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ソウセキ・コード――『明治の御世の「坊っちやん」』付論 古山和男

書かずに伝える詭計(トリック)

 

買わず跳び込む水の音

 『三四郎』(二の六)には、「ちんちんちんちん」と発車(はっしゃ)する電車が通る道の本屋と雑誌屋の「二、三軒」には〈人が黒山(くろやま)の様にたかつてゐる〉のに〈買はずに行つて仕舞ふ〉とある。ここでは「買はずに行つてしまう」が落語『金明竹(きんめいちく)』の「買わず飛び込む」のオチを想起させることから、機関銃が「ちんちんちんちん」と発射(はっしゃ)されている要塞に兵士が「黒山のように」取りついて「(たたか)っている」が、(『趣味の遺伝』の「浩さん」のように)塹壕に飛び込んで「()ってしまう」と読める。

 よし子が(わたくし)? 飛び込みませうか。でも(あん)まり(みず)(きた)ないわね〉(六の十一)と言っているのも、ここのくだりと関係があろう。

 「古池や 蛙飛び込む 水の音」が伝えているのは、(かわず)の「水の音」によって際立つ静寂であり、直感的な洞察によって感じ取るべきこの情感は「水の音」の言葉の裏にある。これに似て、漱石の言葉の裏、文の行間からは、旅順口の攻略作戦の犠牲への哀悼がにじみ出てきている。

 

「マドンナ」の正体

 

 『坊っちやん』の「マドンナ」は一言も発しないが、「うらなり」と「赤シやツ」に絡む重要な人物である。具体的な説明がないこの「女」の正体も、行間から読み取ることができる。

 「マドンナ」に対する「坊っちやん」の第一印象は次のようなものである。

〈何だか水晶の珠を香水で(あっ)ためて、(てのひら)へ握ってみた様な心持ちがした〉

 香水は加熱するものではないから、「暖める香」という不自然な表現からは「焼香」が連想される。そして、法要などでこの香りの(けむり)を受けて「掌に握る水晶の珠」でとなれば、それは「数珠(じゅず)」であろう。このように抹香臭い「マドンナ」には、最初から死臭が漂っているようである。

 『坊っちやん』で「マドンナ」の名前が最初に出るのは〈えゝ丁度時分ですね。今夜はマドンナの君に御逢ひですか〉であるが、この言は、釣り舟の船底に〈烟の様な靄〉が流れた時に「野だいこ」が発したものである。下宿の婆さんも〈其のマドンナさんが不慥なマドンナさんでな、もし〉と言うように、「(けむり)」「(もや)」のような得体の知れぬ「不慥(ふたしか)」なものが身近に流れる」という言い方は、「赤シやツ」が若く美しい女性との逢瀬を心待ちにしていると言うより、夜な夜な出る幽霊に怯えているようすを髣髴させ効果がある。婆さんはまた、〈鬼神の御松ぢやの、妲妃の御百じゃのてて怖い女が居ましたなもし〉と言って、おどろおどろしい魔性の妖女たちに「マドンナ」を(なぞら)える。旅順口の激戦地は「松樹山」と「二百三高地」であるから、これも「御松」は「松樹山」の「松」、「御百」は「二百三高地」の「百」で、「マドンナ」は旅順口の怖い亡霊と読める。

 〈「あの岩の上に、どうです、ラフハエルのマドンナを置いちや。いい画が出来ますぜ」と野だが云ふと、「マドンナの話はよさうぢやないかホホホホ」と赤シやツが気味の悪い笑ひ方をした〉のも、「マドンナ」が「岩の上」に立つ「女」であるからである。「岩」は「二百三高地」の現地名「後石山」と読める。つまり、漱石が言外に伝えているのは、「赤シやツ」にとっての「気味の悪いマドンナ」とは、旅順口で死んだ兵士が「女」となって現れた「迷える霊」の「迷女(まどおんな)」ということである(第1回参照)。

 そして、「野だ」の言に対して〈なじみの芸者を無人嶌の松の下に立たして眺めて居れば世話はない。夫れを野だが油絵に書いて展覧会へ出したらよからう〉と「坊っちやん」が言うように、『三四郎』では、美穪子という「マドンナ」の画が展覧会で公開されることになる。

 

『草枕』の禿山(はげやま)

 

 『草枕』も、書かれていない隠された主題を感覚的、直感的に行間から読み取らないと、何が何だかわからない小説である。

 第4回で触れた「舟から仰ぎ見る禿山」については、最初このように紹介されている

〈路から左の方にバケツを伏せたような峰が((そび))えて居る。杉か((ひのき))か分からないが根元から頂き迄((ことごと))く蒼黒い中に、山桜が薄赤くだんだらに棚引いて、((つ))ぎ目が確((しか))と見えぬくらい((もや))が濃い。少し手前に禿山が一つ、群をぬきんでて眉に((せま))る。禿げた側面は巨人の斧で削り去つたか、鋭どき平面をやけに谷の底に埋めている〉

〈登ればあすこへ出るのだろう。路は(すこぶ)る難義だ〉

 そして、「石」の話が続く。

〈土は平らにしても石は平らにならぬ。石は切り砕いても、岩は始末がつかぬ。掘崩した土の上にと悠然と((そばだ))つて、吾らの為に道を譲る景色はない。向ふで聞かぬ上は乗り越すか、廻らなければならん〉

〈左右が高くつて、中心が窪んで、まるで一間幅を三角に穿つて、その頂点が真中を貫いてゐると評してもよい。路を行くと云はんより川底を(わた)ると云ふ方が適当だ〉

 石を乗り越えるか迂回するための「一間幅を三角に穿(うが)った」「川底のような」通路であれば、旅順口への進路を阻む「バケツを伏せたような後石山」などの要塞の堡塁を攻略するために日本軍が開削した塹壕が想い当たる。「山桜が薄赤くだんだらに棚引」くのは兵士たちが血を流して「山桜」のように一斉に散ったからであろう。

 〈巨人の斧で削り去つた側面〉は、砲弾によって変容した山の形状を思わせ、乃木希典の「鐵血山を覆いて山容を改むる、萬人(ひとし)く爾霊山を仰ぐ」の詩が思い出させる。

 削り取られた鋭い平面を埋める谷の底にある鏡池についてはこう書かれている。

〈頭の上には大きな樹がかぶさつて、身体(からだ)が急に寒くなる。向ふ岸の暗い所に椿が咲いて居る〉

〈其花が! 一日勘定しても無論勘定し切れぬほど多い。然し眼がつけば是非勘定したくなる程鮮かである。唯鮮かと云ふ許りで、一向陽気な感じがない。ぱつと燃え立つ様で、思はず、気を()られた、(あと)は何だか凄くなる。あれ程人を(だま)す花はない。余は深山((みやま))椿((つばき))を見る度にいつでも妖女の姿を連想する。あの花の色は唯の赤ではない〉

〈眼を醒すほどの派手((はで))やかさの奥に、言ふに言われぬ沈んだ調子を持ってゐる。〉

((ほふ))られたる囚人の血が、(おの)づから人の眼を((ひ))いて、(おのづ)から人の心を不快にするごとく一種異様な赤である〉

〈ああやつて落ちてゐるうちに、池の水が赤くなるだらうと考へた。花が静かに浮いて居る(あたり)は今でも少々赤い様な気がする。また落ちた〉

〈年々落ち尽す幾万輪の椿は、水につかつて、色が溶け出して、腐つて泥になつて、漸く底に沈むのかしらん。幾千年の後には此古池(ふるいけ)が、人の知らぬ間に、落ちる椿のために、埋もれて、元の平地(ひらち)に戻るかも知れぬ。又一つ大きいのが血を塗つた、人魂(ひとだま)のように落ちる。また落ちる。ぽたりぽたりと落ちる。際限なく落ちる〉

 実に奇怪で不吉な描写である。数知れぬ戦死者の血に塗り籠められ、魔性の霊が際限なく現れる「古池(ふるいけ)」とは、公に言うに言われぬ場所、『趣味の遺伝』の浩さんと『三四郎』のよし子が飛び込んだ、旅順口の「松樹山」の壕と「二百三高地」の窪地のことであろう。そこに飛び込んだのであるから、那美も「迷える妖女」の一人である。

 

漱石の危険な詭計(トリック)

 

 読者や聴衆が自らの想像や空想、あるいは妄想を逞しくして、そこに書かれてないことを読み取って了解してくれるなら、言外の本意を伝えるこの術策は、危険な思想的発言や禁じられている政治的批判を行う際、身を守るための詭計として有効である。このトリックに対しては、文字面(もじづら)言葉尻(ことばじり)を捉えて問題にする検閲や裁判などの言論弾圧の手続きは用をなさない。いくら厳しく言論を統制しても、「言ってないし、書いてもない」ことを取り締まることは無理である。

 舞台で「自由を我等に!」と煽動すれば、上演は中止を命じられ、関係者が投獄される国は今現在も世界の各地に存在するが、プッチーニはオペラ『ラ・ボエーム』で大胆にもこの禁句の「自由が欲しい」を舞台で巧妙に連呼させている。それは抑圧された厳しい時代を象徴する第3幕の厳寒の夜明け前の場面、挫折した革命家のロドルフォと瀕死の自由の女神ミミが歌う2重唱『さらば、朝の甘美な目覚めよ! Addio, dolce svegliare alla mattina!』の背景で、ムゼッタとマルチェッロが「別れる、別れない」と口論して4重唱になるところである。別れを切り出すムゼッタがそこで何回も「私は自由が欲しいのよ!」と言い張るのである。抑圧され鬱憤が溜まっていた聴衆が、これを「自由を我等に!」のメッセージであると理解して熱狂的な拍手喝采に及んでも、台詞が男女の別れ話の痴話喧嘩では当局も難癖をつけられない。

 

 前書『明治の御世の「坊っちやん」』でも触れた(128-130ページ)が、漱石もこの詭計(トリック)を使い、不敬罪に問われる恐れがあるようなきわどい諷刺を行っている。

 『坊っちやん』の下宿のお節介婆さんは〈どこの何とかさんは二十二で子供を二人御持ちたのと、何でも例を半ダース許り挙げて〉と「坊っちやん」に子作りを迫るのであるが、この「半ダース」の語は、少しあとの〈おれは芋は大好きだと明言したのは相違ないが、かう立てつゞけに芋を食はされては命がつゞかない〉を読み解く鍵として用意されたものである。

 というのも「(いも)」は、「妹背(いもせ)」「吾妹子(わぎもこ)」「山の(しずく)に妹待つと」と使われてきた「(いも)」のことであるからである。御所の年寄り「婆さん」が、明治天皇の「坊っちやん」に権内典(ごんのないし)とよばれる側室6人を手配して押し付けたことを考えれば、漱石が何を書こうとしていたのかは明らかである。もっとも直接「6人の(いも)」とあるわけではなく、「半ダース」と「芋」しか書いてない。言ってはいないが、「6人」で「芋」の意味が伝わるという詭計(トリック)である。

 

 さらに漱石は、明治政府が中央集権体制を維持強化するために権威づけた神話的天皇制に、大胆にも疑問を投げかけて茶化すようなことも行っている。これこそ不敬罪どころか、国家反逆罪にも問われかねない極めて危険な諷刺である。

 〈近ごろ東京から赴任した生意気な(ぼう)と新聞に書かれた「坊っちやん」は、〈れつきとして姓もあれば名もあるんだ。系図を見たけりや多田満仲以来の先祖を一人残らず拝ましてやらあ〉啖呵(たんか)を切る。漱石は、「姓がある」「多田満仲(ただのまんじゅう)」と書いて、「坊っちやん」が「姓」のない天皇であることを明確に否定している。しかし、「一人残らず拝まされる先祖」と言うなら、国民に実感があったのは「神武(じんむ)綏靖(すいぜい)安寧(あんねい)、〜」と一人残らず覚えさせられて拝まされた系図のことであろう。しかも、この系図の祖である神武からの数代は歴史学的にも考古学的に実在が確認できない架空の存在である。それにも拘らず、政府は明治23年に畝傍(うねび)山に橿原神宮を造営し、土を盛った大陵を設けて神武天皇を祀った。

 神武が伝説神話の人物に過ぎないという議論を措いたとしても、この陵は古代の大王が埋葬されていない唯の「土饅頭」であることを何人も否定することはできない。したがって、ここの「多田満仲(ただのまんじゅう)以来」は「(ただ)饅頭(まんじゅう)以来」と読める。「坊っちやん」自身にこう言わせるこの諷刺は、政府の歴史捏造に対する強烈で危険な批判であり、中村正直(まさなお)(敬宇)ら実証主義歴家たちも舌を巻く実に大胆な異議申し立てである。歴史的事実を踏まえた漱石の言外の諧謔は、「神武以来だって? 冗談言っちゃいけねー! 仰々しく祀った墓は偽物、只の土饅頭じゃねーか!」と聞こえる。

 しかし、何せこれは夢幻能の世界、こう聞こえたとするなら、それは妄想幻聴の成せる(わざ)なのかもしれない。

 

 

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著者略歴

  1. 古山和男

    1950年、岐阜県恵那市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。リコーダー演奏家、音楽文化研究家。専門はバロック、ルネサンス演奏法と音楽理論、舞踏法の研究。著書に『秘密諜報員ベートーヴェン』(新潮新書、2010年)『明治の御世の「坊っちやん」』(春秋社、2017年)。

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