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スカートの裾を投げて――女性シンガーソングライターとポストフェミニズム 星川彩

「泣かないわたし」という選択

 わたしにはラジオを聴く習慣がない。「ラジオで偶然流れてきたビートルズに衝撃を受けて……」といった類の経験談には謎の憧れを抱いてしまうし、友人が『粋な夜電波』の名放送回について熱く語っている姿などを見ると、少し羨ましいような、恨めしいような気持ちになる。だがそんなわたしにも唯一、定期的に聴いていたラジオ番組がある。『miwaのオールナイトニッポン』だ。

 「miwa」という女性シンガーソングライターの存在を教えてくれたのは、当時仲の良かった男友達だった。彼はすっかりmiwaに心酔していて、こっそり彼のことが好きだったわたしは、毎週眠い目を擦りながらこの番組を聴いていた。我ながらなかなか健気である。まあ何にせよ、深夜にラジオを聴くという行為がもたらしてくれる幸福を知ることができたのは、幸運だったと思う。とはいえ、文字通り「不純な」動機由来のリスナーであったことは間違いなく、その意味あいは彼から借りたピンク・フロイドの『狂気』と大差なかった……かもしれない。

 さて、ほどなくしてわたしは歌をうたいはじめる。お恥ずかしながら、miwaを「女性シンガーソングライター」として改めて認識したのはこのタイミングであった。だが、長い髪を揺らしてギブソンのアコースティックギターを弾く彼女の姿は、なんだか遠い存在に思えた。その美しい佇まいは、音楽をはじめたばかりのわたしに、何故だかわずかな距離を感じさせたのである。

 それから少し経ったある日のこと。シンガーソングライターの友人と衣装について話す機会があった。その時「定番はこういう感じだね」と彼女が差し出したのは、他でもないmiwaの写真だった。彼女が着ていたのは可愛いビビッドカラーのニット。どうやらわたしは、miwaという存在の輪郭を捉えるのに、いつも時間がかかってしまうらしい。

 2010年にシングル《don’t cry anymore》でメジャーデビューを果たしたmiwaは、高校生の頃にはオリジナル曲の制作とライブ活動をすでに開始し、都内のライブハウスを中心に弾き語りでの演奏を重ねてきたという。彼女のキュートなスタイルや楽曲のあり方は、現在ライブハウスを拠点に活動する女性シンガーソングライターたちにも通じる特徴を備えている。いつかライブハウスの、女性シンガー限定イベントに出演したときに目の当たりにしたあの華やかさ。それに、ほんの少しの居心地の悪さ――それは女性シンガーソングライターとしてのmiwaに相対したときに感じた感情と、とてもよく似ていたのだ。

 とはいえ、音楽をはじめたばかりのわたしが感じたmiwaとの距離は、いったい何に起因するものだったのか。女性シンガーソングライターを研究の対象としているわたしにとって、改めてmiwaは重要な存在になりつつある。特に「泣かないから」「強くならなきゃ」という呼びかけを連ねた《don’t cry anymore》は、人生への前向きな力を感じさせながらも、心の揺らぎやすさを浮かび上がらせた楽曲と言えよう。

 このような「揺らぎ」を重視した主体のあり方は、彼女の音楽性を特徴づける、ひとつの重要な要素であった。同時期の彼女の作品であれば、悲しみや涙を抱えながら、自分のなびかなさを強調する《chAngE》、恋人との過去の思い出を反芻しつつ関係の修復を誓う《441》。この「揺らぎ」と決意の複雑な交差は、その後の女性シンガーソングライターの詞作にも影響を及ぼしているように思う。

 そこで連載第三回では、miwaが提示した揺らぎと決意の交差が、演奏空間で――特に、彼女がデビュー以前から重要な活動のフィールドとしていたライブハウスという場で――いかに共有されていったのかを考えてみたい。

 

出身地は、ライブハウス

 miwaはデビュー当初のインタビューで、自らの出自がライブハウスであることを繰り返し語っている。この語りは、単なる来歴の説明にとどまらない。その歌声がライブハウスという、生演奏の演奏空間から立ち上がってきたことを強調する機能をもつ。たとえば彼女は《don’t cry anymore》のリリースと同年のインタビューにおいて、ライブハウスでの活動を次のように振り返っている。

ネットでオーディション募集を見つけては自宅で作ったデモテープを送ったりしてライブハウスを巡っていました〔中略〕みんなあったかくて、ライブをやった事がないっていう事に配慮してくれて、ライブに慣れていない人たちや、ステージに初めて立つ人たちが出るように日をブッキングしてくれたりしたので、そういう心遣いに感謝しています。[引用者註:当時オリジナル曲は]4曲くらいしかなくて「シンガーソングライターズ・ディ」っていうのに、カヴァーを2曲くらいやらせていただいたりして(笑)[miwa, 2010]。

これは現在まで続くライブハウスの慣習のいくつかを示す、重要な証言として読み解くこともできる。たとえば彼女が言及する「ブッキング」は、イベント出演の手配を指す用語だ。ブッキングは、ライブハウスのスタッフとの交流を機に決定される場合もあるが[新山,2026:17]miwaの言うように、オーディションへの応募やデモテープの送付を通じて出演の機会が開かれる場合もある。

 サブスクリプションサービスや動画サイト、SNSが普及した現在でも、最初の出演交渉の段階で「その人がどんな音楽をやっているのか」を、音源や動画を通じて確認する作業は、重要な意味をもつ。もちろん、全てのライブハウスがこのようなシステムを採用しているわけではない。だが、その演者が出演に値するかどうかをあらかじめジャッジしておくことは、店側にとって重要な選別のプロセスとなるのだ。

 また、miwaが当時のオリジナル曲の少なさに言及しているくだりも面白い。ここでの「オリジナル曲」を「作詞や作曲を歌い手自身が担当した曲」のこととして理解してみると、ライブハウスにおける楽曲の扱いに関する慣習も見えてくる。これはライブハウスの出演者としての実感でもあるのだが、他の誰かが作った曲をカバーして演奏するよりも、自分のオリジナル曲を演奏すべきだという雰囲気は、たしかに存在した。

 急いで付け加えると、カバー曲を演奏すること自体が否定されているわけではない。カバーイベントやコピーを中心とした企画も存在するし、そもそも多くの演者は誰かの曲を歌うことから音楽をはじめている。だが、まずは数十人規模のライブハウスを拠点として、観客を増やしていくことを目指している演者には、オリジナル曲の存在がほとんど不可欠なものとして求められるのだ。

 それに彼女が出演したイベント名「シンガーソングライターズ・ディ」が示すように、ライブハウスでは一定のコンセプトに基づいてイベントが組まれ、それに応じて演者がブッキングされることも少なくない。詳細は明らかではないが、このイベントは特定の音楽ジャンルではなく「シンガーソングライター」という演者のスタイルに焦点が当てられていた可能性がうかがえる。

 このようにmiwaの発言から立ち上がってくるライブハウスの姿は、独自の文脈を持っている。それにこのような慣習をもつライブハウスの多くは、ステージと客席の距離感もまた独特なのだ。ゆえに以下では、デビュー曲である《don’t cry anymore》を、ライブハウスという空間との関係のなかで捉え直してみたい。この曲の歌声を、ライブハウスという独特の距離感のなかで鳴り響く声としてイメージし、聴き直すことで、そこにどのような主体のあり方が立ち上がってくるのかを考えてみたいのだ。

 

「泣かないと決めた日」はいつなのか

 既に述べたように、《don’t cry anymore》はmiwaのメジャーデビューシングルである。発売日の2010年3月3日にはshibuya eggmanというライブハウスでデビュー記念ライブが開催され、同曲も披露された。ちなみにeggmanは、現在でも女性シンガーソングライターの活動と結びついた場として言及されることが多く、miwaというアーティストと今日の女性シンガーソングライターのイメージの連続性を考えるうえでも興味深い。

 この曲はフジテレビ・共同テレビの共同制作によって放映されたテレビドラマ『泣かないと決めた日』のエンディングテーマでもあった。逆境に対する戸惑い、失望、それに抵抗する決意が繰り返し歌われる。揺らぎと決意を交互に描くこの曲は、パワーハラスメントに立ち向かう主人公の姿を描いたドラマの展開ともうまく重なる。それに1小節のイントロを経てすぐさまサビへと到達するあの疾走感は、迷いや葛藤を抱えながら前へ進もうとする感情のうごめきを表すのには最適だろう。

 とはいえ《don’t cry anymore》には奇妙な点がある。乗り越えるべき困難がどのようなものであるのか、その物語がほとんど語られないのだ。

ギリギリだって 一人きりだって
負けたくないの 冗談じゃないわ
I don’t cry anymore I don’t cry anymore
強くならなきゃ 言い聞かせてる
どんな時でも 泣かないから

ぬくもり感じ 眠ると幸せだった それが
永遠に続くと思ってた なのに
どうしてなんだろう 信じていたものは嘘だったの
こんな時そばにいてくれたらいいのに

震える足で 今踏み出したいよ
(miwa《don't cry anymore》より引用)

人間関係のなかで生じた違和感や喪失を示す「信じていたものは嘘だったの」「こんな時そばにいてくれたらいいのに」というフレーズはたしかに存在する。だが、それらはすぐに「踏み出す」「負けたくない」「強くならなきゃ」「泣かないから」といったフレーズによって、再び自己のマインドに向けられていくのである。

 そのことが最もわかりやすく体現されているのは、楽曲後半、いわゆる三度目のサビにおいて、伴奏がアコースティックギターのみへと切り替わる箇所だ。「ごめんそんなに強くないんだ」という弱気な歌詞と歌声が、その揺らぎを前傾化させたあと、すぐに「かすかな希望」を持ち続ける意思が高らかに歌われ、再び楽曲は疾走感を増していく。

 こうした「揺らぎ」をもたらす出来事の具体的な内容は、この曲のなかではほとんど語られない。彼女に何が起きたのか、誰とのあいだで、どのような関係が崩れたのかは明らかにされないまま、その語りはあくまで感情の水準に留まる。つまりこの曲の「泣かない」という強さは、特定の出来事に結びつかないことで、より広く共有されうるのである。この曲の主題は具体的な困難の物語ではなく、強さを誓う姿勢の背後にある不安定さだ。miwaの声は、それを実にうまく体現していると言えるだろう。

 

ステージ上の歌声を求めて

 さて、ここで改めて視点をライブハウスに戻してみよう。先ほど引用した《don’t cry anymore》デビュー時のインタビュー後半部には、miwaがライブハウスとそこでの演奏をどう捉えているのかがよく表れている。miwaは「ライブは好きですか?」というインタビュアーの率直な質問に対し、以下のように答えている。

はい! ライブは観るのも好きだし、やるのも好き。ステージに立って、お客さんに直接歌を届けられるっていう貴重な場所なので、楽しいですし〔中略〕CDでは届けられないライブ感というか、生のコール&レスポンス…お客さんから届いて、私が届けて、またお客さんから届けてもらってっていうやりとりが「繋がってる」って実感できるので、ライブで直接伝えたいっていう想いはすごく強いですね[miwa, 2010]。

 たとえばフィリップ・オースランダーは「ライブネス(liveness)」という言葉を用いて、音楽の「ライブ性」が複製技術――とりわけ録音技術の発展によって可視化されたことを指摘しながら、ライブパフォーマンスに認められる「ライブ性」がメディア技術と依存し、重なり合ったものであることを強調している[Auslander, 1999]。だがmiwaはライブハウスで歌うことの意義が「CDでは届けられないライブ感」であると語り、録音メディアとライブパフォーマンスの差異を、演者と観客とのあいだの相互的なやりとりに見出す。

 現にmiwaは「お客さんから届いて、私が届けて、またお客さんから届けてもらってっていうやりとり」を「つながり」として捉え、その場に居合わせた身体どうしのあいだで生じる応答の感覚に魅力を感じているようだ。miwaは自らの音楽を、ライブハウスという空間の性質や、そこで形成される関係性と深く結びついたかたちで理解していたのかもしれない。

 このような前提のもとで《don’t cry anymore》が聴かれることをイメージするとき、「泣かない」「強くならなきゃ」といった言葉たちは、より切実な響きを帯びる。自己を奮い立たせるためのフレーズはライブハウスという空間に置かれることで、単なる独白ではなく、他者とのあいだでやりとりされるものとして立ち上がる。眼前の誰かに届き、何かしらの反応が返ってくるかもしれない状況で歌われる「泣かない」という強さは、聞き手に自らの傷つきやすさを、より鮮明に伝えることができるのだ。

 

「泣かない」という強さの先にあるもの

 《don’t cry anymore》において提示される「泣かない」という強さは、単なる内面的な決意や独白にとどまらない。他者へと開かれ、他者からの応答の可能性にさらされながら立ち上がるものなのだ。特に、この曲がライブハウスで聴かれるとき、自己の強さと弱さとを同時に差し出す、ひとつの形式があらわれる。

 しかしながら、このような「泣かない」強さのあり方は、ある種の危うさも孕んでいる。自らの揺らぎや傷つきやすさを他者に向けて差し出すことは、当然それが他者に各々の形で受け止められる可能性をもつ。だが、とりわけライブハウスという親密な空間においては、その距離の近さゆえに、歌い手の感情や身体はより直接的に可視化され、共有されるように感じられる。

 音楽をはじめたばかりのわたしが感じたmiwaへの距離は、むしろここに起因していたように思う。演奏空間において直接的(であるかのように)共有される、歌い手の揺らぎと決意――それらが各々に受け取られるときに現れる何かが、わたしにとっては恐ろしかったのだ。

 《don’t cry anymore》の「泣かない」という言葉は、単なる強さの表明ではない。その強さがいかにして他者との関係のなかで支えられ、また揺らぎうるのかを示すものとして、その空間に響きわたる。それは完成された主体の声というよりも、他者に向けて差し出されることで初めて成立する、きわめて不安定な声なのだ。

 

参考文献

新山大河,2026年,「バンド活動とはいかなる社会的行為なのか?」宮入恭平編『ライブハウス・スタディーズ : 箱を取り巻く生態系 = Studies of Japanese live music venues』,ナカニシヤ出版

まさやん,2010年,「Artist Interview miwa」(https://mfound.jp/interview/miwa.html)[2026年5月28日閲覧]

Philip Auslander, 2022, Liveness: Performance in a Mediatized Culture, Routledge:London.

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著者略歴

  1. 星川彩

    1998年福島県いわき市生まれ。大阪大学大学院博士後期課程芸術学専攻音楽学研究室所属。専門はポピュラー音楽研究、ジェンダー論。主な論文に「音楽評論における女性シンガーソングライターとジェンダーロール ――「自作自演」と「自己表現」の言説を手がかりに」(『阪大音楽学報』第21号,2025年)、「欲望のまなざしに歌う――女性シンガーソングライター(SSW)のジェンダーポリティクス」(『阪大音楽学報』第20号,2024年)、「フォークゲリラと歌う声――身体のコントロールによる政治」(『ポピュラー音楽研究』第26号、2022年)など。東京都内のライブハウスを中心に、「星川あや」名義でシンガーソングライターとしても活動中。

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