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ぼくらはまだ、ほんとうの旅を知らない 久保田耕司

旅とは何かということについて(1)

 

 僕が初めて「旅」という行為の面白さに惹かれ、自分も旅に出てみよう、と思うようになったきっかけは、前回書いた通り、たまたまインド訪問の機会があって、そこで、それまで知ったつもりでいて実は全く知らなかったインド世界の奥深さというか、ハチャメチャさというか、具体的に個々の事象の詳細には立ち入らないが、それまで生きてきた狭い世界の常識を覆されるような体験を色々させられて、自分がいかに世界を知らなかったか、ということに開眼したからだった。

 

 もちろん、きっかけがどうあれ、旅に出るようになったからと言って、それですぐに「旅とは何か」ということの意味が分かりはじめた、なんていうことは全くなかったし、そもそも、最初の頃は、旅に出ること自体が単純に面白いからそうしていただけで、自分の行為の意味、つまり旅に出ることの意味について自分自身に問いかけるなんてことはしていなかった。

 登山に興味がない人が山男によくする「なんで山に登るの?」という定番の質問に、これまた定番の「そこに山があるからさ」で返答するような感じで、そこにはまだ行ったことが無いから行ってみよう、というような感覚で旅に出ている状態だったのだ。

 それでも、自分のように、どちらかというと、いわゆるバックパッカー的なスタイルで旅に出るのと、普通にパックツアーとかで観光旅行をするのとでは、同じ「旅」とか「旅行」と言っても、単なる外面的スタイル以上に実質的に何かが大きく違う、ということは感じていた。

前回に続いて、写真のほうでは2013年のマハー・クンブ・メーラの模様を紹介する。この祭りは宗教行事であり、最終的には聖なる河、ガンガー(ガンジス河)の水で罪や穢れを洗い清める沐浴が目的だ。ヒンドゥー教を信じる一般人はもちろん、インド中からサドゥーと呼ばれる修行僧たちも集まる。最初の写真は一般の人たちが沐浴するエリアのバックヤード(川岸の広場)。何しろ期間中、延べ7000万人とも1億人とも言われる人々が集まるので、宿泊施設が確保できなかった巡礼者は適当に毛布に包まってここで野宿する。2枚目、3枚目の写真は、一般信者たちが沐浴する場面。真夜中でまだ人が少ないが、この時期(2月)はインドと言えど結構寒いのに、その寒さを感じさせない熱気があった。最後は早朝、沐浴を終えて帰路につくサドゥーの一行。人目もはばからず全裸の場合も多い(写真)。

 

 そんな僕が、わりと真剣に、といってもちょっとだけだが、旅について考える最初のきっかけとなったのは、最初のインドの旅からいったん帰国して、2度目の旅に出たときに、たまたまタイのバンコクで知り合った、シンガポールからの旅行者だという女の子との出会いだった。

 シンガポールといえば、今でこそ一人当たりの国民所得が日本を追い抜いた金持ち国家で、マリーナベイ・サンズに代表されるような、近未来的な施設もある先進的都市国家というイメージがあるかもしれないが、その当時はまだ90年代も初頭から半ばという頃だったから、日本のほうがまだまだ金持ち国家だったし(今でも国家規模から言えば日本の圧勝ではあるが)、個人的には、シンガポールかぁ、確か東南アジアでは優等生国家だったよね、最近は結構発展してきたって聞くよね、という程度の認識しかなかった。

  単純にシンガポールの人口が少ないということもあるが、いくらタイが世界中から旅人が集まる観光国家といえども、シンガポールからの旅行者に出会うことはまだ比較的珍しかったように思う(もっともその当時、僕はまだシンガポールに行ったことは無く、その当時でさえ、かの地が結構な発展を遂げつつあるところだという認識があまり無かったのだが)。だから自分の勝手な印象として、シンガポールだってまだタイよりちょっとましな程度で、途上国から完全に脱していないはずなのに、旅に出る女の子(それも彼女は一人旅だった)がいるんだ、と思ってしまい、その女の子の言動には普通以上に興味を惹かれた部分があった。

 その女の子の名はコニーといった。コニーは丸顔の童顔で、背丈も標準よりちょっと低く、高校生、いや中学生くらいに見えなくもなかった。もしも本人が自分で高校生です、と自己紹介していたら、たぶん何の疑いも持たずに信じていただろう。実際にはその当時、大学を卒業するとかしないとかで、社会人になる直前だったような話をしていた記憶がある。だから女の子という書き方はあんまり正しくないのだが、見た目が幼かったので、僕の印象ではコニーは女の子だったのだ。

 コニーとは空港で出会って、そのまま市内中心部に向かう同じバスに乗った。彼女がシンガポール人だから珍しかった、ということだけではなく、そもそもその当時はアジアを旅していて、日本人以外のアジア人の個人旅行者に出会うこと自体が割とレアケースだったし、しかも女の子の一人旅というのは、なおのこと珍しく感じられた。そんなわけで、彼女がどんな旅をするのか興味が出てきて、そのままけっこうな長話をすることになり、彼女のほうも、その当時はまだ金持ち国家の印象が強くあったはずの日本から来た個人旅行者ということで、僕に対して多少の興味を持ってくれたようで、話のなりゆき上、ほんの少しの間だったが、結局、バンコク滞在中に一緒に市内を観光することになったのだった。

 その後、どこでどう待ち合わせをしたとか、細かいなりゆきまではよく覚えていないが、とにかくお互いの宿に荷物を置いてから、待ち合わせして食事に行く、ということになった。

 僕はと言えば、その当時、東南アジア方面なら何処に行くにも、バンコクは安い航空券を仕入れたり、旅に身体をなじませたりするのに、ほぼほぼ必須の中継地で、最初の旅のときにも同じようにここで格安航空券を買ってインドに向かい、日本に帰国するときにも立ち寄ったりと、既に何回か訪れていたので、これといった観光の目的は無かったが、今回もとりあえずちょっと滞在しようか、という感じだった。

 そんなわけで、何処に行くか、何をするかは、自然とコニーの希望を優先することになった。実際、彼女には行きたいところ、やってみたいことがそれなりにあるようだった。

 もしも彼女が欧米から来た旅行者、たとえばドイツとかイギリスからの旅行者なら、バンコクのどういう場所に興味をもって、どういうスタイルで旅をするのか、比較的容易に想像できただろう。僕はその頃にはもう、何人もの欧米からの旅行者との邂逅を通して、彼らがどんな人たちか、ある程度の認識は出来ていた。

 しかし、シンガポールについて、実際的な知識がほとんどなかった僕は、最初、シンガポールとタイなんて地理的にそれほど離れてないし、どっちも同じ東南アジアなんだし、それほど文化的にも大きく違わないだろうし、コニーにしてみたらバンコクを観光したってそれほどカルチャーショックを感じることもなく、面白いとも思わないんじゃないか、と内心、勝手に思っていた。とにかく、街に出れば、案外つまらない街ね、みたいな反応を示すんじゃないかと想像しながらコニーの様子を観察していたのだ。だが、この安易な想像はまるっきり覆されることになる。

 とりあえずは食事だ。彼女が言うには、事前に調べてきたのか、近くに大きなフードコートがあるとかで、そこを目指すことになった。

 その当時のバンコクは、BTS(スカイトレイン)や、MRT(メトロ)もまだ出来ておらず、もともとの都市計画が貧弱だったまま急速に発展したせいもあって、市内の道路はどこも、幹線道路だろうと(だからこそ、と言うべきか)交通渋滞がひどかった(今でも十分ひどいが)。また、最近は減ったようだが、旧式の日本から輸入した中古車もまだまだ多く走っていて、バスも排気ガスを撒き散らし放題だったし、そのせいか、道沿いの建物は、間口付近は壁といわず柱といわず、ススで黒くなっているのが普通で、そんな環境でも、ちょっと人通りが多い繁華街近くの歩道脇には、通行人目当てに、甘辛いタレを掛けるタイ式の焼き鳥やら、平たく潰して串焼きにした焼きバナナやら、見た目はタコ焼きみたいなくせにココナッツが入った甘い焼き菓子やらの屋台が軒を連ねるという、今でも一部おなじみの光景が広がっていた(最近になって、規制で排除されつつあるらしいが)。コニーが泊まっていた宿からフードコートへは、それほど距離はなかったが、話しながら歩いていくと、そんなエネルギッシュでプチカオスな典型的な東南アジアの街並みを目にすることになる。

 そのときのコニーは、排気ガスで汚れた空気や街の衛生面にちょっと引きつつも、どこかのテーマパークで新しいアトラクションを見つけたときのような反応、とでも言えばいいのだろうか、たぶん自分も初めてバンコクの街並みを歩いてみたときに感じたような、そして自分以外の日本や他の先進国から来た旅行者もみんな感じるであろう、ちょっと冒険心を刺激されたときのような反応を示した。

 たとえば、ひどい交通渋滞の上に、その辺りは横断歩道が少なく、どうせ渋滞のせいで車が走ってるのか止まってるのかよく分からない状態だったので、地元の人の後を付いて適当に道を横切って渡ろうとしたことがあった。するとコニーは、今まで一度もそんなことをしたことがない、とでもいうような慌てた様子で怖がりながら道を渡り、渡り終わると、さも大冒険をした、とでもいうようなはしゃぎ方をして見せたのだった。

 くどいようだが、僕はその当時、シンガポールにはまだ行った事がなかった。加えて当時はインターネットが普及する前だったから、今みたいに検索すれば簡単にどんな国なのか分かるという環境でもなかった。だからと言って自分の無知と誤解を弁護するわけではないが、コニーの反応を見ていて、シンガポールという国がどの程度の発展段階で、どんな街なのか、やっと自分の勘違いというか、自分がいかに誤解していたかに気が付いたのだった。

 つまり、たぶんシンガポールはタイとは比べられないくらい環境意識が高くて、街並みは洗練されていて清潔で、少なくとも交通渋滞もさすがにバンコクほどではないところなのだろう、ということがコニーの反応から手に取るように分かったのだ。フードコートや、そこでの食事には、これといってあまり大きな反応がなかったような気がしたから、それらに関しては、きっとタイとそれほど大きく違わないものもシンガポールにあるのだろう、というところまで想像できてしまった。

 コニーとはその後、どんな話をしたのか、何しろもう20年以上前のことなので、事細かに覚えている訳ではないが、こんなことを言っていた。

 いわく、シンガポール人は旅が好きで外に出たがる。小さな島の都市国家で国土が狭いし、法律も厳しいし、ずっと国内にいるのは監獄に入れられているみたいで退屈だ。自分も旅が好きで、以前はチェンマイのさらに山奥の、山岳民族のいるところに行った。将来は海外で暮らしたい、日本も良さそうだけどやっぱり米国かな。などなど。

 日本もよく、自国に対して「小さな島国」という言い方をするが、シンガポールの小ささ、狭さはその比ではなく、なにしろ国全体が東京23区よりちょっと大きい程度しかないのだ。自分もそういう狭い国に生まれていたら、やっぱり外に出たいと思うだろうな、などと漠然と感じながら話を聞いていた記憶がある。冷静に考えてみたら、その程度の広さだと、ちょっと車を走らせたら、すぐに国土が尽きて海に落ちるというのは言い過ぎとしても、隣国(陸路ではマレーシアしかないが)に出ないといけないことになる。おそらく日本みたいに国内旅行をゆっくり楽しむという概念もなく、ちょっと遠出をしようと思うと、国境を越えることになり、即パスポートが必要ということになるに違いなかった。

 コニーとの会話自体は、今にして思えばどれもたわいのないもので、他に印象に残っている内容としては、日本で自家用車を買うといくらくらいするのか、とか、僕が車を所有しているかどうかを聞いてきたことくらいだろうか。僕は当時も今も、車には全くと言っていいほど興味が無かったから、車は持って無い、と答えると、あなたにとって買えないほど高いのか、と聞いてくる。対して、自分は日本では確かに貧乏人の類だが、買おうと思えば中古車くらいなら今すぐ買える、でも興味がないから買わない、と説明すると、コニーは何か言いたげな、納得いかなげな顔をしてみせたのだった(結局それ以上は何も言ってこなかったが)。

 シンガポールでは車を持つことに制限があるとかで、普通の乗用車でも庶民にはなかなか手が届かないほど高いらしく(確か日本の軽く3~4倍くらいの値段がする)、それで自動車大国として名高い日本ではどうなのか、実際の庶民の感覚を知りたくて僕にこういう質問をしてきたのだと思う。後になってその裏事情に気が付いて、それがいかにもシンガポール人らしい質問だと思ったものだ。

 そんなコニーとの一連の会話の中でも、特に印象に残っているのは、コニーが時おり見せた彼女なりの旅に対する強いこだわりだった。

 すでに書いたとおり、コニーはチェンマイのさらに奥地の村まで、山岳民族を訪ねたことがある、と言っていた。チェンマイというのはタイ北部の古都で、山岳地帯の入り口の避暑地としても有名だ。また、その周辺の山奥に点在する村々には、今でも素朴な伝統に沿った暮らしを営む少数民族が住んでいるとかで、トレッキング・ツアーと称してそれらの村々を巡るのが定番の観光コースになっている。その当時、僕はチェンマイにはまだ行ったことがなく、山岳民族にも特に興味が無かったから、その話が出たときにも何気なく「時間はどれくらい掛かった? 飛行機で行ったの?」と生返事をしたような覚えがある。ところがそれを聞くとコニーは、さも分かってない、という感じで首を振り「違う!飛行機なんか使わないわ。飛行機で行ったら旅じゃないじゃない!」と否定してきたのだった。

 「飛行機で行ったら旅じゃない」というのは、いかにも極論だし、反論の余地が大ありのはずなのだが、いざ反論しようとしても、普段から旅に関して特に深く考えてこなかった自分には、すぐにはうまい言葉が出てこなかった。それに正直に言うと、コニーの言わんとする意図も全く分からないでもなかった。

 というのも僕自身、最初の旅でインド世界を回ったとき、隣国のネパールを目指したことがあって、そのときに自分が選んだのも飛行機を使わない、バスで山間を上るルートだったからだ。飛行機を使おうと思わなかったのは、そのほうが山岳からの眺望も、途中の村々の景観も一緒に楽しめそうだ、というのが第一の理由で、ついでに日本では出来ない、陸路で国境をまたぐということも経験してみたかったというのがある。別にお金を節約したかった訳ではなかったし、同じようなインド周辺国でも、スリランカを訪ねたときは飛行機を使った(節約するなら船で渡ることもできた)。

 それによく考えると、コニーだって今回は飛行機でバンコクに来たはずなのだ。ということは、陸路でのチェンマイへの旅は、コニーの中で何か特別な意味があったのだろうか。そのときは聞きそびれてしまったが、思うに、ただ飛行機で山奥の方まで移動した、では単に山岳民族の見学ツアーに行ってきた、となるだけだけど、そうではなく自分はもっと違う意味で旅をしたんだ、ということなのかも知れなかった。

 しかし、彼女の言うとおり、飛行機に乗って移動するのは、文字通り旅の目的地への「移動」に過ぎず、旅そのものではないのだろうか?

 船や鉄道、バスとかの移動なら、移動も旅という行為の中に含めることができるように思うが、その場合は飛行機での「移動」と何が違うのだろう?

 いや、そういう風に考えるなら、そもそも単なる「移動」と「旅」の違いとはなんだろう?そう言えば「観光」も「旅」とは違うけど、何が違うと「旅」になるんだろう?

 「旅」と「移動」との違い。「旅」と「観光」との違い。どんな要素、どんな条件を満たせば、それを「旅」と呼べるようになるのか。旅の本質とはいったい何なのか。

 もちろん、コニーとの出会いが、こうした問いが生まれたすべてのきっかけだった、とまでは言わない。それまでにも、はっきりと言語化して意識していなかっただけで、旅という行為がもたらす人生への影響についてはそれなりに考えてはいた。

 「旅」は対話にも似ていて、行く先々で新しい問いを投げかけられる。現地で出会う人たちの立ち居振る舞いに驚かされて、かの地の文化、習慣、風俗に疑問を感じたり、逆に自分が当然と思って行ったことが、思わぬ反発や誤解を招いてトラブルの元になったり、あるいは旅の途上で出会い、すれ違った、先達としての旅人たちとの会話の中にも、人生の理解を助けてくれそうなインスピレーションに溢れた文字通りの「対話」の要素があったように思う。

 ただ、旅の中で出会う疑問や人生の課題はさまざまで、その対話が旅そのものの意味に向けられたことは、コニーに出会うまでなかったように思うのだ。

 だからと言って、このきっかけを機に、すぐに旅について考え始めて、すぐにその結論を出そうと思索を深めたかというと、そういうわけでもない。

 部分的な答え、あるいは個人的で、自分にだけ通用するような答えなら簡単に見出せるかもしれないが、ともすれば定義が人によってまちまちである「旅」みたいな概念に対して、普遍的で、時代も文化の壁も超えて通用するような、誰もが納得できるような本質的な答えを出そうとすると、結構な難題になるに違いなかった。

 そして、この頃には僕は、こういう間口が広くて捉えどころが難しい概念に対して、いわゆる一般的な意味での分析的手法による考察で立ち向かうのは、却って問題を複雑にして、ますます本質から離れた結論に向かうという「思考」の陥穽があることに気が付き始めていた。

 ということで、その当時の僕は、コニーとの「対話」で旅に関する疑問が心に浮かんできたときにも、とりあえず、それ心の片隅に留め置く程度に覚えておいて、確かシンハ・ビール(タイのビールです)あたりをひっかけて、ヒントになるような別の問い掛けが現れるまで放っておこうと、のんびり待つことにして寝床に横たわったのだった。

 なお、コニーとの出会いの話にはまだ続きがあって、それに関してもまた別の機会に改めて書くつもりだが、とりあえず次回は、通常の思考方法や分析手法がなぜこの手の問題にうまく適用できないのか? 通常のアプローチがだめなら、では、どうやったらこの手の問題の本質に迫ることができるのか? そのあたりのことについて、もうちょっとだけ深めに掘り下げながら、話を進めていくことにしようと思う。

 

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著者略歴

  1. 久保田耕司

    1965年静岡県出身。広告代理店の制作部からキャリアをスタート。90年代初頭から約1年ほどインド放浪の旅に出る。帰国後、雑誌や情報誌などエディトリアルなジャンルでフリーランス・フォトグラファーとして独立。その後、ライター業にも手を広げ、1997年からは、実業之日本社の『ブルーガイド わがまま歩き』シリーズのドイツを担当。編集プロダクション(有)クレパ代表。

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