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空海とソーシャルデザイン 兼松佳宏

ソーシャルデザインのための五智

 

「シンボル化」=密教の得意技!

 

 今回はまず、本稿の方法論についてふれておきたいと思います。それは、「シンボル化」という、密教ではお馴染みのアイデアです。

金剛界八十一尊曼荼羅 

 シンボルとは、複雑なものを理解しやすくするように象徴的に表現したもの。その最たる例は、大きな平面図である「曼荼羅」でしょう。辞書によれば曼荼羅とは、「仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏・菩薩などを体系的に配列して図示したもの*1」とあります。僕が初めて見たときはその溢れんばかりの描写にただただ圧倒されただけでしたが、さまざまな解説本を読むうちに、少しずつその見方が掴めてきました。

 例えば写真の「金剛界曼荼羅」では、(ちょっとわかりにくいですが)大きな5つの円のうち下側にある円の真ん中にいる「阿閦如来(あしゅくにょらい)」は力強い表情をしていて、両手は悪魔を追い払う「降魔印(ごうまいん)」を結んでいます。一方、左側にある円の真ん中にいる「宝生如来(ほうしょうにょらい)」は少し微笑んだ表情をしていて、人々が望むものを与えようとする「与願印(よがんいん)」を結んでいます。このように表情や手の動き、色や持ち物など一体一体に細やかな特徴があるのです。

 それらをヒントとすることで、「阿閦如来は、悟りに向かおうとする強い気持ち(菩提心)を表現しているんだなあ」とか、「宝生如来は、この世界に秘められた宝のようなものに気づかせてくれるんだなあ」としみじみ思い出すことができます。つまり、曼荼羅は私たちが荘厳壮大な経典の内容を理解したり、観想したりするためのシンボルとして機能しているのです。

 また、世界文化遺産でもある京都の東寺では、空海が自ら空間構成をデザインしたといわれる立体曼荼羅があります。特に日本最古の不動明王像やイケメンで知られる帝釈天像といった国宝が有名ですが、実はそれらも曼荼羅全体を構成する一部でした。その立体曼荼羅の中心にいるのが密教の本尊にあたる大日如来で、その周りには阿閦如来や宝生如来など、五智如来の立体像が、平面図と全く同じ構成とポーズで東西南北に配置されています。その場にいると、まるで自分自身が等身大の曼荼羅の世界に飛び込んでしまったような不思議な感覚です。

 ちなみに「東寺友の会」の会員になると一年間いつでも好きなときに観覧できるので、空海好きにはオススメです。僕も会員として、じっくり考え事をしたいときに五智如来を訪ねては、印を結びながらオリジナルの「おまじない」を唱えています。そんな僕を怪訝そうに眺める修学旅行生や外国人観光客もいたりしますが、誰がなんと思おうと、僕が「本来の自分」を思い出すことができる特別な場所なのです。

 曼荼羅だけでなく経典の中にも、シンボル化はみられます。例えば大きな欲望を肯定する経典として知られる『理趣経』では、内容の復習のために、各段の終わりごとに両手で印を結び、その段のすべての教えが含まれているという一字の真言(例えば「フーン」など)を唱えるシーンが必ず用意されています。それは単なる記憶術として役立つだけでなく、体と言葉と心をひとつにすることで、より深く感得することを意図しているのです。

 では、僕が提案する「ソーシャルデザインの五智」をより立体的に理解するために、どのようなシンボルがあったらよさそうでしょうか? そこで提案したいのが、「空海ゆかりの言葉」「形容詞」「座右の問い」「おまじない」という四つです。

 

本来の自分を表現する智恵

「本来の自分を表現する智恵」を理解するための4つのシンボル

・空海に関係する言葉:大円鏡智(性薫還源/沙門空海)

・形容詞:Authentic(U理論/ポジティブ心理学)

・座右の問い:Who?(何を手放す?/何を深める?)

・おまじない:性薫のおまじない(吐いて、吸って/わたしの仕事は○○)

 

 今回は「本来の自分を表現する智恵」を概観してみたいと思います。

 「本来の自分を表現する智恵」とは、普段の自分とは質の異なる「本来の自分」という感覚をつかむこと、そして内に秘めた「自分らしさ」を外に向けて表現していく力です。

 “本来”という言葉は仏教でもよく使われますが、「本来の自分」であるとは、どういう状態のことをいうのでしょうか? そして「本来の自分」かどうかを、私たちはどのように知るのでしょうか?

 「本来の」という言葉にあてはまるのが、英語の「Authentic」 という形容詞です。会話で「これはオーセンティックだね」というと、「正統派」というニュアンスを感じますが、もともとは「信ずべき、確実な、典拠のある、真正の、本物の」を意味する重厚な言葉です。そして2003年に現ハーバード・ビジネス・スクール教授のビル・ジョージ氏が「オーセンティック・リーダーシップ」という言葉を提唱したことをきっかけに脚光を浴びるようになりました。

 「オーセンティック・リーダーシップ」とは、誰かの真似ではなく、自身の価値観や信念など「自分らしさ」をもとに行動するリーダーシップのあり方をいいます。例えば、成功の基準を外に求めるのではなく、自分にとって成功とは何か、人生で重要なものは何かを深く考えることが、これからの時代をつくるリーダーの資質として重要なのです。それは「どんな私が、ソーシャルデザインをするのだろうか?」という「Who?」、つまり「自分らしさ」をめぐる探究ともいえます。

 こうして「自分らしさ」という古くて新しいテーマが改めて問われているとき、手がかりとなりそうなのが、空海に関係する言葉である「大円鏡智」です。「ありのままを映し出す」というこの智恵を具現化したのが、「揺るぎないもの」を意味する阿閦如来とされています。

 阿閦如来が結ぶ降魔印は、仏教の開祖である釈尊がまさに悟りを開こうとしているとき、邪魔をしようとした煩悩の化身の悪魔を追い払ったときの姿に由来しています。つまり阿閦如来は、「悟りに向かおう」という強い気持ちの象徴なのです。

 ソーシャルデザインにおいて、何より重要であり、同時に難しいのはまさに「なんとかしたい!」と自分らしく、強い意思で一念発起すること。つまり「大円鏡智」こそが菩薩にとっての出発点であり、ソーシャルデザイン的な活動を支える揺るぎない“土台”となるのです。

 

心は満月である

 では、大円鏡智の「ありのままに映し出す」とは、どういうことなのでしょうか。

 例えば、こんなふうに想像してみるのはいかがでしょう。

 みなさんの心の中に、満月のように美しい真ん丸の鏡があるとします。そこには「好きだから映そう」「嫌いだから映さないようにしよう」といった二元論的な判断はなく、月が三日月に見えても実際は真ん丸であり、いつも満月であるように、こちらから見える一部分だけでなく、本来の姿が映り込むようにできています。その前提で心を捉えてみたとき、どんな変化があるのかを試しに眺めてみてほしいのです。

 この満月の例えは、もちろん僕のオリジナルではありません。空海がよく引用する龍樹の『菩提心論』という書物にも、「われ、自心を見るに形、月輪(がちりん)の如し」とあるように、「本来の自分の心は満月のように澄み切っている」というのが真言密教のもっとも根本的なメッセージであり、そのことを思考だけでなく心と体で感得することを目指しているのです。

 とはいえ、「自分は満月とはほどとおい」と感じた方もいるでしょう。もしそうだとすれば、きっと鏡のどこかが曇ってしまっているのかもしれません。その曇りは、さまざまな執着や偏見など、物事の本質を誤って解釈してしまうことによって生じてしまうのです。

 もともとは美しい鏡なのだから、そうした曇りに気付いたら鏡を拭きさえすればいい。と、理屈ではわかるのですが、多くの場合、曇りは長い年月をかけて無意識のうちに染み付いてしまったもので、そう簡単に拭き取れるものではなさそうです。うーん、どうしたらいいものか。

 ここでヒントとなるのが、他でもないあなた自身の原体験です。ここで、ひとつの事例をご紹介したいと思います。

 

子どもが発達障害と診断されたことがきっかけに

〜 キートン・コム 三宮直也さんの場合

 自閉症や注意欠陥・多動性障害(ADHD)がある子どもの特別なニーズに対応したアプリを開発しているキートン・コムという会社があります。

 例えば「子ども静かにタイマー」は、画面の中で寝ている強面の犬を起こさないように、設定した時間のあいだ静かにするアプリです。騒ぎがちで物事に集中することが困難な子どもでも、視覚的にも楽しげなゲームであれば、自分自身の行動をコントロールする方法を身につけることができるのだそう。そして何より重要なのは、その様子をみた親たちが「うちの子がこんなに集中している姿、初めて見た!」と感動の声を上げること。当事者の子どもたちが楽しみながら学習するだけなく、どこか諦めかけていた親たちも、子どもと接する態度が変化していくのです。

 他にも時計の読み方を楽しく学べる「時計くみたてパズル」などすべてのアプリが日本語と英語のバイリンガルで配信され、今では世界中にユーザーが広がっています。そんなキートン・コムの三宮直也さんにとって転機となったのは、ご自身の二人の子どもたちが発達障害と診断されたことでした。

 

長男が3歳の頃に発達障がいだと診断され、どう子育てをしてゆけばいいのか悩みました。仕事もしていたので、子育ては妻にまかせっきり。これではいけないと思いつつ、でも自分になにができるのだろうと悶々と考えていたんです。この時には、自分の持っているITの知識やプログラミングの技術が、障がいを持った子どもの教育支援につながってくるなんて思っていませんでした。その後、次男も発達障害だと診断されたんですが、その頃たまたまiPod touchを子どもに渡したところ、やり方を教えてもいないのに楽しそうにゲームで遊び始めたんです。それを観た時に、この直感的なデバイスが療育に使えるのではないかと思い付きました。

https://greenz.jp/2012/05/19/keaton/ より

 

 誤解を恐れずに言えば、子どもたちが発達障害でなければ、悶々とした葛藤の日々がなければ、三宮さんが発起してキートン・コムを立ち上げることもなく、世界中の親子がその恩恵を受けることはありませんでした。このように自分の身に起こるすべての出来事は、「よかった/よくなかった」という二元論的な判断をこえて、「それしかありえなかった、ただただありがたいこと」としかいいようのないことなのかもしれません。

 このような見方こそ、大円鏡智そのものです。人生には嬉しいことも、悲しいことも、あらゆることがおこります。それらのすべては、「本来の自分」を構成するかけがえのない種であり、良し悪しを決定するのは結局のところ私たちの一方的な解釈なのです。

 もちろん、まさにその最中にあっては、嬉しければ大いに笑い、悲しければ大いに嘆いた方が健全でしょう。注意したいのは、それらの記憶が過去となったときです。

 ある出来事がどんな物語の一部だったのかを、私たちは無意識のうちに選択していきます。そのとき、満月の心であれば「それがあったからこそ、今がある」と思うでしょう。もし曇りがかっていたら「それがあったから、これからもずっとダメなんだ」と思い込んでしまうでしょう。自らを悲劇の主人公として決めつけて、自分の可能性を閉じ込めてしまう誤ったシナリオこそが、鏡を曇らせるものの正体なのです。

 だからこそ、曇りを払うための最初の一歩は、降魔印を結ぶ阿閦如来のように勇気を持ってそれらを手放すこと、そして次の一歩は、自分の心が満月であることをうっかり忘れてしまわないような、あるいはすぐに思い出せるような、いつでも、「本来の自分」に寄り添える環境をつくることです。そのためには努力がいるでしょうし、誰かとぶつかってしまうこともあるでしょう。それでもきっと、その不可逆的な発起の瞬間こそ、あなたが心の底から求めていたものだと思うのです。

 

空海の葛藤の日々

 意外に思われるかもしれませんが、空海の人生も葛藤の連続でした。地方豪族の家に生まれ、幼い頃から文芸的な才能を披露していた空海は、親族からの期待を一身に受けて官僚を育成する大学に進学します。しかし、その先の未来に違和感を持ってしまい、大学をドロップアウトしてしまいます。空海直筆の国宝として知られる『聾瞽指帰(ろうこしいき)(三教指帰)』は、空海がまだ何者でもなかった24歳頃の著作です。官僚の教えの基本となっていた儒教や、当時の主流の教えのひとつだった道教と比較して、仏教の優位性を説いた戯曲的な小説ですが、その「まえがき」には出家に猛反対していた親族への意思表明であることが明確に記されています。

 仏道という一生を捧げるテーマと出会った空海ですが、その後も前途多難でした。日本各地を巡ってみるものの、日本国内ではその答えを見つけることができず、何度も何度も涙を流したことを告白しています。

 

弟子空海、性薫(しょうくん)我を勧めて、還源(げんげん)を思いとす。経路いまだ知らず、岐(ちまた)に臨んで幾度か泣く。

 

訳:弟子空海は、自身が本来備えている仏性への働きが動いて、本源へ回帰しようという思いが切なるものがある。けれども本源へ戻るにはどの道を歩んでよいか、まだわからない。それで別れ道に出会うたびに、行方の選択に迷って、幾たび涙を流したことだろうか。

松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.58

 

 この嘆きの先に見つけた経路こそが唐への留学であり、やがて師匠となる恵果和尚と出会い、真言密教を日本にもたらすという偉業を果たすことになるわけです。そして、空海を導きつづけたものこそが「性薫」=「本来の自分」だったのでした。

 ということで、書籍では、「大円鏡智」「Authentic」「Who?」「性薫のおまじない」という4つのシンボルを切り口に、「本来の自分を表現する智恵」をさらに詳しく紐解いてゆきたいと思います。

 

 

 

*1 コトバンクより

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著者略歴

  1. 兼松佳宏

    勉強家/京都精華大学人文学部 特任講師/「スタディホール」研究者
    1979年生まれ。ウェブデザイナーとしてNPO支援に関わりながら、「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを連載。その後、ソーシャルデザインのためのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。 2016年、フリーランスの勉強家として独立し、著述家、京都精華大学人文学部特任講師、ひとりで/みんなで勉強する【co-study】のための空間づくりの手法「スタディホール」研究者として、教育分野を中心に活動中。 著書に『ソーシャルデザイン』、『日本をソーシャルデザインする』、連載に「空海とソーシャルデザイン」「学び方のレシピ」など。秋田県出身、京都府在住。http://studyhall.jp

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