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チョンキンマンションのボスは知っている――香港のアングラ経済と日本の未来 小川さやか

チョンキンマンションのボスは知っている

 本連載では、香港に居住するタンザニア人たちの半生、ICTや電子マネーを駆使した交易のしくみ、香港タンザニア組合や日々の相互支援を通じたセーフティネットの構築、母国で展開する事業や人生設計などについて、「チョンキンマンションのボス」を自称するカラマを主人公に描いてきた。

 

 カラマは、私が彼を主人公にエッセイを書いていることを知っている。実際にカラマは、事あるごとに「サヤカはいま、俺を主人公にした物語を書いている」と仲間のタンザニア人や母国の友人たちに自慢げに語っている。私はよく「カラマがイスマエルに怒られたってエピソードを盛り込んだ」「Instagramができずにしょげていたという話を書いた」などと、本連載の内容についてWhatsAppのビデオコールなどを通じて話す。すると、カラマは「こうやって(肩を丸めて)カラマがしょんぼりしてたって? はっはっはっはっ」などと楽しそうに再現してみせたりする。

 だが、カラマの楽しげな様子を見ると、私は不安になる。9月に香港に出かけたときに、彼に「(日本語なので)カラマには読むことができないけれども、私が何を書いているのかが心配にならないの?」と聞いてみた。彼は、「香港の出入国管理局は、カラマ(という両親から与えられた名前)ではなく、○○(パスポートに記載されているイスラーム名)しか知らないから、問題ない」と答える。「そういうことじゃなくて、日本の人びとが自分をどう思うだろうかとか、私がおかしなことを書かないかが気にならないのか」と聞き直すと、カラマは「俺は、アジアで長いあいだ暮らしているので、アジア人たちが俺たちの何に驚き、何に関心を持つのかをよく知っている」と言いながら、不敵な笑みを浮かべた。

 「(日本で長く暮らしたことのある)イスマエルたち(パキスタン系中古車業者)もいつも言っている。日本人は真面目で朝から晩までよく働く。香港人も働き者だが、彼らは儲けが少ないことに怒り、日本人は真面目に働かないことに怒る。仕事の時間に少しでも遅れてきたり、怠けたり、ズルをしたりすると、日本人の信頼を失うってさ。アジア人のなかで一番ほがらかだけれども、心のなかでは怒っていて、ある日突然、我慢の限界が来てパニックを起こす。彼らは、働いて真面目であることが金儲けよりも人生の楽しみよりも大事であるかのように語る。だから俺たちが、子どもが6人いて奥さんも6人いるとか、1日1時間しか働かないのだというと、そんなのおかしいと怒りだす。アフリカ人は貧しいのだから、一生懸命に働かないといけないと。アフリカ人がアジアで楽しんでいたり、大金を持っていたり、穏やかに暮らしていると、胡散臭いことをしていると疑われる。だから俺はサヤカに俺たちがどうやって暮らしているのかを教えたんだ。俺たちは真面目に働くために香港に来たのではなく、新しい人生を探しに香港に来たんだって」。

 私が彼の教えをちゃんと消化したのかは心もとないが、確かにカラマたちが教えてくれた暮らし方には、私自身の先入観を覆すのに十分な仕組みと知恵があった。最終回では、これまで述べてきたことを改めて振り返りながら、彼らがどのように生きているのかを整理したい。

「ゆとり」のあるチョンキンマンションの暮らし

 カラマの印象は、第1回で描いた最初の出会いから2年以上経過した現在でも大きく変化していない。この原稿を書いている最中に、彼からWhatsAppにビデオコールがかかってきた。これから彼は、ココナッツミルク入りの魚のトマト煮込みを料理し、仲間たちと一緒に夕食を食べるのだそうだ。きっと夕食の後は、いつものパキスタン料理店の長机かチョンキンマンション脇の路地で仲間たちにネットサーフィンで見つけたコメディ動画を披露したり、母国の家族や友人とビデオコールしたりして過ごすに違いない。

 雨が降ったら仕事を休むハメハメハ大王のカラマは、これからも時々取引先の業者に説教されながら、誰にも従属しない自律した商売人であることを誇りにし、多くの業者に「やあ、カラマ、待ってたよ」「兄弟、昼飯を食べていけよ」と迎えられ、巧みな話術で対等に渡りあっていくのだろう。待ちに待った顧客が香港に到着したら、香港の豆知識を得意げに語り、彼らの希望に沿った現実的なビジネスを提案し、香港の業者との仕入れ交渉からナイトライフまで様々な便宜を提供し、彼を「ボス」と慕う後続の仲間を増やしていくのだろう。仕入れツアーの道すがら、「何かついていますよ」と嘘をついて道行く香港人と談笑するきっかけをつくったり、タクシー運転手を巻き込みながら即席レポーターを演じた自撮映像をInstagramに流したり、交易人たちの買いつけに便乗して様々なビジネスの好機を捉えようと知恵を絞ることも当たり前の日々として続いていく。そして休日にはセックスフレンドと密会し、クラブに出かけて売春婦たちの悩み相談に乗り、仲間たちと朝までパーティをするのだ。

 ビーチでのパーティの帰り道、カラマが香港の高級リゾートホテルであるゴールド・コースト・ホテルを指差しながら、「天然石の取引先に接待されて、あそこのオーシャンビューの部屋に宿泊したことがある」と自慢するので、「カラマの人生経験は、本当に豊かだね」と言うと、「(密入国した際に逮捕されて、同ホテルのすぐ近くにある)不法入国者の収容所の窓なし部屋に泊まったこともあるけどね」といたずらっぽく笑った。

 第2回で描いたように、高級ホテルも収容所も経験し、何百万を稼いだ月だけでなく若者たちに借金する月も乗り越えてきた「チョンキンマンションのボス」の半生は、波乱万丈である。カラマだけではない。第8、9回で取り上げたように、香港に逞しく乗り出していくタンザニア人たちの人生は常に順風満帆ではなく、不安定な身分ゆえの数限りない困難と、香港・中国の投機的で不確実な市場における失敗や窮地に彩られている。それでも不思議なことに、彼らの日常的な暮らしには、何かしら「ゆとり」のようなものが観察される。この「ゆとり」は、彼らが築き上げたシステムによって、彼らが他者と生きていく中で醸成した知恵によって自ら再帰的に生み出しているものである。

自他の「ついで」を飼いならす

 第3、4回では、香港のタンザニア人たちが不安定で不透明な生活における不測の事態を助けあうために、タンザニア香港組合を結成していること、さらに同組合が中国広州市のタンザニア人や、ケニア人やウガンダ人とも連携しながら、国境を越えた活動を展開していることを説明した。カラマが述べるように、ひとたびネットワークに参画すれば、世界各地に点在する同胞たちの支援によって、どこで死んでも母国に帰ることが出来る。だが、彼らの「誰かはきっと助けてくれる」という信念は、「同胞に対して親切すべきだ」という期待ではなく、それぞれの人間がもつ異なる可能性にギブ・アンド・テイクの機会を見いだす個々の人間の「知恵」に賭けられていた。

 実際に、彼らの組合は、相互貢献や相互扶助、すなわち互酬性の論理を基盤にはしていなかった。タンザニア香港組合の中心メンバーは、比較的長期に香港に滞在しているブローカーや売春婦であるが、アジア諸国とアフリカ諸国を流動的に行き来する交易人もそのつど潜在的なメンバーに含まれていた。災難は誰にでも訪れる。「商業旅行者たち」も香港や中国で困難に直面する。それゆえ、香港や中国に長期に滞在している者たちは必然的に、香港や中国に短期間しか留まらず、継続的な組合活動への貢献が期待できない者たちよりも、より多くの困難や死の解決に労力と金銭を費やすことになる。

 流動性の高い人々のあいだで組合への貢献度を調整することは難しい。また、難民や亡命者、不法滞在者、売春婦、少なからず脛に傷のある者たちで構成される組合では、「なぜ彼/彼女は助けられるべきか」「どこまで自己責任の範囲か」を問うことも困難である。さらに彼らのあいだでは、互いの素性や背景を詮索しないという緩やかな規範もある。

 組合活動への実質的な貢献度や窮地に至った原因を問わず、組合員の資格や他者への支援に関わる細かなルールを明確化せず、ただ他者の求める支援に応じるか否かを決める。そこで、「なぜ私だけが頑張っているのか」「なぜ彼/彼女はいつも助けられているのか」というメンバー間の貢献の不均衡さ、互酬や信頼がさほど問題にならない背景として、本連載では「ついで」の論理とICTを駆使した交易システムとの連続性を提示した。

 彼らの日常的な助けあいの大部分は「ついで」で回っていた。案内して欲しい場所が通り道なら連れて行くし、ベッドが空いていたら泊めてあげる。知っていることなら親切に教えるし、ついでに出来ることなら、気軽に引き受けてくれる。国境を越えた遺体搬送のプロジェクトも「ついで」の論理を基盤とした「連携プレー」で成し遂げられる。ブローカーは、交易人たちに手数料をもらう仕事の「ついで」に土産物の買い物やナイトライフの楽しみ方を教え、そして交易人たちは、母国の最新の情報を教えたり、コンテナやスーツケースに隙間がある時にブローカーたちの家族や友人への贈り物を届けたり、母国で行う事業の資材を「ついで」に運ぶ。誰もが「無理なくやっている」という態度でいるので、この助けあいでは、助けられた側に過度な負い目が発生しないのである。

 香港で様々なチャンスを掴んで多角的な事業を展開する彼らは、少なくとも見た目には忙しそうではなく、中には「俺は1日1時間しか働かない」と公言する者もいる。「ゆとり」を感じさせる暮らしは、これらの「ついで」の機会における親切を「自身の好機」へと変える「賢い」他者に対する、徹底的な受動性によって生まれている。

 香港のタンザニア人たちは「あれが儲かる」「この仕事にはこんな旨みがある」と様々なアイデアを語るが、実現に向けて着々と準備したりはしない。実際に彼らは、「ゆとり」どころか暇をもてあましてもいる。なぜなら、彼らは、偶然に出会った人びとに自身のアイデアを投擲し、自身の要望に合致する機会を持つ他者が応答する好機をただひたすら待つだけであり、事業計画を練ったり根回ししたりするために忙しく立ち回らないからだ。偶然に自身の働きかけに応答した他者によって商売や生き方を決めるやり方は、大海原にいくつもの釣り糸を垂らし、引っかかった魚でどんな料理にするかを決める方法と似ている。このやり方は、困難に陥った時の支援の求め方にも共通する。

 他者は、無理な相談はさわやかに聞き流し、自身の都合に応じて約束を反故にする。組合の会合への参加も寄付額も本当のところは誰も管理しておらず、仕事で都合が合わなかったり金銭的な余裕がなければ、貢献しなくても問題にならない。そもそも流動的に動きまわり、それぞれの人生を探すべく独立独歩で生きている他者に、自身の要望を叶えよ、素性の知れない私のすべてを受け入れよと強いることはできない。それでも投げ捨てたアイデアやSOSが必ず誰かには拾われ、思い描いていたものとは違っていても何らかの稼ぎ口や糊口が見つかっていくのは、彼らが他者の「得体の知れなさ」を「可能性」として歓迎し、上場企業の社長や大統領秘書だけでなく、アンダーグラウンドな仕事をする人々とも「ついで」の親切を提供しながら気軽につながろうとするからである。

 インフォーマル経済従事者の基本的特徴として指摘されてきたのは、「生計多様化」戦略と「ジェネラリスト」的な生き方である。不確実な状況では、収入源を一本化するよりも複数の収入源に分散投資することがリスク回避の重要な戦略となり、「スペシャリスト」になるよりも多様な仕事をある程度こなせる「ジェネラリスト」を目指したほうが生き延びやすいという議論である』(注1)。平たく言えば、「どの仕事が成功するかわからないが、どれかが失敗しても、どれかが生き残れば、食いつなげる」という論理だ。

 同様に、少数の人間と特別な関係を築き、そこでの信頼と互酬にすべてをゆだねるのではなく、なるべく多くの能力や資質、善悪の基準、人間性の異なる相手とつながり、そうした他者の可能性に賭けることは、「異質性や流動性が高くて、誰が応えてくれるかわからない」という状況における戦略として不合理ではない。

 このようにして、彼らは、他者の「事情」に踏み込まず、メンバー相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖拡大するネットワーク内の人びとがそれぞれの「ついで」に「できること」をする「開かれた互酬性」を基盤とすることで、気軽な助けあいを促進し、国境を越える巨大なセーフティネットをつくりあげていた。

 情報通信技術(ICT)やモノのインターネット化(IoT)、AI等のテクノロジーの発展に伴い、「ついで」の経済的な価値が注目されるようになった。組合活動を含めた彼らのネットワークは、UberやAirbnb、様々なSNSなどのプラットフォームと同じように人々の「ついで」を組織する機能を果たしている。だが彼らは、遊休資源や隙間時間の効率的な活用といった、目的的な経済の論理で「ついで」を組織しているわけではない。「ついで」は、その人間がもつ精神的/財政的/能力的/時間的な「余裕」「余力」である。彼らが「ついで」「無理のないこと」を強調するのは、それが与え手にとって有効に活用できる「無駄」だからではなく、「その取るに足らなさ」こそが、それぞれの人生を探しに香港にやってきて、それぞれのやり方で生きている個々の自律性、互いの対等性を阻害しないからである。

 このような「自律性」と「相互支援」を共に保証するしくみは、彼らがビジネスのために構築したSNS上のオークション・システムや電子マネーによるクラウドファンディングにも組み込まれている。

遊んでいることが仕事になる

 第5回から7回は、中古車交易を事例として、カラマたちの日々の商売について説明した。第5回で説明したように、香港のタンザニア人によるブローカー業とは、香港の地理や香港の業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系の顧客と、アフリカ系顧客のやり方や手口に不慣れで信頼できる顧客を見極められない業者とのあいだの「信用」を肩代わりすることで、「手数料」「マージン」をかすめとる仕事である。それゆえ、アフリカ系の顧客と香港の業者が直接取引を重ねることで信用を樹立すると立ち行かなくなる、あるいは自律性を放棄してどちらかのために働く「労働者」となるという不安定さをもっている。

 また第6回で説明したように、カラマたちの手数料やマージンは彼らが交易人に提供する香港での諸々の便宜に対しては支払われず、中古車の購入台数あたりで決まるものであるゆえに、労力対効果の意味でも顧客が母国に留まり、彼らに特定の商品の輸出を依頼することが望ましい事態であった。さらに仲間であると同時に商売敵でもあるブローカーたちのあいだでは「ニッチとしての客筋」に対する不侵犯が重視されているものの、それ以外の商品や仕入れ先、ビジネスのコツや交渉術などは、個々のビジネスの実行可能性を高める「コモンズ」として、みなでシェアしあうものとみなされていた。そのため、彼らの間では、目星をつけた中古車を別のブローカーに奪われてしまったり、自身が不本意に購入した中古車こそが別のブローカーが探していた車種であるといった「すれ違い」も生じていた。こうした事態に対処するため、彼らは複数のSNSを活用して「TRUST」というプラットフォームを構築していた。

 第8回ではTRUSTのしくみを説明し、彼らが、どのように商品やビジネスに関わる情報をシェアする「コモンズ」を協働で蓄積・創出し、個々のブローカーと商品をマッチングさせ、かつ顧客や仕入先の業者の都合に左右されずにビジネスを回しているかを明らかにした。

 TRUSTは、香港のブローカーとアフリカ諸国のブローカー・顧客をピァトゥピァで結びつけるプラットフォームであり、基本的な仕組みは、ヤフオクやメルカリなどの日本のオークション/フリマサイトと類似している。このプラットフォームに参加している買い手は、わざわざ香港に渡航しなくても、香港の複数の売り手が流している写真と情報、価格を比べて、妥当な値段で中古車を仕入れることができる。売り手は、自身が持っている顧客リストよりもはるかに多くの買い手を相手にして、香港でみつけた中古車をなるべく高く安定的に販売することができる。さらにTRSUTは、独自の方法で国境を越えた電子マネーによるクラウドファンディングを実現していた。それにより、彼らはすばやく仕入れ費用を集めると同時に、商品も販路も見つけられなかった者のサブシステンス(最低限の生存を支える基盤)を保証していた。

 ただし、TRUSTは一般的なSNSを利用しており、専門的なビジネスサイトとは「信用/信頼」創出のしくみが異なっていた。TRUSTは、取引内容がSNS上で記録され、不特定多数の第三者に開示されており、その気になれば、追跡できるという意味では、ある種の信用を担保するしくみになっている。

 だがこれはインターネットを介した取引すべてに当てはまる特質であるともいえる。TRUSTが基盤とするSNSユーザーは広義の「友人」である。それゆえ、取引相手の信頼を過去の取引実績等で評価する格付けシステムを欠いている。また専門ビジネスサイトの格付けシステムの有効性は、香港・中国の投機的な市場とブローカーたちの不安定な身分に照らすと、実際にあまり役立たないように思われる。

 TRUSTにおける取引相手の信頼は、コメディ動画等を含めた日々の投稿を通じた、より生々しくて個別的な、日々移り変わっていく人格的な理解によって生みだされていた。とりわけ第三者による特定のブローカーに対するといった感謝や友情等の表明は、その時々の取引相手の「一時的な信頼」を図るひとつの手立てとなっていた。

 香港のブローカーの社会的な身分は不安定であり、商売の浮き沈みも激しいため、特定のブローカーを「信頼できる相手」と「信頼できない相手」と仕分けるよりも、「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という観点に立って、個々のブローカーが置かれた状況を推し量ることが重要となる。ここにおいて誰かによる「あの時は、助かった」「彼は本当にいいやつだ」といったコメントは、少なくとも現在、彼/彼女は他者に親切にする精神的/物理的な余裕があること、それゆえ「この程度の利益では裏切らないだろう」といった「一時的な信頼」を生みだす根拠となりうるのである。

 逆に言えば、香港のブローカーたちが多くの取引相手を獲得するためには、見ず知らずの第三者を含めて多くの人びとに親切にしたり、タンザニア香港組合や仲間たちとのパーティで多くの人びとに愛されていることを、日々、SNSで喧伝したりしなければならないのである。そして、ビジネスに関わる利己的な関心と利他的なふるまいが分かちがたく結びついたプラットフォームが築かれていくことで、彼/彼女から私への親切に直接的に返済できなくても、それは彼/彼女のチャンスへとつながりうるし、私自身が別の誰かに親切にしたときその見返りをその人物から得られなくても、私はすでにチャンスをつかんでいるかもしれないという世界が築かれていた。このようにしてTRUSTでは、「負い目」を曖昧化しながら自発的支援を促進することで、「きっと誰かは助けてくれる」という、国境を越えた巨大セーフティネットが形成されていたのである。

 シェアリング経済やフリー経済に関する研究が述べるように、現在、世界各地でICTを活用した新しいプラットフォームが模索されている。いかにして安定的に効率的に取引を成立させるかという観点に立てば、TRUSTよりもはるかに洗練されたプラットフォームはいくらでもある。だが、安定性や効率性を追及し、TRUSTを市場交換に特化した専門ビジネスサイトに洗練させていくことは、香港でともに生きる仲間との共存や日々の喜びや遊びとビジネスとを切り分けることにつながりかねない。あるいは仲間への親切や喜びや遊びを仕事にするのではなく、稼いだり真面目に働くために仲間に親切にしたり喜びや遊びを探すという価値の転倒を生じさせることになる。カラマが述べるように、それでは楽しくないのだ。

「リアルな人生」のための「かりそめの私」

 第10回では、便宜的な恋愛や婚姻関係と香港の夜の仕事を紹介し、浮き沈みの激しい昼間の仕事と危うく怪しげな夜の仕事がどのようにつながりながら、彼らの日々の暮らしを成り立たせているのかを説明した。

「難民」「不法労働者」としての不安定な身分を解消し、香港で合法的に居残る道、あるいはアフリカ以外のどこか別の国で合法的に暮らす道、店を構えたり正式な契約書を交わすような取引を開く道をとる場合、その方法のひとつは、現地の人との婚姻である。「望ましい愛」の定義は文化によっても個人によっても異なりうるが、現地の人びとや香港で出会う外国人との婚姻には感情的・情緒的な繋がりが重視される関係ばかりでなく、市民権や経済的な利益を目的とする便宜的な関係もあるようだ。

 だが、香港に来た直後やビジネスに失敗して不安定な状態に置かれた男性ブローカーたちの生活をより基底的に支えているのは、香港の夜の街で白人相手に身体を売ったり、その他のアンダーグラウンドな商売をする同胞女性たちである。同胞の男性たちに故郷の料理を食べさせ、パーティ等の開催資金を提供し、セックスを含む細やかなサービスによって擬似的な家庭を形成する彼女たちは、香港のタンザニア人たちのサブシステンスの重要な基盤となるとともに、故郷との情緒的なつながりの結節点ともなっている。

 また彼女たちは、特定のタンザニア人男性のシュガー・マミー/スポンサーとして、SNSで喧伝する自撮写真を撮る彼らのためにブランド衣類を買い与えたり、ビジネスの資本を出資/補填したりし、日常的なビジネスを支えている。それらの異性関係は安定的なものではなく、ビジネスでの成功に応じて支える者と支えられる者は入れ替わっていく。

 こうした異性関係を通じて夜の稼ぎと昼の稼ぎは連動し、違法性の高い商売と合法的な商売のあいだで、男性と女性のあいだで、金銭やサービスが回っていく。それは、香港のタンザニア人たちが「ナショナル」なカテゴリーとしての「タンザニア人」ではなく、一種の「家族」「生計単位」としての「タンザニア人」を構成する背景になっているようにみえる。

 同胞だから助けあう必要があるといった強固な規範がなくても、彼らは、路肩での集まりからタンザニア香港組合まで「タンザニア人」として連帯している。そんな彼らは、私が「日本」や香港で遭遇する日本人に関心を持たない様子を見て、彼らは私に愛国心や同胞に対する愛情がないことを不思議がる。カラマたちも集まれば、タンザニア政府や大統領を批判するし、香港では「東アフリカ人」「アフリカ人」「移民」「チョンキンマンションの居住者」あるいは「イスラーム教徒」など様々なレイヤーのなかで自己規定を変容させながら、特定のカテゴリーを横断しながら暮らしている。文脈に応じてナイジェリア人もパキスタン人も「兄弟」と呼称されるし、「国際結婚」をしていたり、母国に帰る気はさらさらなく海外で人生を終えたいと語る者も多い。それでも彼らが「タンザニア人」という単位で群れているのは、香港の生活を「かりそめ」のものではなく、母国とパラレルに存在する、それ自体が価値をもつ「リアルな」ものとして紡いでいるからである。

 冒頭で紹介したカラマの語りで示されているように、貧しい国の出身の移民は一般的に、母国に残してきた家族や親族への送金や、帰国後の豊かな生活の実現のために出稼ぎに来ているものだと理解されている。だが、カラマたちと一緒に暮らしていると、香港への移住と金儲けが、遠く離れた母国の人びとのためだけではなく、また自身の将来の夢を実現する「手段」「プロセス」としてでもなく、香港での「いまここ」にいる自身と仲間たちとの生活のためにもあることを実感する。

 それは、彼らが日々かなりの金銭を仲間のために「消費」「浪費」していることにも示されている。金を稼ぐことは、「クラブ文化」や「誕生日パーティ」などの香港で見出した遊びや人生の楽しみのためにも、香港の「社会」で、「チョンキンマンションのボス」や「パキスタン系住民の兄弟」「シュガー・マミー」「ぶっ飛んだ若者」になるためにも、必要である。帰国するか否かに関わらず、彼らは「どこか」「いつか」のためではなく、「いまここ」にある人生を生きるために稼いでいるのである。

 他方で彼らは、香港の社会で「何者かになる」「何者かにならざるを得ない」ことの葛藤を、「俺たちは金儲けのためにここにいる」と公言することで軽やかに回避してもいる。カラマは確かに「チョンキンマンションのボス」だが、それは彼がチョンキンマンションに住み続け、後続のタンザニア人に香港生活を指南したり、彼らのトラブルを解決したりする限りにおいてである。「ボス」は、彼が香港での諸々の実践を通じて維持している「かりそめ」の姿でしかなく、稼いだ金銭や権力、実績によって永続的に保有する地位ではない――帰国したら、別の誰かが「チョンキンマンションのボス」になるだろう。同様に「彼/彼女は違法売春やドラッグの密輸をしているかもしれない」という危険な匂いも、香港の特殊な場所で生きる/金儲けするために「かりそめ」にまとったものでしかなく、彼/彼女の永続的な評判を構成しない。

 あくまで「金儲け」のために香港にいると表明しあうことが、バックグラウンドの違いや日々従事する活動の是非を超えて、香港のタンザニア人たちが気軽につながりあうことを可能にしているのだ。彼らは、互いの素性を詮索せずに偶然に出会った他者と気軽につながり、群れあい、金銭やサービスを回しあい、日々「ついで」の「親切」や「好機」を贈与しあう。

 偶然に出会った他者がもたらすチャンスによって、いかなる商売でも模索し、それによって何者にでもなる彼らは、どこまでもいっても「商人」である。と同時に「金儲け」という共通の目標を互いに承認しあうことで、他者との濃密で面倒な関係から距離を取ったり、自由にネットワークを出入りしたり、相手が要求を受け入れないこと、自身が要求に応えないことも許しあう。「金儲け」の目的は彼らを瞬時につなげると同時に、つながりを適度に切断することも可能にする。相手の求めをいかにしてwin-winな利益に変換するか、人生の楽しみに変えるのかに頭を使うのは、商人としてのそれぞれの才覚に賭けられており、彼らは他者の商人としての(ずる)賢さを信じることで、気軽に要求を押し付けあうことができるのである。

愛されているという根拠なき確信

 デジタル通貨やビットコインの研究者として知られる斉藤賢爾は、アメリカ合衆国のSF作家ブルース・スターリングの短編小説『招き猫』(注2)を紹介している(注3)。『招き猫』がアメリカで発表されたのは1997年で、物語の舞台は近未来の日本である。

 招き猫とは一種の巨大な互助ネットワークであり、人びとは現在でいうところの「人工知能」のようなポケコンを携帯し、「自立的なネットワーク贈答経済」に参加している。例えば、喫茶店で主人公の剛がモカ・カプチーノを注文しようとすると、ポケコンが鳴って同じものをもう一つ注文するように指令がくる。剛がもう一つ同じものをテイクアウトして公園に向かい、ポケコンの合図に従って見知らぬ男性にモカ・カプチーノを渡す。するとその男性はそれが好物であり、ちょうど飲みたかったと語る。このようにポケコンの指示に従って何かのついでに他者に贈り物を届けたり、ささやかな親切をしあうことで、ネットワークに属している人びとのあいだでは、各々が稼いだカネで満たすモノ・コト以外の様々な「必要性」「欲求」が循環している。

 斉藤は、こうしたSF的な贈答経済は、ICTやIoT、AI等のテクノロジーの発展により貨幣を(さほど)必要としない融通のソリューション(シェア文化)が形成されつつあるいま、現実化しつつあるのではないかと指摘する。

 カラマたちと一緒に暮らすと、私はしばしば不思議な気持ちに陥る。彼らはみな「誰も信頼しない」「誰も信頼してはいけない」という。そのくせ彼らは頻繁に「俺は、○○に愛されている」「○○は、俺のことが好きだ」と断言する。彼らは、参与しているネットワークに投げ入れた自身の要求やアイデアに偶然に応答する者が現れると、「彼/彼女は、私のことが好きだ」と語るのだ。誰も信用しない/できない世界で私に賭けてくれたのだから、「彼/彼女は私を好きにちがいない」という論理が成りたっているようだ。だがその逆に「彼/彼女は、私を嫌っている」「俺は○○が好きだ」という言葉はめったに聞かない。なぜかといえば、「ダメもと」で投げた要求やアイデアに偶然に応じてくれた他者こそが重要だからだ。応じなかった他者を気にかけてもそもそも「ダメもと」「偶然」なのだから意味がないし、自身が誰を好きであるかは、私自身の働きかけの成否に関係しない。

 私は、モノやサービス、情報がそのときに必要な誰かに自然に回っていくシステム、誰かに過度な負い目や権威を付与することなく回っていく贈答システムが市場経済の只中に形成されていくことに期待している。それが実現するなら、実は人工知能でも伝統的な宗教でも何でもいいのではないかと思っている。

 ただ「彼/彼女は、私を好きに違いない」という幸せな確信が繰り返し人生に起きるためには、人びとの偶発的な欲望や欲求が完璧にマッチングできるシステムではなく、「バグ」「エラー」が時々起きる不完全なシステムのほうがいいのかもしれないと思う。チョンキンマンションのボスは、不完全な人間とままならない他者や社会に自分勝手に意味を持たせることの重要性を知っている。彼らのしくみは、洗練されておらず、適当でいい加減だからこそ、格好いい。

 カラマに「だから俺は、香港で俺たちがどうやって暮らしているかを教えてあげたのだ」と言われた私は、「でも、私はあなたの優秀な弟子ではないかもよ。カラマが教えてくれたことや伝えたいことをちゃんと理解したかはわからないし、それに私が意地悪してカラマを極悪人のボスのように書くかもしれないよ。そうしたら、どうするの?」と聞いた。カラマは余裕たっぷりな顔をして、「大丈夫さ。サヤカが俺を大好きなことはずっと前から知っている」と断言した。それは事実だ。たが私がどうして彼を好きなのかを説明するのは、やっぱり難しい。

 

 

(注1)小川さやか(2016)『その日暮らしの人類学―もう一つの資本主義経済』光文社新書。

(注2)スターリング、ブルース(2001)『タクラマカン』小川隆・大森望訳、ハヤカワ文庫。

(注3)斉藤賢爾(2015)『未来を変える通貨――ビットコイン改革論』インプレスR&D。

 

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著者略歴

  1. 小川さやか

    1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程単位取得退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教を経て、2013年より立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(サントリー学芸賞受賞)、『「その日暮らし」の人類学』がある。

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