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翻訳家、マインドフルネスを語る 穂積由利子

時間から抜け出すマインドフルネス

早朝から本格的な雨。トーク会場のギャラリー平左衛門に早めに着いたところ、正面の門がまだ閉じていました。困ったなと思いながら立っている間にも雨は降り続いています。荷物の中にはパソコンなどの機器や紙類などがありますので、防水シートはかけてありましたが、それでも心配です。庭の脇の入り口から入るためには、数段ですが、重い荷物を持って階段を上らなければなりません。時間はどんどん過ぎていきます。ああ、これはマインドフルネスのトークの最終回を迎えるわたしへのテストだと思いました。イベントの開催には、このような、計算に入っていない小さな問題はつきものでしょう。経験のないわたしが知らないだけです。小さな会場セッティング一つとっても学ぶことがこんなにあることに感動しながら、脇の入り口から入ることにしました。

   ウミネコの家族。子どもになにをおしえているのだろう?
(写真:穂積由利子 ※他もすべて)

 

 

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トロントの暮らしから

 

おはようございます。今日は4回目で、自己紹介は必要ないかと思いましたが、初めての方もいらっしゃるので、やはりさせていただきますね。

わたしは生まれて最初の25年は日本、次の25年は海外、また次の25年は再び日本で暮らし、今年75歳になります。これからの25年は、最期を迎えるまで5年になるか20年か、あるいは数年なのか、分かりませんが、最期の瞬間まで、「今、ここ」を意識して生きることができたらいいなと思っています。

今日は自己紹介として、トロントにいたときのお話をさせていただこうと思います。日本に帰国したのが2000年を迎える直前でしたから、今から25年以上さかのぼります。

わたしがトロントで住んでいた地域は、東ヨーロッパからの移民の人たちが大変多いところでした。隣の家に住んでいたのはエストニア人で、夫に先立たれた女性でした。エストニアはそのころ、旧ソ連に併合されていて独立など考えられない状況でしたが、その人は「必ず独立するんだ」と強い決意をもって言っていました(※エストニアは1991年に独立を回復)。2025年現在戦争状態にあるウクライナからの移民もたくさん住んでいました。

カナダは多文化主義といって、さまざまな文化背景の人たちが仲良く暮らすことを国の政策としていますから、幼稚園や学校の授業などでも、さまざまな文化について学びます。

この多文化主義に関して、とても感動した思い出があります。まだスイスからカナダに移って日が浅かった頃のことです。私たち家族はカナダ移民になりましたが、国籍は日本人である自分たちをカナダ人だとは思っていませんでした。

あるときわたしが、英語を母国語とするカナダ人の女性との雑談中に、「英語の発音が良くなくてごめんなさい」ということを言ったとき、「私たちは日本人の英語にも慣れなきゃね」という言葉が返ってきました。そこには、同じ「カナダ人」なのだから、イタリア語訛りの英語、スペイン語訛りの英語などと同じく、日本語訛りの英語にも努力して慣れるべき、という姿勢がありました。わたしはそのとき、多文化主義というものの、ふところの深さと温かさを感じました。

 

今日はここに、ウクライナのイースターエッグを持ってきました。イースターはキリストの復活を祝う宗教的な行事ですが、寒い冬のあと、春の訪れをお祝いするお祭りでもあります。卵が復活のシンボルになっていて、ウクライナでは、綺麗な模様を卵に描いて祝います。伝統的には生の卵を使って作るそうですが、これは、木で作った卵に絵を描いたものです。先ほど言ったようにトロントでわたしが住んでいたのが、ウクライナから来た人たちが多い地域だったので、装飾品として、近所のお土産屋さんで売られていました。ウクライナのイースターエッグは地方ごとに模様も違っていて、デザインにはひとつひとつ意味があるそうです。こちらに置きますのであとでご覧になってください。

今日の自己紹介はここまでといたします。

 

 

子どもの寝床

 

先回は、思いやりの心を作ることをテーマとして、身体のマインドフルネスを学びました。自分の身体の状態に気づいて、身体が緊張していたら、深呼吸して、緊張を緩ませること。そうすると、相手に対する態度、言葉、考えまでもが自然に変わります。緊張から出てしまう鋭い言葉のトーンが、優しく温かなトーンに変わるとしたら、それがどれほど人間関係を良くするか、想像してください。

 

ここにいるうさちゃん(演卓上のぬいぐるみ)は、わたしの緊張を緩ませるための存在です。見るたびに、可愛いなと思って、緊張が緩みます。大事なことは、自分が緊張していることに「気づく」ことです。そして、気づいたら何をするか、うさちゃんに目をやるのもいいですが、一番いいのは呼吸法です。私たちは自律神経を直接コントロールすることはできませんが、間接的にであれば、コントロールする方法があります。それが、呼吸です。

先日わたしは、朝から晩まで一日中、思い出すたびに、深呼吸をすることを試してみました。生活に飲み込まれてしまうと深呼吸をすることを思い出すこと自体が、結構難しいことなので、鍛錬としてやってみたわけですが、その日はすごく落ち着いた気持ちで過ごせました。状況が許せば、息を吐くときに、吸うときの3~4倍の時間をかけると、もっと効果があります。

 

マインドフルネス 気づきの子育て』の中で、著者が、家族の寝床について書いているところがあります。子どもと親がどういうふうに寝たらいいかに関する話です。「家族の寝床」という節で、「私たち夫婦が子育てを始めたころ、子どもは子ども部屋でひとりで眠るべきというのがこの国の世間一般の考え方だった」という文章から始まります。

わたしには2人の息子がいますが、それぞれスイスとカナダで生まれました。どちらもはじめから、子ども部屋にひとりで寝かせました。スイスで生まれた長男は、約半年の間、スイス人の知人から借りた、そば殻のようなものが入った敷布団付きの藤編みのベッドに寝かせていました。カナダ生まれの次男は、ごくありふれたマットレスのベビーベッドでした。

わたしは当時、少し違和感をおぼえはしたのですが、それが何から来るものかをじっくり考えたりはしませんでした。この本を読んだとき、違和感の正体が分かり、すごく心が痛くなりました。「消費者として」という節に、チャイルドシートやベビーカーについて書かれているところがあるのですが、「子どもがどういうものに触れているか、どういう体験をしているかに気づいてください」と著者が言っているんですね。人間という「動物」にとって、人の身体という温もりと触れ合うことがとても大事なことなのだと。

 

赤ん坊はちょっとの間だけ人に抱かれて運ばれたあと、車のチャイルドシートに乗せられる。目的地に着くと、チャイルドシートごと買い物をする店の中に運ばれる。買い物から帰宅したあとはベビーベッドに入れられるか、ベビーチェアの中だ。そのあとはベビーカーで散歩に連れ出されるかもしれない。これでは、赤ん坊はほとんど一日中無機質なものの中に入れられて、それに触れながら、受け身で過ごすことになる。 (p.249)

これと同じような育児をわたしはやっていたのです。夜にひとりで寝かせるぶん、昼はなるべく抱っこしてスキンシップをしようと思っていた記憶はありますが、足りなかったと思います。その上、昼に赤ん坊を座らせておく当時のプラスチックのバウンサーは、下の子どもが0歳のときにすでにわが家にありました。

赤ん坊がハイハイして動き回る時期に、赤ん坊を椅子に座らせておくことができれば、動きまわらずにいてくれるので、安心です。とくに、他に誰も赤ん坊を見てくれる人がいない環境では、とても便利です。でも、「子どもの体験としてはどうか」と考えると、体の自由がそこなわれるという体験を0歳からすることになるんですね。身体を自由に動かす体験が失われることは、赤ん坊の身体と心にとってどんな体験になるのか――そう考えたときに、わたしはゾッとしました。後悔する気持ち以上に、申し訳なかったと息子たちに対して思いました。

 

日本に帰ってきてから、親と子が一緒に眠る、共寝(co-sleeping)が、日本では少しも珍しくないことに気づいて、欧米との違いを感じました。この本によれば、欧米では、危険のない共寝の研究が行われているそうです。一般的に、日本では当然のように親と子は共寝をしていますが、マットレスを使うベッドではなく、布団で一緒に眠るという点が欧米とのちがいであり、日本の古くからの共寝文化を支えてきたポイントなのかもしれません。

 

シジュウカラの寝床

 

写真中央にシジュウカラがいる。右寄り下に見えるのが巣箱の屋根。

 

この写真は、3.11の震災のあった2011年に、シジュウカラが玄関そばに巣を作ったときのものです。それに気づいたのは、玄関前のベンチでコーヒーを飲んでいたときでした。目の前を何度も小鳥が飛んでいくので、不思議に思ってよく見たら、足元から1メートルの高さもないバードハウス(巣箱)の中に、シジュウカラが巣を作っていたのです。実はその年、カナダから持ってきたバードハウスを、単なるインテリアとして、ベンチの脇の夏椿の枝にかけておきました。気づけばその中にシジュウカラが卵を産んでいたのです。鳥にはインテリアだろうと関係ありませんね。

さあ、それからが大変でした。

巣箱の屋根はトタンでできていたので、きっと日本の日差しは強すぎるだろうと思って、暑い日にはジョウロで水をシャワーのように巣箱にかけて涼しくしました。

一番困ったのは、近所の猫たちでした。2、3匹巣箱に近づいてくる猫がいて、猫が姿を現すと、鳥が警戒の鳴き声をあげるのです。わたしは家の中で聞き耳を立てて、その声が聞こえるたびに、外に出て猫を追い払うことになりました。猫は玄関まわりの柵のすき間から入ってくるので、なんとか侵入を防ごうと思って、竹竿を使ってすき間をなくしたりもしました。巣箱を貸しておく「大家」として、自由に外出するのも難しくなりました。

そのうちに、親鳥が運んでくる餌が、最初は小さな虫だったのが、少し大きめの虫を運んでくるようになり、巣箱の中のひなたちの声がはっきりと聞こえるようになって、ひなが育っているのが分かりました。ある日、親たちの行動が違ってきたのを見て、巣立ちの日が近づいているのを感じました。わたしは、巣立ちのときに猫が巣の近くにいたらどうなるんだろうと、気が気じゃありませんでした。

そうして、ある朝早くのことでした。親鳥が導くように巣から出ると、子どもたちも一羽、また一羽と、地面(といってもコンクリートですが)に降りて、巣を離れていきました。家の中からそっと見ていると、子どもたちは全員、家の前の道路の向こうの草地に潜り込みました。無事に巣立つことができたのです。

その2日後だったと思うのですが、ふと外を見ると、シジュウカラの家族が全員で電線に止まっていました。もしかしたら、「あそこで育ったんだよ」と、子どもたちに育った家を見せに来たのかもしれません。震災からまもない、まだ電信柱が揺れて音を立てていた頃ですから、この小鳥の子育てに関わったことは、わたしの心を明るくしてくれました。

 

 

さて、その小鳥の一家が巣立って行った何ヶ月か後のことです。巣箱の中の掃除をすることにしました。巣箱の床は横からネジで止めてあって、外せるようになっていました。屋根と四方の壁の間には1センチぐらいの空間があって、空気が出入りするようにもなっていたのには、よくできているなあと巣箱の作りに感動しました。

それ以上に驚いたのは、床底の板を外したときです。巣箱の底に、厚さが4、5センチぐらいもある寝床がこしらえてありました。下の方は細かな杉の枯れ葉のようなものが幾重にもかさねられ、そして、ひな鳥が直接触れるその上の部分は、ふわふわの羽毛(?)が敷いてありました。さわってみると、すごく気持ちの良い寝床でした。

『マインドフルネス 気づきの子育て』を読んだとき、わたしはこのシジュウカラの寝床を思い出しました。昼間は子ども同士が肌を触れ合わせて育ち、夜は親鳥のぬくもりを感じて眠る。あのふかふかの気持ちの良い寝床は、わたしの子どもたちが眠った寝床よりも、ずっと安心と温もりを感じられる寝床のように思われました。はたして人間の赤ん坊は、あのシジュウカラの子どもたちよりも気遣いをされているだろうかとつい案じてしまいます。

 

(打ちわたを見せながら)これは、わたしが畑で育てて、わた屋さんで打ってもらった「わた」です。さわった感触が、シジュウカラのひながいた寝床ととても似ているので、皆さんにさわってもらいたいと思って、持ってきました。手の中で、じっと感触を味わってみてください。このわたの柔らかな感触に比べると、優しい手の感触さえも堅いと感じる柔らかさです。

私たちは、「触れる」というとき、どういうものに触れているのか、どんな声に触れているのかに、気づきたいものです。「琴線に触れる」という言葉がありますが、私たちは、手で、耳で、心で触れているわけです。「やさしさに触れる」ということはどういうことを指すのか、自分の声や言葉、しぐさに、常に気づいていることができるようにしたいものです。

 

日本在来のわた

 

ここで、先週短時間で行った、「身体の声に気づく」という身体のマインドフルネスを体験したいと思います。これを何ヶ月も続けるうちに、いつの間にか、自分の身体に敏感になります。また、自分の身体の部分に意識を向けること自体が、身体を思いやることになるのです。

では、身体のマインドフルネスを行なって身体の声に気づいていきましょう。

 

 

(実践については第2回のトーク中の「身体のマインドフルネス」をごらんください)

 

 

大惨事に満ちた生活

 

さて、今日のテーマは「時間から抜け出す」です。

「マインドフルネス」を世界に紹介したジョン・カバット-ジンが著した最初の本のタイトルは、『Full Catastrophe Living』=(直訳すれば、)「大惨事に満ちた生活」と言います。彼は、この本を書いた35年前に、アメリカ社会の日常を、まるで大惨事が起きている状態のようだと感じ、とても危機感を持ちました。そしてそうした中で、安心を感じる充実した生き方をするにはどうしたらいいかと考えました。

35年後の今、日本は、そのころのアメリカと似てきたと感じます。世界は日々劇的に変化し、私たちはその変化の模様を、さまざまなメディアを通して見せつけられます。今は、カタストロフィー(大惨事)の中にあるのは、アメリカだけではなく、世界全体だといっても言い過ぎではないように思います。普通に生活をしている人でもストレスのレベルは耐え難いところまで来ています。ほとんどの人が、常に時間に追われ、情報を追いかけて、せかせかしています。マインドフルネスは、そのような環境の中で生きる私たちに、「身体と心」が本来持っている知恵を使ってストレスや痛みや病気に立ち向かう方法を教えてくれます。

 

「今、ここ」の境地

 

ところで、日本には昔から、「今、ここ」という一瞬を捉える伝統があります。『マインドフルネス 気づきの子育て』の中で取り上げられている、良寛さんの詩を紹介したいと思います。

 

私たちは草を摘んで 良し悪しを競い 

また かわるがわる

歌を歌い 鞠をつく

私が鞠をつくと 子どもたちが歌う

子どもたちがつくと 私が歌う

時は忘れ去られ 飛ぶように時が過ぎる

近くを通る人たちが 私をふりかえって笑う

「どうしてあなたは 子どもなんぞと遊んでいるのですか」

私はおじぎをするだけで 答えない

何か言ったところで わかってもらえるだろうか

わたしの心の中を知りたいというなら こう言おう

時の始まりから いましかない ここで見るとおり それしかない  (pp.110〜111)

  

良寛が人々から非常に慕われていたことは、その生涯が今まで語り継がれてきたことから分かります。「良寛さんのような生き方は普通の人にはできないけれど、それが理想の境地でもある」と人々が考えていて、大事にされてきたということです。人々は、「自分たちはなかなかそうはなれないけど、そうしていられる人は尊い」と考えたわけです。「今、ここ」という、マインドフルネスの境地は、昔から日本人がそうなろうとして来た境地なのだと思います。時間から自由になった境地です。

 

もう一つ、日本の伝統から紹介しましょう。

 

「古池やかはづ飛び込む水のおと」 (芭蕉)

 

誰でも知っている松尾芭蕉の句ですが、ここには「明日」や「昨日」といった時間の概念がありません。あるのは「今」だけです。今の瞬間だけを意識すると、時間の縛りがなくなって、時間から解放されます。古い池があって、“かはづ”が飛び込んだ。水の音がした。古い池が何を表すのか、“かはづ”が何を表すのか、水の音は?――それらの解釈は研究に任せますが、この「境地」は、日本文化の中にあるものだと思います。ただ、その境地に至るには、やはり、何らかの鍛錬がないと難しいかもしれません。

 

マインドフルネス瞑想は、たった数分であっても、時間に縛られている状態から解放してくれます。それは、「“今”という静止した瞬間の中に自分を置くこと」だからです。そしてその静止した瞬間というのは、仏教でいうところの「空(くう)」。「時間がない」という意味において、永遠を体験するわけです。マインドフルネス瞑想によって、「今」という瞬間に身を置いて、「時間から抜け出す」ことを体験したいと思います。

 

それでは、「呼吸のマインドフルネス」を行います。(実践については、第1回のトークを参照)

今回は、瞑想の最後の部分に、自分の幸せ、家族の幸せ、そして世界平和を願う言葉を入れたいと思います。

最近の研究から、瞑想で「他人の幸せを祈る」ことを長く続けていると、細胞の寿命に関わっているといわれる、染色体の先端にあるテロメアという部分に影響を与えることが分かりました。テロメアは、加齢に伴って短くなるのですが、他の人の幸せを願う瞑想を続けていると、この短縮が抑制され、寿命がのびることにつながるのだそうです。他の人の幸せを願うと寿命がのびる結果につながることに、人間というものの本質を見る気がします。

 

ここでわたしの誘導のもと、呼吸のマインドフルネスを行い、最後に次のような言葉を加えた。

・わたしの家族○○、○○、○○が幸せでありますように。

・○○、○○、○○(友人、知人、知らない人)が幸せでありますように。

・世界の人びとが幸せでありますように。

・わたしが自分を傷つけませんように。わたしはわたしを愛します。

 

 

日々の鍛錬が育む平安

 

わたしが毎日瞑想をし始めて、3年ぐらいになります。朝起きてすぐと、夜寝る前に、座って行うことにしていますが、うっかりすると、忘れることがあります。忘れるときというのは、別のことに気を取られて、「今、ここを意識していない」わけです。そして、お布団に入ってから思い出して、もう一度起きて行うこともあれば、あまりに眠くて、「今夜はやめよう」と考えながら眠ってしまうこともあります。今のところ、自分はこの態度でいいと思っています。自分に無理強いすると、続かないかもしれないと思うからです。自分に無理強いするのは、マインドフルネスの7つの柱の精神からも離れています。ただ一つ、続けることだけは守っていこうと思っています。

 

最近わたしは、昔のようには焦りを感じなくなりました。元はとてもせっかちなところがあって、例えば、コーヒーをフィルターでいれるときなど、コーヒーが最後まで落ちるのを待っていられなくて、フィルターごと手で絞ったりしたものです。今は最後まで待っているのが辛くないので、そんなことはしません。

あるとき、母の介護と家事と翻訳作業の他に、たくさんのことを短時間で片づけなければならない日がありました。わたしは、意識して、階段を上がる足を速め、食事を作るのも手早くすませ、細かな仕事を次々とこなしていきました。その間、ずっと、「急いでしなければいけないから急いでいる」と意識して行動していました。すると、焦ることも、イライラすることもありませんでした。このとき、「時間がないこと」は「内面で平安を感じていること」とは関係がないと分かりました。

 

ここで、静謐さを体現することについて書かれているところをご紹介したいと思います。これは、『マインドフルネス 気づきの子育て』のエピローグ内、「一二のエクササイズ」の「7」に書いてあります。

 

静謐さそのものを体現するよう心がけましょう。それは、正式なマインドフルネスの鍛錬と形式ばらない鍛錬を長い間続けるうちに、自己認識が深くなって、自分の中で、快適さとくつろぎの感覚にふれあうことが増えることによって育まれます。  (p.415)

 

ここに書いてあるように、毎日正式なマインドフルネス瞑想を行い、さらに、日常の中で、「今、ここ」を意識するという形式ばらない鍛錬を長い間続けると、「今、ここにある自分」という自己認識が深くなるわけです。そして、自分の中で、快適さとくつろぎを感じるようになる、というのです。そうすると、快適なリゾート地でくつろがなくても、自分がいるところで、快適にくつろぐことができるようになりますよと、著者は言っているのですね。

この2つの鍛錬(定期的に行う「正式なマインドフルネス瞑想」と日常行う「形式ばらない鍛錬」)ですが、2つをセットで行うことで、「マインドフルネスの鍛錬」となります。2つの鍛錬の重要性については、「鍛錬とは育てること」(p.127)に詳しく書かれています。日常生活の中で行う形式ばらない鍛錬については、その1つとして、「1日を通して、自分の呼吸とつながっている」方法が紹介されています。これは、「今、ここ」の自分が呼吸していることを意識して、身体の状態に気づき、緊張していると分かったら、ゆっくりと深呼吸することを指しています。もう1つの鍛錬法である「正式なマインドフルネス瞑想」は、「呼吸のマインドフルネス」(第1回参照)が基本ですので、瞑想の実践を続けていただきたいと思います。

 

最近、本当にたまにではありますが、「自分を制御する」という感覚が、身体の奥の方から出てきたことに気づいています。これまでは、感情を抑えようとする力が外側から来ているように感じていました。内側からの「気持ちのようなもの」を感じるようになって、はじめて、これまでは外側からの力だった、と気づいたというわけです。

それを一度感じてからは、真に「制御する」ということは、外から、しつけのように押し付けられる力ではなく、内側から起こらなければならないものだとわかった気がします。そしてその「感覚」ですが、これは、生きとし生けるものの中に流れる、目に見えないエネルギーなのではないかと思います。先ほど、マインドフルネス瞑想を続けていると、自分の中に、快適さとくつろぎ、平安、そういうものを感じるようになると言いました。制御する「気持ち」も、それらと同じものなのかもしれません。

 

 ◊     ◊     ◊

 

これまで、「翻訳者が語るマインドフルネス」のトークに長い間参加していただき、本当にありがとうございました。これがきっかけとなって、マインドフルネスに興味をもち、鍛錬を始めていただければ本望です。ありがとうございました。

 

静謐さを体現する。

 

―(了)―

 

 


関連書籍

マインドフルネス 気づきの子育て

J.カバット-ジン&M.カバット-ジン著/穂積由利子訳

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著者略歴

  1. 穂積由利子

    1950年会津若松市生まれ。福島県立会津女子高等学校(現在の福島県立葵高等学校)、青山学院大学英米文学科卒業。1975年より25年間、スイス(バーゼル)、カナダ(トロント)で暮らす。ジャパン・コミュニケーションズ(トロント市:翻訳・日系紙担当)に勤務。日本語学校(日加学園)の教師・校長を務める。2人の子どもがいる。夫は、利根川進博士が1987年にノーベル医学・生理学賞を受賞することになった、「遺伝子再構成」のブレークスルーの実験を行った穂積信道(医学博士 分子免疫学)。詩脈の会(会津若松市)、NPOはるなか(同市)会員。NPOさとやま会員(流山市)。糸紡ぎを趣味とし「運河和わたの会」(同市)を主宰。訳書にウォーカー『バタードウーマン』(金剛出版)、バクスター『植物は気づいている』(日本教文社)、キャラハン『TFT 思考場療法入門』、アンドレアス『コア・トランスフォーメーション』、クドゥバ『こどものスモールトラウマのためにできること』(以上、春秋社)他多数。

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