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翻訳家、マインドフルネスを語る 穂積由利子

思いやりの心を作るマインドフルネス

トークの3回め。前日に雪の予報が出たため、朝の交通機関が乱れることを危惧していました。参加者の足元が心配でしたが、時間までに申し込み者全員の顔を見ることができてホッとしました。

 

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7つの柱が導くマインドフルネス


おはようございます。今日はトークの3回目です。よろしくお願いいたします。すでに2回自己紹介をしましたので、今日は短くしたいと思います。生まれてから25年間は日本におりました。次の25年間はスイスとカナダに住んでいました。そして、50歳からは流山に住んでいます。今年で25年目の流山が一番長く住んでいるところになります。

生まれは会津若松市で、小学校から高校まで、鶴ヶ城の近くに住んでいました。家は、NHKの大河ドラマ「八重の桜」で有名になった新島八重が育った家の近くにあり、二階の窓から鶴ヶ城がよく見えました。高校は、今は男女共学になった「葵高校」の前身、会津女子高等学校です。

 

さて、今日で3回目のマインドフルネスのお話になりますが、これまでの2回のトークから、マインドフルネスとは何かを少し理解していただけたでしょうか? なにしろ、マインドフルネスの道というのは、一種の悟りに至る道のようなものですから、「分かった」といっても、実際にマインドフルネスというものを体験してみないことには、本当に分かったとはいえないんだろうと思います。そういう意味では、わたしも、「少しだけ分かった気がする」という程度です。そんなわけで、このトークでは、本から分かったこと、翻訳を通して理解したこと、マインドフルネス瞑想を続けることで体験したことを皆さんにお伝えしたいと思います。

 

先回は、「マインドフルネスを支える7つの柱」について学びました。これを「マインドフルネスになるための7つの態度」と置き換えてもいいと思います。この前は、この一つひとつについて簡単に説明しました。

マインドフルネス 気づきの子育て』を読むときに、この7つの柱を念頭に置くことはとても重要です。それは、この本全体が、「マインドフルネスの7つの柱」を子育ての中で実行することとは実際にはどういうことなのかということが、著者の体験を交えて詳しく書いてある本だからです。

この本には、「子どもをジャッジしない」とか、「子どもを初心という目で見る」、「親としての自分の直感を信頼する」、「子どもに変わってほしいと願うことよりも、忍耐して今の瞬間に注意を向ける」、「ありのままの子どもの姿という事実を受け入れた上で生きる」、「親の態度や考え方を変える」といったことが書かれています。つまり、どれも、マインドフルネスという状態を作るための7つの態度を説明しているわけです。それがわかると、内容を受け入れやすくなって、読むのがより楽しくなると思います。

もし皆さんの中で、マインドフルネスをもっと詳しく深く知りたいと思われる方がいらっしゃったら、ジョン・カバット-ジンが35年前に著した『Full Catastrophe Living』(直訳すると:大惨事に満ちた生活)の翻訳が『マインドフルネスストレス低減法』(北大路書房)というタイトルで出ています。この本では瞑想法や科学的知見も紹介されています。

 

ほんとうの思いやりとは

 

それでは、今日のテーマ「思いやりの心を作るマインドフルネス」に入りたいと思います。

思いやりという言葉は、誰でも知っていると思いますが、本当の思いやりを持つことは難しいものです。相手への思いやりのつもりが、おせっかいになっているといったことは、よくあることです。マインドフルネスを養うと、初心で見る、ジャッジしない、という態度ができて、人や物事のありのままの姿が見えてくる可能性が高まります。そうすると自分の思い込みのヴェールが剥がれて、相手がどう思っているかを感じられるようになります。結果として、上から目線の「かわいそう」という同情ではなく、その人と同じ立場になって、考え、気遣い、共感して、行動することが以前よりもできるようになります。また、相手にとって何が必要なのかもそれまでよりもよく見極めることができるようになります。

 

今日は、わたしの体験をいくつかお話ししたいと思います。

『マインドフルネス 気づきの子育て』には、いくつもの物語のほかに、著者を含めさまざまな人たちの子育て体験がつづられています。物語や体験談というものは、人の感情を揺さぶるものですね。感情は脳の中の扁桃体を刺激して、扁桃体の隣にある、記憶をつかさどる海馬にも働きかけます。だから、物語というのは記憶に残りやすいわけです。わたしはこの本を翻訳するために何度も原書と自分の訳文を読みましたが、今、この本の内容を思い出そうとすると、物語やさまざまな体験談が真っ先に頭に浮かぶのはそのためでしょう。これらは皆さんに読んでいただくとして、今日はわたしの思いやり体験をお話ししようと思います。

 

三つの体験談

 

最初のお話は、わたしが小学校高学年のときのことです。

教室のわたしの席の隣には転校してきたばかりの女の子が座っていました。ある日、わたしは消しゴムを忘れて、とても困っていました。今なら「かしてくれる?」と軽く言えると思いますが、そのころのわたしは、そんなことを聞くことができるとも考えていませんでした。すると、その転校生が何も言わずに消しゴムをわたしの机に滑らせてくれたのです。たった数秒の出来事でした。

彼女は、わたしが困っているのに気づいて、すぐに行動してくれました。今でもあのときの感激した気持ちをまざまざと思い出すことができます。そして、大げさではなく、とても影響を受けたと思います。わたしは人の名前を覚えるのが病的なほど苦手なのですが、この同級生の名前は今もはっきりと思い出すことができます。

 

次のお話は、カナダから帰国したばかりのころの出来事です。

秋の暮れ、知人のお琴の演奏会が、田舎の古い酒蔵で開かれました。東京から出かけて行ったわたしは、スカートだったので少し肌寒さを感じていました。

演奏が始まってまもなく、隣に座っていた着物姿の女性が、そっと自分のストールをわたしの膝にかけてくれたのです。ふわっと膝が暖かくなりました。その女性はまったく知らない人でした。わたしは顔を女性に向けて、目だけで感謝しました。

そのときわたしは、ああ自分の国に帰ってきたんだ、これが故郷の温かさなんだなと思いました。そこには、家族的な安心感みたいなものがあったような気がします。

 

思いがけない親切

 

最後は、トロントに住んでいたときのことです。

お話しするのが少し恥ずかしいのですが、あるとき、家族とぶつかって、家を飛び出したことがありました。外はマイナス十度以下という真冬の朝です。日本にいたなら、友達のところに行くことができたのかもしれませんが、どこにも行くあてがありませんでした。でも、ともかく遠くに行きたかった。それで、家が地下鉄駅の近くでしたので、地下鉄に乗って終着駅まで行きました。

今はどうかわかりませんが、その頃のトロントの地下鉄は、どこまで行っても同じ料金でした。たしか2ドルだったと思います。路線は東西と南北へ向かう2本の路線が十字に走っていて、どちらも端から端まで1時間ぐらいかかったように思います。

わたしは東方向の終着駅で降りました。そしてそこからバスに乗ろうと思い、まず駅のコーヒーショップに入って、コーヒーをテイクアウトしました。

コーヒーに蓋をしようとしたとき、紙コップに力をかけすぎて、コーヒーを倒してしまった。床に流れたコーヒーを見ながら、どうしたらいいだろうと困っていました。

すると、さっきコーヒーをくれた年配の女性がやって来て、新しいコーヒーを手渡してくれました。「蓋を閉めるときは、優しくするんだよ」と言って。心に響きました。そのときわたしが欲しかったのは、温かなつながり、それだけでした。

考えてみると、思いがけない親切、思いやりが、心の救いになるのは、そうした行動が、何も期待していない自分と相手の気持ちを、一瞬、つなげてくれるからではないでしょうか。そして、そういう体験をすると、ひとりぼっちじゃないという感情、全体感――ホールネスの感情が湧いてくるのではないでしょうか。

 

子どもの視点で見る


(画 五十嵐君枝)

 

ところで家族同士、特に親から子への思いやりが案外伝わりにくいのは、どうしてでしょう? 親たちの「子どものために」という思いは、子どもには伝わらないことが多々あります。私たち大人からの、親からの、子ども(相手)に対する温かな思い、思いやりは、どうしたら伝わるでしょうか?

『マインドフルネス 気づきの子育て』の中に、「共感」という節があるので、一部分を紹介します。

 

共感力を養うには、子どもの視点から見ようと努めることだ。子どもが何を感じているか、何を体験しているのかを理解しようとしてみよう。一瞬一瞬起きることに、子どもの身になって気づくようにしよう。このとき、自分自身の感情にも気づくようにするといい。 (第3章 p.75)

 

また、「気づきの子育てのための一二のエクササイズ」の「2」にはこうあります。

 

子どもの視点から見ると、あなたはどのように映るか、あなたの言葉がどのように聞こえるか、想像しましょう。別の言葉でいえば、今のこの瞬間に、「あなた」を親として持つことは、どういう感じがするでしょう? これに気づくと、あなたのふるまいや、あなたの話し方や、あなたが言うことについて、どんなことがわかるでしょう? あなたは、「今」、あなたの子どもとどのような関係でありたいですか?  (エピローグ p.413)

 

ここで言及されているのは子どもと親ですが、子どもを持たない人は、この「子ども」を、「相手」という言葉に置き換えてもいいと思います。わたしの子どもはすでに大人ですが、お正月などで家族が集まるとき、わたしは、「子どもの視点から見ること」を念頭において行動することを忘れないようにしています。今までさまざまな失敗を繰り返してきているので、この視点がとても大事だということを知っているからです。

大事なことは、子ども(相手)の身になって感じること。そうすると、子どもに言う言葉も、行動も違ってきます。

 

子どもに寄り添うコミュニケーション

 

さて、ここで、わたしがこれまでに翻訳した本の中から、親子の関わり方について紹介します。

これは『こどものスモールトラウマのためにできること』という本です。この本の内容は、著者がセラピストとして子どもたちに向き合った膨大な時間から導き出されたもので、子どもと親のコミュニケーションの方法が具体的かつ丁寧に説明されています。読者の方々からは、「どのように子どもに接したらいいかがよくわかりました」という声をいただいています。

実際のコミュニケーションを表すイラストがたくさん入っていて、とても理解しやすい本です。

 

(『こどものスモールトラウマのためにできること』pp.82~83)

 

(『こどものスモールトラウマのためにできること』pp.120~121)

 

これは、掲載されているイラストの一部です。親と子どもの会話を読むと、右側は、子どもの身になっていない言葉で、左側は、子どもの気持ちに沿っている言葉だということがわかります。

靴箱の前でのシーンの、右側のイラストでは、母親が自分の気持ちを子どもにぶつけて、脅しています。またショッピングをしている親子のイラストでは、右側の母親は娘の気持ちになることができず、買わない理屈を並べて、娘に自分の考えを理解させようとしています。

反対に、左側のイラストでは、母親が子どもの身になって、ジャッジしないで、子どもの感情と言葉に耳を傾けていることが分かります。

結果はどうなったでしょうか?

さてここで、私たちが左の母親の言葉を読んでいる間、内面でどんなことが起きているかに注目しましょう。思ってもみなかったような当惑やイライラ感はないでしょうか? たいていの人は、現実には、子どもの気持ちに寄り添う、左側のような会話に慣れていません。このイラストを見て、そのときは納得して、自分も同じようにふるまおうとしても、実際の場面でできるかどうかは別問題です。

できるようになるには、第一に、自分の内面の状態に気づいて、深呼吸をして、緊張をほぐして、それから子どもの気持ちに沿う、という鍛錬を繰り返すしかありません。「気づきの子育て」の「気づき」の第一は、「自分の内面で起きていることに気づく」ことです。

また、子どもの視点で見ることを、実行し続けてみてください。子どもが体験していることと親が体験していることは、かなり違うことがわかってきます。     

次にお話しするのは、親と子どもの体験は全く違うという例です。

 

子どもの体験と親の体験は異なる

 

下の息子がトロントの小学校の最終学年だったときのことです。ある日、学校から帰宅すると、「担任の先生が、優秀な成績を取った生徒はパーティをするから、参加したい人はがんばって良い成績を取って、スーツを着てきなさいと言った」と言いました。わたしは妙なパーティをするものだなあと思いましたが、日本とは文化が異なる国に住んでいて、自分には判断が難しいこともいろいろあるので、特に反対する気は起きませんでした。そして、子どもの言葉を聞いて、彼は参加したいのだろうと思いました。それで、わたしは裁縫ができましたので、さっそく型紙と生地を買ってきて、二週間かけてスーツを縫いました。

何年もあとで、このパーティのことが話題になったとき、息子から、「自分はあの限定された生徒だけのパーティがとても嫌だった。だから、本当は参加したくなかったんだよ」と聞きました。わたしは、優秀な成績を取った子どものパーティと聞いただけで、息子は参加したいのだろうと決めつけ、自分でも、そのパーティに参加してほしいと内心思ったことを思い出して、子どもの気持ちに少しも気づこうとしなかったことに気がつきました。

わたしは子どものことを懸命に考えて行動したつもりだったのですが、息子は、母親が懸命にスーツを縫っているからパーティに参加するしかない、と思ったわけです。それで彼は、良い成績を取ってパーティに参加できるように一生懸命に勉強したのだ、と言いました。

 

ところで最近、この出来事を友人のセラピストに話したとき、さらに大事なことを学びました。わたしはまず、子どもに、「あなたはパーティに出たいの?」と尋ねなければなりませんでした。その上で、出ると決まったなら、スーツはどんな色がいいの? どんな襟の形にしたいの? と、選択肢を与えなければなりませんでした。そのように尋ねることが、子どもをリスペクトすることになり、子どもとの信頼が生まれ、距離が縮まるんですね。当時のわたしにはそのことが分かっていませんでした。

「自分の体験とこどもの体験は違う」ということに気づいて、親が子どもの体験を理解して、共感し、同調する。これが子どもとの絆を作るわけです。それが、やがて子どもが大人になったときの人間関係の基盤になっていきます。自分が子育てをしていたときにこのことが分かっていたらなあと、とても悔やまれます。

 

自分に向ける思いやり

 

さて、思いやりについて考えるとき、いちばん難しいのは、自分に対する思いやりかもしれません。疲れたときに、自分に「お疲れさま」と声をかけているでしょうか? 部屋が散らかっていて、「お掃除しなくちゃ」と思いながらも、したくないなあと感じるときがあります。そんなとき、自分に向かって、「ああ、疲れているんだね。じゃあ今度にしようか、それでもいいんだよ」と言うことができるでしょうか?

人は、複数の選択肢を持つことで、自由を感じて心にゆとりができます。「〜しなければならない」「〜しないとダメ」と言って、選択肢を自分に与えないと、ストレスがたまって、自分にも他人にも寛容でいられなくなります。多くの人が、他の人にはやさしい言葉をかけられるのに、自分にはかけることができません。わたしもその一人でしたが、最近は、「〜〜をやりたくない」「〜〜に参加したくない」「〜〜に会いたくない」と思うときには、身体が疲れていると考えて、「いいよ、しなくていい」「無理して参加しなくていい」「嫌なら会わなくていい」と自分に向けて言います。

すると、かなりの割合で、「やってみようかな」「次には参加しよう」「この次は会いたい」と気持ちが変わります。これは自分の気持ちを受け入れてもらった、選択肢を与えられた、と感じるからではないかと思います。

今からご紹介するのは、『マインドフルネス 気づきの子育て』の「妊娠」の節にある言葉で、親になる準備をするときに始めることについてです。

 

手始めとしてできることは、ふだんの生活の中で、自分を判断したり貶めたりしている瞬間に気づくことだ。どんな気持ちが起きても、大きな気持ちになって、たとえ数秒間でも、自分にやさしくしながら、その気持ちに気づいている状態を保つことができるだろうか。
もう一つ、自分を癒しはじめる方法がある。それは、一日の中で時間を作り、自分の内側に気持ちを向けて、自分に思いやりの気持ちを注ぐことだ。 (第5章 p.167)

 

自分にやさしくできなければ、他の人にやさしくすることは難しいものです。ここでは、出産の準備として書かれていますが、親になる準備としてだけでなく、人として優しくなるために、自分にやさしくすることが大切なのです。

とはいえ多くの人が、家族やペットに注ぐのと同じだけの愛情を自分自身に注ぐことに困難を感じています。

そこで、今回は、自分に愛情を注ぐことができるようになるためのエクササイズをしてみましょう。

 

「愛情深い優しさを体験する瞑想」を行う。(5分)

 

愛情深い優しさを体験するマインドフル瞑想

 ①一人でいることができる静かな場所で行います。

②目を閉じて、数分間、呼吸のマインドフルネス(第1回)を行います。

③あなたがだれかに、ありのままで愛されていると感じたときのことを思い出しましょう。おばあちゃん、お母さん、友達、ペット、お父さん、誰でもいいです。やさしくハグされたり、一緒に何かをしたりしたときのことでもいいでしょう。

④そのときの、愛にあふれた瞬間を思い出しましょう。その瞬間に感じた愛情深い優しさを心で抱きしめましょう。

⑤あなたがいま感じている愛情深い優しさを、あなたを愛してくれている人たちや動物たちに送りましょう。

⑥また、その愛情深い優しさを、あなたが知っている大勢の人たちに、送りましょう。

⑦愛情深い優しい気持ちを、あなたを知らない人たちにも、送りましょう。

 

自分に向ける思いやり——身体の声に気づく

 

さて、自分に思いやりを示すもう一つの方法をご紹介します。             

それは、身体に気づくこと、身体が出している声に敏感になることです。

第1回でも紹介しましたが、カナダのバンクーバー在住の医師、ガボール・マテの著書に、『身体がノーというとき』(日本教文社)という素晴らしい本があります。一言で説明すると、「感情を抑圧した代償が、さまざまな病気につながる」というものです。マテ医師によれば、たいていの場合、本人は、自分が感情を抑圧していることにさえ気づいていません。

身体に気づく瞑想を行うと、自分の身体が発している「声」である緊張や痛みなどに敏感になります。これは、自分に思いやりを示すこととイコールです。

 

身体の声に気づくこととは実際にどういうことを指すのか、わたしの友人から聞いた体験をお話ししたいと思います。これまでの話もそうですが、このお話も友人の許可を得てご紹介します。

友人の家では、例年、妹夫婦や弟夫婦の家族が、長女である友人のところに集まって、お正月を一緒に過ごすことになっていました。

ある年のお正月に、みんなで和やかに正月料理を食べているとき、昔の話になりました。すると、妹さんが笑いながら、子どもの頃の話を始めました。その中で、いつもお姉さんに意地悪されて泣かされたという話が出たそうです。まわりの家族はゲラゲラ笑っていたそうですが、友人は聞いているうちに、だんだん身体が重くなって疲れてしまい、自分の部屋に行って横になりました。微熱もありました。

その時、突然、これは妹の話が原因かもしれない、と気がついたそうです。同時に、同じパターンが過去に何度も繰り返されていたことにも気がついたと言うのです。家族が集まると昔のことが持ち出されて、からかわれたり、恥ずかしい思いをさせられることが何度もあったこと、そのたびに、頭が痛くなったり微熱が出たりしたこと、そして、そのことを単なる疲れとしか考えていなかったこと。

友人はそのとき、自分の中に溜まっていた辛い気持ちを初めて感じた、認めたと言いました。幼少時から、家族を思って動いてきた自分。お正月も、他の家族は集まって楽しく騒ぐだけ、準備も後片付けもほとんど自分だけ。それなのに、集まるたびに昔のことを持ち出されて、子どもたちがいる前で侮辱と感じることを言われることの理不尽さにハッと気がついたと。ものすごく悔しさが湧いたと言います。そのとき、身体が出している声に気づくことは、自分の感情に気づくということなのだと分かったそうです。

その後友人は、長い間葛藤した末に、妹さんや他の家族にメールで自分の気持ちを訴えたそうです。友人は、他の家族がどう受け止めたかは分からない、どう受け止めるかは、その人たちの自由だからと言っていました。そして、最初は相手を傷つけたくないから言えないと思ったけれど、実は、相手から嫌われてしまうことを恐れていた、いい人だと思われたかった、と言いました。

身体が苦しんでいるのを無視していることは、自分を犠牲にしているということです。彼女のように、自分の体の状態と心理的ストレスのつながりに気づくことは、健康を回復する上でとても重要です。

                          

それでは、先週は簡単に紹介した身体に気づくエクササイズを、今日は、少し丁寧に行いたいと思います。

 

「身体の声に気づくマインドフルネス瞑想」を体験する。 (約15分間)

 (※第2回の実践参照) 

 

ありがとうございました。自分に思いやりを持つこと、身体の声に気づくことを忘れないでください。今日はこれで終わらせていただきます。

次回は最後になりますが、「時間から抜け出すマインドフルネス」というテーマでお話しいたします。

 

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(写真:穂積由利子)

 

 


関連書籍


マインドフルネス 気づきの子育て

J.カバット-ジン&M.カバット-ジン著/穂積由利子訳


こどものスモールトラウマのためにできること 内面で何が起きているのか

スッダ・クドゥバ 著/穂積由利子訳

 

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著者略歴

  1. 穂積由利子

    1950年会津若松市生まれ。福島県立会津女子高等学校(現在の福島県立葵高等学校)、青山学院大学英米文学科卒業。1975年より25年間、スイス(バーゼル)、カナダ(トロント)で暮らす。ジャパン・コミュニケーションズ(トロント市:翻訳・日系紙担当)に勤務。日本語学校(日加学園)の教師・校長を務める。2人の子どもがいる。夫は、利根川進博士が1987年にノーベル医学・生理学賞を受賞することになった、「遺伝子再構成」のブレークスルーの実験を行った穂積信道(医学博士 分子免疫学)。詩脈の会(会津若松市)、NPOはるなか(同市)会員。NPOさとやま会員(流山市)。糸紡ぎを趣味とし「運河和わたの会」(同市)を主宰。訳書にウォーカー『バタードウーマン』(金剛出版)、バクスター『植物は気づいている』(日本教文社)、キャラハン『TFT 思考場療法入門』、アンドレアス『コア・トランスフォーメーション』、クドゥバ『こどものスモールトラウマのためにできること』(以上、春秋社)他多数。

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