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空海とソーシャルデザイン 兼松佳宏

「はじめに」

 

菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす
さとりを求める心を原因とし、大いなるあわれみを根とし、手だてを究極的なものとするのである。

『大日経』、『密教経典』講談社学術文庫、p.31

 弘法大師・空海が開いた真言密教の重要な経典『大日経』にあるこの一節は、「菩薩」という仏教らしい生き方を端的に表現しているとともに、「空海の教えの核心がすべて詰まっている」とも言われています。そして、僕はここに「ソーシャルデザイン」という概念の真髄をみています。
 社会的な課題をクリエイティブに解決するソーシャルデザインの担い手は“菩薩的な”存在であり、ひとつひとつのプロジェクトが私たちを導く「方便」となる。
 この連載では、仏教的な智慧から学ぶソーシャルデザインのヒントを、整理してゆけたらと思います。

はじめに

 ということで、はじめまして! 勉強家の兼松佳宏と申します。
 「勉強家」という耳慣れない肩書きに「何だか不安になった」という方は、どうぞご心配なく。
 私は、24歳の頃からウェブデザイナーとしてNPO支援に関わり、デザインジャーナリストとして「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを重ねてきました。その後26歳のときに、社会的な課題をクリエイティブに解決する「ソーシャルデザイン」をテーマとするウェブマガジン「greenz.jp」を立ち上げ、31歳からは5年ほど編集長を務めました。その間にソーシャルデザインの入門書となる『ソーシャルデザイン 社会をつくるグッドアイデア集』(2012、朝日出版社)や『日本をソーシャルデザインする』(2013、同)という書籍の責任著者を担当し、38歳の現在は、京都精華大学人文学部の特任講師として、学生にソーシャルデザインを教えるという貴重な機会をいただいています。
 また、駆け出しの研究者として、ひとりで/みんなで勉強する(co-study)ための手法である「スタディホール」についてのアクションリサーチや、今回の連載のように弘法大師・空海の教えを「ソーシャルデザイン教育」に応用する調査研究などを、基本的には独学で展開しています。
 ちなみに僕とソーシャルデザインとの出会いが24歳の頃でしたが、(後ほど詳述しますが)僕と空海との人生が変わるような衝撃の出会いも同じくその頃でした。つまり「空海とソーシャルデザイン」とは、勝手ながら、およそ15年ものあいだパラレルに探究してきた「空海」と「ソーシャルデザイン」という二大テーマが重なり合うという、勉強家としての半生を紡ぐ集大成であり、次の半生の礎をつくろうとする試みなのです。
 日本で初めての「ソーシャルデザイン学科」が九州産業大学芸術学部に誕生したのが2016年であるように、日本において「ソーシャルデザイン」の“学問化”はいまだ黎明期にあるといえます。そういう意味では、幸いにもさまざまな大学で参考図書として指定していただいた書籍を著すことができた者として、「ソーシャルデザイン」の分野においては、何らかの解像度の高い貢献ができるのではないかと思っています。
 一方、僕にとって乗り越えなければならない問題は、「空海」を研究されている諸先輩方が、たくさんいらっしゃるということです。そのなかでいち勉強家にすぎない僕が、今さらどのような貢献ができるのか。また、独学者の独善や乱暴なディレッタンティズムに陥らないために、どのような心構えが必要なのか。担当の編集者の方からは「この本では空海に対する兼松さんの愛を、思いっきり出してください」とおっしゃっていただいたことは、ひとつの救いです。アマチュアの語源が「愛」であり、スタディの語源が「情熱」であるならば、愛と情熱を拠り所にすることで打たれ強くもあれるような気がします。
 そこで今回はウェブで先行公開できるメリットを十分にいかして、諸先輩方とのやりとりを通じて、より高みと深みのある一冊へと昇華させていきたい所存です。心より、ご指導ご鞭撻のほど、何卒よろしくおねがいいたします。
 と、既に前置きが長過ぎる中で恐縮なのですが、早速みなさんに簡単なアンケートのお願いです。というのも、「空海」も「ソーシャルデザイン」もどちらもテーマが大きいだけに、どんなことを期待されているのか、それぞれどのくらい詳しく書くべきなのか、何よりどんなご縁でいま僕の文章を読んでいただいているのか、そのあたりを伺いながら一緒に筆を進めてゆきたいのです。

 「空海とソーシャルデザイン」読者アンケート【その①】

 このアンケートをFacebookで呼びかけてみたところ、既に28名ほどからお答えいただきました、感謝! 2017年12月23日6:00現在の集計は、以下のとおりでした。

 Q1. 空海とソーシャルデザイン、どちらにより興味がありますか?
 ・空海 75.1%(うち「かなり」42.9%)
 ・ソーシャルデザイン 67.9%(うち「かなり」35.7%)

 Q2. 空海とソーシャルデザイン、どちらのことをよく知っていますか?
 ・空海 21.4%(うち「かなり」10.7%)
 ・ソーシャルデザイン 78.5%(うち「かなり」32.1%)

 友人限定なので、あくまで僕周辺の傾向ですが、「ソーシャルデザイン」に明るい方が多いなかで、かなり「空海」への興味をお持ちの方がいるというのは安心しました。と同時に、ソーシャルデザインそのものについても、「できればもっと知りたい」というニーズが潜んでいるようにも感じました。
 一方、こちらの「Web春秋」の読者の方は「空海」に詳しく、むしろ「ソーシャルデザイン」なるものを初めて知った、という方もたくさんいらっしゃるはずなので、どのような結果となるのか楽しみです。【その①】のアンケートは短く、1分もかかりません。結果は引き続き次回の記事でご紹介させていただきますので、何卒ご協力いただけますと幸いです。
 ※自由記入欄もありますので、空海、ソーシャルデザインに関連する資料などのご連絡や応援メッセージなど、何かお伝えしたいことがあればメッセージなどお待ちしています!
 というわけで、お待たせしました。いよいよここから、本文のスタートです。

いまなぜ空海なのか

 2018年2月には映画『空海-KU-KAI-』が公開されるなど、ますます注目を集める弘法大師・空海。奈良から京都へ都が遷るという激動の時代を生きた1200年前の人物の、いったいどんなところに私たちは魅了されているのでしょうか。弘法大師・空海の思想と実践は、いま私たちが生きている21世紀の社会とどのようにリンクするのでしょうか?
 青い地球の姿を初めて外から眺めた20世紀は、まさにグローバリズムの時代でした。「Think Globally, Act Locally」と言われるように、知識や思想が世界を牽引し、その結果、私たちの暮らしはとても便利になりました。
 一方、経済性や効率性ばかりを偏重してきた消費型文明の裏側で、さまざまな軋轢や格差を生んでしまったのも事実です。戦争、貧困、気候変動といった社会問題は、それらが顕在化したものに他なりません。
 今こそ消費から貢献へ。不足から充足へ。お金からいのちへ。
 もっと踏み込んでいうなら、「万物が共生する循環型文明」を目指して。
 そうした根本的な変化を生み出すためには、その場しのぎの対処療法ではなく、根底で絡み合っているそもそもの原因を解いていく必要があります。著書『ソーシャルデザイン』でも強調したとおり、「ホリスティック(全体的)に状況を捉え、課題の本質を見極める」ことが大切なのです。
 「ふーん。で、どうすればいいの?」と思った方もいるかもしれません。「真似してみるから、ヒントをくれ」と。
 でも。きっとそれは言うは易く行うは難し、「思考」や「考え方」といった気軽にシェアできそうな話ではなく、もっと深いところにあるそれぞれの「あり方」そのものを見つめなおすことから始まるのではないか、と何となく予感しています。
 言わば「Think Globally, Act Locally」から「Be Cosmically, Act Locally」へのアップデート。その道なき道を模索する上で、導かれるように出会ったのが、次の空海の言葉です。

 

顕薬は塵を払い、真言は庫を開く
もろもろの顕教(※注、密教とは違う教え)の働きは、ものごとの表面にたまった塵を払って、見た目を美しくすることだ。それに対して密教の働きは、庫を開いて、奥に秘蔵されている宝を見つけ出すことにある。

『秘蔵宝鑰』、松長有慶『大宇宙に生きる』p.21

 時代のキーワードとして注目される「ソーシャルデザイン」。とはいっても、その本質は決して新しいものではなく、私たち日本人が本来兼ね備えている宇宙観と呼応する部分がたくさんあることに、空海の言葉に触れれば触れるほど気付かされます。
 さまざまな課題を解決するためのヒントは、既に僕たち自身の内に秘められていて、世界を眺める見方を変えるだけで、誰でもそれに気付くことができるのだと。
 1200年前に空海が紡いだ大切な言葉を、インスピレーションにあふれるその発見を、現代を生きる僕たちの暮らしや仕事に、どう具体的に応用できるのか。この連載では、その終わらない旅路の過程を、読者のみなさんと分かち合いたいと思います。

ソーシャルデザイン with 空海

 空海については、みなさんにとって社会の授業で習ったくらいの距離感かもしれません。正直いって僕自身もそうでしたが、僕の中で空前の空海ブームが起こりだしたのは、プロボノ(プロフェッショナルなボランティア)としてNPOのウェブサイトのデザインを手がけはじめた、つまり自分なりに「ソーシャルデザイン」の道を模索しはじめた、24歳の頃でした。
 あるNPOの総会で、当時の僕にとってお兄さん的な存在だった方から「とにかく空海がスゴイ」という話を聞き、雑誌「和楽」の「空海の夢。曼荼羅の宇宙」特集や、130ページと程よかった梅原猛さんの『空海の思想について』(1980、講談社学術文庫)を一気読みし、「Noの時代から、Yesの時代へ」というその意志に衝撃を受けたのです。

いはゆる甚深秘蔵とは、衆生、自らこれを秘すのみ、仏の隠す有るには非ず。
真言密教の教説は深くて、凡夫には容易に理解しがたい。しかし、それが理解しがたいのは、凡夫が妄想にとらわれているためであって、仏そのものが隠そうとしているわけではない。

梅原猛『空海の思想について』、P.100

密教では無我をいわない。無我のかわりに大我をいう。無欲を説かず、無欲のかわりに大欲を説く。ここが、密教と他の多くの仏教宗派、たとえば禅とちがっているところである。禅では否定の契機が強いのにたいし、密教では肯定の契機が強い。

梅原猛『空海の思想について』p.108

 また、26歳でフリーランスとして独立する直前に、積読していた松岡正剛さんの『空海の夢』(2005、春秋社)を手に取り、期待と不安に揺れる自分自身を奮い立たせていたことを覚えてます。
 そんな悩める20代後半から、空海の人生と兼松佳宏の人生とが不思議なシンクロを始めます。大げさに言えば、行く先々で空海の気配を感じるような、まさに“同行二人”の心持ちだったのです。
 例えばエリートになる道を捨てて山林で修行に励んだ空海にとっての20代は、自分を深く掘り下げるためのケの時期でした。

弟子空海、性薫(しょうくん)我を勧めて、還源(げんげん)を思いとす。経路いまだ知らず、岐(ちまた)に臨んで幾度か泣く。
弟子空海は、自身が本来備えている仏性への働きが動いて、本源へ回帰しようという思いが切なるものがある。けれども本源へ戻るにはどの道を歩んでよいか、まだわからない。それで別れ道に出会うたびに、行方の選択に迷って、幾たび涙を流したことだろうか。

松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.58

 ようやく10年という時を経て“本来のわたし”と再会し、進むべき道が見えはじめたのが、唐に渡るために得度受戒をした31歳。それは僕が「勉強家」を名乗り、greenz.jp編集長という責任を引き受ける覚悟を決めた年齢と同じでした。
 本来は20年間修行すべきところ、たった2年で密教を学び取り帰国した空海でしたが、すぐに京都に戻ることは許されず、33歳からの数年を九州・大宰府で過ごします。実は僕も33歳からの数年、妻の両親のそばで子育てをしたいと鹿児島で暮らしていました。そして何の因果か空海も僕も36歳のとき、京都に呼ばれるように居を移したのです。このようなひとつひとつの印象的なエピソードが心にひっかかり、いつからか「ロールモデルは空海なんです」と公言するようになりました。
 ちなみに空海はその後39歳には教団としての真言宗を整え、43歳には高野山を開創し、48歳で社会的活動として知られる四国の満濃池を改修し、55歳には日本初の庶民向け私立学校「綜芸種智院」を開設することになります。39歳で『空海とソーシャルデザイン』を著すことができたとすれば、43歳、48歳、55歳の僕は、いったいどこで、誰と、何をしているんだろう? 空海は62歳で入定しますが、その後の僕はどんなふうに生きていくのだろう? そんなことを楽しみにしながら、この空海との同行二人を歩んでゆきたいと思っています。
 さて、その後、「空海とソーシャルデザイン」というテーマが明確に浮かんできたのは、今から5年前、2013年のはじめでした。その前年の秋に、大貫妙子さんのミニコンサートのため、初めて高野山を訪れたことをきっかけに、水を得た魚のように積読していた空海についての本を読み漁ったのです。
 その中の一冊が、後にgreenz.jpの記事で対談させていただくことになる松長有慶猊下(げいか)の著『大宇宙に生きる 空海』(2009、中公文庫)でした。
 「あれ……『ソーシャルデザイン』で書いたこととほぼ同じことが、1200年前に書かれている……」ページをめくるたびに感極まり、鳥肌が立ちっぱなしだったのを覚えています。
 例えば空海は、それぞれが内に秘めている特質を見分けることが大切だと言います。

密教では、この世に存在しているあらゆるものは、そのものしかもっていないかけがえのない価値を、それぞれ別々にもっているという考え方が、その世界観の基本にあります。

松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.31

 そのあたりのことを、僕は「“本来のわたし”を表現する」という思いをこめて、こう書きました。

大切なのは、ちょっとした違和感を大切にすること、心に残るたくさんの原体験を持つこと。その積み重ねから見えてくる一筋の光が「自分ごと」であり、それこそが私たち一人ひとりにとっての生きる意味なのです。

『日本をソーシャルデザインする』p.48

 他にもあります。
 ウェブマガジン「greenz.jp」のキャッチコピーは「ほしい未来は、つくろう」ですが、空海は「小さな煩悩を大きく育てる」ことを説くのです。

欲望というものは、人間が生きているかぎり本来的に備わったものですから、それを除去しようと空しい努力を重ねるよりも、そのエネルギーを利他の活動に向けるというのは賢明な方法だといえるでしょう。

松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.194

 グリーンズの本では、こんな感じでした。

普段の暮らしの中で、「もっとこうなったらいいのに!」と感じていることってありませんか?
「もっと楽しく禁煙したい」とか「もっと近所の人と仲良くなりたい」とか。実はその思いこそ創造力の源泉であり、ソーシャルデザインの出発点です。

『ソーシャルデザイン』p.43

 もう一つ。
 まるでみんなが“ひとつ”であるかのような、いわば「大いなる宇宙を生きる」ような感覚についても。実は、それこそ空海の教えの真髄だと僕は思っています。

(空海の唱える「六大説」は)われわれの周辺にある環境世界の全体が単なる物質ではなく、それぞれが生命をもち、宇宙全体の大きな「いのち」の一部分だというすばらしい思想です。

松長有慶『大宇宙に生きる 空海』p.38

そんな言葉にならない不思議な気持ちについて、僕はこう記してみました。

世界を見渡してみれば、その人の心の底からの情熱を持って、しかもクリエイティブに課題を解決しようとする人たちがたくさんいます。未来をもっと素敵にするために、それぞれの持ち場で、それぞれにできることで、役割分担をしているのです。僕がうとうと眠りこけているあいだにも、きっと誰かが、地球のどこかで。この本に載っている事例も、その大きな生態系のほんの一部にすぎません。

『ソーシャルデザイン』p.153

 と、ここまでを読んで、「何を生意気な」と思われた方も多いだろうし、まだまだ稚拙な解釈であることは重々自覚しています。それでも時を超えて、まるですべてが僕の果たすべき大きな役割のために段取りされているかのような感動の連続は、今なお心と身体に刻まれているのです。
 とはいっても、その圧倒的なスケールを前に、その原典にあたってまで掘り下げることについては立ち往生していたのも事実です。高野山にも「ふさわしい時機が訪れ、呼ばれるまでは行くまい」と、頑なに決めていたくらいでした。
 そんなとき、友人のNOSIGNER・太刀川瑛弼さんの紹介で、高野山別格本山三宝院副住職・飛鷹全法さんと出会います。そして先述したとおり、三宝院で行われる大貫妙子さんのミニコンサートについてインタビューさせていただく機会があり、いよいよ高野山に足を踏み入れたのです。巨木が林立する奥の院で、大師にかけた言葉は「ただいま戻りました」という、自分でも不思議なものでした。
 ちょうど2015年は高野山開創1200周年であり、今後もさまざまな1200周年が続きます。僕が試みているのは1200年前に発せられた言葉との対話ですが、1200年前の景色なんて、僕には想像もつきません。
 20年前、インターネットはまだ当たり前ではありませんでした。
 50年前、地球の姿を初めて宇宙から眺めることができました。
 100年前、“世界大戦”という名の戦争が勃発しました。
 200年前、まだ奴隷の存在が当たり前でした。
 500年前、大航海時代が幕を開けました。
 800年前、日本では源氏と平氏が内戦をしていました。
 そして1200年前、平安時代が幕を開けたばかりのうねりの中に、ひとりの僧が生きていました。
 1200年前とはまったく違う社会を、私たちは生きています。そんなことは言わずもがなですが、それでも私たちは、歴史の妙をともにした古籍と向き合うことで、今に通じる意外な共通点を、つまりはこの世の本質に近いことを、発見することができると思うのです。
 空海の言葉にも、こんな一句があります。

五大に皆響き有り、十界に言語を具す
五種の存在要素には、みな響きがある
十種の世界は、言葉を持っている

『声字実相義』、『空海コレクション2』p.156

 真実の言葉としての“真言”は、時空を超えて高らかに響いている。その言の端を頼りに、僕も壮大なシンフォニーに参加してみようと思います。その響きが読者のみなさんと弘法大師・空海とを結ぶ、ささやかなご縁となることを願って。

関連書籍

空海の夢 〈新版〉

松岡正剛著

現代日本語訳
空海の秘蔵宝鑰

正木晃著

 

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著者略歴

  1. 兼松佳宏

    勉強家/京都精華大学人文学部 特任講師/「スタディホール」研究者
    1979年生まれ。ウェブデザイナーとしてNPO支援に関わりながら、「デザインは世界を変えられる?」をテーマに世界中のデザイナーへのインタビューを連載。その後、ソーシャルデザインのためのヒントを発信するウェブマガジン「greenz.jp」の立ち上げに関わり、10年から15年まで編集長。 2016年、フリーランスの勉強家として独立し、著述家、京都精華大学人文学部特任講師、ひとりで/みんなで勉強する【co-study】のための空間づくりの手法「スタディホール」研究者として、教育分野を中心に活動中。 著書に『ソーシャルデザイン』、『日本をソーシャルデザインする』、連載に「空海とソーシャルデザイン」「学び方のレシピ」など。秋田県出身、京都府在住。http://studyhall.jp

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