雪の下の菌を追って
本稿を依頼された際、私は左の切手(モルドバ、2013年)中央の小さい人のように、にこやかな笑みを浮かべて快諾したが、内心、右の切手(中国、1977年)のように寒空だろうが、のぼりでも掲げて駆け出したい気持ちだった! 実際そうしなかったのは、冬道で転んでケガをしても、その理由を明かしたくないとの自分への忖度が働くほど、私が十分大人だからだと思う。いずれの切手の図案も、雪解け後に周りを探すと雪腐病菌がいるかもしれない。以後各章の扉替わりに、私の「雪腐病菌がいるかもしれない風景」あるいは「世界のキノコイラスト大集合」切手コレクションから、これは!という逸品を無用に熱く紹介したい。
人様を「菌」呼ばわりすることは、普通イジメだ。しかし、この世界には多くの例外があるように、苗字に菌を付けて呼ぶと、喜々として駆けつける人々がいる。これはプロアマを問わず「菌好き」の面々で、私もその一人だ。私の家族とは別次元で大好きなガマノホタケ*1は、因幡の白兎の最重要アイテムである蒲の穂に形が似ていることによる命名だ。この菌は、数年前からごく一部の菌好きに星野菌*2とも呼ばれており、キノコにしてもあまりに小さく、傘がない(柄はある 写真1-1)。このため、不覚にもこのキノコが網膜に映った菌好きの多くは(同定/鑑定不能と判断し)何も見ていないと、自らの記憶を改ざんしている。
写真1-1.落葉に発生したガマノホタケ(Typhula cf. quisquilaris 和名なし)の生の子実体(キノコ)
写真中央に見える葉柄の太さから、このキノコどんだけちっちゃいのよ!ってことがイメージしていただけると思う。これでもれっきとしたキノコですよ(キッパリ)。さらに乾いて縮んでしまうと、枯葉に白い毛がまばらに生えている感じになって、もう見つからない。生の状態でもその気がなければ、視野に入っても認識しないと思う。(cf.はラテン語confer(参照)の略。キノコを見て、〇×だと思うんだけど…など、自信がないときに用いられる。試料採集・写真提供:杉本泉氏)
私は、この小さな菌の一ファンとして、極地から砂漠まで雪の下で生活する彼らを付け回し、その観察から日本の鉱工業に貢献するとうそぶいて今日に至っている(詳細は「星野保菌類一代記全2巻(仮)」および「同外伝全1巻(仮)」が出版されるよう祈っていただくか、ググってください)。
男子の多くは、幼少のみぎりから女子の冷ややかな目を気にしつつ、「乗り物派」・「恐竜を中心とした生き物派」・「ヒーロー・戦隊派」など派閥に属している。私は、生き物と特撮ヒーローに大きな関心を持ったまま、五十肩をとうに経験している。菌類と巡り合ったのは、偶然だと思う。卒論と修士論文で麹菌による鰹節の製法を利用した魚粉の脱脂(日本に国菌があり、その一つに麹菌が入っていることを知ってます?)を、博士論文で植物病原菌のもつ変わった性質の酵素を利用し、魚油中の有用成分(頭が良くなると話題のEPA・DHAなど)を濃縮する方法を研究していた。菌類は研究に使用する生きた試薬のように思っており、特別な思いはなかった。それが大きく変わるのは、就職し、寒冷地に生きる生物を研究し、産業に役立つ技術を開発する研究に携わってからだ。テーマ選定から任され、色々と思い悩み、友人たちに相談する中で、雪の下で活動する菌たちを紹介された。つまりご友人のご紹介でお付き合いが始まったことになる。詳細は第3章でもう、読者の皆さんがドン引き寸前まで気合を入れて紹介するが、飼ってみるといや、もうこれが可愛いのです。菌が可愛い?と思うかもしれないが、採集地の異なる菌株(他の微生物や性質の異なる同種などが除かれた微生物の集団)を並べて培養すると、少しずつ違った姿を私だけに見せてくれる。やはり菌は良い。
以前ファン活動の一環として、これまでのガマノホタケ愛を前面に押し出し、特に雪腐病菌と呼ばれる、積雪下で越冬する植物に対して病原性を示す菌類のファンブック(『菌世界紀行』岩波書店、2015年)を上梓した。ここで学術論文に記すことの難しい研究者の主観を熱く記述した結果…様々な苦言をいただく羽目になった。特にガマノホタケ・雪腐病菌を巡る学術的な記述が少ないとの、もっともな意見は酷く堪えた(今見返すと多く見積もっても1/5だった)。さらに追い打ちをかけるように、菌のところを読み飛ばしても面白いとの感想もあり、いよいよ複雑な心境になった。単著の書籍を出版するなど人生一度っきりの出来事で、私の想いは自分が荼毘に付され、散骨されるまでの心残りと思っていたら、春秋社の敏腕(仮)編集者から連絡がきて、新たな転機が訪れた。編集者とメールでやり取りを繰り返すと、私に対する対応があまりに丁重すぎる。もしかすると歌って踊れて筆も立つ俳優の星野源氏と間違えているのでは*3と不安になった。その後、私は声色を変えず編集者に電話し、人違いではないことに安堵するとともに、面通しの後、菌に関するこの連載を依頼された。
菌類のことを書くにあたって、私の希望は、自分にしか書けないと信じる事柄を解説したい*4し、これしかできないと思う。菌類全般に関しては、最近も優れた成書*5が立て続けに出版されているので、あわせて参照していただきたい。この連載では、まずここまでしれっと、特に解説を加えず書いてきた「菌類」とは何なのか?を他の微生物と比較しながらわかりやすく説明する(第2章)。中でも寒さを好む菌類について可能な限り広く解説したい。次に私の好きな雪腐病菌(第3章)と極地に住む菌類たち(第4章)を熱く語る。その後、これら菌類の生き方を通して、寒冷地に菌類がどのように適応してきたのかを、今そこで見てきたかのように説明する(第5章)。さらには、私たちのご先祖様たちと雪腐病の出会いを遡り(第6章)、不死の存在とも思える菌類の世代交代(第7章)や記憶の有無から菌類との対話は可能なのか論じる(第8章)…と、後に行くほどムチャをする。
本稿は客観的事実を8割、著者の主観2割で構成し、私の妄想や霊媒による自動筆記ではないことの証明のため、詳細な注釈と参考文献で裏が取れるようにした。あまりに内容が細かいようなら読み飛ばしてもらっても構わない(←オイオイ自分で言うか?)。寒さと生きる菌類たちの生き方を知り、皆さんのものさしを伸ばしてほしい。郷里を離れ〇×菌と呼ばれることがあっても、腐すことなく鼻を鳴らして笑い飛ばす一助になれば、望外のよろこびである。
*1-1 担子菌の1属、Typhula (Pers.) Fr. 1818の日本語の呼称は、ガマノホタケが正しい(今井 札幌博物学会報 11: 38-45, 1929)。少し古い文献にはガマホタケと「ノ」抜きで記述されたものがある。文献を辿って行くとガマノホタケ属を命名した今井三子先生(男性)の上司、伊藤誠哉先生が記した日本菌類誌第2巻4号(1955)が誤記の初めだと思う。弘法も筆の誤りにより、超マイナーなキノコのため50年位間違われていたのは不憫だと思う。
*1-2 Typhula属以下にあるPers.とFr.は、本属の設立に関わった著名な菌学者Persoon とFriesの略称。著名な研究者は、何度も出てくるため略称を用いられることが多い。ちなみにHoshinoが既に登録されているため、私はTam Hoshinoとなる。銅鑼(Tam Tam)じゃないのに…
*1-3 C. H. Persoonは、1801年にClavariaシロソウメンタケ属からガマノホタケ属の分離を提案し、菌学の父と称されるE.M. Friesにより1818年、正式に新属として提案された。この辺のくだりは、wikiなどで調べられる。
*1-4 国内では、1907年札幌にて伊藤誠哉先生が融雪後の秋蒔き小麦からフユガレガマノホタケTyphula incarnataの菌核を採集し(S. Imai Jap. J. Bot. 8: 5-18 1936)、1908年秋田県大曲で同様に発生した菌核を卜藏梅之丞氏が菌類病と記したことに始まる(卜藏 病虫雑 13: 476-489 1926)。ここまでが公開記録なのだが、私が標本調査中に今井・伊藤両先生の師匠に当たる宮部金吾先生が1895年!に採集した標本を見つけた(写真1-2)。どうしてこの記録が公表されなかったかは、わからない。
写真1-2.日本最古の雪腐病菌標本のラベル
1895年5月10日に恐らく宮部金吾先生が、北大農場にて採集したもの。他のラベルの記述を参考にすると「Sclerotium」はガマノホタケの菌核(ヤマイモのムカゴのようなもの、連載の第3回に詳述予定)ではなく、Sclerotium属を示すと思われる。菌核のみ見出した場合、本属の名称を用いることが多かったが、近年はDNA鑑定で属が推定できることが多いので、あまり用いられない。修正線を入れて「Typhula」と記した筆跡は今井三子先生と思われる。
*2 専門とするきのこが「自分の苗字+菌」で初めて呼ばれたとき、木洩れ日がスポットライトのように自分に降り注いでいる気がして、大変気恥ずかしかった。
*3 確かに名前も漢字一字違い。眼鏡をかけた関東在住、昭和生まれの日本人で、体重100キロ以下、年齢100才未満の成人男性と、共通点は多い。
*4 私と同い年で、一方的に敬愛する植物学者の塚谷裕一氏の著書(『漱石の白くない白百合』文藝春秋、1993年)に同様の記述を見出し、唸ってしまった。同じことにたどり着くまで、20年位の時間差がある⤵
*5 例えば
白水貴『奇妙な菌類――ミクロ世界の生存戦略』NHK出版、2016年。
深澤遊『キノコとカビの生態学――枯木の中は戦国時代』(共立スマートセレクション19)共立出版、2017年。
大園享司『基礎から学べる菌類生態学』共立出版、2018年。
などがある。いずれも過剰な煽りなどなく、最新の知識をわかりやすく紹介している。特に白水・深澤両氏の著書は、ややもすればエキセントリックに見える著者それぞれの性格が、読み取れないよう文体が工夫されていて、極めて興味深い。
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