葉山の山中でお題目を叫んだけもの
2024年1月刊行予定、『筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話』の一部を5回にわたって先行公開いたします。謎のマッチョ坊主に誘われ、軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した駐在員時代を振り返る回想録です。
なお、先行公開の内容は発売される書籍と一部異なる場合があります。
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第1回は、著者の「僕」がナイジェリア赴任のきっかけとなった「お坊さん」と出会い、彼のお寺を訪れるシーンから抜粋をお届けします。
お寺は、神奈川県の葉山にある。「御用邸を見下ろす山の上に建っている」とお坊さんは得意げに言ったけど、実際は、お寺から御用邸は見えなかった。
東京の北西部に住んでいる僕は、ここまで来るのに西武線、山手線、東急東横線、横須賀線と乗り継ぎ、さらに逗子駅からバスに乗って約15分。葉山御用邸前のひとつ先のバス停まで、ちょっとした旅だった。バス停に着くとお坊さんは迎えに来てくれていて、一緒に軽い山道を登ってお寺に向かう。今回は袈裟ではなくてラフな作務衣姿。それもやはり体にしっくりとしているのは、体格がいいからだろう。道は未舗装の上り坂で、車や自転車は通れない。足元にはチョロチョロと水が流れている。両脇からは様々な木々が覆いかぶさり、いろんな種類の昆虫が飛び交っている。ほとんど獣道といったところだ。
獣道をサンダルで軽々と上っていくお坊さんの姿も獣のよう。必死で背中を追いながら、歩くこと約20分。坂を上り切ると突然目の前に、お寺が現れた。山道を延々と登った先には、〈まんが日本昔ばなし〉に出てくる山寺のようなものが建っている……と想像していたが、ごく普通の、平屋の住居だ。あまりに普通の家なので、拍子抜けする。建物は林と塀に囲まれていて、周囲は人が1人通れる
くらいの余裕しかない。お寺だというのに周囲にお墓はなく、林や塀の向こうにはお隣さんの家らしきものも見えた。
正面玄関に立つと、格子戸のガラス越しに高さ2mくらいもある日蓮聖人の座像が鎮座して、こちらを睨んでいるのが見えた。顔だけでも普通の人間の何倍もある。聖人は1段高いところに鎮座されているので、座っていても天井に頭が当たりそうだ。もし立ち上がったら頭は屋根の上へ突き出るだろう。そしてこっちに向かってきたら、僕は泣きながら今までの悪行の数々を懺悔して真面目に勤勉に生きていくことを誓うだろう……などと妄想した。
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〔一部省略。「お坊さん」の指示でお題目を大声で唱えるシーンがあります。書籍でお楽しみください。〕
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ひとしきり叫んだ後は、お坊さんの手料理の魚介の鍋をつつきながら晩酌。頂きものの日本酒を、けっこう飲んだ。日蓮宗のお坊さんが赤い顔をしてお酒を飲んでいるのはどうなんだろう。そう思ったが、お坊さんはこう言った。
「せっかく頂いたものを飲まないのはバチ当たりじゃ」
廊下には頂きものらしき日本酒(一升瓶)が20 〜30本ずらっと並んでいたが、赤い顔をしてそれらを全て平らげるお坊さんの姿が目に浮かぶ。 それでも鍋をつつきながら日本酒を飲み続ける。お坊さんの話も続く。
お坊さんはアフリカ全土ではなく、西アフリカにあるナイジェリアに仏教を広めようとしているのだという。
「ナイジェリアというところはキリスト教とイスラム教がいがみ合っている」
「はぁ……(もう鍋には白菜しか残ってない……)」
「人民が仏教を知らないからだ」
「ふーん。ぐびぐび(日本酒をもっと温めてくれないかな?)」
「ナイジェリアに仏教が広まれば、みな争いをせず、平和に暮らせる」
「へぇ、そうですか(なんの話だっけ?)」
鍋をすっかり空にしたあと、お坊さんはごはん茶碗にお茶を入れ、手でかき回し、米粒ひとつ残さず飲んだ。
結局僕らは2人で日本酒1升を飲み切った。
お坊さんの丸い頭はほんのりピンク色になって、なんだか少し卑猥だった。
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随分と酔いがまわってお腹もいっぱいになったころ、お坊さんは厳かに言った。
「君はナイジェリアに行きなさい」
「ワシの義理の弟がM 社にいる。そこがナイジェリアの支社長を募集している。紹介するからそこで働きなさい」
「M 社? ってあの天下のM 社ですか? そんなすごい会社に入って、しかも支社長になれるんですか⁉ そんなウマい話があるなら乗ります!」
M社といえば日本を代表する大手商社のひとつだ。だいぶ酔っていたし、お坊さんの言葉は自信たっぷりだし、僕は採用が決まったものと思って舞い上がった。宝くじにでも当たった気分だ。これが御仏の導きか! 声を嗄らした甲斐があった! たぶん御仏は少し耳が遠いのだろう。
お坊さんがなぜ自分で布教に行かないのか、ナイジェリアがどんな国なのか、なんてことは全く考えずに、僕は無邪気に喜んだ。
全力で叫んだ後に飲んだお酒の酔いと、天下の大会社へ入社が決まった喜びで、フワフワした気持ちでお寺をあとにした。帰るころにはすっかり陽も落ちあたりは真っ暗だ。「とにかく下って行けばそのうちバス通りのどこかに出るから、1人で大丈夫じゃろ」とお坊さんは優しく送り出してくれた。
街灯もない真っ暗な獣道を、時々足を滑らせながら下っていく。道の真ん中の小さな水の流れに足を踏み入れたりもしたが、水深は浅く、水は靴の中までは入ってこなかった。静かな夜で、虫の声と、小枝を踏んだ時の「パキッ」という音以外は、何も物音がしない。今日の午後の爆音題目は、かなり遠くまで響いたことだろう。
御用邸前のひとつ手前から乗った逗子行きのバスは、ほとんど乗客もなく、暗い夜道を静かに走る。トトロでも現れそうな夜だ。運転手も狸か狐ではないかと心配になり、フロントガラスに映る姿を何度か確認したが、中年男性がつまらなそうに運転しているだけだった。
後にアフリカン・バーを経営することになる僕は、この時まだアフリカに行ったことはなかった。
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2024年1月刊行予定、『筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話』(石川コフィ 著)は現在予約受付中です。
筋肉坊主のアフリカ仏教化計画
そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話
石川コフィ[著]
2024年1月 全国発売
46判上C・264頁 カラー口絵8頁
定価(本体1800円+税)
ISBN 978-4-393-49541-4
装丁:鎌内文
装画:千海博美