わからない――田中小実昌について
ウソをついてしまった。気がかわったので、西田幾多郎のことを書くのはいったんやめて、田中小実昌のことを、もうすこし、いや、もうしばらく、書いてみようとおもったのだった。いつまでつづくのか、じぶんでもわからない。
田中小実昌が西田幾多郎について書いた「なやまない」をふまえて「わからない」というタイトルをつけた。かれはカルチャースクールでギリシア語をやろうとしたのだけれど、たまたま古典ギリシア語のクラスがいっぱいだったので現代ギリシャ語のクラスに入って、でも結局「わからない」ぐらいしかギリシャ語がしゃべれないままギリシャにでかけてしまう。それでバスがすきだからとりあえずバスにのって、どこへ行くのかときかれても「わからない」とこたえるしかない。そうすると哲学の国ギリシャということなのか、バスの運転手やら乗客やらみんなで、こいつはどこへ行きたいのか、あっちだ、いやこっちだ、あそこかもしれない、それとも……と議論をはじめてしまったという。田中小実昌という名前をしばらく、かれがギリシャにでかけたときの「わからない」というコトバのかわりにして、かれの書いたものやしゃべったコトバたち、あるいはもしかしたら出ていた映画や飲んだ酒なんかもひっくるめて、ああでもない、こうでもない、と、かんがえるキッカケにしてみたいとおもう。
読んでいてわかるとおもうけど、いま書いているこの書きかたは、どうみても田中小実昌の書きかたのモノマネというか、あまりよくない方向に似てしまっている。わるいクセで、なにかを読んだりおもいうかべたりすると、なんとなくそのものいい、そのしゃべりかた、その口のききかたをなぞってしまうところがあって、こまる。文体模倣、パスティーシュ、というのがあって、ようするにだれかの書いたものやしゃべりかたに似せてものを書いてみるというモノマネのことなのだが、はたしてそう呼んでもいいのかどうかはわからない。プルーストは『失われた時を求めて』を書くまえにこのてのパスティーシュをあれこれ書いていたはずだ。だれそれみたいに書くとこうなる、なにがしみたいに書くとこんなぐあい、というふうに。レーモン・クノーの『文体練習』や、そのアイデアをいただいたウンベルト・エーコなんかのこともおもいだす。プルーストはおしもおされもしない大作家だし、クノーは言語実験、というとかたくるしいが、ことばあそびにかけては右にでるものがいないというか、ジョルジュ・ペレックなどそういうあそびをやる連中たちとむちゃくちゃなことをやっていたすごいひとだ。エーコは記号論の学者としても『薔薇の名前』のベストセラー作家としても、名前がのこるひとではないか。そんなひとたちとくらべるのは気がひけるけれど、でも、まあ、田中小実昌について書こうとするとどうしてもコトバをこういうふうにつかわないと気がすまないところが、どうしてもあるんだよなぁ。
そして副題というか、サブタイトルというか、とにかく「わからない」のあとに罫線をひっぱって「田中小実昌について」とつけたした。はじめは「田中小実昌」だけにしようかとおもっていたのだけど、おさまりがわるいように感じられたので、「〜をめぐって」とか、「〜にまつわる」とか、いろんなコトバをつけたしてみて、「〜について」にしようかな、という気になった。
大学院にいたころ、ジョルジュ・バタイユのことを研究、というと口はばったいがとにかくバタイユという名前つきででまわっているフランス語の文章をあれこれ読んで、それについて「このひとはこういっているけど、こう読んだほうがいいのではないか」とか、「あのひとはそうはいわなかったけれど、こんなコトバをつかったら、バタイユがここで書いていることをべつなふうに見られるのではないか」とか、そういう論文をいくつか書いていた。そのころ読んだ本で、ドゥニ・オリエの『コンコルド広場占拠』というのがあった。いまは水声社から『ジョルジュ・バタイユの反建築』というタイトルで訳本があるが、読みはじめたころはまだ訳がなくて、よちよち歩きのフランス語で読んだ。バタイユ研究の古典、みたいにいわれている本だ。そのなかでオリエは、バタイユ「について」書くのはむずかしい、ということをいっていた。むずかしい、だったか、不可能だ、だったか、それともっとべつのいいかただったか、いま本がないので見られないのだが、とりあえずバタイユ「について」、と書くのは、なんとなく具合がわるい、ということにしてください。ニホン語の「について」にあたるフランス語の単語はいろいろあって、英語だとaboutがまずおもいつくし、英語でもフランス語でもofとかdeとかかんたんな前置詞を名詞のまえにくっつけて言うこともある。ラヴェッソンの『習慣論』はDe l'habitudeだ。
ただ、いまさっき「について」と訳してみたオリエのコトバはフランス語の本だとsurという前置詞で(いま本がないのにはっきりおぼえている)、英語だとonとかoverとかと似たような、「〜のうえで/うえに」という意味の単語だった。バタイユもSur Nietzscheという本をだしている。「無神学大全」というシリーズの三冊めということになっている本だけど、シリーズとして読もうとしてもうまくいかない。ニーチェについて、というタイトルなわけだが、ニーチェの書いたものをあれこれ分析しているみたいな書きかたではなくて、ずっとバタイユじしんの日記の写しがつづいてみたり、ニーチェがでてきてもそれはひたすら引用で、とくにコメントをつけることもなくほったらかしにされたりしている。おなじぐらいのころにバタイユは『メモランダム』(ちくま学芸文庫のタイトルは『ニーチェ覚書』)という本もだしていて、これはほんとうにニーチェの引用だけの本だ。しかもドイツ語からバタイユがフランス語になおしたわけでもなくて、べつなひとたちの訳したフランス語のニーチェから、あちこちひっぱってきて一冊にしている。じぶんの名前で出してお金をとっていいのか、ちょっと迷うくらいの本だ。
そして『ニーチェについて』というタイトルの本なのに(いま出ているのは酒井健訳で、それよりずっとまえにこの本を訳そうとした出口裕弘は『ニーチェについて』『ニーチェ論』というふたつの仮タイトルをつかっていた)、あんまりバタイユがニーチェ「について」書いているようには読めない本になってしまったわけだけれど、バタイユ「について」書きにくい気がする(と、オリエがいう)のには、まだ理由がある。バタイユのみじかめの論文で、シュルレアリストたち、とりわけアンドレ・ブルトンへのわるくちのものがいくつもあって、そのなかのひとつでバタイユはおなじsurというコトバを、こんどは接頭辞としてとりあげている。シュルレアリスムとかシュルレアリストとかいうときのシュル(よくカタカナことばでいう「シュール」というあれだ)のこと。これとおなじ接頭辞をもつコトバとして、バタイユはsurhommeというのももちだしてくる。こっちは英語だとスーパーマンで、ようは「超人」。またニーチェか。
バタイユはシュルレアリスム、つまり「超」現実主義のことも、ニーチェの「超」人のことも、どうもそこではやっつけているらしい。よくわかっていないのでどこかできいたことの受け売りになってしまうのがもうしわけないが、それはどうも前置詞としてつかうときのsurともいくらかかかわっているようで、「〜のうえに、うえで」という「上」の語感とつながっているようだ。バタイユは「超」現実主義のブルトンを鷲になぞらえて、空たかく飛びあがる鷲ではなくて、地面のしたをあちらこちらへ掘りすすむモグラになるのだというはなしをする。上じゃなくて下なのだ。鷲というのはナチスのマークだから、ニーチェをよからぬほうにねじまげていたナチスもかさねられているといわれているが、そのあたりはよくわからない。
ともあれ、そんなふうなぐあいで、コトバについていろいろこんがらがった事情があるから、バタイユ「について」書くというのはどうも居心地がわるいというか、一筋縄ではいかない(のだとオリエはいう)。そのことをふまえたうえで(ああ、また「上」か)、「田中小実昌について」というサブタイトルのようなコトバを、つけくわえてみようとおもった。
これから、しばらく、田中小実昌について書く。その根っこのところには、「わからない」というコトバがある。「わからない」は「なやまない」からとった。田中小実昌「なやまない」は、西田幾多郎のことを書いたものだが、「クヨクヨするのはやめて前向きに生きよう」というはなしではない。西田幾多郎の生涯には、とんでもないことがつぎからつぎへと起こった。おこってはならないはずの、おこるはずがないことが、おきて、またおきて、西田はなやむことすらできなかった。「なやまない」というけれど、「なやめない」のほうがしっくりくるような気もする。ニホン語はむずかしいね、なんて、知ったような口をきく気にはなれないが、こっちのタイトルも「わからない」から「わかれない」にしたほうがいいのかもしれない。
でも、田中小実昌は「なやまない」というタイトルをつけて、文章を書いて、本になったときも『なやまない』でとおした。いまのところ、こちらも「わからない」でやってみようとおもっている。
田中小実昌、と、いちいち漢字で書くのもずっと居心地がよくない。かといって、コミさん、とか、コミ、とか、知りもしないひとを書くのも気がすすまない。田中、と呼び捨てにするのはいくらかアカデミックだし、いいような気もするのだが、そこのところは保留にしておく。
パスティーシュ、文体のものまねも、どこまでやるのかわからない。コトバじたいが、親やきょうだい、まわりのひとたちがしゃべっているのをマネしているうちに身につくものだから、すべてのことばはモノマネだといってもいいかもしれない。すくなくとも、じぶんのことばでしゃべりなさい、みたいな言いかたはすきではない。あのひとのあんなところをマネして、このひとのこんなところをマネして、とやっているうちに、いろんな鳥の羽をあつめてきたカラスのようになって、そのときはじめて「じぶんのことば」がうまれるんじゃないか。あれをマネして、これをマネして、それもマネして、でもあれにもこれにもそれにもちょっとずつ似ていない、そのズレのことを「じぶん」と呼ぶのだとおもう。
田中小実昌の本がそろっているわけではない。全集もでていないし、べつの名前で書かれたものもあるだろうし、本になっていないものもたくさんあるにきまってる。そういうところで、書く。むちゃなはなしだが、ほかにやりようもないのだし、まあ、どうかゆるしてやってください。ちょうど中央公論新社から『田中小実昌哲学小説集成』というのが三巻本ででることにもなっている。まだ買えていないけれど。
書きたいことは山ほどある。音痴ならぬ「カタチチ(形痴)」を自称していたかれが、漢字どころか、ひらがなやカタカナさえいつも書きまちがえていたらしいこと。翻訳のしごとをながいことやっていて、それがものを書くのにとてもおおきくかかわっているということ。書いているものが「物語」になってしまうことからなんとか逃げようとして、逃げきれない、でもジタバタする、「反物語的なものへの志向」とでも呼びたくなるところ。「物語」と「小説」のちがい。まえに『死にたいのに死ねないので本を読む』という本に田中小実昌のことを書いたとき、神秘体験というかんがえを基礎にしてみたことの反省、というか、かんがえなおし(かれはかれ自身やかれの父親について書くとき、神秘体験とか、神秘主義とかいうコトバは「ちがう」のだといっている)。ここまで何回か、田中小実昌のことをいうのに「かれ」というコトバをつかったが、その「かれ」が、オトコとおんなのバイナリな区別を生きていたことへの批判。でも「かれ」はコトバとしてはもともと男だけではなくて、女も、そのほかのひとたちも、モノや場所さえもさししめすようなつかいかたをするはずじゃなかったか、ということ。その「かれ」こと田中小実昌は、書くときに「ぼく」という字をつかっていて、けれどもいまこうしてかれについて書いているとき、「ぼく」と名乗る(べつに「わたし」でも「おれ」でも「われわれ」でも、なんでもいいのだが……)のは、どこかちがう気がすること。
たぶん、田中小実昌とかかわりのなさそうなことも書くとおもう。五年前、あたらしくみつかったウイルスの病気が地球のどこにいってもはやっていて、世のなかがめちゃくちゃになっているなかで、大学の助手としてはたらいていた任期がきれて、仕事がなくなって、わけがわからなくなっていたころのこと。そのあといろんな仕事をやってみたけどどれもつづかず、夜勤のアルバイトを紹介してもらって、なんとかやっていこうとおもっていたら、たくさん血を吐いて意識がもうろうとして、救急車ではこばれて入院したこと。うつ病がひどくなって、生活にかかわることがほとんどなにもできなくなって、福島にかえってきて閉鎖病棟に一ヶ月いたこと。そんなたいへんなことだけではなく、大学にはいったばかりで読んでいた本のこと。その本を書いたひとにじかに会ったときのこと。うまれてこのかた、いついかなるときも「死にたい」とおもっていること……。
しばらく、書いていきます。どんなペースになるか、それも「わからない」。もうしわけないけれど、「わからない」まま書きはじめて、「わからない」まま終わるまで、書かせてください。