藝術2.0から新たなGEIDO論へ
藝術2.0から
私は昨年、『藝術2.0』註1を上梓した。
人類の創造性は、18世紀後半以降仮託されてきたArtから、現在Art自体が歴史的使命を終えつつあるとともに、他の、人類の未だ知らざる領野へと移動し、新たに芽吹きつつある――私は、その新たな創造性の萌芽を、とりあえず(他に適する言葉を見出しえないがために)「藝術2.0」と名づけ、その未だ見極めがたき発現を、「工芸」「発酵」「坐禅」「カフェ」「学び」「コミュニティ」「茶道」などと呼ばれてきた領域の内に手探りし、その予兆に満ちた蠢き、創造的潜在力を触診したのだった。
木桶職人中川周士の桶の「突然変異体」、発酵デザイナー小倉ヒラクの「冷たくも熱いクリエーション」、美術家小山田徹の「無技の技」、私も立ち上げ・運営に携わった三田の家の乱交的学び・歓待、アズワンネットワークの「探究」する〈中空=円〉の可能性、禅僧藤田一照の追求する「くつろぎの坐禅」、そして若き茶人たち陶々舎の開く茶道の現代的潜勢力。それら、取り留めなく雑多にみえるやもしれぬ試みの内に、通底し共鳴する「藝術2.0」の顫動音を聴きあてていったのだった。
でもなぜあえて「藝術2.0」なのか? 来るべき創造性を表すのに、事もあろうに古字「藝」を用い、にもかかわらず「2.0」なのか?
(以下、『藝術2.0』の行文と部分的に重複することを許されたい。)
当然のことながら、この国にはある時代まで「藝術」「芸術」「アート」という概念・実践、ましてや「Art」という概念・実践は存在しなかった。日本で初めて、「Art」(正確には「Liberal Art」)を翻訳せんとして、「藝術」という文字・語を当てたのは、政治家で哲学者であった西周(1829-97)である(「哲学」という語もまた西が作った)。彼は、Artの二種類、すなわちMechanical ArtとLiberal Artに対し、それぞれ「技術」と「藝術」という語を発案した。なぜ、Mechanicalに「技」、Liberalに「藝」なのか? それぞれの漢字の原義・成り立ちに基づいたのである。「技」は、「大工の如き」「支體を勞する」字義ゆえに、「藝」は、「詩文を作る等」「心思を勞する」義ゆえに註2。
技は則ち手業をなすの字意にして、手ニ支の字を合せしものなり。支は則ち指の字意なり。藝の字我朝にては業となすへし。藝の字元トの字より生するものにして、植ゑ生せしむるの意なるへし。註3
すなわち、西は、「支體を勞して」「手業をなす」Mechanical Art=「技術」に比する形で、Liberal Artを「心思を勞して」、いわば精神の種を「植ゑ」、作物を「生せしむる」術と解し、「藝術」という字を当てたのである。それは、あたかも(Liberal) Artという西欧伝来の精神の種子を、やはり元来は別の異国伝来の文字の形象力を借りて、日本という異種の文化的土壌に移植し生い茂らせようとする所作であった。
はたして、その後(Liberal) Artは、西が願ったように、「藝術」として、日本という土壌に根づいたのか。それは、第二次世界大戦後、時の政府が「当用漢字」という政策の下に、「藝」の字に対して、その原義と真逆の意をもつ「芸」(「草を刈りとる」意)という字を代用したように、(Liberal) Artの原義と実体を忘却したまま、その代用、すなわち「芸術」をいたずらに反復しただけでなかったのか。さらには、あたかもその忘却を忘却するかのように、あたかも自分たちがArtの嫡子であると幻想するように、「アート」と擬音で言い換えつつ、その代用性を知らず知らず補強しただけではなかったのか。
それにしても、私はなぜわざわざ、人類にとって未知な創造性を、古字「藝」を用いて「藝術2.0」と呼びたいのか。その理由は、一つには、この国の「芸術家」あるいは「アーティスト」たちが反復し続けてきた「芸術」ないし「アート」と、それが明白に袂を分かつはずだと予感しているためであり、もう一つには、西がおそらくは150年前Artにとっての未踏の地=日本に望んだように、しかし今度は全く別次元の、人類にとっての未踏の地で、この「藝術2.0」が「心思を勞して」、精神の種を「植ゑ」、作物を「生せしむる」術にならんと、望むからである。
しかしなぜ、「Art2.0」でなく、「藝術2.0」なのか。
『藝術2.0』の第二章で詳しく述べたように、Artは、まず何よりも人類に普遍的な事象ではなく、あくまで「西欧近代」という特定の時代・地域が作り出した歴史的概念であり実践である。18世紀後半から19世紀前半にかけて、当時のヨーロッパの「先進国」で、精神の冒険家たちが、それまでその被造物の「模倣」しか許されていなかった、唯一絶対の創造主=神の玉座を簒奪しようと、宇宙創世の秘術を自らの精神の内に映し込み「作品」として再創造せんと全身全霊で挑んだ。が、その再創造の術=Artは――それを通俗的な芸術史・批評は「芸術のための芸術」や「芸術の自律性」などと俗称した――、所詮「再」創造にすぎず、神の創世を反復・再演せんとする狂気じみた、「精神」の極度にメガロマニアックで無謀な冒険であったがゆえに、早晩その極北で座礁し砕け散り、肥大化した「精神」に貶められていた「肉体」もまた荒廃の極に達した。
このArtの狂気と真意を炯眼にも見てとった、一人の年若いフランス人、マルセル・デュシャンは、Artの歴史を根底から転覆させる、文字通り前代未聞の賭けに出る。それこそが、「レディメイド」、なかんずく『泉』(1917年)である。Artが絶望的に追い求めた宇宙的とも言える〈美〉の、およそ最も対蹠点にある「便器」をひっくり返し、Art作品と嘯かんとする劇作術を労して、Artの舞台にさりげなく差し入れた『泉』は、Artの〈外〉=Non-ArtをArtと僭称しようとする自家撞着的身振りによってArtそのものの存在理由を根底から問い直すとともに、その身振りを社会的に認知させることで、Artの領土を〈外〉へと拡張しようとする、メタ言語的であると同時にいたって「植民地主義」的な行為であった。
この、『泉』がものの見事にパフォームしてみせた〈メタArt〉あるいは〈Art2.0〉。それを以降、アートワールド――Art2.0が作り出した世界――は「Contemporary Art」などと通称し、このデュシャンのロジックを反復することにしか能がないように、いかにそれまでArtでなかったものをArtにするか、いかにArtの新しい〈外部〉を発見・発明し、それを〈内部化〉するか、その新しさ・アイデア合戦の如き場と化した。そしてゴミ、騒音、無意識といったものから、しまいには空虚(イヴ・クライン)、無音(ジョン・ケージ)、沈黙(サミュエル・ベケット)といったArtの「零度」にまで身を晒し、決定的な「死」「終焉」を迎えるかに見えたが、今度は一転してArt(2.0) 自体のリサイクル、シミュレーションで起死回生を図ったかと思うと(ポストモダニズム)、「アウトサイダー」たち、そして「欧米」の〈外〉(含日本)の造作にいたるまで植民地化を企てたが、それらの延命工作もついに20世紀末ことごとく潰え、新世紀の黎明とともにArt(2.0)は、Moneyとの禁断の婚姻を成就しつつ(アートマーケットの空前絶後の盛況)、創造性の亡霊・ゾンビと化し、その歴史的使命を終えていく。
だから、藝術2.0は、Art2.0でありえない。むしろ、今や創造性の亡骸となったArt2.0から、創造性が知らぬ間に抜け出し、その心思の種を全く他所の、未知なる地に散らし、芽吹かせ、作物を生せしむる全く新らしき術、しかし、その未知なる地・術は、未だとりあえず既存の領域に何気なくひっそりと潜んでいるがために、従来の物の見方に縛られている眼には見分けがたい、そんな潜勢的な蠢きなのである。
私にしたところで、その予兆に惹かれながらも、蠢きの正体を見分け始められるまでに、十余年がかかった。Art(2.0)のみならず、慣れ親しんだ「学び」、「カフェ」、「坐禅」、「コミュニティ」などの言説の呪縛から解かれるには、工芸、発酵、茶道といった、それまでの私には未知な文化に出会い、しかしその古来の知恵・技のみならず、そこに萌えつつある鮮やかな創造の芽を見極め、そこから翻って、親しい土壌にもやはり潜んでいた同種の創造性の倍音を聴きとるという、地道だが胸躍る作業が必要であった。その軌跡が、前著『藝術2.0』に他ならない。
その旅の途上、私は、藝術2.0の秘鑰とは何か? と再三自問した。そしてある日、小倉ヒラクの『発酵文化人類学』註4に出会った。まさに運命的な出会いであった。そこには、秘鑰を明かすヒントが散りばめられていた。
小倉は、人類学者クロード・レヴィ=ストロースの有名な二分法「冷たい社会」と「熱い社会」を発酵学的に変奏しつつ、現今の醸造家たちのクリエィティヴな挑戦を、「冷たいクリエーション」(先祖伝来の発酵文化)の「熱いクリエーション」(現代的感性とテクノロジー)による再デザイン化、あるいは「オーガニック軸」に沿って原点回帰しつつも、同時に「イノベーション軸」に未来的可能性を開花させるような、いわば「冷たく」も「熱い」逆説的なクリエーションと、捉えていた。
さらに彼は、私が試みたインタビュー註5の中で、「熱いクリエーション」による再デザイン化を可能にするのは、醸造家たちが蔵している「OSとしてのアート」なのではないかと指摘した。彼自身はそれ以上含意を詳らかにしなかったが、私はそれを受け、以下のように推察した。「OSとしてのアート」とは(彼の行論からいって)もちろんArt(2.0)、ましてや「アート」という言説のことではなく、それとは全く異質な何か、なのではないか。醸造家たちの発言から推すと、おそらくは彼らがバブル時代以降摂取してきた多種多様なポストモダンでデジタルな文化と、ある時点でその飽和に嫌気がさし、バックパック一つで地球のあちこちをさまよい歩き体験・狩猟採集した文化的・感性的断片――そこにはArt(2.0)の断片も入りうる――との、奇妙な混成体ではなかったろうか。その混成体、その人独自の「小さな物語」を、小倉はとりあえず「OSとしてのアート」と呼んだのではないか。そして、その「OS」と言いつつも、各自の内で特異に書き換えられていく「小さな物語」が、どこぞのローカルな「冷たい」発酵文化、そして微生物たちの蠢きと出会い、その人、その地ならではの「サムシング・スペシャル」な発酵食を共に創りだしていく。その「冷たく」も「熱い」クリエーションの逆説的弁証法こそ、藝術2.0の秘鑰、少なくともその一つであると、私は確信したのだった。
そうして、私は小倉以外にも、この「冷たく」も「熱い」創造の弁証法を、探し求めていった。中川周士の木桶と現代美術が野合する「突然変異体」、藤田一照の英語とソマティックワークと他者との交わりで変革される坐禅、(元ダムタイプ)小山田徹の焚火へといたる「モダニズム」、陶々舎の無印良品で点て供する茶道、そして私自身の『双賽一擲』(ステファヌ・マラルメ)的感性が充満した“もう一つの”学び場「三田の家」などの中に、藝術2.0の弁証法=秘鑰を探索し、詳らかにしていった。
その過程の中で、徐々に、二つの奇妙な形象が立ち現れてきた。Vと○である。しかもいびつなVといびつな○である。
新たなGEIDO論へ
まず、いびつなVとは何か?
これら「藝術家2.0」たちの探究、そしてそれを思想的・理論的に解析するために招来した思想家たち(田辺元、久松真一など)、創り手たち(千利休、ステファヌ・マラルメなど)の説くところを実存的に観じると、いずれも皆、次のような軌跡を描いていた。――各々が生まれ落ち育ってきた「有」の世界、そこにはその世界を成り立たせる固有の文化的・社会的諸構造、そして多数の「型」が充満している。それらの構造を学び、型を修めていく修業・修行の中で、ある者たちは、その行の深まりとともに、それらの構造・型を突き抜け、〈外〉へと、「有」なき底なしの「無」へと出てしまう。実存が、限りない危機へと晒され、「無」の深奥へと消尽していく。が、突然、そんな無限の底なき底から何かしら暖かいものが、〈いのち〉の奔流が湧き出てくる。限りなく無と化した自己も、その奔流に乗り、奔流そのものとなり、気づくと再び「有」の岸辺へと流れ着いている。そうした「有」ないし「生」から「無」ないし「死」への「参入」、そして「無・死」から「有・生」への「還帰」の実存的冒険の軌跡を、私は「V」という形象として観じたのである。
久松真一は、この実存的「V」に、日本の藝道(茶道、能など)の真髄を見た。彼は、西欧のArtが「有」から「無」への「参入」としての探究に終わっているのに対し、藝道は「参入」の道を辿った後、もう一つの道、すなわち「無」から「有」への「還帰」の道において為される技だという註6。「参入」の探究の末、空無化された自己を、久松は「無相の自己」と呼び、その藝道の主体=無相の自己にとって、「還帰」する「有」そしてそれを成す構造・型は、もはや「参入」の出発点であったそれではない。自己が従い、それに縛られる型ではなく、それは“戯れ”の相手となる。自らの藝を演じるための“遊具”となる。そうした境地に遊ぶ「名人」たちは、まずは、自らが演じる藝の巨視的文脈(時代・地域など)や微視的環境(現場の自然的・人為的条件など)に応じて、臨機応変に、ある型を選び、捨て、変え、あるいは新しい型を創る。これこそが、藝道で言うところの「破格」である。そうして、「名人」は己の藝を再創造する。しかし、名人によっては、それに留まらない。さらに「離格」の境地に達する。
夏はいかにも涼しきやうに、冬はいかにもあたかなるやうに、炭は湯のわくやうに、茶は服のよきやうに、これにて秘事はすみ。註7
利休の「無作の作」、芭蕉の「軽み」、世阿弥の「妙」…。
ところで、岡倉天心は、『茶の本』で、茶人たちの生ける花の究極として「花御供」(花を生贄にして捧げること)を挙げる。
花の中には死を栄光とするものもある――日本の桜のように、すすんで風に身を委ねるのだ。吉野や嵐山の桜吹雪を経験したことのある人なら誰でもわかるはずだ。つかの間、花たちは、宝石の雲のように渦巻き、水晶のような流れの上を舞うかと思うと、次の瞬間には、笑いさざめく水の流れにのって消えていく、あたかも、こう語りかけながらのように。「さようなら、春よ、私たちは永遠に向かって旅立つのです」。註8
ここにはもはや、人間のいかなる「作」もない。ただ自然の「作」があるのみである。これこそ、「無作の作」=「離格」の極みであろうか。
だが、この桜の死を「栄光」と断じ、「美」と感じるのは、他ならぬ人間ではないだろうか。限りなく「無」化されたとはいえ、あるいは「無」化されたからこそ、人間の〈いのち〉は桜の死と合一し、打ち震え、共に笑いさざめくのではないか。
床の間に生ける一輪の花もまた、あるいは茶を点てる所作の一つ一つ、設えの一つ一つもまた、同様に、無化された自己の〈いのち〉の、自然への捧げものである。無限小の自己と、無限大の宇宙とが交感しあう「依り代」である。藝術2.0とは、したがって、この藝道の「無作の作」の復活にあるのだろうか。
否、とはっきり言おう。
若き茶人、陶々舎の一人、中山福太朗は言う。
蛍光灯の下でマックの味を知った私たちが、Perfumeを聴きながらどんなお茶をするのか。伝統文化なんて言葉に惑わされず、いま現在生きている自分の感覚で、それをいいと思うかどうかを判断していい。利休は死んでしまいました。今、現世に生きている私たちが、尊い。その私たちが、何をいいと思うのか――そこに魅かれます。誤解を恐れず言えば、家元制度はシーラカンスみたいなもの。あのまま生き続けていくことが大切なのだと思います。そのまま、ずっと受け継いだものを伝えてもらわないといけないし、それが博物館に収蔵されるのではなく、生きたものとして存在することに、大変な意義がある。私たち市井でお茶をしている人間はそうはなれないし、そうなる必要もない。トビウオにならなきゃいけないし、機動力も必要です。守らないといけないものがあって、好き勝手にしてはいけない人たちがいてくれるからこそ、私たちが自由に動くことができる。それは本当にありがたいことです。註9
そう、私たちは、茶を知りながらも、マックも、Perfumeも知ってしまった。私たちの「OSとしてのアート」は、「ポストモダン」で「マルチカルチュラル」で「デジタル」な時代だからこそ、古今東西、多種多様な文化、型を、各々の仕方で採取・編集し、極度にハイブリッドで「熱い」「小さな物語」を編み上げている。それら個々に特異な「熱いクリエーション」が、今、どこぞの、これまたそれぞれに特異な自然環境で、その地に固有な「冷たいクリエーション」と出逢い、その逆説的弁証法の螺旋的探究の内で、「熱い」型「冷たい」型もろともが「破格」され、この世に一つしかない「サムシング・スペシャル」を生み出していく。それこそが、藝術2.0。
ただし、藝術2.0を演じる主体は、必ずしも藝を極め尽くした名人に限る必要はなかろう。各々のVもまた深浅広狭において特異であってよかろう。「物足りない」(藤田一照)ままでも「差し控えて」(田辺元)もよかろう。Vは、だから、個々に「いびつ」であってもよかろう。
それら「いびつなV」たちが繰り出す「熱くも冷たい」クリエーション。それを通した、人間と自然との一期一会的co-creationこそを、私は「藝術2.0」と呼びたかったのだ。だが今や、この新たな創造性は、「熱いクリエーション」がますます多文化横断的に活性化しているがゆえに、この狭隘な島国に限られた現象ではなく、地球上のいたるところで特異な「冷たいクリエーション」と出逢うことにより、その現場に固有な「サムシング・スペシャル」を生み出しているはずだ。だからこそ、私は、原稿を書き進めるにつれ、(JUDOやAIKIDOなどと同様)あえてGEIDOと呼び記してみたい欲望に駆られたのだ。
「いびつなV」が、GEIDOの精髄の一つだとすれば、もう一つの精髄が「いびつな○」である。
心理学者河合隼雄は、『古事記』を読み解き、奇妙にも反復される三神の組み合わせのうち、中心にあたる神が常に無為で、記述すらほとんどないことに着目した。そして、この『古事記』神話における「中空性」こそ、以後発展してきた「日本人の思想、宗教、社会構造などのプロトタイプ註10」になっていると主張する。そしてそこから、「中空巡回構造」を導き出した。
筆者が日本神話の(従って日本人の心の)構造として心に描くものは、中空の球の表面に、互いに適切な関係をもちつつバランスをとって配置されている神々の姿である。ただ、人間がこの中空の球状マンダラをそのまま把握し、意識化することは極めて困難であり、それはしばしば、二次元平面に投影された円として意識される。つまり、それは投影される平面に応じて何らかの中心をもつことになる。しかし、その中心は絶対的ではなく投影面が変れば(状況が変れば)、中心も変るのである。註11
河合によれば、「中空巡回構造」は、社会組織の中で「短所」として現れれば、責任の所在が一つの「中心」に収斂せず、小さい仮初めの中心を経巡り、宙吊りになってしまう「無責任体制」となる。しかし(河合自身は明言していないが)それが「長所」として働き出せば、私が自ら体験し『藝術2.0』で描いたアズワンセミナーの「探究」=円座の場の如く、小さい中心たち、小さい「神々」たちが、各々いびつなVの奥底から辛うじて発する呟き、叫び、あるいは沈黙の強度が、中空の虚ろをさざめかせ、きらめかせ、荘厳するような小さな「奇跡」すら起こしうるだろう。
茶の席もまた、いたって「いびつな○」である。そこでは、あるいびつなVを体現する者=「亭主」が、他のそれぞれいびつなVたちを招く。彼らは、小さな火を囲み、あるいは「中空」のままで、坐る。招いたVは、他のVたちを歓待するために、一服の茶を、一献の酒を、一皿の料理を、あるいは一輪の花を、一幅の画を、一本の香を、あるいは簡素な一言を、沈黙を、供する。亭主は、はたして、それらの手向け、渾身のギフトが、客たちのVの心奥でどのように迎え入れられ、何を引き起こすか、知る由もない。それでも、彼(女)は、全身全霊を込めて、贈りつづける。客=Vたちの〈いのち〉がやがて微笑んでくれることを願って。
いびつなVたちが、実存的に興じあういびつな○。その席=場は、何も茶席や件のセミナーに限らない。『藝術2.0』でも、私はいくつかの「ワークショップ」「カフェ」を取り上げつつ、その倹しい豊穣さ、小さな奇跡を描いてみせた。そこでは、「ファシリテーター」などと呼ばれもする亭主が、親しき者たちを招く。あるいは誰を招くのでもなく、でも誰が訪れてきても無条件に招じ入れる。親しき者たちを招く場合にも、彼(女)らの既知の人となりを再認し興じあうために招くのではない。親しき者たちの内にも秘められたVへと、自らのVの奥底から“何か”を手向け、贈るために招くのだ。その時、そこで、自らが、その者にしか手向けえない何かを手向けるのだ。「一期一会」の心構えとはそうしたものだ。久松は言う。
この「一期」というのは「一期の命」などと使われるごとく、「一生涯」を意味し、「一期一会」とは一生涯に一度の会の意味で、それが特に茶会を催す場合の心構え、態度などに関して多くいわれておるものである。茶事を催す場合、これが一生涯一度の会であると観念していれば、万事に隙なく心を配り、そこに自己の最善を尽くすこととなる。註12
それは、「せっぱ詰まった」事態でもある。実存的に絶体絶命に追い込まれた事態でもある。一切逃げ場がなく、でも何かを手向けなくてはいけない事態である。そこに久松は、日常の限界を突破する異常な力の湧出を見る。
せっぱ詰まったということが、単に否定的な絶望契機にならないで、むしろ絶対肯定契機となる時に、人間は日常の限界を突破して、異常な自在な力を発揮することができるものなのである。註13
この絶体絶命の窮しきった境地を全面的に肯定し楽しみきるところに、「亭主」の歓待の醍醐味もまたあるだろう。
ところで、岡倉天心は『茶の本』で、茶道は「東洋的民主主義」の神髄を示すと述べている。
茶道は貴婦人の優雅なサロンにも受け入れられれば、庶民のあばら家にも分け隔てなく入っていった。わが国の農民は花を生ける術を心得てきたし、最下層の労働者ですら岩や水を聖なるものとして敬うことを忘れなかった。註14
そう、茶道はおそらくある時代まで(少なくとも天心の時代まで)、市井の生活の隅々に(正式なお手前ができるか否かにかかわらず)、その精神と型を「民主主義化」していた。だが、その「民主主義」は単なる世俗化ではなかった。逆に、日常の世俗の「縁」を半ば断ち切る、脱「俗」的な、半「絶縁」的な、非日常的民主主義だった。露地を歩みつつ、蹲で手を浄めつつ、にじり口を通り抜けつつ、人々は「世間」のしがらみ、社会的アイデンティティから解き放たれていった。
私は、この茶道の「東洋的民主主義」を今や「東洋の理想」の呪縛から解き放ち、たとえばフランスの思想家ジャック・デリダが、民主主義の彼方に待ち望みつづけた「来たるべき」「無条件な」「絶対的」民主主義あるいは歓待註15へと読み換えたい。「藝道」ではなく、「GEIDO」として、いかなるいびつなVたちも無条件に歓待しあう一期一会のいびつな○の民主主義と読み換えたい。しかし、そのGEIDO、絶対的な歓待=民主主義は、デリダが言うように、絶えず「来たるべき」ものではなく、すでに、ここかしこに、来ているのだ。
私は、次章から、『藝術2.0』より受け継いだGEIDOの輪郭・本質を、さらに思想的に見極めるべく、人によっては隣接するとみえるかもしれぬ過去の創造の在り方、たとえば鶴見俊輔の云う「限界芸術」、あるいは柳宗悦が説いた「民藝」との共通点そして相違点を探索していくであろう。さらに、『藝術2.0』では探究を保留した領域、「セックス」、「経済」、そして既存の「アート」の内にすら、GEIDO的創造の蠢きが予感されることを詳らかにしていくだろう。最終的には、これらのGEIDO的実践が、自滅の危機に瀕する資本主義的文明から人類、そして地球の〈いのち〉を救う新たな創造性たることを示していきたい。
註1 春秋社、2019年。
註2 「術に亦二ツの區別あり。Mechanical Art and Liberal Art. 原語に從ふときは則ち器械の術、又上品の術と云ふ意なれと、今此の如く譯するも適當ならさるへし。故に技術、藝術と譯して可なるへし。技は支體を勞するの字義なれは、總て身體を働かす大工の如きもの是なり。藝は心思を勞する義にして、總て心思を働かし詩文を作る等のもの是なり。」(西周「百學連環」『西周全集 第4巻』、宗高書房、1981年、15頁。)
註3 同書、12頁。
註4 木楽舎、2017年。
註5 小倉ヒラク・熊倉敬聡・楊木希「OSとしてのアートが発酵文化をさらに『スペシャル』にする」、『PLAY ON』https://playon.earth/think/dailogues/ogurahiraku/
註6 『増補 久松真一著作集 第五巻』、1995年、法蔵館、461-469頁。
註7 『利休聞き書き「南方録 覚書」』、筒井紘一全訳注、講談社、2016年、58頁。
註8 岡倉天心『新訳 茶の本』、大久保喬樹訳、KADOKAWA、2005年、135頁。
註9 『青幻舎マガジンvol.19「先人たちの心を受け継ぎ いまに接続する茶の湯を。」』、http://www.seigensha.com/magazine/kyotokyoten19
註10 河合隼雄『中空構造日本の深層』、1999年、中央公論新社、41頁。
註11 同書、48頁。
註12 久松真一『茶道の哲学』、講談社、1978年、197頁。
註13 同書、203頁。
註14 岡倉、前掲書、17―18頁。
註15 ジャック・デリダ『ならず者たち』、みすず書房、2009年。