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【特集】1850年代の音楽・文化・社会

ベルリオーズの創作を彩る人々と芸術──《トロイアの人々》をめぐって

 

──Quidquid erit, superanda omnis fortuna ferendo est.

(何があろうと、運がもたらすすべては耐えて乗り越えなければならぬ。)

 

 一八五八年四月十二日、長大なオペラ《トロイアの人々》の作曲を終えたベルリオーズ(一八〇三―一八六九)は、最後の小節のあとに、この古代ローマの詩人ウェルギリウスの詩句を書き綴った。これは、ローマ建国の神話を語る叙事詩『アエネーイス』のなかで、トロイアの英雄アエネーアスが、共にイタリアの地を目指す仲間から与えられた言葉である。

 ベルリオーズの《トロイアの人々》は、この『アエネーイス』を原作とする大規模な作品である。全五幕から構成され、前半の二幕ではギリシアとの戦いに苦しむトロイアの人々が描かれる。巨大な木馬のなかに隠れた敵の兵士によって滅ぼされるという、よく知られたトロイア戦争のエピソードである。後半三幕は、北アフリカに舞台を移す。そこで繰り広げられるのは、トロイアを脱出した英雄アエネーアスとカルターゴの女王の悲劇の恋物語である。アエネーアスは、国を再建すべくイタリアを目指して地中海を漂流するなかで、カルターゴの女王ディードと出逢い、二人は恋に落ちた。だが、彼が幸福な愛の日々を捨てて、使命を全うすることを選んだことで、残された女王は絶望と怨嗟のなかで自死を遂げるのである。

 オペラ史において、この《トロイアの人々》が構想され、作曲された一八五〇年代は、パリではオッフェンバックがオペレッタ《地獄のオルフェ》を、グノーが《ファウスト》を書き、フランス国外ではヴェルディが《リゴレット》や《椿姫》などの中期の名作を生み出し、ワーグナーが《ラインの黄金》、《ワルキューレ》、《トリスタンとイゾルデ》といった楽劇を創造した時代である。ベルリオーズのこの作品は、その古典的な主題ゆえに、ともすると前時代的・保守的という評価を与えられてしまうが、彼のキャリアにおいては最後の時期に書かれた大作として位置づけられるものである。本稿ではこの《トロイアの人々》の魅力に迫ってみたい。

 

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 われわれにとって《トロイアの人々》が興味深いのは、ひとつには、この作品が当時の音楽家たちの国際的なネットワークを背景に生み出されたという点にある。ベルリオーズと『アエネーイス』の出逢いは彼の少年時代にさかのぼるが、この叙事詩を基にしたオペラのアイディアが浮かんだのは、彼が作曲活動を休止していた一八五一年頃のことであった。それはベルリオーズにとっては壮麗で、深い感動を呼び起こす主題であったが、だからこそパリの人々は退屈し、うんざりするだろうと彼は考えた。彼には、過去の苦い経験からパリの聴衆に対する不信があったのである。

 ベルリオーズが実際に創作に着手したのは、それから五年が経った一八五六年の春であった。その年の二月から三月にかけて、ベルリオーズはフランスの外に聴衆を求めて、リストが宮廷楽長を務めるワイマールを訪れていた。このときの演奏旅行では、リストやベルリオーズ本人の指揮によって、かつてパリでは失敗に終わった《ベンヴェヌート・チェッリーニ》や《ファウストの劫罰》が披露されている。ベルリオーズが『回想録』に記すところによれば、このときに彼は――おそらく以前にも幾度か――リストの伴侶であったカロリーネ・ツー・ザイン= ヴィトゲンシュタインのもとを訪ね、彼女に『アエネーイス』を主題とする「シェイクスピア流」のグラントペラの構想を相談した。すると彼女は、作曲を躊躇する彼に対して、このような言葉をかけたという。

 

あなたのシェイクスピアへの情熱が、その古代の詩への愛と結びつくのですから、必ずや壮大で新しいものが生まれるはずです。さあ、そのオペラを、その劇詩を創らねばなりません。貴方はそれを好きなように名づけ、作るのです。とにかくそれに手を付け、そして完成させなくてはなりません。〔…〕その作品が貴方に引き起こすであろう、いえ引き起こすに違いない苦しみを前にして、たじろいでおられるのですか。それを恐れるほど貴方は弱いのでしょうか。ディードやカッサンドラのために、あらゆるものに立ち向かうことはなさらないのですか。それならば、二度と私のもとへはいらっしゃらないでください。もうお目にかかりたくはありませんわ。

 

 実はカロリーネには、ワーグナーという好ましからぬ人物がリストとの距離を縮めつつあったことが疎ましく、さらに彼が《ニーベルングの指環》という超大作に取り組んでいたことから、ベルリオーズとの同盟関係を強固にしたいという思惑があった。しかしベルリオーズは、おそらくはそのような事情は知らないままに、彼女の激励に背中を押され、パリへ戻るとすぐさま台本の作成に取り掛かった。五月十七日に彼がカロリーネへ宛てた手紙には、第一幕の台本を十日かけて完成させたこと、その作業は楽しさだけではなく失望や狂気を伴うものであったこと、そして、カロリーネの手紙を読み返しては気持ちを奮い立たせていることが、綴られている。ベルリオーズは六月の末に台本を完成させると、カロリーネの意見を伺うべく、「トロイアの人々を鉄道に乗せて」ワイマールへと旅立たせた。そして、その夏以降は一八五八年の春まで、演奏活動はバーデン=バーデンでの仕事に絞り、オペラの作曲に全力を傾けた。本稿の冒頭で紹介したウェルギリウスの言葉の引用からは、芸術家としての大仕事をやり遂げたベルリオーズの達成感が伝わってくるようである。その後、作品はカロリーネへと献呈されることとなった。

 この《トロイアの人々》のもうひとつ注目したい点は、ベルリオーズが敬愛する芸術家たちから受け取ったものが、印象的なシーンにおいて大きな効果をもたらしていることである。例えば、第四幕の最後にアエネーアスとディードが月明かりのもとで歌う二重唱は、「シェイクスピアへの情熱と古代の詩への愛の結びつき」を確認することができる箇所である。二人が声を重ねて「陶酔と限りない恍惚の夜!」と繰り返すなかで、音楽は煌めきを増しつつ拡がっていく。そのルフランのあいだに、女神ウェヌスとアンキセース(アエネーアスの父母にあたる)など、かつて恋人たちが愛し合ったのは、このような夜のことだったのだろう、そして、このような夜に自分たちも結ばれるのだ……と二人は睦言を交わす。この恋人たちの会話は、『ヴェニスの商人』の第五幕に由来するものである。シェイクスピアの戯曲では、月の光の美しい静かな夜に、若い二人の恋人ロレンゾとジェシカが古代に思いを馳せて、ディードがアエネーアスを追い求めたのはこのような夜のことだったのだろう、そして、このような夜に自分たちも結ばれるのだ……と囁きあうのである。ベルリオーズは、一八五六年六月に友人に宛てた手紙のなかで、この二重唱の真の作者はシェイクスピアであると語っている。

 この第三七曲〈陶酔と限りない恍惚の夜〉は、オペラ全体のなかではじめに音楽が付けられた箇所であった。ベルリオーズは台本を完成させると真っ先にこの二重唱の作曲に取り掛かり、そして作品が完成した後にも納得がいくまで改訂を重ねた。古代の叙事詩の世界に住むアエネーアスとディードに、シェイクスピアの恋人たちの声を与えたこの愛の場面は、作品全体の核を成す部分と見ることができよう。

 一方で、ベルリオーズが生涯にわたって崇拝した一八世紀のオペラ作曲家グルックも、この作品に影響を及ぼした存在のひとつである。ベルリオーズは、作曲が終盤に差し掛かっていた一八五八年の三月に、妹に宛てた手紙のなかでこのように述べている。

 

 《トロイアの人々》の音楽は気高く壮大だ。そしてまた、胸の張り裂けるような真実の音楽だ。〔…〕もしもグルックがこの世に蘇ったなら、「ああ、私の息子がここに」と言って、話しかけてくれる気がするんだ。

 

 ベルリオーズにとってグルックというオペラ作曲家は、常に劇的な音楽の理想としてあった。彼が音楽の道を志したのも、医学を学ぶためにパリに移り住んだ青年時代にオペラ座でグルックの作品を聴いた経験をきっかけとしていた。彼は指揮や批評の活動においても、グルックの音楽の普及に努めた。右に引用した書簡からは、《トロイアの人々》の完成を目前にしたベルリオーズが、そのグルックの後継者として自信を深めていた様子を窺い知ることができる。

 グルックの代表作《オルフェオとエウリディーチェ》には、最愛の妻を亡くしたオルフェオが絶望のただ中で歌う〈エウリディーチェを失って〉という有名なアリアがある。この単純な美しさを湛えた長調のアリアは、運命の残酷さを前にして死へと引き寄せられていく悲しみの時に、崇高な色合いを与えている。《トロイアの人々》にも、同様に印象的な長調の使用を確認することができる。第五幕第二場では、アエネーアスに去られて絶望に沈み、死を決意したディードが、彼女の国カルターゴと、かつて「陶酔と限りない恍惚の夜」に見上げた星々に別れを告げる。ベルリオーズは、ディードの錯乱と死の場面のあいだにこの変イ長調のエール〈さようなら誇り高き街〉を置き、それを彼女に「厳かに」歌わせることで、悲劇の女王の高貴な肖像を描き出した。恋人が残していった剣で自害するディードの最期は、作曲家が幼少の頃にこのウェルギリウス作品をはじめて読んだときから、その心に強い印象を残した場面であった。この「胸の張り裂けるような」シーンに、われわれはベルリオーズがグルックから受け継いだ「真の音楽」を聴き取ることができる。

 

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 一八六三年、パリのリリック座において《トロイアの人々》の後半三幕が《カルターゴのトロイア人》として舞台にかけられた。全五幕がまとめて上演されたのは、一八六九年に作曲家が没してから二十年以上が経った後のことである。そして、二十世紀も中葉になってから、トーマス・ビーチャムやコリン・デイヴィスといった指揮者の演奏によって、作品の魅力が広く知られることとなった。

 《トロイアの人々》は《幻想交響曲》から四半世紀の後に書かれた作品であるが、ここに作者の前衛から保守への後退を見るのは正当な評価ではないだろう。この作品は、ベルリオーズの音楽活動を支えた同志たち、そして、彼にとって「ロマン主義的」であった芸術家たちとの対話のなかで生み出された、彼の壮大な音楽世界として聴かれるべきものである。

 

※ ウェルギリウスの訳は『アエネーイス』(岡道男・高橋宏幸訳、京都大学学術出版会、二〇〇一年)を参照した。

 

◆『春秋』2018年1月号◆

 


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『巡り逢う才能:音楽家たちの1853年』H.マクドナルド著 森内薫訳

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著者略歴

  1. 塚田花恵

    国立音楽大学講師。西洋音楽史。

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