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ギフティッドの居場所をつくる――その理解と受容から 角谷詩織

ギフティッドの現在

「ギフティッド」――このことばを始めて耳にする方は、最近の日本でも少なくなってきているかと思います。最近、テレビや映画で見たという方もいらっしゃるでしょう。現在の日本は、「ギフティッド」ということばは浸透し始めているけれども的確な理解にはまだ課題がたくさんある状態にあると思います。たとえば、ギフティッドは天才だとか、ギフティッドは発達障害の一つのカテゴリーだという誤解がなされていたりします。

そのような誤解あるいは理解不足は、一般社会だけではなく、教育や医療の専門家の間でも珍しくありません。ギフティッド児の親が理解や支援機関を探し求めても、「ギフティッド? あぁ、メディアで最近見られる、あれ? あれはただテレビやネットで騒がれているだけのもので、専門的に信頼できる概念ではないでしょ。アスペルガーとお医者様に言われたのであれば、そのケアを受ければいいのですよ。専門の先生を紹介しますよ」などのように言われることもあります(ギフティッドは米国の心理学会からハンドブックも出されている、れっきとした概念です)。

このような日本の現状を変えるには、専門的に信頼のおける本を出版する必要があると考え、2019年に邦訳書を2冊出版いたしました。1冊は、日本の専門家――主に、教育と医療にかかわる専門家――の間でのギフティッドに関する的確な理解に必須であろう『ギフティッド その誤診と重複診断――心理・医療・教育の現場から』(北大路書房、2019年9月)です。もう1冊は、親や教師が実際にギフティッド児とどのようにかかわったらよいのかがわかる『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら――問題解決と飛躍のための実践的ガイド』(春秋社、2019年12月)です。2冊とも、米国のギフティッド児支援・研究の分野でトップ25に入る臨床心理学者、ジェームス・T・ウェブが第一著者であり、世界各国で読まれている本です。

本稿でも、この2冊の内容に触れながら、また、ギフティッドに関する諸研究を概観しながら、日本におけるギフティッドの的確な理解浸透の一端を担えたらと思います。

  

ある父親は、九歳の息子が野球のグローブをなくした日のことを話した。なんと、なくしたのは試合の真っ最中だった! 外野に立っていたその子は熱気球を見つけた。気球の色に惹かれ、そこから見下ろしたときに広がる世界を想像し、どのようにして飛行を続けているのかを夢中で考えた。非常に深く没頭して考えていたために、手からグローブが落ちたことに気づかなかった。その回が終わったとき、コーチは別の子を送って彼をベンチに連れ戻さなくてはならなかった。グローブをどこにやったのかとコーチに聞かれたとき、この少年は心底困惑してしまったという。(『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』 p.41) 

「どうして教会にはきちんとした身なりで行くの?」「どうしてコートの袖には、飾りだけのためにボタンがついているの?」「どうして大人が間違っているときに、子どもはそれを正してはいけないの?」。ギフティッド児はその理由を求めており、「そういうものなの」といった表面的な回答に納得することは滅多にない。(同、p.36) 

息子のジョージはひとりで遊ぶことがとても多く、学校が大嫌いでした。学校へ通わせるということ自体、とても骨の折れることでした。息子は誰かに違う意見を言われたり、批判されたり、実際彼が間違っていると指摘されることにとても過敏な子でした。そして、そのようなことでひどい癇癪を起こしてばかりいました。ギフティッドの友だちの集まるクラスでの学校生活が始まると、息子は家に帰るや否や喜び叫んだのです。「ママ! 僕のクラスにね、何でも上手に描いちゃう子がいるし、コンピュータのことなら何でも知っている子もいるんだよ。僕はね、クラスの前でお話しするのが上手なんだ!」と。息子の声には深い安堵が込められていました。そして、その年、息子の行動はどんどん改善されていきました。(『ギフティッド その誤診と重複診断』p. 41) 

脳の原因を理解せずに症状をコントロールしたり対処すると、知的なギフティッド児は確実に敗北者へとしたてあげられる。たとえば、その行動は反抗的なものの1つであると大人が考え、反抗行動をコントロールするような行動介入を施せば、ギフティッド児はそれに応じないだろう。そのような介入に応じないギフティッド児は、反抗挑発症よりもさらに深刻な問題を抱えていると誤解される可能性がある。そして今度は、より集中的、制限的、不必要な介入が施されるかもしれない。このようなケースでは、その子の歩む人生は永遠に歪められてしまう。 (同、p.276)

 ◇

不適切な行動がみられた際に、それを発達障害の枠組みでばかりとらえようとするのではなく、ギフティッド児である可能性を視野に入れ、教育環境が子ども個人のニーズに応じられていない可能性に目を向けることが、日本の教育・臨床の場には必要である。*1

   

1. ギフティッドの定義

 

ギフティッドの定義として代表的なものには、以下にあげる米国マーランド・レポート(Marland Report)(1972年)のものがあります。

ギフティッド児やタレンティッド児は、資格を有する専門家により判定される、ずば抜けた才能ゆえに高い実績をあげることが可能な子どもである。このような子どもには、彼らの自己実現や社会貢献のために、通常学校で標準的に提供される教育プログラムとは異なる教育プログラムが必要とされる。高い実績をあげることが可能な子どもとは、実際目に見えて優れた成果をあげている子どもだけでなく、潜在的な可能性のある子どもも含む。その領域には以下のものがある:知的能力全般、特定の学問領域の才能、創造的思考や生産的思考、リーダーシップ能力、ビジュアル・アーツやパフォーミング・アーツ、精神運動機能。(『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』p.17)

これ以外にも、全米小児ギフティッド協会(National Association for Gifted Children:NAGC)の「ギフティッドは、1つあるいは複数の分野でずば抜けた素質(論理的思考力や学習能力)、あるいは力量(上位10%以上の成績)を示す人々」という定義があります。また、たとえば米国では州ごとに法的に定められていますが、いずれにおいても共通するのは、「知的能力全般、特定の学問領域、創造的思考、ビジュアルアーツ、パフォーミング・アーツ、リーダーシップいずれかの面でずば抜けた素質があることを、資格を有する専門家により判定された人」という点です。

この定義の共通点からわかることは、大きく4つあります。まず、(1)ずば抜けて優れている点があること、次に、(2)その分野として、知的能力全般、特定の学問領域、創造的思考、芸術、芸能、リーダーシップが想定されていること、さらに、(3)優れているのはその「いずれか」であり、必ずしも「すべての領域」ではないこと、最後に、(4)「素質がある」のであり、それは実際目に見える功績とは必ずしも一致しないこと、です。

一方、この定義の共通点からはわからないことがあります。それは、(1)「ずば抜けて優れている」ことを何らかの数値で表すことができそうだし必要だろうが、どのような数値を用いて基準を設け評価すればよいのか、(2)実際目に見えた顕著な功績のない子ども(人)に「素質がある」ことをどのようにして示すことができるか、です。

実際、これらの2点が、諸外国でのギフティッドを巡る環境整備の混乱の一つの原因ともなっていると考えられます。まだギフティッド児のための公的支援や公教育制度などがない日本において、今後制度も含めたギフティッド児のための環境整備が現実的なものとなった場合、まず、この2点について、諸外国の混乱状況からも学び、本来ギフティッドであろうはずの子どもたちが、ギフティッドの特性を考慮した環境に入ることができないという事態が生じないように、細心の注意を払う必要があります。以下に、ギフティッドの定義をめぐる混乱の原因ともなる、この不明瞭な2点について、整理してみます。

 

(1)「ずば抜けて優れている」ことを示すには、どのような数値を用いて基準を設け評価すればよいのか

この量的基準は、様々な定義や基準を考慮すると、近年では「上位3~10%」の範囲にあると考えてよさそうです。この「上位」というのは、優劣を前提にしたものの言いかたとして受け取られがちです。実際「優れている」ことも示しているわけですが、ギフティッドをめぐるこの3~10%のもつ意味は、優劣よりもむしろ「標準から離れた少数派」という点に重要なポイントがあります。それは、特に子どもの場合、「ずば抜けて優れている」ことが「標準から離れた少数派」であるために、「標準的な教育環境に適合しない」こと、さらにこれが「心理・社会的適応上の問題のリスクとなる」ことと切り離せないためです。先にもあげましたギフティッドの定義で有名な、米国教育省によるマーランド・レポートには、「ギフティッド児やタレンティッド児は、実際に才能の芽を摘まれ、心理的な傷を受け、才能を永続的に活かせなくなる可能性を抱えている状態にある」とされていることからも、公教育の場におけるギフティッド児の困難が大きな問題となっていることがわかります。

つまり、「ずば抜けて優れている」ことと「標準的な教育環境に適合しない」こととは切り離すことができないのです。そして、ギフティッドが「ずば抜けて優れている」ことが「教育環境に適合しない」場合に問題が生じることが多くなります。そのため、彼らが「教育環境に適合」できるように、環境に工夫が求められたり、ギフティッド児が適応できるような教育プログラムが用意される必要が生じるわけです。

ということは、ギフティッド児であっても、通っている学校でさまざまなことに挑戦でき、十分適応できていれば、マーランド・レポートに懸念されているような問題は生じにくく、特別な教育的配慮は必要なくなるということになります。その子が今通っている学校で喜んで日々過ごしているのに、「才能があるから」といって、無理やり制度的に整っている学校へ移籍させるなどは、ギフティッド児への教育的配慮とはかけ離れた教育的構えとなります。

このことは、その子がギフティッドの特性を持ちあわせているかどうかではなく、その子がギフティッドのための教育プログラムを提供している学校へ行くかどうかの判断に影響を与えます。あくまでも、「その子の特性がギフティッドであるかどうか」という視点ではなく、「ギフティッド児向けの教育プログラムのある学校へ通うべきかどうか」という視点です。つまり、上位3~10%いるといわれる、ギフティッドの特性をもつ子どもたちのうち、何パーセントをギフティッド・プログラムへの参加資格と結びつけるかの基準です。実際のところ、国や自治体、団体により、その基準はさまざまです。たとえば、親の職業などとの関連で教育水準の高い家庭が集まる地域の学校は、標準的な学校の教育水準が高いため、平均的な地域よりもギフティッド・プログラムに参加するための資格基準が高く設定されていたりします。

ギフティッドの特性を持ちあわせているかどうかではなく、「ギフティッド児のための教育プログラムに参加するための基準」と書きましたが、これが、諸外国でのギフティッド児を巡る教育環境の混乱を引き起こしている一つの要因と考えられます。つまり、その子にギフティッドネス――ギフティッドの特性――があるのかどうかと、ギフティッド児向けの教育プログラムに参加できるかどうかとの間に、ズレが生じているのです*2

もっともわかりやすいものとして、米国におけるスポーツの才能の扱いがあります。前述のマーランド・レポートではスポーツの才能もギフティッドの枠組に組み込まれていましたが、 1978年以降の連邦法では、スポーツはギフティッドの枠組には組み込まないとしています。つまり、スポーツの才能にずば抜けて秀でた素質のある子どもは「ギフティッド児」とは呼ばないというのですね。そして、この理由は、「スポーツは、その秀でた才能を育成する機関に恵まれている分野だから」ということであり、決して、「スポーツの才能に秀でた素質のある子どもには、ギフティッド児にみられる過興奮性などの共通特性がないから」ではないのです。要するに、その子の秀でた素質を育成できるような教育機関があれば、その子をギフティッド教育として特別に配慮されたサービスを受ける必要がないので、ギフティッドとはみなさないという状態になっています。

もう一点、このギフティッドネスがあるのかどうかと、ギフティッド児向けの教育プログラムに参加できるかどうかとの間にズレを引き起こす原因の一つに、いかなる教育プログラムへの参加人数にも上限が、つまり、定員がつきものだという点があります。ギフティッドネスのある子どもが20人いたときに、教育プログラムの定員が10人だった場合、そのプログラムに参加できるギフティッド児は10人のみということになります。このことも、親の教育水準の高い家庭の集まる地域のギフティッド・プログラムへの参加資格基準が他の地域のそれよりも高く設定されるということの一つの要因となります。(標準的教育プログラム水準が高めであるため、標準とされている教育で適応できるギフティッド児が増えるということも要因となります。)

このズレをひき起こしているもう一つ大きな要因として、ギフティッド・プログラムへの参加資格を決めるための検査が、その子がギフティッド児であるかどうかを判断するには十分とは言えないという点があげられます。特に米国では、ギフティッド・プログラム参加資格を得るための検査は、多くの場合、学校が集団で実施する学力検査、能力検査、知能検査によるところが大きいのが実情です。そのほかに、教師推薦、教師や親によるチェックリスト、評価スケール、生徒の作品や成績などが用いられます。標準化された検査が用いられることはむしろ少なく、個別式知能検査は、費用や時間、労力との関係であまり用いられることがありません(『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』p.433)。教師による推薦やチェックリスト、生徒の作品や成績などもふくめ、どのような手段を用いてギフティッド・プログラムへの参加資格の有無を決めるかは、以下にあげる第二の不明瞭点、「実際目に見えた顕著な功績のない子ども(人)に『素質がある』ことをどのようにして示すことができるか」の問題と関連します。 

 

 

 

(2)実際目に見えた顕著な功績のない子ども(人)に「素質がある」ことをどのようにして示すことができるか(詳細は『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』13章参照)

高いのは「素質」、つまり「潜在的な力」であるという点に難しさの原因があります。ギフティッド児であれば目に見えて優れているというのではなく、「潜在的に高い力を有している」子どものことを指します。それに対し、ギフティッド児向けの教育プログラムへの参加資格の判断基準となる学力検査は「顕在化された力」を測定するものとなります。このズレは、ギフティッドネスを有する子どもであるにもかかわらず、必要とするギフティッド・プログラムへの参加が許されない状況が生じるという問題を生みます。潜在的な力があるからといって、必ずしも、それが目に見えるものとなっているとは限らないためです。

これには、後述するギフティッド児の特性が強く絡みますが、幼少期からその才能があからさまに目立つギフティッド児ばかりではありません*3。むしろ、幼少期から才能を発揮している子どもの方が珍しいといえます。そして、才能が顕在化されていないギフティッド児が、ギフティッド・プログラムへの参加資格者からは漏れてしまうことが往々にしてあります。

学力テストは、基本的に、学習したことがどの程度身についているかを測定するためのものです。そのため、ギフティッドではなくとも賢い子どもは高得点を取る傾向にあります。あるいは、既習事項が多いほど有利に働きます。私は以前、米国西海岸のギフティッド・プログラムを設けている学校への訪問を依頼したことがありますが、その際に、「この期間はギフティッド・プログラムへの加入の可否を決める試験期間なので、子どもたちは勉強にいそしんでいる。だから、学校訪問は別の機会がよいだろう」というお知らせを受けたことがあります。

後述の特性を有するギフティッド児のなかには、学校の勉強が面白くないというので勉強をしない期間が数年続き(1年生1学期でその退屈さを嫌というほど味わいます)、まったく勉強しないがために学力テストの結果は散々だという、アンダーアチーバー(学業不振など、本来の能力を発揮できずほぼ不適応の状態の子ども)がいます。このようなギフティッド児は、学力テストでの判定基準を満たすことなく、そのまま「退屈な」標準的な教育プログラムを受け続けるという悪循環が生じることとなります。

教師からの推薦は、テストだけではなく普段の行動観察も根拠とされます。アンダーアチーバーであるギフティッド児も推薦されるのではないかと考えられるかもしれません。ここで重要な点は、教師が「ギフティッド児であれば、成績優秀で意欲的で学級の模範となる生徒であるはずだ」という、誤ったギフティッド・イメージを抱いていることも少なくないということです。そのため、たとえば「教師の話を聞かない、課題は『簡単すぎてつまらない』と言ってやってこない、自分の好きなことだけに夢中になる」ような子どもを推薦するということは滅多にありません。このようにして、才能が目に見えて現れていないギフティッド児が、適した教育環境に入るチャンスを得られずにいるという事態が生じます。

集団式の検査全般は、検査結果が言語能力に大きく依存しているものが多いため、空間認知や図形等の非言語能力を発揮しにくい状況にあります。また、測定可能な点数の上限ゆえにそれ以上の能力の測定ができないなど、潜在的な能力を十分測り切れないことなどが限界としてあげられます。

個別式知能検査は潜在的な能力の測定に比較的適しているといえます。しかし、米国のギフティッド・プログラム参加資格の判断に個別式知能検査が用いられることは多くありません。その理由としては、労力、時間がかかりすぎるという点が大きいと考えられます。知能のベルカーブの対極側に位置する子どもたちの知能検査で手いっぱいだというのです。私自身は、日本では、ギフティッド児の判定にあたり、この個別式知能検査を大切にすべきではないかと感じています。(もちろん、労力、コスト面での対策も必須です。)

ただし、この知能検査さえすれば十分かというと、そうではありません。つまり、知能検査で一定基準(多くはFSIQ>130)を満たした人々をギフティッドとよぶのは、不適切ではありませんが、その基準から漏れた人々のなかにもギフティッドの特性を有している人々がいるということに注意が必要です。

最近は、ギフティッドの特性を脳神経科学の観点から解明していく努力がすすめられています*4 *5 *6 *7 *8が、これらの研究のほとんどが、個別式知能検査のFSIQの高さでギフティッドを特定することは「十分ではないが不適切ではない」としています。これはまさにその通りで、脳神経科学領域でのギフティッドの特性の理解を進めるためには、やはり、妥当性が示されている何らかの数値による基準でギフティッドを抽出する必要があります。ただ、個別式知能検査でもってしても、判定に漏れるギフティッド児がいます。そのなかには、芸術面で潜在的な力のある子どもなどが含まれます。

知能指数が130を超えると、芸術の才能と知能指数との相関が低くなることが示されていることからも、芸術面での素質を測定できるような方法が求められます。その例として、創造性テストなどがありますが、このテストの実施には膨大な時間と労力がかかり、また、相当な訓練を積んだ専門家による評価が必要となるため、現実的な評価として、顕在化されたもの―作品―の評価となってしまっているという限界があげられます。

このように、ギフティッドの判定方法は、その「潜在的な素質」をとらえることの難しさから、長期にわたり解決困難な課題であり続けていることがわかるかと思います。

 

〇判定漏れを最小限に食い止めるために

潜在的な才能、素質が容易には数量化できない分野であったり、あるいはそれがまだ表には現れていないような場合、ギフティッドの判定は非常に困難で、判定漏れが生じる可能性が高くなります。この判定漏れや、教育現場での評価と実際の子どもの姿とのズレを最小限に食い止めるうえで有効なものとして、教師や親による評価スケールがあります。

たとえば『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』に掲載されている評価スケール(pp.441-443)は、14の分野における素質の高さを裏づける行動が項目となっています。14の分野とは、学習能力、創造性、意欲、リーダーシップ、計画性、コミュニケーション(的確さ)、コミュニケーション(表現力)、演劇、音楽、アート、数学、読書、テクノロジー、科学です。

ただし、教師のみによる評価となると、それもまた学校での態度・成績に強く影響されるものとなるため、複数の立場からの評価が重要になります。主観やその子と評価者との関係性の影響を受けるという点を、複数の評価者による評価という方法でできる限り克服していく必要もあります。

もう一つ非常に重要なことは、ギフティッドに広く見られる共通特性を視野に入れるべきだという点です。「ギフティッドにはさまざまなタイプがありながらも、共通の特性は実際に存在する」(同、p.29)ことがわかっており、その「行動の多くが見られるのであれば、その子がギフティッドである可能性は非常に高く、それはその子の全生涯にわたり大きな意味をもつ」(同、p.30)とされています。これは、先述の素質の高さと「過興奮性」(次回詳述予定)とをつなぐような特性となります。

 

〇ギフティッドに多くみられる共通特性

『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら』(p.31)には、その共通特性が23挙げられていますが、これは、ギフティッド児に関する研究においては広く共通に認識されているものです。この場では、そのうちのいくつかを紹介したいと思います。

まず、高度な言語能力があげられます。読み書きやお話が人一倍早く、それらを教えてもいないのにできることも多くのギフティッド児に共通しますが、もっと重要な点は、幼少期からことばの微妙なニュアンスがわかったり、言語能力なしにはできない抽象概念の理解力が高いことです。次に、知識の吸収力、記憶力が人一倍高いことがありますが、これは、その強烈な好奇心や多岐にわたる興味関心にも大きく支えられています。さらに、その興味関心はものごとの複雑さへの希求として現れることもあります。これらの点は、評価スケールの「学習能力の高さ」や「意欲」に強く関連する点です。一方、基本的な学習事項を早々に習得できてしまうため、本人が求めている複雑さと対極をなす「反復学習」は当人からすれば無意味に見え、それを嫌うことが多く、強要されると「意欲」そのものが低下してしまいます。

強烈な好奇心と関連するものとして、試したがりという特性もあります。親の知らぬ間に、家のなかのさまざまな物が分解されていることもあります。仕組みがどうなっているのか、知りたくてたまらないのです。この好奇心がどれほど強烈かというと、それはちょうど、空腹で倒れそうな人が、目の前のクッキーをむさぼるように食べるのと似ています。

評価スケールの「創造性」と関連するものとしては、強烈なイマジネーションや創造力があります。想像上の世界は、彼らにとっては非常にリアルなものとなり、時には周囲を心配させるほどになります。「家族との夕食に想像上の友だちも加えてほしいとせがみ、母親に席を用意してほしいと言ってきかなかった」(同、p.34)例などもあります。また、ユーモアのセンスが非凡で、特にダジャレなど、ことばの特性を巧みに用いたジョークのセンスが並外れています。これは、言語能力の高さと強烈なイマジネーション力が現れたものと考えられます。さらに、白昼夢を見るという行動特性があります。我を忘れるほどに自分の思考のなかに没入する姿です。

次に、納得できる理由や理解を求める点があげられますが、これは評価スケールの「計画性」や「学習能力の高さ」に関連します。ものごとに対する洞察力が優れているため、「そういうことになっているの」という説明では納得しません。特に、慣習などに疑問を呈すことがあり、これは、創造性の高さとも関連しています。

集中力の高さも共通にみられる特性です。興味関心のあるものに対しては、集中するばかりでなく、うまくいかなくても諦めず、非常に粘り強く取り組みます。その粘り強さは、単純作業に近い反復ドリルなどへの取り組みの姿とはまるで別人のように見えます。

公正さへの関心があります。さらに、繊細さや激しさが顕著です。幼少期から、真の意味での正義感が非常に強く、不当や不正を目の当たりにすると、「感極まり泣き崩れたり義憤にかられて怒り出したりする」わが子にどのように応じたらよいか戸惑う親も多くいます。

繊細さや激しさは、ギフティッド児を強く特徴づけ、過興奮性とも関連する特性です。近年、ギフティッドの神経科学的な知見が蓄積され、情報処理スピードや記憶にかかわる脳の領域と感情などの反応の強さにかかわる脳の領域とが重なり合うことがわかってきました*8。心理学的には、ドンブロフスキがギフティッド児における過興奮性に気づいたわけですが、それが脳の神経科学レベルで示されたと捉えることができます。そのため、ギフティッド判定の際に、あるいはギフティッドネスを捉えようとする際に、この、過興奮性をとらえることは有益な情報源となると考えられます。

以上のように、ギフティッド児のすべてではないのですが、多くに共通する特性があります。ギフティッド判定のプロセスにおいて、これらの特性を視野に入れるステップを踏むことで、まだその才能が顕著に表に出ていないギフティッド児を見落とすリスクは小さくなるのではないかと考えられます。

 (次回は2020/12/18頃 更新予定)

 

参考文献

*1 角谷 詩織 (2020). 学校・家庭でのギフティッド児の誤診予防と適切な理解・支援のために : 日本語版ギフティッド-アスペルガー症候群,ギフティッド-ADD/ADHDチェックリスト 『上越教育大学研究紀要』, 39, 301-309.

*2 Duncan, S., Goodwin, C., Haase, J., & Wilson, S. (2018). Neuroscience of Giftedness: Physiology of the Brain. Gifted Research & Outreach. https://www.gro-gifted.org/the-neuroscience-of-giftedness/(参照 2020-07-14)

*3 Pfeiffer, S. I. (2009). The gifted: Clinical challenge for child psychiatry. Journal of the American Academy of Child and Adolescent Psychiatry, 48, 787–790. doi:https://doi.org/10.1097/CHI.0b013e3181aa039d

*4 Koziol, L. F., Budding, D. E., & Chidekel, D. (2010). Adaptation, expertise, and giftedness: Toward and understanding of cortical, subcortical, and cerebellar network contributions. Cerebellum, 9, 499-529. doi: 10.1007/s12311-010-0192-7

*5 Mrazik, M. & Dombrowski, S. C. (2010). The neurobiological foundations of giftedness. Roeper Review, 32, 224-234. doi: 10.1080/02783193.2010.508154

*6 Shaw, P., Greenstein, D., Lerch, J., Clasen, L., Lenroot, R. (2006). Intellectual ability and cortical development in children and adolescents. Nature, 440: 676–679. doi: 10.1038/nature04513

*7 Tetreault, N., Haase, J., & Duncan, S. (2016). The Gifted Brain. Gifted Research and Outreach, Inc. https://www.gro-gifted.org/wp-content/uploads/2016/03/GRO-article-Phase-1-a-final-3_24_16.pdf

*8 Tetreault, N., A. & Zakreski, M. J. (2020). The gifted brain revealed unraveling the neuroscience of the bright experience. https://ghfdialogue.org/the-gifted-brain-revealed-unraveling-the-neuroscience-of-the-bright-experience/ (参照 2020-08-20)

 

関連書籍

わが子がギフティッドかもしれないと思ったら 問題解決と飛躍のための実践的ガイド

J.T.ウェブ他著/角谷詩織訳

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著者略歴

  1. 角谷 詩織

    お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人文科学)。
    現在、上越教育大学大学院学校教育研究科准教授。専門:発達心理学・教育心理学。
    著書に『理科大好き!の子どもを育てる――心理学・脳科学者からの提言』北大路書房(分担執筆、2008年)、訳書にウェブ他『わが子がギフティッドかもしれないと思ったら――問題解決と飛躍のための実践的ガイド』春秋社(2019年)、ウェブ他『ギフティッド その誤診と重複診断――心理・医療・教育の現場から』北大路書房(監訳、2019年)、ハーレン他『8歳までに経験しておきたい科学』北大路書房(共訳、 2007年)などがある。

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