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まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した二年間の話

もし一流商社の採用面接に高卒ほぼ無職の30歳が現れたら

2024年1月刊行予定、筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話の一部を5回にわたって先行公開いたします。謎のマッチョ坊主に誘われ、軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した駐在員時代を振り返る回想録です。

なお、先行公開の内容は発売される書籍と一部異なる場合があります。

第2回は、著者の「僕」が「お坊さん」の紹介で、一流商社に面接に行くシーンを抜粋してお届けします(第1回はこちら)。

 


 

 僕は買ったばかりのスーツに身を包んで、都心の一等地にあるM 社のビルへと向かった。お坊さんがあまりに自信たっぷりにナイジェリアに行きなさいと言うものだから、「お坊さんの義弟さんは人事の責任者で、僕は特別に入れてもらえるのだろう」と思い、心も軽く面接に臨んだ。

 お坊さんはナイジェリア支社長の仕事を紹介してくれると言っていたが、M社が実際に募集していたのは、ナイジェリア支社長代行のポストだった(厳密には現地採用の契約社員なので、英語の肩書きが正式な職位だ)。仕事はただの留守番。支社には日本人が1人しかいないので、支社長代行といっても一応ついている肩書でしかない。しかし、「一応」でも「代行」でも構わない。何せ超一流の会社に入れるのだ。でも、その前にまずは準備が必要だった。そのころ僕は、スーツといえばバブル時代に購入したモノしか持っていなかった。しかもみんな肩パッドが入ったブカブカでペラペラのDCブランドのダブルのスーツである。さすがにそれではダメなので面接の前に渋谷に行き、大手チェーンのスーツ屋さんでグレーのビジネススーツを2万9800円で購入。同じ店のワゴンに並んでいた地味で無難そうな1000円のネクタイをつけて家を出た。靴は、やはりバブルのころ購入したイタリア製の小ぶりな革靴。

 沖縄から始まった桜前線も東北へ抜け、東京の桜はすっかり散ってしまっている4月の後半。僕は「天下のM社に特別待遇で採用されるんだ!」と、胸を張りピカピカのビルへ向かう。慣れない革靴とツルツルの床は相性が悪く、不思議とよく滑った。




 面接をしてくれた、人事部のサノさんは必要以上に正直な人だった。

 

 高層階エレベーターを出て人事部と思われる扉をノックした時、誰かの代理のような感じで現れたのがサノさんだった。

 歳は40にならないくらいの中肉中背で穏やかな感じのサノさんが、どことなく佐野史郎に似ているように思えたのは、名前のせいかもしれない。

 面接室の前には、高級そうなダークスーツを着た、僕よりもずっと若くて賢そうな男性たちが5人ほどいた。いかにも一流商社の駐在員にふさわしい、エリート風の男性たちだ。感情をあまり表に出さないサノさんは「石川君、ちょっと」と、5人を廊下に待たせたまま、僕を面接室の横にある、応接室へ招き入れた。浮かれた僕は、「さすがの特別待遇だな。面接も優先的に、応接室でやってくれるんだ!」とお坊さんのコネ(法力?)に感謝した。キリッとしたエリートたちに優越感をいだき、お題目の力を実感した。

 応接室の真ん中には、よくある低いテーブルをはさんで1人掛けが2脚と、3人掛けのソファが対面で並んでいた。テーブルの上の武骨なガラスの灰皿には、少しだけ吸ってすぐに消したような吸殻が2、3本。

 サノさんは3人掛けソファの真ん中に足を組んで座り、鼻から軽くため息をつき、口を〈ヘ〉の字に変形させた。僕はなんとなくお寺の太鼓のバチを思い出した。座るように促されなかったので、僕は勝手に1人掛けに座った。サノさんは定食屋のメニューのように僕の履歴書を眺めた。

 この履歴書は普通に自分の経歴を書いただけでは寂しいなと思ったので、少しばかりの粉飾、いや装飾を加えたものだ。天下の一流商社に敬意を表して、精一杯装飾してある。サノさんは数秒の間それを眺めたあと、両肩を2cmほど持ち上げ、額に少し皺を寄せて「サンマ定食ください」とでもいうように、さらっとこう言い放った。

 

 「君以外から選ぶから、君はもう帰って」

 

 ついでに履歴書もポイっと返してくれた。履歴書を返却するなんて前代未聞なのであっけにとられて見てみると、「下らないことに時間取らせやがって」と顔に書いてあるようだった。あるいは「お昼は何食べようかな」だったのかもしれない。

 サノさんは、人の良さそうな顔をしてストレートにモノをいう。けれども憎めない。爽やかさすら感じる。

 確かに僕の経歴は、いろいろと装飾してもなお〈高卒〉〈ロクな職歴なし〉〈現在ほぼ無職〉と3拍子揃っていた。僕はオーストラリアのダイビングショップや沖縄のホテル、新潟のスキー場のスタッフなど、その時に興味のあることを仕事にしていた。ジプシーみたいなものだ。天下のM 社でなくても書類選考で落とされるという確かな自信がある。

 サノさんは、必要以上には嫌な顔をしない。事務的に、帰りのエレベーターの場所と、「真っ直ぐ地下へ行かず一度受付で退館の手続きをするように」と伝え、「トイレはあっちです」みたいな感じで「ではさよなら」と言って、応接室の扉を開けて快く送り出してくれた。でも顔は僕の方ではなく、廊下で待つ5人のエリートたちの方を向いていた。

 突然、夢から醒めた感じがした。いくらなんでも大企業が高卒で無職の人間を雇うわけがない。お坊さんの徳がいくら高くても(高くないと思うけど)そんな人間を雇うほどの緊急事態ではないだろう。

 来る時の高揚感とは打って変わって、まるで奈落の底まで突き落とされたような気持ちでスゴスゴと退散した。なぜか帰りは靴が滑らなかった。

 


第3回はこちらからお読みいただけます

 

 

* * *

 

 2024年1月刊行予定、筋肉坊主のアフリカ仏教化計画 そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話(石川コフィ 著)は現在予約受付中です。 書店店頭および各オンライン書店でご注文いただけます。

 

筋肉坊主のアフリカ仏教化計画
そして、まともな職歴もない高卒ほぼ無職の僕が一流商社の支社長代行として危険な軍事独裁政権末期のナイジェリアに赴任した2年間の話

石川コフィ[著]

2024年1月 全国発売
46判上C・264頁 カラー口絵8頁
定価(本体1800円+税)

ISBN 978-4-393-49541-4

装丁:鎌内文
装画:千海博美

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著者略歴

  1. 石川 コフィ

    1967年、東京目黒区生まれ。高校卒業後、新潟のスキー場や沖縄のホテル、オーストラリアのダイビングショップなどのリゾートでの勤務、輸入雑貨卸商などの仕事を転々とする。1998年から2年間、大手商社でナイジェリアに駐在。軍事独裁政権から民主化を果たしたオバサンジョ大統領とも親交がある。帰国後、神楽坂にてアフリカン・バー〈トライブス〉を開業。旅行会社のアフリカ旅行添乗員としてもアフリカ各地のガイドを務めた。〈トライブス〉は移転した現在も荻窪で営業を続ける。

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