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記憶する体 伊藤亜紗

体のなかの境界線

ハイブリッドな体

 

「多重人格」があるならば「多重身体」もあるのではないか? 障害を持つ人と関わっていると、ふとそんな突拍子もない考えが浮かびます。

 たとえばある脳性まひの男性。彼は、自分の体では立つことすらままならないにもかかわらず、ダンスが好きで、見て楽しむばかりか他人にきわめて的確な振り付けの指示を出すことができます。つまり、自分ができない動作について、人に教えることができるのです。彼の中には「高速で手足を回転させるヒップホップダンサー」がいるように思えてなりません。

 あるいは、目が見えなくなって10年ほど経つ女性。彼女はいつも、紙と鉛筆を持ち歩いています。話しながらメモをとる習慣があるのです。話の内容を図解したり、時系列に沿って出来事を列挙するのですが、自分では見えないにもかかわらず、「その方が頭の中が整理される」と彼女は言います。書いているあいだ、指先で筆跡を確認することはありません。彼女の中に「目が見える人」がいて、そのメモを読んで確認している。そうとしか思えないほど上手に、字や絵を書いてみせるのです。

 彼らに共通しているのは、ある場面において、本来持っていないはずの能力を発揮したり、現実の体とは異なるタイプの体をあやつっているように見えることです。もちろん、彼らが超能力を使っているはずはないし、何かがとりついているわけもありません。にもかかわらず、「本当にあなたはまひの体なの?」「本当にあなたは見えないの?」そう疑いたくなってしまうようなことがしばしば起こるのです。さっきまでの、電動車いすに乗って静かに部屋に入ってきたあの体、手でペンが置いてある場所をさぐっていたあの体とは、まったくの「別人」ならぬ「別身体」がそこにあるように感じられる。まさに「多重身体」です。

 ちょっとカッコつけた言い方をすれば、体の中に差異を含むとでもいいましょうか。ライオンの肢体に人の顔を持つスフィンクスのように、それはまるで複数のタイプの体が合わさったハイブリッドな体です。物理的には一つの体なのですが、どこかに境界線があって、見方によっては別の体に見える。まったく不思議なことです。

 

「身体間の差異」から「身体内の差異」へ

 

 ここで簡単に私の自己紹介をしておきましょう。私は美学を専門とする研究者で、体に障害がある人にインタビューをしたり、行動観察をしたりしながら、その人が自分の体をどのように使いこなしているかについて研究しています。対象としている障害はさまざまです。もともとは目の見えない人が中心でしたが、その延長で耳の聞こえない人に筆談でインタビューをしてみたり、下半身の感覚がない人やまひがある人に声をかけたり、吃音で思うように話せない人の集まりに参加したり、ある意味で節操なく調査しています。とにかく、いろいろな体の、その体ならではの仕組みや技が知りたい! そうすることによって、「人間の体とは何か」という大きな問いに迫れるような気がしています。

 もっとも、さまざまな障害のことを同時に考えるのはなかなか大変です。障害の種類によって、障害に対する捉え方が違っていたり、観察のしやすさや言語化のしやすさが違っているからです。たとえば視覚障害と聴覚障害では、障害の種類としてはどちらも感覚器官の障害です。けれども、障害の性格はかなり異なっています。耳の聞こえない人は、コミュニケーションの仕方が健常者とは異なる人であり、手話だからこその感じ方や伝え方のスタイルを持っています。一方目の見えない人は、知覚の仕方が健常者と異なる人で、コミュニケーションに関してはほとんど壁がなく、オープンな傾向があります。

 私がこうした研究を始めようと思ったそもそもの動機は、「自分と異なる体がどうなっているのか知りたい」ということでした。つまり「身体間の差異」に興味があったのです。最初に目の見えない人に関心をもったのも、彼らが一番、自分との違いが分かりやすい人だと感じたからです。目の見えない人は、私がもっぱら視覚でとらえている世界を、聴覚や触覚で「見て」います。たとえば、通りの脇にある「柵」を、私は目で見て確認します。一方、見えない人の中には聴覚で柵を知覚する人がいます。曰く「音的なしましま感」があるのだそうで、横を歩くと、敷地内の音が聞こえたり聞こえなかったりするON/OFFの変化があるのだそうです。あるいは、「十字路」。私が目で見て確認するそれを、見えない人は触覚で感じます。触覚といっても、十字路を触ることはできません。手掛かりは「風」です。十字路では空気の流れが変わりますから、頬に当たる風によって、それを知覚できるのだそうです。

 ところが、研究を進めるうちに、差異は身体と身体の間以外にもあることが気になってきました。それが冒頭でお話した、「身体の内部にある差異」です。AさんとBさんの身体の違いではなく、Aさんひとりの内部に、身体A1と身体A2が共存している場合がある。身体のやることですから、単なる趣味やいたずらでハイブリッドになるはずはありません。何らかの生きる上で有効な目的や、あるいは明確な原因があって、そのようなハイブリッド状態が生まれているはずです。つまり、内部に差異を生み出したり、結果として差異が生まれてしまうことも、人間の体のひとつの特徴なのではないか。「身体間の差異」は人間の社会について考えるうえで重要な問題ですが、その根底にある「身体内の差異」は人間の体の生物学的な特性について理解を深めることにつながります(そして、追って明らかにするように、この二つはつながっています)。

 

時間的な境界線と空間的な境界線

 

 この身体内の差異について考えるうえで重要なファクターとなるのが、「記憶」です。記憶が、私たちの身体を「多重身体化」するのです。今回から始まるこの連載では、障害を持つさまざまな身体における「境界線の走り方」を見ていきたいと思いますが、その際に注目したいのが、「記憶」です。「記憶」が「境界線」にどのように作用しているかを分析します。

 記憶が体に引く境界線は、大きく分けて二種類あります。ひとつは時間的な境界線、もう一つは空間的な境界線です。

 時間的な境界線は、ひとことでいえば、中途障害のことです。冒頭であげたメモをとる全盲の女性のように、人生の途中で障害を得た人の体のなかでは、記憶として持っている「障害以前の体」と、現在の「障害以後の体」が、しばしば共存しています。記憶は、「○月×日にディズニーランドに行った」という日記の一文のようなものではありません。目が見えなくなった人が再びディズニーランドに行ったとしたら、かつて目で見たディズニーランドの記憶がよみがえり、その記憶によって補完されたディズニーランドの中を歩くことになります。記憶は、私たちの認知や行動の仕方を支えるものとして、現在形で作用します。

 また一口に「中途障害」といっても、その内実はさまざまです。障害を持った人についてリサーチをしていると、ひとつとして同じ体がないことをつくづく実感します。その多様性の大きな要因になっているのが、この中途障害なのです。事故などで急に障害を得たのか、それとも徐々に得たのか。子供の頃に得たのか、成人してから得たのか。もともと軽い障害があったのか、なかったのか。こうした条件ひとつひとつの違いが、「身体内の境界線の走り方」を変えます。

 もっとも、障害の有無によらず、人は記憶を背負った存在です。その意味では、私たちの身体はすべからく記憶によって条件づけられていると言えます。けれども中途障害においては、以前/以後の断絶が明確にあります。私たちの時間的な経験のほとんどがなめらかに起こり、体に蓄積されていくのに対して、中途障害は身体の全体的仕組みに関わる根本的な変化です。そのため、記憶が境界線という形で身体にはっきりと刻まれると考えられます。

 二つ目の境界線、すなわち物理的な境界線は、やや特殊なものです。これは、いわば「部分障害」とでも言うべきものです。上半身は健常者と同様なのに下半身はほとんど感覚がなかったり(上下の境界線)、右耳は聞こえるのに左耳が聞こえなかったり(左右の境界線)、ひとつの体のうちで生理的な能力の違いがある場合です。「境界線」と言っても、明確な境目が必ずあるとは限りませんが、能力がいわば非対称であるような体がこれにあたります。この場合、同じ出来事であっても、体の部位によって経験の仕方が変わります。すると、下半身の出来事を理解するのに上半身の経験の記憶が援用される、ということが起こります。体のある部分の感覚の空白を、別の部分の記憶が埋めにくるのです。

 次回以降、この二つの境界線に注目しながら、記憶と体の関係について、考えを進めていきたいと思います。我ながらちょっと大風呂敷を広げすぎでは、と不安になるタフなテーマですが、具体的な事例が、きっと思考を導いてくれるはず。どうぞ、お付き合いください。

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著者略歴

  1. 伊藤亜紗

    東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長。同リベラルアーツ研究教育院准教授。専門は美学、現代アート。もともとは生物学者を目指していたが、大学三年次に文転。2010年に東京大学大学院博士課程を単位取得のうえ退学。同年、博士号を取得(文学)。著書に『ヴァレリーの芸術哲学、あるいは身体の解剖』(水声社)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『目の見えないアスリートの身体論』(潮出版)、『どもる体』(医学書院)がある。同時並行して、作品の制作にもたずさわる。

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