採用電話は突然に
2024年1月刊行予定、『筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話』の一部を5回にわたって先行公開いたします。謎のマッチョ坊主に誘われ、軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した駐在員時代を振り返る回想録です。
なお、先行公開の内容は発売される書籍と一部異なる場合があります。
*
第3回は、面接で門前払いを喰らった一流商社から突然の電話、そしてナイジェリア行きが決まるまでのシーンをお届けします(第2回はこちら)。
やっぱり僕には一流商社なんて夢のまた夢だ。この先、二度と関わりあうことはないだろう。と思われたM社から連絡があったのは、それから2週間ほど過ぎたころだった。
バイトしていたエスニックレストランの黒電話が、旧式の着信音を鳴らした。すこし曇った日の午後だった。
当時、僕は八王子でウェイターのバイトをしていた。家には寝に帰るだけで、あとの時間はずっとお店にいた。ランチタイムが終わって休憩していた僕は、面倒くさいので無視をしていた。それでも鳴り続けるので、仕方なく電話に出た。
「M社のサノですけど」
と電話の向こうから事務的な声がした。最初は、市役所か税務署だなと思ったが、数秒してから突然記憶が甦ってきた。あの先日面接した無表情な人。バイト先の店の番号はお坊さんにでも聞いたのだろう。サノさんは余計な話を挟まず、「出前はやっていますか?」とでも言うように、いきなりストレートにこう聞いてきた。
「君はまだナイジェリアに行く気はありますか?」
口調は相変わらず素っ気ない。
「僕は行く気でしたが、面接であっさり断られましたよ(あなたにね)」と、ストレートを躱し嫌味をきかせて返事したが、サノさんは役者が一枚上手だった。
「実は、君以外の応募者が全員辞退したんだけど、君行く?」
これまた予想通りのストレートさで、予想外の内容を告げてくる。矢吹ジョーにクロスカウンターを喰らった感じだ。あまりに突然だったので、
「え? いや……あ……はい。僕はいつでも行きますよ」
と少し上ずった声で返事をする。カウンターパンチはかなり効いていた。
「じゃあ、すぐに本社へ来て。時間がないんだから」
時間がないのは僕のせいではない、と思ったが、僕は「はい。すぐに伺います」とウェイターのような返事をしていた。
サノさんはさらにとどめのパンチを放った。
「履歴書を忘れずに持って来てください」
……ノックダウンだ。
前回創作した履歴書は丸めてゴミ箱に奉納してしまっていた。また粉飾、いや創作しないといけない。前回の粉飾内容は忘れたので、新しく粉飾。たぶん前回とは違う内容になるけど、本人も忘れているのだから、向こうだって覚えてないだろう。
こうして僕のアフリカ・デビューはナイジェリアに決定した。
*
ところで、ナイジェリアって、どんな国なんだろうか。
ナイジェリア連邦共和国
1967年、独立から10年も経たずに、当時世界最悪と言われた内戦「ビアフラ戦争」が勃発。この内線は世界史の教科書にも載るほどの大きな被害を生み、推定で戦死者、餓死者合わせて200万人以上の犠牲者と、350万人あまりの飢餓者、難民を出した。人類史上まれにみる悲劇と言われる。内戦終結後も政情不安定は続いており、独立以来、合計7回のクーデターがあり、1993年からはナイジェリア史上最も独裁的な軍事政権が続く。最大都市ラゴスは世界で最も治安が悪い街として知られている。独裁者サニ・アバチャはノーベル賞作家や民主活動家を含む数々の政敵を投獄・死刑宣告し、国際的な非難を浴びている。(先行公開のための注記:情報は当時のものです)
ひとことで言えば、危険な軍事独裁国家だ。面接に来ていたあのエリートたちが全員ナイジェリア行きを辞退したのは、このためだったのだろう。
* * *
2024年1月刊行予定、『筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話』(石川コフィ 著)は現在予約受付中です。 書店店頭および各オンライン書店でご注文いただけます。
筋肉坊主のアフリカ仏教化計画
そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話
石川コフィ[著]
2024年1月 全国発売
46判上C・264頁 カラー口絵8頁
定価(本体1800円+税)
ISBN 978-4-393-49541-4
装丁:鎌内文
装画:千海博美