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チョンキンマンションのボスは知っている――香港のアングラ経済と日本の未来 小川さやか

人生は商機とともに

 

 連載も残すところ2回となった。じつは連載を開始した当初の計画では、第11回は「チョンキンマンションのボス、母国に帰還する」というタイトルで書くつもりだった。というのも、カラマは、私と出会ってからこれまで幾度となく帰国の計画を話し、実際に帰国に備えた様々な工夫もしていたからだ。だが結局、2016年10月に出会ってから2年経過した2018年11月現在も、彼は香港に滞在しており、いまだ帰国する気配はない。そこで急遽、「チョンキンマンションのボスが帰国しないわけ」について書こうと思う。それを通じて、稼ぐことが彼らの人生における他者とともにある喜びといかに不可分かについて考えてみたい。

 いつでも帰ることができるから、帰ることができない

 2018年2月のある日、いつものようにチョンキンマンション前の横断歩道を渡った先にある灰皿の前でカラマと一緒にアテンドする交易人を待っていた。カラマが朝からため息ばかりついているので、何かあったのかと尋ねると、彼は、YouTubeに投稿されたタンザニアの報道番組の映像に友人が映りこんでいたという話を始めた。カラマによると、その番組では、ダルエスサラーム市の中心街で道行く人々に新政権に関する意見をインタビューする映像を流していた。彼がインタビューに応じた人の話に聞き入っていると、すぐ傍をみすぼらしい格好をした一人の男性が不自然な歩き方で通り過ぎた。その男性がカメラに気づいて顔を向けた瞬間、カラマは彼が学生時代の親友であることに気づいた。そして元親友が野次馬たちに押されてよろよろと道端に倒れ込んだのをみて、涙があふれてきたのだという。

「15年以上も会っていないから、何度も何度も映像を見返したんだ。でもあれは、確かに友人だったんだ」。カラマはそう悲しげに語った後、映像で見た友人の歩き方を実演してみせ、「こんなふうに脳卒中か何かの後遺症で麻痺が残っても、香港や日本の最先端の医療を受けたら治るものなのか」と私に尋ねた。私は「残念だけど、専門家じゃないのでわからないよ」と答えたが、カラマは、友人が香港で難民認定を受けて適切な治療をしたら治るという期待を抱いていたようだ。それから数日間、カラマは母国の人々に電話をかけたりSNSで情報を募ったりして友人を探していたが、めぼしい情報は得られなかった。しばらくして、カラマは「帰国したら、最初に彼を探すよ」と宣言した。そしてそれきり、彼の話をしなくなった。その代わり、帰国の計画について話す時間が増えた。

 香港のタンザニア人たちに「あなたは、いつ帰国するのか」と尋ねると、たいてい「まだまだ先だよ」「いまはまだ何も考えていない」という言葉が返ってくる。ただ、そのように語る人々も様々な事情で帰国を切望することがある。手酷い裏切りに遭ったり、自身や大切な人が病を患ったり、年老いた両親の介護が必要になったり、親戚から母国に戻って結婚しろと迫られたりといった事態は、香港のタンザニア人にとっても重要な岐路となる。

 彼らの旅立ちはいつも唐突である。数ヶ月ぶりに香港に出かけ、知人の動向を尋ねたら、「ああ、彼なら先月に帰国してタンザニアで結婚したんだよ」と告げられたこともある――最後に会った時には「俺が帰国するのはマグフリ政権が終わった後かな。いま帰っても良いことなんて何にもないさ」と語っていたのに。他方で「香港にはもう飽きた」「俺はもうすぐ帰国する」と語った人が、ちっとも動きはじめないことも非常に多い。彼らはいつでも帰国を頭の片隅に入れながら日々の暮らしのなかで準備しているので、その気になれば、いつでも帰国できるし、だからこそ何らかの「きっかけ」がなければ、動かないようにみえる。

香港での生活に埋め込まれた母国への投資

「俺は、(2017年)4月に帰国する」「いまの予定では(2018年)5月に帰国する」「今度こそ本当だ。(2018年)10月にはタンザニアにいる」と語りながら、一向に行動に移さないカラマの様子を見て、私は何が彼の帰国を阻む問題なのかを考え、そのつど疑問に思ったことをカラマに尋ねてきた。

 2016年12月にはじめて帰国の意思を聞いた時に私が抱いた疑問は、帰国後の生計手段についてであった。彼のように難民認定を受けて香港に長期滞在している者たちは、認定を取り消さないとパスポートを取り戻すことはできない。母国に帰ってから香港に戻ってきた場合、ふたたび難民認定を受けるのは容易ではないだろう。そうなったら、いまと同じスタイルでブローカー業を続けることはできないし、難民認定を受けた経緯や理由によっては、再入国自体が困難なケースもある。2000年代半ばから後半にかけての時期と比べて稼げなくなったとはいえ、母国で現在の稼ぎ口と同じくらいの利益を得られる仕事はあるのだろうか、後悔しないだろうか、それとも「隠居」してこれまでの稼ぎで暮らすのだろうか、と当時の私は勝手な心配をしていた。

 ただ、それが杞憂であることは、すぐに理解した。これまでにも触れたが、香港のタンザニア人たちは日々の稼ぎを母国の様々な事業に投資しながら暮らしている。中古車輸出業をしている者たちは自身のビジネス用にも中古車を輸出し、妻や親族をビジネスパートナーにして、母国で運転手を雇ってシティ・バスやタクシーを走らせている。多様な営業形態があるが、たいていは運転手たちに、一日または一週間あたりの一定額を車両利用料としてビジネスパートナーに届けさせる方式を採っており、走らせている台数が多ければ、かなりの稼ぎになる。またトラックを輸出して運送会社を経営したり、ランドクルーザーを輸出して旅行会社を経営することもある。親族に中古車部品の販売店や自動車修理店を経営させている者もいる。

 そもそも毎日のように交易人をアテンドし、彼らが成功したり失敗したりするのを目撃し――「すぐに戻ってきたら、稼げたということだ」と彼らは言う――、交易人たちのビジネスの相談に親身に乗っていれば、いまどんな商売が儲かるか、それにはどんなリスクがあり、何に気をつけるべきかなどが自然にわかってくる。稼げる商売がわかり、その時に資本があれば、自らも売れ筋商品を仕入れて輸出し、妻や親族に商売させてみるのは商人としてごく自然な行動である。彼らは、電化製品店や雑貨店などの既に母国で広く行われている商売だけでなく、香港や中国にあって母国にはない商売、例えば、ケーキの材料店やガーデニング専門店などの新規のビジネスにも挑戦している。

 カラマは、香港で得た稼ぎで広大な農地を購入したほか、ダルエスサラーム市に四棟のアパートを建築し、さらに故郷チャリンゼの幹線道路沿いのガソリンスタンドの横にミニスーパーを建設中である。ただし、これらの事業は当初から計画していたわけではないようだ。

 錦田(Kam Tin)地区の中古車集積地を一緒に歩いていた時に、カラマは突然に「ちょっと待っていて」と告げて、ビルの解体現場に入っていった。戻ってきたカラマは、私に次のように説明した。

「俺は、こんなふうに中古車を探すついでに鉄筋や建材を集めたんだ。(パキスタン系中古車業者の)モハメド兄弟に多様な建材を預かってもらい、アテンドした交易人のコンテナに隙間がある時にちょうどいいサイズの建材をついでに(無料で)運んでもらっていた。2008年頃から少しずつ輸出しているうちに、かなりの量の建材が(故郷に)溜まった。ただしコンテナの隙間に合わせたから(形状的に詰め込みやすい)鉄筋ばっかりになった。それで、これは(鉄筋を多用する)ビルを建てるしかないなと思ったんだ。(彼が手に入れた郊外の土地では)ホテルを建てても集客できるかわからなかったから、いざとなったらコンドミニアム型のホテルに転用しようとアパートを建てることにしたんだ」。

 このように彼らは、日々の交易人のアテンドやちょっとした好機を捉えて、母国で様々な事業を展開している。香港の仲間との関係は維持されるので、帰国後は母国のブローカーや輸入商としてTRUSTをはじめとするSNSを通じた取引に参入することも可能だ。第6回で述べたようにパキスタン系中古車業者の中には、アフリカ諸国に支店を開く者もいるので、彼らとのネットワークを生かして商売することもできるだろう。さらにカラマたちはSNSで膨大な数のフォロワーを持っており、広告塔として稼ぐこともできるかもしれない。少なくともカラマに関しては、帰国しても中流以上の暮らしは容易に実現できそうである。

 それでは、なぜ帰国しないのだろうか。私が「カラマが帰国したら、みんな寂しがるんじゃない」と軽口をたたくと、彼は「そりゃそうだよ。全員に引き止められるさ。特に女の子たちに泣きながら『行かないで』と言われたら、困っちまうよ。だからその時が来たら、誰にも告げずにこっそり出国するしかない」といたずらっぽく笑う。

 たしかに香港に後ろ髪引かれる人間関係はあるだろう。ただし、香港のタンザニア人たちの多くは、ひとたび帰国しても母国に長居するつもりはなく、香港に戻ってくる前提で帰国を語る。カラマは、「俺はもう半分アジア人なんだよ。だからタンザニアに帰っても1ヶ月が限界だ。すぐに退屈して香港に戻ってくる。あるいはサヤカが俺を必要とするなら、京都に行くよ」とどこまで本気なのかわからない顔をして語る――ある日突然に「サヤカ、関西空港に着いたぜ」という電話がかかってきたら、その時に考えよう。

 再入国の可否については何度も確かめたが、カラマはいつも「俺のケースは大丈夫だ。万が一だめな場合でもパスポートを別の名前で取り直せば、問題ない」と涼しい顔で答える。私のタンザニアの友人には、高校の入学試験を友人に代理受験してもらったことをきっかけに名前を変えてしまった者もいるし、タンザニアでパスポートを取り直すのは可能かもしれないとも思う――現在では、出入国の際に指紋認証や顔認証が導入されており、空港でお縄になるかもしれないが。

 ともかく再び香港に戻って来られると考えているなら、なぜ帰らないのかという疑問はますます深まる。私が辿り着いた暫定的な結論は、どのように母国に帰るのか、そしてどのように香港に戻ってくるかが重要なのだろうというものだった。そして、その望ましい形は、カラマ自身の意思によってだけでは実現しないようだ。

求められてはじめて、決断すること

 私はタンザニアに調査に出かけた際には、前回に登場したザビールだけでなく、カラマの妻を含めて香港のタンザニア人たちの家族に会いに出かけている。そして、ザビールの母と同じように、彼らの家族や親族、友人たち、村人たちから、香港で苦労している彼らを頼りにし、誇りにし、「凱旋」を待ちわびているという話を聞いた。「商売」のためにSNSで羽振りのよさを喧伝していることもあって、香港のタンザニア人の多くは、実態はどうであれ、母国の人々には海外でぼろ儲けしていると思われている。これらの故郷の人々の期待を背負うことは、なかなかハードな事態である。

 最初の回で私は、カラマが洗濯をしないという話を書いた。私は長いあいだ、カラマが着なくなった衣類を無造作に放り投げていたビニール袋を「ゴミ」だと思い込んでいたが、ある日、取引先の中古家電業者の倉庫で見覚えのあるビニール袋を発見して勘違いに気づいた。カラマは「俺は母国の人々にとってはスターなんだよ」と苦笑いしながら、これらのビニール袋のいくつかは、故郷の親戚や村人に配る「贈り物」として家電製品を輸出するコンテナの隙間に詰めるために取り置いてあるのだと語った。また、羽振りのよさを喧伝するためにSNSに投稿した自撮写真や動画を見た人々が「欲しい」と言った衣類は、商品(古着)として輸出し、転売して利益に変える。洗濯代が無駄だし、万が一洗濯してダメージが生じたら元も子もないというのが、カラマの言い分であった。

「俺は、香港に来てから一度も服を捨てたことはない。俺がアウトレット店で拾い出してきた服は、古くても売れ残りでも本物のブランド品だ。タンザニアに送れば、感謝する人々がたくさんいる。俺は、帰国する時には手ぶらで帰るよ。もしいままで一度も贈り物をしてこなかったら、コンテナ一台分の土産が必要になるだろうよ。それでも必ず土産の取り合いになる。だから『俺は手ぶらで帰る』と宣言して、帰る前から土産を贈っていたんだ」。

 カラマは着古した衣類だけでなく、贈り物を購入してもいる。広州市に三度目に出かけた際に、カラマに「広州から持って帰ってきて欲しいものがある」と頼まれた。以前に出かけた際には「誰の荷物も運ぶな」と忠告し、私が自主的に購入した土産を誰かに頼まれた荷物と勘違いして騒動を起こしたくせに自分の荷物は運ばせるのかと呆れつつ、「何を持ち帰ってほしいのか」と聞くと、子供たちへのプレゼントだという。香港よりも広州のほうが衣類雑貨は安いから、友人に頼んで買ってもらった物があり、代金はすでに支払い済みだと説明された。私は、数枚の衣類くらいならお安い御用だと考えて了承し、念のため大きなスーツケースを持って出かけた。

 だが広州市で受け取った荷物をみて、安請け合いを後悔した。大小さまざまなリュックサックが30個、スニーカーや子供服、文房具、玩具などが詰め込まれた35ℓのビニール袋が6つ。私は、親亀の上に子亀を乗せる方式で大きなリュックに小さなリュック重ねてまとめ、持ってきた自分の衣類を重ね着してスーツケースを空にして小物類を詰め、さらにスーツケースより大きなビニール製の梱包袋を購入して残りのリュックと衣類を詰め込んだ。そして達磨のように着膨れした格好で巨大なリュックを背負い、片手でスーツケースを引いて、もう片方の手で重すぎて持ち上げられないビニール袋をずるずると引きずりながら、香港に戻ってきた。

チョンキンマンションの玄関に到着した私は、疲労困憊だった。「頼まれた荷物が重すぎて、もう一歩も動けない。今すぐに迎えに来い」と不機嫌な声でカラマを呼び出した。カラマはシュワを伴って珍しく駆けつけてきた。さっそく「こんなに大量の荷物だなんて聞いていない。これは女一人に運ばせる量じゃない。そもそもこれって商品でしょう。子供への贈り物じゃないじゃん。嘘つき」と不満をぶちまけると、おろおろするカラマに代わって、私の荷物を軽々と担いだシュワが「まあまあ、落ち着いて」と穏やかに説明をはじめた。

 シュワによると、カラマは故郷のチャリンゼの子供たちの教育支援をしており、荷物はカラマ自身の子供たちへの贈り物ではなく、村の子供たちへの贈り物であったようだ。シュワに「村の子供たちは大喜びだよ。嘘じゃないよ。いつか連れて行ってあげるから」と宥められて、私はようやく冷静になり、いつも話半分に聞いていたカラマの「プロジェクト」の数々を思い出した。

 思い起こせば、カラマは出会った当初から教育の大切さを頻繁に語っていた。アジアで暮らして母国との教育格差に気づいたことが大きいようだ。ある時には「サヤカ、このチョンキンマンションで大学や専門学校で商学を学んだ人が何人いると思うか」と質問し、仲間の名前を一人ひとり挙げていき、「ほら誰もいない」と嘆いた。別の時には、香港タンザニア組合の現組合長と一緒に「日本とタンザニアの経済の違いについて講義してくれ」と私の力量にあまる依頼をしに来た。タンザニアから大統領秘書を務めている政府高官や教育省の役人が訪ねてきた時にも、農業開発や教育支援などのプロジェクトについて熱く語っていた。カラマは思いつきのようなアイデアを次々と語るし、相手の話に合わせてころころと夢を変えるので、私はこうしたプロジェクトにどれほど真剣なのかを図りかねていた。

 だが彼らが、彼らの凱旋を待ちわび、彼らを通じて何らかのチャンスをつかみたいと期待する故郷の人々のために何かしたいと考えていることは事実であり、おそらく誰かに「ぜひやろう」と求められ、それが無理なく実現できるチャンスだと踏んだら、その時こそカラマの帰還なのだ。

 カラマから「1ヶ月足らずで香港に戻ってくる」と聞いたとき、私は「ムリ、ムリ。知り合いに挨拶して回るだけでも1ヶ月はかかるでしょ。それでしばらく家族と暮らしたら離れたくなくなって、また空港で泣くくせに」とちゃかしたのだが、「俺は挨拶しに行くわけじゃない。やることやったら戻ってくる」と真剣な顔をして言われた。

 彼らは、インフォーマルかフォーマルか、規模の大小に関わらず、起業家であり投資家であり商売人である。それゆえ「純粋な慈善活動」はしないし、いつも利益とあわせて現実的なビジネスを模索する。例えば、現在は、ダルエスサラーム市の自宅のすぐ近くで、香港の湾仔(Wan Chai)にあるクラブ名を冠したバーを開店させている元香港・中国ブローカーのジョセフは、様々な工夫を凝らしてバーの収益増加を目指しながら、同時に「プロジェクト」の可能性も探っている。神奈川県で購入したという自慢のトヨタ・プラドでドライブしていると、「このあたりは急激に発展した地域で、まだ病院も診療所もないんだ。ここに病院を誘致したら住民たちは助かるし、病院経営もぜったいに儲かるよ。NGOでも企業でも興味がある知り合いがいたら、俺が仲介役をするって伝えてくれ。手数料はそんなにぼらないからさ」とまるできれいな景色を説明するように提案した。

 挨拶しに帰るわけではないというカラマの意図は、せっかく故郷に帰るならば、香港にいたからこそできること、香港からの遠隔指示ではできないことを「ついでに」やり遂げないと意味がないということだろう。なぜなら、繰り返すが、彼らは商売人であり、「商機なし」にはたとえ故郷だろうとどこにも行かないのだ。

金儲けと人生の楽しみ

 広州市で美容院を経営する傍ら、ハードウェアの輸出業やその他諸々の仕事をして莫大な利益を得ているチェスター(仮名)がいる。仲間の誰かの誕生日には、ボンゴ・ラウンジというアフリカレストラン兼バーを借り切って、アルコールのカートンを通路にあふれ出るくらいに積み上げて、一晩で数千米ドルを使い果たす。チェスターは若い頃にドバイに渡り、文字通りのハスラーをしながら、「やんちゃな」若者として名を馳せ、中国で事業を展開して成功した。

 2017年に短期で広州に出かけた時に、チェスターがブラジル料理を奢ってくれるというので、宿泊していたホテルの前で待ち合わせをした。1時間以上も遅れてきた彼から「俺はカラマたち以上に昼夜逆転の生活をしており、いままで寝ていたのだ」という開き直った弁解を聞いていると、一人の男性が無心にやってきた。チェスターは「俺は昨日、これから君には1日100元(約14米ドル)しか渡さないと言ったはずだ。今日の100元は、朝に渡しただろう」と断った。男性は「200元とは言わない。せめて150元ないと暮らせない。何とか助けてくれよ」と食い下がったが、チェスターは「(50元~60元する)タンザニア料理を食べるのをやめたら足りるはずだ。その辺のローカルな定食屋でなら、20元で腹いっぱい食える」と諭して追い返した。

 男性が立ち去ると、チェスターは「彼はアルコール依存症なんだ。俺は、彼が何をしているのかも何歳くらいなのかもどんな名前で呼ばれているのかも何も知らない。ただ、たくさん渡せば、(酒代に消えて)俺が彼の寿命を削ることになることは知っている」と説明した。私が「知り合いじゃないの? それなのに毎日100元ずつ渡しているの?」と驚くと、「依存症だと気づく前は、毎日200元渡していた」と淡々と返答する。さらに驚いた顔をすると、「サヤカ、知り合いじゃないから、金を渡しているんだ。知り合いなら、一日中俺の監視下に置いて面倒をみるさ」と残念でならないという顔をした。

 チェスターは、妻と一緒にたまに香港に遊びに来る。彼は早くに結婚したが、妻は彼がドバイで苦労している時に地元の富裕男性と浮気した。荒れた彼を慰めたのが、隣の家に住んでいた現在の妻であった。チェスターは成功してから、地元に豪邸を建設した。元妻は、チェスターが大富豪になったことを知り、現在の妻に対する嫉妬のあまり精神を病んでしまったそうである。現在の妻は、腕に夫の名前のタトゥーを刻み、どこへでもついて行く。

 さて、チェスター夫婦が宿泊するのは、チョンキンマンションの並びにある「ホリディ・イン・香港」(ツインルームで約180~250米ドル)だ。カラマは、チェスターから訪問の連絡を受けるといつも小躍りしそうなくらいに喜ぶ。彼は、中国でカラマのために仕立てたスーツを何着も土産に持ってくる。そして毎晩のように大勢の同胞たちを引き連れて食事に出かけ、大盤振る舞いをする。2018年2月にも豪勢な晩餐が続き、チェスターはどれだけ金が有り余っているのだろうと驚嘆していた。ところが、しばらくして私は、夫婦がホリディ・インホテルを引き払い、チョンキンマンションと同じような安宿が入るミラドールマンションへ引越しする姿を目撃した。

 声をかけると、チェスターは「しまった」という表情をした後、「内緒だぞ」と苦笑いしながら、「じつは金が足りなくなりそうなんだ」と告白した。私が「そりゃ、あれだけ奢りまくっていたら、足りなくなるよ。おなかを壊したことにして、しばらくみんなとご飯を食べに行くのをやめたら」と勧めると、「いいんだ。仲間を喜ばせるのが俺の唯一の楽しみ/娯楽(starehe)なんだから」と微笑まれた。

 たしかに誰かを助けたり、喜ばせたりすることはそれ自体、快楽である。誰かに必要とされ、その求めのいくつかに応じることができること、その何人かの希望を叶えることができることは喜びであるし、自らを誇る瞬間にも生きがいにも人生の目標にもなりうる。

 金欠だと言いながら妻や愛人たちに稼ぎを送金することも、9人の子供がいて稼いでも稼いでも学費に消えていくとぼやくことも、男たちは勝手だと言いながらもキベンテンに衣類を買い与えたり同胞男性にご飯をつくることも、香港タンザニア組合に寄付することも、交易人たちの土産物の買い物につきあうことも、故郷の人々に贈り物をすることも、プロジェクトをつくることにも、その営み自体に「快楽」があり「喜び」があるのだ。だが、当たり前すぎて、あるいはその快楽のもつ功罪に慎重すぎて、私はその事実を忘れがちだ。

 かつて調査したタンザニアの零細商人たちも香港のタンザニア人たちもみな、「人生は旅だ(maisha ni safari)」と語る。旅だと聞くと、旅の終わりが気になる。私は、彼らが現在の延長線上に単線的な未来を企図していないことも、「退職」や「老後」といった明確な区切りを意識していないことも頭では理解し、それを前提に記述してきた。それでも、いつかは自らの人生を穏やかに受け入れる各々の終着駅に辿り着くに違いないという想像から、私はなかなか自由になれない。香港の不安定な身分、ひとたび成功を掴んでもちょっとした不運や油断でジェットコースターのように転がり落ちる暮らしは、目的地に至るための旅の過程だという思い込みに、すぐに私は囚われてしまう。だが、日々の営み自体に実現すべき楽しみが埋め込まれていれば、一生を旅したまま終えても、本当はかまわないのだ。

 ただ先にも述べたとおり、そうした他者に必要とされる快楽、他者を喜ばせる快楽をストレートに表現したり追求したりすることに対して、私はつねに懐疑的であり、そして私自身の懐疑に解答を与えるために、本連載では、自発的な支援を促進しつつ誰にも過度な負い目を固着させない交易の仕組みや、「ついで」を組織するプラットフォーム型の組合活動について記述してきた。だが、彼らが大らかに「だって俺はチョンキンマンションのボスだから」と表明することで、自身が多くの人々に必要とされていることや愛されていることを言外に語っても嫌味にも驕りにも感じられない理由は、たぶん彼らが「ボスになること」も「愛されること」も目標にしていないからだ。彼らは商人であって、公式に表明している目標はあくまで「金儲け」であり、ボスになろうとか善き人間であろうとかしないからこそ、心置きなくボスとして慕うことができるのだ。

 実際に、彼らは他者に親切にすることで何らかの権力や地位を得ることにはほとんど関心がない。カラマはいつだって「ダメ人間」であり、彼をボスと慕う若者たちに相変わらず「本当にしょうがないおっさんだな。吸いすぎだぜ」とタバコを取り上げられている。チェスターがどんなに奢ってくれようとも、「あいつはマジでやべぇ。ぶっ飛びすぎだぜ」といった評価は変わらない。ご飯を食べさせてくれる顔なじみの売春婦たちは温かい人物であるが、裏稼業をしている時の彼女たちはやっぱり要注意な人物である。

 相手が何者で何をして稼いでいるのか、なぜ良い人なのに悪事に手を染めているのか、なぜ彼/彼女は私に親切にしてくれるのかといった問いと切り離して、共に関わりあう地点を見つけられるのは、彼らが商売の論理で動くからである。逆説的に聞こえるかもしれないが、誰もが、俺たちは金儲けにしか興味がない、金を稼ぐことは良いことだ、俺たちはどんな機会も自らの利益に換えてみせると公言しているからこそ、気軽に助けを求められるのだ。相手の求めをいかにしてwin-winな利益に変換するか、誰かとともに生きる人生の楽しみに変えるのかは、個々の商売人としての才覚に賭けられている。

 香港からタンザニアに出かける前に、現地で待つジョセフから「香港から持ってきて欲しいもの」をねだられた。最初は、香港や広州で世話になったからと気前よく贈り物を選んでいた私も、「ポロシャツが擦り切れた」「病気の友だちに大蒜エキスのサプリメントが必要だ」「スマホの保護シールが手に入らなくて困っている」などと次から次へとWhatsAppにメッセージが届くようになって辟易し、カラマに「ジョセフが調子に乗って、『あれ買ってきて、これ買ってきて』と際限なく要求してくる」と愚痴った。カラマはげらげら笑いながら、「ジョセフに言ってやれ。それで私にどれだけ儲けさせてくれるのかと」とアドバイスした後、「サヤカが迷惑なら、俺が彼の土産を買ってやる。後は任せろ。俺が二人とも儲けさせてやる。もちろん俺もな」とウインクした。

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著者略歴

  1. 小川さやか

    1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教を経て、2013年より立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(サントリー学芸賞受賞)、『「その日暮らし」の人類学』がある。

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