演劇共訳
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。三人集まって相談すれば、素晴らしい知恵が出るものだ、という意味だが、幼い頃は、「もっと大勢集まったほうがいいじゃん」と疑問だった。その後、「船頭多くして船山に上る」という別のことわざを知ることになるのだが、それでも一人でうんうん唸るより、複数人で考えたほうが、よりよいものが生まれやすい。先導する船頭が多すぎなければいいのだ。先導する船頭が多いと変な方向に扇動されちゃうもんね。一人で考えているとこれ以上は出てこない・・・。
翻訳という営みもまた、共同で翻訳することで、一人では見えなかった景色が広がる。ただし、共訳事例が多いかどうかは分野によって異なるだろう。分厚い専門書や研究書だと、しばしば複数の研究者が分担して共訳するが、演劇翻訳の場合はちょっと珍しいかもしれない。その珍しい例がうちの家族で、祖父母(小田島雄志・若子)も、両親(小田島恒志・則子)も共訳を経験してきた。では、演劇で共訳するときはどうするのか? 何が難しく、どこに意義があるのか? 今回はそんな、“演劇共訳”の舞台裏に迫る。
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今年の4月、妻の一川華と『DUMB SHOW/ダム・ショー』(紀伊國屋ホール)という舞台で共訳させてもらった。作者はイギリスのジョー・ペンホールで、この人の作品はどれも軽妙洒脱で面白いのだが、コンテクストの余白が広く台詞に込められた意図や感情が掴みにくい。さらに『DUMB SHOW/ダム・ショー』は内容も複雑だった。プライベートバンクの行員2人がホテルのスイートルームで、大物コメディアンをおだてながら「当行の顧客にならないか」「うちでトークイベントをしてほしい」などと誘う。大物コメディアンはその気になるが、銀行員の正体はスキャンダルを暴こうと目論む雑誌記者で、2人はコメディアンから巧みに話を引き出して “秘密” に迫っていく・・・というストーリーだ。全員が腹の底に何かを抱え、ジョークや皮肉を織り交ぜながら駆け引きを繰り返すため、いつも以上に台詞の真意が読みとりづらかった。そんな難易度の高い戯曲に、妻と二人寄って何とか文殊の知恵をひねり出そうとしたわけだ。
具体的にはまず、私がざっと訳してから妻が赤を入れ、それを基に二人で話し合って初稿を製作することにした。前後半で分け合って訳してから合体させる手も考えたのだが、その場合はお互い逐一確認しながら作業しないと、口調やテンションが大きくズレてしまうかもしれない。どうせ最終的に話し合って統一を図るとはいえ、たたき台となる日本語があったうえで修正していくほうが、人物像や台詞の解釈、そこから生まれる日本語の方向性をスムーズに話し合える。前半の仕上がりを待ち、それを修正したうえで相方が後半を作業する、といったパターンも考えられるが、それだと時間がかかってしまう。
というわけで、私が本当の意味での “第一稿” を作ったのだが、いやもう本当に大変だった。まずはジョーク。序盤にこんなやりとりが登場する。リズとグレッグが、銀行員に化けた記者で、バリーが大物コメディアンである。この前にバリーが行っていた番組収録に関する感想を、リズとグレッグが述べるくだりだ。
Liz: I’ve never been in a ‘green room’. It wasn’t very green.
Greg: I laughed until I stopped.
Barry: Y…oh very good…
初めて読んだときは、無理すぎて滅!状態だった。リズの台詞にある “green room” とは「楽屋」の意味だが、リズはここで軽いジョークとして「グリーンルームなのにグリーン(緑)じゃなかった」と言っている。その次のグレッグの台詞は、「笑えるだけ笑った」という意味の可能性もあるものの、文字通り受け取れば「笑うのをやめるまで笑った」となり、要するに当たり前のことしか言っていない、「そりゃそうだろ」というツッコミ待ちのジョークで、それに対してバリーは「ああ、いいじゃん」と返している。まずリズの台詞が厄介だ。英語の “green” を活かした洒落なので、直訳しても意味が通じない。その次のグレッグの台詞にしても、「笑いやむまで笑ってました」だと、単なる意味不明な台詞となってしまって、「当たり前じゃん」というジョークに聞こえてくれない。私の第一稿では以下のように意訳していた。
リズ 「楽屋」に入ったのも初めて。でも「楽屋」なのに「楽しい部屋」じゃないんですね。
グレッグ 笑いのツボで、笑いのドツボ。
バリー え・・・あ、いいねそれ・・・
完全に苦肉の策である。「楽屋」と「楽しい部屋」は、漢字を見れば多少はジョーク感が出るかもしれないが、耳で聴いているだけだとパッとイメージしづらい(そう言えば「耳」で「聴く」のも当たり前なのに、自然な表現としてよく使う。「足で聴く」とかありえないのに)。そしてグレッグの「笑いのツボで、笑いのドツボ」は、シンプルによく分からない、と妻に言われた。しゅん。
そして、妻の修正案がこちら。
リズ 「舞台袖」にいったのも初めてで。何が袖か分からなかったけど。
グレッグ 笑いのツボで、笑いのドツボ。
「楽屋」を「舞台袖」に変換して、「袖」の意味に引っかかるような台詞にしたわけだ。たしかに「楽」という漢字に引っかかるよりかはイメージしやすい。ただしこの段階では、グレッグの台詞は私の原案のままになっていた。ドツボという言葉自体を気に入っていた私もいて、話し合い中にちょっと粘ってみたりもした。ドツボにハマっていたのは私でした。ただ、演出の田村孝裕さんとも打ち合わせを行った結果、やはりちょっと分かりにくい、という結論に至り、その後再び妻が出した修正案がこちら。
リズ 「舞台の袖」に行ったのも初めてで。何が袖か分からなかったけど。
グレッグ 私のほうは、スタッフさんから袖にされちゃいました。
バリー え・・・あ、いいねそれ・・・
リズの台詞にネタを重ねる形とした。ここでのポイントは、グレッグのジョークにバリーが反応を示すという点である。「あ、いいねそれ・・・」は、本気でいいと思っているというよりも、とりあえずリアクションを取ってあげた、という心のこもっていない返答ではあるが、逆に言えばグレッグのジョークはリアクションを取れるレベルには達していないといけない。バリーがリアクションを取ることで、この後の会話が展開していくからだ。原文からはだいぶ離れているが、会話の流れ全体を訳して、次に繋げていく。その方針に基づいた翻訳が、上記の修正案である。
第3回目の「翻訳不可能?な台詞」でも取り上げたが、ジョークを訳すのは至難の業だ。直訳しても意味が通じないし、あまりにも日本語を強調したネタに置き換えると世界観を壊してしまう。そもそも、「向こうだったらウケるけど、、、」みたいなネタも多い。そして、英語のオシャレな洒落が日本語のサムいオヤジギャグになってしまったら目も当てられない。今回のグレッグは、爆笑必至の面白いものにする必要がなかったので助かったが、ジョークをどう置き換えるかは、現場で演出家や俳優たちと相談しながら練り上げることもある。その点、共訳は第一稿の段階でお互いアイデアを出し合い精査できるのでありがたい。ドツボはボツになったけどね・・・。
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共訳すると、自分は何気なくさらっと読んでしまっていた箇所に、相手が作品のテーマに繋がる重要な要素を見出していたり、自分が読みとれていなかった登場人物の心理に、相手が気づいてくれたりする。『DUMB SHOW/ダム・ショー』では、リズがバリーに、以下のように言っている台詞があった。
Liz: It seems to be getting harder to get to know people. Maybe it’s just getting harder to ‘want’ to know people.
当初、私の第一稿では何気なく、「人と仲良くするってことが、どんどん難しくなってる気がして。難しいって、人と仲良くしたいって思うのが、かなぁ」と訳していた。というのも、リズはこの前に「自分は地味で平凡でつまらない人間だ」「交際がうまくいかない」といった悩みを打ち明けていたので、その流れで「仲良くする」と意訳したほうが自然なような気がしていたのだが、ここの “know” はそのまま「知る」「知りたい」としたほうがいいのでは、と妻に指摘された。リズの吐露である「相手を知る、他人を知るということの難しさ」は、この作品全体のテーマをも照射している。この作品の出だしからしてそうだった。そもそもリズとグレッグは、バリーの “秘密” を知ろうとしていた。しかし探れば探るほど、彼が本当は何を抱えているのか、何を思っているのかが分からなくなり、それこそドツボにハマっていく。
そして、この台詞――「人を知るっていうことが、どんどん難しくなってる気がして。人を知りたいと「思う」のが難しいだけなんでしょうけど」――は、観客に突き刺さる台詞でもある。もしかしたらリズは、人間関係に本気で悩んでいるように見せかけて、敢えて弱みをさらけ出してバリーの油断を誘っているようにも思えてくる。うぶな人物なのか、したたかな人物なのか・・・リズの本性を “知る” のは難しい。翻訳の言葉の相談をしながら、「どういう人なんだろう?」「何を意図したシーンなんだろう?」という、全体的なディスカッションへと広がっていく。そしてまた、細部の相談に戻ってくる。
二人で話し合った箇所を振り返ると、たとえば、私の第一稿では「わたしはいいんですけどね」としていた台詞の語尾の「ね」を削るかどうか、検討した痕跡がある。「ね」をつけると、たしかにちょっとベットリするかもしれない、ここはカラッといきたい、ということで、最終的に削ることとした。他にも、酒をグイグイ飲むバリーに対してリズが“you should have some water” と諭す何気ない台詞を、「水飲んでください」と命令にするか「水飲んだ方がいいかも」という提案にするか話し合っている。言葉の糸を一本一本手繰り寄せ、その感触を確かめながら織り上げていく。翻訳の相談は、なかなか終わりが見えないのだ。
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夫婦で共訳していると、いつでも相談できるメリットがある一方、話がヒートアップして、若干良くない空気になっても逃げ場がない。基本的に自宅のリビングで相談していたので、逃げるとしても自分の仕事部屋だが、いったん引っ込んでもまたすぐに顔を合わせる。その時期の我々に会ったかたは、共訳――共に訳アリな表情――と思ったに違いない。でもぶつかるのは、お互い解釈が、翻訳への信念があるからだと思っている。共に訳アリ、ではなく共に訳あり。だから共訳が成立する。
小田島創志さん翻訳作品 上演情報
❖新国立劇場 2026/2027シーズン昭和100年記念公演
令和8年度(第81回)文化庁芸術祭主催公演
『巨匠とマルガリータ』
原作:ミハイル・ブルガーコフ
翻案:エドワード・ケンプ
翻訳:小田島創志
演出:上村聡史
【キャスト】
成河 / 花乃まりあ / 松島庄汰 / 菅原永二 / 明星真由美 / 小松利昌 / 富山えり子 / 内田健介 / 山本圭祐 / 山森大輔 / 柴一平 / 釆澤靖起 / 近藤隼 / 猪俣三四郎 / 篠原初実 / 笹原翔太 / 大鷹明良 / 篠井英介
2026年11月7日(土)〜23日(月・祝)
東京都 新国立劇場 中劇場


