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女に産土はいらない 三砂ちづる

世界は良くなっているか

 1980年代から、世界中あちこち、とりわけ開発途上国、と言われている国々で、「国際保健」という分野の仕事をしてきた。健康状況にどのような格差があるのか、どのような格差なら見逃すことができないのか、そして見逃すことができない格差をどのようにうめていくのか、そういうことを考える分野である。その格差を測るためにどういう指標を使い、どういう調査をするのか、というのは、疫学という公衆衛生分野の測定ツールを専門とする私の仕事だった。そういう仕事の面でも、過去30年間の状況の改善はいちじるしいのではあるが、ここで書きたいのは、直接、乳幼児死亡率が改善した、とか、そういう国際保健の専門の話ではない。その分野に関わるのであるから、必然的に、世界のあちこちに出向いてきた、その感触がずいぶんかわってきた、という話である。

 

 先日、短期間だが、コートジボアールに出かけた。医療管理と必要以上の医療介入がすすみ、穏やかなケアが見過ごされがちな施設出産の場を、より、産む女性の力を生かし、赤ちゃんの生まれる力を生かすような場にしていきたい、という「出産のヒューマニゼーション」と呼ばれるプロジェクトの立ち上げのセミナーの開催である。1990年代から、日本の国際協力の、ひとつのお家芸となりつつある、助産分野の技術協力に位置付けられるプロジェクトである。すでに日本の協力で、近隣のセネガルやベナンで同様のプロジェクトが行われてきた経緯があり、今回はセネガルでのプロジェクトの関係者も参加していた。

 コートジボアールは、西アフリカにある、旧フランス領の国である。アフリカはその天然資源と人材の豊富さゆえ、また、ヨーロッパからの距離の近さゆえ、ほとんどの国は帝国主義時代の西欧列強のターゲットとなり、植民地として厳しい時代を過ごした。イギリス、フランス、ベルギー、ポルトガル、ドイツ、オランダなど数多の国が長きにわたってアフリカを植民地としてきたのである。植民地時代の言語や教育制度、医療制度、政治の仕組みなど、様々なことが宗主国と呼ばれた国々の影響を受けている。制度的なものだけでなく、ファッションや食べ物にも多大な影響が残されていると思う。旧イギリス領のアフリカと、旧フランス領のアフリカでは、たとえば、ファッションセンスと、食事の美味しさが、あまりにも異なりすぎている。 

 イギリス、という国は、好きだ。留学したロンドン大学で10年くらい働くことになったから、ロンドンは、学問的基礎を築いてくれた地であり、世界中の人に出会わせてくれた街でもあり、今も感謝している。大陸を控えた島国イギリスの人たちのメンタリティーはなんとなく、大陸を控えた島国である我が国と似ているところもあるし、イギリスの文学や映画はこの国でよく読まれ、見られてきたから、親しみもあるだろう。シャイで、人見知りで、自分のことを謙遜することが美徳で、慎ましくて目立たないことをよきこととする、という態度はイギリスと日本に共通しているし、細かいことにマニアックにこだわる力においても似ているところがある。イギリスには学問上の恩義もあるし、好きなのだが、イギリスの方々、ごめんなさい、イギリスの食事とファッションセンスに関しては、思い出し考えるたびに、けっこう暗い気分になってしまう。

 食事に関しては、ただ、ひとこと、普通のイギリスの食事は、おいしくない。肉か魚か、なにか一品に、形が崩れるほど茹でた野菜がそえられているものが、料理の基本で、素材を生かすことに全力をかける日本人には、なぜ、あの野菜がこのようにとことんまで茹でられなければならないのか、うまく理解できない。おしゃれをするのは、なにか、背徳の雰囲気が伴うのか、イギリスの同僚女性たちは、華やかな服装はきらい、一週間同じ服を着て通勤してきたりするのであった。それ、洗濯しないの? と聞くと、あら、同じものを何枚も持っているのよ、と言われたが、それにしても毎日、同じ服を着るだろうか。もちろん例外はあるにせよ、何度も言うが、イギリスは好きだが、食べ物とファッションは期待できない、と思うのであった。

 宗主国イギリスの影響をおそらく受けた、旧英領のアフリカの食事は、はっきりいって凡庸だし、単調だし、バラエティーというものに欠けていた。それでもインド洋に面しているケニアとかタンザニアなどは、アラブの影響も受けているから、まだおいしいものがあるのだが、ザンビアとかジンバブエとか、あと、行ったことはないけどおそらく、ボツワナとか、旧英領の内陸国の食事は単調だった、あるいは単調、らしい。ファッションも、残念ながらあんまり気合が入ってないように思うのだ。

 ところが旧フランス領アフリカは全く様相が異なる。どこに行っても食事はおいしいし、男も女もセンスがいい。気合の入ったおしゃれを展開している。カラフルなブランドものの服を身につけて平和を語る、コンゴのサプールの男たちの粋なかっこよさについてはいうまでもないし、女性たちもカラフルな衣装の着こなしが見事である。今回訪問したコートジボアールには、アフリカ女性がみんな憧れているという、おしゃれで有名な布地メーカーもあり、みな、おしゃれに余念がないのであった。コートジボアールと同じく、旧フランス領のセネガルから来ていたドクター(男性)は、金曜日には、白いレースのキャップに風になびく真っ白なムスレムの衣装を身につけ、プレゼンのある土曜日には、三揃いの一分の隙もないスーツを着て、オフの時間には、ラフなスポーツウェアを着てリラックスしている。とにかく、かっこいい。セネガルからの助産婦さんは、昼の仕事と夜の食事では全く違う衣装を身につけ、ヘアセットも完璧で、頭に巻いているスカーフのデコレーションぶりも手の込んだものであった。よくこれだけの衣装を持ち歩いておられるな、と思うほど、いろいろなものを着ておられる。気合いの入り方が違うのである。

 旅行するときに荷物は簡素で軽くて小さいほうがいい、みたいに、なんとなく日本にいるときは思っていたし、イギリスもそんな感じで、「身軽に旅行することが達人」といった暗黙の了解みたいなものがあった気がする。たった一泊なのに、大きなスーツケースなんか持っていたら、日本では部屋ごと移動するのかと笑われそうであり、荷物は少ないほど自慢できるような感じがあったし、今もあると思う。私は長い間ブラジルをはじめとするラテンの国に関わってきて、そちらの方々は「旅行するときに荷物が少ないほうがいい」など、つゆほども考えておられず、朝の服、午後の服、夜の服、それにあわせた靴、など山のような荷物を持ち歩くのが平気なことに気づいた。おしゃれな国の方々にとって「荷物を少なく簡素に移動する」ことになど、なんのプライオリティーでもないのである。いくら荷物が増えようが、毎日、昼に夜に違う服を用意しなければならない。今回セネガルの方々の、衣装でいっぱいの荷物を見ながら、そうそう、この感じ、と、なんだか懐かしかった。

 

 ともあれ、旧フランス領アフリカには、フランスを経由していくことが多い。今回コートジボアールに行くためにもパリでフライトを乗り換えた。パリ発アビジャン行きのフライトのお客はほとんどアフリカ系の人たちで、白人は数えるほどしかいない。こういうことを見るとき、時代が変わったなあ、と思うのである。現地の人たちが飛行機に乗ってヨーロッパへ、別のアフリカの国へ、と動いているのである。この分野の仕事を始めた30年以上前には、ヨーロッパからアフリカに向かうフライトで移動する人は、圧倒的に白人が多かったと記憶している。

 植民地主義とか、いまでは歴史上のできごとのように思われているけれど、たとえば、ラオス、ベトナム、カンボジアのインドシナ三国がフランスから独立したのは1950年代、アフリカの多くの国が独立したのは1960年代である。1950年代後半生まれの私とおおよそ同じくらいの年、つまりは一世代分しか経っていない。

 私が海外に出て行き始めた1980年代の始め頃は、まだまだ、この植民地の感じが、どこにでも残っていたものだった。典型的にそういう感じがみられたのは、その国に行く飛行機に乗っている人に現地の人は少なかったり、いいホテルに泊まっているのも白人ばかりだったり、ということだった。その間にちらほらとオリエンタルとおぼしき黄色人種が混じっていて、それは日本人だったりしたのがそのころである。観光、という名前でそういう南の国々に出ていくことができるのは、だいたいが白人で、日本人も個人で海外に出て行き始めた頃であるものの、だいたい行くとしても団体旅行で、その団体行動ぶりが揶揄されたりもしていたのである。同じ場所にいても、白人たちの動き回る世界と、現地の人たちの世界は、植民地時代はまったくちがうものであり、80年代にはまだそのなごりがあちこちに見られた。

 『愛人(ラマン)』でよく知られたフランスの作家、マルグリット・デュラスは幼少期をインドシナで暮らし、1950年代から80年代にかけて、多くの作品を発表した。「インディア・ソング」などの映画でもよく知られている。「この世でたった一人の存在に、制御不可能な使命感を抱くのは女性的なこと」と語り、好色な堅物、と言われた彼女が大好きで、ほとんどの作品を読んでいる。生活を経た愛は、例外なしに愛の堕落、と言い切る彼女の作品を読んでいると、「母性」とか「生活者」とかそういうカテゴリーは、いかにも小さなものに思えるし、女性性のより深く、より豊かで、より恐ろしく、より根源的であることに、身震いがする。書くときに、すべてのイデオロギー、すべての文化的記憶を忘れ、原始的になる、というような人なのだ。

 だから彼女の作品を政治的、社会的に読むこと自体が、間違っているとは思えど、植民者であるフランス人の娘であったデュラスのえがくインドシナの物語に登場するのは、すべてヨーロッパ人やレバノン人や、百歩譲って中国人など、いわゆるexpatriateと呼ばれる「外からその国に来ている人たち」ばかりであることは、驚くべきことだな、と思っていた。インドシナ三国、ベトナム、カンボジア、ラオス、その国の人たちは、彼女の作品に、見事に登場しないのである。舞台はずっと、まさに、そこであるのに。唯一、登場する現地の人は、くりかえし、くりかえし、いろいろな作品に登場する、ラオスのサヴァナケットというところからやってきたという、女乞食の姿だけである。この女乞食はボロをまとい、妊娠していたりして、サヴァナケットから延々とプノンペンとかサイゴンとかあたりまで歩いてきていることが示唆されたりするのだ。デュラスの作品にたくさん登場するけれど、他の登場人物と、何らかの関わりを持ったり会話をかわしたり、という「人間的な」関わりを持つ設定になっていない。まるでメコン川や、湿った空気とモンスーンなどと同じような、現地の風景のようである。デュラスを読んでいると、サヴァナケットという地名と女乞食のイメージのせいで、そのエキゾチックさに、くらくらしていたものだ。実際に、のち、ラオスに仕事に行くことがあり、サヴァナケット県も訪れたが、一つの大きな行政単位であり、ふつうにラオスの人が暮らす、街や村のあるところで、特別に女乞食が出てこなければならないようなところにも見えなかった。おそらくデュラスはこのサヴァナケット県出身の、誰か、に出会っていた、のであろうが、文字どおり、その人は「植民者」たちexpatriateとは、違う世界の住人であったに違いない。デュラスの世界に出てくるのは、乾いたヨーロッパから湿った重たいアジアに出かけた植民者たちの、恋愛やら、出会いやら、行き違いやら、土地の問題やら、彼らだけの世界で繰り広げられる人間模様なのである。

 何が言いたいのかというと、とにかく、植民地時代の国々では、植民者である白人の見ている世界と、現地の人の世界では、同じ空間に存在していても、見えているものが全く違い、また、動いている世界自体も全く違っていて、お互いの世界は見えていなかった、ということ。そして、植民地解放後も、1980年代くらいまではそのなごりが色濃く、あちこちに残っていた、ということである。人々の国境を越えての行き交いはあっても、いわゆる開発途上国、という国に出かけていけるのは、先進国側の人間、要するに、もと植民者側の人間であり、逆、つまりは、現地から出かける人は極端に少なかった。留学したり、外務省関係者として渡航するほかにはいわゆる途上国から先進国に出かける人は、本当に少なかったのだ。

 それが、ずいぶん変わってきたなあ、と感じたのは、2000年代なかごろに、カンボジアの首都プノンペンに仕事に行った時だった。歴史も伝統もあり、かなり良いホテルに泊まっていたのだが、ふと気づくと、白人の宿泊者にほとんど出会うことがない。80年代には、こういう開発途上国の首都にある、ちょっといいホテルに泊まっている、というのはほとんどが白人、それにちょっぴりの日本人と近隣の外国人、という感じで、アジアの人たちは働いてこそいても、泊まりに来ている感じはなかった。しかし、その時は、朝ごはんを食べていても、ホテルのロビーにいても、いる客はわたしたちとおなじようなオリエンタルか、あるいは、インド系の人たちがほとんど。白人は、ドイツから来ているという観光客と思しき人たちが何人かいるだけだった。いわゆるアジア人がほとんどなのである。中国人ビジネスマンたちが増えた、ということもあるけれど、アジアの時代になったなあ、としみじみと感じた。そのころから、冒頭に挙げたエアラインに乗っても、現地の人たちが乗っていることが増えたし、それから10年もしないうちに、「観光」としての人の行き交いも、相互にふえるようになっていった。

 もちろん、まだまだ所得の厳然たる格差は存在するとはいえ、日本人がアジアの国々を旅行するように、アジアの国々の皆さんも日本に観光に来るようになった。中国の人は、数年前まで団体の方が多くて、爆買いとか、集団でマナーが悪い(これは日本人も数十年前、パック旅行を盛んにしている頃に、西洋人にマナーが悪いと言われていた覚えがある)とか、言われていたけれど、あっという間に個人観光客も増え、日本を気に入ってリピーターになって、地方に来る方も増えた。タイや、マレーシア、インドネシアなど、東南アジアからの観光客も日本中で見かけるようになった。わたしたちが東南アジアを観光で訪れても、いかにも「現地の人を搾取している」という感じの、貧しい物売りや、客引きなども減り、現地の人もそれなりの生活レベルを維持しながらの観光業従事であることが分かるようになって、落ち着いて観光ができるようになった。これはほんとうに良いことなのだと思う。絶対的貧困層、は確実に多くの国で少しずつでも減っていることが、実感として感じられるようになってきている。

 数年前に、アフリカでもなかなか状況が厳しいと言われているコンゴ民主共和国に出向いた。霊長類研究者とともに大型類人猿ボノボの住む森に出かけたとき、研究者の住まうフィールドステーションで、料理や洗濯を手伝ってくれている現地の若い女性がいた。そういう仕事をしてくれる女性は、学校に行けていないのではないか、行っていても小学校程度ではないか、などと思う私の考えは、単なる「アフリカの田舎の村」に対する先入観だったことがすぐに分かった。その女性は、17歳の高校生であり、フランス語も実に堪能で、教育学に興味があり、引き続き大学で勉強することを目指して、夏休みのアルバイトをしているらしかった。電気も水道も整っていないような、大型類人猿の住む森の傍に住む女性たちも、それくらいの教育を受けていることは珍しいことでもなくなっている。女子教育もさまざまな場所で着実に進んでいるのだ、と思ったことである。

 

 こういう話をしていたら、若い友人から『Factfullness』[1]というスウェーデンのグローバルヘルスの専門家の書いた本を紹介された。TED(Technology Entertainment Design)のコンファレンス[2]、というネット上で見られる講演でも話を聞くことができる。たとえば、「現在、低所得国に暮らす女子の何割が初等教育を終了するか」という質問に対して、先進国のほとんどの人たちは20% と答えるが、実際は60%なのだという。また、「世界の人口のうち極度の貧困にある人の割合は過去20年でどう変わったか」という質問はどうか。実際には、過去20年で半分になっているのだが、多くの人たちは変わっていないとか、増えていたりする、と答えるらしい。ほかにも「世界中の一歳児の中で、何らかの予防接種を受けている子供の割合」は実際には80% なのだが、スウェーデンの人はほとんど20% と言うのだという。

 データをみれば、世界はこの20年でずいぶんとよくなっているのだ。世界の大部分の人は、中間所得層に属するようになっていて、極度の貧困状態とはかなりかけ離れており、多くの女子も就学していて、ほとんどの子どもは予防接種を受けていて、中間所得層の家族は、難民としてではなく、観光客として休暇に海外に出かけられるようになっていることが分かるのだが、先進国と呼ばれる国ほど、そのような認識が共有されていない。『ファクトフルネス』の著者は、とりわけ西洋諸国においては、あまりにドラマチックすぎる見方、つまりは「世界は暴力や人災や災害や腐敗が絶えることなく、どんどん物騒になっていて、所得の格差はどんどん増えていて、貧困は増えているばかりで、天然資源もなくなっていく」が共有されていて、実際の世界の姿が見誤られている、と指摘している。たしかに、日本でもよく新聞や本を読み意識が高く世界に目が向いている人ほど、そう思っているのではないだろうか。

 実際に私も女子大学で15年にわたって「国際保健」を講義しているのだが、こういう認識を学生たちに与えていなかったとは言えない。冒頭に書いたように、世界の健康格差について、どういう格差なら容認できないか、を考えてその格差を埋めていくかを考える分野なのだ。どうしても「格差」を強調してしまっていなかっただろうか。この原稿では、専門の分野ではなく、「国際保健」をきっかけとして訪問した海外の国の印象が変わってきた、と書いてきたわけだが、こうした国々で、よくなってきたな、と私自身が感じていることは、実はもちろん、専門としている分野の指標が改善していることが前提になっているのである。印象は変わってきていて、実際に世界は、この2、30年で確かに良くなっているのに、それが教育の現場やジャーナリズムの口調にあまり影響していないことについて、教師としての私にも責任があるのだ、と感じずにはいられない。

 2019年4月から、職場の女子大学で新設された「多文化・国際協力学科」という学科の教員になる。多文化共生や国際協力に興味を持ってくれる新入生たちが、この分野に興味を持ってくれたきっかけは、おそらく、様々な格差や貧困や世界の問題の存在だと思う。そのきっかけを大切にしながら、現在の世界の事実を見据え、現実の印象も伝えながら、世界を悲惨な言葉だけで語らないようにしたいと考えている。

 

 

 

[1] ハンス・ロスリング他著『Factfullness(ファクトフルネス)――10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』日経BP社、2019.

[2] ハンス& オーラ・ロスリング 「世界について無知にならないために」TED salon Berlin 2014,

https://www.ted.com/talks/hans_and_ola_rosling_how_not_to_be_ignorant_about_the_world?language=ja viewed 2019/03/31

 

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著者略歴

  1. 三砂ちづる

    1958年山口県生まれ。兵庫県西宮市で育つ。作家、疫学者。津田塾大学教授。著書に『オニババ化する女たち』『月の小屋』『不機嫌な夫婦』『女たちが、なにか、おかしい』『死にゆく人のかたわらで』など多数。

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