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眼と心身の健康道場――還暦からはじめる老いのレッスン

わが心の日蓮|春秋社

若倉雅登『一歩手前の「老い入門」』

 

最終回

生活者の関心とその裏にあるものとは?

 日々の生活者である我々庶民は、社会や経済のシステムといった大きなものよりも、どうしても自身のことや、身の回りのことがまず気になる。
 具合が悪くなったら、自分および周囲はどうするのが理想なのか。その病が、重大だったらどうしたらいいのか、また、病は重大ではなくても、病や加齢による具合の悪さにどう向きあえばいいのか、そして周囲はどういう姿勢でそれを見てゆけばいいのか、ということは、非常に大事な、誰にも避けられない課題である。

医者選びの要

 課題を解くために、まずは、健康と病と加齢の相談役たる医師選びから入ってみよう。
 どういう医師が我々にとって理想なのだろうか。これを考えると、意外にも日本の現代医療の弱点、欠点、さらには日本社会の課題もみえてくる。以下、私が重視する「よい医師」の5条件を挙げる。

1 勉強を怠らない医者

 医学は進歩する。だから、医師は一生勉強を続けなければならない。医学部に入るとまずこのように教えられる。だが、実際にはそうなっていないことを示す言い方がある。
「学会レベルは、一般診療レベルではない」
 つまり、学会での常識は、診療現場での常識とはほど遠い、ということである。
 卑近な例で考えてみる。筆者らは1978年、副腎ステロイドが網膜の中心部に網膜剥離を起こす「中心性漿液性網脈絡膜症」の原因の一つになることを世界ではじめて確認し、学会で発表した。その時に轟轟[ごうごう]たる反論があったことは、拙著『目は快適でなくてはいけない』(人間と歴史社)で述べたところだが、はじめは学問の場である学会においてさえも信じてはもらえない状況だった。だが、1984年にこれを英国の眼科学雑誌で発表すると、日本および外国から同様症例の報告が相続ぐようになり、1991年米国マイアミのGassという網膜疾患での世界的大家が我々の論文を引用してその内容を激賞すると、この副腎ステロイドの副作用に疑問をはさむ人はほとんどいなくなった。
 しかし、それは学会レベル、学術誌レベルの話であり、ステロイド剤の添付文書にも副作用として記載はされたが、まだ教科書には掲載されないから一般眼科医でこれを知っている人は限られていた。
 我々は1997年日本の英文眼科誌で、我々がはじめて発表して以降、日本および世界でこのことがどれだけ注目されたか、また自身で同様症例をその後にも何例経験したかを述べるとともに、日本語の雑誌や講演でもこのことを機会があれば話題にするようにした。21世紀に入ったころから、教科書にも当然のこととして記載されるようになったので、眼科医の間ではようやく常識になってきたと思われる。

 一昨年、厚生労働省主導で、日本眼科学会に「眼科の薬物重篤副作用」に関する報告書を一般医師(眼科医だけでなくどの科の医師に対しても)向けに作成する要請があり、網膜視神経と緑内障の副作用についての報告書が作られた。この時、私も委員になったのだが、「眼科医はよく知っているが、内科医など一般医はまだ知らない場合が多い」という理由で、多くの薬物副作用の中で、ステロイド薬による中心性漿液性網脈絡膜症の症例が重点的に取り上げられ例示された。形の上では、医師であれば誰でも知っているべき副作用となったのである。我々の最初の報告から、なんと30年もかかったことになる。
 2004年にやはり我々が報告した、睡眠導入薬や安定剤の一部が眼を開けていることが困難になる「眼瞼[がんけん]けいれん」という難病の誘因となることは、まだ医者の間でも広く周知されているとはいえない。また、2011年には、日本人に多い強度近視が、眼球が進行性に拡大するために眼球の骨の入れ物(眼窩)に対して窮屈になる結果、段々遠くのものが二つに見える「両眼性複視」を生じてしまう「窮屈症候群」(我々の命名)を報告したが、これもまだごくわずかの医師にしか認識されていない。
 眼科医だけでなく、神経系疾患を扱う大半の医師がこれを認識するようになるのに、どれだけ時日がかかるだろうか。これほどの情報過多の時代に、いや情報がありすぎて、どれが大切なことか選別しにくい時代だからこそ、余分に年月がかかるのかもしれないと思うと、悲しくなるが、それが現実なのである。
 勉強も、自分の専門領域だけではなく、周辺の領域や他科の常識まで広げなくてはいけないし、それだけでなく、医師は人間そのものを対象とする職業であるからこそ、人間対人間の関係を構築する、より高い「人間力」が求められる。だから、人間力をつけるために文化、教養も当然、勉強の範囲に入ることになる。そう考えると、試験の範囲が膨大にすぎ、学生時代の試験前の心境を思い出してしまうが、心してかからなければいけないと思う。

2 話をよく聞いてくれ、親身になってくれる医者

 患者さんの話をよく聞けば、何が問題なのか、どう診断の道をつければよいかはわかるもので、医学教育でも古くから「問診」は最重要の基本と位置付けられてきた。ところが、画像診断や血液検査といった診断ツールが非常に進歩してきたために、問診から問題を抽出してそれを解いてゆくという過程を踏む前に、もっと精度の高い水準で異常か正常かがわかるようになってきた。
 そのために、診断に対する問診の重要度は低下し、中には問診などほとんどしなくても診断はつけられると豪語する人も出てきた。
 だが、患者側に立つと、正常か異常か、重大な病気かどうかはもちろん知りたいのだが、今感じている不快や不都合をどうにかしてほしい、相談にのってほしいというのが、病院や医院にやってくる一番の理由である。正常か異常かを判断してもらうだけの目的で来ているとは限らないのである。問診を重視しないと、そこのところが完全に抜け落ちてしまい、木で鼻を括[くく]ったような味気ない医療に終始することになる。
 診断ツールが進歩してから、特に大学病院を中心に、正常か異常か、重大か軽症かを的確に判断することが医学の役割と割り切ってしまう風潮が強くなったようである。
 その背景には、冒頭に述べた診断ツールの進歩だけでなく、電子カルテ、処方やレセプト(診療報酬請求)の電子化で、医師はパソコン画面の方ばかり向いて患者の顔や身体をみることをほとんどしないという実態や、一日に一定以上の多数の患者を診なければ経営的に立ち行かなくなるという医療制度の設計上の問題も大きな影を落としている。

 ある有名病院の精神神経科では、医療面接やカウンセリングにかかる時間は病院経営上無駄なので、薬物治療のみしか対応しなくなった。カウンセリングでは、患者数を稼げないし、医師の代わりにそれができる心理療法士を雇うことも資金的に言って避けたいのである。おそらく、病院経済はどこも圧迫されているので、そういう病院は増えると思う。
 時間をかけて話を聞き、十分なコミュニケーションをするというプロセスこそ真の医療であろう。だが、医師・患者間に人間としての会話が存在することが前提の医療は、やりたくても物理的に難しくなっている。精神神経科に限らずあらゆる診療科で、こうした対面医療がもっともっと高く評価され、診療報酬にも十分反映される必要がある。
 こういうことをこそ、国民あるいは患者の側が声を大にして訴えなければ、経済本位の偏った医療が跋扈[ばっこ]するばかりなのである。

3 患者離れがよい医者

 すでに触れたように、異常が発見できず、重大な病気ではないと判断できれば、それで医学としての大きな役割はひとまず済んだと考えるのが、医師の常である。
「これで、もう来院しないで結構」と医師がいう時は、大体次の場合に限られる。

  1. ①異常がないか、生理的な変化は病気によるものではないと納得した場合
  2. ②自分の領域外の問題であり、別の医師の受診が妥当と考えられる場合
  3. ③患者は不明確な愁訴を延々と陳述するが、医学的問題が乏しい場合
  4. ④病気や症状は残存しているが、それをさらに解消させる治療法がない場合
  5. ⑤再発や進行の可能性があったが、長期に観察した結果、変化が生じないか、進行はしていても患者がそれを受忍範囲とした場合
  6. ⑥遠方からのセカンドオピニオン目的の症例で、通院困難、もしくは地元での治療や経過観察が適切と判断した場合

 

 病院、医院の経営のために無駄な通院をさせている医師があり、医療費膨張の一因になっているという指摘があるが、そういう一面は確かにあるかもしれない。こういう医師は、一般に自分の能力の範囲を自分で測定することができず、新しい知識を得ることに怠慢で、自分流の診療をしていることが多い。
 しかも、②に相当するような場合であっても自分の施設で延々とみていることがある。それは知識が乏しいからなのだが、こうした医師は得てして人の意見に耳を貸さない似非[えせ]自信家であるため、一般人には「自信のある名医」に見えて、案外評判を得たりしているから、たちが悪い。
 個々の患者の持つ、診療の目的を達成したあとは、本来通院する必要はなくなるはずである。けれども、病としては重篤でなく、あるいはほとんどないにもかかわらず、症状や心配は継続し、心理的に医療に依存している、あるいは依存せざるを得ない例もかなりある。そういう例まで、患者離れをよくするのはいかがなものだろうか。人間を対象とする医療という特殊性から言って、冷たすぎはしないか。通院を促すことが、医師である自分はあなたの症状や懸念に引き続き関心を持っていますよ、というサインになり、それは患者にとってのひとつの救いになることは間違いない。
 私も時々こう言う。
「医学的には治療も必要ないし、症状もこれ以上悪化する可能性は非常に少ない。だからこれで通院終了にしても結構。だがまだ心配があるなら、半年後くらいの予約をとってお帰りください」
 すると何と、八割以上の方が次の予約をとって帰宅する。こうして何度かの通院を重ねてゆくうちに、結局、私の説明を受け入れ、自分で「通院終了」にする人も少なくない。
 通院する意義を、きちんと正直に説いてくれる医師が、よい医師だと言えるであろう。

4 検査も薬も必要最小限の医者

 よく検査をしてくれるのがよい医師なのだろうか。無論、一定の検査はどうしても診断に必要なのだが、どこまでするかは、医師の能力、裁量にかかっている。検査の意義を説明できなければいけないのだ。漫然と多種の検査をすることはしても、その結果、病状の判断や、治療に結びつかなければ意味がない。
 検査が診断名を決めるのに必要なのか、疾患の重篤度を測るために必要なのか、治療方針を決めるために必要なのかを、医師が明確に意識していないことがある。もう診断がつき、重篤度も測れたとする。そして、この疾患には、現時点で実証性のある治療方法がない場合、その余の検査は学問的関心か、単なる儲け主義にすぎないと言い切っておきたい。学問的関心なら、それと説明すれば、快く協力してくれる人も結構おられる。

 薬の処方でもそうだ。基本的には医師の裁量権の範囲である。だが、現代の医学では、科学的根拠に基づいた処方が要求されているのに、患者の愁訴が加わるたびに、また検査値に異常がみられるたびに、薬を足し算してゆき、不要な医療費、副作用の原因になっている事例をみかける。
 薬剤は、若干の例外はあっても基本的に単剤(ほかの薬物を使っていない状態)での効果と、副作用などのリスクを鑑みて評価され、厚労省で許可されたものだけが利用されている。欧米では、単剤投与が主流で、用いても2剤までである。
 私は、初診の方には必ず「お薬手帳」を拝見している。特に神経系に効果がある薬剤では、視覚系や眼周囲の快適性に影響を与えるものがあるからである。すると、中には、いくつもの医療施設から、合計で10や20種の薬物が処方されていることがある。そういう多剤における効果や、安全性は全く研究されていないに等しい。
 日本うつ病学会がうつ病に対する治療ガイドラインを出し、ようやく原則単剤処方を打ち出した。だが、多剤の背景には日本人の薬好き、薬万能信仰のようなものもあるのだろう。

5 適切な指針を示す医者

 その医師の診断に至った過程、診断の正しさの確率、治療や医療管理の方針を、正確に、わかりやすく、かつ正直に説明できる医師は信用できる。
 診断の確かさを述べる医師は少ないが、例えば我々の領域では、緑内障という診断を下すのに、私の場合で言えば、はじめから100%間違いないと言える症例は三分の一程度である。あとの三分の二は、経過を追ううちに確実性が高くなる。ある外国の統計によると、開放隅角緑内障(正常眼圧緑内障を含む)と診断されている症例の約30%は緑内障でないという。
 その30%の中には、生まれつき緑内障にそっくりな視神経乳頭の形をした、実は正常者、やはり生まれつき視神経の形成に異常のある(しかし進行は示さない)乳頭異形成や低形成、強度近視に伴う視野異常などが含まれている可能性があるわけだ。緑内障診断には、それだけの不確実性があるということである。緑内障と診断されれば、一生その病気と付き合わねばならず、進行速度減弱のための薬物は必須である。
 また、この疾患は10年、20年という単位でゆっくり進行するものであるので、例えば70歳、80歳の方にごく初期の緑内障を見つけて、その診断が確実ならまだよいが、不確実性があるものを、脅かすように「緑内障だ」と言って治療を開始するのは、いかがなものかと前々から思っていた。いくつか選択肢を示してもいいのではないかと思う。
 そのように考えるのは筆者だけかと思っていたら、緑内障の専門家にもそのような方針の人がいることがわかった。このような、診断の不確実性までも説明に入れることのできる医師は、信用できる医師である。
 日本の医学教育は、診断、治療でおしまいである。が、治療だけでなく、その人がいかなる姿勢で生活をし、どのような時医療施設を利用したらよいのかの指針を与える、つまり、欧米では当たり前の「医療管理(メディカルマネージメント)」をしてくれる医師は本物である。

人生の主役は「健康管理」ではない

 病や加齢変化による心身の不都合の受け止め方には、まさに人間性が表現される。
 老いなのか、病なのか、その中間なのか、そのあたりを意識して、納得いく説明は専門家たる医師に求めるべきである。納得できなければ、心から受け止めることは困難だからである。
 だが、残念なことに、理想的な医師をみつけるというのは、実はそれほど容易な話ではない。病気そのものに対する判断や、処置法に関しては、医師国家試験を通過した人でないと診療はできないという特別な資格を有しているのだから、あまり心配するには及ばない。だが、患者から見れば医師は一人だが、医師からみればその患者は大勢の患者の一人にすぎない。だから、一人の人間として親身に相談に乗ってくれ、納得できるコミュニケーションができるとは限らないのも事実である。

 そこに、ひとつの大事な日本の医療の問題点が隠されていることは、理想の医師像を検討した前項でいろいろ出てきた。そこは課題とはしながらも、しかし医師も一介の人間、個人ではなく、日本の医療システムの問題の部分もあるので、素早い解決はできそうもないから、ここは妥協が必要であろう。
 さて、残りは、ある程度の医学的評価をもらったのち、どう考えるかである。病の場合は、いろいろな程度、場合があって話がややこしくなりすぎるので、ここでは慢性的な病もあるが、加齢による部分もあるという中間的な場合(こういうケースが現実には一番多い)について話題にする。
 しかも、この慢性的な病というところも、1、2年以内に生死が問題になるというほどのものではいが、大雑把に言って、5-20年以内にそういう事態が浮上するか、不自由の度合いが重篤になりうるケースを想定して考えてみたい。
 端的に言えば、こういう条件にあてはまるなら、もう有無を言わさず、身体や病のことはうっちゃってしまうのがいい。「忘れてしまえ」とは言わない。できるわけがないからである。忘れなくてもよいので、それはそのまま放置すればよろしい。もちろん、医師が必要だという糖尿病、高血圧などの生活習慣病の管理(薬物、生活管理)や管理しておいたほうがよいと指導を受けたほかの疾患も、定式どおりの処方や、経過観察をしてもらうのは当然の前提である。
 だが、病気や健康の管理自体を生活の主軸にするのは、あまりに人生が勿体ない。何のために疾患や慢性の痛みなどの症状に対する管理をするのかと言えば、その人が生活するためである。
 生活とは、健康管理そのものではない。制限や限界はあることは予め織り込んでおいて、文字通り「生き」「活き」と過ごすことである。

老齢哲学は文学的表現でこそ

 最近は、大会などの緊張する場面でアスリートなどが、「楽しむ」という言葉を使うのをよく耳にする。欧米人は、昔から何かにつけて(挨拶がわりにも)enjoyを多用するのだが、それを日本語に訳して広まったものとみられる。もともとの語源をたどると、フランス語のjoie de vivre(人生の謳歌)のjoieが英語化してjoyとなり、その動詞形がenjoyとなったもの。病気の時にtake it easy(あせらないで)という代わりに、enjoy bad health(体調不良も楽しんで)という表現に出会ったこともあるが、非常に軽い、楽天的なニュアンスがある。そんな風に、深刻に考えずに、気楽に自分の時間を過ごせばよいのである。
 自分の時間をどう過ごすかは、この連載の中盤ごろに触れたように、自身の老齢期の生活の規範となる哲学(私はそれを老齢学、老齢哲学と表現している)を、50歳を過ぎたあたりから、そろそろ構築してゆくことが必要である。
 老齢学、老齢哲学などといかにも難しそうな表現を使ったが、何も数式だの、論理だのを求めているのではない。ある哲学者から「人間は皆、大なり、小なり哲学者です」と言うのを聞いたことがあるが、生活の精神的よりどころを考え、表現すれば、それはもはやその人の生活哲学である。その表現の仕方は、いろいろあってよいのだが、「何がしたい」「このような感動を得たい」「こういうものを生活に取り入れるのは嫌いだ」といった、ごく単純な文学的な表現が大切なのだ。文学的という言い方も窮屈だと思う人がいるかもしれない。それなら、小学生がするような作文の表現でよいのである。そういう実感や、感性を重視した好き嫌いは、その人の真実を表していて、実は数式だの、理論をこね回すよりずっと、当人の老齢学の正解が含まれている可能性が高いと思っている。

 さて、こうして自分勝手に創り出した老齢学を、実現させることは容易かというと、それは案外困難かもしれない。心身が元気なうちは自立しているので、出来ているような気がするかもしれないが、それはまだ本当の姿ではない。老いが心身に影響しはじめてからが、本番である。
 本番では、本人が好むと好まざるにかかわらず、一緒に住んでいる家族や、周囲の人々の理解と、消極的でもいいのでなんらかの支援がなければ実現しない。そのためには、少し気恥ずかしさはあっても、自分の老齢学を、家族や友人に言葉で、できたら、文章や手紙などで披露しておくのがよい。批判を受けたり、反対されたり、嘲笑されたりするかもしれないが、それは、自身の哲学を磨き上げるためのアドバイスと割り切って、取り入れられるところは取り入れるのがよい。修正できるところは、すればよいのである。
 自立できなくなってきた時こそ、自分で構築してきた老齢学を実現する時である。この時に大切なことは、自身と支援者の間の人間としてのコミュニケーションであり、信頼関係である。これが円滑に進むためには、自立している時期から関わりを重ねておくことが必要である。そして、信頼関係を築く、最も大事な要素は、感謝の念である。

 私の外来にも、老いの症状や苦しみを語ってゆく人が、かなりある。視覚は、日常生活に直結した機能であるだけに、微細な変化が気になるところでもある。
 銀行マンであったS氏は、退職後は若い時に司法試験に合格していたため司法修習生となり、その後弁護士事務所に所属していた。若い時に胃がんで胃を摘出したが、今度は80歳を過ぎてから腎がんを手術した。がんはその後、肺、肝臓にも転移した。抗がん薬による治療は効果より苦しみが強く感じられ、医師と相談して、自然に任せたいと、がん治療を中途でやめ経過観察のみになった。
 そんなS氏が私の診察室にやってきたのは、がんそのものよりも、光視症(光や模様が見える症状)が頻発するからである。数分間継続する光視症が毎日起こった。眼球には異常はなく、脳の視覚細胞のノイズによるものであると判明。頻度は増減を繰り返し、散歩と読書が何よりの趣味であったが、光視症が出てから読書があまりできないと嘆いた。二、三、薬物治療も試みたが、効果が薄く、眠気などの副作用も出るため、治療は諦めS氏のお話を聞くだけの外来になった。
 それでも3か月に一度は奥様に連れられて来院され、10分ほど症状を「報告」して帰られるのである。治療もなく、お話をするだけということは、S氏自身も百も承知なのだが、それでもこの「報告」を私にしたいが為に通院を続けた。たしかにその現象は辛いのだが、同時に観察結果を具[つぶさ]にノートにとっている。つまり未体験の不思議な現象に対して、自分なりの解釈をつけ、私が賛同するかどうか、コメントを期待する風なのである。私は、こうした精神活動(考えたり、感じたりする脳の活動)はよいことなので、S氏の話にじっと耳を傾け、関心を示し続ける診療を行っていった。
 一時衰え気味で、次回の来診は厳しいかなと思ったことが何度かあったが、むしろ体力は少し回復し、快眠、快食ができると言っていた。
 この間の、奥様の献身は驚くべきものであった。S氏は年々頑固に症状の辛さを訴え、段々我儘になっていく様子が、診察室での会話の中でみられた。奥様によると、診察に来て1、2週間は不平不満が薄らぐのだと言った。
 二人の長い夫婦生活の歴史は、診察室の中ではとても窺い知れないが、夫が何をしたいか、何が不満か、どうしていらいらしているのか知って、後ろから支えている奥様の姿があった。本当は、我儘がすぎて、手こずっていたのかもしれない。しかし、二人の間には人間と人間のコミュニケーション、信頼関係、最近はやりの言葉を使えば「絆」というものがあったのだろう。夫は、そのことに非常に感謝していた。でなければ、夫婦とはいえ、老々介護では介護する側の負担が非常に大きいから、献身的にできるわけがない。
 光視症で通院をはじめて4年余り、S氏はついにその生涯を閉じた。
 奥様は、網膜の病気があって今も時々診察に訪れる。今度は、彼女が生活を謳歌する番である。私は、あの時の献身をいつも労[ねぎら]いつつ、診察している。

次世代へのメッセージは俯瞰視できるゆとりから

 最後に、もうひと言っておきたいことがある。
 我流の老齢哲学を構築するのは大変よいことである。だが、自分勝手で、周囲のだれも理解しない、あるいはできない我儘であってはならないということも事実である。
 多少でも周囲が理解するということは、理解したその人が、多かれ少なかれ影響を受けるということである。もし、理解したその人が、その哲学、姿勢を次世代に引き継げる年齢の人なら、これは大きな意味がある。

 自身の老齢学を構築してゆく時、是非考慮に入れてもらいたいのは、自分の生きている環境を取り巻いている社会の評価である。それが、今の自分だけではなく、むしろ子孫や次世代の人々にとって、どれだけ好ましいものか、あるいは害悪なのかを評価してみてほしいのである。
 例えば、多くの人は、自身の健康や自分の受ける医療に強い関心を持つが、日本の医療の歴史や我々の子孫がどういう医療の環境下にいるかを広い視野で考え、意見を持つ人は少ない。つまり、全体を俯瞰[ふかん]してシステムを考え、問題点を抽出しようという姿勢を持つ人は稀有である。
 これは、こと医療に関してだけではなく、国や自治体や、公的なシステムについても同じである。自分やその周囲に生じた事象から、そのシステムの問題点を見つけ、指摘しようとする人は、残念ながら日本人にはあまりいないのである。個人や周囲の利害は考えられても、全体を支えている制度に関心を寄せることを、日本人は苦手としているのかもしれない。
 確かに、一見何事もなく過ぎてゆく日常の中で、全体を俯瞰的に見るのは難しいし、面倒でもある。哲学者内山節は、今日の我々を取り巻く環境を「巨大システム」と呼び、その全体像が自分たちの暮らしている空間からは見えにくいと指摘する。
 医療崩壊が言われ、あるいは「想定外」という言葉で片付けられそうになっている原発事故で、その隠されていた巨大システムの欠陥が、まだ頭の先だけかもしれないけれども、我々の眼前に突然姿を現した。
 このことは甚[はなは]だ不幸なことでもある一方、同時に千載一遇のチャンスでもある。今こそ、そのシステムエラーを看破して、これでいいのかという抜本的議論を喚起すべきなのである。なのに、どうも末梢だけをいじって、ことをなし崩し的に終息させ、巨大システムはそのままにしてしまおうとする企てが粛々と進んでいるような胸騒ぎがしてならない。
 たとえば、医療崩壊は、医師過剰と言い続けてきた厚労省のせいにして、医学生の定員を若干増やした程度で、日本の医療のこれからの在り方論を喚起することは行われなかった。原発事故では、東電や菅元総理のせいにして、戦後の官僚主導と自民党一党支配において危機対策を作ることを怠ってきた歴史的な事なかれ主義や、システムエラーについてはしっかりと議論されず、経済原理優先の再稼働が、あっさりと宣言されてしまった。だが、その時代の一人の首相がいくら責任を負うと胸を張っても、将来にわたる話であるから、それは無理でしょうというのが国民の偽らざる実感である。
 こうした、巨大システムの中で、明確で責任ある将来の設計図なしに、今を生きてゆかなければならない我々にとって、医療全体を俯瞰する余裕はなかなか持てないのも事実である。だが、この部分を無視して、自分の病や老いだけに関心を持つのでは、次世代に渡すべきものを見失ってしまうのではないか。個人的な愛憎、技術や知識や財産だけを手渡すだけでよいのだろうか。

 自分自身の老いの哲学を考える時、日本人がこれから生きてゆく社会の理想像も一緒に考察する。これは、次世代のために我々大人、あるいは人生の先輩者たる老人一人一人がしなければいけない責務だと思う。
 隠されていた巨大システムの弱点が露見されてきた今日、考察すべき問題が具体化してきたといえる。将来を取り巻く我々の社会環境を見直す、格好の機会になっているのは確かだと思う。

おわりに

 エイジングは当然起こる当たり前のことだという事実から説き起こし、私の考えるヘルシーエイジングとは何かを述べることからはじめた、このシリーズも最終回となった。本シリーズを省みて、全体の大筋を、短く要約しておく。
 それぞれの人の一生は、年齢や社会状況と切り離せない人の心の動きがある。例えば、私達団塊世代の人間には、時代を駆け抜けてきた結果「燃え尽き症候群」になった人たちも多くあった。
 自分らしいヘルシーエイジングを実現するためには、現役時代に好むと好まざるにかかわらず身につけてしまった習性から解き放たれ、その人その人の個性を前面に出した、自身の自然体の中で、新しい老齢学、老齢哲学を生み出すのが理想である。
 ところが、この時点では、どうしてもこれまでのやり方、考え方、姿勢にとらわれることが、老齢学の理想を花開かせるのを阻害する。さらには、その頃からそろそろ出始める加齢変化や病による不自由、不都合が、もうひとつの邪魔になる。だから、準備はもう現役のころからはじめなくてはいけないことを説いた。
 また、同時に心身の不都合とどう向き合い、老化不適応症候群になって老齢学実現に失敗しないためにはどうしたらよいか、医師としての臨床体験を参照しながら考察してみた。
 そして、最後にもう一度、自身の一生と社会とは切り離せないものであり、次世代にうまくバトンンタッチするには日本の社会構造、制度というものも、必ず考察の対象としなければならないという感想も述べたのである。
 自分自身のヘルシーエイジングをどう実現させるかを考えながらここまで書いてきたが、読者諸兄それぞれの「老齢学」のための、何らかの指針になれば、嬉しいかぎりである。

(最終回・了)

 

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著者略歴

  1. 若倉雅登

    北里大学大学院医学研究科博士課程修了、医学博士。グラスゴー大学シニア研究員、 北里大学医学部助教授を経て、医療法人社団済安堂井上眼科病院名誉院長。日本神経眼科学会理事長、日本眼科学会評員、メンタルケア協会評議員。NPO法人目と心の健康相談室副理事長、北里大学客員教授。視神経の病気や眼科難病疾患を得意とする専門医。眼そのものにとどまらず、神経や心身のコンディションからアプローチする「心療眼科医」のエキスパートである。著書に、『健康は〈眼〉にきけ』『一歩手前の「老い入門」』『絶望からはじまる患者学』、『目力の秘密』『目の異常、そのとき』、『三流になった日本の医療』、小説『高津川 日本初の女性眼科医右田アサ』ほか。

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