「資本」と「会社」ってなんだろう
この連載では、ビジネスという営みを構成している基本の音を、一つひとつ確かめてきました。
人が何かに「価値(ド)」を感じ、その力を扱えるように学習を重ね「生産(レ)」し、「資源(ミ)」として見出し、「商品(ファ)」として束ね、「顧客(ソ)」と出会い、「市場(ラ)」の中で意味を育てていく。一つひとつの音に耳を傾けながら、共同体による学習が、どのように発見され、かたちになり、共有され、社会の中で意味を持ち始るのかを確かめてきました。
では、そのように育まれた学習は、どのようにして遠く距離を越えて、長く時代を超えて届くのでしょうか。
目の前にいる人だけではなく、まだ会ったことのない人へ。いま暮らしている場所だけではなく、別の土地へ。そして、いま生きている人だけではなく、未来の人たちへ。
今回は、その問いを胸に、「シ」としての「資本」、そして音階が一巡した先にあらわれる、「ド」としての「会社」について考えてみたいと思います。
目の前の色は、どこから届いているのか
例えば、「色」について考えてみます。
ぼくたちは、毎日たくさんの色に囲まれて暮らしています。朝起きてスマートフォンを見れば、メッセージの到着を知らせる小さな色が目に入ります。道を歩けば、選挙や展覧会を知らせるポスターの色が目に映ります。コンビニエンスストアに入れば、飲みものやお菓子のパッケージの色がこちらを向いて並んでいます。書店に行けば、本の背表紙や新刊の表紙の色が目の前に広がっています。すれ違う人の服、信号待ちの車、飲食店の看板。ぼくたちは、色のない世界を想像することが難しいほど、さまざまな色とともに暮らしています。
では、どのようにして赤は、その赤として目の前にあるのでしょうか。なぜその青を、遠く離れた場所でも誰かが同じように使えるのでしょうか。あらためて立ち止まって考えてみると、その色がいま目の前にあることは、それほど当然なことではないように思えてきます。
以前、「価値」について考えたとき、ぼくは、人は生きるための動詞がより可能になるものに「力がある」と感じるのではないか、と書きました。色もまた、そのようなものだと思います。色があることで、知らせることができます。危険を伝えることも、気持ちを表すことも、輪郭を示すこともできます。料理をおいしそうに見せることも、季節の移ろいを際立たせることも、ある感情を呼び起こすこともできます。このように、色の「価値」も発見されたのだ思います。
でも、その色を扱えるようになるには、もっと多くのことが必要になります。
どの草から、どんな色が出るのか。どの鉱物を砕くと、どんな粉になるのか。どの貝や虫から、どんな染料が取れるのか。途方もない手間をかけて、世界から扱える色を集めてきたことが想像できます。さらに、その色は、水に溶けるのか、油に混ざるのか、布に染まるのか、紙に残るのか。また、陽の光に当たると変わるのか、時間が経つと薄れるのか、などなど。人は世界にある色を扱えるものにするための学習を積み重ねてきました。砕いたり、煮たり、混ぜたり、乾かしたり。色は、目で見るものでもあり、同時に、手で覚えるものでもあったのだと思います。
色を扱う学習の過程では、絵の具のチューブも生まれました。小さな金属の容器に色を閉じ込め、必要なときに絞り出して使うことができるようになりました。それは、色を持ち歩けるようになったということ。色を別の場所へ運んで扱えるようになったということ。この学習は、絵画にも大きく影響します。そして、鉄道や批評の発展、都市文化の形成などとともに、この世界にモネやルノワールの絵が生まれ、今日まで伝わっていく条件のひとつとなりました。
この変化は、絵画の世界だけの話ではありません。色を保存できること。運べること。必要なときに再び取り出せることは、色を違う場所で、違う人が使えることを可能にしました。色は、共同体の間を移動し、距離を越え、時代を超えて、共有できるものになっていきました。
いま目の前にある本の表紙の色も、街角のポスターの色も、服の色も、化粧品の色も、このような長い学習の積み重ねの先にあります。ぼくたちが見ているその色は、遠い過去から届いた学習の履歴との接点でもあるわけです。
学習の網の目をたどり直す
色は、自然の中にあった差異が、人の学習を通じて、扱えるものになり、運べるものになり、選べるものになり、共有できるものになったもの。そこには、素材の学習も、技術の学習も、道具の学習も、流通の学習も、意味の学習もあります。
ここで、これまでに考えてきたビジネスという営みの基本となる言葉を思い出しながら、もう一度目の前の色を眺めてみたいと思います。
ある色に、人が「力がある」と感じる。何かを知らせることができる。飾ることができる。気持ちを表すことができる。何かの動詞がより可能になるものとして、その色が発見され、共有される。そのとき、そこに「価値」が生まれます。
その色を扱えるように、人はさまざまに試みます。探し、砕き、混ぜ、塗り、乾かし、保存する。そして、もう一度つくれるようにする。失敗し、理由に気づき、次はこうしてみようと考える。その一つひとつは、「これをこうするとこういうふうになる」という学習の積み重ねです。「生産」とは、そうした学習のプロセスでした。
その学習の過程で、あるものが特定の文脈の中で「用いることができる」ものとして区別できるようになります。顔料や油、容器や筆、紙や印刷機、職人の技術や配合の記録、運ぶ仕組みや届ける場。そうしたものが「資源」として立ち上がります。
これらの「資源」を用いながら積み重ねてきた学習が、他者に受け取れるかたちへと束ねられると、「商品」になります。絵の具のチューブ、塗料、ポスター、化粧品。「商品」とは、誰かの学習の履歴を、別の誰かが使えるようにしたかたちでもあります。
さらに、その「商品」を受け取る人がいます。選び、使い、生活や仕事の中で意味を育てる人が「顧客」です。そして、そうした学習の結晶である「商品」が行き交い、使われ、意味を更新しながら、新しい学習を深めたり、広げたりしていくコミュニケーションの場が、「市場」です。
このようにあらためて考えてみると、「市場」は、「商品」が行き交う場であると同時に、「商品」という入口を通じて「資源」と出会う場でもあることに気づきます。
自分たちではつくれない材料、自分たちでは学びきれていない技術、自分たちにはない道具、自分たちだけでは届かない場所や人々との関係。それらは、「市場」に「商品」として現れていることがあります。
そして、学習の視点から捉えてみれば、絵の具を買うことは、顔料を探し、油と混ぜ、保存し、必要なときに取り出せるようにするまでの学習を手にすることです。印刷を依頼することは、色を紙に定着させるための長い学習を自分の表現や仕事の中に取り込むことです。自分たちでは描けない図案を描くことができる人と仕事をすることは、自分たちの外にある学習と関係を結ぶことです。
このように「市場」は、自分たちに足りない「資源」と出会い、それを学習の束である「商品」として受け取る場でもあることがわかります。
それは同時に、「市場」は、自分たちの学習を「商品」として束ね、他者へ手渡す場でもあることを意味しています。自分たちが積み重ねてきた学習の結晶である「商品」は、受け取る人の文脈の中では「資源」となり、これから新しく何かができるようになるための入口になるわけです。
「商品」とは、自分たちの学習の出口である、と同時に、他の共同体の学習の入口でもある。
その視点に立つと、「資源」への眼差しも変わります。自分たちが「用いることができる」ものは何か、という視点だけでなく、他の共同体の新しい学習を可能にするものは何か、という視点からも「資源」を見ることができるようになります。言い換えれば、自分たちは何を使って「生産」を続けるのか、どんな「商品」を生み出すのか、というこれまでの文脈の上に、誰のどんな新しい学習の入口になるのか、誰のどんな行為をより可能にするのか、というもうひとつの文脈が重なります。
このとき、すでに手元にある「資源」からも、まだ手にしていない「資源」の中からも、これまでとは違う働きを帯び始めるものが見えてきます。そこに、ぼくは「資本」という言葉の輪郭が浮かび上がるのだと思います。
「資本」という言葉に宿るもの
ここで、「資本」という言葉の成り立ちに目を向けてみたいと思います。
「capital(資本)」という言葉は、「頭」を意味する「caput」に遡るとされています。そこから、「主となるもの」「中心となるもの」という意味が広がっていったそうです。その過程で、頭数で数える家畜とも結びつき、「富」の意味を帯びていきます。そして、中世の商業社会において、その意味は商業的価値へと移り変わります。交易が盛んになり、複式簿記のような会計技法も発達する中で、事業に投下された「資金」を正確に把握することができるようになりました。また、金融も盛んになり、時間とともに生み出される「利子」と元手となる「元本」を明確に区別する必要性も増しました。そのような中で、「capital(資本)」は、「ビジネスを始めるための資金」という意味を強めていきました。
また、『広辞苑』をめくれば「資本」は「もとで(元手)」とあります。「元手」が文献に登場するのは室町時代中期。定期市が各地で開かれ、貨幣が広く流通し始めたことで、商売を始めるための初期資金を指す言葉として定着したそうです。やがて、金融用語としての「元金」という意味も強まり、欲を出して「元(元金)」と「子(利息)」の両方を失ってしまう状況を指す「元も子もない」という慣用句も生まれています。
このように、「資本」という言葉には「元となるもの」の意味が強く宿ってきたことがわかります。
ここで、ぼくが注目したいのは、この「元となるもの」という意味を宿す条件についてです。
「元となるもの」であるためには、常にそこに「これをこうするとこういうふうになる」という学習もあります。
例えば、中世の地中海を思い浮かべてみましょう。ある土地では手に入りやすいものが、別の土地では今までになかったものとして驚きの対象になる。そのものがあることで、できることが増えると喜ぶ人たちがいる。ある港では日常的な品物が、海を越えた先では見たこともない美しさとして迎えられる。そのものがあることで、心が踊る人たちがいる。求める人々の存在が、地域と地域のあいだにある差異の「価値づけ」を加速させます。そして、それを届けようとする人々の存在が、さらに交易を加速させます。そのようにして、地域と地域のあいだにある差異が「価値」になり、「商品」として運ばれ、これまで出会うことのなかった誰かの「資源」になり、共同体の中で新たな学習が進んでいく。その一連のプロセスそのものの「価値」や「意味」も広まり、差異がどのような意味を持つかを方向づける枠組みである「文脈」も新たに形成されます。
言い換えれば、「これをこうするとこういうふうになる」という学習が社会全体で進み、学習の空間を越えた発見と共有そのものを願う人々が増えていきます。するとさらに、手元にある学習が、その場で用いられるだけではなく、別の土地へ向かう営みの中に投じられていくようになります。行ったことのない場所へ、まだ出会っていない人々へ、自分たちの共同体の外へ。そして、その「元となる」資金や物品を出す人と、実際に海を渡って交易を行う人が結びつき、旅のあとに利益を分け合う仕組みが生まれます。「capital(資本)」はこのようにして、「ビジネスを始めるための資金」という意味を強めていったのだと思います。こうして、ビジネスという営みに、学習の空間を越えた発見と共有という内実も育まれたのだと思います。
いま、「資本」という言葉を聞くと、まずお金を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。会社をつくるときに用意する資本金。事業を始めるための資金。投資され、回収され、さらに増やされていくお金。日常の中で「資本」という言葉が使われる場面を思い出すと、確かにその多くはお金と結びついています。しかし、こうして考えてみると、「資本」という言葉は、金融の言葉としてある種の冷たさを帯びた響きだけでなく、学習が遠くへ渡るための熱を帯びた言葉としても聴こえてきます。
「資本」を働かせるために
また、「資本」が「元となるもの」であるためには、常にそこに「これをこうするとこういうふうになる」という学習もある、という視点からは、いつ「資本」になるのか、何が「資本」になるのか、というふたつの気づきを得ることができます。
いつ「資本」になるのか、については、歴史家であるフェルナン・ブローデルの経済史がひとつの補助線になります。ブローデルは、日々の物質生活、市場経済、そして資本主義を、同じものとしてではなく、重なりながらも異なる層として捉えました。そして「資本財は、それが新たな生産過程の一部になるのでなければ、その名前に値しない。使われないで金庫にしまわれた金銭はもはや資本ではないし、開発されていない森林も資本ではない。」と言います。
例えば、お金は「資本」になりえます。けれど、ただ金庫の中にしまわれ、どの営みにも用いられていないお金は、次の学習を起こしていません。それは、顔料や油、道具や場所、人々の技術も同じです。それらは、そこにあるだけでは、まだ「資本」とは呼びにくい。ある営みの中で用いられ、誰かの行為をより可能にしていく運動に入ったとき、「資本」として働き始めるということではないでしょうか。
何が「資本」になるのか、については、社会学者であり思想家のピエール・ブルデューの考えが光を当ててくれます。彼は「資本」を経済的なものだけに閉じず、文化資本、社会関係資本、象徴資本といったかたちで考えました。「資本」は、物の中にも、身体の中にも、関係の中にも、信用の中にも、制度の中にも蓄積される。
例えば、ある染め屋に受け継がれている色の見立て。ある料理人に備わった季節のわずかな変化を読む感覚。ある出版社が積み重ねてきた読者との信用。ある地域に残る祭りや道具や作法。これらのことからも、次の誰かが何かを学び、つくり、他の誰かの何かがより可能になることがあります。そう考えると、ぼくたちが「資本」と呼ぼうとしているものは、共同体が長い時間をかけて積み重ねてきた学習の厚みそのものに近づいていきます。
このようにブローデルの考えに、ブルデューの考えを重ねて、手がかりにすれば、「資本」とは、共同体の学習が、物、身体、関係、信用、制度、象徴のうちに蓄積され(=何が「資本」か)、次の誰かの学習を可能にする元手として働き始めた(=いつ「資本」か)ものだと見えてきます。
そして同時に、次のような問いも得ることができます。
いつでも、何でも「資本」として働かせてよいのか、という問いです。
経済人類学者のカール・ポランニーは、労働、土地、貨幣を、「商品」としてつくられたものではないにもかかわらず「商品」として扱うことの危うさを指摘しています。人の働きは、人の生活と切り離せません。土地は、人間がつくった「商品」ではなく、自然そのものです。貨幣もまた、社会の制度と信用の中で成り立つものです。
哲学者であるマルティン・ハイデガーの技術論も、別の角度から同じ危うさを照らしています。世界のすべてを、いつでも使える在庫のように見てしまう眼差し。人も、自然も、時間も、関係も、ただ用立て可能なものとして並べてしまう眼差し。そのような見方に傾くと、「資本」という言葉は、学習を運ぶための言葉ではなく、世界を使い尽くすための言葉になってしまいます。
だからこそ、「資本」という言葉を使うときには、慎重さが必要です。
人も、土地も、自然も、信用も、それそのものは「資本」ではない。けれど、その人の身体に蓄積された技術が、その土地をめぐる長い世話の蓄積が、その店が積み上げてきた信用が、次の学習を可能にする「元となるもの」として働くことがある。「資本」とは、「ある」ものではなく、「働く」もの。「資本」は、学習を、遠くへ、速く、大きく届けるための力を持っています。だからこそ、いつ、何を、そして「何のために」資本を働かせるのかを、常に問う必要もあるのだと思います。
学習を長く運ぶために
ここまでは、学習を遠くへ運ぶ運動の中に、「資本」の働きを見てきました。では、その学習は、どのように長く運ばれていくのでしょうか。ここからは、空間から時間へと視点を移し、人の人生の長さを超えて学習を届けていく運動を見てみたいと思います。
ある土地で生まれた技術が、海を越えて別の土地へ運ばれます。そこには、確かに「資本」の働きがあります。しかし、別の土地に届いたものが、そのまま時間を超えて残るとは限りません。流行として広がったものが、すぐに忘れられてしまうこともありますし、道具だけが残り、それを支えていた技術や判断が失われてしまうこともあります。名前だけが残り、その言葉がどんな身体感覚や生活の風景で口にされていたのかがわからなくなることもあります。このように、学習を遠くへ届けることと、学習を長く届けることには、違いがあります。ある土地へ学習の結晶が届いたとしても、それが次の営みのなかへと手渡され続けなければ、その働きは途中で途切れてしまいます。
そこに、ぼくは「会社」という言葉に含まれる働きが浮かび上がるのだと思います。
「会社」は、「資本」を集めるためだけの装置ではありません。「資本」として働きうるものを、時間の中で組み合わせたり、組み替えたりしながら、次の学習へ結びつけていく装置でもあります。お金を設備に変え、設備を技術に変え、技術を「商品」に変え、「商品」を「顧客」との経験に変え、その経験をまた次の学習へ戻していく。そこには、たくさんの変換があります。そして、その変換は一代で終わるものではありません。
ひとりの人が学び、発見し、つくり、届けることには限りがあります。どれほど優れた人であっても、その人の身体には時間の限界があります。けれど、「会社」という装置があることで、その人の発見は、次の人の仕事の前提になります。次の人は、それをそのまま守るだけでなく、時代の変化の中で少しずつ変えていくこともできます。さらにその次の人が、またその前提を受け取ります。同じものがただ保存されるのではなく、少しずつ更新されながら続いていきます。そうして「会社」は、知恵、技術、信用、関係、記憶、文化的な判断なども、ひとりの人生の長さを超えて運んでいきます。「会社」は、ある共同体の学習を、時間の中で編み直しながら運ぶ装置でもあるわけです。
そのように見たとき、「会社」は、法人制度や利益を生み出す装置だけではなくなります。「会社」は、ある人、ある時代、ある共同体の学習を、別の時代へ届けるためのメディアとしても見えてきます。
時を超えて運ばれる香り
「会社」というメディアの働きを考えるとき、ぼくが思い出す話があります。京都の香老舗・松栄堂の故・畑正高さんから生前にうかがった、新潟での出来事です。
松栄堂さんは、京都で三百有余年にわたって香りの仕事を続けてきた会社です。お香をつくり、届けるだけでなく、香りをめぐる文化そのものを、現代の暮らしの中へ手渡してきた会社でもあります。
畑さんが、あるとき新潟を訪れた際のことです。新潟には、都の文化との往来の中で育まれ、いまも唄や踊りとして受け継がれているものがあります。その土地で唄い継がれてきた民謡の中に、あるお香の名前が出てくることに、畑さんは気づいたそうです。
けれど、その唄を大切に唄い継いできた新潟の方々は、その香りそのものを嗅いだことがなかったと聞きました。唄の中にも、身体の動きにも、節回しの中にも残っているけれど、その言葉が指していた香りだけは、いつの間にかその土地の経験から離れてしまっていたことに気づいた。
一方で、京都の松栄堂さんには、その香りが受け継がれていました。
畑さんは、その香を新潟へ持っていかれたそうです。そして、その土地の方々に実際に香りを体験してもらった。すると、とても喜ばれたのだといいます。
新潟の方々は、香りの名前を唄として運んでいた。松栄堂さんは、その香りそのものを技術や商品、記憶として運んでいた。ふたつの共同体が、それぞれ別のかたちで、ひとつの文化の断片を長い時間運んでいたわけです。
そして、畑さんがその香を新潟へ持っていかれたとき、ふたつの断片が再び出会いました。
唄の中にあった言葉が、香りを伴って立ち上がります。身体で受け継がれてきた芸が、嗅覚という感覚とも結び直されます。そこにいた人たちの身体の中で、過去の学習が、時間を超えてもう一度いまの経験として立ち上がった瞬間です。言葉としては知っていたものが、身体でわかるものへと変わることで、唄や踊りの中にある学習の厚みが変わり、香りもまた、遠く離れた土地で待たれていた感覚として立ち上がったわけです。
ぼくはここに、「会社」というメディアの働きを見ることができるように思います。
「会社」は、文化のすべてを所有しているわけではありません。文化は、いくつもの共同体のあいだに分かれて残ります。唄として、道具として、作法として、そして香りとして残ることもあります。「会社」は、そのうちの一部を、技術や人の身体、記録や信用、それらを束ねた「商品」を通じて、長く運び続けることができる。そして、しかるべきときに、それを必要としている人のもとへ届けることができる。
そのとき、「会社」は学習の履歴を、現在の誰かの経験としてもう一度開くメディアになります。松栄堂さんと新潟の方々のあいだで起きたこの出来事からは、人の人生の長さを超えて学習や知恵を運ぶ「会社」というメディアの働きも、香りとともに聞くことができます。
今回は、「シ」としての「資本」、そして音階が一巡した先に聴こえる「ド」としての「会社」について考えてきました。
同じ「ド」でも、最初の「価値」と、ここで出会う「会社」は違う音です。最初の「ド」は、世界から「力がある」ものを発見する音でした。音階を一巡したあとの「ド」は、その発見と共有の積み重ねを、人の人生の長さを超えて運んでいくための音でした。
この連載(この旅)のはじまりでぼくは、「経営する」という動詞を「時間軸と空間軸を伴った組織的な編集とデザイン」という視点に立って見てみよう、と書きました。次回からは、さらに歩みを進め、「事業表現」における「経営する」の風景を見に行きましょう。


