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ソウセキ・コード――『明治の御世の「坊っちやん」』付論 古山和男

数字に託された真意

 

ヨーロッパ文学の伝統

 

 ロンドン留学中に下宿に籠って英国の文学書を片端から読破したと言われる夏目漱石は、帰国後も高価な書籍や研究書を購入して西欧の世俗文学の研究を続けた。

 「文学」と呼ばれる西欧の言葉の芸術は、ホラティウスやペトロニウスの古代から、中世の吟遊詩人の「宮廷の愛」や「薔薇物語」、ルネッサンス期の「ポリフィリスの夢」のような寓意幻想物語を経て近代現代に到るまで、その表向きの物語の裏で聖俗の権力体制への批判や攻撃、社会の諷刺を行う隠された技法を内包するものであった。スウィフト、ジョン・メレディス、トマス・ラヴ・ピーコックらの英国の通俗小説などもその伝統に沿ったものであり、これらを研究してその本質を知っていたのが漱石である。したがって、彼の小説は江戸時代の手法と発想を引き継いだ戯作であると同時に、ヨーロッパの世俗文学の影響を受けた諷刺文学でもあるとも言える。

 西欧の小説が政治的な表現である例として、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル(悲惨な人々)』を挙げてみよう。この長編小説に託され作者の意図を理解するには、この物語で設定されている数字の意味を知る必要がある。

 1769年生まれの主人公ジャン・ヴァルジャンは、1796年4月22日に収監されて以来19年間の苦役に耐えたツーロンの監獄から1815年10月に解放される。ヴァルジャンが登場するのは、ツーロンでの戦功によって世に見いだされた1769年生まれのナポレオン・ボナパルトが、対外戦争による19年間の栄光を奪われてセント・ヘレナ島に流された時である。そして彼は、かつてエルバ島を脱出したナポレオンが進軍した山地の街道に辿って、パリに向かおうとする。つまり、ヴァルジャンとはナポレオンが去ると同時にフランスに現れた彼の分身の亡霊のような存在である。マドレーヌという偽名も、ナポレオが建立したマドレーヌ寺院を思い出させ、裁判で敵対する徒刑仲間とは、ナポレオンを裏切った部下のマルモン元帥を思わせる。

 ナポレオンが去った後の反動の時代、娘のコゼットを養育するため娼婦にまで身を堕として苦闘し、1823年に死んでしまう薄幸なファンティーヌは、ヴァルジャンが投獄された年、つまりナポレオンが活躍し始めた1796年の生まれである。このファンティーヌが19歳で生んだのがコゼットである。

 ファンティーヌが辿る運命はナポレオンの栄光と没落によるフランス国民の政治的社会的状況をそのものである。ナポレオン失脚後の弾圧により革命で獲得した自由を奪われ、ウィーン体制の娼婦のような傀儡王制の強権に虐げられ搾取されていたフランスの「悲惨な人々」の象徴が1817年以降のファンティーヌである。コゼットとエポニーヌは、ナポレオンが去った絶望の1815年の生まれであるが、この年はヴァルジャンが現れた年でもあるから、この2人の少女はナポレオンの再来によってもたらされる自由への希望であり、次の時代の自由の女神の候補でもある。しかし、王制に寄生するブルジョワのテナルディエの娘であるエポニーヌは、形ばかりの立憲体制の「偽の自由の女神」であるため、彼女は1832年の学生と民衆によるプロレタリア蜂起によって命を落とすことになる。そして、新世代のナポレオン派のマリウスが「真の自由の女神」コゼットが結ばれると、使命を終えたナポレオンの分身は消え去るのである。

 流刑地で死んだナポレオンが国葬の後、アンヴァリッドの立派な廟に祀られたのが1861年4月2日である。ヴァルジャンの囚人番号24601はこれに由来する。24601はフランス語で2、4、60+1 ( deux / quatre / soxante et un ) と読め、つまり2/4/’61の日付と一致する。また、1796年にヴァルジャンが養うためにパンを強奪せざるを得なかった7つの子とは、革命7年目の「祖国の子」、つまりフランス国民のことである。

 ヴァルジャンはナポレオン同様に左利きであるが、明治天皇も左利きであった。そして、自分の「右手」の親指を西洋ナイフで切り落とそうとしたのであるから、漱石の「坊っちやん」も左利きである。

 

二十三の青春群像

 

 漱石の『三四郎』では〈明治十五年以前の香〉〈明治十五年以後に生まれた所為〉と、明治15年で時代が区切られているが、この年の1月4日に公布されたのが天皇の統帥権を明記した『軍人勅諭』である。そこには「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」とある。

 〈君は明治何年生まれかな〉と与次郎に問われた三四郎は、誕生年で答えるべきところを、「二十三だ」と年齢らしき数字を言う。実は与次郎も23であり、美穪子も花と記帳される「黒い女」も23、おそらくよし子も23である。この小説では「二十三」「二三」の数字が意味ありげに多用されている。とくに、三四郎が「黒い女」の言葉に打ちのめされる序章ではそれが著しい。

 〈二十三年間の弱点が一度に露見したような〉心持ちになった三四郎は、〈二十三(ページ)の中に顔を埋めて〉〈ベーコンの二十三(ページ)に対しても甚だ申訳がない位に感じた〉のであり、〈恭しく二十三頁を開いて、万遍なく頁全体を見廻してゐた〉、〈二十三(ページ)の前で、一応昨夜(ゆうべ)御浚(おさらひ)をする〉とある。また弁当を〈二口三口頬張つたが〉の「二三」もある。

 後の章では〈不意に天から二三粒落ちて来た〉とヴァイオリンの音が表現されており、〈あとには、漸く二三円残っている〉ともあり、三四郎の母親の手紙にある新蔵の蜜蜂も「二三百匹」である。

 『琴のそら音』には〈二十二、三で死んではつまらない〉があり、『趣味の遺伝』では〈二十、三十と重なつても誰一人の塹壕から向かふへ這い上がる者はない〉とある。

 「三四郎」は「二十円」を与次郎に貸し、美穪子から「三十円」借りるが、『虞美人草』では借金を懇願する浅井が〈二十円でも三十円でも()〉と言う。

 

「にやあ」「にやにや」の二八

    

 〈はい、二十八丁と申します。旦那は湯治に御越しで〉(『草枕』(2))、〈貴方の手術は丁度二十八分掛かつたの〉(『明暗』(43))などの28も意味ありげである。ここは「半時間くらい」というべきであり、「丁度」というなら30分といったきりのいい数字であるべきだろう。

 『坊っちやん』で50畳の宴会場の床に「例ゝ」と懸かっているのは〈おれの顔位な大きな字が二十八字かいてある〉下手な「海屋」である。しかし、この「海屋」を江戸後期の儒学者で文人画家の巨匠、幕末三筆の一人の貫名(ぬくな)菘翁(すうおう)の作品とするには余りにも巨大であり奇妙である。

 『吾輩ハ猫デアル』(以下『猫』と略す)には〈寒月を評すれば彼は活動図書館である。智識を以て捏ね上げたる二十八(サンチ)の弾丸である。此弾丸が一たび時機を得て学会に爆発するなら、── もし爆発して見給へ〉とある(『猫』(4))。弾丸は「(ぽん)」と破裂するから図書館なのであろう。

 「坊っちやん」が4杯の天婦羅を平らげた蕎麦屋の「値段付け」も「麗々」ではなく「例々」とある。蕎麦と言えば「二八そば」であるから、この「天婦羅」とは、激戦の旅順口の二百三高地から誘導された28サンチ榴弾砲で撃沈された4隻のロシアの装甲戦艦のことであることは前書でも触れた(『明治の御世の「坊っちやん」』22~27ページ)。「例々」たる掛け物の顔ほどの28の大文字もまた、28サンチ砲の顔大の巨大な砲弾のことを言うのであろう。

 この「天婦羅」について〈四杯食はうが五杯食はうがおれの銭でおれが食ふのに文句があるもんか〉と「坊っちやん」が啖呵を切るのは、陸軍の砲撃を湾外に逃れた5杯目の戦艦は海軍の艦砲で沈められたからである。(前書24-25ページ)

 『猫』で苦沙弥は、妻に猫の頭を打たせて「にやあ」と鳴かせ、「にやあ」が「間投詞か副詞か」と問う(『猫』(8))。これは単なる動物虐待の酔狂ではなく、「にやあniyaa」が「にやー niya」であり「にやん」や「にやお」でないところに着目すれば、これは「にやあ」とは何かという謎掛けであり、その答えは「間投詞(かんとおし)」である。なぜなら、この「二八(にやー)」とは旅順のロシア艦隊を制圧した28サンチ砲のことであり、「間投詞(かんとおし)」は「艦隊(かんたい)し」が「字余りの法則」で「かんとおし」となったもの(第1回参照)、あるいは軍艦を貫通する「艦通(かんとお)し」「(かんとおし)」の砲弾と読めるからだ。「貫通」であれば「貫名(ぬくな)」の28字もまたこの巨大な砲弾ということになろう。飲めない酒を4杯飲み、もう1杯所望して細君にたしなめられる苦沙弥も、坊っちやんのように「4杯飲もうが5杯飲もうがおれの銭だ」と言いたいところであろう。

 「にやあ」が二十八であるなら、「にやにや」も二八なのであろう。三四郎が引っ越しで〈(しや)がみながら振り返った。にやにや笑ってゐる〉のは、与次郎が引っ張って来た荷車が、旅順口に引越して設置された二十八サンチ砲門であるからである。「電車に乗れ」と言い、「(ぽん)」が集積されている「図書館に行け」と命ずる与次郎は、「チンチンチンチン」と鳴る間に非常に多くの人間が斃れる「機関銃」と「二十八サンチ榴弾砲」を活用して、旅順口を攻略することを主張した軍人の分身のようである。

 

 

爾霊山の霊魂

 

 28の数字で漱石が裏で語っているのが日露戦争であるなら、23の意味は明らかであろう。それは20と3で「203」、膨大な数の兵士が命を奪われた「(れいさん)」「二〇三高地」のことである。〈ベーコンの二十三(ページ)に対しても甚だ申訳がない〉は、「要塞のベトンに顔を埋めた、二〇三高地の兵士(ページ)に甚だ申し訳ない」である。「二百三高地の前で、恭しく兵士を満遍なく御浚いした」ことも歴史的事実である。「粒」は「(メートル)に立つ」であるから、ヴァイオリンの音の「二三粒」も標高203メートルの高地のことである。「二口三口」は「二〇三霊(に・れい・さん・れい)」と読める。「口に締りがある」「未だ宵の口の様に」「一口女に」「車掌の鳴らす口笛」の「口」も、旅順口を暗示している。要するに、『三四郎』の「マドンナ」たちも、戦死した兵士たち「爾霊山の亡霊」ということである。「203」に「爾霊山」の字を宛てたのは、第3軍司令官の乃木希典である。「霊」は旧字体で書けば「靈」となり「三口」がある。二百三高地に建てられた慰霊碑には「爾靈山」とある。

 『明暗』の「お延」も23であり、夫の津田由雄より7つ若いが、『三四郎』で〈時に君は幾何(いくつ)ですか〉〈それぢや僕より七つ許り若い〉〈七年もあると、人間は大抵の事が出来る。然し月日は()ち易いものでね。七年位(じき)ですよ〉と言ってのけるのは野々宮である。「203を割り切れるのは7」という縁起もあって高地攻略に投入されたのは旭川第7師団である。士族出身の屯田兵の流れを汲む勇敢なこの師団は、『軍人勅諭』に忠実にも敵の機関銃の前に突撃して「直に」その約7割弱が失われた。

 『猫』には〈勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱(ヽヽヽ)には恋着するといふ事が風刺的に書いてあった〉とあり、『草枕』には「7騎落ち」を〈情三分と芸七分でみせるわざ〉とある。

 漱石の数字に込めた意図が想像できよう。

 

 

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著者略歴

  1. 古山和男

    1950年、岐阜県恵那市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。リコーダー演奏家、音楽文化研究家。専門はバロック、ルネサンス演奏法と音楽理論、舞踏法の研究。著書に『秘密諜報員ベートーヴェン』(新潮新書、2010年)『明治の御世の「坊っちやん」』(春秋社、2017年)。

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