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名なしのカメはAIの舞に興味がない 田中真知

シュウイチ、不動産屋でカメと出会う



「カメ?」
「そうです、カメです」
「よく、わからないんですが……」
「ご説明しましょう」
「鴨志田」という名札をつけた40代くらいの不動産屋のスタッフは、アクリル板のついたて越しに一枚の写真をテーブルの上に置いた。
「これです」

 20センチくらいのカメが写っていた。ストレッチをしているかのように手足を前後にピンと張っている。20センチとわかったのは、写真の中にスケールがいっしょに写し込まれていたからだ。種類はわからない。よく公園の池などで甲羅干ししているのに似ている。

「これは半年くらい前の写真です。いまはもうすこし大きくなっています」
「はあ……」
 鴨志田は愛おしそうにカメの写真を見つめていた。それから、シュウイチの方に向き直ると、
「亀田さん、カメはお好きですよね?」といった。
「亀山です」
「失礼いたしました。亀山さん、カメはお好きですよね?」
「いや、それほどでも……」
「そうですか……」

 鴨志田は少しがっかりしたように頭をたれた。シュウイチは、ちょっと申し訳ない気がして、

「いや苗字は亀山なんですけど、カメを飼ったことはないんで……でも、かわいいですね」と心にもないことをいった。
 鴨志田の目がぱっと輝いた。

「大丈夫です。カメはそんなに手がかかりませんから。(わたくし)どもの方でも、必要とあらば、いつでも、サポートさせていただきます」
「はあ……」
「うちにある本もお貸ししますのでもっていってください」

 鴨志田は立ち上がると、不動産登記法や賃貸物件関係のファイルといっしょに棚にならんでいた『カメの飼い方』とか『カメは友だち』といった本や『亀道楽』という雑誌を取り出すとテーブルの上に置いた。

「『亀道楽』はなかなかおもしろいですよ。バックナンバーもあります。『うちの美亀自慢』のコーナーが人気みたいです」
「あのう、それで説明は……」
「そうでした、それが肝心カメ、いやカナメですね」
「はは……」
「では、最初からご説明させていただきます。電話でもお話しいたましたように、この物件は賃料が破格です。いわゆる訳あり物件なんですが、殺人事件があったとか、幽霊が出るといった物騒なものではございません。それどころか角部屋で日当たりもよく、しかもリフォーム済。中にいると団地とは思えないほどインテリアもラグジュアリーです」
「それはうかがいました」
「そうでしたね。それでオーナー様は昨年の9月まで住んでいらっしゃったんですが、なにか事情があって、おそらく外国へ行かれることになって、この物件をキープしたまま出かけられることにしたんです。私どもは、その管理を請け負いました。本来は賃貸物件ではなく、管理、具体的には掃除や点検などを引き受けるという契約でございました」
「はあ」
「ところが、その管理項目の中にこの子も含まれていたんです」

 鴨志田は机の上のカメの写真を指さした。

「この子、ですか……」
「はい、この子です、オーナー様からは、年は20歳くらいと聞いています。うら若い乙女です」

  鴨志田が恥じらうように手でマスクをした口をおおう仕草をした。

「それで、管理というと……」
「はい、つまり、このカメちゃんの世話を頼まれたんです。もちろん、それは私どもの業務の範疇を逸脱するということについては再三ご説明申し上げたのですが……その分、特別管理料を上乗せするとおっしゃられたんです。そのとき提示された額が……いやこれは申し上げられないのですが、いわゆる目の玉が飛び出るような額でして、いや、これ以上は断じて申し上げられません」
「聞いていませんけど……」
「そうでした。そんなわけで、私どもの方で、このカメちゃんのお世話をさせていただいていたのですが、カメちゃんのお世話をしながら、日々の仕事をするということになると、いろいろ差し障りもあって、かといって、私の家につれて帰ると 妻が『気持ち悪い』とか『臭い』とかいうもので、それで、この前オーナー様にご相談しましたら激怒されまして……」
「激怒?」
「はい、オーナー様からは『必要なときは自分から連絡する。けっしてそっちからは連絡をするな』といわれているのですが、その禁を破ってしまったので……」
「なんですか、それ? オーナーってどういう方なんですか?」
「あ、それは個人情報なので申し上げられません。というか、私どもも直接会ったことがなく、くわしく知らないのです。ただ、正直申しまして、あのレベルの古い団地の一室をどうしてそんな高額の管理費をかけてまで維持されようとするのか腑に落ちかねるところがあります。ベイエリアのタワーマンションでも、あれほど管理費はかからないでしょう。カメ一匹、いや失礼、お一人様のおカメさまの世話ならばペットホテルとかでも引き受けてもらえそうな気がするのですが、それはオーナー様の望むところではないのだと推測しております。おそらく、カメちゃんとの間に、なにか因縁があるのでしょう。命を救われたとか、それだとまるで浦島太郎ですね、そうそう、浦島太郎といえば、お部屋に玉手箱みたいな箱がありますが、それはけっしてさわらないようにと仰せつかっています。いや、そういえば、オーナー様、太郎という名前なんです。気になりますねえ。いや、話しすぎました。これ以上はどんなに問い詰められても、けっして申し上げられません」
「聞いてませんけど……それで話の続きですが」
「はい、そうですね。そのオーナー様が激怒なされたとき、少しだけお話しさせていただいたのですが、オーナー様の方から、責任をもってカメちゃんの世話をしてくださる方がいるのなら、その方に部屋に住んでもらうはかまわない、という提案があったのです。私どもとしても、高額な管理費をいただいている手前、オーナー様のご意志にはぜひ添いたく、そうした入居者の方を探していたのです。たいへんにいい話なのですが、オーナー様から出された条件がもう一つありました。それは賃借人の名前に『亀』の字が入っていることというものだったんです」
「それで私が……」
「そうなんです。ネット広告を見て関心を持ってくださる方はたくさんいたのですが、『亀』の字のつく名前の人は現れず、どうしたものかと思っていたところに、亀田様からお問い合わせをいただき、お名前を見て、これはまさに天の采配だと喜んだ次第です」
「亀山です」
「失礼いたしました」
「それにしても、借り手の名前に亀の字が入っていることって、なんなんですか?」
「さあ、そこは私どももわかりません。あくまでもオーナー様のご希望なので」
「かなり変わった方ですね。変わっているというか、相当の変人ですね」

 オーナーの意図がどこにあるのかはわからないが、団地の一室とはいえ、ほとんどタダ同然の額で部屋を借りられるのは魅力だった。敷金や礼金も不要で、家具もそのまま使っていいとのことで、ほとんどの荷物を処分してしまったシュウイチとしてはありがたかった。

「ええと、ひとつ確認したいんですが、電話でお話したように、私、無職なんですが、それでも大丈夫ですか」シュウイチはおずおずと切り出した。
「承っております。求職中ということですね」
「求職中というか、じつは前の仕事をやめて、旅行に出る予定で前に住んでいたマンションを引き払ったんです。ところが出発前に、今回のようなことになって、いろいろ予定が狂ってしまって。結局旅行はキャンセルになって、仕事も、住むところもなくなってしまって……そんなかんじです」
「そうでしたか。じつはですね、亀山様からお送りいただいた職務経歴書などの情報はすでにオーナー様にお送りして了解を得ておりますので、その点はご心配なく。仕事がないのであれば家にいてくださる分、カメちゃんに行き届いたお世話がしていただけるので、かえって都合がいいくらいです」
「えっ? いや……」
「ご安心ください。先ほども申し上げたように、私どもの方でサポートもいたします。オーナー様がつくられたカメの世話マニュアルのpdfファイルがありますので、のちほどメールでお送りいたします」
「いや、決めるのは下見をしたあとで……」

 シュウイチがそういいかけるのを無視して、鴨志田はいったん席を外すと、宅配便に使われそうな小型の段ボール箱を抱えて戻ってきた。テーブルの上にしずかに箱を置くと、その蓋を開けた。

「カメちゃんです」鴨志田がいった。

 写真と同じカメが箱の中でじっとしていた。写真とちがって手足も頭も甲羅の中にひっこめている。15秒ほど見つめていたが動く様子はない。さらに15秒ほど鴨志田と向い合せで待ったが変化はない。

「緊張しているんでしょう」

 鴨志田は蓋を閉じると、

「では、物件の団地までクルマでお送りします。ここから30分くらいです。おそれいりますが、箱を持っていただけますか」といった。
「えっ、下見なのに、カメも連れていくですか」
「はい、今日からもう住めますから」
 そういうと鴨志田はテーブルの上の『カメの飼い方』『カメは友だち』それに『亀道楽』のバックナンバー五冊を重ねて、カメの入った箱の上にのせた。
「さあ、亀山様、行きましょう」

 しかたなくシュウイチは立ち上がり、本の載った箱を抱えた。鴨志田が先に立って店のドアを開けて、シュウイチに出るように促した。

「あの」とシュウイチは鴨志田に呼びかけた。
「はい?」
「このカメ、名前は何ですか?」
「名前ですか?」
 鴨志田はしばらく黙っていた。マスクの上にのぞく目がなにかを探るように泳いでいた。数秒してから、きっぱりした口調で鴨志田がいった。



「名前は、ありません」
 
 

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著者略歴

  1. 田中真知

    あひる商会CEO、作家、立教大学講師。慶應義塾大学経済学部卒。エジプトでの8年にわたる滞在経験や中東・アフリカの旅を扱った著書に『アフリカ旅物語』(北東部編・中南部編、1995年、凱風社)『ある夜、ピラミッドで』(2000年、旅行人)『孤独な鳥はやさしくうたう』(2008年、旅行人)『美しいをさがす旅にでよう』(2009年、白水社)『旅立つには最高の日』(2021年、三省堂)など。1997年、イラク国際写真展にて金賞受賞。アフリカのコンゴ河を丸木舟で下った経験をもとにした『たまたまザイール、またコンゴ』で第一回斎藤茂太賞特別賞を受賞。

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