祖父と翻訳
2026年6月8日、小田島雄志が旅立った。私にとっては大好きな祖父であり、演劇翻訳の大先輩でもある。残念ながら、私の翻訳が上演され始めた頃(2018年)には、祖父は既にホームに入っていて劇場に行くことができない状態であり、私が翻訳を手がけた舞台を観たことはなかったし、個別の作品に関して具体的なアドバイスをもらったこともない。それでも、「祖父と翻訳」にまつわる宝石のような思い出が三つ、私の心の中でキラキラと光っている。
❖
小田島雄志は「シェイクスピアを全訳した人物」として紹介されることが多いが、シェイクスピアのみならず、多くの戯曲、小説を翻訳してきた。そのうちの一つ、アメリカの劇作家であるテネシー・ウィリアムズ作『欲望という名の電車』は、祖父が訳した後に父の恒志も翻訳しており、父の翻訳では2002年に蜷川幸雄さんの演出で上演されている(あ、これまでちゃんと紹介していませんでしたが、うちは祖父母、両親、妻、みんな翻訳しています)。
昔、家族で行きつけのレストランにいたときに、その『欲望という名の電車』の話になった。時期は夏だった気がする、ということを除いて、いつごろの話かぼんやりしてしまっているが、そのとき店内で勃発した“議論”ははっきりと頭に焼きついている。仕掛けたのは祖父からだった――「ブランチの教師としての側面を翻訳であまり強調しすぎない方がいいよ」。主人公のブランチ・デュボアは、アメリカ南部の大地主の家に生まれたが、次第に家は没落し、ベル・レーヴという屋敷をやむなく手放す。そこから紆余曲折あって、最終的にニュー・オーリンズに住む妹夫婦のもとを訪れるのだが、その前に彼女がしていた仕事が高校教師である。
祖父が鋭く切り込んだのは、物語の序盤で姉妹が久々に再会するシーンだ。妹ステラの身体つきを確かめようとしたブランチが「立ってみて」と唐突に言い、渋るステラに畳みかける――その台詞が“I said stand up!”。祖父は「お立ちなさい!」と訳したのに対して、父は「立ってって言ったの。はい、起立!」と訳している。確かに父が解釈したように、原文の英語は教師らしい命令口調であり、父の訳はそれを意識して、生徒に呼びかける教師のような口調となっているのだが、そこに祖父は違和感を持ったようだ。ブランチは教師というアイデンティティを封印したがっている、と熱弁を振るう祖父に父が受けて立ち、他に客がいなかったとはいえ、母がレストランの人に「ごめんなさい、ヒートアップしていて」と謝っていた。
そのレストランは陶器の皿などを展示販売するギャラリーが併設されており、母や私、祖母は、アツいバトルを繰り広げる祖父と父を二人席に残して、途中から静謐な心持ちで皿を鑑賞していたため、残念ながらこれ以上の詳細は覚えていない(し、私以外はみんな酒を飲んでいたため、この話を私以外の誰も覚えていない)。ただし、同じ作品を訳した者同士、どこか楽しそうに言葉を交わす二人を見ながら、翻訳の言葉一つでキャラクターの性格、想念、葛藤のベクトルを左右してしまうのだということを、そして人は酒を飲んだら声が大きくなるのだということを、強く心に刻んだのだった。
❖
祖父から直接、翻訳について話を聞く数少ない機会の一つが、早川書房の演劇雑誌『悲劇喜劇』の特集「翻訳劇について」だった。2012年6月号の特集で、祖父との対談「翻訳の「志」」を組んでもらったのだ。2012年は、私が祖父と同じ東大英文科に進学した年であり、専門の作家や作品はおろか、自分の生き方すら見定める前の、茫漠たる海にふわふわと漂っているような状態で、そんな折の祖父の話は、どこの港を目指すべきか示唆してくれる、灯台(東大だけに)の明かりのように思えた。
この対談は、15ページも割いてもらっていて、話題も翻訳に限らず多岐にわたっているのだが、祖父が語っている「ぼくの場合、詩人になるのを落第した男なんだよ。だから言葉の持ってる詩の力をぼくは使いたいし、感じたい」という言葉が強く印象に残っている。たしかに祖父は詩人だった。詩人の魂で、シェイクスピアを翻訳していた。そして詩情は、シェイクスピアのみならず現代演劇の台詞にも流れている。押韻していなくても、ブランク・ヴァースでなくても、現代語なりの詩情が、優れた現代演劇の台詞には感じられるのだ。どんな作品と向き合う時にも、祖父は英語の美しさとリズムを、日本語ならではの美しさとリズムに置き換えることに、心血を注いでいたのだと思う。
そんな詩人は、どうして演劇という海に飛び込んだのか。祖父は対談のなかで、登場人物の言動の裏側にあるものに関して、「自分だってなぜかわからない、それが人間だっていうのがシェイクスピアなり、現代劇なんだよ」と言っている。祖父が29~30歳(1960年)の頃に書いたエッセイ「詩とユーモア――イギリス演劇ノート」の冒頭では、「イギリス演劇はなんとなくつかまえにくい。スカッと割り切れない。そしてまたその割り切れないところに、イギリス演劇固有の魅力があるように思われる」と書かれているが、その魅力は祖父のなかで、2012年になった当時も輝きを放ち続けていたのだろう。
話を翻訳に戻すと、対談中に言った祖父の言葉「翻訳するときにまったく頭になかったのを観る喜び。これが芝居翻訳者のいちばんの喜びだろうね」を、今の私は心の支えにしている。翻訳第一稿を作成しているときの想像を超えた舞台が、スタッフ・キャストの力によって実現している。その光景を何度も観たくて、私もまた、怒涛に乗り、ときに抗い、演劇の海を泳いでいる。
この対談は他にも、貴重なものを残してくれた。まずは “写真”。私と、祖父と、当時早川書房に勤めていた伯父と写っているのだが、3人の写真は『悲劇喜劇』掲載のこの1枚だけである。他には“発見”。祖父と私の、明確な共通点を見つけたのだ。それは、待ち合わせや集合時間よりもはるかに早く到着してしまうクセ。対談の収録で、早川書房のビルに1時間近く前に着いてしまい、どうしようと思って近くをウロウロしていたら、同じようにウロウロしている祖父に会った。そして、二人で一時間近く前に早川書房に乗り込んでしまいました。本当にすみません…。
そしてもう一つは、“本”。それが三つ目の思い出に繋がっていく。
❖
同じ2012年、私は祖父に導かれて「グリーンランド」に上陸した。といっても、デンマークの自治領となっている北極圏のあそこのことではない。グレアム・グリーンの小説世界の虜となったのだ。たしかその年の初めに祖父の訳で『事件の核心』を読んだのがきっかけでグリーンの季節が訪れ、対談時に好きな作家としてグリーンの名前を出している。おそらくそれがあったからだと思うが、祖父はその年の誕生日プレゼントで、自ら訳して1974年に出版されたグリーンの長編小説『名誉領事』(早川書房)を私にくれた。
『名誉領事』は祖父にとっても特別な作品だったようで――もしかしたら冒頭に、祖母の専門であったトマス・ハーディの言葉「あらゆるものは、おたがいにまざりあう――」が引用されているということもあるかもしれないが――対談時にも、翻訳した際のエピソードを嬉しそうに話してくれたし、それ以前にも何度か、この作品の話は聞いていた。ただ実際に読んでみると想像以上に惹き込まれた。物語はアルゼンチンの地方都市を舞台に、イギリス人を父に持つ医師ドクター・プラー、イギリスの名誉領事チャーリー・フォートナム、教会に失望し神の信仰を捨てた元司祭のレオン・リバスを軸に展開し、レオンが仲間の弁護士アキノとともにアメリカ大使を誘拐する計画を立て、大使と間違ってフォートナムを誘拐してしまうことで、登場人物たちはそれぞれ閉塞的な状況へと追い込まれる。それと同時に、プラーとフォートナム、フォートナムの若い妻クララの三角関係が描かれる。愛と友情、神の存在を主題に据えつつ、追うものと追われるものの息詰まる緊迫感をはらんだ、いかにもグリーンらしい小説だ。
思い出の三つ目が小説の翻訳書、というのは、演劇翻訳のエッセイ、としてはいささか都合が悪いかもしれない。白水Uブックスのシェイクスピアやハロルド・ピンター全集、アーノルド・ウェスカーの戯曲集といった演劇関連の翻訳書も、それ以前に祖父からもらっていて、だったらそっちの話を書けよ、と思われるかもしれないが、この『名誉領事』の翻訳は、とにかくかっこいい。グリーンの匂い立つような文体が祖父の日本語に息づき、情景をくっきりと浮かび上がらせている。翻訳とは字面のみならず、意味のみならず、言葉が照射するものすべてを置き換える作業である――そうした祖父のメッセージが込められているようだ。
そして何より、この『名誉領事』が、祖父から直接もらった最後の本となったために、私の本棚でひときわ鮮烈な光を放つこととなった。表紙をめくったところには、「創志へ 二〇十二年八月八日 雄志」と書いてある。今でも時々、宝物の存在を確かめるようにそっと本を開いて、その言葉を眺めることがある。すると勝手に、祖父から何かを託された気分になるのだ。
❖
6月10日、私が翻訳した『ロミオとジュリエット』が光文社古典新訳文庫から出版された。去年からシェイクスピアの翻訳に少しずつ挑戦しており、『ロミジュリ』は2025年9月に水戸芸術館で上演した際の台本に修正を加えたものである。私のシェイクスピアの翻訳が活字として世に出たのはこれが初めてだった。
祖父が息を引き取ったのは冒頭に書いた通り8日だが、『ロミジュリ』の見本をそれ以前に送ってもらっていたために、旅立つまでの2~3日、その本は祖父の枕元に置かれていた。その後は祖父の翻訳した『ハムレット』などと一緒に、棺のなかに入れてもらった。旅の途中で読んでくれることを願って。
もう一つ。7月~8月に新国立劇場で『20の物語 -週末を、劇場で-』が開催されるが、そのなかの1作品として、祖父訳の『マクベス』がリーディング上演される。こちらは4名の俳優のみで演じる都合上、私が構成を担当しており、昨年からずっと祖父の翻訳に、これまで以上に深く向き合ってきた。祖父の翻訳を再構成する役目が私でいいのか、悪いのか、いいは悪いで悪いはいいのか……と葛藤する毎日だが、シェイクスピアの翻訳をめぐる踏み込んだ対話を、祖父と繰り広げている感覚に心が躍ってもいる。なにしろ初めての“共同作業”だ。
『マクベス』はもう少しで本番を迎える。“祖父と翻訳”の思い出は、更新が止まる訳ではないようだ。
小田島創志さん翻訳作品 上演情報
❖リーディング公演『マクベス』
【作】ウィリアム・シェイクスピア
【翻訳】小田島雄志
【構成】小田島創志
【演出】鵜山 仁
【出演】岡本健一、中嶋朋子、木下浩之、一柳みる
2026年7月17日(金)18:30
2026年7月18日(土)19:30
2026年7月19日(日)14:30
2026年7月24日(金)20:00
2026年7月25日(土)13:00
2026年7月26日(日)19:30
❖ラスト・ヤンキー(一幕版)
【作】アーサー・ミラー
【翻訳】小田島創志
【演出】蓬莱竜太
【出演】本折最強さとし、石母田史朗
2026年7月30日(木)20:00
2026年8月1日(土)18:00


