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言葉の舞台裏 演劇翻訳の悩ましき日常 小田島創志

形容詞こわい

 

 けっして「まんじゅうこわい」と同じノリではない。本当に怖いのだ。匠の技は細部に宿る、ということかもしれないが、優れた劇作家は形容詞1語に思いを込める。そうした形容詞を目にした瞬間、怖くなる。畏怖もあるが、「どう訳せばいいか全然分からないよ」という恐怖が強い。今回はそうした、こわ~い形容詞をご紹介しよう。

 

*

 

 アメリカ演劇を代表する劇作家、アーサー・ミラーの代表作『セールスマンの死』。主人公のセールスマンであるウィリー・ローマンは、60歳を過ぎても自宅や家電、車のローンや保険の支払いに追われるなか、営業成績を上げることができなくなって収入が激減してしまう。それでも、車を運転して遠方までセールスに出かけていたが、妻のリンダの懇願もあり、内勤への変更を会社の社長に願い出ようと決心する。しかし、前からウィリーをお荷物扱いしていた社長のハワードは、ウィリーの要望をすげなく却下したばかりか、激昂してしまったウィリーに対して、これ幸いと実質的な解雇通告を言い放つ。

 現実と幻想の狭間に揺蕩うウィリーは、親友で隣人のチャーリーが経営する会社を訪れる。するとそこには、チャーリーの1人息子バーナードがいた。ウィリーはどうしても、彼と自分の息子を比べてしまう。ウィリーの長男ビフは、高校時代アメフトのエースだったが、大学進学に失敗後は職を転々とする日々を送っていた。それに対して、ウィリーやビフがバカにしていたバーナードは、今や第一線で活躍する弁護士。どうしてこれほど残酷な差がついてしまったのかと、ウィリーの煩悶は深まるばかりだ。

 前置きが長くなったが、ご紹介したいのはそのシーンの形容詞。ウィリーに、なぜテニスラケットを持っているのか聞かれたバーナードは、仕事で訪れる予定のワシントンでテニスコートがある友人の家に泊まるから、と説明する。それに続く二人の会話はこうなっている。

 

WILLY: Don’t say. His own tennis court. Must be fine people, I bet.
BERNARD: They are, very nice.

 

 バーナードの友人は “fine people”なんだな、という感想を漏らすウィリーに対し、バーナードは “nice people”ですよ、と返す。どうして形容詞をずらしているのか。そもそもウィリーが用いている “fine”だが、ここでは「立派な人」「すごい人」というニュアンスのみならず、「上流の人」といったような、社会的なステータスの高さを連想させる。バーナードの友人が「立派」であり「上流な」人間であることに、ウィリーはほんの少し羨望と皮肉を込めているのだ。それに対してバーナードが用いている “nice”には、ステータスというよりも人柄や性格の良さが滲む。相手の立場ではなく人柄が理由で付き合っているのだ――そう仄めかすバーナードは、ウィリーがしのばせた “fine” の棘をそっと引き抜く、実に “nice” な返答をしている。

 含みのある会話というだけではない。重要なのは、2人がそれぞれ人をどう見ているかが、使用される単語の違いに表れているということだ。そしてその違いは、2人が歩んできた生き方の違いをも照射している。ウィリーは常々、仕事も人生も「人に好かれるか」が重要だと考えており、息子たちにもそう教えてきた。これだけだと、ウィリーも “nice” な人を目指しているように思えてしまうが、彼の場合は打算的というか、「“fine”な人に好かれるかどうか」を気にしている感じがする。さらに、好かれるために必要な努力――仕事の腕を上げる努力や、内面を磨く努力、“nice” な人になる努力――を、本人も息子たちもしているようには思えない。それが現在の窮状を招いた理由の一端となっている、とも言えるだろう。 “fine” と “nice” の違いから、ウィリーの生き様が垣間見えるというわけだ。

 今年6月から、東京芸術劇場や彩の国さいたま芸術劇場で上演された『セールスマンの死』(製作:インプレッション)の翻訳を担当した際、本当に恥ずかしながら、稽古に入るまでこの形容詞の違いとそのニュアンスをあまり気に留めていなかった(気づいたとき、稽古場でちょっと変な声が出ました)。当初は、

 

ウィリー    立派な友達なんだな。
バーナード   いい人たちです。

 

というようにしており、このままでも良さそうではあったのだが、「立派な友達なんだな」よりも「すごい友達なんだな」としたほうが、ウィリーの羨望、嫉妬がより色濃く滲むように思え、最終的には皆様と相談したうえで、「すごい友達なんだな」と修正した。現場の皆様が、台詞の相談に柔軟に対応していただける “nice” な人たちで本当に良かった……。

 

*

 

 私も常々、いい人でいたいと思っている。“nice” な人、というのはもちろん、“good” な人でいることも重要だろう。「善良な」を意味する “good” もまた、英語戯曲を読んでいると親の顔より目にする形容詞なのだが、その “good” が大きな役割を担っていたのが、前回もご紹介したトム・ストッパード作『ハード・プロブレム』だった。

 ここで、改めてあらすじを整理しよう……ただし、ほんのちょっとだけ複雑な内容です。ラフバラー大学で心理学を専攻する主人公のヒラリーは、個人指導教員のスパイクと「囚人のジレンマ」について議論する。「囚人のジレンマ」とはゲーム理論の一つで、AとBの2人が罪を犯して別々に捕まったとき、お互い協力する(黙秘する)方がよい結果になると分かっていながら、相手が裏切る(自白する)可能性を恐れ、結局裏切り合ってしまうというジレンマを指す。人は自己の利益を優先し、そのために合理的な選択を下すが、本人も社会もかえって損をする状況が構造的に生まれてしまう――そう示す理論が「囚人のジレンマ」なのだが、ヒラリーは「それだと人間性を考慮していない」と反論する。そして彼女は、自分と相方の “ボブ” が宝石を盗んだ、という設定で「囚人のジレンマ」のアンチテーゼを述べていく。

 

ヒラリー    私が一人でやった。ボブは関係ない。犯行現場にもいなかった。
スパイク    それはありえない。
ヒラリー    私が窓を割って、宝石を盗んで、床下に隠した。
スパイク    だからそういうのはゲーム理論じゃありえないの。
ヒラリー    でも私は自白する。ボブに心を入れ替えてほしい。
スパイク(間。)なんで?
ヒラリー    私はいい人だから。

 

 最後の「私はいい人だから」が、原文では “Because I’m good” となっている。ヒラリーにとっての“good” な人間は、他人のことを考えて「利他的行動」を選ぶ。しかしスパイクにとっては、「利他的行動」を取るのは “good” であるからではなく、自己の生存戦略に従っている結果である。つまり、「利他的行動」は「利他的」に見えているだけで、実際は「利己的な欲求」に基づいている、というわけだ。スパイクからすれば、人間の行動を説明する際に “good” ――善や善良さ――を研究のキーワードとして扱うのはご法度なのである。

 進化生物学を振りかざすスパイクに苛立つヒラリーだが、実は彼女、15歳のときに妊娠しており、高校を中退しただけではなく、養子縁組で子供を手放した過去を持つ。その子、キャサリンがどうなったか分からない、誰と暮らしているかも分からない。それでも、自分が “good” ――善良――でいれば、神様がキャサリンを守ってくれるかもしれない。そう願って、彼女は毎晩祈りを捧げていた。そんななか、彼女は就職した脳科学研究所で、オーナーの娘キャシーとばったり出会う。自分の子と同じ名前、齢も近い――ドキッとする彼女だが、数年後に転機が訪れる。共同論文を発表した後に、部下で共著者のボーが実験結果を不正に操作していたことが露見してしまったのだ。ヒラリーはボーをかばい――まるで「囚人のジレンマ」アンチテーゼ版のように――責任を取って研究所を退職することに決めるのだが、その実験にキャシーが参加しており、アンケートやデータと照合した結果、キャシーが本当に娘のキャサリンであったことが判明する。

 研究所を辞職する当日、キャシーの養父ジェリーの粋な計らいで、二人は再会する。「元気?」と尋ねるヒラリーに対して、キャシーの答えが “I’m good”――ヒラリーがスパイクに言った台詞と同じである。さあ困った。あくまでもここでの会話は、「元気?」に続く返答なので、「うん、元気だよ」くらいの意味合いである。「私はいい人です」じゃ明らかに会話が成立しない。それでも、ヒラリーに応えるキャシーの台詞に “good” が含まれていることは示したい。何より、母娘が最後に交わす非常に重要なやり取りなので、さらっと流れてしまうような台詞ではなく、いい意味で引っかかるような、粒立つ言葉を当てはめたい。というわけで、なんとかひねり出した翻訳がこちら。

 

ヒラリー  キャシー、元気?
キャシー  いい感じ。

 

 無理があることは重々承知だし、「いい人だから」と同じ表現だとは思えないかもしれない。“いい感じ”な翻訳だ、と言い切れる自信はないが、「いい」というキーワードで繋ぐ努力はしてみた。それこそ “good” な――つまり”excellent” には届かない、「それなり」で「まあまあ」な――翻訳かもしれないし、別の現場で「こんな翻訳どう?」と提案したら、それこそ “I’m good”(このフレーズは、「私は結構です」「遠慮します」という意味にもなり得る)と言われてしまうかもしれない。うーん、翻訳って難しい。

 

*

 

 形容詞は戯曲の世界に彩(いろど)りを添える。それを生かすも殺すも翻訳者の腕次第。原文の風味を翻訳するにはどうすればいいか、とことん追求しようとすると、試行錯誤が果てしなく続いてしまう。

 現在、新訳をまさに試行錯誤中の『ハムレット』。その第3幕第2場最後の独白で、ハムレットはこのように言っている。

 

Now could I drink hot blood
And do such bitter business as the bitter day
Would quake to look on.

 

この俺も、今なら熱い血を飲み干して、
太陽すら目を背ける闇の仕事を、
やってのけることができそうだ。

 

 よく「生き血」とも訳されるhot blood だが、生き血を飲むのは魔女の所業だと考えられており、ここでは復讐のためならどんなことでもやってやろうと意気込むハムレットの決意を表している。hot blood を「熱い血」と訳すと、復讐への情熱は感じるかもしれないが、「どんなにヤバいことでもやってやる」感は薄れてしまう。さあ、どうしよう。このへんで、“熱い” 形容詞が怖い。

 

 


 

小田島創志さん翻訳作品 上演情報


❖KAAT×阿佐ヶ谷スパイダース
『ジャングル』
「なぜ人は線を引くのか」テーマ作品

作:ジョー・マーフィー&ジョー・ロバートソン
翻訳:小田島創志
演出:長塚圭史
音楽:阿部海太郎

【出演】
坂本慶介、藤間爽子、大久保祥太郎、 森一生、李千鶴
板崎泰帆、内間遼、すやまあきら
西山斗真、松本庵路、宮崎柊太
志甫まゆ子、内藤ゆき、足立昂大(日替わり出演)
金栗帆香、城山凛夏(子役/Wキャスト)
平木幹太、村田亘将、依田光正
伊達暁、中村まこと、中山祐一朗
千葉雅子

【演奏】
アミリ健アルヴィン、古燈直人

2026/10/10(土)~2026/11/1(日)
KAAT神奈川芸術劇場 大スタジオ

 

*

 

❖新国立劇場 2026/2027シーズン昭和100年記念公演
令和8年度(第81回)文化庁芸術祭主催公演
『巨匠とマルガリータ』


原作:ミハイル・ブルガーコフ
翻案:エドワード・ケンプ
翻訳:小田島創志
演出:上村聡史

【キャスト】
成河 / 花乃まりあ / 松島庄汰 / 菅原永二 / 明星真由美 / 小松利昌 / 富山えり子 / 内田健介 / 山本圭祐 / 山森大輔 / 柴一平 / 釆澤靖起 / 近藤隼 / 猪俣三四郎 / 篠原初実 / 笹原翔太 / 大鷹明良 / 篠井英介

2026年11月7日(土)〜23日(月・祝)
東京都 新国立劇場 中劇場

 

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著者略歴

  1. 小田島 創志

    1991年生まれ。翻訳家・演劇研究者。武蔵大学、共立女子大学ほか非常勤講師。著書に『ハロルド・ピンター―〈間〉の劇作家』(水声社)、共著に『ジョージ・オーウェル『一九八四年』を読む―ディストピアからポスト・トゥルースまで』(水声社)。舞台翻訳作品に『タージマハルの衛兵』『ブレイキング・ザ・コード』『ドクターズジレンマ』『嵐 THE TEMPEST』『白衛軍―The White Guard』『スリー・キングダムス』など。一川華との共訳作品に、ミュージカル『ケイン&アベル』など。

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