非常に高い。もうそれ以上倒れようがないからだ。体を床にしっかりと置き、体の重さを最大限手放す稽古をするには最も好適な姿勢とされる所以である。

 私は、坐禅も積極的休息姿勢の一つだと考えている。このCRPの稽古によって、深い積極的休息状態を会得することで、坐禅にもそのようなクオリティがもたらされることを期待している。

 

⦅積極的休息姿勢で身体各部の重さをさらに手放すワーク その1⦆

0.

身体は、床や畳、テーブルのようにある程度固く、平らな面で支えられるようにすること。柔らかすぎると床からのサポートを感じにくいので、ベッドなどは不適。もし必要ならヨーガマットか薄い毛布を下に敷いても良い。後頭部を支えるための枕に使う本を適当な冊数用意しておく。厚さの細かな調節ができるように、薄い本を揃えておくのが良い。頭を持ち上げる高さは通常、自分の親指の幅程度と言われている。

1.

両脚を伸ばして床に坐る。両足はつけないようにし、適当なスペースを開けておく。

  

2.

両手、両腕で上体を支えながらゆっくりと上体を後に倒していき、背中を下から順に床に着けていく。

尾骨 → 仙骨 → 腰椎 → 胸椎 → 頚椎 → 後頭部。腰椎や頚椎の湾曲部は実際には床に着かない部分もあるが着けるつもりで丁寧に置いていくようにする。

途中からは手ではなく肘を支えに切り替える。

間を飛ばさないように、下から順番に一つ一つの椎骨をなるべく相互に距離をおきながら、背骨全体がなるべく長くなるようにして床にゆっくりと置いていく。

これは背骨に焦点を当てたワークなので、それ以外の部分(腹筋や脚、足)にはなるべく緊張を生まないように工夫し、余計な動きを最小限にすること。背骨全体を鎖のように感じ、その環をから一つ一つ置いていくようなイメージで動くといいかもしれない。

前回、立位でやった背骨のアーティキュレーションのワークを、床の上で、仰臥位でやっていると言える。

  

  

最後に後頭部を用意した本の上に置き、顎を楽な程度に引く。

顎が閉まりすぎたり、開きすぎたりしないよう、首が最も長くなるように本の厚さを調整する(慣れるまではパートナーに見てもらって手伝ってもらうとよい)。

首の後ろ側と、前側が、どちらもひっぱられ過ぎず、前側と後ろ側がちょうどよいバランスであればよい。自分にとって楽で心地よいことが大切。

   後ろがひっぱられている

   これだと前がひっぱられている

腕は脇横に置いて、手のひらを上に向ける。これでまずは屍のポーズになる。

  

3.

左脚のひざの裏をゆるめながら、ひざを曲げていく。なるべく力を入れないように、楽に曲げられるように工夫すること。

足裏を床に着け、ひざを天井に向ける。骨盤と足裏を底辺とし膝が上にある三角形ができる。

骨盤が緊張していることに気づいたら、そこを緩め床に再び休める。

  

右脚も同じように動かして曲げていく。膝を曲げる角度はほぼ90度が目安。それより角度が小さいと膝の部分に余計な緊張が生じるし、それより角度が大きいと、骨盤がより良い位置をとるのに大腿の重量が及ぼす効果が減少する。

  

こうした感覚を手がかりに膝の角度を調整し、脚と骨盤でできている二つの三角形がバランスで立っているようにして、脚の筋肉を極力くつろがせる。

膝と膝の間、足先と足先の間は、骨盤の幅と同じくらい離しておく。

脚の重さは足裏と骨盤が支えているので、大腿は踏ん張る必要がなくなる。

4.

ひざを立てた後、胴体が窮屈に感じたり、また、床に触れているところが不快に感じる場合は、足を骨盤に少し近づけてから、足裏で床を踏んでお尻を浮かし、胴体の長さを思い出しながら、骨盤が頭から離れていくようにしてから、骨盤をゆっくり床に置き直すと腰回りが解放される。

足裏の位置を再調整する。「足裏が床面に摩擦で止まっているから膝を立てていられる」と考えると、足と背中の筋緊張を緩ませやすいだろう。

5.

ひじを胴体から少し離して曲げ、手のひらをお腹の上に軽く載せる。両手は重ねても、重ねなくても良い。楽な方を選ぶ。

腕の重さは肩、肘とお腹が支えてくれるので、極力リラックスさせる。

  

6.

体全体の長さ、広さを感じ、体全体が床に支えられて楽に休んでいるのを味わう。

7.

そのまましばらく休む。 (これは、CRPが体に及ぼす微細な影響を感じとるワークなので、極力、意識の覚醒度を保つようにすること。居眠りしては肝心のところを学ぶことができない。単に眠るための休息ではなく、気づきを保ってワークから何かを学ぶからこそ「積極的休息姿勢」と呼ばれるのである。CRPで居眠りしないようにすることは、坐禅の時に、居眠りをしない稽古にもなるだろう。)

体がおのずからにだんだんゆるんでいくのを見守る。もしそういうことが起こらなくても、急がず焦らずそのまま時間をとって、起こることにまかせておく。自分では気づかないくらい微妙な変化が起きているから、自分でことさらに伸ばしたりするといった余計なことは控える。

時間をかけて自分の緊張と親しみ、それを理解することを最優先すること。

8.

CRPの姿勢を十分に味わってから、この姿勢のままさらに次のような内的ワークを行い、緊張している筋肉からさらに力が抜けていくかどうかを試してみよう。

身体が床に触れている場所を感じる。足裏、骨盤、背中、肘、後頭部といった体重がかかっている場所を感じてみる。

それぞれの場所を感じながら、時間をかけて体重を手放していく。本当に体重を手放せているだろうか? その部分の重みを感じ、それが自分から離れて、床の方に落ちていくままにする。それが自分のものではないかのように手放すことができるだろうか?

腰や背中が柔らかくなって、床に広がっていくよう想像する。

床に頭を完全に支えさせているだろうか? 頭に執着して緊張させていないだろうか?

床に触れているすべての場所が溶け合って、一つの接触面の感覚になっているのを感じる。

身体が床に入っていくのを感じる。床が身体に入るのを感じる。さらにそれを一つとして感じる。

この内的ワークを始める前よりも接地面が広がっていないだろうか?

しばらく、CRPの姿勢の変化を味わってみる。

9.

ワークが終了したら、ゆっくりと起き上がる。

実はCRPのワークは仰臥位になってそれで終わりではなく、そこから立ち上がって立位になったり、歩いたりして、ワークの前後の違いを体感するパートもその重要な一部になっている。CRPの効果を味わうことが一段落したと感じられたら、そのままだらだらと床におらず、きっぱりときり上げて、立ち上がるタイミングを知ることが大切である。

首は楽なままに、まず頭を横に回転させ、手足・胴体がそれについて動き、横向きになってから、なるべく楽なやり方で起き上がる。

背骨全体が上かららせん回転で動きながら、ゆっくりと無理なく立ち上がっていく。

10.

見渡せる範囲が広くなっていないだろうか。視線が高くなっていないだろうか。足裏が地面にしっかりとついていて、体がゆるやかに上に伸び、首が楽になっていないだろうか。

体の軽やかさに気づくかもしれないし、逆に体の重さに気づくかもしれない。

足が床に触れる感覚と、見えるもの、体の動き、それらを味わいながら歩いてみる

 

  このワークを試された方は、ワークの前後で、からだの感じや周囲の見え方などに何か変化があっただろうか? 自分を上に引き上げず、自分の重さを床に置く感覚が幾分なりともつかめただろうか? ワークの後にどのような新しい感覚があるかを感じることが大切である。

 続いて、CRPの姿勢で接地感を深めていくためのもう一つのワークを紹介する。

 息が出ていくということは、手放すこと、しがみつきをやめることに連なっている。いずれも、releasing、あるいは letting go ということでは共通しているからだ。このことを利用して、息を吐くときに身体各部の緊張を緩めるようにするのがこのワークである。ポイントとしては、①息を吐くときには完全に吐き切ること、そしてそのあと②吸い【4】始める前に息が自然に止まるのを邪魔しないこと、である。呼吸はいずれも鼻で行うことを基本原則とするが、必要に応じて口でやってもよい。

 

⦅積極的休息姿勢で身体各部の重さをさらに手放すワーク その2⦆

1.上記のワークの手順で積極的休息姿勢に至る。しばらくその姿勢を味わう。

2.呼吸を意識し、身体は動かさずに、息を吐くたび、下腹の上に置かれている両手の重さを、床に向かって手放していく。少なくとも3回ほどこれを繰り返す。

3.同じような要領で、両腕の重さを手放す。

4.両肩、首、頭、背中の上部、背中の中部、背中の下部、骨盤、両腿、両下腿、足という順番で同じことを行う。

5.最後に、息を吐きながら全身の重さを床に向かって手放していく。

6.ワーク前の積極的休息姿勢よりも接地感が深まっただろうか?

 

 この二つのワークを通して、床に向かって自分の重さを手放す要領がつかめただろうか? 体重を手放したときの感覚が実感できただろうか? 体重と一緒に、緊張や抵抗も手放せただろうか? こういうワークは、「習うより慣れろ(技芸を修得するには、人に理屈で教えてもらうよりも、実地に何度も何度も繰り返して慣れることが大切であること。英語では Practice makes perfect.)」と言われるように、繰り返し稽古して身につけるほかはないので、辛抱強く取り組んでいただきたい。次のワークは、それを前提として考案されている。

 今度は坐位での接地性のワークである。ここでは坐禅の伝統的な坐り方である結跏趺坐あるいは半跏趺坐で坐っている場合で説明するが、それが無理な場合は脚を組まない安楽坐、あるいは椅子に坐って行っても良い。

 

⦅坐位での接地性のワーク⦆

1.結跏趺坐あるいは半跏趺坐で坐る。座布団と坐蒲を使ってなるべく快適な坐り心地で坐れるように工夫すること。

半跏趺坐(左)と結跏趺坐(右)

2.体重が床と出会う場所(接地面)を感じる。

3.坐骨がある場所を感じる。坐骨の正しいポイントに向かって体重がまっすぐ落ちているだろうか? 坐骨の後過ぎるところ(ポイント1)に体重が落ちていると「へたれ腰」になり、前過ぎるところ(ポイント3)に体重が落ちていると「反り腰」になる。後すぎず前すぎずの適正なところ(ポイント2)に落ちていると、自然に腰が伸びて「坐禅腰」になる。

へたれ腰・坐禅腰・反り腰

4.組んでいる脚が床に触れている場所(膝や腿の付け根など)を感じる。そこにも体重が落ちているだろうか?

5.両手がある場所でそれぞれの手が接している部分を感じる。両肩と両腕の重さがそこにしっかり落ちているだろうか?

6.口は閉じているが、下顎は顎関節からぶら下がっているだろうか? 顔面の緊張を極力緩める。口、鼻、目、耳、頬、額などにある微細な緊張に気づき、それが溶け去るのにまかせる。

7.全身の重さ、緊張や抵抗を接触面を通して床に向かって手放していく。

8.さらに、全身の重さ、緊張や抵抗が床下10センチのところまで届くと思って手放していく。上の7のときとは違った感覚があるだろうか?

9.さらに、全身の重さ、緊張や抵抗が床下30センチのところまで届くと思って手放していく。上の8のときとは違った感覚があるだろうか? 床下50センチ、1メートルとだんだん深いところまで届くようにしていく。どのくらい深くまで実感を持って伸ばしていけるだろうか?

 

 このワークのポイントは全身の体重、緊張や抵抗をほんとうに床下の所定の深さまで届けようと誠実に「思う」ことだ。力んだり、どこかを動かしたりせず、何もしないでただそう思うことだけをするのである。あとはからだの方で面倒をみてくれるので、それにただまかせておけばよい。きちんと「思う」ことができていれば、起こるべきことが起きて、それに相応した感覚がそこに立ち上がってくる。イメージを活用するなら、錨を海底に向かっておろしていくイメージ、あるいは木の根が地中深くに向かって伸び広がっていくようなイメージが有効ではないだろうか。思考やイメージは心で行うが、それが適切なものであるなら、それに触発された何らかの感覚が身体に生み出される。そういう心と身の相互関係を使って、深い groundedness を育成しようというのがこのワークのねらいである。

 

参考図書: メアリー・ボンド著、椎名亜希子訳『感じる力でからだが変わる――新しい姿勢のルール』(春秋社、2016年)、 塩澤賢一著『いのちが目覚める 原初のヨーガ――解説と実践』(新泉社、2001年)

イラスト作成: 矢田加代子

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著者略歴

  1. 藤田一照

    禅僧。1954年愛媛県生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程を中退し、曹洞宗僧侶となる。1987年、米国マサチューセッツ州西部にある禅堂に住持として渡米、近隣の大学や仏教瞑想センターでも禅の講義や坐禅指導を行う。2005年に帰国。曹洞宗国際センター前所長。Facebook上に松籟学舎一照塾を開設中。

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