マインドフルネスへのいざない
ジョン&マイラ・カバット-ジン著の『マインドフルネス 気づきの子育て』は、育児をテーマに据えながら、子育てにとどまらず、わたしたちの日常や人生そのものにも深い示唆を与えてくれる書です。
「マインドフルネス」という言葉は知っていても、忙しい生活に取り入れにくい、いまいち理解しづらいと感じる方も少なくないなか、本会は、マインドフルネスの実践者でもある穂積由利子さんを導き手として、そうした壁をこえ、「気づき」を参加者同士で共有できる貴重な場にもなりました。
その気づきを共有するさらなる試みとして、おはなしの内容を本ウェブマガジンに全4回にわたり掲載いたします。本作りの楽屋裏の話のほか、マインドフルネスを実践する時間も設けられています。ぜひご一緒にマインドフルネスを体験してみてください。(編集部)
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『マインドフルネス 気づきの子育て』の翻訳者として、トークをする気持ちになったのは、「読みやすい」という声がある一方で、「難しい」という声を聞いたからです。自分なりに、何が難しいのか、どうしてわかりにくいのかを、読者に直接触れることで確かめたいという気持ちがありました。そうでもなければ、マインドフルネスの熟達者でもないのに、「翻訳者が語るマインドフルネス」と題した1時間半のトークを日曜ごとに連続で4回行うといった無謀な冒険に挑戦することはなかったでしょう。
結果としては、非常に多くのことを学びました。
会場となったギャラリー平左衛門の由緒ある蔵は、こぢんまりとして、風情があり、マインドフルネスの話をするのにぴったりです。
その朝、トークの準備として最初にしたことは、環境づくりでした。チラシを見ただけで何者ともわからない私のトークを、おそらくは初めての場所に聞きに来る参加者には、自分でも気づかない緊張があるはずです。身体が緊張していると、話が心に入っていきません。緊張をほぐすために使ったのは、早春の高原の朝の、鳥たちのさえずりやせせらぎの音でした。CDをかけると、ほの暗い蔵の中に、森や小川を渡る春風が吹きはじめました。
午前10時。トーク開始です。
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お話のまえに
ちょっとドキドキしています。今日はここに、ぬいぐるみの「しろくまさん」を連れてきました。どうして連れてきたかというと、自分の心を落ち着かせるためです。
みなさんは、ジェーン・グドールという方をご存じでしょうか? 類人猿の研究の第一人者で、26歳という若さで、チンパンジーに会うために、身を守る武器も持たずにアフリカのジャングルにたった一人で入っていった女性です。60年以上前のことです。
今私が手にしているのは彼女が書いた本、“Reason for Hope”(邦訳:『森の旅人』※共著)です。この本の中に、「私の大切な旅のつれあいであるミスターH」という説明が付いた写真があります。ジェーン・グドールは世界中を旅して講演を行っていましたが、いつもサルのぬいぐるみである「ミスターH」をお供にしていました。私はこの写真を見て、自分もどこか知らないところに旅するときには、旅の仲間を連れていこうと思っていました。緊張したり不安になったりしたときに、仲間がいれば、そういう気持ちが和らぎますから。
『マインドフルネス 気づきの子育て』で私の略歴を読まれた方はおわかりだと思いますが、私は生まれてから25歳まで日本にいて、その後25年間はスイスとカナダに住んで、50歳のときに日本に帰ってきました。
帰国したあと、フランスのノルマンディーに行く機会があり、パリの空港でカナダから来る友人と落ち合うことになりました。そのときに思いついたのが、「しろくまさん」を連れていくことでした。まだスマホなどない時代です。友人と合流するまでは一人で不安なので、誰かそばにいてほしいと思ったのです。
でも、当時は、自分がどうしてそんなことをするのかが、はっきりとわからなかった。最近になって理解したのは、私はしろくまさんがそばにいて、しろくまさんに触れたり見たりすることで、「脳」や「身体」がリラックスする、ということ。そういうわけで、飛行機の中でしろくまさんを膝に乗せていたのです。
今日私は、自分にとって初めての体験であるトークをすることになって、すごく緊張するだろうと思いました。それで、自分をリラックスさせるために、しろくまさんを連れてきたわけです。人によっては、こういうものを子どもっぽいと軽く見る傾向がありますが、実は、脳が緊張するたびに、これを見ることでリラックスする効果が期待できるんですね。
さて、ここに、「うぐいすの一声笹やぶ明るうす」という俳句の色紙を飾りました。この俳句の作者はわからないのですが、色紙に絵と俳句を書いたのは、去年亡くなった私の母です。母はこういう色紙を何枚も残しました。
日本の文化には、「今、ここ」という、一種の悟りの境地があるんですね。「うぐいすの一声 笹やぶ」、までは、「今、ここ」で聴こえるもの、目に見えるもの、そしてその瞬間に明るくなるのは笹やぶではなく「自分の心の中」。この句は「今、ここ」の、自分の内側と自然という外側の一体化です。短い俳句の中に、「今、ここ」が表されています。俳句を「今、ここ」を捉えているものと見ると、「今、ここ」に在る、という、一種の悟りの境地であるマインドフルネスが、とても身近なものに感じられると思います。
デザインは語る
では、本の話に入ります。これが今回翻訳した本(『マインドフルネス 気づきの子育て』の本を見せながら)で、私が翻訳を手がけた本としては15冊目です。私は今年75歳になり、少しずつ目の調子が落ちて来ているので、翻訳の仕事はこれが最後になるかもしれないという思いもあり、いい本にしたいなあと願って取り組みました。
表紙のデザインを見てください。表紙というのは、大抵はじっと見るものではないと思います。書店で、パッと見て、いいとか悪いとか、その瞬間の印象だけで通りすぎてしまうかもしれませんが、実は、とても意味があるものなんです。
表紙の左上で、「気づき」をくちばしでつついているのはツバメです。ツバメというのは、私たちにとって身近な鳥で、子育てを始めから最後まで、実にオープンに見せてくれる存在です。ヨーロッパでも、幸福の王子というお話があるように、幸せを運ぶ鳥としてとても親しまれています。
そして、表紙の中央にあるのは月らしきものですが、月は、母性、愛情、などを表していると言われます。ありのままの自分という意味もあります。見る人によって受けとり方は異なりますが、デザイナーさんからこれが上がってきたのを編集者の方から見せてもらったとき、ひと目でいいなあと思いました。
つぎに、表紙(帯)の言葉に、「「今、この瞬間」にある。」とあります。これは、「マインドフルネス」を一言で表す言葉です。「今」という時を表している「この瞬間」……この瞬間の自分、この瞬間に体験していること、この瞬間に自分が存り、この瞬間に生きていること……それらすべてに気づくことです。
これから、私が、「今」と言いますので、ご一緒に「この今、この瞬間」を感じてください。
「今……今……今……今……この瞬間です」。
…みなさん、今、緊張しておられますか? もしかしたら、私の緊張が移っていることもあるんです。人って微妙な次元で影響しあっていますから。だから、緊張をほぐす動作をしましょう。(ここで緊張を緩ませる動作を全員で行う。)この動作が心を開いてくれます。早く行うのはよくありません、ゆっくりやりましょう。
毎日が祝福
つぎに、2冊の原書をご紹介します。1冊目(写真左)は1997年の初版、2冊目(写真右)は初版が出てから17年経って書かれた改訂版です。はじめ私は、初版を取り寄せて読みました。その後、訳すことが決まってから、春秋社から改訂版が送られてきました。
読んでみると、かなりあちこち書き直されていました。というのも、最初の本はカバット-ジン夫妻が子育て中に書かれたもので、後の本は、孫たちが生まれてから書かれたもの。それで、子育てに関する見方が違ってきた、理解が深まった、と著者自身が「改訂版に寄せて」の中で言っています。
最初の本の表紙はハスの花のデザインです。本の中では大英博物館にあるハスの花のレリーフが使われています。このことから、ジョン・カバット-ジンが、禅瞑想から宗教的な面をなくした「マインドフルネス・ストレス低減法」(あとでふれます)を開発したあとも、仏教的なものを大切にしていることがわかります。
また著者が祖父母になってから書かれた改訂版の本の表紙はタンポポのデザインです。タンポポは、綿毛によって種が上へ上へと飛ぶことから、霊的に上昇することも表しますが、種子が飛んでいってそこから新しい命が生まれることから、再生や生命のサイクルをも表していて、そういう意味も含めて使われているのでしょう。このように、表紙というものは、本の内容をよく表しているものです。
ところで、原題は、“Everyday Blessings”といいます。訳すと、「毎日が祝福」「毎日の祝福」となるんですが、この本では、「子育てはすごく大変、困難な仕事、修行の連続」と言っているわけです。しかしながら、著者はそれだけではなく、「子育ては難行苦行だけれども、実は、わたしたちが成長するために与えられている祝福だと思います」と言いたいんだと思います。その上で、サブタイトル "The Inner Work of Mindful Parenting" の "The Inner Work” とは、「内面でする仕事」という意味ですから、「子育ては心の修行です」と明快に述べているわけです。
邦訳書の表紙(帯)にあるコピーでは、The Inner Work を、「心の修行」としないで、インナーワークとカタカナで表しました。「修行」という日本語の言葉を使うと、「宗教的色合い」が濃くなって、マインドフルネス・ストレス低減法を開発したジョン・カバット-ジンの意図と異なってしまうと思いましたので。
自分の心と向き合うことの怖さ
さて、マインドフルネスという、内面ワーク、心の修行についてのお話に入ります。
この本でいう「内面」とは、他人の内面ではなく、あくまで自分の心に取り組むことです。そういう意味で、この本は、自分の成長のために、自分の心に取り組もうとする人なら、誰でも使える本です。子育てが終わった方にも、子どもがいない方にも、自分の成長のために使っていただきたいと思います。
はじめに触れたように、「この本は難しい」という声があります。たしかに、「マインドフルネスとはなんですか?」「気づきとはなんですか?」と聞かれても、「これこれです」と一言で説明できるかというと、難しい。りんごを知らない人に、言葉でどんなに説明しても、「りんご」を本当に理解してもらうことはできないようなものです。体験してもらうしかありません。これが、本書が難しいという一番の理由かと思うのですが、もう一つ考えられるのは、この本を読むこと自体が、自分の心と向き合うことになるので、抵抗をおぼえ、難しいと感じるのではないか、ということです。
私はこの本の翻訳に2年間関わっていたのですが、この間、10回ほど英語の原文と訳文を読んでいます。作業をする中で、訳しながらとても辛くなることが何度もありました。それは、自分のした子育てがどうだったかという現実を突きつけられたように感じたからです。
「そんなはずはない。私は懸命にやっていた」と叫びたい心に「違うよ」と言うのは怖いことでした。本に書いてあることを、若い頃に知っていたならどんなに助けられたかと、何度も思いました。「もう遅いよ」と何度も呟きました。しかし、子どもが大人になった後でも、「遅すぎることはありません」と著者は言っています。
カナダのバンクーバーに、ガボール・マテというお医者さんがいらっしゃいます。この方は本もたくさん書かれていて、身体と心の関係に鋭く切り込んだ著書は世界的なベストセラーになっています。自分がADHD(注意欠如多動症)だということを著書で公表しています。そして、それがどういうことなのか、どうしたらいいのか、ということをYouTubeなどで話されています。
その方が、ADHDのことを書いた“Scattered Minds” (落ち着かない心 ※仮題)という著書の中でご自分のことに言及して、自分の心が怖くて仕方がない、心の空白が怖い、と書いています。彼は、少しでも待ち時間ができることを恐れて、出かける際は必ず本を携帯するのだそうです。
私はこれを知ったとき、たとえば電車の中でスマホから目を離せない、片時もぼーっとしていられないのは、実は、どんなに短い間でも、自分の心に向き合うことが難しいからなのではないかと思いました。そして、このADHDに見られるような「落ち着かない心」は、世界中でますます増えていき、強くなっていくのではないかと危惧しています。
受け入れるということ
私自身、このおはなし会の準備をするために、『マインドフルネス 気づきの子育て』をあらためて読もうとして、自分の中にある恐怖に気づきました。ページを開くのが、怖い。嫌な気持ち。不安、落ち着かない。翻訳作業で10回以上読んでいるのに、どうしてなのだろう?と考えたとき、自分が翻訳した作品は「自分自身」でもあるので、そこに間違いや欠陥を見つけてしまうことが怖いのだとわかりました。
そこで、怖がっている自分を、そのまま認めました。「怖い」という感情に対して、何もしないで、「怖くていいよ」「怖くてOK」と自分に言い聞かせて、恐怖を味わい続けました。怖い自分をジャッジ(判断)しないでいました。そうするうちに、次第に楽になりました。
これが、この本で言っている、「受け入れる」ということです。他の言葉でいうと、「心にスペースを設ける」「心を大きくする」ということ。怖いという感情、嫌だと感じていることを、そのまま感じて、味わっていることです。心から追い出さないで、そういう気持ちのためのスペースを作ることです。
これは、簡単なようで、簡単ではありません。「怖くない」と否定したり、怖がっている自分を「愚かな奴」と裁かないでいることは簡単ではありません。「いや、大丈夫、私は一生懸命やったんだから」「ミスがあったらどうする、ああいやだなあ」などと言って自分と戦っていると、怖いという感情はおさまりません。また、そうした感情をごまかそうとして、たとえば食べ物に走ったり、誰かに電話をして他愛のないおしゃべりをすることは、そのときだけ楽になるための一つのやり方ではありますが、受け入れたことにはなりません。
そうした自分の状態に気づくことが、「気づきの子育て」の「気づき」の部分です。そして、心に湧き出た感情や考えに気づいて、そのまま心に保って、認めて、味わうことが、「受け入れる」「心にそのための余地、スペースを作る」ということです。
私たちには、「嫌だ」「怖い」「嫌い」「悪い」というものに対して、心から「追い出そう」「なくそう」「排除しよう」とする傾向がありますが、あえてそうしたものの「スペース、場所、心の余裕」を作るわけです。心から追い出さないで、心に場所を作る。つまり、そういうものを「認める」わけです。「悲しい」「苦しい」「大嫌い」「憎たらしい」「恥ずかしい」「どう思われるだろう」などの感情や考えが自分の中に湧き出たら、場所を作って、その存在を認めて、味わってみる。
実は、感情は自然に出てくるもので、感情そのものに良いも悪いもありません。だから、良し悪しを判断しないで、ただ味わうこと、目撃していること、それがマインドフルネスの基本となる重要な態度の一つです。
ではここで、受け入れる、という体験をしてみたいと思います。
あまり大きいと時間がかかるので、そんなに大きくはないことを思い出してください。
目を閉じて、深呼吸をゆっくりした後、その時の感情を思い出して感じてください。
それを心に保って、味わいましょう。
(注※本来は、その感情を感じたときにすることです)
私がカナダにいたときの体験ですが、25年間のカナダの生活の、最後の5年間は、私と2人のティーンエージャーの息子たちだけの3人の生活でした。夫は研究者で、仕事の都合で先に日本に帰国し、数か月に一度、トロントに戻ってきて、4、5日滞在すると日本に帰っていきました。トロントには友人が何人もいましたが、トロントという広大な都市では、友人の家に行くにも、車で1時間もかかる、という生活です。とても寂しい思いをしました。
あるとき、帰国する夫を見送ったあと、寂しさをどうにかしたいと思って、近くのカフェでコーヒーをテイクアウトして公園に行きました。ベンチに座って、寂しい感情に集中して、他のことを考えずに、「寂しいな、寂しいな、寂しいな」と自分に言って、寂しさをじーっと見ていました。
今考えると、そのとき私がしたことは正しかったのです。しばらくすると、すうっと寂しさが抜けていきました。何分かかったのか、何十秒だったのか覚えていませんが、身を切られるような寂しさが消える、そういう体験をしました。
そのとき、「受け入れる」とはそういうことだとわかりました。それ以来、強い感情が起きたときは、怖がらずに、戦わずに、味わうようになりました。もちろん、それを忘れてしまうことも多々ありましたが。
子どもと親の良い人間関係をつくるマインドフルネス
さて、ページをめくっていくと、本書のはじめに、リルケの言葉が引用されています。
どれほど親密な人間の間にも無窮の距離がつねに存在するということが、二人の間で理解され、受け入れられるならば、共に助け合って生きるすばらしい生き方が可能になる。ただし二人が、相手の全貌を見ることを可能にしている、二人の間にある大空の遠さを愛することに成功すればの話ではあるが。
ライナー・マリア・リルケ『書簡集』(本書 p.ⅵ)
この言葉を読んだとき、私は、著者の人間観を理解しました。この言葉は、この本のエッセンスです。「どんなに親密であっても、そこには星と星の間のような距離がある。遠いからこそ、全貌が見える。自分の子どもであっても、自分のものではなく、別の人間なのだと理解することによって、その辛い事実を受け入れることによって、はじめて相手を理解し、認めて、共に助け合って生きるという生き方ができる」と著者は言いたいのだと思います。
(これは著者が、「子育ての世界に入っていくにあたって」として、「ガウェイン卿と恐ろしく醜い貴婦人」のお話を通して「自己統治権」という概念をまず紹介していることからも察することができます。※本書p.43および第2章参照)
そしてそれには、親自身が、本当の意味での大人になっていなければなりません。
本当の意味での大人とは、「他人の意見からではなく自分の意思でやることを見つけている人」、「ありのままの自分を受け入れている人」、「自分が、他の人が見ているものと同じものを見ていなくとも、自分をOKと感じられる人」、「他の人が、自分と同じように感じていることを必要としない人」を指します。
リルケの言葉は、この成熟した人間関係を指していて、著者は、親子のそうした関係を作るために、マインドフルネスが役に立ちますよ、と言っているのです。つまるところ、子育てとは、子どもと親の人間関係のあり方を作るものですので。
そして、そのような関係は、一日にして築かれるわけではなく、段階を追ってそうなっていくわけです。何か月も、何年も、場合によっては何十年もかかるかもしれません。
自己制御と共制御
ここで、子どもが成熟した人間関係を持つことができる大人に成長するために、大人がどのように手助けできるか、その一つの方法として、「自己制御(self-regulation)」と「共制御(co-regulation)」を紹介したいと思います。
「自己制御」は、文字を見ると、自分の感情を抑制するというイメージですが、実際にはどういうことかというと、自分の中に湧いてきた感情を、自分が感じることを、自分に許すことです。たとえば、不安になることが起きたときに、自分が不安であることを認めて、不安だと感じていることを自分に許すことができること、です。不安を感じない人になるのではありません。
これが、簡単なようで難しいことは、『マインドフルネス 気づきの子育て』の第7章にある「癒やされる瞬間」を読むとわかります。
そのような不穏な感情が一つでも誘発されたときには、内面の動きを一瞬だけでも止めて、その感情に耳を傾けよう。動揺が強いほど、集中することは難しいだろう。どれほどその感情が心をかき乱しているかを知るヒントは、自分がその感情をどれほどすばやく脇に追いやるかを見ることだ。(中略)子どものときに、家族に自分の感情が大事にされず受け入れてもらえなかった場合は特にそうだ。臭いものにすばやく蓋をすることに慣れているだろう。 (本書 p.230)
自分の中に湧いた不穏な感情に気づいて、このような自己制御ができる大人は、子どもが不安なときに、子どものそばにいて、子どもが安心して不安を感じることができるようにしてあげられます。これが「共制御」です。
子どもに何も言わなくていい、何もしなくていい。子どもは、誰かがそばにいてくれて、自分が不安だと知っていてくれさえすればいいのです。その大人のそばで、安心して、自分の不安を感じていられること、不安な自分を見ていてくれる人がいるということ、それが、子どもを、感情を自己制御できる大人になるように導きます。
子ども(相手)のそばにただいるだけ、というのは、私たちにはなかなかできません。子どもが学校で先生に叱られた、テストの点数が悪かった、と聞くだけで、緊張してしまいます。それでは、子ども(相手)が困っていることに「気づく」ことができません。「気づいて」優しい言葉をかけることができません。
相手のことに気づくためには、自分が子どもの言葉を聞いて、どういう気持ちになったかという自分のことにまず「気づく」ことが必要です。そして、自分の身体が緊張していることに気づいたら、深呼吸して、身体をほぐしましょう。そうすると、「今という瞬間、ここという場所にいる」自分に戻って、思いやりのある言葉をかけることができる可能性が高まります。
同じように、職場や家庭で、辛いなあ、苦しいなあという感情、感覚がわき起こったとき、まずすることは、「辛い、苦しい」と感じている「自分に気づく」ことです。そうして、気づいたなら、深呼吸して、身体の緊張を緩めます。すると、次にとる行動が変わっていきます。
脳は変わる
では、短い時間ですが、呼吸を使うマインドフルネス瞑想を、実際に行ってみましょう。マインドフルネス瞑想が、身体、心、感情に良い効果があることは、多くの研究から明らかになっています。
これは、基本となる瞑想です。最初は、なにも(動作などを)しないで、ただ自分自身の心を覗き込むことは、とても苦痛(イライラ)を感じるでしょう。研究からは、マインドフルネス瞑想がストレスを減少させて、集中力を高めることが明らかになっています。
背すじをまっすぐにして、肩の力を抜く。
深呼吸を一度する。目を閉じる(そうしたい場合は)。
肺に空気が入っていき、肺から出てくる感覚に注意を注ぐ。
心が呼吸から離れるたびに、考えに気づいてから、戻る。
集中を邪魔するものを無視しようとしない(考えや感情が湧いてきたら、それをいったん、認める)。
するべきことは、単に、心が呼吸から離れたことに気づいて、呼吸に戻ってくるだけ。
長い間、定期的に行えば行うほど、自分が集中したい対象に、気持ちを集中していることがたやすくなる。
もし、三日坊主になったことに気づいたら、そこからまた始めればいい。
マインドフルネス瞑想を長い間続けると、ストレスの低減、注意力の向上、免疫システムの活性化、感情的な反応を減少させるなど、ウェルビーイングと健康が促進されます。さらに、脳の構造に変化が見られることも確認されています。
たとえば、瞑想経験を積んだ人の大脳皮質は、そうでない人の大脳皮質に比べて厚いことが観察されています。特に、注意力や、内受容と感覚処理に関連する脳領域では、それが顕著です。このことは、言い換えると、脳を自分で変えることができるということにもなります。すごいことですね。私は3年ほど続けていますが、以前よりも、あくせくしたり、焦らなくなりました。他には、心が穏やかになった、気持ちが楽になった、という声も聞きます。中には、心からありがとうと言えるようになった、という方もいます。
大事なことは、毎日行うことです。初めは3分でいいです。忘れたら、思い出したときに行って、なんとか続けましょう。自分に「しなければ」という強い圧力をかけないことが大事です。続けるうちに、続けることが苦痛ではなくなります。そうなれば、脳の回路が、「毎日行う」という方向につながった、と思っていいと思います。繰り返し行うことで、脳が変わっていくわけですが、一朝一夕には変わりません。焦らず、諦めず、続けることが大事です。
それから、もう一つ、日常生活の中で行うマインドフルネス瞑想があります。これは、歩いているときも、食事をしているときも、一日を通じて自分の身体と心の状態に気づくことです。この鍛錬は、座って行う瞑想と同じぐらいに大事です。そして、自分が緊張していると気がついたら、深呼吸をしましょう。
最後に、ジョン・カバット-ジンについてふれておきましょう。
日本では「マインドフルネス・ストレス低減法」と呼ばれていますが、正しくは、「マインドフルネスを元にしたストレス低減法(Mindfulness Based Stress Reduction)」です。
これを開発したジョン・カバット-ジンは、元々は科学者で、分子生物学を研究していました。しかし、細胞や染色体の研究だけで人間を知ることができるのだろうかと疑問を持っていました。そんなときに、日本で瞑想を体験してきたという人の講演を聞きました。それがきっかけで瞑想に興味を持ち、日本の瞑想道場や瞑想の達人と言われる人に学んで、深く瞑想に取り組むようになりました。
あるとき、瞑想リトリート(修養会)で、これを病気で苦しんでいる人に使えないか、という考えが浮かびました。それが、彼が、マインドフルネスを土台としたストレス低減法を開発したきっかけです。そこから、マインドフルネスとは何か、という研究が始まりました。
それまでは、瞑想というのはスピリチュアルな世界だけのものと捉えられていたので、そうしたものを科学が取り扱うことはあるまじきこと、という風潮がありました。しかし、MRI(磁気共鳴画像法)といった検査機器の発達によって、脳のより高度な研究が可能になったこともあり、マインドフルネスの実践が、免疫力を高めたり、染色体の先端にあって細胞の老化に関係するテロメアに寿命を延ばすような影響を与える、といった科学的根拠が示されるようになりました。脳を自分で変えることができる、というのは、人間の未来を考えるときに、大変深い意味を持っていると思います。
今日のお話はここまでです。ありがとうございました。
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気づく 判断せずに目撃する (絵:穂積由利子)