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ギフティッドの居場所をつくる――その理解と受容から 角谷詩織

ギフティッドに必要な教育的配慮

5.ギフティッドの知的ニーズを満たす教育

 

第3回で述べましたように、ギフティッドの知的ニーズを満たすべくとられている教育システムを大きく二つに分類すると、早修と拡充ということになります。このほかに、能力別学習集団編成も、ギフティッドの知的ニーズを満たす役割が期待されています。それぞれについて、その効果の検証がなされていますが、いずれも実証性が弱いものが多く*1,*2、今後のさらなる実証研究が必要とされる領域です。以下には、これまでの限定的な研究のレビューから考察されていることを中心に、その効果について考えたいと思います。

 

〇早修の有効性

早修(acceleration)については、主に米国でその意義が高く評価される傾向があります*3,*2。英語でaccelerationですので、その響きから、学習速度の速さをイメージされることがあるようですが、必ずしも学習速度が速いことばかりを意味するとはかぎりません。特定教科あるいは全教科の飛び級、早期入学、早期卒業等も含め、通常より早期に特定の内容を学習することを意味します。2019年に開催されたギフティッド・タレンティッド児に関する国際学会(第23回 World Council for Gifted and Talented Children)での基調講演(講演者Benbowら)においても、早期から飛び級をした人の方が、それより数年遅れて飛び級をした人よりも、大学院進学後の業績が高い状態を維持し続けることが統計データをもって示されました。早修が学業成績に与える効果に関する二次的メタ分析*2からは、そこそこ意味のある(大きくはないが、無意味ではない)効果が期待できるという見解が導き出されています。

一方、教育実践の場や心理臨床家など、実践現場の立場からは、早修への懸念の声がなくなりません*3,*2。それは、同年齢の仲間とかかわる機会が少なくなることに対する懸念、学習集団の大半の仲間よりも情緒的に幼いことに対する懸念などがあります。これらの懸念に対して、バーンスタインらは「無意味な心配」という強烈な言葉と、1636名(研究1)+478名(研究2)を対象とした35年間の縦断研究結果をもって反論しています*3。この研究の対象者となったのは、研究1では1972~1974年にSATで上位1%の成績を示した者、1976~1979年にSATで上位0.5%の成績を示した者、1980~1983年にSATで上位0.01%の成績を示した者の3つのコホート(集団)、研究2では米国内上位15のSTEMプログラムのある大学院での博士課程大学院生です。そして、対象者が50歳時点でのウェル・ビーイングを測定し、早修の量とウェル・ビーイングの高さとの間に有意な関係がなかったこと、対象者のウェル・ビーイングの平均値は米国平均よりも高かったことを根拠とした反論となっています。ただし、この研究で気をつけなくてはならないことが、基本的な統計の解釈の仕方にあります。それは、有意な回帰係数が得られなかったこと(二つの要因間の因果関係を示す数値が誤差の範囲を超えているといえるほどに十分な値を示さないこと)が、無関係を意味するわけではない*4という点です。ですので、私がこの研究の分析データを読んだ限りでは、「無意味な心配ごと」と断言するのは、強すぎるのではないかと思います。さらに、この研究を別の角度から解釈すると、非常に早い時期に飛び級などを行っても、飛び級は経験せずに高校時点で大学プログラムを受講しただけでも、その違いが50歳時点でのウェル・ビーイングに有意な影響を与えるとは言えないという解釈になり得、「早修って、あまり意味がないのでは?」という感覚にもなり得る点にも注意が必要です。早修が与える心理的・社会的な弊害については、弊害が皆無というわけではないが、早修が常に弊害を与えるわけでもないという見解*2がバランスの取れた見方だと、私は考えています。

 

〇拡充の有効性

拡充(enrichment) は、学習進度を先に進めるのではなく、学習内容を深く掘り下げるタイプの教育といえます。日本では、発展学習や充実した質の高い総合的な学習の時間がその役割を担いうる場となります。ヘラーも、先行研究の実証性の弱さを指摘していますが、限られた研究をレビューする中で、拡充と、学習者自身がその目的をもち計画・意思決定をしていく学習(self-directed instruction)が有効だと結論づけています*1。拡充や、自らが主体的につくりだす学習が特にギフティッド児に有効であることの背後には、知的能力が標準あるいは低い子どもたちは構造化された学習環境で力をのばすことができるのに対し、知的能力が高い子どもたちは、発見学習など構造化されていない学習環境で力をのばすことができるという見解*5,*6があります。

 

〇能力別学習集団編成

最後に、能力別学習集団編成ですが、これは、日本でも少人数制や習熟度別などが該当します。能力別編成のなかでも有効なものの一つとして、クラス内で能力別に小グループにわかれた学習があります*2。しかも、この効果は、学力レベルの高低による差がなく、どのレベルの子どもにも有効であることが示されています。日本の学校では、できる子ができない子に教える方式や、複数のグループ間のレベルがほぼ同程度になるようなグループ編成が比較的多く取り入れられています。これは、「子ども同士で教え合うこと」を「できる子ができない子を教えること」にすり替えられて意味づけられてしまっていることと関連します。『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』のなかで、ウェブらは、できる子ができない子を教えることの意味も認めつつ、それ以上に、できる子自身が新たなことを学ぶ楽しさを奪うことの弊害が大きいと論じています。

「子ども同士教え合う」ことは、決して、「答えがわかった子どもがわからない子どもに、答え(とやり方)を教える」ことばかりではなく、「あーでもない、こーでもない」と、同じ土俵で子どもたちが議論し合うことを指します。クラス内で、グループ間のレベルの差が生じることを防ぐのではなく、同程度のレベルの子ども同士を同じグループにすることで学習効果があがるという研究成果を取り入れた実践が、日本でももっと取り入れられる必要があります。それは、国を挙げての早修の導入という教育制度整備よりも、ずっと取り入れやすい、現在の日本の教育システムのなかで導入できる実践ではないかと思います。ちなみに、共通の興味関心をもつギフティッド児同士が集まったとき、その会話や様子は、竜巻のごとくものすごいエネルギー量となります。

以上は、教育制度の側面を概観したものです。制度というハード面も重要ですが、教師や保護者の教育観などのソフト面も非常に重要です。

 

〇教育における「平等」

まず、大きな教育観についての重要なポイントは、「均等」と「公平・平等」は異なるものだという認識です。ウェブが、2018年のSENGの学会開会式でも話されたことがあります。

「チョコレートケーキを、赤ちゃんにも、糖質制限をしなくてはならない人にも、チョコレートが嫌いな子どもにも、そして、甘いものに目がない子どもにも、同じ量だけあげるのが『均等(even)』だ。それに対して、赤ちゃんには適した離乳食、糖質制限をしなくてはならない人、チョコレートの嫌いな子どもにはそれに適したおやつ、甘いものに目がない子どもにはチョコレートケーキをあげるのが『平等(fair)』だ。個々に適したものを適した量だけあげる。皆が同じように満足する。これが、平等であり適した応じ方だ。これを理解できない人はほとんどいない。教育も同じだ。皆に同じ課題を同じ量だけ与えるのが平等なのではない。個々に適した難易度の課題を適した量だけ与えること、そして、皆が同じように挑戦し、理解できる喜びを感じ、満足できるのが、平等だ」。

諸外国でも、ギフティッド教育をエリート教育であり不平等だと批判する考えがあります。現実的には、ギフティッド・スクールなどへの入学を巡って試験等があり、競争原理が働いたり経済的な事情が絡むなど、不平等の要素も否定できない問題も存在します。しかし、たとえば公立小学校で、標準的な課題は退屈でもっと挑戦したいのに、授業中の半分以上が「待ちぼうけ」状態の子どもと、標準的な課題で十分挑戦することを経験できている子どもがいるということは、よく見られる「不平等」に相当します。人間の適応や成長のためには、その人のニーズに応じた環境が必要であることは、個人‐環境適合理論*7、発達段階‐環境適合理論*8、また、自己決定理論*9,*10で理論化され、さまざまな研究により実証されています。

一方、このような不平等を引き起こさないようにと、一人のクラス担任が学級経営のなかで対応するのは、至難の業です。真の平等にうまく応じている先生もいらっしゃいますが、さまざまな次元で個人差の大きな子どもたちが集まるなか、「言わなくてもできる」子どもに手がかけられないのは、教師に特別力がないからではありません。ごく自然な現象であり、いたしかたないことだと思える部分もあります。そのために、前述のような制度が必要となるわけです。教育における真の平等を認識したうえでどのような環境が必要かを考えると、より適した制度を見極められるように思います。

 

 

 

〇フレキシブルであること

教育の平等と並んで重要な教育観が「フレキシブルであること」だと思います。学校の伝統、システム、管理職や担任の先生の在り方、さまざまな次元でフレキシブルであることは、非常に重要になります。校則や規則、しきたりを始め、個々の学校がもつ枠の大きさは実にさまざまです。もちろん、その枠が小さな学校よりも大きな(広い)学校の方が、全体としては自由であり、自己決定がしやすい環境にあるといえます。ただし、それだけでは十分ではないという点に注意が必要です。その枠を飛び出した子どもに対してどのように応じるかという、枠の柔軟性が問題となります。特に、標準から外れたギフティッド児が様々な意味で学校の枠を大きく飛び出すことは容易に想定できます。その枠がどんなに大きくても飛び出す場合があります。そのとき、枠を柔軟に調整し、その子を受け入れるだけのフレキシブルな学校であるか、基本的な枠は比較的大きくても、その枠の柔軟性に乏しく、枠から出た子どもを受け入れることが難しい学校であるかという観点が重要です。学校で子どもとかかわる教師をはじめ大人が、ギフティッドを理解することは、このフレキシブルであることとのかかわりにおいても、もっとも重要だと思います。制度が整わない現在の日本においても、教師が過興奮性や非同期発達をはじめとする、ギフティッドの特性を理解することで、フレキシブルさが増す可能性が高まり、かなりの問題が軽減されるでしょう。

教育における真の平等とフレキシブルさが保証された教育環境においては、「お子さんだけ特別扱いできません」という教師の発言はほとんどなくなるのではないかと期待できます。

 

6.「2E」 (twice-exceptional)

 

2Eとは、「二重に(twice)並外れている(exceptional)」の意味で、実際的には、ギフティッドであり、かつ、何らかの障害もある人のことを指します。知的能力の次元で標準より並外れて秀でている点で、一つ目のexceptionalがあり、障害という次元で標準より並外れている点で二つ目のexceptionalがあるためです。「ギフティッド者もまた、ADD やアスペルガー症候群、その他DSM‒5 にあるあらゆる障害になりうる」(ウェブら『ギフティッド その誤診と重複診断』)とあるように、ギフティッドだから障害ではありえないということにはなりません。これは、特に学習障害との関連で重要な点です。ただし、第3回で述べましたように日本では、「ギフティッドであれば障害ではありえない」という誤解よりもむしろ、「ギフティッドは発達障害だ」という誤解のほうが広くみられるのではないかと感じます。松村も、「才能児には、発達障害や社会情緒的問題が伴う場合もあれば伴わない場合もある」(p.ⅰ)と、まず明記しています*11

「ギフティッドであれば障害はない」や「ギフティッドは発達障害である」という誤解は、いずれも、知的能力の高低と、他のさまざまな脳機能障害とを混同した結果生じた誤解と解釈できます。前述のように、知能の高低にかかわる脳のさまざまな特性と、障害にかかわる脳のさまざまな特性とは異なるため、両者は別次元です。そこまで難しく考えなくても、IQが100の人のなかにも発達障害の人もいればそうでない人もいる、IQが80の人のなかにも、発達障害の人もいればそうでない人もいることは、多くの人が納得することだろうと思います。

2Eに関連する困難は、その診断と教育的配慮です。

ADHDやASDとギフティッドは、その表面的な行動特性が類似している部分があるため、その言動がギフティッドの過興奮性あるいは内向性、あるいは周囲に興味関心を共有できる仲間がいないなどの環境要因から生じているものなのか、それとも障害から生じているものなのかを見極めることは、非常に難しいことです。その見極めのヒントの一部が、第4回に記されています。

学習上の配慮の難しさを特に大きく背負うのは、学習障害のあるギフティッドです。なぜなら、学習障害に起因する困難を知的能力の高さでカバーしてしまうためです。学校での成績をみると、特に目立った問題はみられない、いや、むしろ良いほうなのだけれど、本人は困難を感じているなどがあります。その困難が大きい場合には、知能検査などを行うことがあり、ギフティッドに精通している専門家がみると、その結果と学業成績との乖離の大きさに気づき、教育的配慮に結びつくこともあります。ただし、通常のギフティッドを知らない専門家(米国でも多い)が検査を行っても、その乖離に気づくとは限りません。

さらに、実際に2Eであることがわかった場合に、障害と知的能力の高さの双方に応じられるような集団教育システムは、ほとんどありません。2Eといっても、その障害の種類や程度、知的能力の程度は千差万別であるため、個別に教育計画を整えて応じるということがなされます。

(次回は2021/4/16頃 更新予定)

 

参考文献

*1 Heller, S. G. (2018). What works in gifted education? A literature review. Research Report 13. Center for Education Economics: London.

*2 Steenbergen-Hu, S., Makel, M. C., & Olszewski-Kubilius, P. (2016). What one hundred years of research says about the effects of ability grouping and acceleration on K-12 students' academic achievement: Findings of two second-order meta-analyses. Review of Educational Research, 86 (4), 849-899.

*3 Bernstein, B. O., Lubinski, D., Benbow, C. P. (2020). Academic acceleration in gifted youth and fruitless concerns regarding psychological well-being: A 35-year longitudinal study. Journal of Educational Psychology, doi:10.1037/edu0000500

*4 Amrhein,V., Greenland, S., & McShane, B. et al. (2019). Scientists rise up against statistical significance. Nature, 567, 305-307.

*5 Clark, R. E., Kirschner, P. A., & Sweller, J. (2012). Putting students on the path to learning: The case for fully guided instruction. American Educator, 36 (1), 6-11.

*6 Kirschner, P. A., Sweller, J., & Clark, R. E. (2006). Why minimal guidance during instruction does not work: An analysis of the failure of constructivist, discovery, problem-based, experiential, and inquiry-based teaching. Educational Psychologist, 41(2), 75-86.

*7 Nielsen, H. D., & Moos, R. H.(1978). Exploration and Adjustment in High School Classrooms: A Study of Person-Environment Fit. Journal of Educational Research, 72, 52-57.

*8 Eccles. J. S., Wigfield, A. & Schiefele, U.(1998). Motivation to succeed. In W. Damon & N. Eisenberg(Eds.),Handbook of Child Psychology, Vol. 3. Social, Emotional, and Personality Development. New York: Wiley.

*9 Deci, E. L., & Ryan, R. M. (1985). Intrinsic motivation and self-determination in human behavior. New York: Plenum.

*10 Ryan, R. M., & Deci, E. L. (2000). Self-Determination theory and the facilitation of intrinsic motivation, social development, and well-being. American Psychologist, 55(1): 68-78. doi: 10.1037/0003-066X.55.1.68

*11 松村暢隆. (2018). 『2E教育の理解と実践 発達障害児の才能を活かす』. 金子書房.

 

 

関連書籍

わが子がギフティッドかもしれないと思ったら 問題解決と飛躍のための実践的ガイド

J.T.ウェブ他著/角谷詩織訳 

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著者略歴

  1. 角谷 詩織

    お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人文科学)。
    現在、上越教育大学大学院学校教育研究科准教授。専門:発達心理学・教育心理学。
    著書に『理科大好き!の子どもを育てる――心理学・脳科学者からの提言』北大路書房(分担執筆、2008年)、訳書にウェブ他『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら――問題解決と飛躍のための実践的ガイド』春秋社(2019年)、ウェブ他『ギフティッド その誤診と重複診断――心理・医療・教育の現場から』北大路書房(監訳、2019年)、ハーレン他『8歳までに経験しておきたい科学』北大路書房(共訳、 2007年)などがある。

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