web春秋 はるとあき

春秋社のwebマガジン

MENU

〈メイド・イン・ジャパン〉の食文化史 畑中三応子

狂牛病パニック--地に墜ちた食の安全と国産信仰

二転三転した国内発生第1号

 アメリカの同時多発テロ事件の第一報が日本に入ったのは、2001年9月11日の午後10時前後。その日の朝刊各紙のトップ記事は、「狂牛病日本上陸か!?」だった。農水省が前日、千葉県で発生した疑いがあると発表したのである。

 いきさつは、こうだった。8月はじめ、千葉県白井市の酪農家が飼育していたホルスタイン種の乳牛1頭が立てなくなった。牛舎で死なれると、産業廃棄物として有料で引き取ってもらわなくてはならない。生きているうちに食肉として処理しようと、8月6日に千葉県内の食肉処理場へ運んだ。

 牛は、処理する前に死亡したらしい。起立不能などの症状が狂牛病に似ていたが、立ち会っていた獣医による検査では、ひとまず食肉にしても大丈夫と判断された。だが、解体後の詳しい検査で敗血症と診断され、肉と内臓すべて全廃棄処分となった。

 食肉処理場は農水省のガイドラインに従い、牛の延髄(脳の一部)を採取し、茨城県つくば市の動物衛生研究所に送り、プリオニクステストを行ったところ、最初は陰性だった。これが15日。規定どおり、24日に千葉県の家畜保健衛生所がホルマリン漬けで保存してあった脳の顕微鏡検査を行うと、空胞が見つかった。念のため、動物衛生研究所に脳の断片を送ったのが9月6日。より精密な生化学検査で空胞が確認され、さらに免疫組織化学的検査で異常プリオンたんぱくの存在が陽性と出た。

 動物衛生研究所が農水省に陽性を報告したのが、9月10日。ここまで1か月以上もかかっている。ところが、農水省は問題の牛を「疑似患畜」として、イギリスの獣医研究所に検査を依頼。結論は引き延ばれた状態で、感染の可能性が高いことだけが公表されたのである。本来ならば、空胞が発見された時点で情報公開すべきだったが、動きはことごとく鈍かった。

 当初、世の中は同時多発テロ一色で、狂牛病は陰に隠れていたが、数日後に事態が一変した。

肉骨粉になっていた感染牛

 農水省畜産部長は当初、問題の牛は焼却処分したと発表したが、9月14日深夜、BSE対策本部長の遠藤武彦農水副大臣が緊急記者会見を開き、解体した食肉処理場から業者が引き取り、茨城県内の工場で他の牛に混じって肉骨粉に加工されていたことを明らかにした。

 このとき製造された肉骨粉は計145トン。茨城県と徳島県で保管され、出荷寸前だった。狂牛病発生の危機が訪れたと同時に、感染メカニズムの中核である病原体入り肉骨粉が製造されていたのは、驚愕の事実である。もし出荷されていたらと思うと、ぞっとする。

 問題の肉骨粉を購入した徳島県の会社から千葉県に問い合わせがあり、千葉県がファクスで農水省に報告したのは12日だったが、担当職員が放置し、武部勤農水大臣に伝えられたのは、やっと14日の夕方。あきれるずさんさだ。

 追い打ちをかけたのは、NHKスペシャルの「狂牛病 なぜ感染は拡大したか」だった。ヨーロッパ取材を中心に以前から準備されていた番組だったが、急遽内容を一部変更して16日に放映。牛が肉骨粉で感染するのと同じように、人が牛から感染すること、プリオンの感染力は熱や放射線照射では失われないこと、汚染された肉骨粉が日本で利用された可能性などを伝えた。とくに、変異型ヤコブ病を発病した21歳のイギリス人女性が死亡するまでの悲惨な映像は、強烈なインパクトだった。

 イギリスでは、すでに変異型ヤコブ病の犠牲者が100人を超えていた。致死性100パーセントの奇病が、すわ日本上陸の一大危機である。同時多発テロに負けず劣らず、連日大きく報道された。テレビでは歩行困難な牛の映像が繰り返し流され、恐怖を煽った。全国各地のスーパーに「当店の牛肉は安全です」と書いた貼り紙が掲げられたり、牛肉を扱う外食産業の株価が軒並み下がりはじめたりと、パニックの様相を呈した。

ついに対岸の火事ではなくなった瞬間

 日本の役所は、ことが起こって、いざ行動をはじめると早い。ことなかれ主義だった農水省ならびに厚労省は、さすがに素早く動いた。というか、早すぎるほどだった。

 9月21日深夜、農水省は緊急記者会見で、イギリスの獣医研究所の検査結果が「クロ」だったことを発表した。狂牛病が、ついに対岸の火事ではなくなった瞬間だ。ヨーロッパ以外では、初の発生だった。

 狂牛病は、肉骨粉を食べなければ絶対かからない。第1号牛は、1996年3月に北海道佐呂間町で生まれ、98年4月に千葉県白井市に買われて来た。北海道では、ホクレン農業協同組合連合会の飼料を、千葉では全国酪農業協同組合連合会の飼料を与えられ、どちらの農協も肉骨粉はいっさい使っていなかった。しかし、発病したからには、病原体入りの肉骨粉が日本に確実に存在し、どこかで口に入ったはずなのである。

 製造工場で混入したり、酪農家が鶏や豚用の肉骨粉を間違って与えた可能性も考えられたが、潜伏期間は2年から8年と長いため、感染源の特定は非常に難しい。ミステリーが多い狂牛病唯一の防御法は、肉骨粉を作らない、与えない、これしかないのである。

 10月に入ると、すべての国からの肉骨粉輸入および国内産肉骨粉の製造・販売が一時停止され、さらに肉骨粉を含む家畜用飼料の製造・販売および家畜への給与が法的に禁止された。EU並みの感染防止措置だったが、全面禁止には肉骨粉業界が強く反発し、その後、豚と鶏の肉骨粉は、豚、鶏、魚に使用できるようになった。

 また、国際獣疫事務局(OIE)が、プリオンが集中して蓄積する特定危険部位を脳、脊髄、眼、腸に定めている指針に準じ、厚労省は舌と頬肉以外の頭部、脊髄、扁桃、回腸遠位部(小腸のうち最後の1メートル)の除去・焼却を義務づけた。

 笑うのは、早くも10月2日、飼育農家と牛肉販売業者を励まし、牛肉の安全性を消費者にアピールするという名目で、憲政記念館大食堂に与党議員約200名が集まって「牛肉を大いに食べる会」なるものが開催されたことだ。特定危険部位以外は安全とばかりに、牛乳で乾杯し、武部勤農水大臣と坂口力厚労大臣が肩を並べて和牛ステーキをパクついてみせた。まだ感染源もまったく解明できていないのに、脳天気すぎると、顰蹙を買ったのはいうまでもない。

「全頭検査」と異様に早かった安全宣言

 10月18日から、全国の食肉処理場で、すべての年齢の牛全頭に対する検査がスタートした。30か月齢以上の牛で検査を行っていたEU(ただしドイツとフランスは24か月齢以上)より、厳しい対策だった。

 牛は生後1年以内にBSEに感染し、長い潜伏期間を経て、平均60か月齢で発病して特有の症状が出る。病原体が検出できるのは、発病の6か月前からだ。BSE発病率の99.95パーセントは30か月齢以上であることが、イギリスとEUで確認されている。それより若い牛を検査しても、かりに感染していても陽性が出る可能性は低く、科学的にあまり意味がない。

 しかし、全部を検査しなければ、店頭には検査した牛肉としない牛肉が一緒に並ぶことになる。不安と不信を募らせた消費者は、それではとうてい納得するはずはなく、パニックを鎮めるには、全頭検査やむなしという政治的判断だった。当時は牛の月齢管理が完全ではなく、30か月齢を正確に特定できないという事情もあった。

 で、その10月18日朝、農水大臣と厚労大臣がそろって記者会見し、「EUに勝る世界でいちばん高い水準というべき検査体制が確立し、今後はBSEに感染していないことが証明された安全な牛以外は食肉処理場から食用として出回ることはないので、国民の皆さまにも、ぜひ理解いただき、安心して食肉等をお召し上がりいただきたい」と、安全宣言をした。

 陽性確定から1か月も経たないうちに、全頭検査をはじめただけで、いくらなんでも安全宣言はないだろう。第1号牛の判定が二転三転した不手際から、短期間の研修で養成された検査員が、はたして万全な検査を行えるのかも疑問視された。しかも同じ日、週刊誌に変異型ヤコブ病の疑いのある18歳女性のスクープ記事が載った。絶対ないと豪語された国内発生が現実になり、感染牛が肉骨粉になっていたのがわかった時点で、政府への信頼は完全に失われ、安全といわれるとかえって危険に感じるほど、世論は疑り深くなっていた。

 後手と拙速で国民を混乱させた政府は、これほど大きな不安を呼び起こした原因のひとつは報道にあると、報道機関各社に名称を狂牛病からBSEに改めること、歩行困難になった牛の映像の放映を止めることを申し入れたらしい。その結果、2002年に入ると呼び名はほとんどBSEに変わった。

立て続けに起こった牛肉偽装事件

 BSEは、食肉産業と外食産業に大きな打撃を与えた。

 変異型ヤコブ病が疑われた女性患者に関しては、厚労省の専門家委員会が10月25日、「可能性は薄い」との結論を出したが、11月21日に2頭目、12月2日に3頭目が相次いで見つかり、国民の不安はますます募った。

 消費者の牛肉離れは激しかった。全国小中学校の学校給食で牛肉の使用が自粛され、スーパーでの売上は半減。卸売価格は、発生前の3分の1に暴落した。

 外食でいちばん損害を被ったのは、焼肉店だ。全国焼肉協会の調査で、10月上旬すでに加盟店約1000軒のうち70パーセントの店が前年同期と比較して50パーセント以上も売上が低下していた。帝国データバンクの調査によると、全頭検査の効果もむなしく、2001年10月から翌年6月までの9か月間で、BSE関連倒産は64軒、うち食肉販売が31社、焼肉店が17社で、この2業種で全体の75パーセントを占めた。

 BSEは犯罪事件の温床にもなった。農水省は消費者の不安を軽減するため、全頭検査以前に処理された牛肉を全国農業協同組合連合会など6団体が買い上げ、冷凍保管して市場に出回らないようにする「牛肉在庫緊急保管対策事業」を10月26日から実施した。買い上げと焼却に必要な経費約300億円は、国が負担することになった。集められた牛肉は全国で12626トン、買い上げ価格は1キロが1800円から700円と高額だった。この事業を悪用した牛肉産地偽装事件と補助金詐欺事件が、立て続けに起こったのである。

 最初に発覚したのが、「雪印牛肉偽装事件」だ。雪印食品がオーストラリア産牛肉を国産牛肉と偽って買い上げ申請し、約900万円の補助金を受け取っていた。不正に加担した保管業者の内部告発で02年1月、偽装が明るみに出た。2000年、親会社の雪印乳業が起こした集団食中毒事件で損なわれた雪印食品のブランドイメージは、この事件で回復不能なまで粉々になり、3か月後に解散に追い込まれた。

 2月、香川県の精肉加工業者、カワイが米国産牛肉を「讃岐牛」などの国産牛肉に偽装していたことが発覚。6月に、九州大手の食肉加工販売会社、日本食品が買い上げの対象ではないアキレス腱を牛肉と偽って申請し、1億3600万円を不正に受給していたことが発覚した。日本食品は負債218億円を抱え、7月に民事再生法の適用を申請した。

 8月には、食肉業界最大手の日本ハムが、2月に買い上げ申請し、冷凍保管されていた、実は輸入だった牛肉1.3トンを、偽装発覚を恐れて取り戻し、焼却して証拠隠滅していたことを公表した。買い上げた肉を農水省に無断で返却した日本ハム・ソーセージ工業協同組合の理事長は、実は日本ハム会長という、業界ぐるみの悪質な事件だった。また、01年から02年にかけて、食肉卸大手のハンナンが買い上げ対象外の牛肉を混入させ、約50億円を詐取、不正受給した罪で、「食肉業界のドン」と呼ばれた浅田元会長が04年に逮捕された。事業を悪用した最大規模の事件だった。

食の安全を守る新しい法律

 牛肉だけでなく、豚肉と鶏肉でも産地偽装が次々と発覚し、大きな社会問題になった。BSEをめぐる数々の不祥事は、国産食品安全神話を崩壊しただけでなく、日本人の心にあらゆる食品に対する行き場のない不安を植えつけたと思う。

 1905年に書かれ、食肉業界の非衛生極まりない内情を告発したアプトン・シンクレアの『ジャングル』は、アメリカで食肉検査法の制定と食品医薬品局(FDA)発足のきっかけになった。同様に、BSEは日本政府に食品安全確保の見直しと、システム構築の必要を促した。新しい法律の制定と組織の新設が決まったのが、2002年6月。翌年、国民の健康の保護を基本理念とする食品安全基本法が施行され、7月に食品安全委員会が設置された。

 食品安全委員会は、厚労省、農林省、環境省、消費者庁から切り離し、内閣府に置かれたのが特徴だ。リスク管理を行う行政機関から独立し、科学的エビデンスにもとづいて安全性を客観的かつ公正中立に、リスク評価をする機関である。7名の専門家の委員で構成され、その下にはプリオン、添加物、農薬など12の専門調査会があり、250名以上の研究者がそれぞれ専門分野のリスク評価を行っている。これ以降、食品の健康リスク評価は、委員会が一手に引き受け、政治家や官僚がなにかいうより、はるかに信頼性の高い情報が得られるようになったのは確か。食品安全にリスクコミュニケーションの手法が導入されたのは、BSEの残した数少ないプラス面だった。

復活した国産食品安全信仰

 2002年5月に4頭目、8月に5頭目と、BSE発生は続いたが、全頭検査の効果か、たんに忘れっぽいだけなのか、春からパニックは少しずつ収まり、発生前の1キロ1130円から351円まで下落していた牛肉の卸売価格は、9月にはじめて1000円台に戻った。

 翌03年には、前述の食品安全基本法が制定され、食品安全委員会の活動がはじまった。衝撃だったのは、10月に23か月齢、11月に21か月齢の牛に陽性が見つかったことだ。科学的には意味がないと批判されることも多かった全頭検査が、若い牛にBSEを発見できたことで、「やっぱり正しかった」と再認識されることになった。

 12月1日には、「牛の個体識別のための情報の管理及び伝達に関する特別措置法(牛トレーサビリティ法)」が施行された。国内で飼養されるすべての牛に、10桁の個体識別番号が入った耳標が装着され、その牛の性別や種別、出生からと畜までの飼養地などがデータベースに記録される。肉になって加工、流通する各段階でも個体識別番号の表示が義務づけられ、消費者は購入した牛肉の個体識別番号をインターネットで検索すれば、牛の生産履歴を調べられるようになった。

 国内発生で、国産食品安全神話は崩壊したはずだが、アメリカで発生するとがらりと風向きが変わった。

 03年12月23日、ワシントン州でBSE感染が疑われる牛1頭が確認されたと発表。記者会見で農務長官のアン・ベネマンは「肉を食べる食習慣を変える理由はありません。私はクリスマスディナーには牛肉を用意しようと思います」と、例によってみずから食べることで安全性を強調したが、日本政府は翌日午前、すべてのアメリカ産牛肉の輸入一時停止を決めた。

 日本で流通する牛肉の約3割は、アメリカ産。アメリカにとっても日本は輸出相手国の第1位、最大のお得意である。だが、日本が輸入再開の条件にした全頭検査(または同等の効果を持つ検査)は「科学的根拠に欠ける」、すべての牛からの特定危険部位除去は、腸以外は30か月齢以上に限定と、両方とも突っぱねられた。

 当時、アメリカには個体識別制度がなく、牛の年齢もろくに記録されず、30か月齢以上で歩行困難な牛と健康な牛の一部しか検査をしていなかった。出生日の記録がなくても、30か月齢のころに牛は歯型が変わり、外見から判別することができる。

 日本側が全頭検査を、アメリカ側が30か月齢を譲り、「20か月齢以下、特定危険部位の除去」を条件に、05年12月に輸入が再開したが、早くも翌06年1月20日、成田空港の検疫で除去が義務づけられている特定危険部位の脊柱を含む肉が見つかり、またもやただちに輸入全面禁止措置がとられた。

 一連の騒動で明らかになったアメリカのBSE対策の甘さ、検査体制のお粗末さは、日本人の自信を回復させることになった。アメリカ産牛肉への不安が高まると、逆に日本の食品安全管理への信頼感が高まり、国産食品安全神話がじわじわと復活していったのである。

 気になるのは、日本で最初に発生したとき、国産牛の流通を禁止しなかったのに、アメリカ産牛肉は即刻、全面輸入禁止にした、この違い。人への感染例がある高病原性鳥インフルエンザが海外で発生した場合も、輸入一時停止措置がとられるが、アメリカのBSE発生にときを同じくして04年1月、山口県で79年ぶりに発生したとき、国産鶏肉の流通には手がつけられなかった。

 国産牛を厳しく取り締まらなかったのは、生産者保護が理由のひとつだろうが、対応はいつも内には甘い。消費者の意識も、科学的な裏付けもないのに国産食品なら安心と、安易な方向に流れてしまった。

そんなに牛丼が好きだったの、日本人!?

 アメリカのBSEに関するメディアの報道は、最初から緊張感に欠けていた気がする。ことに週刊誌は、外食産業に与える影響ばかりを追い、なかでも吉野家に注目が集まった。「アメリカの牛肉は危険」と騒ぎたてながら、牛丼がいつまで食べられるか、吉野屋の存続や牛肉の在庫を心配する記事であふれたのである。

 私もそうだったが、このときに吉野家の牛丼について詳しくなった人は多いだろう。材料の牛肉は99パーセント以上アメリカ産に依存し、牛1頭で10キロ程度取れるショートプレートという脂身の多いバラ肉を使わないと、あの味が出ないらしい。オーストラリア産やニュージーランド産では、コストは上がり味が落ちるという理由で、在庫が切れた時点で販売中止、輸入停止期間は代替メニューでしのぐことが早々に決まった。

 2003年夏からの牛肉価格高騰で、在庫の積み増しが控えられ、通常は3か月分あるはずの在庫が約1か月分しかなく、04年2月11日に販売中止になったが、この間、吉野家牛丼を惜しむメディアの過熱ぶりは、バカバカしいの一言。最後の日はテレビ中継されたほどだ。

 国内で発生したとき未検査牛に向けた疑いの目を、なぜジャーナリストは在庫のアメリカ産牛肉に対して向けなかったのか。アメリカの検査体制とトレーサビリティの緩さに不安の声が上がっていたのだから、危険と騒ぐなら、外食と小売の業者は在庫をすべて廃棄するべしと主張するのが筋だった。それなのに、在庫の消費を促進するような報道で染まり、煽られて生まれてはじめて牛丼を試してみた女性も多かった。

 販売中止の1年後、買い集めた在庫で1日だけ牛丼が復活したときの喜びも、輸入再開後に特定危険部位が発見された日の嘆きも、センセーショナルに報じられた。ジャーナリストは男性中心で、彼らのもっとも身近な食事といえば牛丼だ。牛丼愛がそうさせたとしても、安全確保に関する科学的な情報が少なかったのは残念。ともかく、日本人はこんなに牛丼が好きだったのかと、驚き呆れたものだった。

 しかし、日本人の食へのあくなき探求心は、牛肉がだめとなると、今度は豚肉と鶏肉に目を向けられた。最初にやって来たのはスペイン産イベリコ豚のブームだったが、次に国産豚のブランド化が進み、続けて地鶏のブランド化もはじまった。以前は高級レストランで使われることはほぼ皆無だった豚肉と鶏肉が、国産食品安全信仰の復活にも後押しされて、牛肉に負けないご馳走食材に昇格したのである。

忘れ去られた狂牛病パニック

 日本でのBSEは計36頭、2009年を最後に発生していない。変異型ヤコブ病患者は、イギリスで感染したと推測される1名だけだった。2013年5月、国際獣疫事務局は日本を「無視できるBSEリスクの国」に認定し、現在は24か月齢以上で神経症状が疑われる牛と、全身症状を呈している牛だけを検査している。日本産牛肉の輸入を停止していた国も、13年以降、輸入解禁と再開が広がっている。19年12月には中国が解禁し、和牛の市場拡大の好機と、政府は生産増大計画を打ち出した。13年から、空前と呼ばれる肉ブームがはじまり、とりわけ牛赤身肉と牛熟成肉が人気を集めた。

 世界でも、17年はイギリスを除くEUで6頭とアメリカで1頭、18年はイギリスとアメリカで各1頭、19年はイギリスを除くEUで3頭、ブラジルで1頭の発生だけで、ほぼ収束状態だといわれている。食品安全委員会プリオン専門調査会が、月齢制限を廃止しても人へのリスクは無視できる程度と評価したことを受け、19年5月、条件が30か月齢以下だったアメリカ産牛肉の輸入規制撤廃が決まった。

 収束したとはいえ、完全に消滅したわけではないが、トランプ政権の圧力に屈したという論調はあっても、安全性を懸念する報道はほぼなかった。日米が対立した全頭検査の妥当性を含め、検証されていないことは多いが、BSEはもはや人々の記憶から忘れ去られてしまっている。

 BSEは、畜産の工業化と効率化が生んだ人災だった。現在、流行中の豚熱(豚コレラから名称変更)ではワクチン接種が決まるまで時間がかかり、感染が広がった。いつまた得体の知れない食の危機に襲われるかわからない。そのときどう対処すべきか、国はどう動くかチェックするためにも、喉元過ぎても熱さ忘れず、日本を恐怖のどん底に陥れた狂牛病パニックのことを忘れちゃいかんと思うのである。

 

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 畑中三応子

    1958年生まれ。編集者・ライター。編集プロダクション「オフィスSNOW」代表。『シェフ・シリーズ』と『暮らしの設計』(ともに中央公論新社)編集長を経て、プロ向けの専門技術書から超初心者向けのレシピブックまで幅広く料理本を手がけるかたわら、近現代の流行食を研究・執筆。著書に『カリスマフード――肉・乳・米と日本人』(春秋社)、『ファッションフード、あります。――はやりの食べ物クロニクル』(ちくま文庫)、『体にいい食べ物はなぜコロコロと変わるのか』(ベスト新書)、『ミュージアム・レストランガイド』(朝日新聞出版)、「七福神巡り――東京ご利益散歩」(平凡社)、『おやじレシピ』(オフィスSNOW名義、平凡社)、共著に『東京バスの旅』(文春新書)がある。第3回食生活ジャーナリスト大賞(ジャーナリズム部門)受賞。

キーワードから探す

お知らせ

ランキング

  1. 春秋社ホームページ
  2. web連載から単行本になりました
閉じる