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ぼくらはまだ、ほんとうの旅を知らない 久保田耕司

これから「旅」について書こうと思うこと

 

『狐には穴あり、鳥には巣あり、されど人の子には枕するところ無し』(マタイ 8:20)

 

 いきなり冒頭から、聖書の言葉の引用で恐縮だが、旅人業界(そんな業界があるとして)の末席を汚す自分にとって、この言葉ほど、ぐっと胸に迫ってくる言葉も他に無い。

 「旅」について何か連想しようとすると、なぜか真っ先にこの言葉が、いくばくかの寂寥の念とともに浮かび上がってくる。

 もちろん、ここで言う「人の子」とはイエス自身を指していて、当時ガリラヤ湖畔の町に滞在していたイエスが、異邦人のいる対岸に渡ろうというときに発せられた言葉ということぐらいは知っている。マタイ伝によれば、このとき、ある律法学者が「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従ってまいります」と同伴を求めると、その覚悟を試すかのようにこの言葉が返されたのだという。

 僕は別にキリスト教の信者というわけではなく、神学的にこの言葉をどのように解釈するべきなのか、その深い意味を知っているというわけでもなく、この言葉が、上記の通り、いわゆる世間一般で言う「旅」とは全く別の視点で言われていることも承知している。

 それでも、キリスト教信徒の方には申し訳ないが、単純にこの言葉の持つ、ちょっとアンニュイで物寂しげな響きが、昔、とある旅に出たときの僕自身の心情とシンクロしてしまうのだ。

 

 昔、僕はバックパッカーだった。

 いや、昔に限らず、今でもプライベートで旅に出るとしたら、バックパッカー的スタイルで旅に出るんだろうけど。もっとも、今ならバックパックは背負わないでスーツケースを転がすだろうし、仕事のこともあるので、昔のように長期間の旅にはならないだろうから、ここではあえてバックパッカー「的」と書いておくに留める。

 スーツケースを転がしてたら、そもそも、もうバックパッカー的ですらないだろう、という人もいるかもしれない。でもそこは、外面的なスタイルじゃなくて、旅の精神を言ってると思って欲しい。もっとも、何をもってバックパッカー精神というのかということを、ここでいちいち説明するつもりも無いが。ついでに書いておくと、僕自身は、この「バックパッカー」という言葉自体はあんまり好きではない。ただ、世間一般の言い方では、他に当時の自分の旅のスタイルをうまく説明できないからこの言葉を使っている。実際、当時の僕は、どこからどう見ても、いわゆるバックパッカーに見えただろう、とは思う。

 僕が初めての旅、その本格的な旅に出たのは、元号が昭和から平成に変わった、その次の年のことだった。行き先はインドとその周辺国。期間は一応、一年程度の予定だった。

 わざわざ本格的な旅、という書き方をしたのは、その旅に先立つ3年ほど前、少しだけ海外に出たことがあったからだ。そのときも、実は行き先はインドだった。しかし、そのときの滞在期間は、たったの2週間程度だったのだ。もっとも、2週間程度でも海外に出れば、世間では普通、それは「旅」もしくは「旅行」と言われる。なので自分にとって、全く初めての旅というと、世間的にはそちらが最初になってしまうかもしれない。

 ここで、少しでも当時のバックパッカー事情を知っている人なら、こう疑問に思うかも知れない。ちょっと待って、2週間? なんでそんな短期でインドに行ったの? 何にも見れないんじゃない? パックツアーにでも参加したの? と。

 確かに、インドという国は、説明するまでもなく広大で、かの国をバックパッカーとして隅々まで周ろうと思えば、昔だろうと今だろうと、たぶん1年掛けても周りきれないくらいの広さと見どころがあるだろう。実際、今の自分でも、誰か旅の初心者の人から、インド旅行について何か相談されたら、思わせぶりに先輩面して、長ければ良いってもんじゃないけど、期間は最低でも半年くらい見ておかないときついかなぁ、くらいのことは平気で言ってしまうかも知れない。

 ただ、その最初の訪印当時というのは、僕はまだ「旅」という行為に特別な関心があった訳ではなかったのだ。もっと言うと、インドという国自体にさえ、その文化も含めて、さして特別な興味があった訳でもなく、いろいろ観光地を周ってみたかった、という訳でさえなかった。

 つまりそれは、文字通り一種の「訪問」でしかなく、バックパックを背負った旅なんかではないのはもちろん、パックツアーに参加しての観光地巡りでさえもなかった。

 じゃあ、それがどんな訪問で、なんでたったの2週間だったのか、というと……まあ、その辺の事情は、個人的な事情もあるし、本稿の本題とは直接関係ないので割愛させてもらおう。もっとも、その最初のインド訪問が、僕のその後の旅、その3年後の本格的な旅への大きな動機付けになったのは間違いない。

 という訳で、僕の中では、最初の旅、本当の意味での旅は、その訪印の3年後の旅から始まった、ということになっているのだ。

これらの写真は、インドのとある都市で、これからとあるイベントが始まろうという様子を写したものだ。特に説明しなくても、なんとなく一目でインドの写真と分かる人は多いだろうが、じゃあこれが具体的になんという都市で、これから何が始まろうとしているのかということまで、すぐに分かる人がいたら、その人は結構なインド通だろう。本文では、僕がなぜ最初の本格的な旅の舞台にインド世界を選んだのか、特に詳しく説明しなかったが、写真を見てもらえれば、多少は行ってみたくなる気持ちが分かってもらえるかも知れない、と思って紹介した。ちなみにこれから始まるイベントとは、クンブ・メーラというヒンドゥ教の宗教行事で、場所はイラーハーバード(またはアラーハーバード)。2013年は、とくにマハー・クンブ・メーラという12年に一度の大祭となったが、この時期、たまたま別件でコルカタ近郊に滞在していたので、主目的ではなかったが、ちょこっと立ち寄って撮影したもの。

 

 

 さて、なんで僕が、こんなことをグダグダと書き始めたのかというと、僕の人生が、その本格的な旅によって、それまでとはまったく違う方向に向かい始めたというか、仕事のあり方を変えてしまうような全人格的作用がもたらされたと言うか、まあ、要するに一言で言ってしまえば、いわゆる人生が変わってしまうような事態に陥ってしまって、結局、その後もその影響を脱することが出来ないまま、ズルズルと今日に至ってしまっている、ということが関係している。

 

 実は今、僕は一応、本業が旅行ガイドブックの編集業ということになっている。実際には、基本がカメラマンで、取材や執筆を合わせてやってるうちに、ガイドブックの編集まで請け負うようになってしまった、というのが本当のところだが。

 最初は別段、旅という行為に特別な興味があったわけでもなかったのに、たまたまインド世界を覗き見してしまったがために、数奇な運命(と言うほど大げさなのものでもないけど)の悪戯によって、気がついたらガイドブックの執筆やら編集やらまで手を伸ばし、旅行業界の末端で細々と仕事をするようになってしまっていたのだ。

 早いもので、僕がその最初の旅に出てから、そして帰国後、カメラマンやライターとして仕事をするようになってから、なんだかんだで、もう20年以上経つ。いや、次のオリンピックにはもう、30年にもなろうか、というところまで来てしまっている。

 

 そして、その間、旅行業界やガイドブック業界にも大きな変化があった。たとえば、僕がこの業界で仕事を始めた当初は、まだ旅行ガイドのシリーズものといえば、パックツアー客をターゲットにしたものがほとんどで、個人旅行者向けで、海外渡航先を案内したシリーズもの、なんていうと、1種類しか刊行されていなかった(今でも書店でよく見る、あの、地球のなんとかの仕方というシリーズ)。

 そもそも、振り返ってみれば、その頃は、1985年のプラザ合意以降、急激に為替が円高ドル安になって、個人旅行として海外に行くということ自体が、ようやく一般的になったばかりの頃だった。だいたいそれより、もうちょっと時代をさかのぼってしまうと、観光目的の海外渡航の自由化自体が、戦後20年近くも経った1964年にやっと解禁されたわけで、その後、いくら日本が高度成長を遂げ、経済大国になり、外貨の持ち出し制限(初期は年間500ドルまでしか認められていなかった)が撤廃されたと言っても、いったん海外に出国すれば、その高いドルを使わないといけなかったわけだから、プラザ合意で決定的な円高になるまで、海外旅行はやっぱりそう簡単ではない、という時代が長く続いていたわけだ。だから当時、冒険心旺盛な若い人はともかく、僕の親の世代は、海外旅行というとパックツアーで1~2週間程度くらいがせいぜいで、個人でバックパッカーとして海外旅行をしたなんて人は、少なくとも僕の周りでは一人も存在しないくらいだった(あくまでも個人的な範囲です)。前述の地球のなんとかの仕方というシリーズものからして、最初の刊行が1979年でヨーロッパ編とアメリカ編の2冊だけ、という状態だったくらいだから、個人旅行としての海外渡航の歴史自体が、まだまだそれほど大して無い状態だったわけだ。

 

 本稿を書くため、最近の海外渡航者数がどうなっているのか、念のために調べてみたら、ここ数年は横ばい傾向とはいえ、昨年の統計だと年間延べ約1790万人もの日本人が海外へ出国しているのだという。しかも、そのうち、個人手配旅行が全体の5割強(JTB調べ)になっているというのだから、なんというか隔世の感がある。

 なんでもそうだが、ある社会状態がほんの5年くらいでも続くと、自分の関心のあるジャンル以外のことに関しては、あるいは特に10代くらいの若い人とかにとっては、ずっと昔からそうだった、みたいに勘違いすることも多くなりがちに思うが、変化は案外急激に起きていたりするものだ。

 追記しておくと、日本政府が海外観光渡航促進などの目的で、テンミリオン計画という海外旅行倍増計画を発表したのが1986年だ。その当時はまだ、海外に行く日本人は、年間500万人に届くかどうかという程度だった。その計画は、そんな状態のなか、5年以内に海外渡航者数を1000万人に倍増させようという、ちょっと無謀にも思えた計画だったのだが、実際にはそのわずか4年後の1990年、計画をちょっと前倒しした形で1000万人の大台に乗ってしまっていた。この一事だけで、円高ドル安以降、いかに急激に海外旅行がブームになって、身近なものに変貌していったかが分かるだろう。

 

 そんなわけで、90年代も半ばになると、時代の変化を受けた出版業界のほうでも、それまでパックツアー客向けのガイドブックしか出してこなかった中堅出版各社(JTBや昭文社、実業之日本社など)が、次々と新しいガイドブックのシリーズ、これまでとは違う、明確に個人旅行者をターゲットにしたガイドブックのシリーズを投入し始めた。その中のひとつに、僕も立ち上げ当初から今に至るまで関わることになる、とある海外旅行ガイドのシリーズものがあった、という訳なのだ。

 というわけで、簡単な自己紹介を兼ねて、旅行業界のここ数十年の変化についても、ざっと大雑把な概要を書いてみた。ここまで説明すれば、そろそろ本題に入ってもいいだろう。

 

 僕が本稿でこれから書きたいこと、それは、この旅行業界やガイドブック業界が、2000年代に入って以降、ネットやSNS、IT技術の進化やスマートフォンが普及したことの影響などで実際にどのような変化を遂げてきたか、あるいはこれから、本格的なAI時代やヴァーチャルリアリティ技術の発達を迎えて、この先どう発展していくのかとか、その手の業界の行く末や未来を予測すること、ではない。

 いや、もしかしたらそういう予想を書いてほしいというリクエストが多かったり、書いているうちに興が乗って、ついつい筆が滑ってときどき言及してしまったりすることもあるかもしれないけど、基本的に僕がここで書きたいこと、それは、自分なりに一人の旅人としてこの業界の一端に関わってきたがゆえに気が付いてしまったこと、普通の人があまり気にしないかもしれないけど、案外重要な旅というものが持つ、ある特性や性質について、である。

 それについて書くということはつまり、旅の本質的な意味というか、旅が人生に及ぼす影響と意義というか、旅と人生の関係というか、もっと噛み砕いて簡単にまとめて一言で言ってしまうと「旅とは何か?」ということについて書く、ということでもある。

 もっとも、そういうテーマを純粋哲学的に頭の中だけの議論として書いていく、というつもりもない。できるだけ具体的に自分の体験も交えて「旅」の本質に迫っていきたいと思っている。

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著者略歴

  1. 久保田耕司

    1965年静岡県出身。広告代理店の制作部からキャリアをスタート。90年代初頭から約1年ほどインド放浪の旅に出る。帰国後、雑誌や情報誌などエディトリアルなジャンルでフリーランス・フォトグラファーとして独立。その後、ライター業にも手を広げ、1997年からは、実業之日本社の『ブルーガイド わがまま歩き』シリーズのドイツを担当。編集プロダクション(有)クレパ代表。

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