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空海とソーシャルデザイン 兼松佳宏

本来のわたしを表現する知恵

「わたし」の「好きなこと」を見つける方法

 

 「ソーシャルデザインのための“五つの知恵”」のひとつめは、本来のわたしを表現する知恵です。「普段のわたし」とは質の異なる「本来のわたし」という感覚をつかむこと、そして内に秘めた「自分らしさ」を外に向けて表現していく力といえます。

 では、「本来のわたし」であるとは、どういう状態をいうのでしょうか? 今回は、最先端のリーダーシップ理論である「U理論」や、空海自身が「本来のわたし」を求めて、人生の岐路にいくつも涙を流したというエピソード、「人生を最も生きがいのあるものにする事柄」について研究する「ポジティブ心理学」などの知見をもとに、「本来のわたし」を表現するためのアプローチを明らかにしてゆきたいと思います。

 ここから前回ご紹介したとおり、理想の状態を示す「形容詞」、1200年続く教えを伝える「空海ゆかりの言葉」、自らの行動を促す「座右の問い」、口で唱える「おまじない」という四種類のシンボルの登場です。

形容詞でいうと

Authentic(本来の)」

オーセンティシティの時代

 最初のシンボルは、英語の「形容詞」です。

 「本来の」を意味する形容詞に「Authentic」というものがあります。辞書によれば、その語源は「根源となる」という意味のギリシャ語から派生して、「自分で実行する」「信じるべき」といったニュアンスを含む言葉となりました。

 前回ご登場いただいたマイプロジェクトの生みの親である井上英之さんも、ソーシャルデザインについてのインタビューの中で、「大事なのはオーセンティシティである」と強調しています。

 (オーセンティシティとは)つまり「自分自身である」という実感があることです。目の前の“What”ではなく、深い部分の“Why”に気づく。その人にしかない原体験や物語を振り返りながら、しっかりと地に足を付けた感覚があってはじめて、社会にインパクトを残すようなプロジェクトを実現できると思うんです。

『ソーシャルデザイン ~ 社会をつくるグッドアイデア集』グリーンズ編、p48

 もともと「Authentic」というキーワードは、リーダーシップ研究の第一人者であるビル・ジョージ氏が提唱した「オーセンティック・リーダーシップ」という考え方によって、2000年代以降広く共有されるようになりました。

 オーセンティック・リーダーシップとは、「自分はどういう人間であるか、自身が大事にしている価値観は何かなど、自分自身の考えに根差したリーダーシップのあり方*1」であり、最も伝統的なビジネススクールであるハーバード・ビジネス・スクールでカリキュラム化されるなどビジネス領域で研究が進み、現在はソーシャルイノベーション領域にも応用されています*2。

U理論」における「Authentic

 「Authentic」という単語は、マサチューセッツ工科大学教授のオットー・シャーマー氏らが提唱する「U理論」にも、「真正の自己(Authentic Self)」という表現で登場します。

 「U理論」とは、130人もの革新的なリーダーへのインタビューによって明らかになった、「過去の延長線上にない変容やイノベーションを個人、ペア、チーム、組織やコミュニティ、そして社会で起こすための原理と実践手法を明示した理論*3」であり、南アフリカのアパルトヘイトやコロンビアの内戦、アルゼンチンやグアテマラの再建など、複雑な社会問題を解決する現場で実践されてきました。

 その主張を端的に言えば、本質的な変化を起こすためには、その前段階として、個人として、そして集団として、深く潜るような内省の場が必要である、ということ、そして、その先に立ち上がる「エゴの自己」ではない「真正の自己」こそが、豊かな創造性を発揮する人たちに共通する資質である、ということです。

 

 

 

U理論の枠組みの要点はシンプルだ。どんなシステムでも、そこから生み出される結果の質は、そのシステムの中の人々の行動の起点になっている意識の質に依存する。(…)変革者としての我々の行動が成功するか否かは、何をするか、どのようにするかではなく、どのような内面の場から行動するかにかかっている。

『出現する未来から導く』C・オットー・シャーマー/カトリン・カウファー、p.40

このような意識の質を左右する「内面の場」には、「4つの段階があり、もっとも深いところにあらゆる未来の可能性の源泉(Source)がある」とオットー博士は指摘します。それが、現在を過去の枠組のなかで評価する段階(Downloading)、過去の枠組を保留して“オープンな思考”で現実を注視する段階(Seeing)、相手の立場に身を置いて“オープンな心”で共感する段階(Sensing)、“オープンな意志”とともに「出現する未来」を迎え入れる段階(Presencing)というものです。過去のパターンの繰り返しから始まり、深く潜った先で源泉とつながり、まったく新しい未来を創造していく。その一連の旅路がまるでUの字を描くことから、「U理論」と呼ばれています。

 しかし各段階の間には、判断の声や諦めの声、恐怖の声といったさまざまな障壁が存在しています。そこで、それらを少しずつ手放していけるような場(オットー博士の言う「ソーシャル・フィールド」)さえ整っていれば、誰でも「真正の自己(Authentic Self)」に至ることができる、というのがU理論の真髄なのです。

 それでは、「自分がAuthenticかどうか」をどのように判断したらよいのでしょうか? ここで、コーチングやカウンセリングなどでよく言及される、「Do(行い、行動)」と「Be(あり方、存在)」の違いに注目したいと思います。

Do×Be」が個性を決めている

 私たちが自己紹介で説明するのは「Do」がほとんどで、「Be」にふれることはあまりないように思います。そもそも「Be」をどのように言葉で表現したらいいかわからない、という方も多いかもしれません。

 とはいえ、例えば「バスの運転手」という同じ職種であっても、小ボケのアナウンスで笑顔にしてくれる「お笑い芸人としての運転手」と、優しい心配りでほっと安心させてくれる「セラピストとしての運転手」と、急カーブのハンドルの切り方がいつも絶妙な「職人としての運転手」がいるように、ひとりひとりによってバス車内の雰囲気がまるで違うことを、私たちは直感的に知っています。つまり「お笑い芸人」「セラピスト」「職人」という「Be」の部分が、「運転手」という「Do」の個性を決定しているのです。

 逆に言えば、かつては「小説家」に憧れたものの、今はまったく違う仕事をしているという人も、ある商品のブランドストーリーを一から考えたり、自分の子どものためにオリジナルの絵本をつくったりしているとすれば、実はBeの部分でその夢を叶えているのかもしれません。このように、Doの下にありありとBeの自覚があるとき、「私はよりAuthenticである」と言うこともできるのではないでしょうか。

 とはいえ、社会の求めに応じる、あるいは役割を与えられる「Do」とは違い、自分自身のことを客観的に探究していく「Be」と向き合うことは、なかなか容易ではありません。そこで誰でも「本来のわたし」に近づくことができるように、僕がいま提案しているのが「Beの肩書き」という手法です。詳しくはのちほど、「座右の問い」の項でご紹介したいと思います。

空海ゆかりの言葉でいうと

「性薫還源」

誰もが「かけがえのない価値」を持つ

密教では、この世に存在しているあらゆるものは、そのものしかもっていないかけがえのない価値を、それぞれ別々にもっているという考え方が、その世界観の基本にあります。

『大宇宙に生きる 空海』松長有慶、p.31

 続いて、空海ゆかりの言葉とともに、「本来のわたし」を表現する知恵をみていきましょう。

 「本来のわたし」というと、仏教でいう「無我」と矛盾しているのでは? と思った方もいると思います。究極的にいえば「本来のわたし」とは、「仮初のわたし」が陥りがちな、何かを差別したり、対立的に見ること(仏教でいう「戯論」)や、自分への過度な自惚れや執着(仏教でいう「我執」)から離れているという意味において「無我」であり、いってみれば「仮初のわたし」とは次元の違う「わたし」なのです。

 とはいえ、松長有慶猊下が言うように、そこにまったく個性がない、ということではありません。密教では、戯論や我執に囚われている「わたし」のことを「小我」、それらを捨てた自由自在な「わたし」のことを「大我」と言いますが、「大我」の境地においてこそ、自分本来の性質そのものをはっきり出していくことができると密教では説かれています*4。ここでいよいよ密教のキーワードである「大我」と、ソーシャルデザインのキーワードである「Authentic」が共鳴を始めるのです。

「本来の“わたし”」をめぐる空海の涙

 「小我」から「大我」の境地へ。それは実は、「お大師様」として崇拝される空海自身も辿った道筋だったのでした。というのも、私たちと同じように「本来のわたし」を求めて遍歴を重ね、人生の岐路にはいくつもの涙を流したという、弘法大師・空海の人間らしい姿が伝わっているのです。

 空海の漢詩文集を集めた『性霊集』にはこんな言葉があります。

 弟子空海、性薫(しょうくん)我を勧めて、還源(げんげん)を思いとす。経路いまだ知らず、岐(ちまた)に臨んで幾度か泣く。

 

訳:弟子空海は、自身が本来備えている仏性への働きが動いて、本源へ回帰しようという思いが切なるものがある。けれども本源へ戻るにはどの道を歩んでよいか、まだわからない。それで別れ道に出会うたびに、行方の選択に迷って、幾たび涙を流したことだろうか。

『大宇宙に生きる 空海』松長有慶、p.58

 「Do」の自分と「Be」の自分に大きなギャップがあるとき、私たちは涙を流すほど心のバランスを崩してしまうのかもしれません。20代の空海も、官僚になるという約束されていた「Do」に違和感を持ち、その道から離れてひたすら山中で修行に励みます。その後、ひとつの密教経典に光を見ることになるものの、それでもなお内容までは理解できず消沈してしまったようです。

 「いったい自分は何をやっているんだろう……」その絶望の最中にあっても、いつも空海を導きつづけていたのは、自分が本来備えていた「性薫」、言ってみればずっと身近なところにあった「Be」の部分でした。そして本源へ立ち戻ろうとする迷いのプロセスの先に、密教伝来という大きな仕事を実現することができたのです。

 空海がそうであったように、「Be」の探究とはきっと一筋縄ではいかないものなのでしょう。そしてそうであるからこそ、機が熟したまさにそのときに、「この人生において私が果たすべきことは何か?」という根源的な問いへのヒントを教えてくれると思うのです。

 さて、そもそも空海が唐に渡ることができたこと自体、四半世紀ぶりの遣唐使再開という奇跡的なめぐり合わせがありました。しかし出発してすぐに嵐が襲い、四隻のうち二隻は行方不明となり、空海が乗っていた船も大幅にルートが外れてしまうなど、決してその旅は順風満帆ではありませんでした。804年12月、予定より大幅に遅れてやっとの思いで長安へ入ったものの、空海自身は焦ることはなかったそうです。むしろ、「『長安に空海あり』の噂が青龍寺(※しょうりゅうじ、当時の密教の中心地)に過熱する日を待っていたふしがある*5」というふうに、じっくりその時機を伺っていました。

 そして805年4月、ついに青龍寺の高僧・恵果(けいか)との謁見が実現します。この真言宗八人の始祖のひとりである重要人物をして、「あなたが来るのを待っていた。私が受け持してきた密教を、伝えるべき人材に恵まれなかった。あなたにそれを早速授けたい」とまで言わしめ、早くも8月には「伝法灌頂」という最も重要な儀式によって正統な後継者となったのです。

 ここまでやって来られたのは、けっして私の力だけではありません。私は、大きな宿命の鉤(かぎ)でもって招かれ、索(なわ)でもって引き寄せられるように、師の許にやって来たのです。

『大宇宙に生きる 空海』松長有慶、p.66

 自分にとって憧れの人がいるとして、自ら歩み寄るのではなく、ふさわしいときが来るまでひたすら自分を磨いて準備をする。そして自らの探究と社会の求めが一致したとき、千載一遇のチャンスが目の前に開かれていく。その導かれているとしかいえないような展開こそ、「本来のわたし」を生きている証なのかもしれません。

世界初の私立大学創立は空海だった!?

 さらに空海は晩年、現在のJR京都駅近くに、「綜藝種智院(しゅげいしゅちいん)」という庶民のための学校を創立しました。「綜藝」とはさまざまな学問のことで、密教だけでなく他宗の仏教、儒教、道教も含めて、身分の上下に関係なく誰でも学ぶことができる画期的な教育機関です。高野山大学名誉教授の高木訷元氏はその著作の中で、日本だけでなく「世界で最初の私立大学*6」と評していますが、「ひとりひとりにかけがえのない価値がある」という密教の世界観のもと、1200年も前に民主的な教育改革を実現していたというのは、世界史的にも注目に値する出来事といえます。

 対立的にではなく全体的にみれば、そもそもひとりひとりを隔てるものは一切ない。その前提の上で、それぞれの「本来のわたし」を開発(かいほつ)できる場をつくり、社会のために働こうと発起する機が熟するのを待つ。もちろん空海自らも「方便(手立て)」としての具体的なプロジェクトに取り組む。

 宗教家としてのみならず、社会活動家、教育者、書家、詩人、文学者として、多彩な仕事で人々を済(すく)ってきた空海ですが、あらゆる「Do」の源には、空海がつねに自称していた「沙門(修行する人)」という「Be」が貫かれていたのです。

座右の問いでいうと

「何を手放す?」「何を深める?」

「本来のわたし」を表現するためのヒント――「ポジティブ心理学」

 ここまでソーシャルデザインと空海、ふたつの切り口で「本来の自分を表現する知恵」を眺めてきましたが、いよいよここから「座右の問い」というシンボルを通じて、「本来のわたし」を表現するための具体的な方法を提案してゆきたいと思います。

 そのベースとなるのがマイプロジェクトの公式(マイプロジェクト=「わたし」の「好きなこと」 × 「わたし」の「ほしい未来」 × FUN!)にあった「好きなこと」であり、理論的に下支えするのが、1998年にマーティン・セリグマン氏によって提唱された「ポジティブ心理学」のアプローチです。

 改めて「好きなこと」とは、「情熱を持てること」や「ワクワクすること」であり、「得意なこと」や「簡単にできること」、「人に誉められたことがあること」などでした。これらのような「人生を最も生きがいのあるものにする事柄」について研究する学問こそが「ポジティブ心理学」であり、どちらかというと「精神疾患の治療」という側面があった従来の心理学から範囲を広げて、人生そのものを扱うということが、その大きな特色としています。

 意外に思われるかもしれませんが、仏教においても「楽しむ」という感覚は大切にされています。例えば「自受用身」という言葉は、「自ら得た法楽を独り楽しむ仏身」であり、そこからさらに歩みを進めた「他に対してその法楽を施し楽しませる仏身」である「他受用身」を菩薩の理想像としています*7。

 さらに密教には「絶対的な楽しみ」を意味する「大楽」という言葉があり、『理趣経』の正式な経題(『大楽金剛不空真実三摩耶経』)にも登場します。究極的に「楽しみ」を大肯定する「大楽」は、密教を理解するための重要なキーワードのひとつなのです。

 大楽というのは、「楽あれば苦あり」の楽ではありません。すぐに変わるような楽しみではなく、永遠に続く楽しみです。(…)絶対的な楽しみというのは、結局、自分を捨てているということです。自分を残していたら、自分を中心として判断しますから、すぐに楽しみが苦しみに変わってしまいます。ですから、自分を捨てて人のためにつくるというのが絶対的楽しみ、大楽なのです。

『理趣経』松長有慶、p.269

「ヘドニア」と「ユーダイモニア」

 このように密教の始祖たちは「楽しさ」にも「小楽」と「大楽」のふたつがある、ということを突き止めていたわけですが、実は古代ギリシャの哲学者アリストテレスも同じようなことに気づいていました。それが「ヘドニア」と「ユーダイモニア」という何やら難しそうなキーワードなのですが、それらは「ポジティブ心理学」の主要な研究対象となっています。

 ユーダイモニアは個人的な充実のある活動を行っているときに感じられる一連の経験を意味します。それはつまり、私たちの最大限の可能性を表現しています。自己実現に関連する経験の中には、最初からその活動と直接的かつ肯定的に結びついている感覚が含まれます。つまり、人の活動における公正性や中心性の感覚、目的意識の強さ、有意味性、内発的動機づけ、充足感、個人表現力、「これが本当の私だ」といったアイデンティティなどの感覚が含まれます。

『ポジティブ心理学を味わう』J.J.フロウ/A.C.パークス、p.30

 「個人的充足感としての幸福感」を意味する「ユーダイモニア」と対になるのが、「快楽としての幸福感」を意味する「ヘドニア」です。

 その質的な違いを見極めるひとつめのポイントは、能動的かどうか、でしょう。ヘドニアにおいては、一方的に受け取る、消費する段階にありますが、ユーダイモニアにおいては、受け取るだけでなく、どう自分の活動に生かせるだろうか、という創造の思考回路が働いています。

 そしてもうひとつのポイントは、内発的かどうか、です。ヘドニアにおいては、自分で「好き」だと思っていても、実は他者の欲望に影響を受けているにすぎなかったり、流行り廃りによって次から次へと気持ちが移ろってしまったり、ということは往々にしてあります。一方、ユーダイモニアにおいては、外的要因によっていったん優先順位が下がってしまったとしても、「機会があればもう一度再開したい」と求め続ける感覚が心のどこかに残っているのです。

「ユーダイモニア・マップ」

 ヘドニアとユーダイモニアの違いを知ることで、最初の問いである「何を手放す?」が効いてくることになります。

 密教では「迷いの原因は執着にある」としながらも、「私たちの心はもともと清浄であり、後からくっついた塵(執着)を自分のことだと思いこんでいるにすぎない*8」と説きます。とすれば、「本来のわたし」との再会を果たすためには、「仮初のわたし」を覆っている塵を払うこと、手放すことがひとまずの手となるわけです。

 そこでオススメしたいミニワークが、「ユーダイモニア・マップ」です。これは自分の偏愛するものを1枚の紙に自由に描く「偏愛マップ*9」をアレンジしたものですが、まずはユーダイモニア、ヘドニアに関わらず、思いつく限り自分の中の「好きなこと」を列挙していきます。好きな食べ物、好きな休日の過ごし方、好きな映画、好きなマンガ、好きな本、好きなアーティスト、好きなスポーツ、好きなおにぎりの具、いつか行ってみたい場所……何でもかまいません。自分のなかの引き出しを少しずつ開けていくイメージです。

 次に、ポジティブ心理学の専門家が作成した「自己表現活動質問紙*10」に倣って、その「好きなこと」はユーダイモニアなのか、ヘドニアなのかを分類していきます。

 ユーダイモニアを測るための問いは、「自分にぴったりである、向いている」「できれば、こんな時間が増えたらいいなと思う」「大変なことが起こったときでも何だか続けられる」「この人生で、これはやっておきたいなあと思う」などです。といっても難しい問いばかりなので、1個でもあれば御の字くらいの気持ちで取り組んでみてください。

 最後に、ヘドニアだった「好きなこと」の中で、「これは手放すことができそうだな」と思うものを選びます。実際に手放すのは、それに費やしている時間です。息を吐ききりさえすれば、自ずと息が入ってくるように、ヘドニアと距離を置くことで、ユーダイモニアをさらに深めるための余白の時間を自分のために用意してあげるのです。

 ここで手放すこと自体、否定的に感じた方もいるかもしれません。もちろん、さまざまある対象の中から少しでも心惹かれたのだとすれば、浅からずあなたにとって何らかのご縁はあるはずです。ヘドニアだったものが、あるときユーダイモニアに転じることもよくあります。ですから「手放す」といっても無下にゴミ箱に捨てるのではなく、いつかのユーダイモニアの種として引き出しの中にそっとしまっておいてみてください。

 僕にとっての「空海」への情熱が10年越しで湧き上がってきたように、その種はただ機が熟すときを待っているだけかもしれません。

強みのステートメント

 ヘドニアを手放し、ユーダイモニアを迎え入れる準備ができたら、次の問い「何を深める?」の出番です。ここで注目したいのが、「強み」という同じくポジティブ心理学のキーワードです。

 ベストセラーとなった『さあ、才能(じぶん)に目覚めよう』の著者であり、「強み」にもとづくコンサルタントとして知られるマーカス・バッキンガム氏は、「強み」を作る3つの要素は資質、スキル、知識であり、それらを組み合わせた「自分を強いと感じさせる活動*11」を「強み」と定義しています。そして、そういう状況において私たちは、「無理のなさ」や「自分らしさ」を感じ、「早くやりたくてたまらない」「さらに学びたい」という意欲が湧いてくると主張しています。

 ここで「強み」についてイメージしやすくするために、バッキンガム氏自身の「強みのステートメント」を紹介します。

~マーカス・バッキンガムの3つの「強みのステートメント」~

・卓越した仕事をする人にインタビューし、なぜその人がすぐれているのかを探るとき

・プレゼンテーションをおこなうとき。ただし、大勢のまえで、熟知したテーマについて、万全の準備を整えたうえでおこない、そのプレゼンテーションがプロジェクトを前進させることがわかっている場合にかぎられる

・卓越した組織について、充分時間をかけて研究しているとき

『最高の成果を生み出す6つのステップ』マーカス・バッキンガム、p.106

 このようにバッキンガム氏が提案する「強みのステートメント」は、かなり具体的な表現になっています。それくらい明確に自分の行動や思考のパターンを客観的に認知する、つまりメタ認知することで、強みの再現性を高めることができるのです。

Beの肩書き」ワークショップ

 ポジティブ心理学の「ユーダイモニア」や「強み」を参考にして、より楽しく「強み」を発見していく。僕が提案する「Beの肩書き」ワークショップは、その方法のひとつです。

 「Doの肩書き」が「やっていること、できること」を伝えるものとすれば、あり方の肩書きである「Beの肩書き」は「かもしれないこと、可能性があること」を伝えるもの。あるいは、「自分が貢献できることの源泉」といえるかもしれません。

 みなさんは肩書きについて、「本当に必要なのかな」とか、「それだけで自分という存在は伝わっているのかな」と考えたことはありませんか?

 そもそも肩書きの役割とは、自己と他者のあいだのコミュニケーションをより円滑にするために、「わたしのこと」を端的に知ってもらうための糸口を提供することでした。とはいえ働き方も多様化し、複業やらパラレルキャリアやらが当たり前となってきた今、「肩書き」という概念そのものが面倒なもの、扱いにくいものへと変わってきているのかもしれません。

 とはいえ、誰かとつながり、ともに何かをつくりだしていくには、相手に自分のことを伝えるための何らかの手がかりが必要です。そこで時代から取り残されつつある「肩書き」に、もう一度新たないのちを吹き込もうという試みが、「Beの肩書き」なのです。

 とはいえ、わざわざ肩書きをDoとBeに分けてみることで、どんなメリットがあるのでしょうか?

 例えば僕の「勉強家」のように、今までの足跡を振り返る「(have)Beenの肩書き(ずっと○○だった人)」を通じて、自分を起点に行動するためのぶれない軸を持つことができるかもしれません。あるいは先ほどの「小説家」のように、「(can)Beの肩書き(○○の可能性がある人)」として、かつて描いた夢を「Be」の部分で叶えることができるかもしれません。また、学生であれば「声優の卵」のような「(will)Beの肩書き(いつか○○である人)」を意識することで、今の勉強や活動と将来のキャリアをより現実的に結びつけることができるかもしれません。とにかくBeの肩書きを持つことで「本来の自分」を思い出しやすくなったり、他者とより深くつながることができると思うのです。

 「Beの肩書き」を発見するためのポイントは、自分ひとりではなかなか思いつくのが難しいからこそ、他者から自分のユーダイモニアや強みをパラフレーズ(言い換え)してもらうこと、そして、いきなりしっくりくるものは見つからないという前提に立ち、何度も何度も言葉を磨いていくことです。

 ワークショップの詳しい内容はNPO法人グリーンズから出版予定の『Beの肩書き探究ガイド(仮)』(発行日未定)に譲りますが、ここでは簡単に大まかな流れをご紹介したいと思います。

 まず3人グループをつくり、先ほどの「ユーダイモニア・マップ」を準備し、捨てたいヘドニアではなく、掘り下げてみたいユーダイモニアをひとつ選びます。例えば「勉強」を選んだら、自分の人生を振り返り、「20歳のとき、ウェブデザインを独学で」というふうに「勉強」にまつわるエピソードを箇条書きで思い出していきます。

 

 ある程度リストアップが終わったら、そのストーリーをグループで共有します。話を聞いた残りの二人は、「考え方のパターンが哲学者ですね」「沙門として生きることが天命なんですね」という感じで、言葉をプレゼントしてゆきます。

 

 最後にそれらを受け取った本人が、いまの段階でしっくりくる肩書きを考え、それぞれの「火山島」を描きます。ちなみに僕はハワイ島の聖地マウナ・ケアにちなんで「マウナ・ケアを描いてください」と説明するようにしています。地底である「わたしの名前」から「Be」というマグマが噴出し、ハワイ島のような「Do」が海の上に顔を出す、そんな力強いイメージです。

 そして描き終わったマウナ・ケアをグループで共有し、今日発見した「Beの肩書き」のことや、「Be」を充分に満たすための次の一歩などを語り合ってもらいます。もし「落語家としての営業担当」だと気付いたとすれば、落語の寄席に行くことで意外な仕事上のヒントをもらえるかもしれません。ぜひ普段は疎かになりがちな「本来のわたし」とのデートを楽しんでみてください。

 繰り返しますが、一回のワークショップで一生を貫くような「Beの肩書き」と出会える人はほとんどいません。僕自身も胸を張って「勉強家」と名乗るまでに、さまざまな浮き沈みや葛藤がありました。だからこそ、まずはいったん名乗ってみて、自分の魂にどう響いてくるのか、その余韻を味わっていただけたら嬉しいです。(ワークショップの手法はオープンソースで共有されています。興味がある方は『Beの肩書き探究ガイド』で検索してみてください)

おまじないでいうと

「わたしの仕事は◯◯<自分の名前>」

 最後の締めくくりとなるシンボルが「おまじない」です。復習のための一字の真言のように、手軽に唱えるだけでエッセンスを思い出すことができるような、そんなワンフレーズをお贈りできたらと思っています。

 「本来のわたしを表現する知恵」のおまじないは、「わたしの仕事は◯◯<自分の名前>」です。よろしければさっそく、○○にご自身の名前を入れて唱えてみてください。

 

 

「わたしの仕事は◯◯」

 

 

 いかがでしょう。どんな気持ちがみなさんの中で湧き上がってきましたか?

 もしかしたら違和感を持ったり、心地悪さがあったりした方もいると思います。初めてこのおまじないを見聞きしたとすれば、その反応はとても自然なことなのでご安心ください。

 今でこそ僕も「わたしの仕事は兼松佳宏」と本気で思えるようになってきましたが、このおまじないに気づかせてくれたのは、『集合知の力、衆愚の罠――人と組織にとって最もすばらしいことは何か』の著者であるアラン・ブリスキンさんでした。アランさんが来日中に開かれたある集まりの中で、多くの人たちが「編集者です」「デザイナーです」と自己紹介した最後に、「私の仕事はアランです」と爽快に言い切ったのです。それだけで、場の雰囲気がDoモードからBeモードへと一変したのを今でも覚えています。たった一言が、その後の対話に深みを与えてくれたのです。

 ここまで見てきたように、あらゆる「Do」という島の下には「Be」というマグマがあります。刻々と移り変わっていく「Do」と比べて「Be」の方は不変な感じもしますが、実際は結婚したり、子どもができたり、大切な人を亡くしたり、ライフステージの変化によって、長い周期で更新されていくものでもあります。

 それでもなお「Be」の下に、<自分の名前>という揺るぎない「Me」というがある。このおまじないが、そんな大切なことを思い出させてくれるよう願っています。

ちなみにマグマは固体のマントルが溶け出したものなので、<Be>がマグマだとすれば、<Me>はマントルといえるかもしれません。そのマントルの温度は推定5,000℃くらいとも推定されていますが、その熱源は太古の地球に天体が衝突したときの名残でもあるそうです*12。

 そんな地球大、宇宙大というスケールの大いなる流れさえも、「本源へ回帰しよう」とするあなたの還源の旅を味方してくれているのです。

*1 「オーセンティック・リーダーシップ」とは? - 『日本の人事部』より https://jinjibu.jp/keyword/detl/874/

*2 著者も2012年の「Authentic Leadership in Action」というカンファレンスに参加

*3 中土井僚『U理論入門』(PHP研究所)、p.1

*4 松長有慶『理趣経』(中央公論新社)、p.272

*5 松岡正剛『空海の夢』(春秋社)、p.128

*6 高木訷元『空海の座標 存在とコトバの深秘学』(慶應義塾大学出版会)、p.250

*7 コトバンク「受用身」より

*8 松長有慶『理趣経』(中央公論新社)、p.185

*9 齋藤孝『偏愛マップ ビックリするくらい人間関係がうまくいく本』(NTT出版)

*10 J.J.フロウ/A.C.パークス『ポジティブ心理学を味わう』、p.45

*11 マーカス・バッキンガム『最高の成果を生み出す6つのステップ 仕事で“強み”を発揮する法』(日本経済新聞出版社)、p.99

*12 鎌田浩毅『マグマの地球科学 火山の下で何が起きているか』(中央公論新社)、p.72

 

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著者略歴

  1. 兼松佳宏

    勉強家/京都精華大学人文学部 特任講師/「スタディホール」研究者
    1979年生まれ。ウェブデザイナーとしてNPO支援に関わりながら、「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを連載。その後、ソーシャルデザインのためのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。 2016年、フリーランスの勉強家として独立し、著述家、京都精華大学人文学部特任講師、ひとりで/みんなで勉強する【co-study】のための空間づくりの手法「スタディホール」研究者として、教育分野を中心に活動中。 著書に『ソーシャルデザイン』、『日本をソーシャルデザインする』、連載に「空海とソーシャルデザイン」「学び方のレシピ」など。秋田県出身、京都府在住。http://studyhall.jp

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