web春秋 はるとあき

春秋社のwebマガジン

MENU

事業表現考——組織的表現としてのビジネスの技法 桜井肖典/増村江利子(聞き書き)

「経営する」ってなんだろう

「組織的な表現活動」としてのビジネス、そのつくり方をめぐるこの連載では、まずは表現手段であるビジネスという営みをいろいろな視点から紐解いてみようと、その営みの基本となる概念をドレミファソラシドになぞらえて確かめてきました。一つひとつの音を区別して聴けるようになれば、音楽をもっと自由に奏でられるようになる。ビジネスもまたそうだろうという想いとともに、その言葉が持つ響きに耳を澄ませてきました。「価値」からはじまり、前回考えたメディアとしての「会社」まで。音階はちょうどそこで、ぐるりと一巡しました。

 では、その音を、ぼくたちはどのように奏でているのでしょうか。

 音楽を演奏する人は、音が出るのと同時に、その音を聴いています。耳を澄ませているのは、自分の音だけではありません。隣で鳴っている音や、その場所に返ってくる響きまでを聴きながら、次の音を選んでいます。あらかじめ楽譜に書かれた音を奏でているときでも、その場で生まれた音を受け取ることなしに、演奏は続いていかないのだと思います。

 音を出すことと、音を聴くこと。この二つは、ひとつの営みの中で何度も行き来しています。

 ビジネスを営むことにも、どこか似たところがあるように思います。

 今回は、これまで確かめてきた音を関係づけ、ひとつの営みとして奏でていく、「経営する」という動詞について考えてみたいと思います。

 

「経営する」は、いつ起きているのだろう

 人がビジネスを始めれば、同時に「経営する」こともはじまります。

 連載のはじまりに、ぼくはそう書きました。では、「経営する」とは、何をすることなのでしょうか。

 例えば、「料理する」と聞けば、台所に立つ人の姿が浮かびます。「演奏する」と聞けば、楽器に触れ、音を出している人を思い浮かべることができます。

 では、「経営する」と聞いたときには、どうでしょう。

 もしかしたら思い浮かぶのは、何かの行為よりも「経営者」という人の姿かもしれません。会社を代表し、何か重要な決断をしている人。そんな人の姿は想像できます。でも、その人が何をしているときに「今、経営している」と呼べるのか、と考えるとわからなくなります。

 ぼく自身もこれまで四半世紀を超えて会社を経営していますし、仕事ではさまざまな企業の経営者のみなさんと、ともに事業について考える日々を過ごしてきました。その時間を振り返ってみても、「これをしている時間が経営です」と、ひとつの行為を指差すことはなかなかできません。だから、一日の終わりに「今日は何時間経営したんだろう」と数えることもできません。

 こうしてあらためて考えてみると、経営という行為は、ずいぶん掴みどころのないものです。

 そんな「経営する」という動詞について、ぼくはこの連載のはじまりで「時間軸と空間軸を伴った組織的な編集とデザイン」という視点に立って見てみるとおもしろいのではないか、と提案しました。

 それは、この掴みどころのない「経営する」という動詞について、ぼく自身がこれまでに「経営している」と実感した経験の質感を手がかりに、その時間を何度も振り返るなかで、少しずつ確かめてきたことです。

「経営する」とは、何をすることなのか。

 まずはその手がかりとなった経験をみなさんと共有することから、始めてみたいと思います。

 

「経営する」時間に起きていること

 例えば、ある会社とこれからつくる商品について話していたとします。

 その会社がこれまでに手がけてきた仕事について聞いていると、「そういえば、昔こんなことをしたことがある」という話が出てきます。いつの間にかやらなくなったことだったり、思いがけず頼まれた仕事だったり。そのときには重要だと思っていなかった出来事や、すでに過去のものとして整理されていた出来事です。

 そんなとき、ぼくは質問を重ねます。例えば「どうしてそのやり方を選んだんですか」とか「どうしてその人は依頼しようと思ったんですかね」とか。話していくうちに、その会社がずっと大切にしてきた仕事の仕方が見えてきたりします。あるいは、「あのとき、どうしてそんなチャレンジができたんだろう」と、その会社らしい意思決定の仕方が見えてきたりします。

 すると、これからつくる商品の方向性が変わったりします。これから描こうとしていた未来の姿が変わりはじめます。

 過去は変えられない、とよく言います。たしかに、起きた出来事そのものを変えることはできません。でも、今との関係が変わることで、その出来事が持つ意味は変わります。そして、その変化によって、これからについて想像できることまで変わってしまう。

 ぼくの実感してきた「経営する」という時間は、そんな経験に溢れています。それは「今考えていることによって、過去と未来の見え方が変わる」という経験です。

 冒頭で書いた、音を出すことと、音を聴くこと、で考えてみましょう。

 音楽では、一度鳴った音をなかったことにはできません。その音を受けて次の音が鳴り、さらに次の音が重なります。そうして時間が進むうちに、最初に聴いたときにはわからなかった音の役割が、あとからわかることがあります。「あの音は、ここへ来てこんな意味を持つのか」、そんなふうに、あとから気づく。あるいは、あとからそのように意味を発見する。

 絵を描くときには、描くことと、観ることとして。文章を書くときには、書くことと、読むこととして。このような経験はよく起こります。

 実際に表現しているときには、最後まで何もかも決まっているとは限りません。むしろ、決まっていなくても、表現したいから表現しはじめることの方が多いように思います。また、表現したい何かはあるけれど、それがどんなかたちになるのかは、つくり始めてみないとわからない。だから、わからないことを知るために、表現してみることもあります。

 ビジネスも、それに近い時間を持っているように思います。

 ひとつの商品を世に出したことで、お客さんとの関係が変わります。その人たちから返ってきた言葉によって、自分たちがつくったものの意味を知ることもあります。そして、「そんなふうに受け取られるのなら、ぼくたちにはこんなこともできるかもしれない」と、それまで気づいていなかった可能性が見えてきたりします。社内においても同様です。ひとつのアイデアを同僚に相談したことで、その部門が担う仕事との関係が変わります。そして、「そんなふうに捉えるなら、ぼくたちはこんな役割を担えるのかもしれない」と、それまで気づいていなかった道筋が見えてきたりします。

 出した音によって、新しく聴こえてくるものがある。その音を聴いた自分たちは、もう、その音を出す前と同じではありません。ひとつの音を変えれば、別の音との関係が変わる。関係が変われば、最初からそこにあったものまで、違った響きで聴こえてくる。例えば、同じ「ファ」であっても、その前後に置かれる音によって、優しい気持ちになるような響きになることもあれば、緊張を感じさせる音にもなります。音と音のあいだに生まれた関係によって、その意味は変わります。

「経営する」ということも、その響きのなかに身を置き続けることなのかもしれません。

 すでに鳴っている音を聴きながら、そのあいだにまだ見えていなかった関係を見つける。その関係にひとつのかたちを与えて、この世界へ差し出してみる。そこで何が起きるかは、差し出してみなければわからないこともあります。返ってきた響きを受け取ると、それまで正しいと思っていたことが違って見えるかもしれません。何でもないと思っていたものの大切さに、初めて気づくこともあるでしょう。そうして、また次の音を選んでいく。

 未来への音を出しながら、過去から返ってくる響きも聴いている。

「経営する」という動詞には、そんな時間が流れているように感じます。未来をつくることと、すでにある過去を読み直すことが、「経営する」のなかでは離れていない。「経営する」という動詞のなかにあるこうした運動に、ぼくは「編集」と「デザイン」という行為を感じます。

 

「経営」という言葉が生まれたところへ

 ここで、これまでと同じように、「経営」という言葉が生まれたところまで少し遡ってみたいと思います。そもそも、「経営」という二つの文字には、どのような営みの面影が残っているのでしょうか。

 早速、『広辞苑』を引いてみます。すると、「①力を尽くして物事を営むこと。工夫を凝らして建物などを造ること。」「②あれこれと世話や準備をすること。忙しく奔走すること。」「③継続的・計画的に事業を遂行すること。特に会社・商業など経済的活動を運営すること。また、そのための組織。」とあります。現在のぼくたちが「経営」と聞いて思い浮かべる意味は、三つ目の語義だと思います。先ほどまでのぼくも、「経営する」という動詞について考えながら、会社や事業の中で起きていることを思い浮かべていました。でも、それだけを意味しているわけではないようです。

 調べてみると、「経営」という言葉そのものは、現在の会社という制度よりもはるかに長い時間を生きてきた言葉であることがわかりました。

 遡ると、中国の古い詩集である『詩経』の「霊台」という詩の中に、「經之營之」という言葉が出てきます。周の文王が「霊台」と呼ばれる建造物をつくる場面です。まだ建物のない土地で、これからつくるもののために場所を測り、印をつけ、範囲を定めていく。現在の会社経営とはずいぶん違う風景の中で、「経」と「営」の二つの文字が並んでいます。日本でも、建物をつくることや、工夫しながら物事を進めることを「経営」と呼んできた歴史があり、会社や事業を管理運営するという、今のぼくたちに馴染みのある意味がはっきり現れるのは明治期に入ってからのようです。

 では、「経」と「営」、その二つの文字は、もともとどんな意味を持っていたのでしょう。

「経」という字には、もともと「縦にまっすぐ通る」というイメージがあるそうです。その動きが織物の縦糸を表し、さらに、縦に通る筋やルートを表す言葉へと広がっていきました。

 織物を思い浮かべてみると、縦糸は長く一本の方向へ張られています。そのあいだを横糸が行き来しながら、一枚の布になっていく。縦糸は、これから重なっていくものを受け止める、ひとつの筋のようにも見えます。

 ぼくたちが「お経」と呼んでいる経典にも、この「糸」の面影があります。サンスクリット語で経典を表す「スートラ」は、もともと「糸」を意味する言葉です。花を一本の糸で貫いて花輪にしていくように、いくつもの教えをひとつの筋として貫いていく。その言葉を漢訳するとき、同じく縦糸の意味を持つ「経」という字が用いられたのだそうです。

 では、「営」という字はどうでしょう。

 現在使われている「営」は簡略化された字で、もとの文字は「營」です。この字にはもともと、周囲をめぐる、めぐらせるように取り囲む、というイメージがあります。土地に区画をつけ、周りを柵や土塁などで囲む。縦に筋を通して区画することを「経」とし、その周囲を取り囲むように区画することを「営」としたのだそうです。

 そう考えると、『詩経』にある「經之營之」の風景も、少し想像しやすくなります。

 まず、何もない土地にひとつの筋を通す。その筋をよりどころにしながら、これから何かが起きる場所の輪郭をつくっていく。ぼくには、そんな風景に見えてきました。

一本の糸のように、離れた場所を貫いていく「経」。

その周りをめぐりながら、場所に輪郭を与えていく「営」。

今ぼくたちが「経営」と聞いて思い浮かべる会議室や決算書からずいぶん遠くまで来たはずなのに、不思議と「経営する」という動詞の手触りには近づいているような気がします。

 

糸でつなぐ、という「編集」

「経」という字は縦糸を表している。そのことを知ったとき、「やっぱり糸なんだ」と、ぼくは嬉しくなりました。

 というのも、「編集」の「編」にも、糸があります。

「編」という字を調べてみると、糸偏に「扁」と書きます。「扁」には、薄く平らというイメージがあります。紙が広く使われるようになる以前、人は薄く細長い竹の札に文字を書き、それを糸で次々につないで、ひと続きの書物にしていました。その、文字を書いた札を糸でつないで綴じる様子が、「編」という字には残っているのだそうです。

 もうひとつの「集」という字はどうでしょうか。調べてみると、現在の「編集」は、かつて「編輯」と書かれることが多かったようです。戦後、「輯」が当用漢字表に入らなかったことから、同じ「シュウ」と読み、意味も近い「集」への書きかえが広まり、現在の「編集」という表記が定着したのだそう。「集」は、木の上に鳥が寄り集まった姿から生まれた字です。一方の「輯」には、「あつめる」という意味とともに、材料をあつめて、「まとめる」という意味があります。

「編」が、別々にあるものをつないでいくことだとすれば、「輯」は、それまで離れていたものをあつめ、ひとつのまとまりへと整えていくこと。

『広辞苑』で「編集」を引くと、「資料をある方針や目的のもとに集め、書物や雑誌、新聞などのかたちに整えること」とあります。

 あつめて、編む。

 その「あつめる」という行為のなかに、何をひとつのまとまりとして見るのか、という働きまで感じたとき、ぼくは「編集」という行為の面白さや奥深さへより近づけたように思います。

 例えば、一本の竹札に「雨」と書かれていたとします。その札だけを見れば、雨です。その前に「長い旅の終わり」と書いた札が置かれれば、その雨は、静かに降る、ほっとする雨を想像するかもしれません。でも、後ろに「川があふれた」と続けば、もはや先ほどの雨とはまったく違う雨を想像してしまいます。札の文字は、一文字も変わっていません。変わったのは、どの札とつながったかです。

 糸を通したことで、そこになかった関係が現れ、その関係のなかで、もともとあったものまで違って読めるようになる。

 世界には、すでにたくさんのものごとがあります。それらを集め、そのあいだに、それまで見えていなかった関係を見出す。その関係がわかるように並べたり、つないだりすることで、それまで別々だったものが、ひと続きとして読めるようになる。

 そう考えてみると、「経」と「編集」のあいだにも、重なって見える動きがあります。

「経」は、縦へ一本の筋を通す糸。

「編」は、離れているものをひと続きにつなぐ糸。

 一方は筋を通し、もう一方はつなぐ。

 どちらにも、別々に見えていたものを、ひとつの続きのなかで見えるようにする働きがあります。

「経営する」を感じる時間にもあるこの働きを、ぼくは「編集」と呼びたくなったのだと思います。

 

まだない場所に、印をつける

「編集」によって見つかった関係は、そのままではまだ頭の中にあります。

 そこで、もう一度「営」という字へ戻ってみたいと思います。

「営」という字には、周囲をめぐり、区画をつけるという意味がありました。何もない土地に、「ここからここまで」と印をつける。

「営」という字がもつこの姿と出会ったとき、ぼくは「デザイン」という言葉の成り立ちとの類似性に驚きました。

「design」の成り立ちをたどると、その大もとにあるラテン語の「designare」には、「mark out」つまり「印をつけて範囲を示す」という意味があります。その後、計画や意図、目的、構想といった意味を持つようになりました。

 遠く離れた場所で生まれた「営」と「design」という二つの言葉。そのなかには、どちらにも「まだ何もないところに、印をつけて輪郭を与えよう」としている人の姿が発見できます。

 まだ何もないところに、印をつける。

 見えていないものに、輪郭を与える。

 すると、それまで頭の中にしかなかったことが、この世界に現れ始めます。

 この世界にまだないものをつくるとき、ぼくたちはいきなり完成したものを手にすることはできません。だから、何のためにつくるのかを考えながら、まずどこかに線を引いてみる。こうしてみよう、とかたちを与えてみる。そのようにして、新しい現実が生まれていきます。

 このことを、具体的な場面で考えてみたいと思います。

 以前、中学生に向けて、デザインについての授業をする機会がありました。

 中学生に「問題解決」という言葉でデザインを説明しても、ピンとこないだろうと考え、デザインという行為を体感してもらうことにしました。そこで、その場にいた人の中から、誕生日の近い人をひとり選んで、「この人を喜ばせてください」と、それだけを伝えました。

 この時点で、何をつくるかは決めていません。決まっているのは、目的だけです。

 すると、最初に始まったのは制作ではありませんでした。子どもたちは、その人に質問を始めました。何が好きなのか。何をしたら喜んでくれそうなのか。まず相手を知ろうとしたんです。

 今度は、「紙とペンを使う」という条件をその場に置いてみました。

 最初は、紙に何かを書くことを考えます。そこで、「身の周りにある、紙でできているものを探してみよう」と促します。すると、お金もあれば、カードゲームのようなものもある。箱もあれば、袋もあることに気づきます。さっきまでと同じ紙とペンの持つ可能性が広がり、「この人を喜ばせる」という目的に向かって総動員されていきます。

 最後には、引換券のようなものをつくる人もいれば、小道具をつくり演劇をする人もいました。

 20世紀を代表するデザイナーであるチャールズ・イームズは『Design Q&A』の中で、デザインとは「目的の表現である」と答えています。ぼくは、この定義がとても好きです。

 目的そのものには、まだかたちがありません。「喜ばせたい」という目的も、それだけでは目に見えません。でも、誰を喜ばせるのかを知り、いま使えるものを眺め、それらを関係づけてかたちにしたとき、初めてその目的は、この世界の中に現れます。

 何もないところに、目的のための輪郭をつくる。

 これが「営」と「design」の重なりであり、「経営する」のなかでぼくが「デザイン」と呼びたくなった働きです。

 

かたちにすると、また編集がはじまる

 かたちにしてみると、また「編集」がはじまります。頭の中で考えているあいだには気づかなかったことが、実際にかたちにすると見えてきます。

 実際につくって目の前に置いてみると、どこか違う気がしたり、かたちになった途端に、思ってもいなかったことが欠かせないことに気づいたり。かたちにしてみる、というと完成形を思い浮かべますが、それだけではありません。頭にあることを言葉として口にしてみたり、予定を立ててみたり。ぼくたちがプロセスだと思っている時間も、実際はかたちにしてみることの連続で成り立っています。

 つくるということは、自分が知っていることを外へ出すだけの行為ではないのだと思います。実際の「つくる」は、そんなふうに一方向には進みません。実際には、かたちにしたことで、自分が何を知らなかったのかを知ることの方が多い。

 つくることで、知る。

 ドイツの哲学者マルティン・ハイデガーは、古代ギリシャの「ポイエーシス」という言葉を手がかりにこのことを考えました。

 ポイエーシスは、現在の「poetry」の語源にもつながる、何かを「つくり出す」ことを表す言葉です。 彼はこの言葉に、何もないところから思い通りのかたちを無理やりひねり出すような動きではなく、対象の中に隠れていたものが、表へ現れてくるのを迎え入れるような、静かな動きを見出しました。

 何かをつくる前に、すべてを知っておかなければいけないのだとしたら、つくることはずいぶん苦しい行為になってしまいます。かたちにしたことで、初めて見えることがあり、それが見えたことで、それまで別々だったもののあいだに新しい関係を見つける。つくるという行為のなかには、発見が含まれています。

 そこで、また「編集」がはじまります。

 そして、見つけた関係をもう一度かたちにしようとすると、また「デザイン」がはじまる。

「編集」と「デザイン」は、二つの工程として順番に行われるものではなく、こうして何度も行き来する一つの営みと捉える方がよいのかもしれません。

 ぼくが「経営する」を感じてきた時間にも、この質感があります。

 前、あるチームで話し合いをするとき、最初に仕事のことを聞かず、「これまで食べたなかで、一番おいしかったものは何ですか」という問いから始めたことがあります。最初から仕事についての難しい問いを投げかけると、いつも話す人が話し、いつも聞いている人はそのまま聞く側にいることが多くなると感じていたからです。そこで、いつもとは違う問いをかたちにして置いてみました。経営者だから詳しいということもないし、新しく入った人だから知らないということもない、それぞれが、自分の経験から話せる問いです。

 すると、普段とは違う人の言葉を聞く時間が生まれます。そのあとで仕事の話へ移ると、最初から仕事の話をしたときとは、少し違う言葉が出てくる。人と人のあいだに別の関係が生まれたわけです。

 そのようにしていつもとは違う言葉が行き交い、そのなかで誰かが新しい関係を発見すれば、「編集」はもはやぼくの頭の中だけに留まりません。そして、その誰かがそれを言葉にしてみれば、「デザイン」もまたぼくだけの行為ではなくなります。さらに、言葉になったそのかたちから別の誰かが何かに気づけば、また次の「編集」が始まります。

 誰か一人の中で行われていた「編集」と「デザイン」。その往復が、やがて本人を離れていく。組織の中の誰かが音を出し、誰かがそれを聴き、そこから次の音が生まれていく。人が発見し、かたちにし、そこからまた学ぶ。その動きが続いていくための時間や場所、人と人との関係をつくっていく。そのために用いることができる表現手段は、言葉だけに限りません。経営計画からメールの返答まで、日々仕事の中で取り扱うものごと全てが、その手段となりえます。ぼくが、「経営する」を「時間軸と空間軸を伴った組織的な編集とデザイン」として感じていたのは、たぶん、こういうことだったのだと思います。

 そして、そのように「経営する」を捉えてみたとき、そこでどんな音が鳴っているのかを聴き分けられることも大切な意味を持ちます。

 それまでひとかたまりに聴こえていた一曲の中に、「今、この音が鳴っている」と気づけるようになる。次第に、いくつもの音と、その重なりが聴こえるようになる。音と音の関係へ、想像力が広がり、少しずつ曲が立体的になる。楽譜が手元になくても、頭の中に自分なりの譜面のようなものが少しずつ描かれていきます。

 これまでビジネスについて、一つひとつの言葉を確かめてきたことも、そのためです。

 音階は、曲をつくるための順番ではありません。音を聴き分けられることで、目の前で鳴っている曲が、どんな音の関係によってできているのかを想像できるようになる。自分たちが事業を奏でようとするときにも、その想像を手がかりに、自分なりの譜面を描けるようになる。

 どんな音が鳴りうるのか。どんな音と音が出会えば、それまでになかった響きが、そして旋律が生まれるのか。そうしたことを考えながら、音が奏でられ続ける環境やプロセスを描いていく。そんな「経営する」という表現を、より豊かなものとするために、これまで一つひとつの言葉を確かめてきました。

 次回は、一曲をゆっくり聴いてみたいと思います。自分なりの譜面を描きはじめるためにも、実際にこの世界で奏でられてきたひとつの事業を、ひとつの表現として聴いてみましょう。そんなふうに、ひとつの事業へ耳を澄ませてみたとき、どんな発見があるのか今からたのしみです。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 桜井肖典

    構想家。一般社団法人リリース共同代表。『Community Based Economy Journal - 美しい経済の風景をめぐる旅の記録 -』編集長。1977年生まれ。2000年よりデザインコンサルティング会社を経営。2012年より「未来が歓迎するビジネス」の経営手法をともにつくるデザイン組織として、京都にてRELEASE;を始動。経済と文化の循環に着目し、企業や自治体とともに、ビジネスそのもののつくり方から経営のかたちを編集・デザインする実践を重ね、領域横断的に美しい営みをつくり続ける。

  2. 増村江利子(聞き書き)

    編集家。NPO法人グリーンズ共同代表/編集長。『Community Based Economy Journal -美しい経済の風景をめぐる旅の記録-』副編集長。執筆、編集、デザイン、プロデュース、地域活動。長野にて暮らしをつくることを立脚点に、さまざまな領域を横断しながら、社会から新しい価値を見出し、自分の言葉で届ける。ミニマリスト。竹でつくったトイレットペーパーの定期便「BambooRoll」、「竹でつくった猫砂」を共同創業。「Forbes JAPAN 地球で輝く女性100人」に選出(2018年)。環境再生医。

キーワードから探す

ランキング

お知らせ

  1. 春秋社ホームページ
  2. web連載から単行本になりました
閉じる