和訳から翻訳へ
一般的に「和訳」といわれる日本文がどのような過程を経て「翻訳」文として成立するか。簡単にいえば、対象となる言語(外国語)の充分な理解と把握が第一条件だ。さらに「眼光紙背に徹す」といった読みの深さも肝要だろう。いったい何を書き手はいいたのか。日本語には置き換えられない対象言語の背景にある「文化」をどのような日本語に翻訳するか。その時点で、必要なのは翻訳者の対象言語国の文化への眼差しの深さと、その訳者がどういった「方法論・意識」を持して、訳出に臨むかだろう。
例えば、身近な事例を挙げると、私たちがいう「花鳥風月」の英語訳は、natural beautyで、きわめて則物的な「自然(界)の美しさ」となって、風雅も風趣も感得できない。その逆もおそらく難しいだろう。夏の情緒の一つである蝉の鳴き声も、イタリア人には騒音としてうるさいらしい。さらにBLM(Black lives matter)を「黒人の命は大切だ」でなく「~を舐めんなよ」の方が気迫がこもっている。こうなると文化の差異をきちんと掌握して、訳出の際に、ある一定の方法論を持たなければ、文意を損なう訳文となろう。ここでいう方法とは、目的を達成するための手順や筋道で、技術があるとすれば、それはそのための手段を指す。今風にいえば、方法はオンラインで、技術はツールのひとつとしてのzoomを挙げてもよいだろう。
日本人は大部分が中学校(現代では小学校高学年)から英語を学ぶ。ところがどこかの学年で1度つまずくと、以降の英語学習はちんぷんかんぷんとなって、苦手科目となり顔をそむける事態に陥ってしまう。中学で挫折すると高校以降は目もあてられない惨状を経験した方も多いはずだ。
以下の拙文で、私の浅学を披歴することになるが、訳出(直訳・適訳・意訳)の選択の難しさと訳出後の日本語の吟味・推敲によって、ようやく翻訳(文・作品)として完成するまで、種々な例を挙げて記述する。学術的専門分野が、イタリアルネサンスの文学・思想なので、英語だけでなくその方面の知見も加えたい。
ちなみに「ベネッセ」という出版社(前、福武書店)は、bene essere というイタリア語を組み合わせた社名と推測され、「良い」+「存在(会社)」という意味になる。イタリア語は知らぬ間に結構使用されている。テレビのコマーシャルの「アディーレ法律事務所」の「アディーレ adire」は「~を訴える」というイタリア語だ。まだまだ事例はあるだろう。
翻訳が生業ではないけれども、関心はあったし、いまもある。自分の語学力と日本語力を検証するのにこれほど良い行為はないと思ったからだ。当初は英語から日本語へという多くの日本人がたどる道を私も歩むはずだったし、ウィリアム・フォークナーという大好きなアメリカの作家もいた。彼の翻訳作品や全集を、次に原典を購入してはいつか私も、と願った。高校3年生の、大学入試が迫っているときに、彼のWASH(邦訳名『孫むすめ』)という短篇の翻訳に挑んだが、和訳にも至らず、本作が『アブサロム、アブサロム』の一部に在ることを偶然見つけ、それを読んで英語力の無さを痛いほど知らされた。
東京外国語大学のイタリア語学科に進学して、イタリア語を学び、当時は伊和事典にもよいものがなく、英伊・伊和事典を買ってきて机に向かった。そのうち、イタリアに旅する機会があって、フィレンツェの大きな書店で、書架を見て回っている際、歴史書の棚の「中世」のいちばん端に『ルネサンスの秋』なる本を見つけて手に取ってみた。当時すでに私は、日本のルネサンス文学・思想研究のメッカ、京都大学大学院に進学して、ルネサンス末期の自然魔術師(哲学者)トンマーゾ・カンパネッラを研究対象に決めていたので、『ルネサンスの秋』は格好の本だった。しかし、その書の親本が英書であることに気づくまでに、それほど時間はかからなかった。フィレンツェで購入した本は、イタリア語訳なのだった。さっそく原本を取り寄せた。驚くなかれ、英書の方が判型も大きいし、頁数もイタリア語訳本より多かった(この書を私は、みすず書房から翻訳出版することになる。2012年)。
そうか、これはおかしなことではない。英語とイタリア語では後でも説明するが、ずいぶんと言語的相違があり、英語のwillなどの助動詞もイタリア語にはなく、それにイタリア語は主語を省略する言語なので、おのずと文字数、即ち頁数が少なくなるのだった。
第7回は、フォークナーの代表作『響きと怒り』の2人の訳者の比較だ。原文は1つなのに、翻訳者によってこうも異なるか確認していただきたい。
第8回は、ゲルマン系言語とロマンス系言語の相違の一端を提示する。第9回は『君主論』で著名なニッコロ・マキャベリのマキャベリズム(権謀術数)の素となっている語句の存在の有無を確認してみたい。第10~13回は、専門とするトンマーゾ・カンパネッラの著書翻訳の悪戦苦闘の一部をお示ししたい。難産によってやっと生み出された翻訳作品の事例だ。


