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チョンキンマンションのボスは知っている――香港のアングラ経済と日本の未来 小川さやか

「ボス」との出会い

 香港の一〇月は夏日であり、半袖のTシャツ一枚でも蒸し暑い。「玩具箱をひっくり返したような」とも形容される香港は、色とりどりの看板を掲げて夜遅くまで営業する店のあいだを、多様な人種・民族の人々が行きかうエネルギッシュな街だ。

 私は、二〇一六年の一〇月から半年間、在外研究のために香港中文大学に客員教員として所属した。香港の目抜き通りネイザン・ロード(弥敦道)に立地するチョンキンマンション(重慶大厦)の安宿にチェックインした私は、荷物を置くとすぐに正面玄関に引き返し、香港中文大学ゴードン・マシューズ教授を待つ。チョンキンマンションの玄関をスマートフォン片手に忙しそうに出入りするアフリカ系住民を何となく目で追いながら、私の頭の中はこれからのフィールドワークをどうするかという悩みでいっぱいだった。

 私は、もともと東アフリカのタンザニアで、マチンガと呼ばれる零細商人たちの商慣行や商実践について研究していた。最初にタンザニアに渡航したのが、二〇〇〇年度の冬なので、かれこれ一七年もタンザニアに通っていることになる。二〇一〇年頃から、香港と中国本土に様々な商品を仕入れに渡航するアフリカ系商人たちの交易活動に関心を持ちはじめ、このたびの学外研究では、中国―アフリカ諸国間の模造品やコピー商品とその比較対象としての中古品の交易システムを調査し、現代の海賊版ビジネスについて考察する計画を立てていた。

 客員教員として私を受け入れてくれたマシューズ氏は、アフリカをはじめ、南アジア、中東、中南米等、世界各地から零細な交易人や難民、亡命者などが集まるチョンキンマンションを舞台として民族誌(注1)を書いた著名な人類学者である。彼とは勤務する立命館大学先端総合学術研究科に特別講師として招聘したことをきっかけに懇意になった。マシューズ氏には香港に到着したら、チョンキンマンション内のインド料理店でディナーを食べようと誘われていた。

 チョンキンマンションの玄関に突っ立っていると、「部屋は予約しているか」などと声をかけてくる南アジア系の安宿の客引き、「オネエサン、ニセモノ、トケイ、ミルダケ」と片言の日本語で声をかけてくる同じく南アジア系のコピー商品の販売人に囲まれる。慣れてきたら、コピー商品の売人についていこうと密かにたくらむ。

 チョンキンマンションは、A棟からE棟の五棟で構成されていて、一階(香港はイギリス式なのでグランドフロア)と二階(ファースト・フロア)に、中国系と南アジア系の住民が経営する携帯電話販売店や雑貨店、ミニ・スーパー、レストラン等がひしめき、三階から一七階に数多くの安宿が入っている。チョンキンマンションのシングルルームは、シングルベッドを一台置くと、あとはようやく人一人が歩くスペースが残るばかりの極小の部屋に、シャワーを浴びれば、必ずトイレが水浸しになる極小のバスルームが備えられている。スーツケースを広げるスペースはまったくないが、思ったよりは清潔だ。長期滞在割引もあり、暮らしていけないこともない。

 

チョンキンマンション

 インド料理屋でマシューズ氏と彼の日本人の奥様であるヨウコさん、先生の院生さんたちと挨拶し、ひとしきり歓談を終えると、マシューズ氏からおもむろに、「どんな調査をする予定か」と尋ねられた。香港や中国南部の広東省広州市に集まるアフリカ系移民は世界中の人類学者から注目を集め、すでに多数の論文が公刊されており、日本語でも栗田和明氏が『アジアで出会ったアフリカ人』(昭和堂、二〇一一年)を出版している。そのため、独自の視点が必要であるというのがマシューズ氏の真意であると理解した。この時には、私は移民研究がしたいわけではないのだと説明したように思う。私はもともと贈与や所有、分配、市場交換、貨幣などをテーマとする経済人類学と経済思想に関心があり、コピー商品や模造品の製造や交易にかかわる実践を明らかにすることで、経済人類学の理論的な刷新や新しい経済思想に貢献することを企図していた。

 ところで、人類学のフィールドワークの醍醐味は、文献研究を通じて企図した内容とは違う「想定外の」発見にこそある。興味ぶかい出来事や事実に遭遇した時に柔軟にテーマや切り口を変更できるのもフィールドワーカーの資質である。と格好よく言ってみるが、要するに、フィールドワークで計画通りにいくことはめったになく、大部分は暗中模索なのだ。

 大学で諸々の事務手続きをし、非常勤講師室に机を借りたり、文化人類学専攻のセミナー(ゼミ)に参加したり、広東語学校に通って語学力を伸ばしたりといった日々を送りながら、私は調査の糸口をつかもうと、チョンキンマンションのエレベーターやコインランドリーで居合わせたアフリカ系住民を見つけては話しかけてみることを繰り返していた。タンザニアで暮らした経験を話すと、たいていのアフリカ人は興味を持ち、立ち話が弾む。しかし「もっとお互いによく知り合うために、今晩ふたりで飲みに行かないか」と誘われると、尻込みしてしまう。頭の中では詳しい話が聞けるチャンスじゃないかという声が囁くのだが、「オバサン」の年齢になった私にも一応、女性としての警戒心はあるのだ。そういうわけで二週間も過ぎると、調査の糸口すらつかめずに時間ばかりが過ぎていくことに焦りを感じるようになっていた。

 転機となる出会いが訪れたのは、香港に来て一ヶ月も過ぎる頃だった。その日、私は香港中文大学で、マシューズ氏と中国本土の広州市から電化製品を輸入しているボリビア人の調査をしているドイツ人の人類学者ジュリアン・ミュラー氏と一緒に、中南米・アジア・アフリカの三大陸における草の根のグローバル化の動態を比較しながら、その共通性や差異について討論するラウンド・テーブルを開催した。その後の懇親会ですっかり打ち解けたジュリアンと、チョンキンマンション内のレストランで飲みなおすことになった。

 正面玄関を入り、階段の手前で左に折れて、突き当りを左に曲がってしばらく歩くと、ナイジェリア料理を提供するアフリカ料理店がある。私たちは廊下に面した椅子に座り、ビールを注文し、居合わせたナイジェリア人たちを巻き込んで夜遅くまで議論した。ツイードの背広にハンチング帽を被った中年のアフリカ系の男性が通りかかった。一人のナイジェリア人が、「おい、カラマ」と彼を呼び止めると、「この女性はスワヒリ語が話せるらしいので、試しに何か会話してみて」と言った。私がスワヒリ語で挨拶すると、彼は「俺は、ミスター・カラマ。チョンキンマンションのボスだ」と自己紹介した。後にカラマは、「君が俺と最初に知り合ったのは類まれな幸運だった」と語ったが、その通りだったといま振り返っても思う。この日のカラマとの出会いを契機に、私は香港そして中国に居住するタンザニア人たちの商売や日々の仲間関係に巻き込まれていくことになったからだ。

 自称「チョンキンマンションのボス」とは、翌日の夜、近くの路上で偶然再会した。カラマに声をかけると、彼はとつぜん「あああ、君は遅かった。本当に残念だ。あと数時間早く俺に会うべきだった」と大げさに嘆いてみせた。どういうことかと尋ねると、その日は香港在住のタンザニア人女性の誕生日パーティがあり、多くのタンザニア人たちがお祝いに駆けつけたのだという。スマートフォン(以下、スマホ)のフォルダーを開き、主役だというドレス姿のタンザニア人女性や数多くの若者たちの楽しそうな写真をみせながら、彼は「スワヒリ語が話せる日本人を連れて行ったらみんなを驚かせることができたのに」と残念がる。さらに彼は、毎週土曜日に香港在住のタンザニア人たちが集う会合を開いているのだと説明した。

 そこに行けば、タンザニア人たちと一挙に知り合うことができるじゃないか。どうやらカラマは、旅行者と同じように私も数日後には帰国してしまうと勘違いしているようだ。改めて自己紹介をして三月まで香港にいることを告げると、カラマは手を叩いて喜び、「それなら来週末のタンザニア人の会合には絶対に来い」と誘ってくれた。ついでに「でも会合に行っても俺が合図するまでスワヒリ語がわからないふりをしていてくれ。スワヒリ語がわからないと思って彼らが君についていろいろと噂するのを聞いた後に、とつぜんスワヒリ語で話しかけて、あたふたさせてやろうぜ」と、にんまりしながら即席のドッキリ企画も提案した。

 カラマと電話番号を交換し、一日千秋の思いで一週間をやり過ごした。インタビュー項目のリストも作成し、万全の構えで翌週の土曜を迎えた。ところが、カラマは私との約束をすっかり忘れてしまったのだ。チョンキンマンションの正面玄関で安宿の客引きたちとコピー商品の売人たちの勧誘をかわしながら、約束の午前一〇時から昼過ぎまで彼を待った。何度かけても電話は通じない。

 諦めきれずにチョンキンマンションをうろうろして、ようやくカラマと連絡がついたのは、午後三時を過ぎる頃だった。電話口に出たカラマは、「ああ、ジャパニーズ。ごめん、ごめん。じつはケニア人の英語教師が中国で亡くなって昨日、緊急集会をしちゃったので、今日の会合はなくなってしまったんだ。まあ、昼ごはんでも一緒に食べようよ」と気さくにいった。あっけらかんとしたカラマの声に「何時間も待ったのよ」という怒りは失せてしまい、大人しく彼に連れられてタンザニア人の料理人がいるレストランに出かけた。

 遅い昼ごはんを食べた後も長々と話し込んでいたら、日が暮れていた。店を出て、「こっちこっち」と言いながらチョンキンマンション内をずんずんと突き進んでいくカラマについていった先で、私は唖然とした。なんてことはない。会合に行かなければ会えないと思っていたタンザニア人たちは、チョンキンマンションのすぐ脇の小道にたむろして、深夜まで雑談することを日課にしていたのだ。

ビッグブラザー、でもダメ人間

 カラマは二〇〇〇年代初頭に香港にやってきたタンザニア人の中古車ディーラーである。彼の笑いあり涙ありの波乱万丈なライフヒストリーは回を改めて紹介するが、カラマはなんとも形容しがたい魅力にあふれた人物である。

 彼は時々冗談っぽく「俺はもうジジイだ」としょげてみせるのだが、ふっくらとした丸い体つきに丸顔のカラマは年齢不詳で、実年齢の四九歳よりも若く見えることも老けて見えることもある。「カラマにあまりにそっくりだったので」と私がプレゼントした「パンダのTシャツ」を着てカンフーのポーズを決め、「一緒に写真を撮ろう」とはしゃぐ彼の精神年齢はもっと不詳だ。

 だが、カラマは「チョンキンマンションのボス」を自称するとおり、確かに多くの人々に一目置かれる人物であった。彼は、香港とタンザニアの間の草の根のインフォーマルな中古車ビジネスの開拓者であり、一五カ国以上のアフリカ諸国の中古車ディーラーとネットワークを持っている。香港タンザニア組合の創設者で、現副組合長である。香港にはじめてやってくる交易人たちは、先陣の交易人に「困ったことがあったら、カラマを探せ」と教えられるそうだが、事実、カラマは数多くの後続のタンザニア人たちの面倒をみてきた。チョンキンマンションで店を構えるアジア人たちからも慕われていて、喧嘩の仲裁に担ぎ出されることもある。スマートフォンのアドレス帳には、タンザニアの上場企業の社長からドラッグ・ディーラーや売春婦、元囚人まで多種多様な知人・友人が登録されており、三代にわたって大統領秘書を務めたという大物官僚が訪ねてきても、つい最近まで刑務所に収監されていたという若者が訪ねてきても、カラマはふだんの飄々とした態度をまったく変えることなく接する。

 「ムスリムは、四人まで妻を娶ることが出来る。だが平等に扶養し、全員を幸せにしないとならない」と語るカラマは、インドネシア人の妻との間に娘が、「ミス・ビクトリア湖岸地域」に選ばれたこともあるタンザニア人の妻との間に二人の息子がおり、それぞれに立派な家を建て、月々の仕送りをしている。最近では「もう妻はいらないけど、がつがつしていないジジイは意外とモテるんだ」とさりげなく自慢しながら、マダガスカル人のセックスフレンドと毎週末に密会している。

 しかし、ふだんのカラマは「ビックブラザー」であることを忘れそうになる「ダメ人間っぷり」を遺憾なく発揮し、若者たちに「しょうがねぇなぁ」といった顔で世話を焼かれる人でもある。お洒落が大好きなくせに面倒くさがって洗濯をしない。何回か着ると捨てるか誰かにあげるので無駄に衣類代がかかる。儲かる月には二万四千米ドルを稼ぎだすのだが、千ドルしか稼げなかった月でもおだてられれば、見知らぬ若者にまで気前よく奢ってしまう。結果、生活費に困って若者たちにカネを借りることになる。時間にルーズで約束をぜんぜん守らない。なのに不思議と誰からも憎まれないので性質【たち】が悪い――かくいう私も彼が大好きなので本当に困ってしまう。

 

ボスらしからぬボス、カラマ 

 カラマとの待ち合わせは、チョンキンマンションの二階にあるパキスタン料理店へと変更された。カラマはこの店の主人と懇意であり、いつも長机の一番端の椅子に何も注文せずに長々と居座っている。カラマがいうには、「この席は、俺のオフィスとして永久予約している」のだそうだ――だが、店が混んできて、「カラマ、そろそろどっかにいけ」と追い出される光景もよく目撃する……。

 私は昼ごろになると長机の一番端からひとつ横の椅子に座り、ジョッキ入りのホットレモンティーを注文して彼を待つ。カラマは、毎日のように「明日は、朝一〇時から香港の中古車業者を回る。サヤカに中古自動車の輸出業とはなんたるものかをみっちり教えてやる」「明日は一四時に中古車業者の〇〇と約束しているし、その前に中古タイヤも仕入れたいから、一一時ぴったりに出発する」などと宣言するのだが、時間どおりに現れたことは一度もない。カラマは夜明け近くまで母国の友人や家族とチャットをしたり、ネットサーフィンをしたりして昼夜逆転の生活をしている。親しくなってわかったことは、彼が起きてくるのは早くても昼過ぎ、たいてい昼の二時ごろで、遅いと夕方になることである。就寝中はケータイをオフにしている――またはバッテリーが切れている――ので、大事な用事がある時には彼を慕う若者たちが部屋まで叩き起こしにいく……。

 カラマは待ち合わせから二時間、三時間と遅れてきても悪びれる様子なく、「やあやあ」とにこやかに挨拶しながらやってきて、いつもの椅子に腰掛けると、まず私にタバコをねだる。チェーン・スモーカーであり、会う人会う人にタバコをたかるのだが、チョンキンマンションの住人たちは彼の健康を本気で心配して出し惜しみする。みな「これを吸ったら今日は最後にしろ」「今日、何本吸ったか答えられたら一本だけあげる」と渋ってみるが、最後は懇願に負けてタバコをあげてしまうのだ。

 タバコを獲得した後は、昨晩のネットサーフィンでみつけた動画や画像を延々と披露しはじめる。「レースの最中にラバが交尾を始めてしまう」「プールに飛び込もうとして、つるりと足からすべり落ちる」といった、しょうもない動画に逐一笑ってみせるのはなかなかの苦行だ。第一、私は中古車ビジネスのフィールドワークに一刻も早く出かけたい。「今日は中古自動車業者の〇〇さんと一四時に約束しているんじゃなかったっけ? すでに三〇分も遅刻しているけど大丈夫?」とせかしてみるのだが、「ノープロブレム、無問題【モウマンタイ】、ダイジョウブ」と一向に動じない。しかたなく動画や画像の披露が終わるのを待つと、次は腹ごしらえだ。ダイエットのため砂糖抜きのレモンティーを注文して「一ヶ月も経ったら、ハンサムボーイだ」と威張っていうが、定食を何杯もおかわりするので、まったくもって意味がない。それからも母国のタンザニア人たちとビデオコールをしたり――三回に一回くらいの割合で、カラマは私に電話を代わり、彼の友人にスワヒリ語で挨拶して驚かせてほしいと頼む――、ネットサーフィンしたり、通りかかるタンザニア人たちと歓談したりして、ようやく腰を上げるのはいつも夕方近くになってしまう。

 ようやく腰をあげても、チョンキンマンションの玄関まで行き、雨が降っていたり、風が強くて寒いとわかると、「やっぱり明日にしよう」と約束をすっぽかしてしまう。ハメハメハ大王のようだ。「今日は仕事しない」と決めると、「お腹がいっぱいなので、ちょっとだけ昼寝(夕方寝?)してくる」と宿に戻っていく。次にカラマに会うのは、夜の八時過ぎ、仕事を終えたタンザニア人たちが小道にたむろしはじめる時間帯である。寝起きの顔でやってきたカラマはまずみんなにタバコをねだり、ネットサーフィンの成果を披露して……以下同じ。

 このような日々を過ごしていると、大いなる疑問が沸いてくる。この人はいったい、いつ仕事をしているのだろう。こんなにだらけていて取引業者に怒られたりしないのだろうか。

国境を越えるインフォーマル・ビジネスと開かれた互酬性

 案の定、カラマは取引先から怒られていたが、彼が遅刻したり約束を破ったりしていたことは、香港の業者と巧みに駆け引きしたり、他の移民たちと渡り合っていくための戦略/戦術の一端を成していた。笑いのツボが違うのか、私にはちっとも面白くない動画や画像をせっせと集めるためにネットサーフィンをすることも、複数台のスマホを駆使してチャットしたりビデオコールをすることも――彼らは一台のスマホで電話しながら、もう一台のスマホでチャットが出来る――香港で商売をする上で重要な仕事のひとつであった。それどころか、「いたずら」だと思っていた、私に知り合いたちにスワヒリ語で挨拶させる行為も、面白いポーズをして私と写真を撮ることも、彼の商売の拡大にちゃっかり「私」を活用しながら、私の居場所もつくってくれるギブ・アンド・テイクな独自の知恵だった。さらにダメ人間の証左だと先に挙げた、洗濯しないで次から次へと服を買うことも、見知らぬ若者にうっかり奢ってしまうこともビジネスのしくみに組み込まれていた。遊んでいるようにみえることが仕事で、ダメ人間にみえることがボスたる資質であったのか。

 中国語はもちろん英語もあやしいし確たるビジネススキルもない、思いつきのように香港・中国本土の交易に乗り出すアフリカ人たち。彼らにはビジネスで成功できるか否かはともかく、とりあえず生きてはいける仕組みがあった。香港のアフリカ系住民たちのインフォーマル経済は想像以上に「今っぽい」。SNS上での商品オークション、異なる種類の電子マネーを扱うインフォーマルな銀行システム、クラウドファンディング、社会活動と連動するシェアリング経済……。と同時に人間が生きていくことの経済の根源的な姿を赤裸々に私たちに見せつける。

 生きることと経済が乖離しているような、巨大な虚構の世界の仕組みに活かされているような先進国の私たち。「今っぽさ」と根源的な経済の論理が人類史的に交錯する。彼らの生き様は未来の人類社会のあり方を模索する人たち、シェアやつながり、シンギュラリティやベーシックインカムに関心を寄せる日本人にヒントを与えてくれるだろう。誰も信用しないことをルールとする世界で、誰にでも開かれた互酬性を基盤にしたビジネスモデルと生活保障・セーフティネットを構築する彼ら。絆の強調、自由の強調、様々な局面で袋小路に入ってしまった日本。このエッセイでは、香港で生きるタンザニア人の生き様と彼らの織り成す経済の仕組を読み解いていくことで、タンザニア人からもらった知恵を日本人にお裾分けできれば、幸いである。

(注1)

Mathews, Gordon(2011) Ghetto at the Center of the World: Chungking Mansions, Hong Kong, The University of Chicago Press

関連書籍

18歳から考える経済と社会の見方

蔵研也著

匠の流儀 経済と技能のあいだ

松岡正剛編著

 

 

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著者略歴

  1. 小川さやか

    1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教を経て、2013年より立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(サントリー学芸賞受賞)、『「その日暮らし」の人類学』がある。

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