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言葉の舞台裏 演劇翻訳の悩ましき日常 小田島創志

翻訳不可能?な台詞

 

 生成AIが身近にある今の時代、「外国語の意味が分からなくて困る」という事態にはあまり陥らないかもしれない。辞書がなくても、語学の知識がなくても、だいたいの意味を捉えた和訳であれば、あっという間にできてしまう。そんな時代にあっても、演劇翻訳の場合は 「訳せない台詞」に頻繁に直面する。

 

 

  そもそも、「訳せない台詞」と聞いて、どんな台詞をイメージされるだろうか? 使われている単語が難しい、構文そのものが難しい――たしかにそういう場合も多い。しかし、ごく簡単な単語でも、演劇翻訳の袋小路に入り込んでしまう場合がある。2021年に翻訳したレイチェル・デ=レヘイ作『ウエストブリッジ』(国際演劇協会ワールド・シアター・ラボ vol.1)では、“Asian” という単語が訳せなかった。え?「アジア(出身の)人」でいいしょう?と思われるかたもいるかもしれないが、この作品はロンドンを舞台にしたイギリス英語の戯曲だった。イギリス英語でAsianというと、インド、パキスタン、バングラデシュ、スリランカなどにルーツのある人々を指すことが多く、これに最も近い日本語は「南アジアの人々」だろう。イギリスでも現在は、正確を期すために“South Asia”や“South Asian” という呼称がしばしば推奨され、南アジアの人々に限定して“Asian” を使うべきではないという見解も生まれつつあるのだが、イギリスの戯曲を読んでいると、インドもしくはパキスタンの人々を指して“Asian” と言っている場合が多い。

 実際に『ウエストブリッジ』でも、ロンドン生まれの主人公ソリヤは父親がパキスタン出身で、劇中の台詞では明らかにパキスタンルーツの人物を指して“Asian” が頻繁に使われていた。特にこの作品は、イギリス社会における人種的・文化的なアイデンティティが複雑化し、偏見や固定概念、社会的分断が助長されがちななかで、共通理解をどう深めていくべきか、ということがテーマの一つだった。そのため、“Asian” という言葉に関しても、ソリヤたちにずっしりとのしかかるような質感だったり、その言葉がレッテルのように機能してしまう危うさを感じさせる。ただし、劇中の “Asian” をそのまま「アジア人」「アジア出身の人」と訳すと、原文と日本語でイメージされる地域にずれが生じてしまう。かといって、舞台上で俳優が「南アジア」と言ったとき、どの地域を指すかすぐにピンとくる観客は少ないのではないか。そのため2021年の翻訳では「パキスタンの」「パキスタン出身の(人々)」などと訳したが、本当にそれでよかったのか、今でも心にしこりが残っている。

 

 

 英語圏の戯曲では、言葉の音やリズム、慣用表現を活かした連想ゲームが頻繁に行われる。これが大問題で、洒落を翻訳しようと思うと、(二つの意味で)洒落にならない苦労がある。第1回でもご紹介した、アラン・エイクボーン作『Private Fears in Public Places』では、以下のような会話があった。

 

IMOGEN:  First time we should go dutch.

DAN: Oh, no. I’m sorry, I don’t hold with these foreign practices.

 

イモージェンの台詞 “go dutch” はよく知られているように「割り勘」という意味だが、ダンはそのdutch を、敢えて文字通り「オランダ」と解釈し、「外国の習慣は受けつけない」と答えている。これをそのまま訳しても、ダンがどうして「外国の習慣は受けつけない」と返しているのか、意味不明になってしまう。ダンは「自分にはユーモアがある(実際のところはさておいて)」とアピールしたがっており、イモージェンの言っていることに対して、なんとか小粋に返そうとしているという会話のエッセンスは残したかった。というわけで、台本では以下のように訳した。原文よりだいぶ寒いオヤジギャグになってしまいました。ごめんなさい……。

 

イモージェン:最初は割り勘のほうがいいと思います。

ダン:あ、そっちね。割り勘(●●●)なんてわりぃか(●●●●)、なんて思わなくていいよ。

 

 同じダンとイモージェンの会話では、他にも悩ましい台詞があった。この二人、実は出会い系で知り合ったばかりで、お互い偽名を使ってデートしている。ダンは「リチャード」という偽名を使っているのだが、彼は途中で本名を明かそうと決意する。

 

IMOGEN: What’s your real name, then?

DAN: It’s Daniel. Dan. Most people call me Dan.

IMOGEN: That’s even nicer. I much prefer Dan to Dick.

 

イモージェンが最後に言っている “Dick” というのは、元々リチャード(Richard)の愛称として知られているが、「ディックよりダンのほうがずっと好き」だと、これまた意味不明となってしまう。そもそも “Richard” の愛称が “Dick” だということは英語名の知識がないと繋がらないし、なぜイモージェンは「ディックよりダンのほうがずっと好き」なのかが伝わらない。ここでは単に名前の好みを言っているわけではない。英単語の “dick” には「ばか」「嫌な奴」「最低野郎」もしくは「男性器」の意味があり、イモージェンはこうした意味を想定して、わざわざ “Richard” を “Dick” に言い換えているのだ。イモージェンにはどこか男性恐怖症のようなところがあり、実際に初対面の男性にわいせつ行為を受けたことを告白してもいる。単なる言葉遊びを超えて、そうした過去への思いを想起させる台詞でもあるのだ。

 さて、これをどう訳したかだが、結論から言って、私の技量では無理だった。ただこれも、「リチャードという名前よりもダンのほうがずっといい」という要素は残したかった。さらに、この後の場面における台詞の都合上、「リチャード」と「ダン」と「ダニエル」のほかにもう1つ、別の名前を出す必要があったので、以下のような台詞にした。

 

イモージェン:そっちのほうがずっといい。リチャードって、なんかイメージ悪いし。リチャード三世みたいな。

 

世界中のリチャードさんに謝罪するべき台詞となってしまったが、シェイクスピア作品で描かれるリチャード三世はアンにひどいことをしているし、この作品のイモージェンであればリチャード三世を否定的に言いそうだし、そもそもイモージェン(Imogen)という名前を聞いたら、シェイクスピアの『シンベリン』のヒロインである、あのイモージェンをイメージするし……。という、良い訳の代わりに言い訳を重ねる(第1回でご紹介したように、父から拝借した洒落です)ことになってしまった……。

 原文で洒落のようになっていたり、言葉の連想ゲームのようになっている箇所は、そうなっていることに意味がある。だったら字面を訳すよりも、遊びの要素を訳す方が、登場人物の意図やシーンの面白さが伝わるだろう。日本でも、同音異義を利用した和歌の掛詞のように、言葉遊びの文化がある。そうした日本語の豊かさを意識した翻訳を心掛けたい。

 余談だが、子供のころに親に買ってもらったなぞなぞの本で、「虫は虫でも、赤信号でも渡る虫は?」というお題があった。おそらく9割以上の人が「信号無視(虫)」と答えるだろうが、その本の答えは違った。「動ける虫ならなんでも」。そりゃそうだけどさ……信号無視って答えた子供がっかりするよ……。ただこれも、言葉遊びの文化があるからこそ成立する肩透かしと言える。

 

 

 もう一つ名前の話だが、ジョージ・バーナード・ショー作『ドクターズジレンマ』を翻訳したときも頭を抱える台詞があった。映画『マイ・フェア・レディ』の原作『ピグマリオン』の作者としておなじみのバーナード・ショーだが、1906年初演の『ドクターズジレンマ』も隠れた名作で、私の翻訳では2024年10月に調布市せんがわ劇場の主催で上演した。医者の倫理を問うこの作品は、序盤で主人公の医者リジョンが叙勲され、そのお祝いに様々な医者が彼の自宅まで駆けつける。その最初の人間が、リジョンの昔の同僚シュッツマッハー (Schutzmacher) という医者なのだが、ただ、リジョンの家の女中であるエミーは、彼の名前を間違え、“Dr. Shoemakerがいらっしゃいました” とリジョンに報告してしまう。

 たしかにこの間違いをそのまま、「シューメイカー先生がいらっしゃいました」としてしまっても成立するのだが、どうしてエミーが「シューメイカー」と間違えたのかが伝わらない。ここでのポイントは、シュッツマッハーが舞台上に登場したときのト書きの描写だ。ト書きによると、シュッツマッハーがユダヤ人の医者であり、ユダヤ人だとすぐ分かるような風貌をしていることが示唆されている。そして、1900年前後にイギリスへと移り住んできたユダヤ系の移民は、服飾関係の仕事や靴屋として働くことが多かった。つまりエミーは、「シュッツマッハー」という名前になじみがなかったものの、シュッツマッハーの見た目から彼がユダヤ人であることを推察し、そこから連想して「シューメイカー(靴屋)」と紹介したのである。エミーの間違いには、ユダヤ系の移民に対する偏見と固定観念が反映されているのだ。

 これも結論から言えば、私は翻訳できなかった。「シューメイカー」というカタカナは、一度聴いただけでは「靴を作る人」だとピンと来ない。かといって、ユダヤ人に対する差別は第二幕でも繰り返されるため、軽視して良い要素ではない。そのため、翻訳では「シュー何とか先生」とすることで、エミーが客に対して失礼な紹介をしている、という要素を強調しようとしたが、偏見までは訳出できなかった。

 

 

 訳せない――この苦痛、演劇翻訳者なら頻繁に味わうはずだが、他のかただったらもっとうまく訳せるかもしれないと、自己嫌悪に陥るのも日常茶飯事だ。今回ご紹介したような例でも、ドンピシャの名訳を思いつくかたがいらっしゃるかもしれない。「こいつは大根()者ならぬ大根()者だ」と笑われるかもしれないが、あ、ちなみに「大根役者」は英語では“ham” と言って、かりに “ham” と「(肉の)ハム」をかけたような台詞に出くわしたら……どうしよう……。

 

 

 


小田島創志さん翻訳作品 上演情報

『セールスマンの死』(インプレッション製作)
作:アーサー・ミラー 翻訳:小田島創志 演出:小川絵梨子 出演:イッセー尾形 / 中島裕翔 / 入野自由 / 竪山隼太 / 内藤栄一 / 松田佳央理 / 佐藤誓 / 長谷川初範 / 高橋惠子 2026年6月26日~ 東京芸術劇場プレイハウス、彩の国さいたま芸術劇場 大ホールほか

 

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著者略歴

  1. 小田島 創志

    1991年生まれ。翻訳家・演劇研究者。武蔵大学、共立女子大学ほか非常勤講師。著書に『ハロルド・ピンター―〈間〉の劇作家』(水声社)、共著に『ジョージ・オーウェル『一九八四年』を読む―ディストピアからポスト・トゥルースまで』(水声社)。舞台翻訳作品に『タージマハルの衛兵』『ブレイキング・ザ・コード』『ドクターズジレンマ』『嵐 THE TEMPEST』『白衛軍―The White Guard』『スリー・キングダムス』など。一川華との共訳作品に、ミュージカル『ケイン&アベル』など。

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