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疫病論 西谷修

コロナの日々のエプタメロン

感染

 新型コロナウイルス感染の不気味な広がりのなかで、「ステイ・ホーム」という行政の一方的な要請には従うつもりがなくても、伝えられる重篤な肺炎症状や免疫過剰反応による多臓器不全などの容態を聞くにつけ、やはり感染症には罹りたくないものだと、いわゆる「三密」とかを避けていやでも家に籠らざるをえなくなる。出かけたくて、というより人とコンタクトをとる機会を絶やすまいと、出かけようにも会合や会食の「自粛」でそんな機会がなくなっているのだ。

ところが現代では、インターネットという疑似的なコミュニケーション空間ができていて、SNS(Social Networking Service)とかで情報交換をすることができる。そのコミュニケーション空間そのものはデジタルIT技術でできているので、そのインフラやプラットホームさえあれば生身の体にはまったく依存せずにすむ(キーボードを打たねばならないし、イメージの元はなければならないが)。この空間は、それはそれでウイルスに感染したりはするのだが、そのウイルスはシステムに支障をきたすことはあっても、それを使う生身の体に影響するわけではない。だから、リアルな空間の往来を遮断された人たちは、そこでヴァーチャルなコンタクトを体験し、情報交換をすることができるのだ。

14世紀イタリアで黒死病と呼ばれるペストが大流行したとき(1348年から1420年までヨーロッパで断続的に流行)、難を逃れて郊外の屋敷に籠ったフィレンツェの有閑男女10人が、退屈しのぎに各々十夜十話を語り合ったということで『デカメロン』が書かれたが、それに想を得てかフェイスブック上では誰かの指名が届き、7日の間(これでは『エプタメロン』だが)思いついた本の表紙をコメントなしで投稿するというゲームが誰ともなしに始まったようだ。

ネットでこれはやり易い。ハッシュタグというのと同じでどんどん広がる。まるでウイルスのようだ。このゲームは初めからうさん臭くなくもなかった。指名が届いた人にはもうそれが誰から始まったのかは分からない。にもかかわらず、善意の知人から指名が届くと、無下には断れないという「負い目」も働いて、自分も参加するだけでなく、新たに知人にも「感染」を広めることになる。それに、本の表紙をフェイスブックに上げるだけで中身のコメントはなし、というのが課されたルールだ。だが人は、たいていは無動機なことをするのが苦手だ。そこでつい、自分の趣向をさらけ出すよう誘われる。そのうえその言い訳まですることになる。ネット上での趣味の露出には、多少の衣装をまとわせないとやりにくいからだ。しかもこのゲームでは毎日知人を指名するというルールまであった。できるだけ多く感染を広げよ、ということだ。だから、まるで不幸の手紙を受け取ったかのように、早く自分の役目をすませて人にこの得体の知れない病原を委ねなければならないという気になる。

この指名を、敬愛する知人から受け取ったわたしは、これもステイホームによって最初の打撃を受ける「文化」領域のためのプロモーション企画かと好意的に解釈して、この知人の期待に応えるべく最初の一冊を思い浮かべた。それと同時に、一連の本を表紙によってではなくテーマと中身によって手繰り寄せ始めていた。すぐにアイデアはまとまった。そして最初の一冊を、それでも表紙の見栄えに配慮して選び、けれどもなぜその本なのかを示唆するため、もう一冊古い文庫本をそれとなく背後に斜めにおいて、スマホで写真をとり、すぐにそれを投稿した。

 

エプタメロン

 コロナウイルス禍のこの時期である。医療とは何かを考えさせてくれる一連の本を選んだのだ。とはいえ文芸批評的なS・ソンタグの『隠喩としての病』のようなものではなく、むしろ〈病〉について、あるいは〈ウイルス〉について、そして人間の生命について、考えさせてくれるような本だ。

最初はカール・ケレーニーの『医神アスクレピオス』をあげ、その背後にヒポクラテスの『古い医術について』を置いた。2日目は山形孝夫『治癒神イエスの誕生』、ただこの本は表紙が見栄えがしないので、山形さんの好む絵を配した。そしてわたしが山形さんの思想に納得した一冊『死者と生者のラスト・サパー』(旧版)をその下に置いた。3日目は、飛んで中国医学の総まとめのようなあまり個性のない本。西洋医学を相対化するためだ。その次には、科学化した近代西洋医学の知的構えを言い表したタイトルをもつ、ロイ・ポーターの『人体を戦場として』。そしてその後で、感染症対策の成立と医療管理社会の原理となった「免疫論」の意義を人文学的にも示している多田富雄の『免役の意味論』、その背景には『生命の意味論』も置いた。それはテクノサイエンス化する現代医学・医療に対する根本的な異論を含んでいる。そしてその先に、生命そのものについて革新的かつ合理的な観点を打ち出した福岡伸一の『動的平衡』(おそらくライプニッツ以来と言っていい今日のテクノサイエンスの前提とする生命観を超えるもの)。そして最後に、現代における死を象徴する「被曝死」をルポしたNHK取材班による『朽ちていった命』、その背後には目立たないようにドイツ語版『不死のワンダーランド』を置いた。

ところが、3日目をすぎた頃からこのゲームに仕組まれた「払うべき負債」が重荷になり始め、あたかもそのウイルスに感染したかのように、それに対する抗体がわたしの内に生じて身体内で葛藤を演じているかのように、しだいに気が重くなり、息苦しくさえなってきた。4日目の投稿を終える頃には、もう続けられないという状態に陥ったが、それでも務めを果たそうと、「もう症状が現れて、隔離されるかも…」と言い添えて、残りの3日分の投稿をまとめて行い、最後にどこかで「命が朽ちていく」こと、あるいは「生と死のあわいのワンダーランド」への漂流を示唆して、もはやこの「債務」を誰にも引き渡すことができない由の弁明とした。

 

ただ、この「感染」はわたしにひとつの「負債」を思い起こさせた。それは旧著『不死のワンダーランド』の展開のひとつとして「医療思想」の構造的歴史をまとめるということだった。わたしは2005年から東京医科歯科大学大学院にできた医療管理・医療政策コース(MMA)で10年にわたって医療思想史の講義を担当してきた。医療・病院のマネージメントやアドミニストレーションをカリキュラムの主軸にするこの2つのコースに、人文系の「どう考えるか」的な科目は役立たないし要らないのではないかというわたしに、開設準備をしていた医科歯科大の医師の先生方は、いや、まさに「要らない」ように見えることこそ、管理・政策を教えるコースには必要なのだと強く慫慂され、そう言われるならばと意気に感じて引き受けたのがこの講義だった。そこでは、人が「医」というものをどのように考えてきたのか、そして近代の知の科学化や技術化そしてその社会化の中で、医学・医療やその政策はどのように展開されてきたのか、そのなかで人の生き死にはどのように捉えられ、現在われわれはどのような医療管理のもとに置かれているのかを、思想史的観点から講じてきた。その間に聴講者の便のためにも、講義の内容を何らかの形でまとめようと思いつつ、MMAコースの共同運営校だった東京外国語大学を退職すると同時にそこを離れ、ついに今日に至るまでこの務めを果たさずにいたのである。今回のコロナ禍の下でオルタナティヴに活性化したネット空間でのひとつの「感染現象」が、忘れかけていたこの「負債」を呼び起こしたというわけである。

 

パニック

今回のコロナウイルス禍は、本当の意味では初めてのパンデミックになった。西洋先進諸国では「緊急事態」が宣言され(緊急事態とは基本的に近代国家と政治権力の問題である)、民主主義の国々で行政府によってさまざまな私権の制限が行なわれている。それは整備されているはずの医療体制を守るためでもあるが、その医療も各地で崩壊を起こしており、科学技術と管理運営の時代になっても保持されてきた、死に際しての葬儀さえ行えなくなっているところもある。世界の医療状況を調整管理するWTOが「パンデミック」(世界万民に関わる)を宣言する。これを何と言ったらいいのか? グローバル化した現代世界が新型ウイルスの出現によって「パニック」に陥っているのである。

そのパニックはどこから生じているのか。なぜこの新型コロナウイルスが世界にパニックを引き起こしたのか。それはこの種の「疫病」の流行から人びとを守るのが国家行政の役割になっている一方で、すでにこの30年来、あるいは40年来、行政はその役割の多くを市場経済に委ね、経済活動が社会を組織化運営するようになっており、そのためにさまざまな障壁が取り除かれ、流通が、そしてそれを支える人の動きが経済を支えているのだが、疫病蔓延の危機に際してとれる措置がまず交通と接触の遮断しかないからだ。つまり人びとを災いから守り生かすためには、社会全体を生かしているその動脈を遮断しなければならないのだ。これがパニックの原因である。

そのとき行政府には経済統治と医療政策という手立てがある。しかしそれは人びとを支援管理することはできても、その生存を守ることになるとは限らない。もっと言えば、一人ひとりの生き死にには届くことはできない。このことを、〈医〉の在り方の歴史から考えてみたいということだ。

 

疫病

 さて、ものを考えるときの基本は、どういう言葉で考えるかということだ。概念を明確にするというだけではない。その乗り物、用語のことである。

最近では「感染症」という言葉を使う。厳密には「伝染病」とは区別されるようだが(伝染病は概念が古いから、病原と感染経路に関する最近の知見を単純化することになる)、公的名称として「伝染病」が消えたのは1999年の「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律(感染症法)」の施行以来のようだ。それ以前は「法定伝染病」など、法律用語としても「伝染病」が使われていた。だから、長く生きている者にとっては「感染症」はなじみが薄い。

なぜ、この用語の交代が起こったのかというと、病原と感染経路に関する最近の知見が、発病個体からの病原の伝染以外に広がったという学問的理由もあるようだが、それよりも「伝染病」という呼称のもつネガティヴな負荷(社会的差別感情を生むなど)が、新しくニュートラルな用語を求めたからだと言っていい。だとすると、学問的(科学的)用語の選択は必ずも科学的知識に基づくというより、社会的配慮などの影響を受けるということだ。とはいえ、ニュートラルな用語を求めたつもりでも、「感染症」が対策として隔離や分断を必要とする以上、差別感情等が同じように出てくるのを避けることはできない。今回のCovid-19感染拡大でも、日本などでは(とくに日本では)感染者がすぐに差別というより憎悪と排除感情つまり「ヘイト」の対象になる。初期のクルーズ船で対応に当たることになった(当人の意思とはほとんど関係なく)医療従事者さえ、復帰後の周囲で差別に迎えられたという話は、未知の感染症の到来に、感染以前の異常抗体反応を示す(サイトカイン・ストーム?)この国の社会の病理だと言わざるをえない。だとしたら、名称更新にはじつはたいした効果はないことになる。

伝染病という語自体は、そのメカニズムが確認された近代医学の中で、翻訳語として使われるようになったもので、その名はこの種の疾病のメカニズムに由来している。明治以降、日本の医学は政策的に西洋化され、この用語もその流れの中でできて以来、一般的になっていた。

その前はどうかといえば、古くから「疫病」という語があった。今でも使われないことはないが(口蹄疫など)「伝染病」以上に避けられる傾向がある。古い言葉だけに、歴史の澱も溜まっており、疫病(厄病)神などという言葉もある。何より「科学的」な感じがしない。だからこの用語は、日本の医学の近代化とともに公的用語としては忌避される傾向があった。

しかし、逆にいえば古来からあって由緒正しい用語ではある。何といっても『日本書紀』にすでに出てくる。崇神天皇の代に疫が広まって人口の半数が失われたこと、亀トと沐浴斎戒で占ったところ、大物主大神を祀れと言われて、それに従うと疫が止み、民が栄えたと書かれている。

だが、もちろん「疫」の字は中国伝来である。「疫」とは何だったのか。古くは「役」に通じる。「役」とは賦役の役である。つまり一種の税で、土木工事や戦に出る務めを言う。だから古くは日本でも夷狄との戦を「役」と言った。そこから転じて、誰もが罹らずにいられない病のことをやまい垂をつけて「疫」と表記した。白川静『字通』によれば、最初の解字書『説文』にすでに「民皆疾むなり」と説明されている。『古事記』では役病(えやみ)、『日本書紀』では疾疫・疾気(えのやまい)と記されている。

ということは、これはギリシア語起源の「エピデミー」(万民の上に広がる)という語と通じており、伝染病・感染症よりも適確にこの種の病の特質を示している。そこには感染(伝染)の意は込められていないが、ともかく「皆が免れない病」だということだ。

 

免役

そしてこの点がじつは、この語を現代医学で用いるときのもうひとつ利便にもなっている。というのは近代医学の組織化の軸が「免疫学」だからだ。経験的に種痘法を編み出したのは19世紀初頭のジェンナーだったが、パスツールはそのメカニズムを科学的に解明し、後の免疫学の基礎を作った。それ以降、生体の免疫機能の研究は医学研究の主軸になったのである。

ところで、日本語で「免疫」と訳されているのは"immunity"という語だが、この語はどのようにして生まれたのか。免疫が問題になるこの種の病は、ツキジデスの時代から経験上「二度はなし」として知られていた。「疫病には一度罹ると二度目はない」、あるいは軽く済むという特徴だ。その経験知を方法化して、危険のない限度で一度感染させると二度は罹らないということから、ジェンナーは種痘法を編み出したのだ。

その後、生物学が科学として成立し(19世紀初頭)、生物現象や生体のメカニズムが化学的に研究されるようになると、この「二度はない」あるいは再びの感染を免れるという性質、あるいはメカニズムをどう呼ぶかが問題になる。そのとき、生理学者たちが思いついたのが「イミュニティ」という中世の法律用語だ。たとえば、教会に年貢を収めている土地に新しい領主がやってきて農民に税を課すと、農民たちは二重に年貢を取られ、生きてゆけなくなってしまう。それでは税に依存し税を取る側も困る。そこで、教会に年貢を納めている農民は、重ねて領主に税を払わなくてよい、という制度ができた。「一度払えば二度はなし」ということで、この制度がイミュニティと呼ばれていた。訳せば「免税」ないし「免役」である。それが、疫病に関連しても用いられていた。14世紀のペストの流行期に、献身的に看護を行うキリスト教騎士団や修道士たちがいたが、そのとき罹患して奇跡的に助かった騎士や修道士は、その後はいくら患者たちに接しても二度とこの病気に倒れることはなかった。それこそは敬虔な者たちへの神のご加護であるとみなされ、彼らはローマ教皇から課税を免除されることになった。その特権がイミュニティと呼ばれていたのである。
 
この教会法の用語が医学・生理学に導入されたのは、1868年頃というから、パスツールがそのメカニズムを解明する前後である。このことを指摘するのは、医学用語は必ずしも科学的なものではない、ということに留意するためだ。とりわけこのイミュニティという語は、権威・権力と人の権利関係を規定する規範的言語なのである。それが生理学的(科学的)解析を枠づけている。そのために生理学的解明そのものも、擬人的な性格を帯びたりすることになるのである。

ついでにふれておけば、イミュニティ(immunity)はじつはコミュニティ(community)の縁語である。「イ」は除外を意味する接頭語だ。「コム」は共にを意味している。コミュニティはよく知られているように「共同体」のことである。その原義は「ムヌスを共にする」ということになる。では「ムヌス」とは何なのか。イタリアの哲学者ロベルト・エスポジトによれば、まさにこれが「役」を意味するという。というより、それは「負債」それも「贈与」と区別されない「負債」だという。たとえば神から何か恵がある。するとそれは無償の贈与でもあるが、同時に恩義を感じそれに応答しなければならない負債でもある。マルセル・モースがその主著で明らかにした「贈与」の両義性である。それが「ムヌス」であり、その「ムヌス」を分かち合う、共有するのが「コミュニティ」なのである。別の言い方をすれば、コミュニティは「ムヌス」を恵としても負い目としても分かち合っているのである。共同体とはそのような結びつきのことを言うというのだ。

そしてその「ムヌス」を免除されるのが「イミュニティ」である。だから中世の法律家たちは、「二度はなし」のこの決まりを「イミュニティ」と名付け、重なる負債を免除した。パスツールはこの用語が彼の見出した生理学的作用、生体がその同一性を守るメカニズムにぴったりだと考えたのだろう。明治の日本の医学者たちは、それを知ってか知らずか「免疫」と訳した。だが、まさに「ムヌス」とは「役」であり「疫」であるとすれば、この訳語は西洋語と漢字との意味論的符合をすくいとって、訳語というよりそれ自体が時空を超えた適確な用語たりえている。

 

共同体

「免疫」がそのような用語だとすると、「疫病」という表現も捨てがたいというよりも、意味形成の連関をあらわす表現として、ニュートラルに用いていいのではないかと考えられる。それと、ここで指摘しておきたいのは、医学の作りだした用語が必ずしも「科学的」なのではないということだ。科学の依拠するのは数式であり数的記号的論理である。しかし科学の記述を可能にしているのは、「免疫」という用語の由来が示すように、基本的には規範的言語、関係を確定する言語である。そして論理自体は規範的なものだ。だから科学を、そしてここでは医学を、そのような観点から記述し直すことは、場違いなどころか、科学性というものの盲点から科学を照らし出すことになるはずだ。そのような意図を込めて、ここでは「疫病」を軸として、ひとつの医療思想史を試みてみたい。

「免疫」について付言しておくならば、いまふれたように、免疫はその後、生理学的な個体の同一性保持の内的メカニズムとして捉えられるようになる。ひとつの生体に異物が入ってくると、それを排除しようとするメカニズムが働く。そのメカニズムが「一度侵入されると二度はない」という生体の持続力を保障する。そしてこの論理は、オルガニズム(生命組織体)の論理となり、複合的な生命組織体、つまりには人間集団であるコムニタスにも類推で適用されるようになる。ひとつの身体は免疫機構をもち、疫病を克服する。それと同じように、ひとつの共同体は異物を検知し排除することでインテグリティ(十全性)を保つ。つまり免疫作用は、共同体の健全性の作用でもあるということになる。だがそれは、ほんとうに役を免れる免役作用なのだろうか? あるいは、免役ということはたとえばグローバル化の時代には考え直さなければならないのだろうか。

科学性が立てることのないこのような問いは実際避けがたい。事実、今回の疫病の蔓延によって、先にふれた感染者の排除や、その原因を特定して他者排除を呼び起こすといった事態が起きている。トランプ政権下でこの時期に人種問題が噴出しているが、直接のきっかけはコロナ禍とは関係がないとはいえ、人種問題そのものがある種の「免疫」のメカニズムの現れだと言えなくもない(サイトカイン・ストーム?)。科学が避けるはずのこのような効果を、しかし医学理論は呼び起こさずにはいないのだ。この問題を免役を超える問いとして提起しているのが、心臓移植を受けて生き思考し続けているジャン=リュック・ナンシーである(『侵入者』)。

〈医〉についての史的考察がこのような問題にもつながっていることを念頭に、今回の疫病のひとつの派生物たる「エプタメロン」を語り出してみようと思う。

 

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著者略歴

  1. 西谷修

    1950年、生まれ。東京大学法学部、東京都立大学大学院、パリ第8大学などで学ぶ。フランス思想、とくにバタイユ、ブランショ、レヴィナス、ルジャンドルらを研究。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授、立教大学大学院特任教授等を歴任。著書に『不死のワンダーランド』(増補新版、青土社)、『夜の鼓動に触れる 戦争論講義』(ちくま学芸文庫)、『戦争論』(講談社学術新書)など、訳書にブランショ『明かしえぬ共同体』、レヴィナス『実存から実存者へ』(共にちくま学芸文庫)など多数。

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