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“ちゃらんぽらん”でしたたかなゲノムたち──生命進化を語る 五條堀孝

ゲノムとは何か

DNA研究のはじまり

 2021年の5月に、約30年にわたって大変お世話になったイタリア人研究者、ジョルジオ・ベルナルディ(Dr. Giorgio Bernardi)博士が他界されました。享年93歳でしたが、亡くなる直前までお元気にメールでの交信を続けていましたので、しばらくは放心状態で仕事に手がつかないほどでした。

 ベルナルディ博士は分子遺伝学の勃興期であった1950年の終わりから1960年代の初頭にかけてカナダや米国で研究を行い、ヨーロッパに初めてDNA研究を持ち込んだことで有名でした。そしてその後、DNAは塩基という化合物が鎖のように繋がった重合体「塩基配列」であるとわかると、この塩基配列の大きな領域には、領域ごとの塩基の成分組成に大きな偏りが存在することを発見しました。そして、それが生物進化の環境適応と関係していることを生涯を通じて研究した高名な学者でした。ベルナルディ博士は、いわばゲノム構造における進化学研究の開拓者であり、ゲノム情報の進化研究をいち早く推進していた筆者は大変親しくさせていただいたのでした。そのため、普通なら葬儀に直ちに駆けつけるべき間柄ですが、コロナ禍の状況で筆者自身の身動きが取れないだけでなく、イタリアのコロナ禍情報も不足していて結局は献花を海外発送することでしか、当座弔意を示すことができませんでした。

DNAからゲノムへ

 そうした折、ナポリの臨海動物研究所(SZN: Stazione Zoologica Anton Dohrn, Naples) からベルナルディ博士を追悼する国際会議にて主講演を行う招待が舞い込できました。これは、生前ベルナルディ博士と筆者が「ゲノム概念誕生100周年記念学術国際会議」として企画していたもので、ゲノムに関係する高名な研究者を世界から招待して、その構造や機能そして進化といった観点から総合的にゲノム研究の歴史および最新の研究成果を発表し合い、情報交換を行うという趣旨でした。ちょうど「ゲノム」という用語が誕生して100年目となる2020年に、その開催を目指し、20世紀最大の功績とも評されるDNAの2重らせん構造の発見者、米国のジム・ワトソン博士を招待して、ナポリとローマで連続して行う計画だったのです。
 ワトソン博士が発見した2本の絡み合うようなDNA鎖が全体として有する構造機能が示されている情報としての総称、それが「ゲノム」といわれるもので、遺伝情報の総体という言い方もできます。「ゲノム」という用語の由来については諸説あるものの、なかでも最も有力なのは、1920年にハンス・ヴィンクラー(Hans Winkler)というドイツ人研究者が提唱した造語であったというものです。それはヴィンクラー博士が、「Gene(遺伝子)」最初の「Gen」と「Chromosome(染色体)」の最後の「ome」を融合させて「Genome」としたとするものです。なお、日本語では「ゲノム」といいますが、英語的に発音すると「ジノーム」となります。

 1905年にイギリス人遺伝学者・ウイリアム・ベイトソン(William Bateson)博士が「遺伝学」を「Genetics」として造語し、1913年にトーマス・ハント・モーガン(Thomas Hunt Morgan)博士がショウジョウバエを用いて染色体地図(Chromosome map)を作り出して、染色体上に遺伝子(Gene)が存在することを発見していきました。それは、DNAのことはまだわかっていなかった状況の中で、まさに遺伝学が勃興し、後に極めて重要となる概念が実験事実に基づいて次々と創出されてきたという時代背景でした。その勢いのある初期の遺伝学の潮流の中で、植物の染色体の倍数体を研究していたヴィンクラー博士からからすれば、この「ゲノム」という造語は至極当然だったのかもしれません。つまり、染色体という観察可能で全体的な実体と、「遺伝子」という機能的な個別概念を統一的に理解しようとすると、どうしても「遺伝子」と「染色体」を一緒に取り扱うような考え方の必要性に迫られ、「ゲノム」という造語に至ったものと理解することができます。

 そうした歴史的な理解を基礎に現代のDNAの知見を踏まえてゲノムを考えると、DNAは生体高分子という物質を意味するところが強い一方、DNAを遺伝子やその調節領域が多様かつ広範囲に連なった生命の設計図と捉えるときには、ゲノムと呼ぶのがふさわしいと考えられます。つまり、DNAに内在する構造的あるいは機能的な「遺伝的情報」を総体的に表現したのが「ゲノム」であったと言えるのでしょう。

木原均博士とゲノム

 この「ゲノム」に構造的・機能的な情報の意味合いを決定的に入れ込んだのは、コムギの染色体の進化研究で有名であった故木原均博士でありました。木原博士の有名な言葉に、「地球の歴史は地層に、生物の歴史は染色体に刻まれている」というのがあります。これは1947年に刊行された著書から後にまとめられたものと言われています。私が長年勤めていた静岡県三島市にある国立遺伝学研究所のセミナー室の入り口近くの壁に、青銅でできた大きな円形のレリーフとしてこの言葉が刻んで飾ってあり、セミナーがある度に木原博士のこの言葉を噛み締めていたのでした。木原博士は、ゲノム解析という手法でコムギの倍数体の進化的な変遷を追い続け、現代のコムギの起源がどの染色体の組み合わせであったかを発見しました。これは、染色体を「ゲノム」という概念で把握し、そこに遺伝現象の総体として機能や情報が入れ込まれているという理解がなければできないことでした。

 ちなみに、筆者が1983年にアメリカから初めて国立遺伝学研究所に研究員として赴任した際、生理遺伝学部門というところに配属となりました。この部門は木原博士が以前におられた部門でした。まだ、木原博士が使っていた大きな机が残っており、その机を筆者が使っていました。しかし、机の脚は4本とも腐れきっており、ビール箱を支えにされていたので、筆者が思い切って処分し新しい机に買い替えました。それを後で知った研究所の諸先輩たちから、「誰も捨てられなかった木原先生の机を、君はよくも思い切って捨てたね〜!」と言われ、文句をいわれているのか褒められているのか分からず、困惑してしまったことを覚えています。しかし今では、木原均博士の伝統を受け継いでいるという自負とともに、木原先生が長年使われた机を処分したことを大変光栄に思っているところです。

新型コロナウイルス変異株とゲノム

 新型コロナウイルスで新型の変異であるオミクロン株が出現したということで、世界中で大騒ぎになっています。これは、この7月に刊行した拙書『新型コロナワクチンと変異株」(春秋社刊)で予想した通りの展開となってきています。拙書では、変異株の源泉が今後ワクチン接種率の極端に少ないアフリカ諸国に移り、危険な変異株の出現とワクチンや抗ウイルス剤の開発スピードとの競争になり、あたかも進化学でいう「赤の女王」仮説に沿うような展開になると指摘しました。拙書は、とくに「変異株」にも焦点を当てウイルス進化の視点で変異株を正面から取り上げていたのでした。さらにこの変異株の正確な検出や今後の対応のためには、新型コロナウイルスの「全ゲノムシーケンシング検査」が必須であることを再三指摘しています。ここで述べた「ゲノム」概念で新型コロナウイルスを調べていかねばならないことは、極めて明確であると思われます。またオミクロン株の出現前に、自滅的と推測される変異が我が国で発見されて、これが日本で新規感染者数が激減している理由ではないかと議論されています。これも全ゲノムシーケンシング解析によってわかってきたことでした。

 ここで述べた「ゲノム」概念が新型コロナ対策の最先端で活用されていくことは、ウイルスゲノムの進化研究を端緒としてゲノム進化学の発展に長年尽力してきた身としては、さらに身を奮い立たせてこの研究に邁進したいところです。

 

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著者略歴

  1. 五條堀 孝

    1979年九州大学大学院理学研究科修了。理学博士。
    現在、アブドラ国王科学技術大学特別栄誉教授(サウジアラビア)、国立遺伝学研究所名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、早稲田大学ナノ・ライフ創新研究機構招聘研究教授、(財)遺伝学普及会代表理事、(財)マリンオープンイノベーション機構研究所長など多数を併任。日本遺伝学会会長、日本進化学会会長などを務め、現在(社)富士箱根伊豆国際学会会長、DNA鑑定学会理事長。2006年全米芸術科学アカデミー外国人名誉会員、2007年ローマ教皇庁科学アカデミー会員、2009年紫綬褒章、2013年世界科学アカデミー外国人会員、2015年欧州分子生物学機構外国人会員など分子進化や進化遺伝学の研究が高く評価され受賞。

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